千曲万来余話その351「モーツァルト、フルート四重奏曲、彼はフルートが嫌いだったのか?」

ヨハネス・ワルターのフルート、ドレスデン・カンマーゾリステンの演奏、ルカ教会スタジオ、1971年⒒月録音、ドイツ・エテルナ盤。自由闊達、古典的優雅、軽快愉悦、行雲流水、室内楽の極めつけの演奏である。ドイツ民主共和国、東独のメンバーによる芸術性の極めて高い演奏内容で、一聴してただものならざる芸術価値を感じさせる名演奏といえる。大体、モーツァルトがフルートという楽器を嫌いだったとかいわれていて、その音程の不確実性をうんぬんする向きもあるのだけれど、K285でニ長調、ト長調、ハ長調、K298イ長調という4曲の四重奏曲、そして、K299でフルートとハープのための協奏曲など、1778年頃に集中して名曲を生み出しているМ氏。その天才ぶりが、よく伝わる作品ではある。フルート、ヴァイオリン、チェロ、アルトの四重奏その上に、2曲のコンチェルト、そしてフルートとハープのための協奏曲と名曲のオンパレート。言うまでもなく、彼は天才である。         
 よくフルートは音程があいまいで・・・とかいわれているけど、それは楽器構造上での難点であって、名演奏者の手にかかると、そのような不安材料は、一切無縁である。ヨハネス・ワルターも日本でこそ有名ではないけれども、ドレスデンきっての名フルート奏者、ニ長調K285での第3楽章ロンド・アレグレットなど、天衣無縫、演奏技術を軽快に披露して余裕綽綽、むつかしい技術を平明に聞かせるつぼを押さえている。よどみない第二楽章アダージョなどさらりと流しているなど実に憎いしかけである。その第一楽章アレグロ快速にであるのだが、定位、ローカリゼイションは左スピーカーに独奏フルートが演奏を披露していて、中央にヴァイオリン、右スピーカーには、チェロとその手前にアルトが演奏している。これは、一般的な配置だろう。       
 左スピーカーにフルートというのは、自然である。その奥にチェロを配置するのはいかがであろうか?そして右スピーカーでは、アルトと手前にヴァイオリンを配置する。そうすると、右側で合いの手を入れて、左スピーカーで主旋律と、第一拍を担当するチェロを演奏させるというアイディアであり、弦楽四重奏のヴァイオリン両翼配置で、第一ヴァイオリンの部分に独奏フルートを座らせることになる。ここで、一般的な発想のチェロを右側に配置するという固定観念を、ひとひねりするところが、ミソである。                          
 レコードは記録されていて、コンクリートみたいなもの、鑑賞するときに、頭の中でこういう風に聞こえたらよいのになあ、といつも聴きながらそのように思いをめぐらせるというのは、欲求不満になるのではあらずして、自由な思考を愉しんでいるのである。第二楽章で弦楽器のピッツィカートなど、左側にチェロがいた方が自然なのになあと、盤友人は考えている。これは、何か?というと、演奏家はいつも演奏しやすいように発想しているのだが、それを、どのように聞こえているのか?という観点で作曲家はどのように考えているのか?という配慮が、今ひとつ欠けているのではなかろうか?というのが、スピーカーに向かう鑑賞者の発想である。これからも、演奏記録に向かうアーティストのみなさんに、一言、作曲家はいかに作曲しているか?そのベストセッティングを披露して頂きたいものである。金太郎飴をいつも懐かしんでいるのではあるのだけれども・・・