🎼 千曲万来余話 by盤友人

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 アーノルト・シェーンベルク1874.9/13ウィーン生まれ~1951.7/13ロスアンジェルス没は、新ウィーン楽派の泰斗、十二音技法ドデカフォニー音楽の創始者。1936年に作品36のVn協奏曲、1942年には作品42でピアノ協奏曲を創作している。
 盤友人はミュンヘンでアルテピナコティーク、日曜日だったので無料観覧を経験している。圧倒されたのはルネッサンス期その細密な画風の宗教画で、その物語性や画面の迫力に強い印象を覚えていた。音楽でいうとバロックではあるが、ヨハン・セバスティアン・バッハの多数の傑作に近い感覚があった。具象画の絵画は、調性音楽というと正確ではないけれども、大体のところに近親性がある。美術史でいうところのセザンヌ、印象派が色彩と光の感覚に注意が向き始めたことは、カンディンスキー、表現主義の誕生という歴史の展開があるといえるだろう。
 ウィーンでは、モーツァルトの音楽が市民革命と同時期に誕生していて、第一次大戦の頃、シェーンベルク(1941年USA市民権獲得)はコンテンポラリー音楽、いわゆる現代音楽、同時代の音楽を展開させている。なんのことはない、メロディー旋律線というものが自由自在に作曲されていたところに、点と線のメロディーという発展を始めたのである。
 音と音楽は微妙に、イコールとはいえない。どういうことかというと、演奏することにより、躍動感が発揮されて音楽というダイナミックな芸術となる。もちろん、作曲と演奏という両方の行為の上に成立しているのだが、演奏者に対して鑑賞者がいてはじめて認識される。というか、演奏行為と鑑賞行為の両方の上に音楽は展開される。三要素というと、リズム、メロディー、ハーモニーということを教えられていたのだが、コンテンポラリーでは、音程、時間、音色という三要素に変貌している。すなわち伝統のメロディー旋律は、ただの線から「点と線」へと変化しているのだ。そのとき、鑑賞者は旋律線を期待していると、意外なことに、はぐらかされる感覚に陥りがちである。点も、メロディーラインのようにとらえると、シェーンベルクの意図は、鑑賞者に伝えられるというものである。
 グレン・グールドは1961年にモーツァルトの協奏曲ハ短調K491とB面にシェーンベルクの協奏曲を録音している。オーケストラはCBC交響楽団、前者ワルター・ジュスキント、後者はロバート・クラフトが指揮を担当している。グールド1932.9/25トロント~1982.10/4同地没は、大好きなというより、どちらかというと、という言い方がふさわしい。大好きなピアニストというと、クララ・ハスキル・・・とかしっくりするのだが、どちらかというと好きという感覚は、彼の記録を鑑賞するに、理解という変換行為が必要とされるからである。無防備に鑑賞すると、彼の意図は伝わりにくいものがある。モーツァルトにしても、G氏は彼ならではのキャラクターを刻印していて単なるモーツァルティアンではない。それは、好き嫌いを分けるものであり、どちらかというと好きな方というのが正直なところである。シェーンベルクの協奏曲にしても、確固たる演奏は自信に溢れていて、見通しが良く、十二音音楽も聴きやすく工夫されている。租借されているのだから、グールドは通り一遍の演奏ではなくて、確信の伝わる記録となっている。静と動の対比は的確で、あたかも色彩と光の絵画を鑑賞している感覚である。メロディーを求めると失望するのだが、点と線の感覚によると鮮やかな印象を与えられて、グールドの演奏は素晴らしいと思う。
 歴史は発展して展開を続けるから、ワンパターンも良いけれど受け止め方ひとつで万華鏡の世界も素晴らしくて、光の方へと導かれる・・・

 希望と栄光の国土、二十世紀の劈頭に生み出された音楽エドワード・エルガー1857.6/2ウスター生~1934.2/23同地没は近代英国音楽再興の父である。イングランドでロンドンの北西部に当たるウスター出身。イギリスという連合王国はイングランド、ウエールズ、スコットランド、北アイルランドの、多民族による連合国家である。立憲君主制で、エリザベス女王を戴きその近代以前の世界的覇権は歴史の綾だろう。18世紀の産業革命は、フランス市民革命とともに近世の発展に多大なる影響を及ぼしたものだ。君主制度を残し、民主主義を並立させるということは容易なことではない。ヨーロッパの近代史には、たとえば第一次、第二次大戦と多大なる犠牲の上に成り立っている。その歴史は、現代でいうとオイル資源をめぐる中東情勢の不安定に連なっている。
 ルネッサンス文芸復興という13~14世紀の伝統の上にイギリスでは、ヘンリー・パーセル1659?~1695..11/21ロンドン没やジョン・ダウランド1565?~1626.2/20ロンドン没などのビッグネームから、バックス、ブリス、アイアランド、エリック・コーツなどなど近代英国作曲家は連綿とつながっている。そんな中でエルガーの業績は、きわめて多大である。その管弦楽法は精緻を極め、ポンプ・アンド・サーカムスタンス「威風堂々」第1番ニ長調から第5番ハ長調まで作品39の行進曲集は一際精彩を放っている。
 作曲者自身指揮した第1番SP1914年録音は、冒頭のアレグロ、コンフォーコは改変されていて、ラルガメンテ希望と栄光の国土の部分が繰り返された編曲で吹き込まれている(パール盤)。EMI1976年録音エードリアン・ボールト卿指揮、ロンドン・フィルを聴く。まず何よりもその軽快なテンポ感に心踊らされるだろう。切れの良い金管楽器群の吹奏、きらびやかな打楽器のリズムが耳に心地よく響く。ラルゴきわめて遅くより、やや早いたっぷりと、幅広い音楽ラルガメンテ。繰り返された部分ではパイプオルガンの足鍵盤も加えられて、手ごたえ充分の管弦楽法で歌われる。
 ここで、エードリアン・ボールト卿の指揮について考えなければならないことがある。彼のモノーラル録音から1970年代のステレオ録音LPレコードを再生するに、その師匠アルトゥール・ニキッシュから受け継がれた近代指揮法というべき即物主義的音楽は、現代の典型といえる。それはフルトヴェングラーの後期ロマン派スタイルよりは、クレンペラー派の近代的スタイルかもしれない。第二Vnが舞台上手袖に展開されるスタイルは、クレンペラーのステレオ録音だけではなくて、ボールト卿もそれを踏襲している。ステレオ録音初期には、コンサートホールレーベルで、パウル・クレツキ、ウィレム・ファン・オッテルロー、ピエール・モントゥー、カールシューリヒト達指揮する録音に明らかであり、現代のVn両翼配置に歴史は連なっている。左右のスピーカーでいうと、左スピーカーで第一と第二Vnが演奏される録音と、右スピーカーに第二Vnが展開する録音とでは、音楽は手の甲と手のひらを見るほどの相違がある。左右のスピーカーの両方に2本の中心線が有る対比と、左右スピーカーの中央に1本だけ対比の中心線が来る両翼配置とでは、作曲者の舞台配置を予想するか、無視するかほどの違いである。ステレオ録音の多数が、左右、高音域対低音域というコントラストが分かり易いステレオ感であった時代は、新しい時代を迎えたといえる。どういうことかというと、メジャーレーベルは1985年頃からのモーツァルト交響曲全集を録音したジェームズ・レヴァイン指揮の仕事がリリースされて、新展開を遂げているのである。
 そういえば、ニキッシュやボールト卿は長い指揮棒を使用していた。そしてトスカニーニやグィド・カンテルリも同様である。理由はあるのであって、合奏アンサンブルの精度を確保するのに必要だからであり、その彼らに共通することは・・・・・

 今、夜10時ころの星空は東南にオリオン座、西北には白鳥座が美しい。このとき台風に被災された方々のことを想うと胸が痛む・・・レコードを聴きたくとも聞けない人々がいるという現実。
 災害に遭われた皆様の苦労を思うに、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い日常の回復を願わずにいられません。それにしても、普通の生活がなんと大事なことなのか、つくづく、知らされるこの頃、心を込めて読者の皆さんに応える千曲万来に励みたく、サイトに向かう・・・
 ウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25~1954.11/30はバーデンバーデンにて気管支肺炎のため永眠した。9/19,20にはベルリンでベルリン・フィル演奏会を指揮、自作交響曲第2番、ベートーヴェン交響曲第1番を取り上げていて公開演奏会の最期となる。自作曲の演奏は、スムーズに行かなかったと言われている。同年9/28~10/6までウィーン・フィルとワーグナーの「ニーベルングの指輪」第1夜ワルキューレ(ちなみに序夜はラインの黄金)を好調なうちに名演奏を記録することとなる。ガスタインへ湯治で、クラランの自宅への帰路、気管支炎を起こしてしまう。11/12バーデンバーデンのサナトリウムに入院したけれど、回復することはなく、治療のかいなく悪化し帰天している。エリザベート未亡人の話によると、彼とはイエスの博愛についてが最後の語らいであったという。人間に博愛をもたらしたのはイエスであり、この博愛こそがキリスト教の新生面であるというのが最後にして、口をきくのも稀になっていったらしい。行年68歳、晩年は聴覚障害で会話の成立に不自由をきたし、録音は体調の整ったときのものだった。イギリスEMIでは、ワーグナーの「リング」四部作録音を企画、それは「ワルキューレ」にとどまることとなった。
 12/4彼の葬儀はハイデルベルク、彼の母アーデルハイトが長らく生活していた街の聖霊教会で執り行われた。献奏ベルリン・フィルと指揮者はオイゲン・ヨッフム52歳だった。埋葬は同市立墓地で、墓碑銘として、「実に信仰、希望、愛、この三つのものは限りなく残らん。しかしてそのうちもっとも大いなるものは愛なり」コリント書13章。
 楽劇ワルキューレ全曲はウィーン・フィルによるスタジオ録音で、スタジオといってもムズィークフェラインザールでの演奏会形式。ジークムント~Tズートハウス、フンディング~Bsフリック、ヴォータン~Brフランツ、ブリュンヒルデ~Sメードル、ジークリンデ~Sリザネック、フリッカ~Sクローゼ。
 モノーラル録音で、明晰な記録となっている。盤面割は10面で、片面だいたい22分くらいずつのもの。第一幕は3面で第二幕は4~7面、第三幕ワルキューレの騎行は第8面、ヴォータン告別と魔の炎の音楽の終末は圧巻でフルトヴェングラーにとっても、究極の仕上がりであろう。
 命令に背いたブリュンヒルデをヴォータンは厳しく罰し、岩山の頂上に眠らせ、目覚めさせた男の妻となるように定める。だが、彼女の哀願と説得に心を動かした彼は、娘を炎の壁に囲ませ、真の英雄のみが、それを踏み越えられるであろうと定めを変えるのだった。
 フルトヴェングラーは、その記録にのみ音楽は宿っている。ということは、それを再生するものにのみ与えられる喜びと云えるだろう。「オーディオ」の特権である。ここでやっかいなことは、それにグレードというものがあり、人にとってクリアすべき課題と云える。どこの位置にそれを実現するのか ? それこそが課題と云うべきであって、アナログの世界に限りない可能性はある。そこのところで議論の余地はあり、アナログ対デジタルの図式はどちらかの立場に立つという宿命があるのだが、フルトヴェングラーはアナログの子であるのに違いない・・・

 エンジェル・レコード1948年8月録音イッサイ・ドブロウエン指揮フィルハーモニア管弦楽団の記録を再生すると、ジネット・ヌヴー1919.8/11仏パリ~1949.10/28葡サンミゲル没の、芸術性が全体の姿でとらえられる。彼女のヴァイオリンは、炎のような情熱を燃え上がらせたロマンティクな世界である。完璧な技術の上に、申し分ない熱意を持った演奏で十九世紀巨匠たちの弟子としてこれから活躍が期待される存在であったのだ。
 エルンスト・ショーソン1855~1899は、マスネー、フランクらに学んだ後期ロマン派で、特に交響曲変ロ長調などで有名。その管弦楽法は、ワーグナーの影響を受けたともいわれていて、繊細で高貴、抒情的なところは他のどのフランスの作曲家とも異なるといわれている。ヴァイオリンとピアノ、そして弦楽四重奏のための協奏曲ニ長調作品21という音楽など、異色の楽器編成を採用している。
 ポエム詩曲、ヴァイオリンと管弦楽のための作品25、今日では有名なもののひとつで第一に高く上昇するようで抒情的な音楽、そして第二には激してロマンティクという主要なテーマに基づいている。 その開始に当たる管弦楽部分は、明らかに一度耳にした響きを再現している。作曲者自身、なんの筋書きもなく何の出来事も起きない、標題を持たない詩的な音楽というものであるのだが、真に衝撃的な音楽である。盤友人にとり、それはチャイコフスキー作曲、悲愴交響曲のエピソードの一つであった。
 チャイコフスキー1840.5/17~1893.11/6ペテルブルグ没は、よく誤解されているのであるがベシミスティズム厭世主義というものがある。それは交響曲第6番1893.10/28初演の強烈な印象であるが故なのだが、だから彼の音楽全てを指すことは誤りだろう。「創造的理性の能力と宇宙の力と調和を信じていた」というのは、ドミトリー・ショスタコーヴィチの評論である。そのオーケストラ音楽の一部分が、ショーソンの詩曲の開始に響いている。そこで、詩曲の書かれた年月を検討すると1896年という事実に出会う。初演は1897年4月ユジーヌ・イザイVnによる。この間の経過に何事があったのかは定かではないけれど、ショーソンがチャイコフスキーの死に、時間的系列が関連性を指摘できることは、あながち無理ともいえないだろう。
 センセーショナルな印象を与える詩曲であるのだが、ジネット・ヌヴーの演奏は、実に入念に表現されていて、第二次世界大戦終了から三年という時間的経過はその後押しをしているといえる。フィルハーモニア管弦楽団は創立間もない時期に、このような名演奏を記録する事実に、感嘆する。だいたい、音楽のおしまいに近づき、フレンチ・ホルンが朗々とメロディーを吹奏するところなど、クレジットこそ無いけれどデニス・ブレインを想像することは許されることだろうと思われる。
 デニスは1945.9/8.イヴォンヌと挙式していてその友人代表は、木管フルート奏者ガレス・モリスだった。その三年後29歳のジネットは、この詩曲を記録することになる。彼女の演奏スタイルは、新即物的な、テンポの緩急は抑制されているものでその上ではあるが、感情の起伏は激しく表現している。「まるで心理解剖のメスの鋭さを見せているものの、けっして冷たくはなく曲への全身的な共感に満ち、いわば情念の苦悶というべき音を引き出し、それがどう始まってどう終わるかを緻密にたどる・・・」と喜多尾道冬氏は評論される。
 ヌヴーの芸術は、わずか30年余りの人生に凝縮されているけれども、ちょうどそれはロウソクの灯火のごとく、生命の宿りを実感させる真実のぬくもりを帯びている。詩曲も演奏時間15分あまりと詩的であり、はかない・・・

 9/27、パウル・バドゥラ=スコダ1927.10/6ウィーン生の訃報、25日オーストリア自宅で死去とのこと、4月のイェルク・デムス1928.12/2生まれに続くものだった。ウィーン三羽烏ピアニストの時代はフリードヒ・グルダ1930.5/16~2000.1/27からB=S氏をもって閉じられることになる。盤友人は06年07年とキタラホールで彼の演奏に接している。小ホールでは、ベートーヴェンのワルトシュタインソナタの演奏、作曲者が奏しているが如き入魂の演奏に感動を覚えたものだった。その頃、まだ彼のLPレコードを所有しているも、印象はデムスやグルダ程ではなく、実演に接して初めてその真価に打ちのめされたものである。
 1978年にはバックハウス以来というベーゼンドルファー・リングが贈与されている。エドウィン・フィッシャーに師事していて、1949年にはフルトヴェングラー指揮で、ウィーン・フィル、指揮者令嬢ダグマール・ベッラとともに二台のピアノのための協奏曲第10番変ホ長調K365を記録している。W・F氏とは3年後、第22番変ホ長調K482を1952.1/27ライヴ録音のウィーンシェーンブルン宮殿演奏会が、フルトヴェングラー協会盤として入手できる。
 バドゥラ=スコダは、ウエストミンスターレーベルに多数のレコードを録音し、RCAとはシューベルト、ソナタ全集、他では、ベートーヴェンのソナタ全集を記録している。作品の補訂、校訂を担当する等、音楽学者としての活動の他、コンクール審査員を歴任する等、教育活動にも業績を残している。
 フルトヴェングラー指揮のモーツァルト演奏は貴重であり、特に協奏曲第22番の記録は、指揮者自身も認めるほどの大変喜ばしい音楽に仕上がっている。独奏者自身の文章によると、演奏会当時ギリシャ公演のあと悪天候に災いされたものの、無事にウィーン演奏会にこぎつけてベストの演奏をかなえることができたとのことである。
 協奏曲の冒頭は、管弦楽の総奏で、弦楽の他フルート、クラリネット、ファゴット、ホルン、そしてティンパニーなど、壮麗な音楽の開始に仕上がっている。フルトヴェングラーの指揮は完全にオーケストラをグリップしていて、テンポの設定は、悠然、幾分遅めスローでのアレグロ、快い演奏である。24歳の独奏者は臆することなく、しっかりした足取りの快速テンポを展開している。これは、当然というと当然なのではあるけれど、それは若手ピアニストが大器である証に他ならない。バドゥラ=スコダにとってあこがれの指揮者フルトヴェングラーとの共演で、彼のモーツァルトの堂々とした音楽は、ベートーヴェンやワーグナーとはまったく違った天上の音楽という形容で、感動を記述している。
 彼のピアノの打鍵は、低音域の雄大な音響、中高音域の光輝な音色を披露していて、生涯を通じて変わることない演奏スタイルである。彼の訃報を確認した日本の関係者は、こちらでの演奏会予定の確認をする矢先であったようだ。
 ピアノという楽器、アバウトでイギリス式とウィーン式というアクションの構造に相違がある。スタインウエイなどは前者で、鍵盤の先にハンマーは打鍵する仕組みで、金属フレーム全体を共鳴させ、ベーゼンドルファーは後者のタイプ、ハンマーは手前に向かって打鍵する仕組みで楽器の全体を共鳴させる仕組みである。
 ウィーン古典派の伝統にのっとり、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの貴重なレコードを再生する仕合わせは、何事にも代えがたいものがある。シューベルトの音楽にベートーヴェンロスの音楽を感じさせられたのは、思えば、何の不思議もないことなのだろうか。記録を再生する愉悦こそ、彼の不滅の芸術のおかげである・・・

 すでに今や弦楽配置でチェロが下手側中央に位置しない演奏は、あり得ないという時代ではなかろうか?クーベリク指揮するイギリス室内管弦楽団の演奏を再生してつくづく、そのように思わされる。
 先日キタラホールでアルバン・ベルク1885~1935のヴァイオリン協奏曲の優れた演奏を経験しても違和感をぬぐえず、このような配置だったら違うことだろうと考えた。というのも、その演奏会は現代主流の指揮者左手側にVn、右手側にチェロ、アルトが位置していて上手側奥にコントラバスという、いつも眼にする配置だった。この配置の時、コントラバスを土台と考えたらその向かう延長線は、指揮者の左手側の先、すなわち、合奏体アンサンブルは客席から舞台を前にして左手側に向けられている、つまり正面に向かうことがない横向きの状態と云えるのである。
 その前提で管楽器は配置されるという欠点があり、だから、ホルンは下手側配置にされているのだが、本来、ホルンは舞台の上手配置が自然と云うものだろう。ベルという楽器の広がりは指揮者の右手側から見て舞台下手側に容量が大きい方こそ音響が豊かになる。舞台下手側配置ではそれが窮屈だということなのである。
 ベルクのVn協奏曲、ある天使の思い出に、という新ウィーン楽派、十二音音楽の傑作はマーラー未亡人アルマの娘マノン19歳の急死へ鎮魂曲レクイエムとして1935年8月に完成、作曲者はその四か月後12/24ウィーンにて、悪性腫瘍で急逝することになる。なにより、調性音楽の土台をしっかり有した、ドデカフォニー十二音音楽であり、後半楽章では、バッハのカンタータ第60番終曲のコラールが引用されている。クラリネットの二重奏が開始されるとき、おお永遠よ汝恐ろしき言葉、1723年作は確信をもって姿を現す。★この夜、指揮者を務めていたハインツ・ホリガーは完全にオーケストラを把握していて、独奏者ヴェロニカ・エーベルレ2006年ザルツブルグ復活祭音楽祭にわずか17歳で登場した南ドイツ・ドナウヴェルト出身の美しい音色は、ホールの聴衆を一気に惹きつける名演奏を繰り広げた。ホリガーは、シューマンの第一交響曲を演奏する当夜のプログラムでも、現代主流の左手側に第一と第二Vnのf字孔をそろえる配置を採用しているのだが、盤友人にとって、あの弦楽配置に違和感をおぼえさせられることわずかに残念である。
 当夜の演奏は、音程が完璧に統一されていて揺るぎない演奏、安定感あるハーモニーで演奏されていたのであるけれど、チエロとアルトが中央に配置されていないものでは、中心線が客席からみて左手に向かい、至極残念な結果なのである。ホリガーは、Vnダブルウィングを採用しない演奏家であり、そこのところに限界がある。すなわち合奏の入りを合わせるとき危険性があるというハードルが高い両翼配置を、忌避しているわけである。ところが、ベルクの十二音音楽であっても、ソプラノ、アルト、テノール、バスという四声体のハーモニーは、ボディーをチェロ、アルトという配置に見立てて、左右にヴァイオリンを展開するダブルウィングこそ理想と云えるだろう。
 1968年頃録音によるドヴォルジャーク作曲、弦楽オーケストラのためのセレナード、ホ長調作品22クーベリック指揮の演奏は、郷土色豊かで、生命力あふれていて律動的、ハーモニーの美しい音楽に仕上がっている。ここで、第二Vnが指揮者右手側の配置は極めて効果的である。第一楽章モデラート中庸なテンポで、この音楽の終末でテンポを緩めて締めくくる時や、第二楽章ワルツのテンポでの時、合いの手第二Vnの音楽など、作曲家のイメージで第一Vnの奥にはチェロこそ必要で、指揮者の右手側には第二Vnが効果的である。作曲家の指示こそ書かれていないのだが、音楽にしっかり取り組む場合、ヴァイオリン両翼配置というもの、時代の要請として必要十分条件なのではあるまいか・・・

 「嬉遊曲、鳴りやまず~斉藤秀雄の生涯」を読むと彼はカザルスとフォイヤマンをチェロの神様と呼んでいる。フォイヤマン1902~1942は39歳の生涯で虫垂炎手術ミスともいわれていて、短命でも彼の残した記録はどれも奇跡の名演だ。人は98歳で亡くなったり、85歳とか、B氏は56歳と4か月、バッハ65歳、ブラームス64歳などなど、寿命はそれぞれのものでつくづく命はひとつしかない。
 斉藤秀雄1902.5/23~74.9/18はチゴイネルワイゼンというヴァイオリンの名曲を弾いたフォイヤマンのSPを耳にして、一念発起、ベルリンの高等音楽院に留学したという。奇しくも同じ1902年生まれで斉藤は1930年、彼に教えを乞うことになる。斉藤は1923年近衛秀麿とともに渡独して、ユリウス・クレンゲル(ライプツィヒ王立音楽学校教授、ゲバントハウス管弦楽団首席奏者)に師事していた。
 宮沢賢治は、1926年12月に上京し新交響楽団の練習に立ち会っている。花巻農学校を3月に辞して、3か月滞在するつもりで愛用の蓄音機を手放し時価350円だったという。新響が練習していたのは田園交響曲で「セロ弾きのゴーシュ」に詳しい。ゴーシュはフランス語で左の、左側、不器用な、などの意味。賢治1896生~1933没。そこに見られた鬼指揮者は、当時の斉藤秀雄のようである。その後、彼はブルッフ作曲コル・ニドライ(夕べの祈り)を練習していた。賢治は聴き入ってしまったという。
 メンデルスゾーン作曲ソナタ第2番ニ長調、1アレグロ、アッサイ、ヴィヴァーチェ、2アレグレット、スケルツァンド、3アダージォ、4モルトアレグロ、エ、ヴィヴァーチェ、1939年12月、RCA録音、ピアノはフランツ・ルップ、SP復刻であるけれど、普通のモノーラル録音と遜色はない。フォイヤマンの演奏は躍動感がみなぎり、生命感にあふれている。彼の使用する楽器は最後期のストラディバリウス、滑らかでその上、艶やかな鳴りの豊かな音色である。斉藤はチェロの指導をするとき、特に左手、運指を厳しく指摘したという。それはフォイヤマン演奏法の流れを汲むものかもしれない。鮮やかな音楽は、短命だった彼の人生を微塵も感じさせるところがない。というか、聴き終わると彼の余りにも悲劇的な最後を、悔やまずにいられない。
 トスカニーニ指揮のR・シュトラウスのドン・キホーテ、ユージン・オーマンディ指揮したドヴォルジャークの協奏曲などレコードが残されているのは、せめてもの、せめてもの慰めであり、レコードコレクターに与えられた、ささやかな幸せと云えるかもしれない。アルトゥール・ルービンシュタインのピアノ、ヤッシャ・ハイフェッツのヴァイオリンと組んだ三重奏は「百万ドルトリオ」と称されていた。
 レコードというものは、所詮、缶詰に過ぎないと軽くあしらう向きもあるのは承知している。ところが、オーディオ装置が何のためにあるのかというと、記録の再生であり、ヴィンテージという古式の再生装置は、記録に音楽の生命を吹き込むことを目的としている。確かに、オーディオに経費が掛かるのは、その通りなのであるけれど、モダン現代オーディオというトランジスターによるデジタル対応のものとは、世界が異なる。ノイズ雑音が無いだけの世界と、倍音再生が命のヴィンテージの世界はコンパクトディスクとLPレコードの本質の違いとなって、聞き手に迫ってくる。フォイヤマンの記録を再生する時、アナログ世界は、メンデルスゾーンの音楽にまで到達する。すなわち、演奏者も作曲家の霊感に呼応して、聴く心に訴えること、実感させる空気振動こそ実態と云えるのだ。現代の日本においても、アナログ回帰が言われ始めていることは、盤友人にとってささやかな喜びではある・・・

 オーケストラの音色で、木管楽器のオーボエは、一際チャーミングで聴いてすぐ耳に入る美しい存在である。1971年4/28~30ゾフィーエン・ザールDECCA録音、この頃オーボエ首席奏者は、カール・マイヤーホーファーで飛び切り美しい音色を披露している。彼は74年に非業の死を遂げた伝説の名演奏家で、ロリン・マゼール、カール・ベーム、イシュトヴァン・ケルテス指揮のレコードでよく耳にする音色、名演奏が記録されている。
 だいたい、管弦楽で一人出色の名演奏家が居た時もアンサンブル合奏は、全体として素晴らしいものに仕上がっている。このレコードにおいても、クラリネット奏者アルフレッド・プリンツ、フルート奏者ウェルナー・トリップ、ファゴット奏者ディートマール・ツェーマン、ホルン奏者ギュンター・ヘーグナーなどなど首席奏者たちによる合奏は大変優れている。ちなみにコンサートマスターは69年からゲアハルト・ヘッツェルが就任していてオーケストラの要として活躍している。レコードにクレジットがあるものではなく、個人奏者名は推測の上でのこと。
 スピーカーの中心に管楽合奏がプレゼンスしている時、弦楽器はその前面にプレゼンスする感覚がある。このLPのデッカ録音も大変に優秀で、奥行き感が充実している。この当時のステレオ録音は、低音域が右スピーカーに集中していて、左右感はヴァイオリンとチェロ、コントラバスの対称で確立させている。なかでも、ホルンセクションは右スピーカーに存在感が有り、懐かしい。というのも、最近のオーケストラ配置で、ホルンは舞台下手に居ることが多いからそのように感じられるのだ。オーボエの音色がホルンの量感ある音に包まれている舞台上手配置こそ、安定感が感じられるし、面白味もあるといえる。
 マゼール1930.3/6~2014.7/13は、63~64年にチャイコフスキーの交響曲全集を完成させている。マンフレッド交響曲作品58は第四番(1877)と第五番(1888)の間(1885.9/22)に作曲されている標題音楽でバイロンの同名劇詩によっている。第三楽章が間奏曲、緩徐楽章で、終楽章フィナーレにはパイプオルガンが荘重な演奏を披露する。サンサーンスの第三交響曲「オルガン」は1886年に作曲初演されているからちょうど同時期のアイディアと云えるかもしれない。第一楽章ではアルプス山中をさまよう主人公マンフレッドを描き、第二楽章は眼前、滝の下、虹の中に仙女が姿をあらわす、スケルツォ。終楽章では昔の恋人アスタルテの亡霊がバッカスの饗宴のさなか、山神の地下宮殿にあらわれる。それは地上での不幸な終焉を暗示させる。
 マゼール41歳の時の指揮は、脂の乗り切ったもので、気力に溢れている。ウィーン・フィルハーモニーもフルトヴェングラー没後、カール・シューリヒトや、カール・ベームらの活躍が有り、レナード・バーンスタインのウィーン登場も併せてマゼールの活躍と同時代を構築している。このレコーディングの時期には、イシュトヴァン・ケルテスも指揮していて、ある意味、ゲオルグ・ショルティの「指輪」デッカ録音などと同時期で黄金期だったかもしれない。
 指揮者の仕事というものは、個人的な力量もさることながら、同じ時期の指揮者たちの競われた仕事の上で、合奏力は発揮されている。ということは、指揮者の仕事の一つは、オーケストラの演奏の邪魔をしないことであり、最大限の能力を引き出すところにあるだろう。それはあたかも、オーディオ・システムが、個性を表現することではなく、録音ソースの再生に尽きることと似ている。スピーカーは姿を消して、室内全体に演奏会場の空間が再生されて音楽が繰り広げられることに通じる。ロリン・マゼールは、ひたすらチャイコフスキーの世界を指揮して、ウィーン・フィルは最上の演奏をしている・・・

 ディスコグラフィの情報によると、1956年9/23第1アビーロードスタジオにて録音、たった一日の収録でしかない。それは、指揮者サヴァリッシュとデニスの出会いから最短の間隔でリハーサルが実行されて、33CXナンバーのディスクが記録されたことを物語る。ウォルフガング・サヴァリッシュというと1970年にはNHK交響楽団とベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を完成させている。その時の首席ホルン奏者は千葉馨さん。彼は1955年頃英国留学を果たしていて35歳頃のデニスに師事していたという。東京のみならず、日本全国にはバーチ、千葉馨さんに師事したホルンプレーヤーがたくさんいるはずだ。デニスにはそんな、縁ゆかりある伝説のスターである。
 1956年というとホフヌング音楽祭では、デニスがゴムホースでホルンコンチェルトを演奏した記録がある。なんのことはない、マウスピースの先に4ないし5mのゴムホースを繋いで演奏を試みたわけである。そんな茶目っ気ある天才デニス・ブレイン。薄くあわせた両唇のコントロールが抜群で、リヒャルト・シュトラウス19歳の若書き、第1番変ホ長調作品11では、冒頭から力強い低音域、メロウな音質の中高音域を楽々と吹き上げている。バーチいわく、彼、仕事する時はアレキを使っていた・・・つまりドイツ製のアレキサンダーを使用楽器としていたのである。レコードのジャケット写真によると、他のものではピストンヴァルブのものや、ラウーとか、パックスマンとか多様ではあるけれど、R・シュトラウスでの音色は、明らかに、アレキの可能性がある。
 力強く、骨の太い、安定感あるアレキによるアンサンブルにおいては、他のプレーヤーにとっては合わせやすい感覚がある。だから、デニスが吹いているL`Pレコードでは、フルート奏者ガレス・モリスやオーボエ奏者シドニー・サトクリフなどの名演奏も合わせて楽しめることになる。弦楽器奏者達だって相当、乗り気になって演奏しているのが手に取るように伝わってくるのが、この33CXレコードである。
 私は働くのではない、楽しむのだ、というシュトラウスの言葉、一見、享楽主義のように思われるのだが、その様な人にホルン協奏曲のような精緻な管弦楽法によるオーケストレイションを完成させることが出来るであろうか ? 否、人生を深く楽しむ人にこそ成し遂げることが可能な、パラダイス楽園であろう。盤友人は、LPレコードを再生することにより、記録を再生した上で、デニス・ロス1957年9/1の悲劇を克服することが出来る。モーターアクシデント、午前六時ころのロンドン近郊での悲しい出来事は、消すことのできない事実であり、その上で、記録を再生する幸せをかみしめること、その歓びを共有できる幸せこそ、残されたものの手向けである。
 あれから52年の歳月が経過して、盤友人はデニスによる、ホルン協奏曲を鑑賞してその歓びを皆様と分かち合いたいのである。
 第2番は1942年頃の作品で、当時、ドイツはスターリングラードでソヴィエトに降伏している。その複雑な心境は、シュトラウス一流の管弦楽法に描かれているといえるだろう。60年前の若書き作品とひと味違うところは、デニスの演奏で一際明らかにされることになる。多分ホルン演奏技術の最高ランクの記録が、この演奏であって、異論を唱える者はいないことだろう。孤高の境地が記録されていて、エヴァーグリーンとは、このジャケットが物語っている。死なないこと、楽しむこと、世界を知ることとは、ある米国人経済投資家の言葉である。残されたものにとり、彼のレコード再生こそ他にできることはないのであるのだが、おもうことはあること、けだし永遠の名言である・・・


 ロマン派の音楽、すなわち1815年以降にドイツを中心に起こったが必ずしも19世紀音楽全体を総括するのは妥当ではない。むつかしいものがある。ピアノという鍵盤楽器による器楽から、リート歌曲や歌劇オペラにいたるまで多種多様の音楽があり、クラシック古典派音楽の影響を受けてそこから派生した、よりドラマティックな音楽といえようか?1870年以降は後期ロマン派ともいわれている。いずれにしろ、ベートーヴェンが最初に内面を表現してから、飛躍的に展開させた旗手が、ロベルト・シューマン1810~1856でピアノ曲、三重奏曲、四重奏曲、五重奏曲、交響曲や歌曲、歌劇などなど、特に1840年は歌曲の年ともいわれクララ・ヴィーグとの結婚により創作の発展をみている。
 ダヴィット同盟とはシューマンの虚構世界で、クララとの結婚式前夜に語りあった同盟員の様子を描写、18曲から成り1837年作曲、フロレスタンとオイゼビウスというシューマンの分身が語り合い、舞曲集といっても、舞曲は第一曲クララのマズルカのみで新しい音楽の理想を追求する。特に第18曲ハ長調の最低音で閉じられる終わり方は、聴くとふるえる。
 ワルター・ギーゼキング1895.11/5リヨン生れ~1956.10/26ロンドン没、英SAGA盤放送録音1963年コピーライトのプレスを聴いた。彼の愛奏したピアノメーカーはグロトリアン・シュタインヴェーグ、正規録音ではモーツァルト、ドビュッスィ、ラヴェルの全集が有名。楽器メーカーのスタインウエイとは、ドイツのハインリヒ・シュタインヴェーグが1853年、アメリカに移住して成功したもの。スタインウエイ&サンズはその流れ。イギリス式アクションは音量的にみて華麗といえる。なお、ドイツ式・ウィーン式のハンマーが鍵盤の上にあり跳ね上げ式はベーゼンドルファーで、このタッチはピアニストによる依存度が高いといわれていて、多数派をしてスタインウエイに譲るところである所以だろう。
 ギーゼキングは1920年ベルリン・デビューを果たし、ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会を経験し23年ロンドン、26年ニューヨーク、28年パリでそれぞれデビューしている。1953年には初来日、演奏会では完璧な記憶力を有して暗譜主義を貫いている。その演奏スタイルはノイエザハリヒカイト、新即物主義ともいわれていて、現代主流の演奏スタイルの源流とされている。彼以前の巨匠たちは、作曲家直伝の音楽で、テンポのアゴーギグ緩急法は、自由自在でそれが度を過ぎると、端正な音楽スタイルへと展開することになる。それが新即物主義になる。ピアニストの演奏は、一定のテンポ感が尊重されていく。それでも、ギーゼキングのシューマンでは、テンポのギアチェンジが面白い。
 演奏がエネルギッシュ情熱にあふれていて、勢いが一層の力感を発揮していて、並ではない。その上に、音量としても自由な増減が有り、パワーマックスの開始からして度肝を抜かされて、一本調子ではあらずすかさず穏やかな表情に変化する芸術は、聞き手の心をつかみ、引き寄せる展開にはワクワクさせられること請け合いである。それは、ベートーヴェン、リスト、シューマンという一連のピアニズムの成果が見られる。巨匠性、妙技性、精神性が三位一体となり、ギーゼキングが体現し披露する要。
 モノーラル録音ということでも、決して音が悪いことなくてダイナミックスレンジは広く、ノイズもまるで感じられない。なにより、ステレオ録音の上を行くのは、エネルギー感である。キレイな音というのは雑音が無いだけで、空気感すら無い。演奏が発揮する躍動感をいかに再生するかは、モノーラル録音の方に軍配を上げざるを得ない。ピアノフォルテという鍵盤楽器は、美しいのみでなく、その真実により聴くものを捉え離さなくて、ふるえる・・・

 お盆を過ぎてめっきり秋の気配、空を見上げると巻雲、ウロコ雲を目にする季節になった。ご先祖様に思いをいたし、今は亡き人々を偲ぶ習いには、生命の永続を願う営みとして歴史を振り返る気高い時間の過ごし方のような気がする。人には未来だけあるのではなくて、偉大な過去の上に成り立っているということを忘れてならないのだろうと思われる。
 おふくろの味、卵焼きなど盤友人の記憶では、砂糖味だ。子供の時分を振り返るとタップリ甘味の効いたのが卵焼き、すべての卵焼きと云うものは甘いものだとばかり思っていたのが、否、だし巻きだってあると気づかされたのは大学生のことだった。単に、卵焼きが甘いものだったのは我が家の味だったのである。世の中にはプレーンというものだってあったわけだ。ちなみに、白飯をソースで炒めて食することを経験したのは高校生の時で、ショック、衝撃的経験だった。柔道部で一年間、友達と生活したことは例えば、余市海岸の砂浜で夏休みに一週間合宿したとき、波打ち際が一変したことは、月との引力のなせる業という実感をしたものである。
 シューマンは、1810年6月8日ツヴィカウ生まれ、1856年7月29日エンデニヒ没、ドイツロマン派の大作曲家。文学と音楽の化学的反応により様々な作品を創作している。1828年、ライプツィヒ大学法科に進学し同時にピアニストを志すけれど、指の障害を経て演奏家の夢を断念する。作曲という無限の世界へ飛翔するも、評論家という二刀流でもあった。
 幻想曲ハ長調作品17、作曲年は1836~38年で楽譜出版は39年、フランツ・リストに献呈されている。3楽章形式、幻想的、情熱的にという開始から、中庸の速度という音楽を経過して、静かにという終結を迎える。最初クララ・ヴィークへと考えられていたものが、リストへと献呈者は変更された。
 曲は「大ソナタ」としてベートーヴェン的作品が構想されていた。徹頭徹尾、情熱的な音楽で開始されて、迎えた終曲は、しかしシューベルト即興曲を思わせる世界である。それは10年ほど前がシューベルト・ロスであって、ローベルト・シューマンにとっても決定的な青年作曲家へのオマージュであろう。この沈潜する音楽は、高揚した音楽がその泉としてうっそうと生い茂った浪漫の森の中へ遡る道へとたどる事になる。フランツ・ペーター・シューベルトは1797年1月31日ウィーンに生まれ、1828年11月19日同地31歳で没している。フランツ・リストは1811年10月22日ハンガリー・ライディングで生まれ、1886年7月31日バイロイト74歳で亡くなっている。
 つくづく人の一生というもの、長いもあり短いもあり、ひとつしかないものだと思わさる。
 アリシア・デ・ラローチャ、1923年5月23日バルセロナに生まれ、グラナドスの高弟フランク・マーシャルに子ども時代から師事している。来日は1967年を最初に、10回以上果たしている。スペイン音楽からスタンダードなものまで音楽の美と真実に、献身的な演奏活動を展開している。
 1975年デッカLP録音、サイド1はシューマンの幻想曲ハ長調でサイド2はリストの奏鳴曲ロ短調で、大変立派な脂の乗り切った演奏が記録されている。堂々とした構え、テンポの揺れはあまり感じさせることのない、スマートなスタイル。クール、ピアノという楽器の鳴りっぷりが充実していて、風格あるシューマンの世界を鑑賞することになる。健康的でということは、シューマンの肯定的な側面が基本で、前進的な精神が感じられる演奏になっている。これが、ピアノの旋律がピックアップされるとき、病的な印象を与えることがある。否定的ではなくまさにロマンティッシュ、永遠なる世界を印象づけることになる・・・

 レコードを聴く時、最低は片面の再生をし終わらなければ、その芸術を鑑賞したとはいえないだろうと思っている。すなわち、つまみ食いともいえる最初の出だしだけとか、途中の2~3分ほど比較鑑賞は、よくかられる欲求ではあるのだが、それはつまみ食いでしかない。そのレコードの芸術鑑賞としては、必要十分とはいえない。どういうことかというと。違いに気がついたとはしていても、正確とはいえないということなのである。動物の象を、片手で触ってみて感触は理解しても、その全体の姿は、思い浮かべられないのと同じまでのことである。ある程度の鑑賞時間を経なければ無理ということである。
 1980.9/26デジタル録音、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のLPレコードは、そんな経験をさせてくれる希少盤である。オーマンディ1899.11/18ブダペスト生まれ~1985.3/12フィラデルフィア没、本名は、イェーネ・ブラウ。5歳でヴァイオリンを学び、7歳で最初の演奏会、17歳で教授として迎えられ、22歳でアメリカに渡っている。32歳でトスカニーニの代役指揮者としてフィラテルフィア管弦楽団の指揮台に立っている。ということは、55年間ほど同じオーケストラとの関係を維持した偉大な指揮者といえる。常任指揮者、音楽監督などなど、契約関係は多様であるにしても、この長期にわたる関係は、たとえばカラヤンとベルリン・フィルの関係が33年余りだったことをみても、比較にならない長さだといえるだろう。
 31~36年までミネアポリス交響楽団正指揮者、36~38年フィラデルフィア管弦楽団常任指揮者を経て38年ストコフスキーの後に同音楽監督就任、80年に勇退している。退任した後もたびたび客演指揮を果たしている。有名オーケストラとしては、ベルリン・フィル(1955年、エディンバラ音楽祭で)、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団などと多くの共演を経験している。真に練達の指揮者、熟練のオーケストラビルダー、多数のレコードディングコンダクター・・・その華麗な経歴の中でも、看過できないのはRCAのエロイカ。
 ベートーヴェンは人生の中でどの交響曲をイチ押しだったか知っている?YGさんは盤友人に質問したものである。すかさず、英雄!と答えると、やっぱり知っていたか・・・と続けたものである。B氏の自伝を読んでいると、エロイカ交響曲が自身で納得していて、最高の作曲だと伝えていたというエピソードがある。
 確かにウィーンではハイドン104曲、モーツァルト41曲の後継作品として1804年私演05年4月テアトルアンデアウィーン作曲者自身指揮で初演されたものは演奏時間50分ほどの大曲である。以前の交響曲は演奏が30分程度のものだったから、2倍近い拡張がなされたのである。ナポレオン・ボナパルトに献呈を意図されたものの、N氏皇帝就任に激怒して、B氏は第二楽章に葬送行進曲を作曲して英雄の死を表現している。市民階級の革命を待望したはずが独裁者への変貌を許せなかったというB氏のロマンである。封建社会から市民社会への展開は、ベートーヴェンとして望むところであり、独裁政治は受け入れられなかったというのは、当時の個人主義思想として、一つの典型だっただろうと思われる。自由主義としての作曲者ならではの芸術である。近代思想史のイーポックメイキング作品と云える。
 オーマンディが指揮したエロイカは数種類ある中で、RCA盤は晩年の録音であり、興味深い。1979年10月には指揮者ポール・パレーが93歳モンテカルロで死去、葬送行進曲に一際熱が込められているのも追悼の音楽なので分かる気がする。O氏は大編成オーケストラを指揮した人生であって、そのおおらかな音楽づくりは、それとして充分に愉しめる。なお、第一と第二楽章は演奏に32分が費やされていて、それが一気に片面カッティングされているのは、それもまた一興、ホルンの吹奏とか、ファゴットの妙技など、聴きどころ満載である。コントラバスの旋律線、メロディーラインなど実に素敵だなあ・・・

 暑中見舞い申し上げます。午後10時頃の夜空、天頂には夏の大三角形で、デネブ・ベガ・アルタイルが一際目に鮮やか。天の川には白鳥座そのデネブの右側に琴座のベガ、下の方にわし座のアルタイルが分かるのでご覧ください。
 札幌も日中には最高気温32度を記録し、真夏日9日目ほど続いている。秋立つや川瀬にまじる風の音/飯田蛇笏、心理的な中に聴覚を効かせているところが面白い。立秋を迎えると残暑の候となる。
 ルートヴィヒ・ヘルシャー1907.8/23ゾーリンゲン生まれ~1996.5/8トゥツィング没、はドイツ孤高のチェロ奏者で6歳から始めケルン、ミュンヘン、ライプツィヒ、ベルリンで研さんを積み、1930年メンデルスゾーン賞獲得、1936年W・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル、独奏者としてデビューを果たしている。1937年ナチス入党という経歴があり、エリー・ナイPf、シュトロスVnらと三重奏で活動している。戦後、教育者としても活動し門下生にアニア・タウアーがいる。
 1959年頃テレフンケンステレオ録音でヨゼフ・カイルベルト1908~1968指揮ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団と、ドヴォルジャーク、チェロ協奏曲ロ短調作品104、草原から吹く風による涼味満点のようで爽やかな演奏、一輪の花に永遠の生命、忘れられざる名演奏がここにある。
 指揮者カイルベルトは、質実剛健で、カラヤンと同期生でありながら、芸風は一線を画している。ハンス・クナッパーツブッシュのようなアゴーギグ緩急法の一時代前とは異なるが、オーケストラプレーヤーたち入魂の演奏は、まさにミュンヘングループの音楽だ。
 ここではハンブルク国立フィルではあるけれど、管弦楽の即興性はかなり強くて、特に、弦楽合奏は一級品の味わいを持つ。切れ味鋭く、リズム感が抜群であるし、なにより、生命感があふれていて、いつ再生してもフレッシュで独特の価値をもっている。カイルベルトの指揮は無私の感覚が有り、孤高で、高貴な音楽性、カラヤンはというといわば商業主義を前面に押し出しているのと異なり、芸術性の高い、指揮者51歳頃の記録となっている。
 L・ヘルシャーの独奏は、たっぷりと良く鳴る楽器でよく歌っている。エリー・ナイとアンサンブルを編成していて、彼女の芸術性と影響を受けているように思われる。ナチス国家社会主義党との関係性から、政治的に不遇でありながらも、それは時代なのだったように思われる。当時の与党がナチスゆえに不幸な歴史の中にあったがここでは、それを超えて受けとめようと思う。非ナチ化を経験?大戦後シュトゥットゥガルト音楽演劇大学1953~1971で後進の指導にあたる。1953年来日している。
 ボヘミア出身アントニン・ドヴォルジャーク 1841~1904はチェロ協奏曲ロ短調作品104を1894年に作曲着手、95年6月に全曲完成している。2年半の新大陸アメリカ滞在を終え帰国を果たしたのは95年4月のこと。郷土色豊かな音楽は、望郷チェコとともに、ニューヨークでの恵まれた生活、1892年9月音楽院長就任、93年12月カーネギーホール、新世界交響曲初演成功などを経験から生まれている。
 95年9月からプラハ音楽院長に復職している。その当時R・シュトラウスは、ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずらを初演。1897年のブラームス葬儀にD氏は参加している。そのブラームスは「こういう協奏曲を書けることを知っていたら、自分でしてみたのだが・・・」と話していたという。R・Sはドン・キホーテ、アルトとチェロのための交響詩を97年に発表している。B氏は1887年10月にVnとVcの二重協奏曲ケルン初演していたから、シュトラウス一流のスパイスが効いている。いずれにしてもD氏は、伝統的なチェロ協奏曲を創作したといえる・・・

 指揮者ゲルギエフが両手をゆっくり降ろすも、固唾をのむ聴衆は静寂を守り続け…盛大な拍手が鳴り止まない感動的幕切れとなった。ショスタコーヴィチ(1906~1975)、交響曲第4番ハ短調作品43は当時29歳だった作曲者が自己批判を拒絶することにより初演が1961年12月30日までかなわなかった、彼の作品のピークを成す畢生の音楽、演奏時間67分余りの大作でなかなか取り上げられることのない意欲的な交響曲である。第5番ニ短調作品47(1937年初演)という体制の意向に沿った社会主義的リアリズムを代表する交響曲と対照的な性格を持ち、第2楽章モデラート・コンモート中庸でなお動きをもってのお仕舞いは人生最後の第15番イ長調作品141の終幕とパーカッションによる同じ響きを刻印している。
 この夜の演奏はコントラバス9挺チェロ11アルト13、第2Vn15、第1Vn17という弦5部、ハープ2台、フルート5、ピッコロ2、オーボエ4、イングリッシュホルン1、ファゴット4、コントラファゴット1、クラリネット5、小クラ1、バスクラ1、ホルン9、トランペット5、トロンボーン4、チューバ2、ティンパニー2対、パーカッション5人という118人ほどの編成、そして指揮者という壮観の舞台。キタラ大ホールは満席の聴衆であった。
 楽曲初演年を調べるとレスピーギ、ローマの松は1924年、マーラーの第9とラヴェルの「ダフニスとクロエ」は同じく1912年、ドビュッスィ海は1905年、R・シュトラウスのアルプス交響曲は1915年、プロコフィエフの第4は1930年などなどの初演年で、ショスタコーヴィチの第4番は1936年に完成し、レニングラードで総リハーサルまでの初演直前に撤収している。
 彼の交響曲第4番の特徴は、各部分にピッコロ、バスクラリネット、ファゴット、トロンボーン、トランペットのエピローグなど独奏がちりばめられていて、魅力にあふれる構成に工夫が凝らされた3楽章形式、歌劇「ムツェンスクのマクベス夫人」に対する1936年1月26日プラウダ批判がされた中で、初演に25年の年月を必要としたものである。
 PMFオーケストラは、各パートに、シカゴ交響楽団、サンフランシスコ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、クリーブランド管弦楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席奏者たちが配置され、コンサートマスターはデイヴィド・チャン氏で楽器をたっぷり鳴らしていて、精彩を放っていた。教授陣の存在感が圧倒的なドリームチーム編成オーケストラ、その統括者としてワレリー・ゲルギエフ第6代芸術監督が前日夜に到着して、ゲネラルプローベ1回で、仕上げたという奇跡のコンサートであり、ゲルギエフのカリスマ性は遺憾なく発揮されていたといえる。
 当夜の開幕はドビュッスィ、牧神の午後への前奏曲。現代音楽の始まりは、このフルートの開放音で奏でられたといわれる名曲、アカデミー生だけの編成で、その優秀な音楽性は教授陣、ウィーン、ベルリン、アメリカの1か月に及ぶ指導の成果、その上での指揮者カリスマ相乗効果であったといえる。前半二曲目はジャック・イベール1890~1962のフルート協奏曲、独奏は2019チャイコフスキー国際音楽コンクール新設管楽器部門グランブリのマトヴェイ・デーミン、華麗で若々しい演奏スタイルは、躍動的だった。秋元克広札幌市長も聴衆の一人、札幌市行政のサポートもPMF30周年の大きなものだったのだろう。何より、バーンスタインの遺志貫徹が有り、総勢110人余りのアカデミー生、そして裏方マネージャーたち土台の上になりたっている教育国際音楽祭。キタラホールは、21時15分を過ぎても、万雷の拍手、はねた後もステージには教授陣とアカデミー生の交歓が続けられていて、余韻がやまなかった。この後には東京・赤坂サントリーホール、ミューザ川崎シンフォニーホールという連夜の演奏会が待ち受けていて、彼らの凱旋コンサートとなることだろう・・・LPジャケット写真は、ベルナルト・ハイティンク(2003年PMF参加者)指揮ロンドン・フィルハーモニック1978年録音。

 PパシフィックMミュージックFフェスティバルは1990年、北京開催の予定が当時、交響楽団事務局長だった竹津宜男氏の尽力により札幌開催にこぎつけた経緯がある。札幌市長だった板垣武四氏が開会宣言を高らかに、その彼らの遺志は30年の節目を迎えたのである。教育国際音楽祭という発想は、レナード・バーンスタインが人生の終幕に仕掛けた壮大な夢、音楽の架け橋として先輩から後輩へと受け渡す構想である。
 盤友人は、その時、ロンドン交響楽団のタクトを執ったバーンスタインの雄姿を目に焼き付けた、幸運な聴衆の一人であったし、ベートーヴェンの第九、コーラスで参加して、リーフ・ブヤラント氏、マイケル・ティルソン・トーマス氏の指揮で演奏している。PMFオーケストラという音楽学生プレーヤー達の首席には、たとえばフルートではウォルフガング・シュルツ、クラリネットはペーターシュミードル、ホルンはギュンター・ヘーグナー、つまりウィーン・フィルのトッププレーヤーが着席していたのである。夢のような話が実際に札幌では実現されていたというもの。
 今年の7/29、キタラ小ホールではPMFアメリカのグループで演奏会が開催された。ファゴット奏者はダニエル・マツカワ氏、フィラデルフィア管弦楽団首席奏者。ベートーヴェンの七重奏曲がメインディッシュ。前半のプログラムは、ジャン・フランソワ・ミシェル1957~スイス出身の「イーストウィンド」東欧のロマ音楽風、トロンボーンとトランペット、ピアノの三人の奏者版で演奏されていた。ユージン・グーセンスの「パストラーレとアルルキナード」作品41、フルート奏者はシカゴ交響楽団首席のステファン・ラグナー・ホスクルドソン、オーボエはサンフランシスコ交響楽団首席ユージン・イゾトフで、ピアノは佐久間晃子という名人ぞろいである。作曲者は1921年ストラヴィンスキー「春の祭典」英国初演を指揮している。1924年の作品。冷笑的そしてユーモラスな雰囲気の音楽になっている。その後は、サンサーンスのVnとハープ二重奏「幻想曲」作品124、デイヴィド・チャン氏メトロポリタン歌劇場管弦楽団コンサートマスターと、ハープは同じく安楽真理子さん。チャン氏はタブレット操作の楽譜使用でスマート、しっかり楽器を鳴らしていて、ハープのかそけき音からダイナミックな演奏までパリ風の音楽に仕上げられていた。
 後半プログラム、U字型に椅子はセッティングされていて、舞台下手には弦がVn、アルト、チェロ、そして中央にコントラバス、Cbは弓がフレンチボウというチェロ演奏タイプでアレクサンダー・ハンナ彼はシカゴ交響楽団首席奏者。舞台上手は、奥からホルン、ファゴット、クラリネットという風に着席していた。印象的だったのはシカゴ交響楽団首席ステファン・ウィリアムソンが演奏の途中、自分が休止の時、楽器内側の水分取りをしきりにしていたことだった。
 楽曲開始のトゥッティ斉奏の弦と管の合わせがピタリで、対面U字型のセッティングは効果的だったといえる。ところが、ヴァイオリンとチェロの間で、アルトがパッセイジを刻む音楽、演奏を展開しているのを盤友人としては、違和感を覚えた。すなわち、チェロを中央に据えて、ヴァイオリン下手、対面に上手にアルトを配置するというのは、どんなものだろうか? だから、チェロの背面すなわち舞台中央にファゴットとクラリネット、舞台下手にコントラバス、その対称として上手にはホルンを配置する。二重構造としてバックヤードはCb、Fg、Ci、Hr、フロントラインはVn、Vc、Altという具合。無論、奏者たちのアイコンタクト可能な配置である。
 終演後に満席の客席から熱烈な拍手が沸き起こっていたのは、ステージと客席に居たアカデミー生たちとの一体感であったし、みんなが幸福であった・・・

抹茶、コーラ、カフェラテ、甘酒、青汁、水、なんでも来い!というのがタピオカで、今、大流行おおはやりだ。食べるものか?飲むものか?その両方というところであるだろう。女性たちは理屈じゃなく、好みの問題だから受け入れ易いことこの上ない。
  いま時、舞台の上に、ピアノはアイコンタクト優先で、中央に鎮座している。そのうえで客席から見て左手側にヴァイオリン、右手側にチェロが座り両側に開いているのが常とう。ベートーヴェンは三重トリプル協奏曲として、独奏者たちがピアノトリオという見立てで、協奏曲を作曲している。これは、バロック時代の合奏協奏曲コンチェルトグロッソという音楽の発想である。不易流行とは、時代の流れに沿い絶えず新しみを追うこそ、多様化する時代に生きる唯一の道、古来名言とされる所以である。
 レコードというもの、ジャケット写真は時代を映すツールであり、鏡である。ドキッとさせられるから面白い。むかしむかし、顔の白い犬が居ました、尾も白かった・・・面白い話だ。
 ピアニストは言う、響きをまとめる上から・・・だからそれはありえない?かどうか、写真にそれは存在する。ソリスト達はピアニストの背中に、チェロ奏者とヴァイオリン奏者が展開していて、かなめ(要)に指揮者がいるところがミソ。1804年ハ長調作品56は完成している。ピアノトリオ三重奏を協奏曲としてとりあげたのは、合奏協奏曲の近代化で、ベートーヴェンならではの音楽といえる。一説によると素人を独奏者に迎えて・・・というものなのだが、これは、モーツァルトの戴冠式ピアノ協奏曲に共通する。独奏部分も、管弦楽部分も書法は平易であり、M氏の作曲といっても、眉に唾するしろもので、盤友人は聴くといつも疑問が湧いてくるのだが・・・
 ここで、Vnはウルフ・ヘルシャー、Vcはハインリヒ・シフ、ピアノ奏者シプリアン・ツァハリアス、指揮者はクルト・マズア、ライブツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団、1985年コピーライトだから84年頃録音のもの。
 録音自体は、左スピーカーは明確にヴァイオリンとチェロ、ピアノは中央に定位して、これは録音技師の操作で、右スピーカーに低音部分という発想による。
 昨日7/24知人のお宅でオーディオチェックを試みた。電源部コンセントの差し込み方で、極性の統一、ホットとコールド、グランドアース側を揃えることである。11の差し込みで1の字の少し長い方がアースというコールド側である。このサイトを見ている方で、プレーヤー、これはレコードでもCDでも同じこと、アンプ部分も差し込み方が問題なのである。さあ気になられた御仁は、もうオーディオ人として合格!、家の装置をチェックされると新しい世界が、開けること請け合いだ。
 訪問した知人の電源コンセント、一本だけ逆の差し込みだった。アースを揃えて正解、音は変わった。 何をおっしゃる・・・と疑問を持たれることなのだが、やってみて分かるというもの、ピアノの配置にしたところで、いま時ピアノを中央配置にするのが基準になっている。そこを、ピアニストは背中に弦楽器奏者を配して合奏することで、世界は変わるというものである。
 あり得ない話、ではなくて、この時代になって、第一と、第二ヴァイオリンは引き離されたVn両翼配置の時代になった。第一ヴァイオリンの隣は、チェロというのが、新しい展開である。ツァハリアスは指揮者の右手側に位置してピアノの演奏を展開するのだが、工夫するとアイコンタクトも可能な話であり、首を右手側に向けると、大丈夫であるはずだ。不易流行とは、絶えず新しみを取り入れることであり、それこそ、不変の態度なのであろう・・・

 7/16午後7時のニュース、米国大統領は、報道陣の質問に対して、クァイエットゥ!を繰り返し発言していた。問題に感じたのは放送協会の字幕で、だまれ!とされていた事。盤友人は疑問を感じて辞書を引いたら、だまれ!は、ホワッダズ!であって、静かに!というのが正しいだろう。すなわちメディアの発信は、たとえ意訳であってもニュアンスが異なることに対して、細心の注意が必要ということである。
 コゥリドン・スィンガーズ、corydonコリドンがネイティヴに近いのかもしれない。1983年4月ロンドン録音で、耳にしてすぐ気の付くことは、ソプラノの後ろにバスが発声していること。つまり、SATBという合唱のセッティングで日本の多数派とは、違うことだ。女声SAが前列で男声バスは指揮者の左手側、テノールは右手側というステレオプレゼンス定位が決まっている。さらに聴き進んでいくと、左チャンネルにソリスト四人配置されていることがわかる。
 ミサ第一曲はキリエ、エレイソン神よ憐み給え、クリステ、エレイソン、キリストよ憐み給え。第二曲グロリア、神に栄光あれ、第三曲クレド、信仰告白と続いていく。コーラスの醍醐味は、一斉にフルコーラスもあるけれど、アルト、テノール、ソプラノ、バスと自然発生的に単声部がそれぞれ歌い始めるところにある。すなわち、指揮者右手側の開始から左手側へと対話が、魅力、というのがステレオ録音の生命線である。SATBというのは、それらに気が付かなくなるのであるといえる。それは、作曲者が指揮者の背後、客席に居るという前提の上での話であって、二十世紀後半のステレオ録音の前提は、左側スピーカーからソプラノ、次第にアルト、テノール、右側スピーカーからバスという高低音グラデイションの配列、セッティングの前提となっている。
 それは、時代がそうなのであって、これからの時代は、多数派として女声前列、後列が男声という配列を期待する。というのは、オーケストラがコントラバス中央というピリオド楽器録音の興隆により固定観念が覆されて、コントラバスとチェロが、第一ヴァイオリンの奥席というVnダブルウイングが復活した二十一世紀劈頭である。よくオットー・クレンペラーという指揮者を頑固者と勘違いしている御仁もいるのだが、さにあらず、頑固者とは、Vnダブルウイングをタブー視する指揮者に他ならない。すなわち、その御仁の師匠にあたる指揮者たちは古いとして否定した配置がダブルウイングに当たりその教えに従っているまで。その前提を否定すると新しい時代こそVn両翼配置である。
 録音技師にとって、右側スピーカーから低音楽器が聞えた方を良しとする。それは分かり易い話しなのだが、作曲者の舞台パレットは、第一と第二ヴァイオリンの対話こそ、対比コントラストになる。ところが、時代として、高音域低音域という対比で育った耳には、なかなか理解に時間がかかる、慣れという問題がある。ソプラノとバスは、和音の上で外声部すなわち、近しい関係にある。テノールとアルトは内声部という長調か短調か調性を決定する役割がある。和音というのは、和する、調和する音と云うまで。
 コゥリドン・スィンガーズは、10名ではなく2~30名程度の中編成のアンサンブルに聞こえる。これは聴いた上での推測であって正確なことではない。マシ(テ)ュウ・ベスト指揮のコーラスは、小編成にあらず、多すぎもせずに声部の厚みがしっかりしていて、大変聴きごたえがある。
 オーディオは何のためにあるのか? 贅沢ではなく、ステレオ定位などの解析向上にある。お金がかかる、ではあらず、お金をかけるのはそのためにある。60ヘルツ変換器を購入して飛躍的な向上を図り、合唱音楽が一段と面白味を増した気がするのは・・・

 シューベルトはベートーヴェンの音楽を、楽々に超えて大輪の花を咲かせたエピゴーネンにあらずして、真に偉大な後継者、そして青年は荒野を目指す・・・
 古典主義からロマン主義への展開とは、確立された形式から感情主体でありながら、なおかつ、あふれ出る情熱の自由な発露、そして永遠なる王国としての花園という自由な精神世界を創造する。ピアノトリオとは、ヴァイオリンとチェロ、そしてピアノによる合奏音楽、室内楽アンサンブル。三名の演奏家が、丁々発止、それぞれに音楽する。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンというウィーンの作曲家により名曲は確立されて、特にB氏の大公トリオという巨大な名曲をピークに、さらにそれを超える高みにまで作曲と云う芸術作品を築き上げたのがシューベルトのトリオ第二番変ホ長調作品100。彼の死の前年、1827年の創作で第一番変ロ長調作品99に続く大曲となる30歳の作品。アレグロ快速に、アンダンテ・コン・モート歩くようにゆっくり、動きをもって。スケルツォ諧謔かいぎゃく風に、アレグロ・モデラート快く中庸で、という四楽章形式。ローベルト・シューマンは、より第二番を好み、痛み、激痛を感じる音楽として受け止めている。それは多分にベートーヴェン・ロスというS氏にとって精神世界のビッグバンである。第二楽章で、そして陽は再び沈むという民謡を主題にした音楽は、ロマン派の真髄である。
 パブロ・カザルス1876.12/29スペイン・ペンドレイ~1973.10/22プエルトリコに没した20世紀最大のチェリスト、指揮者、4歳でピアノ、11歳からチェロを学びバルセロナ市立音楽院に進学、1896年から演奏活動を開始、1939年スペイン第二共和政崩壊とともに、フランス、ピレネー近くのプラドに隠棲した。
 カザルス・トリオはアルフレッド・コルトーのピアノ、そしてジャック・ティボーのVnという豪華メンバーによる。1950年プラード・カザルス音楽祭は、アレキサンダー・シュナイダーVnの提唱により開始された。カザルスの偉業は、30年代バッハ無伴奏チェロ組曲を発掘したことである。チェロの演奏を飛躍的に拡張して、精神性をして価値ある音楽にまで高めた。シューベルトのトリオ第二番変ホ長調は1952年のライヴ録音、アレキサンダー・シュナイダーのVn、ミショスラフ・ホルショフスキーのピアノ。三者三様でありつつ格調高い歌謡性にあふれた展開を披露する。室内楽の原点ともいえる、名演奏のフィリップス録音。荒々しいまでに劇的な演奏か?というと、さにあらず、淡々と脱力し歌心溢れた演奏、スウイングたっぷりのメロディーに、心地よいリズム感、即興性、劇性に富み実演でありながら、傷は皆無で、当たり前と云うとそれまでのことなのだが、完成度、芸術性ともに高い不滅のレコードなのである。
 カザルスは1971年10月24日ニューヨーク国連本部で、鳥はピース、ピースと歌うと発信したカタルーニャ地方、鳥の歌は万感胸に迫る、記録である。彼の信念は戦争の経験をもとに、平和の尊さを志向した不屈のメッセージ。NHK交響楽団首席チェロ奏者、早逝した徳永兼一郎氏、終末期ホスピスで気力だけの演奏を果たし、TVドキュメンタリー番組で盤友人は視聴している。チェリストを志す人は、カザルスを目指し、LPレコードの再生は、その高みを目指して登山を続けるという愉悦に連なる。演奏するとは何のためにあり、いい音とは、いい音楽とは、ぜんぶ、ここにある。演奏家、そして鑑賞、音楽する全ては、カザルスにつながり、シューベルト、ベートーヴェン、バッハそれはそれは、尽きせぬ努力の目的である。ウィーンは永遠の都、第二のローマなのかなあ?

 文ひらき月、ふづき、季節は秋で七夕に由来する名前、えっ、秋だって?これから夏だというのに・・・これは旧暦の話で、新暦の7月でも3日は水無月の朔日ついたちに当たるから観念のスイッチを効かせる必要がある。
旧暦で云うと今年の七夕(季語、秋)は新暦8/7で、8/8が立秋だ。
 セルジュ・ボド1927.7/26マルセイユ生まれは、1981.4/24札幌厚生年金会館第214回札幌響定期公演のタクトを採っている。メイン曲はサンサーンス、交響曲第三番ハ短調オルガン付き(平部やよいorg)、精緻な演奏に仕上がっていて、何より、演奏者たちの指揮者に対するリスペクト感がひしひしと伝わり吉田真吾さんのティンパニー連打で圧倒的名演奏の幕切れを印象付けていた。
  サンサーンスのこの名曲、LPレコードではポール・パレー指揮デトロイト響マルセル・デュプレorg<57年録音>やシャルル・ミュンシュ指揮ボストン響ザムコチアンorg<59年>、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管スゴンorg <62年>、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管ビッグスorg <62年> 、プレートル指揮パリ音楽院管デュルフレorg<63年>、マルティノン指揮フランス国立放送管マリークレール・アランorg<70年>、カラヤン指揮ベルリン・フィル、ピエール・コシュローorg<81年>などなど目白押しの名演奏で共通するのは豪放の、豪快な傾向のもの。そんな中で、セルジュ・ボド指揮ロンドン・フィル、ジェイン・パーカー・スミスorg<82年>のEMI録音はワトフォードタウンホール収録ディジタル、83年スコットランドでのオルガン後採りによるもの、ジェインは佳人オルガン奏者で異色盤、この後採り方式はカラヤン指揮コシュローorg盤パリ、ノートルダム寺院での後採りでリリースされ話題盤だった。
 オルガン交響曲は1886年5/19、ロンドン・フィルハーモニーソサエティの作曲者指揮演奏会初演になる。第1楽章の後半部はポコ・アダージョ少し緩やかで、一説によるとサンサーンス、ご自身の令嬢逝去を悼んだレクイエム鎮魂の曲といわれる。ここに軸をおいた演奏が、ボド指揮の音楽に当たり、ミュンシュ指揮のような即興性に重きを置いた豪放磊落な演奏とは一線を画している。すなわち、ボド指揮盤はクレッシェンドも時間をかけてダイナミックス強弱の幅も大きい。そして、ピークの時、トランペットの吹奏は、けたたましさと無縁のものに決めている。抑制の美学、これは、曲の開始から一貫して大団円に至るまでキープされているのが、よく伝わることになる。
 口はばったいけれども、第一と第二ヴァイオリンの掛け合いなど、これらのLPレコードでは左のスピーカーだけで行われていて、Vnダブルウイングでは、左右二つのスピーカーで実現される話である。モノーラル録音の世界ではあるけれどトスカニーニ指揮NBC交響楽団クックorg<52年>のものは、格調高い両翼配置型による名演奏。札幌交響楽団620定期公演ユベール・スダーン指揮orgシモン・ボレノ第20代札幌コンサートホール専属オルガニスト、大変立派な演奏会だった。実演で聴いて分かることは視覚の上でも、中央にチェロとアルト、舞台両袖にVn群というのが理想なのであって、現代主流の第一と第二ヴァイオリンを束ねる配置は、正に、片手落ちの演奏だといえる。評論家たちが誰もこのことに触れないことは、時代転換期においてそれが誰の仕事か? 問われているのである。
 6/23Eテレでベートーヴェン交響曲第5番ハ短調ホルスト・シュタイン指揮NHK交響楽団1992年4月演奏が放映された。テンポはアレグロで、プレスト風のものではなかった。Vn奏者の弓さばきアップダウンが印象的で、一糸乱れない、389小節目全休止も指揮振りは一瞬溜めたもので、全演奏者と客席双方の緊迫感を高めていた。そこのところに一瞬でもブウイングが入ると、膨らんだ風船に針を刺すようなものになることだろう。テンポをさらに一段階緩めると、無意味化が果たされる。すなわち、作曲者のものとはならない証の瞬間である。
 「運命」の緊張感を高める演奏は、2008年小澤征爾指揮のNHK響、第一楽章終了で拍手が起きたことがあるほどである。ところが両翼配置型採用トスカニーニ指揮のものなどは、ステレオ録音になるとすると、左右スピーカーの掛け合いがものいう配置となる。これは、時代というもので、音楽としてはこれまでを保守するのではなく、その否定する指揮者たちが出現することを待望するまでだ。テンポのアレグロ「快速に」は、快いテンポということであって、プレスト「急速に」に傾いてはならない。
 シュタイン指揮を否定するのではなく、これからの演奏の有り方として新時代到来を体験したいものである。ちなみに、ボド指揮の「オルガン交響曲」もそこのところ一時代前の配置解釈といえる。これは否定するための評言ではあらず、これからの指揮者たちに期待することなのだ・・・

 リコーダーという縦笛は、息を吹き込みながら指孔を押さえたり開いたりさせることにより演奏する。このとき、息の圧力と楽器共鳴する関係や指使いの妙技性に、面白味が発揮されて、その空間に鳴り響く音楽は技術と高い精神性の発露として時間藝術の真髄を経験することになる。
 バロック時代は、バッハやヘンデルの他に、テレマンというビッグネイムがある。バロックから古典派の移行期にドイツを代表する作曲家ゲオルク・フィリップ・テーレマン1681~1761はライプツィヒ大学で法律を学びながらも音楽的才能を開花させてのちにハンブルクで活躍した。聖職者の家庭に育ちオルガニストの地位から、既成の枠を超えた活動をした。ゾーラウ、アイゼナハ宮廷、フランクフルト、1721年にはハンブルク市の音楽監督に就任、宗教音楽のみならず世俗音楽の作曲家として当時から有名な存在であったといわれている。平易な音楽、力強さや華麗な技術を遺憾なく発揮させる音楽づくりに貢献している。絶大な人気を博し、各国の器楽様式とジャンルを百科全書的にまとめた「ターフェル・ムズィーク」「忠実な音楽の教師」ほかに受難曲、教会カンタータ、ハンブルク・オペラなどなど、イタリアにはヴィヴァルディ、ドイツにはテレマンといわれるほどの作曲家である。日本ではバロックというとヨハン・セヴァスティアン・バッハが有名でも、ドイツでは当時から人気の作曲家として活躍していた。
 リコーダーは、音域的に高いソプラノ、ソプラニーノがあり、中音域ではアルト、テノールそして低音域ではバスという多種類の旋律を担当する吹奏楽器だ。合奏するのは通奏低音、数字付き楽譜をもとに即興的に低音声部を担当するチェンバロなど鍵盤楽器と共に、ファゴットやチェロが最低声部を演奏し合奏する。ドイツ語によるとゲネラルバス、イタリア語ではバッソコンティヌー、英語ではトゥ(ス)ルーバスといわれる。三種の楽器による演奏は、ハイドンやモーツァルトではピアノトリオ、すなわちヴァイオリンとチェロ、ピアノの音楽へと発展した。フランスではラヴェル、イギリスではジョーン・アイアランドに名曲があり歴史としてその源流に当たるのがテレマンのトリオ三重奏になる。
 ミカーラ・ペトリ1958.7/7コペンハーゲン出身のリコーダー奏者で、演奏会に足を運んだ人は、本当に美しい人、その美貌に感動しそして天才的な高い技巧に圧倒されるという。リコーダーは小学生でも演奏可能であって、なおかつ、長い演奏経験を積み重ねると、フルートやヴァイオリンに比肩する楽器に変容する。一般にか細い音色と思われがちなのだが、どうしてどうして、突き抜けるような音から、柔らかい音色まで幅広い音楽を表現する。チェンハロ(ハープシコード)やチェロの音量に負けることなく、心に届く音楽を演奏する楽器である。リコーダーで合奏するのも楽しく、独奏する旋律楽器としても抜群である。ペトリの音楽性は、確実な技術、幅広い表現、豊富な演奏経験と云う三拍子揃ったリコーダー音楽を提供してくれる。その技術と魅力は多数のLPレコードで鑑賞できることで、コレクター冥利に尽きると云えるだろう。弦楽器や鍵盤楽器のほかに、吹奏楽器としてのリコーダーは、音楽の鑑賞として幅を広げてくれる。器楽の鑑賞は、自分が演奏するのもそうなのだが、かなわぬ演奏を聴くことにより鑑賞行為を高みにまで拡幅させるものである。受け身としての鑑賞を、一体感を共有することにより、能動的に参加するという、なかなか微妙な世界が待ち受けている・・・・・