🎼 千曲万来余話 by盤友人

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 「嬉遊曲、鳴りやまず~斉藤秀雄の生涯」を読むと彼はカザルスとフォイヤマンをチェロの神様と呼んでいる。フォイヤマン1902~1942は39歳の生涯で虫垂炎手術ミスともいわれていて、短命でも彼の残した記録はどれも奇跡の名演だ。人は98歳で亡くなったり、85歳とか、B氏は56歳と4か月、バッハ65歳、ブラームス64歳などなど、寿命はそれぞれのものでつくづく命はひとつしかない。
 斉藤秀雄1902.5/23~74.9/18はチゴイネルワイゼンというヴァイオリンの名曲を弾いたフォイヤマンのSPを耳にして、一念発起、ベルリンの高等音楽院に留学したという。奇しくも同じ1902年生まれで斉藤は1930年、彼に教えを乞うことになる。斉藤は1923年近衛秀麿とともに渡独して、ユリウス・クレンゲル(ライプツィヒ王立音楽学校教授、ゲバントハウス管弦楽団首席奏者)に師事していた。
 宮沢賢治は、1926年12月に上京し新交響楽団の練習に立ち会っている。花巻農学校を3月に辞して、3か月滞在するつもりで愛用の蓄音機を手放し時価350円だったという。新響が練習していたのは田園交響曲で「セロ弾きのゴーシュ」に詳しい。ゴーシュはフランス語で左の、左側、不器用な、などの意味。賢治1896生~1933没。そこに見られた鬼指揮者は、当時の斉藤秀雄のようである。その後、彼はブルッフ作曲コル・ニドライ(夕べの祈り)を練習していた。賢治は聴き入ってしまったという。
 メンデルスゾーン作曲ソナタ第2番ニ長調、1アレグロ、アッサイ、ヴィヴァーチェ、2アレグレット、スケルツァンド、3アダージォ、4モルトアレグロ、エ、ヴィヴァーチェ、1939年12月、RCA録音、ピアノはフランツ・ルップ、SP復刻であるけれど、普通のモノーラル録音と遜色はない。フォイヤマンの演奏は躍動感がみなぎり、生命感にあふれている。彼の使用する楽器は最後期のストラディバリウス、滑らかでその上、艶やかな鳴りの豊かな音色である。斉藤はチェロの指導をするとき、特に左手、運指を厳しく指摘したという。それはフォイヤマン演奏法の流れを汲むものかもしれない。鮮やかな音楽は、短命だった彼の人生を微塵も感じさせるところがない。というか、聴き終わると彼の余りにも悲劇的な最後を、悔やまずにいられない。
 トスカニーニ指揮のR・シュトラウスのドン・キホーテ、ユージン・オーマンディ指揮したドヴォルジャークの協奏曲などレコードが残されているのは、せめてもの、せめてもの慰めであり、レコードコレクターに与えられた、ささやかな幸せと云えるかもしれない。アルトゥール・ルービンシュタインのピアノ、ヤッシャ・ハイフェッツのヴァイオリンと組んだ三重奏は「百万ドルトリオ」と称されていた。
 レコードというものは、所詮、缶詰に過ぎないと軽くあしらう向きもあるのは承知している。ところが、オーディオ装置が何のためにあるのかというと、記録の再生であり、ヴィンテージという古式の再生装置は、記録に音楽の生命を吹き込むことを目的としている。確かに、オーディオに経費が掛かるのは、その通りなのであるけれど、モダン現代オーディオというトランジスターによるデジタル対応のものとは、世界が異なる。ノイズ雑音が無いだけの世界と、倍音再生が命のヴィンテージの世界はコンパクトディスクとLPレコードの本質の違いとなって、聞き手に迫ってくる。フォイヤマンの記録を再生する時、アナログ世界は、メンデルスゾーンの音楽にまで到達する。すなわち、演奏者も作曲家の霊感に呼応して、聴く心に訴えること、実感させる空気振動こそ実態と云えるのだ。現代の日本においても、アナログ回帰が言われ始めていることは、盤友人にとってささやかな喜びではある・・・

 オーケストラの音色で、木管楽器のオーボエは、一際チャーミングで聴いてすぐ耳に入る美しい存在である。1971年4/28~30ゾフィーエン・ザールDECCA録音、この頃オーボエ首席奏者は、カール・マイヤーホーファーで飛び切り美しい音色を披露している。彼は74年に非業の死を遂げた伝説の名演奏家で、ロリン・マゼール、カール・ベーム、イシュトヴァン・ケルテス指揮のレコードでよく耳にする音色、名演奏が記録されている。
 だいたい、管弦楽で一人出色の名演奏家が居た時もアンサンブル合奏は、全体として素晴らしいものに仕上がっている。このレコードにおいても、クラリネット奏者アルフレッド・プリンツ、フルート奏者ウェルナー・トリップ、ファゴット奏者ディートマール・ツェーマン、ホルン奏者ギュンター・ヘーグナーなどなど首席奏者たちによる合奏は大変優れている。ちなみにコンサートマスターは69年からゲアハルト・ヘッツェルが就任していてオーケストラの要として活躍している。レコードにクレジットがあるものではなく、個人奏者名は推測の上でのこと。
 スピーカーの中心に管楽合奏がプレゼンスしている時、弦楽器はその前面にプレゼンスする感覚がある。このLPのデッカ録音も大変に優秀で、奥行き感が充実している。この当時のステレオ録音は、低音域が右スピーカーに集中していて、左右感はヴァイオリンとチェロ、コントラバスの対称で確立させている。なかでも、ホルンセクションは右スピーカーに存在感が有り、懐かしい。というのも、最近のオーケストラ配置で、ホルンは舞台下手に居ることが多いからそのように感じられるのだ。オーボエの音色がホルンの量感ある音に包まれている舞台上手配置こそ、安定感が感じられるし、面白味もあるといえる。
 マゼール1930.3/6~2014.7/13は、63~64年にチャイコフスキーの交響曲全集を完成させている。マンフレッド交響曲作品58は第四番(1877)と第五番(1888)の間(1885.9/22)に作曲されている標題音楽でバイロンの同名劇詩によっている。第三楽章が間奏曲、緩徐楽章で、終楽章フィナーレにはパイプオルガンが荘重な演奏を披露する。サンサーンスの第三交響曲「オルガン」は1886年に作曲初演されているからちょうど同時期のアイディアと云えるかもしれない。第一楽章ではアルプス山中をさまよう主人公マンフレッドを描き、第二楽章は眼前、滝の下、虹の中に仙女が姿をあらわす、スケルツォ。終楽章では昔の恋人アスタルテの亡霊がバッカスの饗宴のさなか、山神の地下宮殿にあらわれる。それは地上での不幸な終焉を暗示させる。
 マゼール41歳の時の指揮は、脂の乗り切ったもので、気力に溢れている。ウィーン・フィルハーモニーもフルトヴェングラー没後、カール・シューリヒトや、カール・ベームらの活躍が有り、レナード・バーンスタインのウィーン登場も併せてマゼールの活躍と同時代を構築している。このレコーディングの時期には、イシュトヴァン・ケルテスも指揮していて、ある意味、ゲオルグ・ショルティの「指輪」デッカ録音などと同時期で黄金期だったかもしれない。
 指揮者の仕事というものは、個人的な力量もさることながら、同じ時期の指揮者たちの競われた仕事の上で、合奏力は発揮されている。ということは、指揮者の仕事の一つは、オーケストラの演奏の邪魔をしないことであり、最大限の能力を引き出すところにあるだろう。それはあたかも、オーディオ・システムが、個性を表現することではなく、録音ソースの再生に尽きることと似ている。スピーカーは姿を消して、室内全体に演奏会場の空間が再生されて音楽が繰り広げられることに通じる。ロリン・マゼールは、ひたすらチャイコフスキーの世界を指揮して、ウィーン・フィルは最上の演奏をしている・・・

 ディスコグラフィの情報によると、1956年9/23第1アビーロードスタジオにて録音、たった一日の収録でしかない。それは、指揮者サヴァリッシュとデニスの出会いから最短の間隔でリハーサルが実行されて、33CXナンバーのディスクが記録されたことを物語る。ウォルフガング・サヴァリッシュというと1970年にはNHK交響楽団とベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を完成させている。その時の首席ホルン奏者は千葉馨さん。彼は1955年頃英国留学を果たしていて35歳頃のデニスに師事していたという。東京のみならず、日本全国にはバーチ、千葉馨さんに師事したホルンプレーヤーがたくさんいるはずだ。デニスにはそんな、縁ゆかりある伝説のスターである。
 1956年というとホフヌング音楽祭では、デニスがゴムホースでホルンコンチェルトを演奏した記録がある。なんのことはない、マウスピースの先に4ないし5mのゴムホースを繋いで演奏を試みたわけである。そんな茶目っ気ある天才デニス・ブレイン。薄くあわせた両唇のコントロールが抜群で、リヒャルト・シュトラウス19歳の若書き、第1番変ホ長調作品11では、冒頭から力強い低音域、メロウな音質の中高音域を楽々と吹き上げている。バーチいわく、彼、仕事する時はアレキを使っていた・・・つまりドイツ製のアレキサンダーを使用楽器としていたのである。レコードのジャケット写真によると、他のものではピストンヴァルブのものや、ラウーとか、パックスマンとか多様ではあるけれど、R・シュトラウスでの音色は、明らかに、アレキの可能性がある。
 力強く、骨の太い、安定感あるアレキによるアンサンブルにおいては、他のプレーヤーにとっては合わせやすい感覚がある。だから、デニスが吹いているL`Pレコードでは、フルート奏者ガレス・モリスやオーボエ奏者シドニー・サトクリフなどの名演奏も合わせて楽しめることになる。弦楽器奏者達だって相当、乗り気になって演奏しているのが手に取るように伝わってくるのが、この33CXレコードである。
 私は働くのではない、楽しむのだ、というシュトラウスの言葉、一見、享楽主義のように思われるのだが、その様な人にホルン協奏曲のような精緻な管弦楽法によるオーケストレイションを完成させることが出来るであろうか ? 否、人生を深く楽しむ人にこそ成し遂げることが可能な、パラダイス楽園であろう。盤友人は、LPレコードを再生することにより、記録を再生した上で、デニス・ロス1957年9/1の悲劇を克服することが出来る。モーターアクシデント、午前六時ころのロンドン近郊での悲しい出来事は、消すことのできない事実であり、その上で、記録を再生する幸せをかみしめること、その歓びを共有できる幸せこそ、残されたものの手向けである。
 あれから52年の歳月が経過して、盤友人はデニスによる、ホルン協奏曲を鑑賞してその歓びを皆様と分かち合いたいのである。
 第2番は1942年頃の作品で、当時、ドイツはスターリングラードでソヴィエトに降伏している。その複雑な心境は、シュトラウス一流の管弦楽法に描かれているといえるだろう。60年前の若書き作品とひと味違うところは、デニスの演奏で一際明らかにされることになる。多分ホルン演奏技術の最高ランクの記録が、この演奏であって、異論を唱える者はいないことだろう。孤高の境地が記録されていて、エヴァーグリーンとは、このジャケットが物語っている。死なないこと、楽しむこと、世界を知ることとは、ある米国人経済投資家の言葉である。残されたものにとり、彼のレコード再生こそ他にできることはないのであるのだが、おもうことはあること、けだし永遠の名言である・・・


 ロマン派の音楽、すなわち1815年以降にドイツを中心に起こったが必ずしも19世紀音楽全体を総括するのは妥当ではない。むつかしいものがある。ピアノという鍵盤楽器による器楽から、リート歌曲や歌劇オペラにいたるまで多種多様の音楽があり、クラシック古典派音楽の影響を受けてそこから派生した、よりドラマティックな音楽といえようか?1870年以降は後期ロマン派ともいわれている。いずれにしろ、ベートーヴェンが最初に内面を表現してから、飛躍的に展開させた旗手が、ロベルト・シューマン1810~1856でピアノ曲、三重奏曲、四重奏曲、五重奏曲、交響曲や歌曲、歌劇などなど、特に1840年は歌曲の年ともいわれクララ・ヴィーグとの結婚により創作の発展をみている。
 ダヴィット同盟とはシューマンの虚構世界で、クララとの結婚式前夜に語りあった同盟員の様子を描写、18曲から成り1837年作曲、フロレスタンとオイゼビウスというシューマンの分身が語り合い、舞曲集といっても、舞曲は第一曲クララのマズルカのみで新しい音楽の理想を追求する。特に第18曲ハ長調の最低音で閉じられる終わり方は、聴くとふるえる。
 ワルター・ギーゼキング1895.11/5リヨン生れ~1956.10/26ロンドン没、英SAGA盤放送録音1963年コピーライトのプレスを聴いた。彼の愛奏したピアノメーカーはグロトリアン・シュタインヴェーグ、正規録音ではモーツァルト、ドビュッスィ、ラヴェルの全集が有名。楽器メーカーのスタインウエイとは、ドイツのハインリヒ・シュタインヴェーグが1853年、アメリカに移住して成功したもの。スタインウエイ&サンズはその流れ。イギリス式アクションは音量的にみて華麗といえる。なお、ドイツ式・ウィーン式のハンマーが鍵盤の上にあり跳ね上げ式はベーゼンドルファーで、このタッチはピアニストによる依存度が高いといわれていて、多数派をしてスタインウエイに譲るところである所以だろう。
 ギーゼキングは1920年ベルリン・デビューを果たし、ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会を経験し23年ロンドン、26年ニューヨーク、28年パリでそれぞれデビューしている。1953年には初来日、演奏会では完璧な記憶力を有して暗譜主義を貫いている。その演奏スタイルはノイエザハリヒカイト、新即物主義ともいわれていて、現代主流の演奏スタイルの源流とされている。彼以前の巨匠たちは、作曲家直伝の音楽で、テンポのアゴーギグ緩急法は、自由自在でそれが度を過ぎると、端正な音楽スタイルへと展開することになる。それが新即物主義になる。ピアニストの演奏は、一定のテンポ感が尊重されていく。それでも、ギーゼキングのシューマンでは、テンポのギアチェンジが面白い。
 演奏がエネルギッシュ情熱にあふれていて、勢いが一層の力感を発揮していて、並ではない。その上に、音量としても自由な増減が有り、パワーマックスの開始からして度肝を抜かされて、一本調子ではあらずすかさず穏やかな表情に変化する芸術は、聞き手の心をつかみ、引き寄せる展開にはワクワクさせられること請け合いである。それは、ベートーヴェン、リスト、シューマンという一連のピアニズムの成果が見られる。巨匠性、妙技性、精神性が三位一体となり、ギーゼキングが体現し披露する要。
 モノーラル録音ということでも、決して音が悪いことなくてダイナミックスレンジは広く、ノイズもまるで感じられない。なにより、ステレオ録音の上を行くのは、エネルギー感である。キレイな音というのは雑音が無いだけで、空気感すら無い。演奏が発揮する躍動感をいかに再生するかは、モノーラル録音の方に軍配を上げざるを得ない。ピアノフォルテという鍵盤楽器は、美しいのみでなく、その真実により聴くものを捉え離さなくて、ふるえる・・・

 お盆を過ぎてめっきり秋の気配、空を見上げると巻雲、ウロコ雲を目にする季節になった。ご先祖様に思いをいたし、今は亡き人々を偲ぶ習いには、生命の永続を願う営みとして歴史を振り返る気高い時間の過ごし方のような気がする。人には未来だけあるのではなくて、偉大な過去の上に成り立っているということを忘れてならないのだろうと思われる。
 おふくろの味、卵焼きなど盤友人の記憶では、砂糖味だ。子供の時分を振り返るとタップリ甘味の効いたのが卵焼き、すべての卵焼きと云うものは甘いものだとばかり思っていたのが、否、だし巻きだってあると気づかされたのは大学生のことだった。単に、卵焼きが甘いものだったのは我が家の味だったのである。世の中にはプレーンというものだってあったわけだ。ちなみに、白飯をソースで炒めて食することを経験したのは高校生の時で、ショック、衝撃的経験だった。柔道部で一年間、友達と生活したことは例えば、余市海岸の砂浜で夏休みに一週間合宿したとき、波打ち際が一変したことは、月との引力のなせる業という実感をしたものである。
 シューマンは、1810年6月8日ツヴィカウ生まれ、1856年7月29日エンデニヒ没、ドイツロマン派の大作曲家。文学と音楽の化学的反応により様々な作品を創作している。1828年、ライプツィヒ大学法科に進学し同時にピアニストを志すけれど、指の障害を経て演奏家の夢を断念する。作曲という無限の世界へ飛翔するも、評論家という二刀流でもあった。
 幻想曲ハ長調作品17、作曲年は1836~38年で楽譜出版は39年、フランツ・リストに献呈されている。3楽章形式、幻想的、情熱的にという開始から、中庸の速度という音楽を経過して、静かにという終結を迎える。最初クララ・ヴィークへと考えられていたものが、リストへと献呈者は変更された。
 曲は「大ソナタ」としてベートーヴェン的作品が構想されていた。徹頭徹尾、情熱的な音楽で開始されて、迎えた終曲は、しかしシューベルト即興曲を思わせる世界である。それは10年ほど前がシューベルト・ロスであって、ローベルト・シューマンにとっても決定的な青年作曲家へのオマージュであろう。この沈潜する音楽は、高揚した音楽がその泉としてうっそうと生い茂った浪漫の森の中へ遡る道へとたどる事になる。フランツ・ペーター・シューベルトは1797年1月31日ウィーンに生まれ、1828年11月19日同地31歳で没している。フランツ・リストは1811年10月22日ハンガリー・ライディングで生まれ、1886年7月31日バイロイト74歳で亡くなっている。
 つくづく人の一生というもの、長いもあり短いもあり、ひとつしかないものだと思わさる。
 アリシア・デ・ラローチャ、1923年5月23日バルセロナに生まれ、グラナドスの高弟フランク・マーシャルに子ども時代から師事している。来日は1967年を最初に、10回以上果たしている。スペイン音楽からスタンダードなものまで音楽の美と真実に、献身的な演奏活動を展開している。
 1975年デッカLP録音、サイド1はシューマンの幻想曲ハ長調でサイド2はリストの奏鳴曲ロ短調で、大変立派な脂の乗り切った演奏が記録されている。堂々とした構え、テンポの揺れはあまり感じさせることのない、スマートなスタイル。クール、ピアノという楽器の鳴りっぷりが充実していて、風格あるシューマンの世界を鑑賞することになる。健康的でということは、シューマンの肯定的な側面が基本で、前進的な精神が感じられる演奏になっている。これが、ピアノの旋律がピックアップされるとき、病的な印象を与えることがある。否定的ではなくまさにロマンティッシュ、永遠なる世界を印象づけることになる・・・

 レコードを聴く時、最低は片面の再生をし終わらなければ、その芸術を鑑賞したとはいえないだろうと思っている。すなわち、つまみ食いともいえる最初の出だしだけとか、途中の2~3分ほど比較鑑賞は、よくかられる欲求ではあるのだが、それはつまみ食いでしかない。そのレコードの芸術鑑賞としては、必要十分とはいえない。どういうことかというと。違いに気がついたとはしていても、正確とはいえないということなのである。動物の象を、片手で触ってみて感触は理解しても、その全体の姿は、思い浮かべられないのと同じまでのことである。ある程度の鑑賞時間を経なければ無理ということである。
 1980.9/26デジタル録音、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のLPレコードは、そんな経験をさせてくれる希少盤である。オーマンディ1899.11/18ブダペスト生まれ~1985.3/12フィラデルフィア没、本名は、イェーネ・ブラウ。5歳でヴァイオリンを学び、7歳で最初の演奏会、17歳で教授として迎えられ、22歳でアメリカに渡っている。32歳でトスカニーニの代役指揮者としてフィラテルフィア管弦楽団の指揮台に立っている。ということは、55年間ほど同じオーケストラとの関係を維持した偉大な指揮者といえる。常任指揮者、音楽監督などなど、契約関係は多様であるにしても、この長期にわたる関係は、たとえばカラヤンとベルリン・フィルの関係が33年余りだったことをみても、比較にならない長さだといえるだろう。
 31~36年までミネアポリス交響楽団正指揮者、36~38年フィラデルフィア管弦楽団常任指揮者を経て38年ストコフスキーの後に同音楽監督就任、80年に勇退している。退任した後もたびたび客演指揮を果たしている。有名オーケストラとしては、ベルリン・フィル(1955年、エディンバラ音楽祭で)、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団などと多くの共演を経験している。真に練達の指揮者、熟練のオーケストラビルダー、多数のレコードディングコンダクター・・・その華麗な経歴の中でも、看過できないのはRCAのエロイカ。
 ベートーヴェンは人生の中でどの交響曲をイチ押しだったか知っている?YGさんは盤友人に質問したものである。すかさず、英雄!と答えると、やっぱり知っていたか・・・と続けたものである。B氏の自伝を読んでいると、エロイカ交響曲が自身で納得していて、最高の作曲だと伝えていたというエピソードがある。
 確かにウィーンではハイドン104曲、モーツァルト41曲の後継作品として1804年私演05年4月テアトルアンデアウィーン作曲者自身指揮で初演されたものは演奏時間50分ほどの大曲である。以前の交響曲は演奏が30分程度のものだったから、2倍近い拡張がなされたのである。ナポレオン・ボナパルトに献呈を意図されたものの、N氏皇帝就任に激怒して、B氏は第二楽章に葬送行進曲を作曲して英雄の死を表現している。市民階級の革命を待望したはずが独裁者への変貌を許せなかったというB氏のロマンである。封建社会から市民社会への展開は、ベートーヴェンとして望むところであり、独裁政治は受け入れられなかったというのは、当時の個人主義思想として、一つの典型だっただろうと思われる。自由主義としての作曲者ならではの芸術である。近代思想史のイーポックメイキング作品と云える。
 オーマンディが指揮したエロイカは数種類ある中で、RCA盤は晩年の録音であり、興味深い。1979年10月には指揮者ポール・パレーが93歳モンテカルロで死去、葬送行進曲に一際熱が込められているのも追悼の音楽なので分かる気がする。O氏は大編成オーケストラを指揮した人生であって、そのおおらかな音楽づくりは、それとして充分に愉しめる。なお、第一と第二楽章は演奏に32分が費やされていて、それが一気に片面カッティングされているのは、それもまた一興、ホルンの吹奏とか、ファゴットの妙技など、聴きどころ満載である。コントラバスの旋律線、メロディーラインなど実に素敵だなあ・・・

 暑中見舞い申し上げます。午後10時頃の夜空、天頂には夏の大三角形で、デネブ・ベガ・アルタイルが一際目に鮮やか。天の川には白鳥座そのデネブの右側に琴座のベガ、下の方にわし座のアルタイルが分かるのでご覧ください。
 札幌も日中には最高気温32度を記録し、真夏日9日目ほど続いている。秋立つや川瀬にまじる風の音/飯田蛇笏、心理的な中に聴覚を効かせているところが面白い。立秋を迎えると残暑の候となる。
 ルートヴィヒ・ヘルシャー1907.8/23ゾーリンゲン生まれ~1996.5/8トゥツィング没、はドイツ孤高のチェロ奏者で6歳から始めケルン、ミュンヘン、ライプツィヒ、ベルリンで研さんを積み、1930年メンデルスゾーン賞獲得、1936年W・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル、独奏者としてデビューを果たしている。1937年ナチス入党という経歴があり、エリー・ナイPf、シュトロスVnらと三重奏で活動している。戦後、教育者としても活動し門下生にアニア・タウアーがいる。
 1959年頃テレフンケンステレオ録音でヨゼフ・カイルベルト1908~1968指揮ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団と、ドヴォルジャーク、チェロ協奏曲ロ短調作品104、草原から吹く風による涼味満点のようで爽やかな演奏、一輪の花に永遠の生命、忘れられざる名演奏がここにある。
 指揮者カイルベルトは、質実剛健で、カラヤンと同期生でありながら、芸風は一線を画している。ハンス・クナッパーツブッシュのようなアゴーギグ緩急法の一時代前とは異なるが、オーケストラプレーヤーたち入魂の演奏は、まさにミュンヘングループの音楽だ。
 ここではハンブルク国立フィルではあるけれど、管弦楽の即興性はかなり強くて、特に、弦楽合奏は一級品の味わいを持つ。切れ味鋭く、リズム感が抜群であるし、なにより、生命感があふれていて、いつ再生してもフレッシュで独特の価値をもっている。カイルベルトの指揮は無私の感覚が有り、孤高で、高貴な音楽性、カラヤンはというといわば商業主義を前面に押し出しているのと異なり、芸術性の高い、指揮者51歳頃の記録となっている。
 L・ヘルシャーの独奏は、たっぷりと良く鳴る楽器でよく歌っている。エリー・ナイとアンサンブルを編成していて、彼女の芸術性と影響を受けているように思われる。ナチス国家社会主義党との関係性から、政治的に不遇でありながらも、それは時代なのだったように思われる。当時の与党がナチスゆえに不幸な歴史の中にあったがここでは、それを超えて受けとめようと思う。非ナチ化を経験?大戦後シュトゥットゥガルト音楽演劇大学1953~1971で後進の指導にあたる。1953年来日している。
 ボヘミア出身アントニン・ドヴォルジャーク 1841~1904はチェロ協奏曲ロ短調作品104を1894年に作曲着手、95年6月に全曲完成している。2年半の新大陸アメリカ滞在を終え帰国を果たしたのは95年4月のこと。郷土色豊かな音楽は、望郷チェコとともに、ニューヨークでの恵まれた生活、1892年9月音楽院長就任、93年12月カーネギーホール、新世界交響曲初演成功などを経験から生まれている。
 95年9月からプラハ音楽院長に復職している。その当時R・シュトラウスは、ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずらを初演。1897年のブラームス葬儀にD氏は参加している。そのブラームスは「こういう協奏曲を書けることを知っていたら、自分でしてみたのだが・・・」と話していたという。R・Sはドン・キホーテ、アルトとチェロのための交響詩を97年に発表している。B氏は1887年10月にVnとVcの二重協奏曲ケルン初演していたから、シュトラウス一流のスパイスが効いている。いずれにしてもD氏は、伝統的なチェロ協奏曲を創作したといえる・・・

 指揮者ゲルギエフが両手をゆっくり降ろすも、固唾をのむ聴衆は静寂を守り続け…盛大な拍手が鳴り止まない感動的幕切れとなった。ショスタコーヴィチ(1906~1975)、交響曲第4番ハ短調作品43は当時29歳だった作曲者が自己批判を拒絶することにより初演が1961年12月30日までかなわなかった、彼の作品のピークを成す畢生の音楽、演奏時間67分余りの大作でなかなか取り上げられることのない意欲的な交響曲である。第5番ニ短調作品47(1937年初演)という体制の意向に沿った社会主義的リアリズムを代表する交響曲と対照的な性格を持ち、第2楽章モデラート・コンモート中庸でなお動きをもってのお仕舞いは人生最後の第15番イ長調作品141の終幕とパーカッションによる同じ響きを刻印している。
 この夜の演奏はコントラバス9挺チェロ11アルト13、第2Vn15、第1Vn17という弦5部、ハープ2台、フルート5、ピッコロ2、オーボエ4、イングリッシュホルン1、ファゴット4、コントラファゴット1、クラリネット5、小クラ1、バスクラ1、ホルン9、トランペット5、トロンボーン4、チューバ2、ティンパニー2対、パーカッション5人という118人ほどの編成、そして指揮者という壮観の舞台。キタラ大ホールは満席の聴衆であった。
 楽曲初演年を調べるとレスピーギ、ローマの松は1924年、マーラーの第9とラヴェルの「ダフニスとクロエ」は同じく1912年、ドビュッスィ海は1905年、R・シュトラウスのアルプス交響曲は1915年、プロコフィエフの第4は1930年などなどの初演年で、ショスタコーヴィチの第4番は1936年に完成し、レニングラードで総リハーサルまでの初演直前に撤収している。
 彼の交響曲第4番の特徴は、各部分にピッコロ、バスクラリネット、ファゴット、トロンボーン、トランペットのエピローグなど独奏がちりばめられていて、魅力にあふれる構成に工夫が凝らされた3楽章形式、歌劇「ムツェンスクのマクベス夫人」に対する1936年1月26日プラウダ批判がされた中で、初演に25年の年月を必要としたものである。
 PMFオーケストラは、各パートに、シカゴ交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、クリーブランド管弦楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席奏者たちが配置され、コンサートマスターはデイヴィド・チャン氏で楽器をたっぷり鳴らしていて、精彩を放っていた。教授陣の存在感が圧倒的なドリームチーム編成オーケストラ、その統括者としてワレリー・ゲルギエフ第6代芸術監督が前日夜に到着して、ゲネラルプローベ1回で、仕上げたという奇跡のコンサートであり、ゲルギエフのカリスマ性は遺憾なく発揮されていたといえる。
 当夜の開幕はドビュッスィ、牧神の午後への前奏曲。現代音楽の始まりは、このフルートの開放音で奏でられたといわれる名曲、アカデミー生だけの編成で、その優秀な音楽性は教授陣、ウィーン、ベルリン、アメリカの1か月に及ぶ指導の成果、その上での指揮者カリスマ相乗効果であったといえる。前半二曲目はジャック・イベール1890~1962のフルート協奏曲、独奏は2019チャイコフスキー国際音楽コンクール新設管楽器部門グランブリのマトヴェイ・デーミン、華麗で若々しい演奏スタイルは、躍動的だった。秋元克広札幌市長も聴衆の一人、札幌市行政のサポートもPMF30周年の大きなものだったのだろう。何より、バーンスタインの遺志貫徹が有り、総勢110人余りのアカデミー生、そして裏方マネージャーたち土台の上になりたっている教育国際音楽祭。キタラホールは、21時15分を過ぎても、万雷の拍手、はねた後もステージには教授陣とアカデミー生の交歓が続けられていて、余韻がやまなかった。この後には東京・赤坂サントリーホール、ミューザ川崎シンフォニーホールという連夜の演奏会が待ち受けていて、彼らの凱旋コンサートとなることだろう・・・LPジャケット写真は、ベルナルト・ハイティンク(2003年PMF参加者)指揮ロンドン・フィルハーモニック1978年録音。

 PパシフィックMミュージックFフェスティバルは1990年、北京開催の予定が当時、交響楽団事務局長だった竹津宜男氏の尽力により札幌開催にこぎつけた経緯がある。札幌市長だった板垣武四氏が開会宣言を高らかに、その彼らの遺志は30年の節目を迎えたのである。教育国際音楽祭という発想は、レナード・バーンスタインが人生の終幕に仕掛けた壮大な夢、音楽の架け橋として先輩から後輩へと受け渡す構想である。
 盤友人は、その時、ロンドン交響楽団のタクトを執ったバーンスタインの雄姿を目に焼き付けた、幸運な聴衆の一人であったし、ベートーヴェンの第九、コーラスで参加して、リーフ・ブヤラント氏、マイケル・ティルソン・トーマス氏の指揮で演奏している。PMFオーケストラという音楽学生プレーヤー達の首席には、たとえばフルートではウォルフガング・シュルツ、クラリネットはペーターシュミードル、ホルンはギュンター・ヘーグナー、つまりウィーン・フィルのトッププレーヤーが着席していたのである。夢のような話が実際に札幌では実現されていたというもの。
 今年の7/29、キタラ小ホールではPMFアメリカのグループで演奏会が開催された。ファゴット奏者はダニエル・マツカワ氏、フィラデルフィア管弦楽団首席奏者。ベートーヴェンの七重奏曲がメインディッシュ。前半のプログラムは、ジャン・フランソワ・ミシェル1957~スイス出身の「イーストウィンド」東欧のロマ音楽風、トロンボーンとトランペット、ピアノの三人の奏者版で演奏されていた。ユージン・グーセンスの「パストラーレとアルルキナード」作品41、フルート奏者はシカゴ交響楽団首席のステファン・ラグナー・ホスクルドソン、オーボエはサンフランシスコ交響楽団首席ユージン・イゾトフで、ピアノは佐久間晃子という名人ぞろいである。作曲者は1921年ストラヴィンスキー「春の祭典」英国初演を指揮している。1924年の作品。冷笑的そしてユーモラスな雰囲気の音楽になっている。その後は、サンサーンスのVnとハープ二重奏「幻想曲」作品124、デイヴィド・チャン氏メトロポリタン歌劇場管弦楽団コンサートマスターと、ハープは同じく安楽真理子さん。チャン氏はタブレット操作の楽譜使用でスマート、しっかり楽器を鳴らしていて、ハープのかそけき音からダイナミックな演奏までパリ風の音楽に仕上げられていた。
 後半プログラム、U字型に椅子はセッティングされていて、舞台下手には弦がVn、アルト、チェロ、そして中央にコントラバス、Cbは弓がフレンチボウというチェロ演奏タイプでアレクサンダー・ハンナ彼はシカゴ交響楽団首席奏者。舞台上手は、奥からホルン、ファゴット、クラリネットという風に着席していた。印象的だったのはシカゴ交響楽団首席ステファン・ウィリアムソンが演奏の途中、自分が休止の時、楽器内側の水分取りをしきりにしていたことだった。
 楽曲開始のトゥッティ斉奏の弦と管の合わせがピタリで、対面U字型のセッティングは効果的だったといえる。ところが、ヴァイオリンとチェロの間で、アルトがパッセイジを刻む音楽、演奏を展開しているのを盤友人としては、違和感を覚えた。すなわち、チェロを中央に据えて、ヴァイオリン下手、対面に上手にアルトを配置するというのは、どんなものだろうか? だから、チェロの背面すなわち舞台中央にファゴットとクラリネット、舞台下手にコントラバス、その対称として上手にはホルンを配置する。二重構造としてバックヤードはCb、Fg、Ci、Hr、フロントラインはVn、Vc、Altという具合。無論、奏者たちのアイコンタクト可能な配置である。
 終演後に満席の客席から熱烈な拍手が沸き起こっていたのは、ステージと客席に居たアカデミー生たちとの一体感であったし、みんなが幸福であった・・・

抹茶、コーラ、カフェラテ、甘酒、青汁、水、なんでも来い!というのがタピオカで、今、大流行おおはやりだ。食べるものか?飲むものか?その両方というところであるだろう。女性たちは理屈じゃなく、好みの問題だから受け入れ易いことこの上ない。
  いま時、舞台の上に、ピアノはアイコンタクト優先で、中央に鎮座している。そのうえで客席から見て左手側にヴァイオリン、右手側にチェロが座り両側に開いているのが常とう。ベートーヴェンは三重トリプル協奏曲として、独奏者たちがピアノトリオという見立てで、協奏曲を作曲している。これは、バロック時代の合奏協奏曲コンチェルトグロッソという音楽の発想である。不易流行とは、時代の流れに沿い絶えず新しみを追うこそ、多様化する時代に生きる唯一の道、古来名言とされる所以である。
 レコードというもの、ジャケット写真は時代を映すツールであり、鏡である。ドキッとさせられるから面白い。むかしむかし、顔の白い犬が居ました、尾も白かった・・・面白い話だ。
 ピアニストは言う、響きをまとめる上から・・・だからそれはありえない?かどうか、写真にそれは存在する。ソリスト達はピアニストの背中に、チェロ奏者とヴァイオリン奏者が展開していて、かなめ(要)に指揮者がいるところがミソ。1804年ハ長調作品56は完成している。ピアノトリオ三重奏を協奏曲としてとりあげたのは、合奏協奏曲の近代化で、ベートーヴェンならではの音楽といえる。一説によると素人を独奏者に迎えて・・・というものなのだが、これは、モーツァルトの戴冠式ピアノ協奏曲に共通する。独奏部分も、管弦楽部分も書法は平易であり、M氏の作曲といっても、眉に唾するしろもので、盤友人は聴くといつも疑問が湧いてくるのだが・・・
 ここで、Vnはウルフ・ヘルシャー、Vcはハインリヒ・シフ、ピアノ奏者シプリアン・ツァハリアス、指揮者はクルト・マズア、ライブツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団、1985年コピーライトだから84年頃録音のもの。
 録音自体は、左スピーカーは明確にヴァイオリンとチェロ、ピアノは中央に定位して、これは録音技師の操作で、右スピーカーに低音部分という発想による。
 昨日7/24知人のお宅でオーディオチェックを試みた。電源部コンセントの差し込み方で、極性の統一、ホットとコールド、グランドアース側を揃えることである。11の差し込みで1の字の少し長い方がアースというコールド側である。このサイトを見ている方で、プレーヤー、これはレコードでもCDでも同じこと、アンプ部分も差し込み方が問題なのである。さあ気になられた御仁は、もうオーディオ人として合格!、家の装置をチェックされると新しい世界が、開けること請け合いだ。
 訪問した知人の電源コンセント、一本だけ逆の差し込みだった。アースを揃えて正解、音は変わった。 何をおっしゃる・・・と疑問を持たれることなのだが、やってみて分かるというもの、ピアノの配置にしたところで、いま時ピアノを中央配置にするのが基準になっている。そこを、ピアニストは背中に弦楽器奏者を配して合奏することで、世界は変わるというものである。
 あり得ない話、ではなくて、この時代になって、第一と、第二ヴァイオリンは引き離されたVn両翼配置の時代になった。第一ヴァイオリンの隣は、チェロというのが、新しい展開である。ツァハリアスは指揮者の右手側に位置してピアノの演奏を展開するのだが、工夫するとアイコンタクトも可能な話であり、首を右手側に向けると、大丈夫であるはずだ。不易流行とは、絶えず新しみを取り入れることであり、それこそ、不変の態度なのであろう・・・

 7/16午後7時のニュース、米国大統領は、報道陣の質問に対して、クァイエットゥ!を繰り返し発言していた。問題に感じたのは放送協会の字幕で、だまれ!とされていた事。盤友人は疑問を感じて辞書を引いたら、だまれ!は、ホワッダズ!であって、静かに!というのが正しいだろう。すなわちメディアの発信は、たとえ意訳であってもニュアンスが異なることに対して、細心の注意が必要ということである。
 コゥリドン・スィンガーズ、corydonコリドンがネイティヴに近いのかもしれない。1983年4月ロンドン録音で、耳にしてすぐ気の付くことは、ソプラノの後ろにバスが発声していること。つまり、SATBという合唱のセッティングで日本の多数派とは、違うことだ。女声SAが前列で男声バスは指揮者の左手側、テノールは右手側というステレオプレゼンス定位が決まっている。さらに聴き進んでいくと、左チャンネルにソリスト四人配置されていることがわかる。
 ミサ第一曲はキリエ、エレイソン神よ憐み給え、クリステ、エレイソン、キリストよ憐み給え。第二曲グロリア、神に栄光あれ、第三曲クレド、信仰告白と続いていく。コーラスの醍醐味は、一斉にフルコーラスもあるけれど、アルト、テノール、ソプラノ、バスと自然発生的に単声部がそれぞれ歌い始めるところにある。すなわち、指揮者右手側の開始から左手側へと対話が、魅力、というのがステレオ録音の生命線である。SATBというのは、それらに気が付かなくなるのであるといえる。それは、作曲者が指揮者の背後、客席に居るという前提の上での話であって、二十世紀後半のステレオ録音の前提は、左側スピーカーからソプラノ、次第にアルト、テノール、右側スピーカーからバスという高低音グラデイションの配列、セッティングの前提となっている。
 それは、時代がそうなのであって、これからの時代は、多数派として女声前列、後列が男声という配列を期待する。というのは、オーケストラがコントラバス中央というピリオド楽器録音の興隆により固定観念が覆されて、コントラバスとチェロが、第一ヴァイオリンの奥席というVnダブルウイングが復活した二十一世紀劈頭である。よくオットー・クレンペラーという指揮者を頑固者と勘違いしている御仁もいるのだが、さにあらず、頑固者とは、Vnダブルウイングをタブー視する指揮者に他ならない。すなわち、その御仁の師匠にあたる指揮者たちは古いとして否定した配置がダブルウイングに当たりその教えに従っているまで。その前提を否定すると新しい時代こそVn両翼配置である。
 録音技師にとって、右側スピーカーから低音楽器が聞えた方を良しとする。それは分かり易い話しなのだが、作曲者の舞台パレットは、第一と第二ヴァイオリンの対話こそ、対比コントラストになる。ところが、時代として、高音域低音域という対比で育った耳には、なかなか理解に時間がかかる、慣れという問題がある。ソプラノとバスは、和音の上で外声部すなわち、近しい関係にある。テノールとアルトは内声部という長調か短調か調性を決定する役割がある。和音というのは、和する、調和する音と云うまで。
 コゥリドン・スィンガーズは、10名ではなく2~30名程度の中編成のアンサンブルに聞こえる。これは聴いた上での推測であって正確なことではない。マシ(テ)ュウ・ベスト指揮のコーラスは、小編成にあらず、多すぎもせずに声部の厚みがしっかりしていて、大変聴きごたえがある。
 オーディオは何のためにあるのか? 贅沢ではなく、ステレオ定位などの解析向上にある。お金がかかる、ではあらず、お金をかけるのはそのためにある。60ヘルツ変換器を購入して飛躍的な向上を図り、合唱音楽が一段と面白味を増した気がするのは・・・

 シューベルトはベートーヴェンの音楽を、楽々に超えて大輪の花を咲かせたエピゴーネンにあらずして、真に偉大な後継者、そして青年は荒野を目指す・・・
 古典主義からロマン主義への展開とは、確立された形式から感情主体でありながら、なおかつ、あふれ出る情熱の自由な発露、そして永遠なる王国としての花園という自由な精神世界を創造する。ピアノトリオとは、ヴァイオリンとチェロ、そしてピアノによる合奏音楽、室内楽アンサンブル。三名の演奏家が、丁々発止、それぞれに音楽する。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンというウィーンの作曲家により名曲は確立されて、特にB氏の大公トリオという巨大な名曲をピークに、さらにそれを超える高みにまで作曲と云う芸術作品を築き上げたのがシューベルトのトリオ第二番変ホ長調作品100。彼の死の前年、1827年の創作で第一番変ロ長調作品99に続く大曲となる30歳の作品。アレグロ快速に、アンダンテ・コン・モート歩くようにゆっくり、動きをもって。スケルツォ諧謔かいぎゃく風に、アレグロ・モデラート快く中庸で、という四楽章形式。ローベルト・シューマンは、より第二番を好み、痛み、激痛を感じる音楽として受け止めている。それは多分にベートーヴェン・ロスというS氏にとって精神世界のビッグバンである。第二楽章で、そして陽は再び沈むという民謡を主題にした音楽は、ロマン派の真髄である。
 パブロ・カザルス1876.12/29スペイン・ペンドレイ~1973.10/22プエルトリコに没した20世紀最大のチェリスト、指揮者、4歳でピアノ、11歳からチェロを学びバルセロナ市立音楽院に進学、1896年から演奏活動を開始、1939年スペイン第二共和政崩壊とともに、フランス、ピレネー近くのプラドに隠棲した。
 カザルス・トリオはアルフレッド・コルトーのピアノ、そしてジャック・ティボーのVnという豪華メンバーによる。1950年プラード・カザルス音楽祭は、アレキサンダー・シュナイダーVnの提唱により開始された。カザルスの偉業は、30年代バッハ無伴奏チェロ組曲を発掘したことである。チェロの演奏を飛躍的に拡張して、精神性をして価値ある音楽にまで高めた。シューベルトのトリオ第二番変ホ長調は1952年のライヴ録音、アレキサンダー・シュナイダーのVn、ミショスラフ・ホルショフスキーのピアノ。三者三様でありつつ格調高い歌謡性にあふれた展開を披露する。室内楽の原点ともいえる、名演奏のフィリップス録音。荒々しいまでに劇的な演奏か?というと、さにあらず、淡々と脱力し歌心溢れた演奏、スウイングたっぷりのメロディーに、心地よいリズム感、即興性、劇性に富み実演でありながら、傷は皆無で、当たり前と云うとそれまでのことなのだが、完成度、芸術性ともに高い不滅のレコードなのである。
 カザルスは1971年10月24日ニューヨーク国連本部で、鳥はピース、ピースと歌うと発信したカタルーニャ地方、鳥の歌は万感胸に迫る、記録である。彼の信念は戦争の経験をもとに、平和の尊さを志向した不屈のメッセージ。NHK交響楽団首席チェロ奏者、早逝した徳永兼一郎氏、終末期ホスピスで気力だけの演奏を果たし、TVドキュメンタリー番組で盤友人は視聴している。チェリストを志す人は、カザルスを目指し、LPレコードの再生は、その高みを目指して登山を続けるという愉悦に連なる。演奏するとは何のためにあり、いい音とは、いい音楽とは、ぜんぶ、ここにある。演奏家、そして鑑賞、音楽する全ては、カザルスにつながり、シューベルト、ベートーヴェン、バッハそれはそれは、尽きせぬ努力の目的である。ウィーンは永遠の都、第二のローマなのかなあ?

 文ひらき月、ふづき、季節は秋で七夕に由来する名前、えっ、秋だって?これから夏だというのに・・・これは旧暦の話で、新暦の7月でも3日は水無月の朔日ついたちに当たるから観念のスイッチを効かせる必要がある。
旧暦で云うと今年の七夕(季語、秋)は新暦8/7で、8/8が立秋だ。
 セルジュ・ボド1927.7/26マルセイユ生まれは、1981.4/24札幌厚生年金会館第214回札幌響定期公演のタクトを採っている。メイン曲はサンサーンス、交響曲第三番ハ短調オルガン付き(平部やよいorg)、精緻な演奏に仕上がっていて、何より、演奏者たちの指揮者に対するリスペクト感がひしひしと伝わり吉田真吾さんのティンパニー連打で圧倒的名演奏の幕切れを印象付けていた。
  サンサーンスのこの名曲、LPレコードではポール・パレー指揮デトロイト響マルセル・デュプレorg<57年録音>やシャルル・ミュンシュ指揮ボストン響ザムコチアンorg<59年>、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管スゴンorg <62年>、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管ビッグスorg <62年> 、プレートル指揮パリ音楽院管デュルフレorg<63年>、マルティノン指揮フランス国立放送管マリークレール・アランorg<70年>、カラヤン指揮ベルリン・フィル、ピエール・コシュローorg<81年>などなど目白押しの名演奏で共通するのは豪放の、豪快な傾向のもの。そんな中で、セルジュ・ボド指揮ロンドン・フィル、ジェイン・パーカー・スミスorg<82年>のEMI録音はワトフォードタウンホール収録ディジタル、83年スコットランドでのオルガン後採りによるもの、ジェインは佳人オルガン奏者で異色盤、この後採り方式はカラヤン指揮コシュローorg盤パリ、ノートルダム寺院での後採りでリリースされ話題盤だった。
 オルガン交響曲は1886年5/19、ロンドン・フィルハーモニーソサエティの作曲者指揮演奏会初演になる。第1楽章の後半部はポコ・アダージョ少し緩やかで、一説によるとサンサーンス、ご自身の令嬢逝去を悼んだレクイエム鎮魂の曲といわれる。ここに軸をおいた演奏が、ボド指揮の音楽に当たり、ミュンシュ指揮のような即興性に重きを置いた豪放磊落な演奏とは一線を画している。すなわち、ボド指揮盤はクレッシェンドも時間をかけてダイナミックス強弱の幅も大きい。そして、ピークの時、トランペットの吹奏は、けたたましさと無縁のものに決めている。抑制の美学、これは、曲の開始から一貫して大団円に至るまでキープされているのが、よく伝わることになる。
 口はばったいけれども、第一と第二ヴァイオリンの掛け合いなど、これらのLPレコードでは左のスピーカーだけで行われていて、Vnダブルウイングでは、左右二つのスピーカーで実現される話である。モノーラル録音の世界ではあるけれどトスカニーニ指揮NBC交響楽団クックorg<52年>のものは、格調高い両翼配置型による名演奏。札幌交響楽団620定期公演ユベール・スダーン指揮orgシモン・ボレノ第20代札幌コンサートホール専属オルガニスト、大変立派な演奏会だった。実演で聴いて分かることは視覚の上でも、中央にチェロとアルト、舞台両袖にVn群というのが理想なのであって、現代主流の第一と第二ヴァイオリンを束ねる配置は、正に、片手落ちの演奏だといえる。評論家たちが誰もこのことに触れないことは、時代転換期においてそれが誰の仕事か? 問われているのである。
 6/23Eテレでベートーヴェン交響曲第5番ハ短調ホルスト・シュタイン指揮NHK交響楽団1992年4月演奏が放映された。テンポはアレグロで、プレスト風のものではなかった。Vn奏者の弓さばきアップダウンが印象的で、一糸乱れない、389小節目全休止も指揮振りは一瞬溜めたもので、全演奏者と客席双方の緊迫感を高めていた。そこのところに一瞬でもブウイングが入ると、膨らんだ風船に針を刺すようなものになることだろう。テンポをさらに一段階緩めると、無意味化が果たされる。すなわち、作曲者のものとはならない証の瞬間である。
 「運命」の緊張感を高める演奏は、2008年小澤征爾指揮のNHK響、第一楽章終了で拍手が起きたことがあるほどである。ところが両翼配置型採用トスカニーニ指揮のものなどは、ステレオ録音になるとすると、左右スピーカーの掛け合いがものいう配置となる。これは、時代というもので、音楽としてはこれまでを保守するのではなく、その否定する指揮者たちが出現することを待望するまでだ。テンポのアレグロ「快速に」は、快いテンポということであって、プレスト「急速に」に傾いてはならない。
 シュタイン指揮を否定するのではなく、これからの演奏の有り方として新時代到来を体験したいものである。ちなみに、ボド指揮の「オルガン交響曲」もそこのところ一時代前の配置解釈といえる。これは否定するための評言ではあらず、これからの指揮者たちに期待することなのだ・・・

 リコーダーという縦笛は、息を吹き込みながら指孔を押さえたり開いたりさせることにより演奏する。このとき、息の圧力と楽器共鳴する関係や指使いの妙技性に、面白味が発揮されて、その空間に鳴り響く音楽は技術と高い精神性の発露として時間藝術の真髄を経験することになる。
 バロック時代は、バッハやヘンデルの他に、テレマンというビッグネイムがある。バロックから古典派の移行期にドイツを代表する作曲家ゲオルク・フィリップ・テーレマン1681~1761はライプツィヒ大学で法律を学びながらも音楽的才能を開花させてのちにハンブルクで活躍した。聖職者の家庭に育ちオルガニストの地位から、既成の枠を超えた活動をした。ゾーラウ、アイゼナハ宮廷、フランクフルト、1721年にはハンブルク市の音楽監督に就任、宗教音楽のみならず世俗音楽の作曲家として当時から有名な存在であったといわれている。平易な音楽、力強さや華麗な技術を遺憾なく発揮させる音楽づくりに貢献している。絶大な人気を博し、各国の器楽様式とジャンルを百科全書的にまとめた「ターフェル・ムズィーク」「忠実な音楽の教師」ほかに受難曲、教会カンタータ、ハンブルク・オペラなどなど、イタリアにはヴィヴァルディ、ドイツにはテレマンといわれるほどの作曲家である。日本ではバロックというとヨハン・セヴァスティアン・バッハが有名でも、ドイツでは当時から人気の作曲家として活躍していた。
 リコーダーは、音域的に高いソプラノ、ソプラニーノがあり、中音域ではアルト、テノールそして低音域ではバスという多種類の旋律を担当する吹奏楽器だ。合奏するのは通奏低音、数字付き楽譜をもとに即興的に低音声部を担当するチェンバロなど鍵盤楽器と共に、ファゴットやチェロが最低声部を演奏し合奏する。ドイツ語によるとゲネラルバス、イタリア語ではバッソコンティヌー、英語ではトゥ(ス)ルーバスといわれる。三種の楽器による演奏は、ハイドンやモーツァルトではピアノトリオ、すなわちヴァイオリンとチェロ、ピアノの音楽へと発展した。フランスではラヴェル、イギリスではジョーン・アイアランドに名曲があり歴史としてその源流に当たるのがテレマンのトリオ三重奏になる。
 ミカーラ・ペトリ1958.7/7コペンハーゲン出身のリコーダー奏者で、演奏会に足を運んだ人は、本当に美しい人、その美貌に感動しそして天才的な高い技巧に圧倒されるという。リコーダーは小学生でも演奏可能であって、なおかつ、長い演奏経験を積み重ねると、フルートやヴァイオリンに比肩する楽器に変容する。一般にか細い音色と思われがちなのだが、どうしてどうして、突き抜けるような音から、柔らかい音色まで幅広い音楽を表現する。チェンハロ(ハープシコード)やチェロの音量に負けることなく、心に届く音楽を演奏する楽器である。リコーダーで合奏するのも楽しく、独奏する旋律楽器としても抜群である。ペトリの音楽性は、確実な技術、幅広い表現、豊富な演奏経験と云う三拍子揃ったリコーダー音楽を提供してくれる。その技術と魅力は多数のLPレコードで鑑賞できることで、コレクター冥利に尽きると云えるだろう。弦楽器や鍵盤楽器のほかに、吹奏楽器としてのリコーダーは、音楽の鑑賞として幅を広げてくれる。器楽の鑑賞は、自分が演奏するのもそうなのだが、かなわぬ演奏を聴くことにより鑑賞行為を高みにまで拡幅させるものである。受け身としての鑑賞を、一体感を共有することにより、能動的に参加するという、なかなか微妙な世界が待ち受けている・・・・・

 知人のオーディオルームに招待されて、スピーカー設置の考え方、実験する機会を持った。 その人は普通にダウンロードや、LPレコードを聴いていた。そして、小型スピーカーをハの字にしてリスニングポイントを構えていた。
①スピーカーの設置は、一列が原則。ABチャンネルを並べて、中央空間を確保する。
②すなわち、ステレオ録音では、定位ローカリゼイションという感覚を実際に表現するために、中央の音の厚みを実現する必要がある。モノーラル録音では、二個のスピーカーの総体により、ひとまとまりの空間を表現するために中央空間を設定する必要がある。ということは、二つの間隔は開け過ぎず、狭すぎずにする調整が必要である。聴いて判断するので、じっくり耳を傾けることが必要。
③そのとき、ソースとして、音数、音の数として一つあるいは二つ、そして四つと少ないもので確認すると、割合に空間の実際を聞き分け易いのである。特に、チェロとピアノの時、チェロという楽器のボディ感覚と、ピアノの音の伸び方に判断するポイントは有る。ここで焦点を確立することにより、オーケストラものなど、自然に定位はプレゼンスするから不思議と云えば不思議である。管弦楽で焦点を判別しなくとも自然に成立する。
 スピーカー設置の実際は聞こえ方が、じっくり聴くことによりチェックする必要があり、原則として、スピーカーは空間が中央にあってその姿を消すことが最終目標となる。だから、ヘッドフォン的感覚ではなく、楽器空間、そのように発想することが原則だ。
 ひるがえって、ベートーヴェンの交響曲第5番運命の第1楽章テンポの設定は、思いっきりゆっくり演奏してみて、具体的に指摘すると346節目から始めて389小節目の全休止を確認すると、その不自然さが浮き彫りとなることだろう。間違いの「間」と云うことである。音楽としていかに不自然であるか指揮者、ならびに演奏者は実感することになる。いつも通りのテンポで繰り返されても、気が付かないということである。
 盤友人が44年前に出会った小節数は、提示部124、展開部123、再現部126、終結部128という総計で501小節。楽章の開始は、八分休符であることから、楽章最後の和音で500小節の音楽と云うことになる。作曲者の感覚としては、わざわざ、完全を目標にしているのだから、502という一小節分多いということに気が付くのは自然の成り行き、389小節目の全休止は、「音楽には間が大事」という感覚により、後付け理由で成立している。
 指摘しなければ気づかれないことなのだが、123と124小節目では全休止が二小節分確保されている。ベートーヴェンは実際に「間」は確保しているのであり、「389」節目の全休止をしない演奏として、ニキッシュ、山田耕筰、パウル・クレツキらが指揮したものに、その「間」は設定されていない。ただし、クレツキ指揮するソースは、南西ドイツ放送交響楽団のものと、チェコ・フィルハーモニーの二種類があり、後者には「間」が有る。
 作曲家の諸井三郎氏は、昭和25年の解説では501小節でありながら、その翌年には、502小節の解説を残している。すなわち、諸井氏自身も501と502小節の数字は、2種類残していたことになる。どういうことかというと、現実389小節目の「間」という現実の全休止を否定しきれていなかった現実がある。「間」説が有力な時代で現実が優先されているのだ。124、123小節を足すと247というのは、第2楽章の数字と一致して、126小節を足すと、373小節それは第3楽章の小節数と一致することなどから、それを根拠として、数字の完全性を前提として、かの「間」を間違いだと断定することになる。
 現実の楽譜を否定することは、有力な理由が認識共有されることなく実現できず、不可能なのは現実なのだが、その存在理由を認識することは、必要なのだろう。盤友人として、44年間、確信がゆらいだことは無く、ブライトコップ版楽譜に疑問を提出するだけである。
 オーディオライフは、そのためのものに過ぎない・・・・・中国大陸、朝鮮半島、日本列島、そこに生活するのは、等しく「人間」がいるだけなのだろう。ベートーヴェンも同じく「人間」である。

 
 交響曲はシンフォニー、すなわち三声部の旋律を基本として仕上げられた合奏曲をいうのであり、管弦楽とティンパニーが組み合わせられていて音楽を構成している。ということは、舞台に楽器がどのように配置されるのかは、指揮者と管弦楽奏者の理解を前提として成立する。一般的に、オーケストラはその時代経過により合意が形成されていて、その背景を探ることが指揮者たちに要請されているといえる。2019年の時点で、大きな転換の潮目を感じているのは盤友人だけのことなのだろうか?たとえば、NHKのクラシック音楽館では、同じオーケストラが異なる弦楽器配置で演奏が成されている。これは、1960年代からTVを視聴してきて新しい経験なのである。
 交響曲第5番ハ短調作品67は、1808年12月ウィーンで初演されている。テアトル・イン・デア・ウィーンという場所からして聴衆の数は千人を超えてはいない。その半分以下で現代日本の千から二千人程度のホールから考えるとき、演奏者編成の規模も初演の頃のコントラバスが三人程度から、現代では六人前後という倍くらいの増加をみているのだろう。楽器自体も構造は進化しているのである。だから1980年代から時代ピリオド楽器の演奏が試みられているのは、一つの時代背景なのであって、音楽観が再考されるきっかけを迎えたといえる。
 第五番は、当時の楽器編成にピッコロ、コントラファゴット、アルトトロンボーンほか三種という五本の管楽器が加えられている。そして、開始部は弦楽五部と同時にクラリネットの吹奏が加わり、総譜を開くと、音を出している六段と休止している楽譜とのコントラストが図られている。初演当時ではヴァイオリン両翼配置が前提であり、指揮者の左手側に、コントラバス、チェロ、第一ヴァイオリンが座席している。その右手側には第二Vnとヴィオラ=アルトが配置されていて、その奥にはクラリネットが座席していると想像される。すなわち、フルートとオーボエの後ろにはファゴットとクラリネットという配置で、コントラバスの対称としてホルンが座席し、その奥にトランペットとトロンボーン舞台中央にティンパニーが要である。よく考えると、シューベルト、未完成交響曲開始部のオーボエとクラリネットの斉奏ユニゾンは、演奏者、前後していた方が舞台上のポイントとして作曲者想定する配置なのだろう。
 特にホルンは、楽器の構造からして舞台上手に配置された方が、音響として支配する空間は広いといえる。もっとも、ホール自体、シューボックス型からワインヤード型という変遷も時代変化の要因となり、楽器配置の多様性をみている。そのことは、初演された当時を探ることが要請される現代だといえるのだろう。特にVn両翼配置が成立する左右対称感は、現代主流となっているヴァイオリンとコントラバスを対称にする指揮者右手側低音部という感覚と対立する音楽である。
 第三楽章から終楽章に推移するティンパニーの最弱音の連打は、舞台中央に位置するこそ、肝であるという感覚は、指揮者が一番受け止める音楽として自然なのである。中央にチェロとアルトが座席して指揮者の両手にヴァイオリンが展開するのが、両翼配置の意図である。さらにいうと、チェロのオクターブ下でコントラバスが支えることにより、舞台下手に座席するのがベストになる。
 ジャケットの写真として、1972年コピーライト、チューリヒトーンハレ管弦楽団、指揮者ルドルフ・ケンペのものは、まさに、その通りの配置になっている。ところが、レコードを再生すると録音は右スピーカーから低音部コントラバスが配置されていて、腰を抜かしてしまう。録音の前提としてコンセプトは、聞いてわかりやすい高低グラデイションであるのだがこれは1970年台の多数派形成するものであったのだ。それから時代は五十年近く経過した・・・

 LPはモノーラル録音による世界からステレオ録音のものへと進化している。1944年頃既にドイツでは開発されていたものであるけれど、1955年頃を境にステレオ録音は定着している。カール・ベーム1894.8/28グラーツ出身~1981.8/14ザルツブルク没は、グラーツ大学で法学修得の経歴を持つ異色の指揮者、ウィーンで音楽理論を学んでいる。彼はドレスデンでリヒャルト・シュトラウスの作品初演指揮を経験している。「無口な女」「ダフネ」。ベームがザクセン州立ドレスデン管弦楽団を指揮したアルプス交響曲(1915年作曲初演)は、1957録音でモノーラル録音後期の優秀録音。
 盤友人はおよそ30年余り前、東京都港区浜松町のオーディオショップで手に入れた。当時の価格で1万円。清水の舞台から飛び降りる思いで他に、ハスキルが弾くシューマン、子どもの情景エピック録音のモノと購入。オリジナルLPレコード経験である。なにゆえ、これほどの高額なのか?中古レコードの世界ではゼロの数字が四つや五つ、普通である。オリジナル録音と云うプレミアムは何物にも代えられない価値による。国内LPレコードでモノラル録音と云うと500円くらいの相場、比較にならないものがある。
 モノーラル録音には、カートリッジをモノーラル専用の針を必要とする。もちろんステレオ針でも再生可能ではあるけれど、専用針は出力する世界が異なる。左右の広がりこそないけれど、奥行き感は、抜群である。すなわち、金管楽器が舞台奥から吹奏する音楽の上に、手前の弦楽器の演奏は、マイクロフォンの実力が遺憾なく発揮される。だから、扁平ではあらず立体感充分な音源でオーケストラ録音はなされている。この経験は、オーディオ経験をした仲間には共有する感覚と云える。それは、アナログ世界の原点であり、ベーム指揮したアルプス交響曲は、すさまじい力感が記録されている。開始の200秒ほど、日の出の場面では静寂、夜のとばりから時の経過とともに差す一条の日の光を、絶妙に描写している。コントラバスのうねりから、鉄琴の一音まで緊張するひと時は息をのむ一瞬であり、その後に続くブラスの彷徨は光のシャワーを表現するにふさわしい。この感覚は、デジタルとアナログの一線を画するソースである。
 ドレスデンの歌劇場管弦楽団はおよそ四百年の歴史を有していて、ウエーバーのオペラ魔弾の射手、初演の歴史がある。とにかく、弦楽アンサンブルの音程、ピッチの正確な感覚は抜群に素晴らしく、管楽合奏の実力は他の追随を許さない、孤高のオーケストラだろう。
 古都ドレスデンは第二次大戦で連合国軍の空爆を受けて、大変な被害を受けていてそこから立ち直った歴史は、ドレスデンの底力を発揮した人々の知られざる努力の集積から達成されたものといえるのではないか。かの録音は終戦から12年という短期間で成し得た人々の心底から歓喜の記録といえる。
 千曲万来余話は、おかげさまで、500回の折り返し地点を迎えた。五年間あまり時間の経過があり、ここまで至ることができたのは、電子書籍としてこのサイトをご覧になる皆様の存在がある。東京、大阪、名古屋、札幌他様々の地域にわたる。もしサイトアクセス0の日が続いていたら、成立しないブログで、1日に数百のアクセスを経験し、盤友人としてはそのことに感動する日々である。サイト発信する愉びを皆様と共有できる幸福感はなにものにも代えがたい。このサイトで数字を多用する理由は、それが、正確か不正確かの判断材料になることにある。信用問題を抱えてのブログ発信と云うことで、さらに用心して頂上から下る歩み(くだらない話かも?)を発信していこうと思う次第・・・

 先日、札幌文化交流センターのスカーツコートにてモーツァルト研究の泰斗、海老沢敏先生のレクチュアコンサートに足を運んだ。彼は盤友人が学生時代から文献で親しんだビッグネイムでその出会いからかれこれ50年くらい経過している。先生の文章は音楽史に則り、エピソードが具体的で興味深い、モーツァルト研究に必須の世界である。この夜も、ケッヘル番号の説明から始まりマリア・テレージアとの関係、ザルツブルグ時代からウィーンへの展開などなど魅力的なお話をされていた。時間も三十分ほど、客席を前にして一点に視線を向け、昔から変わらない話す速度で穏やかな口調、もちろんノー原稿、そのきっちり守られた時間配分に経験豊富さを感じさせ驚きを禁じ得なかった。この秋、米寿を迎えられるという。
 こちらは、交流電源60ヘルツ変換器を使用する段階を迎えて、新たな展開を見せ、名古屋から大阪以西方面「スピーカーの鳴りっぷり」、そちら在住のみなさんにとって気が付かれないだろう世界を経験した。前提とする50ヘルツ世界を経験しなければ分からないはずである。だから60ヘルツとの違いは両方を知って、初めての経験となる。それは演奏する躍動感が克明になりワンランク高みのオーディオ展開である。
 英国ヴァージンクラシックスのLPレコード、1988年コピーライトのもので、チャールズ・マッケラス指揮、オーケストラ・オブ・ディ・エイジ・オブ・エンライトメントによる。時代楽器使用の管弦楽団。当時から指摘されていたのは、Vn両翼配置。中央にアルト、チェロが配置され上手にコントラバス、手前に第二ヴァイオリンが座席している。交流周波数が変換されて一段とその世界が如実にリアライズされる。
 両翼配置の効果と云うのは、第一が左側、その対向として第二ヴァイオリンが右のスピーカーから聞こえることになるのは、作曲家の意志に忠実と云うことである。つまり、第一と第二を並べるのは演奏者のハードルを下げただけどころか、カチャカチヤ演奏する無意味化された事態から、にわかに、意味を持つシートに第二Vnが座ることである。これは、そんなこと意味ないとする判断が、演奏者優位の発想であり、作曲家の立場に立つと納得が行く音楽である、ガッテン!それは、道徳的犯罪を犯しているといえるだろう。それほどの大問題でそう云える時代展開だ。
 マッケラスの演奏は、テンポの設定が、わりと軽快、ということは速すぎないということで、楽器自体がモダン楽器と異なり、重たくならないのである。速すぎるのは具合が悪いのであって、程よいテンポのキープこそ、管弦楽の醍醐味である。強弱の刻印がこころよく伝わる音楽こそ必要であってアレグロとプレストの区別こそ必要な態度である。
 両翼配置を提案すると、最初、あんたは原理主義か?と嫌う人がいる。そういう人は、現在がどういう歴史背景か考えるとき理解可能となる指摘と云える。原理主義と云う指摘は、態度としての否定的反応である。経験すると氷解する音楽が、両翼配置である。理屈でいくと、まるで分からないのであろう。議論をするとき、経験のあるなしは、前提とする立場が異なる。意味を理解するのは、理屈にあらず、経験でしかない。エイジオブエンライトメント、言葉の意味する開明期とは、作曲者の時代であり、そこに還れ!という発想は、現代に対する問題提起にほかならない。現実の展開は、世界大戦によるドイツ文化の否定が一因であることは否めないもので、アメリカ型配置が席巻したのは意味ない事ではない。第二Vnとチェロが交換されると済む話は意外に「コロンブスの卵」的展開である。シューベルトはじつに偉大だ!・・・

 晩さん会というと、管弦楽の演奏がふさわしい。特に弦楽アンサンブルは最少人数でコントラバスが一人とすると、チェロとヴィオラは二人ずつ、Vnが第一と第二で四人ずつの場合、合計十三人編成になるる。モーツァルトのセレナードでは、打楽器を必要としない。ここに、クラシック音楽特有の特徴があって、ドラムスセットは出番が無いところ、ポピュラー音楽と一線を画す。 ということは、演奏自体に、メロディー、ハーモニーそしてリズムの役割分担がなされていて、第二Vnとアルト=ヴィオラが受け持っているところ、実に面白いといえる。このことは、楽器配置の意味とも重なっていて、最低音域と、Vn旋律のあしらいを考えた時、Vnダブルウィングというキーワードが時代を象徴することになる。チェロとアルトこそ、中央に配置されると、俄然、アンサンブルは精気を発散するところが味わいと云えるだろう。さらに、ヴァイオリンという楽器の構造こそ、チェロとアルトと相違する所以であり、そこのところ、ヨハン・セヴァスティアン・バッハ 1685~1750はBWVバッハ作品番号1001~1006で無伴奏のソナタとパルティータを作曲している。1720年頃ソナタの楽譜浄書が記録されていて、アントニオ・ストラディヴァリ1644~1737と時代が重なっているのは興味深い。三曲のソナタ、楽章数は四曲、パルティータは六曲前後で前奏曲、舞曲から編成されている。
 LPレコードを収集していると、正規盤とプライヴェート盤の違いの他に、メジャーとマイナーレーベルの違いにも出会う。ドイツでいうとインターコード、ベーレンライター、ムジカフォンなどなど。このマイナーレーベルに登場する女王に、スザンヌ・ラウテンバッヒャー1932.4/19アウグスブルク出身がいる。彼女はヘンリク・シェリングに薫陶を受けているから、カール・フレッシュの孫弟子と云えるかもしれない。
 無伴奏ソナタ第三番ハ長調BWV1005はとりわけ、名演奏といえるできばえのレコードになっている。並みいる名演奏の歴史の中でも抜群のディスクだろう。肩の力こそ抜けていて、その上で格調高く歌い、充分な鳴りっぷりの演奏が記録されている。これは、すべてのレコードに云えるのではなくて、このスージーのみの偉業と云えるのである。
 ヴァイオリンの演奏と云うと、意外に力が込められていて、弾く方も聴く方も肩に力が入るのであるけども、ここでの演奏は、肩透かしをくう。力んでいないことがすぐに分かる。すなわち、楽器構造としてスイッチ切り替えがあって表板と裏板の振動が発揮されるのではなく、演奏者による魔法マジックでもって、そこの切り替えが図られるのだ。不思議な技術、それを身に着けてこそ名人のクラスと云えるだろう。ちなみに、聴く方もこのことに気が付くかつかないかで、趣味の世界が広まるというもの、第二ヴァイオリンが指揮者の右手側にシートする意義、客席に裏板を向ける意味が生まれる理由がそこにあるのである。
 スージーは、既にその記録を果たした女王であり、マイナーレーベルといえども、日本の企業がリストに漏らしているだけで、コレクター冥利に尽きるドイツのLPレコードと云えるだろう。価格と云うと破格であるのだが、貨幣対効果は、支払った人にしか分からない世界でたとえていうと、ガラス玉とダイヤモンドの違い、見た目ですぐ判断が付くというものである。至福の時間を手にするか否かは、清水の舞台から下をのぞく思いがするだろうけれど、盤友人は、それを愉しんでいるかもしれない。満月は一年間で十二回出現するのだけれど、それくらい、否、それ以上満喫できるのがLPレコードの世界である・・・

 ある人はその授賞をことわり、Y氏は国民から頂いたものだと発信する。眼光紙背に徹する論客は、みごとにその力を発揮して誤解を糺す。文化勲章は歴史の積み重ねの上にあり、お上から授けられるものにあらずと云う指摘であって、さすがだ。国民の一人として歓びを共有したい。
 シューベルトは、ベートーヴェンと同じくウィーンに住み、ただひたすらに、ピアノの作曲に偉業を残している。月光ソナタは1801年、ジュリエッタ・グィチャルディに献呈された名作。シューベルトは、1828年頃、楽興の時を楽譜出版している。六曲構成で第3曲はロシアの唄、1823年作曲になる名曲、「音楽の泉」開始のメロディーとして有名、盤友人の小学生時代で堀内敬三氏の名解説だった。ズッチャズッチヤ・ズッチャズッチャ、タッタリラッタ、タリラタリラータリラーラ・・・。
 この前の第2曲は静謐の音楽で、余り実演で聴くことのない秘曲。クリフォード・カーゾン1907.5/18~1982.8/1ロンドン、彼は多数のレコード録音をベーゼンドルファーで記録している。楽興の時を再生するとスタジオではなく、ホール録音の可能性が高いことが分かる。優秀録音。この第二曲を幾度となく耳にしていて、序奏から三連符の音楽に移る時、ああシューベルトは月光ソナタの音楽の経験から彼の世界を照らしていることに想いが展開したものである。下敷きというのは正確ではなく、あたかも悲愴ソナタ第二楽章を「逝ける王女のパヴァーヌ」に書き換えたラヴェルの如く、アウフヘーベン、止揚を果たしたシューベルトの真髄である。
 現代で耳にする多数のレコード録音では、ピアノ表記の多数はスタインウエイ使用のもの。ピアノというと、華やかで軽快、高音域の音質は倍音が豊かてある。ところが、ウィーン製のベーゼンドルファーというと、低音域の豊かな倍音に、グランドピアノの実力を知らされる。昔のウエストミンスターレーベルでは、ハンガリー系女流のエディト・ファルナディが使用していたピアノで、耳に親しい音色であった。その当時、モノーラル録音では、ベヒシュタイン、グルトリアンなど多彩なピアノの音色が花盛りだった。それがデジタル録音の時代になると、多数派はスタインウエイに絞られて、なぜなの?と想われる時代になったといえる。ステレオ録音LPでは、まだ、ベーゼンドルファーが生き残っていて仕合わせである。多分その演奏技量というハードルの高さゆえの現象で、ベーゼンドルファーピアニストは選ばれた世界に推移したものであろう。
  ドイッチュ番号780作品94、「楽興の時」はベートーヴェンロスの世界、果たして人生の深淵を垣間見るひと時で、まさに時間の芸術として、その再生はオーディオ世界の醍醐味といえる。ベートーヴェン、シューベルト、カーゾン、この三者に共通する生涯青春の人生は、ある意味、豊穣のピアノ音楽の粋である。それは、あたかも水墨という夢幻の世界に遊ぶ、永遠という一瞬の刹那であり、女性たちの対岸にいるという希望の世界なのであろう。絶望と云う暗闇を知るものこそにのみ、光差す時間…
 情報に溢れた現代で、200年前の音楽的意義を求める趣味は、それなりの対価を必要とする。交流電源が、50ヘルツという前提から60ヘルツ周波数転換を目前にして、そんなことをKT札幌音蔵社長は実現する。その後に用心しなければ、相当なジャンプ、着地に失敗する危険でくわばらくわばら・・・
 ベートーヴェンには、ジュリエッタがあこがれで衆知の世界、シューベルトはそこのところ微妙だ。それはピアノ、といっても、現代のグランドピアノと別世界であったにしても、オーディオに相応しい世界に遊ぶ・・・