千曲万来余話その339「ホルスト、惑星を聴かせるボールト卿指揮51年前の録音盤・・・」

 

グスターヴ・ホルスト1874921チェルトナム生~1934525ロンドン没は、1918929日に、組曲惑星作品32を初演させている。ネプチューン海王星では、舞台裏で女声コーラスが加わり神秘的な音楽のおしまいを迎える寸法になっている。ここでは合唱指揮者と舞台上での指揮者と掛け合いというか、あうんの呼吸を楽しめるのだから、コーラスが舞台上に姿を現しては、作曲者の意向を忖度していない解釈にすぎない。そこで指揮ぶりを見せつけられたとしたら興冷めはなはだしいといえるだろうし大体、音楽を台無しにする。そうすることは無粋極まりない。舞台袖で少し楽に演奏してこそ、神秘的な効果がいやがうえにも増す寸法であり、すなわち巧みな音楽設計なのだから作曲者の音楽を、尊重した上で料理するのが指揮者の腕前というもの、ボールト卿が指揮したニューフィルハーモニア管弦楽団の録音は、その意味でも並みの演奏を超えてる。チェレスタを使用するなど、管弦楽法の色彩感を発揮して極上の音楽を味わうことが出来る作曲になっている。生の演奏では、それを体現させるべく記録されているこのLPは、踏み絵といえるかもしれない。オーケストラの力量は充分で、指揮者はその上を求められているから、それは無の境地こそ望ましい姿といえるのだ。      
 このレコードの演奏の特色は、管楽器、弦楽器、打楽器とそれぞれの音色が鮮やかに聞き取れるところにある。すなわちそれぞれの楽器の前にマイクロフォンが設置されているのではない。演奏上、巧みにオンビートの手前で音が発せられていて、音楽に推進力が感じられ、音量もメゾ・ピアノ、ピアノという弱い音量でも聞き取れるという聴かせるテクニックの上に成り立っているのである。生の演奏会では、音量設定がメゾ・フォルテ以上に設定されがちで、音楽に深みがなくなってしまいやすい。レコードというものは、バランスエンジニアという録音技師の腕前の上に、指揮者の巧みな音楽性がものをいっている。だからその意味でボールト卿は、凡百の指揮者と明らかに一線を画しているといえる。EМIの数ある名盤の中で、一際精彩を放っている。左右のスピーカーから、ヴァイオリンの音色が聞き取れるということは、第一と、第二ヴァイオリンの演奏が左手側にまとめられて高音域、右手側にはコントラバスの低音域というステレオ録音設定が、なんと胡散臭いかこのレコードは証明している。     
 レコード音楽は無数に存在するのだが、満足するものは希少で、砂金のような価値があるといえる。       
 日本市場では、見えざる手で選択され、多数がヴァイオリンをそろえたオーケストラ配置の音楽になっているのは、もはや、不幸といえる現実だろう。それは指揮者の都合で、演奏のし易い配置、無難な設定の、というのは演奏者たちがしやすい選択になっている。それは、時代というもので、全て右に倣えであるものなのだ。現代、音楽の高みが求められていて、演奏者たちの選択を超えて、聴衆に満足をもたらす音楽こそ、プロフェッショナルな交響楽団に求められているといえるだろう。ネプチューン海王星という神秘の惑星が、天上に響き渡るという発想は、海の底から頭の上へとイメージがつながりを見せ、それは、作曲者の世界、時は第一次世界大戦という歴史の上でも、悲惨な時代の最中に作曲されたことは、記憶されて良いことであり、何が一番大切なことなのかを考えさせるのも、
100人を超える演奏者たちの音楽なのである。