🎼 千曲万来余話 by盤友人

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 オーディオ装置の向上には、多少の経費が必要であろう。どのような音楽を求めるかという目的なしに考えられない。アナログ、ヴィンテージという枠の中で1950年代の再生音を目標として、ということは、第二次大戦後の世界である。大変な時代を経過して人々が求めてやまない音楽の世界に近づけようという努力が、盤友人にとっての、よすがである。フォノ・イコライザーアンプを持ち込むことにより、再生音に格段の透明感を獲得できた。1929年録音HMV。アルフレッド・コルトー1877.9/26瑞西ニヨン生まれ~1962.6/15ローザンヌ没は、20代の頃ピアニスト、指揮者として活躍バイロイトで副指揮者を務める。1902年25歳パリでワーグナー神々の黄昏、トリスタンとイゾルデのフランス初演を指揮。1928年パリ交響楽団を設立の際は、6歳年下のアンセルメとともに指揮者に就任している。1905年からカザルスのチェロと、ティボーのVnというピアノ三重奏団の活動を1933年まで継続、オフ・シーズンの6月にパリで演奏会を開催していた。★07年母校パリ音楽院の教授に招聘されている。主任教授に任命され、1917年世界第一次大戦終戦の前年まで就任、国際的な新風を送り込んだ。革命直前のロシア訪問、18年には交響楽団ソリストとして訪米、その翌シーズンにはニューヨークでワルター・ダムロッシュ指揮するニューヨーク交響楽協会とベートーヴェンの協奏曲全5曲を演奏した。パリコンセールバトワール教授退任後、エコール・ノルマル・ド・ミュージックという音楽学校を創立している。ソルフェージュ、和声分析、音楽形式、音楽史など知的テクニックにもとずく良きテクニックを修得するという教育理念を実践した。第1次大戦後20年間は、ピアニスト、教育家、文筆家として活躍をしている。
 ドイツ第三帝国の影響により、コルトーはレジスタス運動には不参加、親ドイツ路線を歩み、第2次大戦後ローザンヌに幽閉。フルトヴェングラーの活動再開にあわせて、48年エディンバラ音楽祭でショパン・プログラムを演奏してリサイタルを開いた。カザルスはよりをもどし、58年プラード音楽祭に彼を招いている。5年前にティボーは亡くなっていてのことである。その6年前、52年、一度だけの来日公演が日比谷公会堂で実現、75歳で技術的なハンディを超えて当時の聴衆に巨匠の芸術は感銘深いものだったと言われている。東京での最後の演奏会11月12日。
 ロベルト・シューマンの交響的練習曲作品13は、主題と12の練習曲で構成されている。ウィーンでの楽譜出版は1837年のこと。フォン・フリッケン男爵がフルートのために書いた旋律、彼は養父で娘のエルネスティーネ・フォン・フリッケンにロベルトは恋していたという。ということは、シューマンが一所懸命作曲したピアノ曲は、いかにもシューマンらしい音楽に仕上がっていて、古典派と一線を画するロマン派特有の夢幻性を帯びている。ベートーヴェンの後姿をシューベルトは追いかけていて、シューマンはその先の音楽世界を創造するのに成功しているといえる。正に、コルトーの一所懸命に演奏するピアノ・プレイエルはその夢幻性の再生であり、シューマンの作曲こそコルトーの世界といえるのだろう。イコライザーアンプの採用によりモノラル録音の透明感は格段に向上して、一音一音の連なりが姿を現す。つまり旋律線のフレーズを克明に描き分けるコルトーのタッチは不滅であり、ピアノとフォルテのストレスの表現は、リズムの躍動感を浮き立たせる。一所懸命なコルトーこそ、不滅の芸術であり、オーディオ再生の究極の目標となるから、モノラルレコードの価値は、ピアノの倍音再生だ。スピーカー全体が楽器の音響となり、そこに、コルトーの姿が浮かび上がる瞬間こそ醍醐味であろう・・・

 オーディオというもので再生する音楽はたぶん、演奏家の目指す作曲家のメッセージをいかに味わえるかということが肝要となるだろう。つまりそこに、スピーカーとか、指揮者やオーケストラ奏者の技術を超えて、この音楽を楽しむことが目標である。そんな意味で、ラジオカセットで聴いても、ステレオで聴いてもどれだけ音楽の醍醐味を味わえるかなのである。だから装置は、他人に自慢するものではなくて、本人がどれだけ納得できるだけ追究するかのもので果てしがない。日々新たしというか、音楽を味わう目的を失うべからずということであろう。そんな意味で、アナログの一つのピークの段階に到達した。プリアンプその前段の昇圧トランスの後にイコライザーアンプをセットできた。フォノイコライザーを、トランス、真空管E80CCという出力管装備で格の違いを経験することになった。
 札幌の交響楽団定期公演でマーラー、交響曲第5番嬰ハ短調を聴いた。指揮者は弦楽の古典配置を採用して舞台奥一列にコントラバスを並べるという設定、舞台下手にはハープ、ホルン、中央にトランペット、トロンボーン、チューバ、舞台上手にティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、タムタム、鉄琴を揃えていた。木管楽器はほぼ3管編成。印象的だったのは、指揮者が的確な指示、正確なキュー、好ましいテンポ感、安定感に満ちたマナーで団員からは確固たる支持を獲得していた。舞台中央にチェロ、アルト、Vnダブルウィングという配置は、作曲の妙味が一段と増して鑑賞できることになる。
 グスタフ・マーラー1860.7/7プラハとウィーンの中間にあるカリシュト生まれ~1911.5/18ウィーン没、1897.5/1ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団指揮者に就任、この年にはローマカトリックに改宗、オペラを指揮するなどの活動をしている。交響曲第1番巨人は1889.11/20にブダペストで初演、第5番は1904.10/18ケルン、作曲者自身の指揮で初演されている。1902.3/9アルマ・シントラーと結婚、出会い後ほぼ5か月足らずのことだった。その11月には長女マリア・アンナ誕生、1907.7/5病死、その12/7にはウィーンの国立歌劇場と決別するなど、波乱が続き辞表受理は12/31になる。第5番は、第1部が第一と第二楽章、第二部が第3楽章スケルツォ、第4楽章アダージェット弦楽5部、ハープと第5楽章は第3部という感覚になる。初演年は
 第1番ニ長調巨人、ブダペスト1889.11/20、
 第2番ハ短調復活、ベルリン1895.12/13、
 第3番ニ短調夏の朝の夢、クレフェルト1902.6/9、
 第4番ト長調大いなる喜びへの讃歌、ミュンヘン1901.11/25、
 第5番嬰ハ短調、ケルン1904.10/18、
 第6番イ短調悲劇的、エッセン1906.5/27、
 第7番ホ短調夜の歌、プラハ1908.9/19、
 第8番変ホ長調千人の交響曲、ミュンヘン1910.9/12、
 大地の歌、ミュンヘン1911.11/20、
 第9番ニ長調(1910.4完成)、ウィーン1912.6/26、
 第10番嬰ヘ長調アダージォ(未完成)、ウィーン1924.10。
 ラファエル・クーベリク指揮バイエルン放送交響楽団1981.6/12ライヴ録音を聴く。スピーカー右側から独奏トランペット、トロンボーンなどが定位する。中央はティンパニーなど打楽器、スピーカー左側にはヴァイオリン、チェロ、コントラバスそしてハーブ。右側に第2Vnとアルト=ヴィオラという和音ハーモニーの内声部が明快に演奏されている。
 ステレオ録音を考えた時、左スピーカーにヴァイオリンという時代が大多数を形成している中で、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを見ていると1987年ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮から古典配置が復活している。
 すなわち、高音と低音の分離という時代から古典的な第1と第2Vnの分離こそ最上のステレオ録音なのだろう・・・

 ドヴォルジャーク1841.9/8ネラホゼヴェス生まれ。弦楽四重奏曲「アメリカ」というニックネイムは、黒人とアメリカ・インディアンの民謡に関わりがあり「ニガー」というのは全体的ではなく、かつ時代により配慮すべき意味合いがある呼称のために現代日本では「アメリカ」とされているヘ長調作品96。作曲当時アメリカ本土の生活から米黒人への郷愁が感じられる。特に第2楽章レント緩やかには、民謡風旋律を主題を繰り返し受け継がれる。主題がVnからチェロに引き継がれるのは印象的である。いえることは、深いメランコリーと、慰めに満ちた感情が切々と歌い上げられる。これは作曲者による黒人たちに対する強く深い理解の上になる作曲でありプラハへの望郷の念と一対である。第3から第4楽章へヴィヴァーチェさらに、はなはだしくなく快活にフィナーレを迎える。
 1893年完成、神への感謝、スケッチは3日間くらいで仕上げられている。1892年から1895年4月までニューヨーク・ナショナル音楽院の教授、院長として業績を残している。プラハに帰国、同音楽院長就任して1904.5/1腎臓病により急逝62歳。14曲の四重奏曲の中で後期作品第12番になる。
 モノラル・デッカ録音LXT2530のレコード1950年代前半のものでグリラー四重奏団。輝かしい音色からメランコリーに満ちた深い悲しみを湛えた歌に溢れた演奏。モノラル録音というものは、マイクロフォンに正対した楽器の音色を鑑賞することになる。だからチェロとアルト=ヴィオラがスピーカー中央に聴けるのは大いなる歓びであり、第二ヴァイオリンを第一と分けられるイメージは格別なものがある。現代は古典的配置、ヴァイオリン両翼配置が復興している時代であり、室内楽でも聞かれるものと思いきや、Vnとチェロを正対される多数派の演奏に、つまらない思いをしているのは、盤友人だけのことなのだろろうか?
 演奏家たちは演奏する立場から、Vnの第一と第二を舞台下手にそろえることにより、自然、アルト、チェロは舞台上手配置に振り分けられるステレオ録音が多数派である。この「アメリカ」を聴いて、第二Vnを第一と正対させることにより、聴く立場としては、聴きやすくなることこの上ない。第一Vnに続いて、チェロがテーマを引き渡されるのは上手中央にチェロが座って成立する話である。現代の両翼配置復興を考えた時、弦楽四重奏はその配置により歓びのグレードは向上することだろう。すなわち、ステレオ時代の多数派形成は演奏者主体の時代であって、聴衆のことを考慮したとき、古典配置は成立するものなのだろう。チェロを第一Vnと揃える発想は、モノラル録音を聴いていると、自然、導かれるものなのである。第二Vnのコキコキコキという伴奏は、上手に配置すると聞きやすくなる。
 演奏家は、音を出すのが仕事だから、配置は問題にしないという。それでは音楽とは何か?  心の中にある旋律、リズム、ハーモニーであり、音は必要条件なのだが十分とはいえないものであり、聴衆の存在と共有するもの、それこそ音楽なのであろう。だから、最善の配置をこそ求められるべきであり、ということは、聴こえやすい配置を追究しなければならないのである。オーディオで語る時、左スピーカーに第一Vnとチェロ、右スピーカーにアルトと第二Vnこそ理想の配置なのである。モノラル録音を再生すると、自由なイメージが楽しめるので、ステレオ録音では、お相撲で云うと不知火型、両腕を広げて中心にチェロ、アルト、広げた両腕がヴァイオリンという配置で聴きたい。
 アントニン・レオポルド・ドヴォルジャークの作曲は、ただ単に美しいだけではなく、黒人、ネイティヴ・アメリカンに対する彼の想いを受け止めることこそ音楽なのだろう。そのためには、理想とする配置で演奏されることこそ最上なのであり、生の音楽は、それが求められていることに気づけるかなのである・・・

 レコードを収集していると、モノラル録音の世界はとても貴重な記録となっている。何よりピアノの音色は、そのレコードの特色とも云えるメーカーの違いに味わいがある。例えば、ベルリンで記録されたものではベヒシュタインではないだろうか?とかウィーンのものではベーゼンドルファーではなかろうか?などと好みの世界は広く深遠である。この段階に届くためには、オーディオの追究が必要条件である。まず、ピックアップともいう、カートリジをモノラル専用の仕様に変換が必要であり、ステレオカートリジで再生するより、宇宙の感覚が頼もしいものである。スピーカーの鳴り方にドライバー、ウーファー上下左右の一体感により、壁面全体に音響は拡大を見る。弦楽四重奏の場合など、下方にチェロ、その上にアルト=ヴィオラ、そしてヴァイオリンが上の方に聞こえるから整然として四つの楽器、演奏する音楽は克明な表情を帯びることになる。そのように、ピアノという楽器の場合、倍音の鳴り方により、スタインウエイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインの三者の相違は明らかにされる。
 ピヨトール・イリイッチ・チャイコフスキー1840.5/17ウドムルト自治共和国カムスコ・ヴォトキンスク生まれ~1893.11/6ペテルブルク没、母親はアレクサンドラ・アンドレエヴナ・ダシェ、フランス系の若く美しい婦人で音楽の影響を与えている。1850年ペテルブルクの法律学校入学、勉学の傍らコーラス、ピアノと理論を学び54年にはピアノ曲ワルツが残されている。59年卒業して法務省勤務、63年辞職、アントン・ルービンシュタインやニコライら主宰するロシア音楽協会に参加、ペテルブルク音楽院に入学、師はニコライ・ザレンパでチャイコフスキーが作曲家としての自信を確立している。最初の管弦楽作品は序曲嵐・テンペスト。オストロフスキーの戯曲による。1866年には交響曲第1番作品13冬の日の幻想を作曲し74年にはピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23を完成する。ニコライ・ルービンシュタインは全否定して演奏不能の批評を下し、初演は別な大ピアニストのハンス・フォン・ビューローに献呈されボストンで披露されている。ニューヨークでも大成功、12/30にはタネーエフによりモスクワ初演が果たされている。ニコライ・ルービンシュタインはその後自身の誤りを認めのちの当時最大の協演者になったといわれている。
 チャイコフスキーは生涯、モーツァルトの音楽を愛して管弦楽組曲第4番作品61モーツァルティアーナを作曲、アヴェ・ベルムコルプス聖体讃美歌を主題とする作曲をしている。1887.11/26作曲者自身指揮初演大成功。モーツァルト作曲フルート四重奏曲ニ長調の第2楽章は弦楽器のピチカートに導かれて、フルートが主題を吹奏している。ピアノ協奏曲第1番作品23第2楽章も同じアイディアであり、現在、それは大問題で独奏フルートの旋律、ティーターラティー、というメロディーなのだが現在の演奏会では、主題の旋律と異なる音楽を平気で演奏している。すなわち、使用楽譜に訂正が加えられていて、開始の音に戻る音は、上から降りるのが主題なのだが、独奏フルートのとき跳躍しないで下から上がるように演奏している。現行楽譜によるとそのようなのであるが、ステレオ録音の時代には多数派がその跳躍する主題とは別な音楽を吹いている。ステレオではフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団1955年録音が、主題と同じフレーズ演奏を採用しているしドイツグラモフォン1951年11/13録音レオポルト・ルートヴィヒ指揮ベルリン・フィルハーモニーでオレール・ニコレと予想される演奏も主題と同じ音型採用。
 1929年録音ハミルトン・ハーティー指揮、ハルレ管弦楽団、1940年録音のウイレム・メンゲルベルク指揮ベルリン・フィルも主題と同音型採用のフルート。さらに、ウエストミンスターレーベルでヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管弦樂団のフルートも跳躍型でピアノはエディト・ファルナディ女史。ハーティー盤のピアニストはソロモン、メンゲルベルク盤はコンラート・ハンゼン。ソロモンはスタインウエイ、ハンゼンはベヒシュタインだろうと思われる音色、ファルナディはベーゼンドルファーの音色、モノラル録音盤世界の多様性こそあるべき姿で、金太郎飴現代の演奏はいささか疑問?といえるだろう。どちらが楽しいかである・・・

 ジャケット写真というもの、プレイバックして指揮者と独奏者たちの会話を類推するに、記録の完全性に関わるであろうと思われる。ここでは指揮者個人ではなくて、音楽家たちの会話であることにより貴重な1カットとなるであろう。ピエール・フルニエ1906.6/24パリ~1986.1/8ジュネーブ没、ウォルフガング・シュナイダーハン1915.5/28~2002.5/18ウィーン生没、ゲーザ・アンダ1921.11/19ブダーぺスト~1976.6/14チューリヒ没、フェレンツ・フリッチャイ1914.8/9ブダペスト~1963.2/20バーゼル没、彼らは1960.5/30~6/1に、ベルリン放送交響楽団とセッション録音を完成。ドイツ・グラモフォンの名録音、金字塔を打ち立てている。
 本年で生誕250年ベートーヴェンは作品56、1803~4年ロブコヴィツ侯爵に献呈したのは、英雄交響曲ならびに第4ピアノ協奏曲と同じ時期、傑作の森にある作品。よく地味、陳腐とか見下されている作品なのであるけれど、コンチェルトグロッソ合奏協奏曲というバロック時代の様式を体現してルドルフ大公のピアノを想定して作曲されている。ベートーヴェンの弟子でありつつパトロン的存在?のために作曲という設定は、英雄交響曲の意欲作の後に、平明な作曲技法による管弦楽法でありB氏らしさの刻印された楽曲であろう。
 ステレオテイク・モノラル盤であり、指揮者の背後に独奏者たちを配置した合奏、指揮者は背中でソリスト達の演奏を聴きながら、前面の管弦楽団を統率するという、指揮者冥利に尽きる音楽、充実感はジャケット写真の意味するところである。敢えて、ピアニストは背中でVnとチェロの合奏に合わせるのが自然であろう。だから、リスナーにとって舞台上手にピアノ、指揮者左手側に弦楽奏者を配置すると理想である。フリッチャイ指揮のステレオ録音は、多数がVn左スピーカー側で右側にはチェロ・コントラバスを配置させている。これは、ステレオ録音初期の典型なのである。バーンスタインやオーマンディ指揮のものなどは、指揮者の右手側にチェロ・コントラバスを配置させる。ところが現代ではピリオド楽器の時代が復興して、その後に古典的配置、Vnダブルウイング両翼配置が復活している。指揮者のなかには、ブレないように、かたくなに舞台左手側に第1と第2Vnを揃える多数派がいるのだが、作曲者時代の両翼配置は、現代の演奏者に超えるべきハードルとして要請される時代と云えるだろう。すなわち、フリッチャイの音楽を、根底として楽器配置は現在バレンボイムやズービン・メータらの判断こそ、賢明といえる。
 ヴァイオリンとチェロのアンサンブルでは指揮者左手側の音楽なのであり、アルト、第2Vnの音楽はピアノとうまくアンサンブル出来るだろう。指揮者が「音」にだけこだわり、第1、第2のVnを揃える時代は、すでに古い時代のものとなっている。時代はうねるがごとく変容しているものであり、かたくななスタイル固辞は克服すべき判断なのだろう。
 フリッチャイは、この録音の3年を経ずして他界、歴史の非情を痛感させられる。ただ、第九名録音の後2年後の記録であり、その勢いに預かるのはささやかな慶びである。名演奏家達による自由闊達なレコーディングこそ、何ものにも代えられない宝物である。フリッチャイ芸術こそ不滅の記録といえよう・・・

 秋の夕暮れは、つるべ落としといわれる如く時間の過行くさまが急でいつの間にか夜の帳が下りている。東から南にかけて赤い火星がのぼり、西の空には土星と木星が三日月と接近している。札幌市に近い手稲山頂では、先週に降雪が見られた。秋の深まりは一気に進んでいる。
 秋に相応しい作曲家というと、ヨハネス・ブラームス1833.5/7ハンブルク生まれ~1897.4/3ウィーン没。坂本龍馬は1836.1/3高知生れ1867.12/10京都没だから徳川幕府末期の時代である。1862年の秋にはウィーンへと進出、68年にはドイツ語によるレクイエム作品45を成功して名の売れた作曲家となる。1871年のクリスマスにはカールスガッセ4番地のアパートに気に入った部屋を見つけ、終生をこの住居にとどめることにした。この頃に彼は失恋していてアルト・ラプソディー作品53に心情は吐露されている。
 ハンブルクに住んでいた父親の死は1872年2月のこと、1873年5月には作品56のa管弦楽用とb二台のピアノ用、ハイドンの主題による変奏曲を発表している。これまでに彼は管弦楽の音楽を、セレナード2曲、ピアノ協奏曲第1番と作曲しているのだが、交響曲第1番は1855~76で作曲、11/4カールスルーエの宮廷歌劇場で初演された。ブラームスはおよそ20年の歳月を温めて完成させている。云えることは、交響曲に対する作曲家のプライド矜持、104曲余り作曲したハイドンとは一線を画して、ベートーヴェンが創作した9曲、彼はある種の理想を見通しているのだろう。先達のB氏は30歳で世に問い、ブラームスは43歳で決断している。
 作品68でハ短調交響曲というのは、B氏が作品67だったという事実と、微妙な相関関係があると考えられる。すなわち、B氏の四つの連打音、ブラームスの開始部分で、序奏の後に執拗に鳴らされていることから、彼はベートーヴェンの67に続く68で発表したということの想像がつく。それくらい、考えに考え尽された交響曲なのだと思う。第1番ハ短調、第2番ニ長調、第3番ヘ長調、第4番ホ短調という主音を繋げると、ドーレーファーミというモーツァルト第41番交響曲ジュピターの第4楽章に現われるモチーフ、偶然の結果、そうとも言えないところがブラームス愛の問われるところである。
 第2楽章は緩徐楽章で、明らかにロマン派の極みである。コンサートマスターの独奏が設定されている。なんと、対話する相手は、ホルンの独奏、だから座席としてアイコンタクトの可能な指揮者の右手前方、舞台上手配置は自然なことなのだろう。ウィーン・フィルハーモニーのディスクでは、フルトヴェングラー指揮1952年、カラヤン指揮1959年のものが有名で、それ以後はラファエル・クーベリック、ズービン・メータ、ジョン・バルビローリ、カール・ベーム、クラウディオ・アバド、レナード・バーンスタインなど、名演奏がズラリと記録されている。
 レコードに表記されているものでたとえば、カラヤンのものはウィリー・ボスコフスキーが演奏している。1956年10月デッカ録音でヨゼフ・クリップス1902.4/8ウィーン生~1974.10/13ジュネーブ没の指揮したものは、聴いていてボスコフスキー1909~91の浪漫的な演奏スタイルとは少し味わいが異なる。どちらかというと古典的スタイルで節度あるヴィヴラートに、気品ある音楽を味わうことができる。当時のコンサートマスターでは、ワルター・バリリ1921年生まれが演奏している想像を許されることだろう。クレジット表記は無いので、違うのかもしれないけれど、そんな雰囲気はある。
 音を聞くのは、音楽を味わう必要条件であり、十分な条件は音楽を味わうところにある。すなわち、耳の外で音は鳴っていても、頭の中では音楽が鳴っている。鑑賞するべきは音楽であって、その想像の世界は宇宙といえる。その限りでブラームスは演奏されているとき、生きているのだろう・・・

 ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調は作品67ということを認識するのは、チャイコフスキーがピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23というときに気が付いたものだ。調性はシ・フラットでbというものになる。ちなみに変音だからbビーで、♭が無いときはhである。いずれにしろ1873年作曲。運命の作曲は1808年だから、ウィーンの音楽がモスクワの作曲家になんらかのインスピレーションが伝わったのだろう。運命の動機は、作品10の1ピアノソナタ第5番ハ短調の終楽章で、ウタタタ・タ、タタタ・タ、タタタ・ターという瞬間に出会う。このことはフリードリヒ・グルダの演奏できわだっていた。グレン・グールドの演奏では、そのことは封印されていてアルトゥール・シュナーベルの演奏に近いものを感じさせられたものである。1798年作曲で作品10の2はソナタ第6番ヘ長調、作品10の3は第7番ニ長調、伯爵夫人アンナ・マルガレーテに献呈された。そういえば田園交響曲は、作品68でヘ長調、ピアノソナタ第5、6番の10年後1808年作曲になる。 ウタタタ・ター、ウタタタ・ターという動機モチーフは、通常、4小節の表記で済む話、ところがB氏はファファファ・レーというところの、レの小節をタイでもって同じ音をつなげて2小節目にフェルマータ延音記号を付している。初版の楽譜ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社のものでは、同音連結になっていない。このことは何を意味するのか?すなわちこの一所にB氏の思惑がある。ある評論家は、2小節目のフェルマータより、5小節目のものは1小節分長いと説明して、指揮者の中にはトスカニーニの映像を見て分かるのだが彼は、それを同じ振り方でもって、1小節分長いという仕方を示すことはない。ブルーノ・ワルター指揮は、コロンビア交響楽団のレコードでは5小節目の方を短く済ませる解釈を記録している。
 フェルマータというのは、拍節を停止して自由に延ばすのだから、かの評論家の説、大多数の方の印象は、よく考えると成り立たないものなのである。何気なく聞いていると後者の方を延音するほうが納得するのだが、作曲者の意図は、違うところにある。それがすなわち、4小節から5小節へと動機を拡張した説が考えられる。バーンスタインは、音楽のよろこび、訳者吉田秀和によると1954年11月14日放送のテレヴィ番組で、第5番交響曲の解釈アナリーゼを発信している。最初の4個の音符、その前には1個の休符があり、2小節から構成されている。この認識をさらに拡張すると全体で5小節の感覚が必要になる。オーケストラ総譜を開くと、弦楽5部の他にB♭クラリネットが同じ音楽を演奏している。盤友人はこれを、舞台の上で指揮者の右手側上手の音響を補強していると解釈する。フルート、オーボエ、バスーン、ホルン、トランペット、ティンパニ、これらの楽器は休止していて、同じようにフェルマータを2と5小節目に付している。最初にはいつつの楽器だけで、7個の楽器には無かったという指摘をしていて、クラリネットは後で加えられたもの、ということになる。ちなみにフェルマータをB氏は、2と5、21と24、128、249と252、268、479と482という10小節に記譜されている。それぞれペアの場合は2つ目が同音連結、128小節目はペアにならないでフェルマータが記譜されているところで、長さの区別説が説明できないことを意味している。268小節目はオーボエが独奏して、レチタティーボ詠唱風に1小節だけで記譜、カデンツァ装飾5小節相当部分が演奏される。
 B氏の作曲は明らかに5小節1単位で作曲されていて、楽章の終結は476~501という25小節で完結する。現行の楽譜では477~502になっている。現行譜は389小節目に全休止が有るからで、それを作曲者は記譜していないと考えるのはニキッシュ指揮や山田耕筰、パウル・クレツキ指揮1966年コピーライトでバーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団、最近知人に提供されたSP復刻CD録音でブルーノ・ザイドラー=ウィンクラー指揮、帝国大管弦楽団による(ニキッシュ録音以前の)ものなど、全て、第一楽章501小節作曲389全休止なしによることで分かる。
 ピエール・ブーレーズは、現行譜に従うものなのだが遅目のテンポを採用していて、ニューフィハーモニア管弦楽団1968年12月録音。クレンペラー、フリッチャイ指揮などと共通するテンポ設定。楽章終結に25小節というのは、5の平方であり、全休止を123、124小節と2小節連続して設定しているから、389小節目全休止は不要である。406小節目から音楽は流れ出すという規格は作曲者の設定に必要であり、それは5小節1単位という大前提による。単なる全休止の否定ではなく音楽の枠組み、基本設計の土台という感覚になる。それは、ブーレーズ採用のテンポでもって明らかになり、彼は389小節全休止という現行譜の前提で記録したことになる。その不自然さは聴いているとよく分かること。だから、大多数の指揮者はこのテンポを採用せずに、トスカニーニやカラヤンの採用する、プレスト急速に近いアレグロを採用するのだろう。アレグロ・コン・ブリオというイタリア語は、活気、熱気をもってという作曲者指定する楽想記号であり、モデラート中庸に近くアレグロ快速なテンポを設定することは極めて、意味深い・・・・・

 LPレコードを考えた時、そのあり方として基本情報、何時どこで誰がというクレジットをどのように対処するかということがある。商品だから音楽鑑賞するアイテムとして付帯情報を提供しないという考え方があれば、1950年代のドイツ・グラモフォン、アルヒーフ盤などは録音年月日、場所、使用楽器、使用楽譜、事細かくなおかつ正確な情報をカードとしてレコードに添付していた。そのポリシーにいたく感動したものである。
 レコードのあり方は、多様であってひと通りの条件で成り立つものでもない。1980年に日本コロンビアは、不滅の名演奏家1500シリーズその3としてセルジェ・チェリビダッケ指揮・管弦楽団というクレジット、ブルックナーの交響曲第8番ハ短調というレコードをリリースしている。録音年月日、場所、管弦楽団名など不詳としていた。チェリビダッケ1912.6/28(現行暦7/11)ルーマニア・ローマン生まれ~1996.8/14パリ没、彼は1936年にベルリンへ移住し音楽院や大学で研さん、1945年8/29にベルリン・フィルの指揮台に登場している。23日に指揮者レオ・ボルヒャルトが米兵による誤射で死去により急遽招かれることになる。45/46年のシーズンに108回の演奏会をこなすことになる。当時、フルトヴェングラーは非ナチ化裁判の最中であり、復帰するまでティタニア・パラストなどでの演奏会に白羽の矢が立ったといえる。この経歴は、ベルリン・フィルという歴史ある楽団を経営するという貴重な経験であって、その中で彼の芸風は確立されたことに間違いはないだろう。F氏は1947年に裁判を経てベルリンに復帰して、1954年F氏没して後任にカラヤンが就任するとともに、チェリは退くことになる。その事情は、指揮と商業ベースの関係性にある。カラヤンの路線とは別に、音楽を時間の芸術としてとらえるチェリは、録音を認めない、いわゆる実演至上主義の路線を突き進むことになる。生前、彼がリリースしたレコードは、プロコフィエフの古典交響曲、イダ・ヘンデルとのブラームス・Vn協奏曲、自作曲の3種類のみ。ただし、彼はオーケストラが録音したソースにより、死後、多数のCDが販売されることになっていった。
 日本の音楽ファンに知られるようになったのは、1970年頃の読売日本交響楽団との定期公演登場になる。ロンドン交響楽団との来日公演ライヴ放送を盤友人はリアルタイムで鑑賞している。異常な緊張感で、ムソルグスキー=ラヴェル編曲、展覧会の絵など、あのロンドン響の首席トランペット奏者が最初にミスしたことを鮮明に記憶している。
 当時NHK-FM放送により、シュトゥットゥガルト放送交響楽団の演奏は、よく流されていたので多分、団塊の世代のリスナー諸氏は貴重な経験を積まれていたことと思わる。そんな中で、チェリのレコードが、カナダ・ロココ原盤により市中にリリースされた。管弦楽団とは、いったい、どこのオーケストラなのか疑問は、謎のまま時間は経過した。1996年音楽之友社刊になる伝記本、井口優子、カールステン、斉藤純一郎訳のクラウス・ウムバッハ伝記的ルポルタージュが出版されている。その中に1976年グラーツ演奏会、ブルックナー交響曲第8番、シュトゥットゥガルト放送交響楽団という記述を目にした。レコードを再生すると、弦楽器の分厚い響き、金管楽器の重厚なアンサンブル、木管楽器の緻密な演奏、そしてティンパニーのよく鳴る叩きぶりなど、総合的、俯瞰的に判断すると伝記本の記述と日本コロンビアのレコードの関連性が腑に落ちたといえる。
 1976年はチェリビダッケがシュトゥットゥガルト放送交響楽団音楽監督就任の年であり、このクレジット未表記のレコードの実体と強い関連性を認識するに、充分な情報は揃ったと云えるだろう・・・

 10/6火曜日はあいにくの雨天で、東京23度札幌13度という気温。夜9時ころ東方の空では二十日あまりの月、南の中空には雲間に火星が見えた。地球に準大接近、といっても6207万0493Kmだからその感覚は、月が地球までの平均距離384.399Km…雲をつかむより、さらに遠いことは確かな話だろう。家の外では薄紅の秋桜が美しい季節。
  ヨゼフ・シゲティ1892.9/5ブダペスト~1973.2/19ルツェルン没、彼はグァルネリ愛用家でフバーイに師事している。
 ヤッシャ・ハイフェッツ1901.2/2ウィルナ旧ポーランド領~1987.12/10ロスアンゼルス没、H氏はグァルネリからストラディバリウスへの二刀流
 ナタン・ミルシュテイン1904.12/31オデッサ~1992.12/21ロンドン没、彼はストラディバリウス愛用家。ロシア人の二人は、同じアウアー門下生ながらH氏アメリカへ移住して活躍の場を定めたのに対して、M氏は同じくアメリカでも活躍するが、最後までヨーロッパでの活動を続けていたという立場の違いがあった。
 ヨハン・セヴァスティアン・バッハ1685.3/21アイゼナッハ生~1750.7/28ライプツィヒ没は、無伴奏Vnソナタと、パルティータを三曲ずつ、BWVバッハ作品番号1001~1006まで作曲している。1703年に彼はワイマールでVn奏者として宮廷楽団に就職している。最初の細君はマリア・バルバラ1684~1720、フリーデマン・バッハ1710~84(ハレ)は長男で、次男はカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ1714~88(ベルリンとハンブルク)、ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト・バッハ1715~39(ミュールフェルト)は三男。バルバラ死去の時期1720年頃に無伴奏ソナタ、パルティータは作曲されている。後妻のアンナ・マグダレーナ1701~60の子どもとして、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ1732~95(ビュッケブルク)、ヨハン・クリスティアン・バッハ1735~82(ミラノとロンドン)は末子で有名な音楽家に成長。アンナ・マクダレーナは16歳年下ながら、セヴァスティアンとの間に13人の子どもをもうけたと伝えられる。ものの本には、夫の作品を写譜、清書し筆跡はバッハ自身のものと間違えるほど似ているとある。
 ソナタ第3番ハ長調の4つの楽章は楽器の音響の特性を発揮させ、オーディオのチェックに最適と盤友人は考えている。一つの音を長くのばして装飾的なつながりを重音奏法という、きわめて高度な技術を要求されている。ハイフェッツの1953年10月録音は、その点、わりと短めの印象を受けるし、それは、その後のシゲティ1959年6月~60年4月録音の結果として長めのたっぷり鳴らす音楽に比較して遜色が感じられる。H氏はどちらかというと、技巧の上に音楽を演奏しているのに対してS氏は技巧を露わにしながら、隈取深い縄文の文様のような印象を受ける。楽器は輝かしい音色で、S氏の録音はハンディがあるものの、この音盤から楽器の豊かな音響を引き出せたときに、醍醐味は充分である。すなわち「音色はキタナイ」という感想は、オーディオ機器のグレードアップ余地のある話だろう。ミルシュテインは1950年代にモノーラル録音で滑らかな音楽性と、高度な技術を記録し1973年にはステレオ再録音を残している。
 音蔵社長KT氏は「美しいご婦人が通り過ぎて、後に香水の香りがするのは余韻、向かい合ってする香水の香りは倍音」と説明していたものである。すなわち、楽器の音というものは、楽音と倍音の織り成す音楽なのであって、単なる「音」という認識では、オーディオという世界を知らないまでであろう。お金をかけないのも喜びなのだろうけども、お金を支払いして得られるのがヴィンテージの世界。同じお金をかけることで到達する高みは、お金を支払う人には分かる世界なのである。それは、バッハの作品をどのように描くかという芸術家、懸命の世界と同じなのだろう・・・

 スピーカーという装置は、上下にドライバーとウーファーという中高音と低音再生の仕組みになるツーウエイ方式が左右一対である。モノラル録音というものは、カートリジも専用のピックアップを使用する。ステレオカートリジでも再生は可能なのだけれど、専用カートリジ使用して、より高品位の再生音を鑑賞できる。
 ラインアンプ(プリアンプ)とパワーアンプの間にアッティネーターといって音量可変する調節器を組み込んでいる。このことにより、ラインアンプ出力との兼ね合いで、ドライバーとウーファーの鳴り具合に変化をもたらす。つい最近までアッティネーターを絞り気味、プリアンプをフルに調節していたのだが、ある人が、いやアッティネーターをフルに使っているんだという言葉を聞いて、それじゃ自分もしてみようというきっかけになった。アッティネーターを最大の手前まで開いて、プリアンプを抑え気味に調節してみたのだった。
 結果は、なんと、今までドライバーという中高域が控えめであったのが、にわかに、鳴りだしているではないか、そのためにウーファーの鳴りっぷりにゆとりが生まれたかのようである。モノラルレコードで室内楽というと、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリンとチェロ、ピアノのアンサンブルからなっている。レコードを再生してすぐ気の付くことは、ピアノの音響がドライバーという中高域で、豊かに鳴っている。チェロの音色はウーファーで朗々と旋律を奏でていて心豊かになる。
 アントニオ・ヤニグロのチェロとジャン・フルニエのVn、ピアノはパウル・バドゥラ=スコダ、1954年頃の録音で、モーツァルトのピアノ三重奏曲ト長調K564を聴いた。1788年10月頃の作曲になる。作曲者は32歳で交響曲は40番や8月には41番ジュピターを書き上げていて、充実の期間である。ピアノトリオ変ロ長調K254は1776年に書き上げていてそれを喜遊曲と呼んでいた。ト長調K564は第一楽章がト長調、第二楽章はハ長調の変奏曲、第三楽章は変ロ長調ロンドからなっている。第二楽章などを聴いているとテーマ主題が鍵盤楽器で演奏されて、弦楽器のVnやチェロが歌うように演奏を展開する。レコードを聴いているとつくづく、演奏家は音を出すのは、出す人なのだけれど、音楽を演奏していることを忘れてはならないことなのだろう。すなわち、単なる物音を鳴らすのではなく、楽音を奏でるということは、音に耳を澄ましながら音楽を味わう、だからより良い聞こえ方を求めるのがオーディオマニアなのである。よく、良い音とは何かと問われるのだが、ひとつの答えとして、演奏家が録音に込めた音を忠実に再生して、演奏家が耳にしたであろう音の情報を細大漏らさず再生したものを目指すということである。その判断の鍵は、楽音の中でも倍音成分の再生にある。これはむつかしいことに聞こえるのだが、簡単にいうと耳を澄ませて、楽音の鳴るその姿をイメージすることである。音波の全体の姿というのは、音響の全体、すなわち、楽音と倍音の両方をいう。余韻とういのは、楽器が音を切ったときのことをいうのだが、倍音は和音が鳴っているその全体像をイメージする。
 ピアノという楽器は、その点明快でありながら、ヴァイオリン、チェロの旋律を演奏する歌謡性に一歩も、二歩も譲るところである。その全体がピアノトリオであり、1794年、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは変ホ長調作品1で草稿初演を果たしている。オーディオの愉しみは様々であり、オペラやシンフォニーもあれば、室内楽の再生も大きな喜びである。
 つくづくオーディオの愉しみは、小高い山の一つひとつであり、協奏曲というやもがあれば、ソナタ、室内楽という小高い山を登るのも、一つの喜びといえるのだろう・・・

 演奏のスタイルは、時代を反映する。大戦後4年を経過してバーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団演奏会のライヴ録音、指揮ハンス・ロスバウト1895.7/22~1962.12/29。彼はP・ブーレーズ指揮上での師でもある。
 ジネット・ヌヴー1919.8/11パリ生まれ~1949.10/28サンミゲル没、幼少期から非凡な才能を発揮し7歳で公開演奏、パリ音楽院入学ジュール・ブーシュリに師事、11歳でプルミエ・プリ獲得し卒業、1935年ワルシャワで開催されたウィニャエフスキー国際コンクールでグラン・プリの栄誉に輝き次席入賞者はダヴィッド・オイストラフだった。15歳のヌヴーに、オイストラフは27歳で優勝獲得するはずだったのは、知られたエピソードのひとつで一躍脚光を浴びることになった。(オイストラフは名誉挽回ブリュッセル1937年イザイ国際コンクールで優勝!)
 カール・フレッシュ1873生~1944没の門下生の一人。イダ・ヘンデル、ヨハンナ・マルツィ、シモン・ゴールドベルク、ヘンリク・シェリング、ティボール・バルガ、イフラ・ニーマンなど錚々たる演奏家の名前が続く。1938年にはベルリンデビュウを果たす。華々しい活躍、レコーディングなど伴奏者で兄のジャン・ヌヴーと演奏活動を続けるも、1949.10/28アメリカに渡る途中、搭乗していた旅客機はアゾレス諸島の山に激突、非業の死を遂げることになる。
 彼女に残されたレコードは数少ないものの、どれひとつとっても情熱のほとばしる演奏ばかりで、他の追随を許さない緊張感の高いものばかりである。ベートーヴェンの協奏曲ニ長調は、ティンパニーの四つの打音から開始され、木管楽器のアンサンブルが続き、弦楽器の応答が独奏者の登場を招く仕掛けになっている。ある評論家は、あっ誰か来た・・・そして家に招き入れる作曲者が居て来客と会話が弾むようだと書いていた。第二楽章なと、のどかな晴れ渡った午後、しばらくして曇りのお天気になり、ぽつりぽつりと雨が降ってきたような雲行きになる。フィナーレはロンド輪舞、思い返しては心弾む高揚した音楽になる。ある人は、同じ旋律が繰り返される音楽に対して、「あれは良くないね」というか「下品」という烙印を押す人もいる。ただし非難するというよりは、彼らしいねという、温かみのある批判である。もっと上品にね・・・というのは、ないものねだりか?
 冒頭で時代を反映する演奏という指摘をしたのは、2020年に聴くことのできるヴァイオリンの演奏は、大半がテンションが低い、情熱を内に秘めて表にしないという態度に終始するという感覚をいう。ヌヴーの演奏はギリギリのところで演奏を展開していて、その音楽は、バックの管弦楽団員の緊張感に影響している。レコードを再生して、すぐ感じられるのは、オーケストラの演奏の緊張感である。すなわち、天才的な演奏が展開される音楽は、ステージ上で化学反応をきたして、聴衆にまで影響を及ぼすのが記録されている。固唾をのむというのは、このようなライヴ演奏会であり、ロスバウトの気品ある指揮振りは、演奏に反映されている。それでは、バリバリの緊張感で硬直した音楽かというとさにあらず、柔軟なフレーズで、歌うような高揚感は繊細、かつ、柔和な表情を見せている。
 現代の演奏はメッゾフォルテ、メッゾピアノの印象が前面に出ていて、決して緊張感を表面化するようなテンションで演奏しないかのようである。すなわち、アンチ・ヌヴー、アンチ・イダヘンデルの演奏の様である。これは前時代の演奏とは一線を画すスタイルをめざしている。盤友人は演奏会にも足を運ぶのだが、全く満足する演奏になかなか出会えない現実にがっかりしているのだが、私一人だけの印象なのだろうか?LPレコードのありがたさをつくづく印象付けられる秋の夜長・・・

  シューベルト1797~1828は、16才1813年に交響曲第1番ニ長調を作曲していて、第5番変ロ長調は1816年、「未完成」は1822年頃で「グレート」は1828年とされている。ピアノソナタは、1815年に始まり1828年に第21番変ロ長調作曲まで続いている。弦楽四重奏は、1812年に第1番変ホ長調を始めに第15番ト長調は1827年作曲になる。作品1歌曲魔王は1815年なのだけれど1811年には歌曲を作曲し始めていて、1828年までに600曲を超えることになる。1817年には「ます」を作曲していて1819年第4楽章の主題と変奏に用いられた5楽章からなるピアノ五重奏イ長調作品114が発表された。
  楽器の編成は、弦楽はヴァイオリン、アルト=ヴィオラ、チェロ、コントラバスそれに鍵盤楽器ピアノというもの。音域は、ピアノがベートーヴェン晩年ということでC1ド32.70ヘルツ~f4ファ2793.83ヘルツ。中央の「ラ」は440.00ヘルツでもって、だいたいでいうと、赤子の泣き声に近いといわれている。男声はド261ヘルツ~下へ「ソ」98ヘルツ、ハイツェーといわれる「ド」は523.25ヘルツ、女声は下のソ196ヘルツ~上の「ド」1046.50ヘルツくらいである。Vnはソg196~ミe2637ヘルツ、アルトはドc130ヘルツ~ソg1567.98ヘツくらい、チェロはドc65.41ヘルツ~ファ1396.91ヘルツ、コントラバス4弦はミ41.20ヘルツが最低音域となる。
 弦楽四重奏では最低66ヘルツくらいから最高音域2673ヘルツ、ピアノ五重奏曲鱒では下が41ヘルツまで広げられたことになる。室内楽の先例として、ベートーヴェンは作品20で七重奏曲変ホ長調はVn、アルト、チェロ、コントラバスとクラリネット、ファゴット、ホルンという編成1800年の作曲になる。ウィーン市民としてのシューベルトはベートーヴェンが理想の作曲家とされ、動機として無二の存在だった。当時はロッシーニのオペラが盛んに取り入れられていた時代でも青年作曲家にとっては、室内楽が向かい合う音楽だったのかもしれない。
 モノーラル録音の時から、五重奏曲鱒は取り上げられていて、優れた演奏に恵まれている。そんな中でオイロパ・フォノクラブ、シュトゥットガルト盤オスカール・ローテンシュタイナーのピアノ、Vnジークフリート・ボリス、Altハインツ・キルヒナー、Celloウィルヘルム・ポセッガ、Cbクルト・ヴァルナーが演奏したベルリン・フィル楽員たちのレコードは味わい深い演奏である。ジークフリート・ボリス1912~1980は1933~41年そして45~61年までベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターを歴任していて、フルトヴェングラーとカラヤンの下で在任していたことになる。途中の41年から45年まではベルリン国立歌劇場のコンサートマスターに就任、カラヤンが抜擢していた。このレコード録音は多分1960年頃のもので、チェロコントラバスの響きからして、フィルハーモニカーをほうふつとさせていて、ボリスのVnは40~50代脂の乗り切った演奏を披露している。何よりも歌謡性と躍動感が備わっていて、青年作曲家の音楽に相応しい気迫がみなぎっている。
 モノラル録音ということでステレオ的定位の問題は無く、自由に楽器の配置を想像して楽しめることうけ合いである。舞台中心にチェロを配置、左右にVnとアルトを対向させる。下手側にはコントラバスそして上手側にピアノを配置する。ピアノ奏者は背中で弦楽演奏を感じて、首を右に振ればアイコンタクトは可能である。ステレオ録音の多数はピアノを中央の配置としてVnとコントラバスを対称させるものなのだが、左スピーカーからコントラバス、そして右スピーカーからピアノを鳴らすというのは、盤友人の希望的提案である。舞台下手にコントラバスというのは現代における復古的主流だろう・・・

 長らくモノラル時代が続き、ステレオの世界へと転換期を迎えたようである。1950年代ではなく2020年のこと。モノーラルというのは単一の音源であり、ステレオというのは複数の定位が感じられる世界なのである。それならば、ステレオ録音は1955年頃開発されたものではないか?ところが、定位は音域の高低でもって基準化されたのである。左側高音、右側低音。オーケストラでいうとヴァイオリンに対してチェロ、コントラバスが対称化された世界がステレオとしての基準となったといえる。それは容易な感覚判断であり、管弦楽でもその基準が暗黙の大前提となったのである。
 ステレオ装置のグレードアップの一つに、ステレオ定位の明確化がある。どういうことかというと、左右の対称と中央の三点による3次元での立体化すなわち奥行きの形成だろう。モノラル録音でさえ、管弦楽における楽器の距離感、左右ではなく奥行き感は有り、マイクロフォンはその感覚を録音していて、二つのスピーカーによる再生は、実体感を与える。だから左右スピーカーの中央には空間を必要とする理由が有り、オーケストラの管弦打楽器による位置感覚は、ステレオ録音の肝といえる。
 オーディオのグレードアップとは、良い音の追究であり、良い音とは音楽の喜びと密接な関係を持つ。音の入口、胴体、出口で、カートリッジというピックアップとプレーヤー、そしてコントロール・プリアンプ、パワーアンプという胴体、そしてスピーカーという音の出口で成立する。このたび、胴体のアンプでアースの採り方、抵抗器、コンデンサーの交換を図り、ステレオの定位の改善、向上させる機会となった。札幌音蔵社長KT氏は三日間かけて実施し見違えるほどのシステム向上を果たした。コントロールアンプという胴体部分の改善だった。手仕事において、はんだ付けひとつで音は変わり、オーディオ工作派の方なら経験おありのことだろう、要注意の世界である。
 エードリアン・ボールト1889.4/8チェスター(イングランド北西)生まれ~1983.2/23ファーナム(ロンドン北西)没は、オックスフォード大学卒業、1913年ライプツィッヒ音楽院留学アルトゥール・ニキッシュに師事している。翌年帰国1918年にはホルスト惑星を初演している。英国ではビーチャム、サージェント、バルビローリなどの活躍に後塵を拝して、メジャーデビューは1966年にEMIレーベル録音が転換点といわれている。それまでには米国マイナー録音が多数であった。
 1971年コピーライトのB氏作曲Vn協奏曲ニ長調作品61、独奏者はヨゼフ・スーク1929.8/8プラハ生れ~2011.7/6同地没、曽祖父は、アントニン・ドボルジャークである。オーケストラは、ニューフィルハーモニア管弦楽団。レコードに針を降ろすと、冒頭はティンパニーによる四音の連打、それに続くこと第1Vn、そして第2Vnという連なりとなる。まさに楽器間の対話であり、そして呼応がその位置を主張している。作曲者ベートーヴェンは、その効果的な配置を要求しているといえるだろう、言葉で指図せずとも。
 エードリアン・ボールト卿は指揮していて、プロデューサーはクリストファー・ビショップ、バランス・エンジニアはマイケル・グレイというスタッフで、ASD番号の名録音は記録された。
 名評論家三浦淳史はボールト卿の言葉として、指揮を執るということは船の船長になるようなものだと思う、石油のドラム缶といっしょに転げまわる理由は全くない、と紹介している。そこには、指揮者の心得で的確な楽器配置という前提があることは忘れてはならないだろう。指揮者の対面に必要な楽器としてティンパニーだというのは作品67、交響曲第5番でも証明されているのだし、それを実際に取り入れない指揮者は再考をする必要があるのだろう・・・

  NHK-Eテレ20:55のニュースで劇作家山崎正和の死去報道に接した。86才。今から、23~4年ほど前に盤友人は札幌教育文化会館にてパネルディスカッションの聴衆として参観、そのあと交流会で色紙にサイン頂いたことがある。戦後に岸田戯曲賞受賞作世阿彌で脚光を浴びた。昭和40年ころ評論集劇的なる精神を皮切りに論壇で活躍、昭和平成と時代をリードする存在だった。政界とも関連していたし日本の最高権威とも深く関わり2018年文化勲章し、企業メセナの活動も指導的地位にて社会貢献を果たす存在だった。彼から頂いた名刺は貴重な形見となった。
 「水の戯れ」を満州、蓄音機で聴いた少年時代や京都大学では喫茶店で「フランクのVnソナタ」を繰り返し聴いたとか、哲学科美学の修了でイェール大学留学、翌年には客員教授、日本演劇界の一旗手でもあり晩年には中央教育審議会会長歴任、他にサントリー財団顧問など八面六臂の活躍をする愛煙家であった。兵庫西宮にて逝去、8/19の早朝に息を引き取られたとのこと。ご冥福を祈念します。
 9/1は鎮魂の日である。早朝、天才的音楽家デニス・ブレインは過労によりロンドン郊外でカー・クラッシュ、自動車事故を引き起こしてしまった。36才。その七年前に独バーデンバーデンで彼は献呈された協奏曲を披露している。作曲されたのは1949年だから、戦後4年目のことでなおかつ、ドイツ人作曲家パウル・ヒンデミット1895~1963は1940年米国に亡命していた。デニスは17才でブッシュ合奏団、父オーブリーとバッハのブランデンブルグ協奏曲第1番を共演している。兵役を経験して、後にフィルハーモニアオーケストラ・オブ・ロンドン、ロイヤル・フィルハーモニックなど草創期に活動していた。ヒンデミットは1948.10/10にデニス独奏でモーツァルトのホルン協奏曲を指揮していて、その圧倒的な音楽性に感激してホルン協奏曲作曲に取り組んだ。作曲家ヒンデミットは、ナチスとの対立、R・シュトラウスからは「音階ばかりで音楽が無い」とけなされていたものだ。盤友人にとって、指揮者ヒンデミットは1956.4月第1回ウィーン・フィル来日公演指揮者として記憶している。耳が良く音程ピッチのコントロールは正確無比といわれた。指揮者ヨゼフ・カイルベルトは1968.5月バンベルク交響楽団来日公演で画家マチスを演奏していたから作曲者死後5年しか経っていなかったことになる。この曲の初演は1934年3月フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルによるものだった。ホルン協奏曲は1956.11/19一日で作曲者指揮、フィルハーモニア管弦楽団独奏者はデニス・ブレインにより録音された。この直後11/24に指揮者グィド・カンテルリ36才はパリ・オルリー空港で飛行機事故という悲劇に見舞われることになった。
 曲は「中庸で、速く」「急速で」「とても遅く、中庸で、遅く叙唱風で快活に、とても遅く」という三楽章形式。「ある偉大なホルン奏者から、もう一人の偉大なホルン奏者へ」これはデニスが大切にしていた写真への書き込み「この作品の空前無比の初演者へ、感謝に満ちた作曲者より」と書かれたスコアを初演終了後に進呈されている。演奏自体、高い演奏技術をもとめられ、その上に熱狂とは対極的な音程コントロールそして、音楽形式観、歴史に刻印するという気高い精神性を実現する。
 オーディオで求められるものは、音響のみならず演奏家の音楽性、時間を体験する取り組み、感覚における刺激のみならず、時間経過に耐えられるだけの音楽情報、そして鑑賞者のニーズ必要性であろう。刺激というピンポイント的な発想の上に、オーディオ装置のアナログ指向という方向性なしに、ありえない。原点指向という態度こそマニアに求められる前提条件、決して後ろ向きではあらず未来志向なのだ・・・・・

 ジョーン・バルビローリ1899.12/2ロンドン出身1970.7/29同地没は、49年にサーの称号を授与されている。祖父、父方共にイタリア人でヴァイオリン奏者、母はフランス人であり英国の血は流れていないようである。1911年にはアクースティク録音でチェロを演奏している。16歳で王立音楽院の所属楽団員の経歴を持つ。クイーンズ・ホール管弦楽団チェリスト。1918年から兵役、同志の管弦楽団で指揮者として活動、27年頃から指揮するレコーディングが残されている。1937年から43年までニューヨーク・フィルハーモニックの常任指揮者、当時はアルトゥーロ・トスカニーニ、ドミトリー・ミトロプーロスというビッグネイムが大黒柱の中にあってその音楽性は鍛えられたことが推測される。
 その後英国の、ハルレ管弦楽団の音楽監督として活動、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ニューフィルハーモニアそしてパリ管弦楽団との経歴を記録している。どのような古豪のオーケストラともがっぷり四つ、バルビローリ節は明快である。中でも1968.12/12.13録音によるパリ管弦楽団とのドビュッスィ作曲三つの交響的素描「海」と、夜想曲は名盤として誉れ高い、不滅の音楽となっている。パリ管弦楽団は母体がパリ音楽院管弦楽団で、1967年シャルル・ミュンシュの下で出発、それもつかの間、68年11月米国演奏旅行で客死している。そんな緊張感の中あたかも献呈されたかのごとき名演奏が記録されることになった。
 名門のオーケストラは押しなべて管楽アンサンブルが盤石、安定感のあるホルン、木管楽器の中でもファゴット、バッソンは演奏会で体験すると、オーケストラ全体の元締めとして印象は強い。どういうことかというと、木管の和音ハーモニーの土台が音響の上でバッソンが支配していて、聴いていると安定感を覚える。特に英国、フランス系でホルンは指揮者の左手側、下手配置というのは、コントラバスとの兼ね合いが考えられる。ウィーン、ドイツ系は指揮者右手側上手配置が主流である。楽器の構造、マーラーの交響曲第5番のフィナーレ、ホルン独奏の旋律など夜明け、日の出を感じさせて、指揮者が北に向かって東、右手側から吹奏されるのが作曲者のイメージだろう。コントラバス下手配置が前提なら解決される問題である。最近の演奏会で見られる下手配置は疑問。
 交響詩海は、1905年10月15日パリでラムルー管弦楽団により初演されている。第1曲海の夜明けから真昼まで、第2曲波の戯れ、第3曲風と海の対話。開始はpppピニッシシモでティムパニーの叩き始めは印象的に入る。ここで音量の問題として、pppピアニッシシモをどのように録音するのがベストか ? というと聞こえる最弱の音量設定である。聞こえることが前提となる。すなわち、ホールで演奏する時、PAパブリックアドレスのポリシーは聞こえない音量がホール全体で、感じられるような前提となる。ところが、客席の単一の印象はあり得ないのである。前後左右すべて印象が異なることは自然なのだから、PAによる音量の補正は、木に竹を接ぐ愚策に過ぎない。レコードというものは、印象の問題でナロウ、不自然であることは前提条件といえる。だから、自然な音空間の再生を旨とする。楽器間のディステンス表現こそ妙味だろう。
 「海」の神奈川沖波裏、葛飾北斎の版画は遠景として富士山が中央で目の前の大きな波は、西洋の油彩画の意表を突く大胆な構図、波の戯れでお仕舞いは、五音音階ペンタトニックが聞こえるジャポニズム。この近代音楽も当時は革新性が強く、聴衆にとって耳新しい、受け入れられにくい音楽だったと言われている。
 ジョン・バルビローリはパリ管弦楽団からdevoteされる関係構築に成功している・・・・・

 コロナウイルス禍の今年は、一変した世界になっている。8/6札幌市民交流プラザで開催された交響楽団新・定期演奏会も、4階が閉鎖されて客席は全体で半減、空席確保されていた。もちろん入場時の検温で感染防止対策は施され、半券チギリも入場者本人による。ニックネイム・ヒタルの大ホールは渋谷NHKホールと同程度の空間、2019年8月に開館されてオペラ公演対応の施設、こけら落としでは「アイーダ」が催された。期待されていた矢先に出鼻をくじかれたようである。
 問題点を一つ提起したい。オーケストラ公演におけるPAパブリック・アドレスだ。映画館などではスクリーンの両サイドにスピーカーが組み込まれていて自然な音響が提供されている。管弦楽の公演において、この両サイドのPAが曲者といえる。率直に言って、映画と演奏会の違いはどこにあるのかというと、管弦楽は舞台で音楽を演奏している。すなわちその上で、両サイドのPAは木に竹を継いだ形になっているのだ。だから、ヴァイオリン協奏曲でも独奏者がカデンツァを演奏している時、舞台の全体に音響は広がって、管弦楽が入る印象は小さな広がりその位置感覚になりさがる。異様なバランスなのだ。昔の札幌市民会館や厚生年金会館などPA装置のない会場では当然のことだが、管弦楽と独奏者のバランスは音響技術者が調整するわけもなく、指揮者一人の感覚に委ねられている。多分管弦楽団員たちは、違和感のないであろう空間の中で演奏されているのだろうが、客席にいる聴衆の一人にとってコンサートマスターの熱の入った演奏が、ステージの左側袖から聞こえるのは不自然という違和感を覚えるのである。
 独奏者使用楽器ヨハネス・バプティスタ・グァダニーニ1748の鳴りっぷりよい音楽も、アンコールでの音量感に首をかしげてしまった。彼女の演奏に責任は無いのだが…
 フルートという楽器は木管楽器、なのに現代では金、銀、洋銀といった金属製フルートが主流を占めている。これは大量生産される近代の象徴であり、手工業は細々と営まれている事実も影響していることだろう。そんな中でクルト・レーデル1918.10/8ブレスラウ出身~2013.2/12ミュンヘン没は数少ない木管楽器奏者であり、指揮者の一人でもある。残念なことに1960年代の途中から金属製にスイッチしているのだが,彼は、その上でも木管の音色を出す工夫をするという発言をしている。
 ヨハン・クリスティアン・バッハ1735~1782大バッハの末息子でセヴァスティアンの死後15歳にしてカール・フィリップ・エマヌエル・バッハに引き取られる。ボローニャのマルティーニ神父のもとで研さんを積みカトリックに改宗し1764年ロンドンでは当時8歳のモーツァルトと交流している。
 6曲のクラフィーアとフルートのためのソナタ作品16、鍵盤楽器としてフォルテピアノ、ハンマーフリューゲルが使用された演奏1969年録音でイングリッド・ヘブラーは絶妙な音色のコントロールに成功している。第1番ニ長調に始まり、ト長調、ハ長調、イ長調、ニ長調、ヘ長調というそれぞれ2楽章構成は正に、ソナチネ小奏鳴曲アルバムといえる。なぜにこのような調性になるのかというと、作曲当時の楽器フラウト・トラベルソは音孔も限られていて、♭変や♯嬰といった音の演奏に自由は確保されていなかったことによる。去年オーボエのハインツ・ホリガーにサインをもらった時LPジャケット写真で一緒していたオレール・ニコレを指さし「彼といったらボーボー吹いている」という具合に嘲笑していたもので、オーボエのピッチの正確さに比べるとフルートの音程は一歩譲るところである。
 クルト・レーデルは伸びやかで爽快な印象を与える演奏を記録している。ヘブラーとのユニゾン斉奏も素敵な仕上がり・・・・

  テレヴィで大相撲を観戦する、幕内力士の土俵入りのときに一人ひとり上がるその足を観察していると、左足から右足から力士により様々で足を上げ踏み切る足の方が利き足なのだろう。その時、力士は無意識なはずである。グレン・グールドの演奏を聴いていると、自然、左手のパッセージが意識的に聞こえる。力の込め方が右手より意識が強いように感じられる。実際はどうなのか確認することはできないので、そうなのかなあ?と感じる世界である。
 1957年1月グールドは、ニューヨーク・フィルハーモニックとベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19を演奏している。彼は25才で指揮者38才のレナード・バーンスタイン、彼らの良好な関係は1962年までしか続かなかったのは、天才同士の相性によるものなのだろう。衝突した音楽はブラームスのピアノ協奏曲第1番、テンポの設定に合意形成は果たされずバーンスタインは、グールドに従う結果となった。彼ら最初のレコーディングは1957年4月録音でコロンビア交響楽団といえども、実体はニューヨークフィルハーモニック、契約関係からクレジットライセンスはそうならなかったのだろう。名称といえども、名は体を表すのだが音楽的には無視できるともいえる。
 モノーラル録音、ピアノの音色は克明で、オーケストラ弦楽器の厚みは充分でベートーヴェンの音楽に相応しい。といっても、ホールのサイズは現代仕様で、作曲者の時代とはスケールが異なるだろう。弦楽器の開始は、指揮者の意志が反映されていてテンポの設定は微妙に意志的に動きを伴っている。その後からソリスト独奏者が入るのだが、グールドの意志は決然としていて、素早く反応する。伝記本を読むと彼はその当時SPレコードでシュナーベルの演奏を愛聴していたと有った。シュナーベルというと、ベートーヴェンの全ソナタをSP収録していた最初のピアニストで、それは当時の規範となるスタイルだった。まず、テンポの設定は機械的に非ず、微妙に変化する意思が反映されているし、強弱の幅は広く取られて、対比は明快である。分かり易くいうと、バーンスタインが弦楽で語り掛けるように演奏すると、それに呼応するがごとくグールドはピアノを演奏させる。この阿吽の呼吸は、みんなそのように演奏しているかというと、意外と機械的、スポーティブな演奏に陥りがちである。グールドの味わいはレガートなフレーズ、ノンレガートといった、区切りをつけた表現の入れ替わりに妙味はあるといえるのだろう。
 1957.1/16というと、巨星アルトゥーロ・トスカニーニ89才が息を引き取っている。その前年11/24グィド・カンテルリ36才がパリで客死している。その2年前にはウィルヘルム・フルトヴェングラーが68才で病死するなど、音楽界は偉大な存在が新しいスターを呼び出すかの如く、時代の節目を形成していた。カラヤンやバーンスタイン時代の到来を告げていてその端緒に当たるレコーディングが、L・BとG・Gの共同作業であたというのは象徴的だったかもしれない。
 オーディオの話の時、「倍音」を聴くという言葉がある。まさに、ベートーヴェンの第2協奏曲第二楽章の後半カデンツァ装飾的経過部で、独奏ピアノという楽器が奏でる「倍音」を鳴らす部分がある。この変ロ長調作品19は彼がウィーンに出て23~25才の当時に作曲されている。第2番でも、先に楽譜出版されたハ長調作品15の前に作曲されている。楽譜出版は1801年末、第1番は1798年作曲で2番の3か月前に楽譜出版されたことによる。いずれにしろグールド演奏の特色てある、ピアノの音によく耳を澄ませる行為が聞き取れる、決定的な記録となっている。バーンスタインも素晴らしく更にその上をいくグレン・グールドとの奇跡的な出会い・・・

 情報は知人からメールが入り6/30に亡くなられたという訃報で1998年来日時、キタラホールでラトル指揮バーミンガム市立SOによるブラームスの協奏曲を思い返した。サインを頂きミーハーぶりは恥じる事でもなく、貴重な経験である。
 イダ・ヘンデル1928.12/15ポーランド・ヘウム生まれ、晩年はマイアミで後進の指導にあたっていたという。生年は定かではなく諸説ある。いずれにせよ卒寿を越して長寿、カール・フレッシュ門下三姉妹ヌヴー、マルツィ、ヘンデルという時代は過ぎ去りゆく。彼女の演奏スタイルを評して20世紀前半を伝えているというもの。アグレッシヴ積極果敢、パッション情熱的、メロデイアス歌謡性という三拍子揃ったヴァイオリニストは稀な存在だろう。最近の奏者達の脱力系スタイルには、アンチの感覚が透けて見える。アナログ時代を代表する名演奏は、オーディオマニアにとって福音であり、稀少な扇の的といえるだろう。
 最近、ある知人からマンションに居てオーディオの追究には限界があるという、否定的な感覚を伝え聞いている。翻ってこのサイト読者達のオーディオ環境事情は・・・思いを巡らせてみた。確かに一軒家では大きな音量を愉しめるし、鑑賞時間にも自由はあるのかもしれない。ただ、オーディオの愉しみ方として、大音量は感覚がマヒしてしまうものでありそれは、一面的な愉しみに過ぎないだろう。音量を絞り、大きな編成の管弦楽曲も、ステレオ録音で定位ローカリゼイションを突きつめる追い込みをすると、楽器の配置に手ごたえが有り、会話するプレーヤー達の感覚が聞き分けられて、実に愉快である。すなわち、大編成管弦楽をあたかも室内楽風に小音量に絞り込んでも音楽が痩せないことにオーディオの愉しみはある。つまり、音量を絞りこんでも愉しめる醍醐味こそもう一つのオーディオスタイルだ。それには装置のバランスを巧く整えて特に、アンプの性能向上を図り、スピーカーのキャラクターを生かすグレードアップという道はあることだろう。
 イダ・ヘンデルの演奏したストックホルムリサイタル1984の二曲目は、バッハ無伴奏パルティータニ短調BWV1004からシャコンヌ、1720年頃作曲ケーテン時代の雄大な独奏曲は演奏時間15分位の名曲である。バッハの曲をヘンデルが弾くというのは頭が混乱してしまうものだろうが、演奏する情熱が溢れていて聴きごたえがある。強弱の振れ幅は広く、クレッシェンドの力強さから息の長いディミュニエンドというしだいに音量をしぼるスタイルは印象的、精神世界の強靭さや、雄大さが刻印されている。不思議であるのだが、女性奏者でありながら気性を前面に出す気迫、微妙なフレージングという旋律の表情付け、楽曲の把握は並外れていて抜群の力量である。パルティータというものは、舞曲の組み合わせであり、その一曲、シャコンヌはパッサカリアと同義で17~18世紀の緩やかな音楽、葬送の音楽ともいわれている。気品ある演奏は感情の盛り上げから、仕舞い方など伸縮自在、安定感のあるテンポの設定は、格調高い音楽として余人の追随を許さない孤高のディスクに仕上げられている。
 このレコードを聴いていて、気になることとして、楽器の音像がピンポイントでクローズアップされているところにある。多少の不満としては、マイクから楽器への距離感でオンマイクに過ぎるところがある。モノラル録音ですら、この距離感は味わいが有り、オンマイク過ぎるとつまらないもの、贅沢な不満ではある。これは録音技師の好みの問題でもあり、音作りとしてはSPレコードからモノラル録音LPレコードを沢山耳にすると違いが分かる世界であり、その経験の上でステレオ録音の定位が重要になる。Aチャンネル、中央、Bチャンネルという音響の不思議こそ・・・

  ンタタタ・ターン、ンタタタ・ターンという開始を指揮者が二回振る動作を繰り返すとき作曲者、運命はかく扉を叩くとかシントラーに語ったとされている。ここで管弦楽のテンポをどのように設定するのか、指揮者は楽員に提示する必要がある。第一楽章アレグロ・コン・ブリオという楽譜の記入は自筆譜に有り、アレグロは快速に、コン・ブリオ生き生きと活気をもってという表情記号、そこで解釈のSPスタンダード・プレイは1913年記録のニキッシュ指揮ベルリン・フィルのものは、四分音符一分間に90位である。
 ところが最速の記録はフリッツ・ライナー指揮のもので、120位ということはヴィヴァーチェもしくはプレストの解釈でもって押し通す。弾丸ライナーとは、よくぞ言ったりでトスカニーニ、カラヤン、ショルティ、カルロス・クライバーらの演奏速度テンポはこれらのグループといえる。アンチというか、遅めの解釈は、フルトヴェングラー、クレンペラー、フリッチャイ、ベーム、ブーレーズたちの演奏になる。
 1971.12/20,23録音になるミュンヘン・フィルハーモニック指揮者ルドルフ・ケンペのテンポ設定は、68年録音のブーレーズ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と同じく、遅めの設定になっている。ウィルヘルム・フルトヴェングラーの評伝(猿田直氏)を調べていると生涯演奏回数148回という数字を目する。簡単に云うとトスカニーニは21回ほどで、フルトヴェングラーを超える指揮者はそうざらにいるものではないということであろう。まさにケンペはフルトヴェングラー速度テンポを墨守していて、曲全体が支配されている感覚になっている。ちなみに、1817年頃の作曲者によるメトロノームテンポは、108とか楽譜に残されているのだが、果たしてその解釈はそれを目安に、速めと遅め、その中間という三択が演奏者たちの判断にゆだねられているといえよう。
 ルドルフ・ケンペ1910.6/14ドレスデン生れ~1976.5/12チューリヒ没はミュンヘン・フィルの常任指揮者として生涯を閉じ、晩年はドレスデン・シュターツカペレ、チューリヒ・トーンハレ、ロイヤル・フィルなどと65歳で良好な活躍ぶりだった。ドイツ、スイス、イギリスとヨーロッパで活躍、聴衆からは絶大な支持を受けて尊敬される音楽家の代表だったと伝えられている。日本ではレコードでしか評価されなかったことは、返すがえす残念なことである。否、彼の記録はどれも貴重なもので、それを再生できることはオーディオ・ファンに残された唯一の仕合わせといえるだろう。CDでいうとCBSソニーのレーベル、LPでいうと、EMI系列のアーティスト。ドイツではBASFとかACANTAなどマイナーレーベルでおなじみ。ケンペ芸術は、生粋のドイツ音楽のみならずストラヴィンスキー、ブリテン、など近現代音楽でも名演奏を記録している。盤友人としてはブラームス、チャイコフスキー、シューマンなどのピアノ協奏曲でもVn両翼配置を記録していることは、嬉しい事この上ない。ただし、残念と言うか、ベートーヴェンツィクルス全集は、右スピーカーから左へのグラデーションでチェロ・アルト・第2Vnという録音配置で口惜しいこと限りない。
 ケンペの選択したテンポ設定で揺るぎない音楽は、その弦楽器の豊かな音響にあるだろう。すなわち、タタタ・ターンという速度で、速すぎると楽器特有の空気振動感が希薄になる。つまりゆったり目のテンポは、スピーカーがよく反応してアナログ冥利、フカフカの感覚は手応え極上である。切れ込み良い管楽器と弦楽器の好バランス、これが第1楽章から終楽章にいたるまで一貫して感じ取れるのは喜びである。フィナーレで少しアクセルを踏み込む感じでの気張りは、嬉しく感じられることになる。
 第V番のVはヴィクトリー勝利の音楽になっている…

梅雨前線の停滞により九州地方の豪雨で被災された皆様にお見舞い申し上げます。人吉市では1965年の洪水と同じくらいの水位を電柱は示していたという。大変な災害に際しくれぐれも生命第一でお過ごしされること祈念します。
 現代音楽というと、日本人作曲家としては一柳 慧(とし)1933.2/4兵庫県神戸出身で、1954~57年ジュリアード音楽院留学、1959年にジョン・ケージ1912.9/5ロスアンジェルス生~1992.8/12ニューヨーク没の講座を受講、以来、不確定性の音楽で図形楽譜の使用など1961帰国して以来、洗礼を受けたことになる。二十世紀音楽研究所主催、第一回現代音楽祭―前衛音楽特集、紹介に努めている。この時代の象徴的な作品に1952.8月にウッドストックで発表された「4分33秒」がある。第一楽章33秒、第二楽章2分40秒、第三楽章1分20秒、ピアニストは楽器の蓋の開閉をするだけで、作曲者の意図はその間、耳を澄ませよという。
 歴史上、初めて無音を聴き、演奏行為「休止」と、聴く行為の一体化を発表したことになる。その時、演奏会場の音を聴けという「作品」。これは究極の音楽になるといえる。ちなみに273秒というのは、絶対零度を意味する。
 オリヴィエ・メスィアン1908~1992に師事した、ピエール・ブーレーズ1925.3/26仏モンブリン生~2016.1/5独バーデンバーデン没は1948年にピアノソナタ第2番を作曲している。これを演奏しているのはマウリツィオ・ポリーニ1942.1/5ミラノ生まれ。1978年来日時に札幌厚生年金会館ではベートーヴェンの後期ピアノソナタ三曲を取り上げている。白面のピアニストが、演奏の高揚感でまっ赤になりながら集中しその緊張感に驚いたことだった。レコードでは、アポロ的で客観的、冷静な演奏スタイルに接していただけでは、知り得ないポリーニ芸術に感銘を覚えている。
 ポリーニは1960年国際シュパンコンクールのグランプリ獲得以来、公の場から離れていたものの1968年ロンドンのコンサートから再起している。ショパン、モーツァルト、ベートーヴェンのほか、シューベルト、シューマン、ブラームス、ドビュッスィ、シェーンベルク、ストラヴィンスキーと多彩なLPレコードをリリース。とりわけ、ブーレーズやノーノのレコード発表は現代音楽、コンテンポラリー同時代の音楽と意欲的な取り組みをしているところなど、並みの演奏家の水準を超えている。
 ブーレーズというと指揮者で有名なのだが、初来日は1970年5月、ジョージ・セルとともにクリーブランド管弦楽団を指揮していた。大阪万国博の合間に二人は長谷寺、室生寺を参詣している。彼の指揮した「春の祭典」のLPレコードで、1963年フランス国立放送管弦楽団とのセッションは熱気を記録していて孤高の名盤といえる。
 ポリーニの演奏したソナタ第2番はカップリングがウェーベルンの「ピアノのための変奏曲作品27」(1928)、演奏時間9分弱の音楽。シェーンベルク、ベルク、ウエーベルンという3人はウィーンの作曲家で12音音楽ドデカフォニーの開祖、新ウィーン楽派。1920年以降、シェーンベルク作曲、五つのピアノ曲の第5曲が最初の無調音楽の作品といわれている。
 ブーレーズのソナタは、絵画で云うと点描の趣であり、メロディーライン旋律線やハーモニー和音、ダンスのようなリズム律動とは、無縁の音楽になっている。四楽章構成、極度に急きょで5:57、レント遅く11:08、モデラート中庸、ほぼヴィーヴォで2:10、ヴィーヴォ10:00。この音楽には、音楽の三要素は導き出されることなく、音の三要素という音量、音高、音色を感じ取ることになる。音楽はちょっと聞きではなく、深い鑑賞を必要とする…