千曲万来余話その368「ゲーテとB氏は並んで散歩したものか? 想起させる第七交響曲」

1812年頃ベートーヴェンはボヘミアの避暑地テペリッツェにて、文豪ゲーテと直接会っていたいたらしい。彼が四十一歳で、文豪は六十三歳。聴覚障害に悩まされていたにも関わらず、B氏は不滅の愛人、声楽家アマリエ・ゼーバルトと生活を共にし、彼女は耳の遠い病床の作曲家を世話し献身的に尽くしていたとも云われている。ウィーンとワイマール、遠く離れていたゲーテと彼の日記に拠れば七月二十日から二週間ほど、一緒に散歩したり作品を演奏した折もあったとある。 
 タータタ、タータタ、タータタ、タータタ、ターーーー、というリズム、管弦楽の全員が音楽を刻むとき、聴いている者まで魂を揺さぶられる壮大な音楽と、あいなる仕掛けだ。 
 1956年、フィルハーモニア・オーケストラ・オブ・ロンドンは、イタリア人指揮者で弱冠三十六歳のグィド・カンテッリ、トスカニーニをして私のように指揮をする若者と称賛していたほど将来を嘱望されていた音楽家を迎えてレコーディングを敢行していた。EMIによる初期のステレオ録音でありながら、空前絶後の演奏内容であり、ASD番号初期プレスLPレコードは世界遺産の一つとさえ断言して憚らないものである。
 ステレオ録音の基本は、左右と中央にそれぞれ楽器が定位、ローカリゼーションというステレオ感を与える録音である。モノーラル録音が楽器とマイクロフォンとの距離感を表現するのと比較して、定位とは、舞台上での楽器配置を表現して、演奏空間を想起させるほどの力がある。左右のみならず、中央に存在感が生起するから、二次元、その上さらに、奥行きという距離感からいわば三次元の世界が展開するのだ。上下という感覚とは異なるから、正確ではありえないがその空間感覚さえ想起させるものなのである。
 舞台上に展開するオーケストラの楽器配置は、音を聴かせるのみならず、その方向感から、作曲家にあるイメージ空間を、指揮者が設定するのは、イロハのイとも云えるだろう。そこのところを、ステレオ録音の歴史を鳥瞰するとき、不幸な歴史をたどっていたといえるだろう。すなわち、第一と第二ヴァイオリンが並ばされたところで、管弦楽の演奏ハードルは下がり、合奏自体の容易さは演奏者たちは獲得したといえるのだが、そのことにより、作曲家の意図は、ネグレクト無視され、その音楽は破壊されていたということが出来よう。 
 交響曲第七番イ長調作品92は、第二楽章アレグレット、快速にアレグロよりややゆっくりと、という速度指定を持つ。不滅のアレグレットとも呼ばれ、ワーグナーをして、舞踏の神化と言わしめた音楽。それは、タータタ、タータタという舞曲ダンスのリズムを徹頭徹尾採用した音楽で深遠な境地を作曲したことによる。弦楽器は第一Vnの奥にチェロ、コントラバスが存在することにより、旋律とリズムの刻みが緊密にアンサンブル合奏され、それに呼応するかのように第二Vn、その奥にアルト=ヴィオラが配置されて、作曲家の世界は成立する。ヴァイオリン・ダブルウィング両翼配置という言葉を、一時期、封印されていた歴史から脱却して、現在のファッションになりつつあるといえるだろう。ホルン首席奏者デニス・ブレインが演奏していたこの音楽は、管弦打楽器の全員が、音楽の歓びを湛えていて奇跡的な録音といえるのだが、この録音から時を経ずして、カンテッリの飛行機事故、翌年デニスの自動車事故という悲劇が相次いだことは、実際、胸を痛める・・・