千曲万来余話その322「バッハ、二つのヴァイオリンのための協奏曲で、その通奏低音は・・・」

  いつもの食事で味噌汁、みなさんのだしは、かつお節派か、昆布だし派か?鰹節の時は沸騰したお湯に、さっと湯がくのが風味を際立たせて、そこで直ぐにすくってしまう。それに対して、昆布だしは、水から入れて沸騰し始めてから、掬い出すのが決め手であり、長々と煮出すのではない。我が家は、昆布だし派、そこで、話題としては、女系家族は、意外と鰹節派が多いらしいのだけれど、因果関係があるものやら、無いものやら。そこのところ、チェックしたいものである。  
 いつも、モダン楽器演奏によるレコードを聴いている中で、最近は、古楽器によるものも、普通に鑑賞できるようになった。エンシェント・ミュージック合奏団で、クリストファー・ホグウッドが指揮と通奏低音を担当している。ソロ・ヴァイオリン奏者達は、ヤープ・シュレーダーと、クリストファー・ハイロンズ、1981年頃録音のものでニ短調BWV1043を聴いた。  
 コントラバスは一丁、チェロとアルトは、それぞれ二丁である。ヴァイオリンは三人ずつ二群、協奏曲第一番と第二番で、通奏低音はハープシコード。ところが、二つのヴァイオリンのための協奏曲になると、それは聴こえてこない。第二楽章を聴いていて、なんとポジティフオルガン、室内用オルガンがコントラバスとユニゾンで聞こえてくるではないか!それが、魅力的である。  
 ソリスト達は、古楽器でも、名器やコピー・モデル、ヴィブラートなど、かけていない。すうっとよく伸びる楽音、モダン楽器に慣れた耳では、新鮮でそれはそれで聴き方があるというもの。バッハの音楽としては、このような音楽の可能性を追求するひとつの意味があろう。   
 二つのヴァイオリンが演奏するときは、その位置関係がどう聞こえるか興味がある。大多数のリスナーは、そこのところ、モノーラル的であって、スルーしている。ステレオ録音で、左側スピーカー、中央部、右側スピーカーとの間隔で、定位ローカリゼイションがその人のグレードによるだろう。システムを攻めて行って、高みを追求するとき、かならずや、そこのところが気になってくる。もちろんアバウトで気にしない人たちが多数派だろう。盤友人は、そこのところ、面白くなればなるほど、追求するのである。 シュレーダー、左側に聞こえて、右側にハイロンズが演奏しているのが鮮明になると、音楽的対話が浮き彫りにされてくる。もちろん、コントラバスと通奏低音の室内オルガンが聞こえてくるためには、努力が必要なのである。バッハの音楽性、宗教性、気高さがよく伝わる彼らの演奏を聴いて、オーディオはつくづく、音にではなく、音楽のためにという言葉、その経験を通じて、幸福感を味わえるもので、つくづく、その平和であることありがたくを、祈らずにはいられない。いい音とはオーディオ的登山で、頂上に到達することを目指して初めて、味わえるといえる。