千曲万来余話その346「シフ・アンドラーシュが記録したバッハ作曲ゴルドベルグ変奏曲」

バッハは前後にアリアを置いて30曲からなる変奏曲BWV988をものにしているがベートーヴェンは33の変奏からなる作品120を創作している。ゴルドベルグもディアベルリも人名で共通しているのだが、並々ならぬ後者のライヴァル意識は、実に微笑ましい。バロック音楽の代表と古典派の旗手のキャラクター比較でもあり、興味つきない。作曲年としては80年くらいの違いがあって、歴史的にも重要な音楽ではなかろうか?音楽の父バッハは小川から至る大海だというのは、ベートーヴェンの記述ではあるが及びもつかない存在の自覚として、それはその通りであろう。音楽の父の子、ベートーヴェンとしては、いかにも人間的な音楽が面目躍如である。  
  カイザリング伯爵のために宮廷奏者であるゴルドベルグが弾いた眠れない夜ための変奏曲。ぐっすりねむるどころか、集中していると、眠れなくなってしまうので、ほどほどに聞いた方が賢明なのだろうが、たしかに一面、眠りにつくためにも具合の良い音楽ではある。    札幌の五月半ばというと、花冷えの季節、盤友人にとってオーディオ・システムの革命的展開、メインアンプの三極管導入を果たすことが出来た。      
 シフ・アンドラーシュはブダペスト出身1953年12月21日、盤友人と同年生まれで68年フランツ・リスト音楽院に入学。74年チャイコフスキー国際コンクール第4位。76年初来日、夫人は塩川悠子。レコーディング、リサイタルともに活発にこなしている。 チェンバロをジョージ・マルコムに師事している。82年にはザルツブルグ音楽祭にデビュー、同年12月デッカにゴルドベルグ変奏曲をデジタル録音していて、LPをリリース。リアルタイムで購入していたものをじっくり再生出来て、目からウロコが落ちる思いをした。第7変奏6/8拍子二声のシチリアーノで二段鍵盤のようにオクターブ上の演奏を一部取り入れていて、音色の変化を工夫している。それはあたかも、曇り気味の空から日の光りがきらめく一瞬を感じさせるがごとく、インパクトを与える。使用楽器はベーゼンドルファー、キングズウエイホール、ロンドンの空気感豊かな録音になっていて、スタジオ録音とは、ひとしお別な趣がある。ホールは無人でありながら気配としては音響空間に客席の存在感があり、それは、小宇宙。作曲当時にグランドピアノは無くて、有った鍵盤楽器はチェンバロ、ハープシコードなのである。       
 スヴィヤトスラフ・リヒテルはピアノという楽器で、メーカーの特定を避けるむね、こだわることを否定していたというか、戒めていたのだが、彼の選択は、多様なメーカーに対応するピアニストとしての識見であって、ウイルヘルム・バックハウスやクリフォード・カーゾンのように、ウィーン製品にこだわりを見せるピアニストの存在を意識しての発言であろう。    
 一般的に、レコードは自分の気に入り一枚あればそれで充分という生き方もあれば、盤友人は、ゴルドベルグ変奏曲を気になる演奏者でそろえたい。グレン・グールドにしたって、1955年モノーラル録音そして81年デジタル録音もあるが、彼は翌年11月4日トロントで没している。多分、シフはグールドと異なるアプローチでバッハ演奏を記録しているのであり、彼へのオマージュというコンセプトで記録していたのだろう。多様性そのもの。     
 LPレコードは、こよなくいとおしい人生の記録である・・・