千曲万来余話その341「モーツァルト作曲ピアノと管楽器のための五重奏曲で室内楽的愉悦」

メーデーに帯広から桜開花の報道、函館五稜郭で満開、札幌は先月28日に開花宣言、東京は、ひと月前の話、日本列島は南北に長いということである。    
  札幌に桜前線到着の頃、プリアンプとフォノイコライザーのチェックが出来て、低音域の音質改善を図ることが可能となった。今までミスマッチだったというか、オーケストラでコントラバスの音圧を上げることが出来たのである。これは、明らかな展開であり、バッハやベートーヴェンの管弦楽曲再生が、醍醐味を加えることになった。もちろん中音域にも手ごたえが向上して、モーツァルトの室内楽が、にわかに面白みを増したのだ。ピアノと管楽器のための五重奏曲変ホ長調K452は1784年3月30日作曲、これまでに書いた最高のものと自身に云わしめた室内楽で、これをワルター・ギーゼキングのピアノと、デニス・ブレインたち合奏による1955年4月15日録音のこの上ないアンサンブルが素敵である。   
 モノーラル録音であることが幸いして、楽器配置問題、自由自在な思い巡らしを楽しんだ。これはピアノ中央配置型であろうことを思わせる。左右に管楽器が展開していて、左手側にオーボエを、その奥にファゴット、右手側にクラリネット、その奥にフレンチ・ホルンという図式が目に浮かぶ。それは左右の対話、その上にオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットという旋律の受け渡しのスムーズさが理想的だからである。   
 ギーゼキングのピアノは、音楽が響き豊かな上に、フレーズが明快、強弱の自然な呼吸で変幻自在なタッチが極上、この曲の理想とするピアニストであたかも、モーツァルトのあの絵の赤いジャケット姿が目に浮かぶ。管楽器では、シドニー・サトクリフのオーボエが実に魅惑的な音色を披露していて耳を引き付ける。フレンチ・ホルンというコントロールが難しく音を外しやすい楽器で、楽々演奏し錦上華をそえているのがデニス・ブレイン。 薄紅色、というかきらびやかで豊かな音量のホルン奏者、デニスの前にデニスなく、デニスの後にデニスなしとまで言われた天才音楽家、彼は、いつも音を外すリスクを微妙にコントロールして演奏を披露していたのだった。ハイトーン、高音域のスマートな演奏は、天性の、天賦の才能に不断の努力を気付かせることのない、無上の音楽性である。オーボエとファゴットのデュエット二重奏に対比して、クラリネットとホルンの柔らかな歌が、ピアノの舞台左右に展開する様は、ステレオ録音ではなかなか、出会えない展開ではある。逆に、モノーラル録音で、イメージを自由に働かせるのも一興であろう。これは、管楽器固有の響きを遺憾なく発揮した上での話なのであり、オーディオの醍醐味の一つである。      あえて付け加えるとすると、今だ理想とするステレオ録音とは出会っていなくても、モノーラル録音ではその想像をかきたてる世界なのである。この録音の二年後、デニスに悲劇が待ち受けていたとは、誰も知らなかったことである。桜の季節になぜか、モーツァルトの愉悦が身に染みて、オーディオの喜び、オイロダインの豊かな音楽に、愛は悲なりという言葉、慈悲、慈愛と、いつくしみを添える教えを受けた青春の日々をよみがえらせる幸せをブログで発信したいと思う。うーすべに色の・・・