🎼 千曲万来余話 by盤友人

425

 印象主義といわれるフランス人作曲家ドビュッスィ1862~1918、前奏曲集第一巻、第十曲沈める寺は1910年頃に作曲されている。前奏曲集という先例はショパンに見られる作品集で、全12曲二巻から成立している。云うまでもなく12というのは、1オクターブ12種類の長調と短調という調性の数と一致する。それぞれにタイトルが付けられていて、沈める寺というのは、民話の海底深くにある寺院カテドラルというほどの曲。
 ドビュスィには、2度目の妻エンマとの間に、娘クロード・エンマがいる。不倫関係から獲得した婚姻といわれるから、彼もやるな、といえる好漢であるがそんなのはどうでもよいこと、沈める寺こそ、オーディオの目的に適った名曲の一つである。
 アルトゥーロ・ベネディッティ=ミケランジェリ1920.1/5ブレージア伊~1995.6/12ルガーノ瑞西、北イタリア、ミラノとヴェネツィアの中間ロンバルディア地方古都ブレージア生まれ、鼻下に髭を蓄えた風貌からして、1938年ジュネーブ国際コンクールでグランプリ獲得しその後ボローニャ音楽院教授就任、輩下にはポリーニ、アルヘリッチなどなど。
 グランドピアノ、少し変な響きもする言葉だがピアノという楽器の名前はピアノフォルテ自由自在、だから大弱音というのは少し変という訳で、中国語では単に洋琴、鍵盤楽器クラフィーヤのことをいうのだ。
 オーディオ的に名曲というのも少し変だけれど、この曲の再生で、倍音を知るのは有益である。五味康祐、ばいおんの分からぬ輩はオーディオと無縁であるとの至言を残しているが聴感上で、難しい音ではあるけれども、それはそれは感じられた歓びこそ、オーディオの醍醐味といえるというものだ。盤友人は、40年の長きを経過して獲得した境地、オーディオの神様に感謝すること、頻りにである。頗る満足、至極である。
 キンコン、カキーンと倍音は響いてくる。指向性が強く、その方向性は左チャンネルと右チャンネルその中央に定位する。ピアニストはそれを耳にして打鍵しているのだから、それを再生して獲得した醍醐味は、自然ということなのだろう。多分そこのところ、ディジタル再生音と、分水嶺がある。そこをスルーしてコンパクトディスクは再生されているからである。アナログ録音こそそれは命、こだわりの源泉でもある。
 何も、沈める寺、ばかりではなくハイドンのソナタでも、感じられる音とはいえるのではあるけれど、ドビュッスィはそこのところ、意識的に作曲しているということだ。聞かせるというものである。だから、再生する醍醐味といえる所以である。
 ミケランジェリの音楽は、一時代前のスタイル、というのは最大の敬意をともなうものである。古臭い、ではあらず偉大な音楽への尊称こそ相応しい、現代の演奏者がなかなか越えられていない世界ではある。どういうことかというと、律動リズムの刻みは、一定という精神的重圧から、解放された世界なのだ。10指がすべてコントロールされていて、自由。打鍵の深さも、軽いタッチから底鳴りがする深さまで、変幻自在、それはあたかも、自分自身の超越を通して、作曲者への一体感獲得という境地、まさに、解脱である。スローなテンポ感のうちでも、色彩感の鮮やかさを誇り、その最低音は深々と安定感を表現している。
 現代の演奏家諸姉諸兄、少しは真似をしろ、と言うことではなく、できないからではあらず、目指すべき、獲得する自由な境地である。メトロノームの一定感覚から出発して、呼吸する感覚、囚われずに、意識克服の境地である。フォーム目茶苦茶ではなく、空間意識の上の自由時間というべきものである。ミケランジェリはそこのところを、見事に記録している!

 今年の母の日は、五月十三日だった。赤いカーネーションは女性の愛、感動、感覚、純粋な愛情といったものが花言葉。サイトウォッチャーの皆さんにも、贈った人贈られた人と様々のことだろう。
 前回ジュピター動機モチーフの指摘に対して、知人のKHさんからすかさずレスポンスを頂くことになり、ありがたかった。他の皆様もぜひクリケットレコード宛にでも送られるとありがたい。
 K16交響曲第一番第1第2楽章、K319交響曲第33番変ロ長調第1楽章、K481ヴァイオリンソナタ第41番第1楽章、他にもディベルティメント、ミサブレヴィスなどなどを指摘。音楽は今まで聴いていたのだけれど、気づかずにスルーしていて、改めて聞くとなるほどと、膝を打つことになる。ここでは特にK481について取り上げたい。
 1974年録音によるラド・ルプー、シモン・ゴールドベルクによる演奏。タイトルは、ヴァイオリンソナタでもピアノとVnのためにという言葉で、ピアノが先に来ていることに気を付けたい。ここでも、ルプー1945.11/30ルーマニア生まれの演奏は冴えていて、霊感インスピレーション豊かで、情熱的なものに仕上がっている。ピアノのリリシストと評価されたピアニスト、ブカレストとモスクワ音楽院を卒業して1969年11月ロンドンデビューを果たしている。シモン・ゴールドベルク1909.6/1ポーランド生まれ~1993.7/19富山市没、16歳でドレスデン・フィルのコンサートマスター、20歳でフルトヴェングラー推挙によりベルリン・フィルのコンサートマスターの席に就任。1945年ジャワで日本軍に捕らわれるもアメリカに帰化、その後日本でも桐朋学園で教授、新日本フィルで指揮につくなど活躍していて、パートナー山根美代子さんとの1992年ライヴ新潟録音を残している。その演奏は音楽の使徒ともいうべき厳格な音楽性を発揮、特にモーツァルト演奏には高い評価を得ている。
 ソナタ形式は、提示部展開部再現部終結部という基本があり、ジュピター動機モチーフは提示部の後、展開部との橋渡しでしっかりと聴くことが出来る。ドーレーファーミーというのがヴァイオリンでもって演奏される。1785年作曲、ハイドンセット弦楽四重奏曲など29歳の作品で魅力満載の音楽だ。あたかもヴァイオリン協奏曲とも云える華麗な音楽を展開し、そのピアノの音楽も色彩的、劇的で説得力がある。ルプーの演奏はその意味でも魅力的で、確固とした主張を展開している。当時29歳というのも作曲家その人M氏が乗り移っているかのよう。トランスポートされた雰囲気もありインスピレーション豊かと云える。ゴールドベルクはその当時65歳、円熟の境地の記録。彼は16歳、20歳でコンサートマスター就任という経歴からして天才ぶりは事実、その精神的な重圧、激職に鍛えられたに相違ない。ベルリン・フィルという超一流のオーケストラでの経験は、余人のうかがい知れない音楽経験の人生であったろうと想像される。
 モーツァルトの音楽とは何か?さまざまな答えはそうだろうけれど、一言でいうと、ピュア、ではなかろうかと盤友人は考えている。インノセンス純粋無垢というものとは少し異なり、シンプル、とも少し異なる。どういうことかというと、輝き放つ星屑のごとく、永遠性を有しているといえるのだろうか?すなわち、彼の音楽は不滅であり、ということは、存在であらずして、経験、再生するその時間こそ永遠を共有する時間といえる。だから、混じりけの無い、無二の経験こそモーツァルトなのだろう。そのようなことをいうと、たとえば、K231カノンの題名についてのようなことをいう人もいるには、いるのだけれど・・・

 交響曲第三番へ長調作品90を、エードリアン・ボールト卿の指揮で聴く。雄渾な演奏の出来であって、いかにも彼がアルトゥール・ニキッシュの弟子であったことをうかがわせる名演奏、グラマーな音響に圧倒されるのだけれど、いかにもジョンブルといわれるブリティッシュサウンドだ。どこか甘めな印象を与えてドイツ系のいかついブラームス、謹厳実直でしかめっ面になじんでいると、ボールト卿が指揮する演奏からは、ああ、ブラームスという作曲家は生涯シングルでも恋愛に憧れていたのだという事実を感じさせるから不思議である。そういえばブラームスの師匠はシューマンでその妻はクララ・シューマン、ブラームスが思いを寄せていたかどうかは、定かではないのだけれど思いを寄せていた節はある。
 第一番ハ短調、第二番ニ長調、第三番ヘ長調、第四番ホ短調、この四曲が六十四歳で生涯作曲した交響曲の数だ。シューマンも生涯で、四曲残した作曲数と一致するのは、偶然の一致、ではあらずに彼の意志、そこに込められた意志の力を感じさせる。第三番変ホ長調ラインというのは、シューマンの作曲で、変ホ長調英雄というのは偉大な作曲家ベートーヴェンの世界だ。ラインという大河はドイツの象徴的存在で、シューマンの自信作、第一番変ロ長調、第二番ハ長調、第三番変ホ長調、第四番ニ短調というラインナップ。音名をアルファベットで表現するとB―C―Es―d となる。ブラームスのものは、c―D―F―e というもの。
 実は共通する旋律線として、ドーレーファーミという音楽が浮き彫りになる。シューマンのものは、B変ロ音をドとしていることが隠し味で、ピアノの鍵盤を弾くと、ああそうだ?どこかで聞いたことがある、モーツォルトのジュピター動機モチーフだ。交響曲第41番ハ長調K551ジュピター、五月十日は、木星の公転楕円軌道が地球に最接近する日だそうで午後十時ころ南方の夜空中空に一際輝いているのがユピテルとドイツ語でいうところのジュピターである。
 そういえば、ブラームス作曲第三番が1883年12月2日ウィーン、ハンス・リヒター指揮で初演されたとき、彼は英雄交響曲という呼称を贈ったといわれている。その年の二月十三日ヴェネツィアで逝去していた大作曲家は、リヒャルト・ワーグナーその人であった。だからベートーヴェンが描いた英雄がナポレオン・ボナパルトであったのに比較すると、ブラームスのものは追憶ワーグナーであったといえるのだろうということだ。
 第三楽章ポコ・アレグレットで開始はチェロの憂愁を含んだ旋律、やがて第一ヴァイオリンのメロディーで受け継がれる。ここで気をつけねばならないことは、チェロを装飾するのはアルト=ヴィオラで、第一Vnの主旋律を装飾するのは第二Vnだという事実である。
 オーディオの醍醐味の一つは、チャンネルセパレイション、左右分離感にある。すなわち、ヒダリスピーカー奥にチェロ、手前にヴァイオリンが浮き上がり、ミギスピーカー奥にアルト、手前にヴァイオリンが歌うというのは、正に作曲者の意図だから、左右片側のそれぞれで演奏されているようでは、モノーラル的発想に他ならないだろう。ステレオに分離されると、そこのところが、説得力を発揮している。それは、エードリアン・ホールト卿の録音で確認できる。オットー・クレンペラー指揮する録音でもそのようで、ああイギリス録音盤で経験されるのは歴史的皮肉、でもボールト卿では、右スピーカーからフレンチ・ホルンの独奏が際立っている。これは、もうたまらない愉悦だろう。職業指揮者の皆さん方はそういう経験が、おありになるのだろうか?いささか気になるところではある。 > >

 今、時代の最先端は、ツーウエイ二刀流である。打つし投げるし、というどちらも成し遂げられるのは至難のはずだが、どちらかではなくどちらもというのは、チームの中で彼一人の存在というから、抜群の能力を発揮するいわば、時代の寵児と云えるだろう。オーケストラの指揮者というと、彼は演奏しないでプレーヤー達に指示する存在なのであるが、自分も歌いプレーヤー達も歌うというのは、一方向だけの存在ではあらず、コミュニケイションというのは、相対する演奏家がお互いに協奏しなければ成立しないというのは、象徴的な図式、それを楽しむことが出来るのは、ある種、至難の業なのであろう。
   盤友人は、教育系大学に籍を置いた一人であったのだが、教育もまたしかり、教えるというのは一方向の業、情報が流れるだけのことではなくて、逆方向に下から上へと拾い上げるボトムアップ型の育てる、エデュケイトというのは、能力を引き出すという作業のことを言う。すなわち、ツーウエイ、双方向というタイプこそ理想形のことであった。だから、よく見受けられる、人間関係にあって上からものをいう、上から目線の教育者は胡散臭いのであって、馬脚を現すのが関の山、良好な人間関係を築きあげる教授こそ、理想とするツーウエイの指導者であった。
 教育者が引き出す能力の名人のことをいえば、指揮者も亦、然りで棒を台の上から振り回すのが役割ではなくて、歌わせる指揮者こそ名人なのである。あやまちすな、失敗は易き所にてしでかすという木のぼり名人の至言のごとく、安易に命令することが指揮者の存在ではないのだ。そこに、最高の音楽を実現する事こそ指揮者の役割で、複雑を単純に置換する名人こそ、指揮者の達人と云える。カール・シューリヒトの記録を再生して、つくづく、彼はその意味で達人、ツーウエイの指揮者なのであったのだと、合点が行く。ガッテンガッテン!モーツァルト演奏家をして、モーツァルティアンという称号を与えられるのだそうだが、シューリヒトはまさしくモーツァルティアンに相応しい指揮者と云える。ディスクを再生していると、彼が目くばせをしてプレーヤーたちが生き生きと歌うという姿が、目に浮かぶのである。それは、ちょうど、レナード・バーンスタインが成し遂げた境地に近いものがある。周りの音楽家がこぞって、称賛する故である。
 シューリヒトの眼差しは、きっと、温かいものであったに違いない、そういう音楽である。キングインターナショナルが最近リリースしたLPレコード、モーツァルト作曲、ピアノ協奏曲第19番K459というヘ長調の名曲には、クララ・ハスキル、フェレンツ・フリッチャイ指揮した名盤がすでに存在するのだが、そこにカール・ゼーマン、カール・シューリヒト指揮する名演奏に出会うことが出来たといえる。オーケストラすべてのプレーヤーと交流して築き上げた、稀有な名演奏、記録であり、歌に満ち溢れたモーツァルト演奏である。管楽器弦楽器両方の演奏家が生き生きと歌を披露している。これは、滅多に出会うことのないディスクだ。LPレコード収集家冥利に尽きる経験となろう。
 記録データによると、五月十九日1961年とある。感動を覚えたのは十九番19日ライヴ録音というだけにあらず、その年はハスキル・ロスの半年後のことであったという事実だ。ハスキル1895.1/7ブカレスト生まれ~1960.12/7ブラッセルで逝去した名女流ピアニスト、カール・シューリヒト1880.7/3ダンツィヒ生まれ~1967.1/7スイスのレマン湖畔コルソ・シュル・ヴヴェで亡くなった達人指揮者との間には、モーツァルト演奏という共通項、二人とも最高のモーツァルティアンといえる音楽家なのである。カール・ゼーマン氏は独奏で男性的でミケランジェロ、ダビデ像のような演奏を披露している。
 モーツァルトの愉悦は、花咲く満開の野山に、包まれた・・・という音楽である。

平成29年ドラフト会議一位指名ルーキー清宮幸太郎の一軍六番DH二回裏初打席三球目、ホームラン性の打球、センターフェンス直撃の時ライト外野自由席に居て鳥肌が立ってしまった。
 いつもならテレヴィ観戦だけれど、5/2は特別な日である。セブンイレブンでチケットを購入して夕方五時から札幌ドームで4時間ほど過ごした。
  この同時感覚こそ、オーディオ記録ディスク再生の目的と一致するものである。綺麗なだけの音響にあらず、生々しくて音楽性の表現を受け止められる再生こそ、目的とする醍醐味であろう。ヴィオラ=アルトという楽器は、ヴァイオリンと同じ形なのだが、GDAEという調律チューニングと異なり、CGDAという具合に中音域担当、ハ音(アルト)記号で記譜された楽譜を使用する。ト音記号より低めの音域に相当する。第二線がG一点ト音に対して第三線がC一点ハ音ドの音になる楽譜を使用している。読譜といって、C管、実音の楽器は移調しないでそのまま読むのだが、例えばBフラットの楽器、クラリネットなどの場合、ニ長調楽譜で実音がハ長調の音楽になる。アルト記号楽譜の場合、ト音記号楽譜でロ長調の感覚、フラット記号はネグレクトして演奏すると、移動したドレミファで読みハ長調の音楽になる。
 多分、サイト観察者の諸姉諸兄のみなさまには、チンプンカンプンであろうと予想されるので大変失礼!ではあるのだけれど、これをクリアできると、楽器を演奏する人の感覚が理解できる。★話を楽器のアルトにもどすと、中音域の楽器というわけである。ただし、ヴァイオリンは音響が楽器の上へと向かう方向と、楽器裏板が響く方向、下の方向という二つの方向性があるのに比較して、アルトは上の方向一つである。どういうことかというと、ギターという楽器、胴体は表面が音響的に共鳴して、裏の板は演奏者の身体が触れても構わないのと同じ原理である。
 EMI録音でジャクリーヌ・デュプレがB面でチェロの音楽、そのA面はハーヴァード・ダウンズ演奏のアルトの音楽。ただし、両面に共通するのは、チェンバロ、ピアノ、パイプオルガン、ハープ、ギターなどと伴奏する楽器は変化している。このディスクで、チェンバロ伴奏の次に、パイプオルガンが演奏されるとき、それは驚きを禁じ得ない。実際の演奏会では、滅多に実現されない組み合わせであるからなのだけれど、それは、レコード再生芸術の醍醐味である。そこのところ、コンパクトディスクでは、決して表現されない、アナログ音盤ならではの世界、クリケットレコードに在庫はあるとのことで、お買い得である。パイプオルカンの記録としても秀逸で、足鍵盤スウェルの独特の再生音は、聴いてその手応え感は、聴いた人にしか分からない世界、微妙な表現ではあるのだけれど、その驚きに鳥肌が立ってしまうほどだ。
 アルト演奏の伸びやかな音楽に、溜飲の下がる思いをする。裏板の水平な感覚は、響きが上へと向かうのが見えるかのようで、実に楽しい。先日、アルプス交響曲の演奏会で、P席というパイプオルガン下に着席した人は、アルトの音が大変よく聞こえて、楽しかったと言っていた。正面客席に座るより、オーケストラの奥に座った座席は、アルトが一段とよく聞こえるのは、そこのところ楽器の構造からきているのだ。
 いずれにしろ、楽器を充分に鳴らしている演奏は、聴いて胸のすく思いがする。目をつむり、その前で楽器の方向性が感じられるようにレコード再生を追求、向上させることにより一段と高いオーディオ世界が広がるというものである。演奏家の演奏と同時体験の感覚こそ、求める最高の境地ではなかろうか?風は吹いてくる・・・

 26日札幌でもようやく桜開花宣言、4/27新しい首席指揮者就任記念定期公演モーツァルト交響曲イ長調K201、R・シュトラウス、アルプス交響曲を聴いた。演奏会でこの作曲家のカップリングは、とても相性が良い。
  コントラバスが4挺で前半の演目、アルプス交響曲では8挺で演奏された。つまり弦楽は四十人でモーツァルトが演奏され管楽器はオーボエとホルンで二管編成。セッティングはオーボエの向かって左側にホルンが配置された。これはコントラバスがオーボエ側にあるためで、下手側に配置されていたならば、逆側に配置されるのだろう。ということは、ホルンの音響をベル側に広がると発想すると、それは舞台上手側配置が理想だから、第一Vnとチェロ・コントラバスが指揮者左手に展開し、アルト・第二Vnが指揮者右手側に居てその奥にホルン、という配置が作曲者のパレットのはずであると指摘しておこう。
 ヴァイオリン奏者二十二人の右手ボウイングを観察していると、手首の柔軟性に差異が見受けられた。しなやかな運動性を発揮している女性奏者に注目していると、手首の高さの保持が秀逸でなおかつ、音楽的にスムースなアップダウンで演奏されている。そこのところ、見ものだ。
 アイネアルペンシンフォニー作品64、指揮者は前日リハーサルトークで、お聴きの方は散歩ウォークを楽しんでください、疲れないように!と発言していた。100人余りの四管編成、パイプオルガンも活躍していた。頂きに登頂して、女性首席オーボエ独奏の旋律、第一第二ヴァイオリンは静かにトレモロ、Vnがステージの両袖に展開していると、どんなにか、素敵なことであろうと、つくづくそう思わされる音楽である。さらに、下山していく途中の、フルート四管による斉奏ユニゾン、さらにクラリネット四管が加わるとき、作曲者はフルートの向かって右側に配置されている音楽を想定していたに違いないと思われる。音響は広がるのだが現実は、ヴァイオリンが舞台下手側に束ねられているし、フルートやクラリネットも下手側に束ねられていて、聴いていてまことにつまらなく感じる。
 ルドルフ・ケンペは1961年にロイヤル・フィルハーモニーのバトン、常任指揮者をトーマス・ビーチャムから受け継いで、色々あった後、66年4月アルプス交響曲を英RCA録音、6月にロイヤルの称号は女王から許諾を得た。素晴らしい演奏が記録されている。
 左右のスピーカーは、それぞれにヴァイオリンの音が聞こえることは、重要なポイント、すなわちコントラスト左右対称となるべきは、ヴァイオリンとアルトではあらずで、第一Vnと第二Vnという感覚であろう。歴史的には、演奏リスクの無い第一と第二ヴァイオリンの束ねられた配置が選択されたというのが二十世紀後半であった。ところが、最近の演奏会ではヴァイオリンの対向配置が復活している状況である。リスクが高いことにより緊張感も充実してグレードの高い音楽になり、面白さが倍増するだろう。ルドルフ・ケンペは、そういう記録をディテスクで鑑賞することが可能である。ただし、後年の記録EMIではステレオ録音の多数派に従い、左スピーカーで第一と第二のヴァイオリンが聞こえるタイプ、右スピーカーではチェロとコントラバスという具合である。ここに、第一と第二ヴァイオリンの左右に広がる演奏を紹介して、その価値を発信する。
 だいたい、また両翼配置の話か?というふうに思われるのが関の山なのだが、盤友人はそこのところ、オーディオのグレードアップに伴って、聴き方もそのように変化するものだと、つくづく思う次第でそこの分析を回避しないのである。モーツァルトをモノーラル的な聴き方ではなく左右対称とすべきは何か?を問うているといえる!演奏会のあり方として、指揮者方からの一方通行の提起ばかりでは、マンネリズムという指摘をしたい。保守の思想こそ、克服すべきテーマではあるのだから・・・

 桜の季節、というと本州はひと月前の話でも、松前、函館は4/25水曜日に開花宣言された。日本列島は北から南まで距離は長い。桜前線ようやく北海道に上陸といったところか?エゾヤマザクラはすでに、開花していたのだが・・・FM放送、NHK交響楽団ブロムシュテット指揮でベートーヴェン、そしてブルックナーの演奏を聴いた。解説者の方は、第二ヴァイオリンの演奏がよく聞こえたということを発信していた。
 そういう楽器の配置であったということで、そういうことを口にはしなかった。盤友人はいつもヴァイオリン・ダブルウィングを指摘しているのだから、楽器配置の問題、評論家たちは忖度しているのだろうと思っている。指揮者の責任として楽器の配置は決定されるからだがたとえば、管楽器でもクラリネットとファゴットの配置を、映像ではある話、フリッツ・ブッシュ指揮ドレスデン・シュターツカペレでは、ファゴット奏者の向かって右側にクラリネット奏者は座っていた。バンベルク交響楽団がカイルベルト指揮の時もそのようであったと記憶している。
 そのことは、ベートーヴェンでは第五交響曲の開始が弦楽合奏とクラリネットのユニゾン斉奏の意味として、舞台上手音響の補強であろうという感覚から理解できる話であるなどなど、指揮者の責任、それ以上に、たとえば、舞台上手の袖に第二ヴァイオリンを配置する効果について、音楽を愛する人たちは、語ってほしいというのが盤友人の願いなのだ。
 トーマス・ビーチャム1879.4/29~1961.3/8は、モノーラル時代からステレオ時代にかけて、録音を残している。彼は第一と第二Vnを束ねる配置で、右スピーカーからチェロやコントラバスが聞こえるタイプ。モノーラルではそこのところ区別はないから問題は無い・・・、ということを言いきれないで、盤友人は、第一Vnの後ろにコントラバスが配置される演奏とは、音楽が少し、ニュアンスが異なるということを発信する。
 価値の優劣ではあらず、ということは、片方の演奏を否定するのではなく、だから、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のホルン吹奏に思いを馳せる。
 その演奏には安定感、存在感、ハイトーンの美しさ、フレーズの入り方のさりげなさなどなど、そういう音楽にはあまり出会うことが無いものである。1951年フィリップス録音盤、録音年から推察して見当をつける。その当時ロンドン在住のホルン奏者の筆頭といえば、一人、デニス・ブレインである。
 第一楽章開始からして荘重な雰囲気でホルンが合奏の中から吹奏され始めると、ああ、レコードにクレジットがあるものではないのだけれど、ビーチャムが1946年から組織した男性ばかりの管弦楽団メンバー表にはデニスの名前がみとめられるのである。そのように聞き入るとこのPh盤の価値は高いものがある。アイザック・スターン三十一歳頃の演奏で、銘器グァルネリウスの音色はとびきり美しいものがある。スターンはこの曲第二楽章開始の或るエピソードとして、オーボエ独奏の名演に聞きほれて自分の入りを忘れてしまった、というのは実話とのこと。
 モノーラル録音では楽器配置問題を微妙に避けているので、ホルン奏者は誰か?などというテーマは、魅力がある。ある人など、演奏会でオーケストラ演奏の聞こえ方は、モノーラル的という指摘をするのだが、それは、ある一面ではそのようであるともいえるが、作曲者の耳を基準にすると、ステレオ的に楽器配置の左右感を無視することはあり得ない話ではある。
 協奏曲の演奏、独奏だけではなくオーケストラに注意を働かせることは、オーディオ醍醐味の一つで、桜の季節に、デニスを偲ぶのもまた一興・・・

4/15は四月の第三日曜日で、恵庭SP倶楽部第264回鑑賞会に足を運んだ。22周年を数え、蓄音機は電動式、EMGマークⅩ(ten)。直径八十センチほどのラッパ、軽いうえに丈夫で固められた紙質のホーンは見事である。歌謡曲を米国製SP78回転のレコードで再生する。その音圧は生の音楽に近い感興を受けるから不思議である。クラシック音楽ではメンデルスゾーンの無言歌集などを楽しんだ。ホーンが一つというモノーラルの典型で聴いたものだが、我が家ではモノーラル録音LPレコード、スピーカー二台で再生して音像は壁面一杯の反射音を聴くことになる。すなわち、スピーカーが一個ではなく、上下に一対のウーファーとドライバーが左右に二台でもって再生する。そこのところ、ステレオ録音再生の場合の左右感があるのとは異なり、少し愉しむ余裕が生じる。
 室内楽で弦楽四重奏曲はヴァイオリンが二挺、アルト=ヴィオラそしてチェロというもの。モノーラルの再生では、それが中央に縦一直線で聞こえるのだけれど現実の演奏によると、ステージで横一列に並ぶのが実際なのだから、色々な想像を働かせる余地が生じる。ピアノに向かうとき、左手側は低音域で、右手側は高い音域。弦楽器もチェロの場合、四本の弦は客席から演奏者に向かうと左側が低音の弦である。そういうことからして、チェロとアルトの並び方は客席から向かうと左側にチェロが聞こえた方は自然と云えるのだろう。その上で、第一と第二ヴァイオリンは左右に展開した方が、聴こえ方としてその対話は楽しい。
 クロード・ドビュッスィ1862~1912は1893年31歳でト短調作品10を発表、四楽章形式で第三楽章はアンダンティーノ少しゆったりしたもの。アルトの独奏で開始され、チェロがピッツィカートで合いの手を入れる。ボリス・クロイトの歌うような入り方は絶妙で、ミッシャ・シュナイダーの付け方もなかなかの腕前、第二Vnアレクサンダー・シュナイダーのたっぷり楽器を鳴らした演奏が続いて第一Vnヨゼフ・ロイスマンの高音域旋律線が、合奏を格調高いものにしている。
 モノーラル録音はカートリッジをそれ専用型でもって、ラインコードを一本で繋いで、プリアンプの部分でAプラスBセレクター使用という具合に結線する。そうすると、ノイマン製のコードよりテレフンケン製のものを使用したとき、四台の楽器の音響が立体的に充実して再生されるから、そこのところは聴きごたえがある。ブダペスト四重奏団の演奏は、1957年5月のCBS録音レコードで、発売された当時から名演奏の誉れ高いLPである。
 印象主義というのは美術史での言葉、その時代の音楽がドビュッスィの作曲になる。音色は華麗で形式は自由なところからして、なよなよしたものを予想をされる方もいらっしゃるだろうが、この弦楽四重奏曲は想定外の厳しい音楽である。四人の掛け合いが丁々発止としていて、寸分の隙が無い。それでいて緩徐楽章は星空を感じさせる魅惑的な音楽のようで、第四楽章は生き生きとして、長調の音楽を目指しフィナーレを迎える。
 現実の演奏では、舞台の左手側にヴァイオリン二挺、右手側にアルト、チェロという左右に高い音から低い音という概念でセッティングされる場合が多いのだけれど、最近の演奏会では、左右舞台袖にヴァイオリンが展開されて中央にチェロとアルトが配置される古典四重奏団が取り上げるタイプも見受けられるようになった。この時代を超えた配置こそ、作曲者のイメージに近い、演奏効果が高いものといえるのだろう。盤友人はモノーラル録音でもって、自由な想像の世界に遊んでいるといえる。その豊穣な音楽再生のためにオーディオはある、といえるのではなかろうか ? モノーラル録音評価の点数が低くて、ステレオ録音は数値評価が高いというのと、正反対ではある。

ザルツブルグ発訃報4月16日ギュンター・ヘグナー死去、肺がんで入院していたという。
  彼は13歳ウィーン市立音楽院、ウィーン高等音楽院に進みシュティーグラー門下の二人、フランツ・コッホ(1908~82)、レオポルド・カインツ(1903~84)に師事していた。65年フォルクスオーパー首席、67年国立歌劇場第三奏者を経て、70年ウィーン・フィル首席奏者就任、75年カール・ベーム来日公演に帯同して以来2015年来札まで、PMFには14回の出演を数えた親日家、多数の門下生を輩出し晩年はグラーツ音楽院で後進指導にあたっていた。   1979年カール・ベーム指揮ウィーン・フィルとモーツァルトのホルン協奏曲四曲をドイツグラモフォンに録音、名演奏を記録している。M氏には1782年第一番ニ長調K412/514、1783年第二番K417、第三番K447、1786年第四番K495、いずれも変ホ長調を作曲している。楽器はF管のためのものでフレンチホルンとは、少し構造が異なり、それにもかかわらずそれゆえにこそヘーグナーさんは、名技性を遺憾なく発揮している。
 ベーム指揮のレコードは第一と第四番をA面、B面に第二と第三番を収録していて、とりわけて第三番は名曲である。第一番からしてウィーン・フィル面々の並々ならぬ演奏意欲に圧倒される。ホルンという独奏楽器は、音程の操作に極めて習熟性を要求されるもので、そのことをプレーヤーならばみーんな承知していること、そのヘーグナーさんに対するリスペクト尊敬の念たるや、このLPレコード一番の聴きどころと云える。その容貌も丸顔にこやかで、難儀感を微塵にも見せないのだが、演奏する表情はさすがに厳しいものがある。
 楽器の構造として、ナチュラル・ホルンというバルブ構造の無いものもあるが、それでもって演奏するのは至難の技術であろうことは想像に難くない。ベートーヴェンの時代に楽器構造も発達していて、それより以前のM氏の作曲には、信じられないくらいの天才性が発揮されている。ということは、当時それくらいの技術を有した演奏者がいたということであろう。その伝統の上にモーツァルト演奏は継承されている。なにより、ウィーンの楽人たちの面目躍如、230年余りの歴史、弦楽器奏者たちの輝きに満ちた音楽的表情、その愉悦感を再生することにこそ、オーディオの醍醐味は味わえるというもの。あのヘーグナーさん、ホルン吹奏でトリル、たとえば、ミレミレミレミレなどとやられるとこちらとしては、目を丸くして聴き入ることになる。
 PMF国際教育音楽祭は1990年バーンスタインの提唱で北京開催予定のはずが札幌に白羽の矢が立ったといわれている。91年以来、ヘーグナーさんは来札を重ねて市民に親しまれた存在だった。バーンスタインの遺志は脈々と受け継がれて、ライナー・キュッヘルやデヴィッド・チャン、アンドレアス・ブラウなどビッグネイムが札幌で教授活動を続けているのは、何より恵まれたことといえよう。
 モーツァルトなんて古い古い、などと思われるのも無理からぬことではあるのだが、彼の音楽は、天上の音楽といえるほど無二の芸術であり、その恩恵にあずかれるか否かはその人の人生の何たるかに関っているといえるのであるまいか? 市民革命時代に生まれた彼の芸術は、時代を超えて近代的な人生に恵みをもたらす奇跡ではある。
 彼のオペラには人間の心理的深層に深く関わりがあるドラマが展開している。その音楽を源泉にして、ベートーヴェン、シューベルト、リストなど歴史は止揚アウフヘーベンを見せているのだ。ヘーグナーさんの演奏は、ウィーン音楽そのものであり、彼の音楽はお弟子さんたちに脈々と引き継がれることになるのであろう・・・

 4月16日夜10時頃、天頂にはビッグ・ディッパー北斗七星が輝いていた。柄の部分から少し離れて南東にアークトゥールス、その先の南天にはスピカという春の大曲線が描かれている。そして振り返ると西方の中空にボルックスとカストルという双子座、そのやや北寄りにカペラという具合で春の星座が美しい。少し以前には、プロキオン、シリウス、ベテルギウスという冬の大三角形が下方に移動してしまい姿を消し、星空は北極星を中心にして反時計回りで地平線に沈み込んでいく。月齢0,0の新月、日出4:52日入18:18月出5:16月入18:20の日にあたり、星の夜として眺め易いといえるのだろう。
 こんな夜にリコーダーの音楽がふさわしい。ヤーコブ・ファン・エイク、1590~1657には、ソプラノ・リコーダー一本による涙のパヴァーヌ・ラクリメという名曲がある。オランダ、ユトレヒト大聖堂のカリヨン奏者だったエイク、教会の庭を散策する人々のためにリコーダーを演奏したといわれている。
 フランス・ブリュッヘン1934.10/30~2014.8/18アムステルダム没、彼の出現は二十世紀の音楽上歴史的事件だったという人がいるほどのビッグネイムである。楽器としては、歴史的名器から現代のゼンオン楽器にいたる幅広い使用、52~56年にかけてケース・オッテンにリコーダーとフルートトラヴェルソを師事したほか、フルートをフーベルト・バルワーザーにも学び、ソリストとして活動する傍ら、ハーグ王立音楽院のリコーダーと、十八世紀音楽の教授となりアムステダム音楽院、ハーヴァード大学など各地の教授活動に招かれていた。81年には十八世紀オーケストラ、古楽器による管弦楽団を創設するなど指揮活動にも幅を広げた。92年にはエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団の首席客演指揮者を務めていた。91年ロイヤルコンセルトヘボウ、93年ザルツブルクでウィーン・フィルを指揮している。初来日は73年、指揮者として88年、十八世紀オーケストラとともに来日する等しばしば日本を訪れている。
 フランス・ブリュッヘンの演奏は特徴があって、ときどき吹き込むなどしていても、基本的にはノンヴィヴラート、豊かな鳴りを聞かせるスタイル、確実な技術性を発揮していて、鍛え抜かれた修練を経た安定感を披露する。リコーダー、ブロックフレーテは、発音が容易であり、多数の人々に愛されている。室内楽で本領を発揮していて、わずか、一本の楽器でも魅力をもった吹奏楽器。二本の合奏アンサンブルでは、簡単に倍音が鳴り、その魅力を知る人には、愛してやまない世界が広がる。
 ブリュッヘンの録音は膨大な数量に及び、そのLPレコードは、テレフンケンレコード、セオン、フィリップスなど幅広く、十六世紀から二十世紀まで作曲家も多数に及ぶ。共演する芸術家として、チェンバロ・ハープシコードはグスタフ・レオンハルト、ヴィオラ・ダ・ガンバではニコラウス・アーノンクール、バロックチェロではアンナー・ビルスマなど、バロック音楽の泰斗がずらりと名前をそろえている。彼の晩年は指揮活動に入ってはいたのだが、その音楽は、アグレッシブ、積極的なおかつロマンティックで精気に溢れたものであった。パッション情熱にあふれ、作曲家へのリスペクトの上に、鍛錬を経た音楽性は衆人を魅了する。
 オーディオ追求の上で、倍音の音圧が向上を見せることにより、演奏の魅力は幅を広げる。線を繋いだだけで得ることのできない世界、時間をかけ、経験を積み、感性を磨き、人間性を陶冶してこそ味わうことのできる愉悦、簡単ではないからこそ、その有難味は尊い。アーティストと比較できる話ではない、分かってはいるのだけれど!

 以前に盤友人が、豊平川左岸線とかの名称について、間違えた発信をしていたことがある。その時の認識は、川上に向かって右左と考えていたのだが、それは単なる勘違いで、正確には、川が流れる方向に向かって右岸線とかが規定されているということである。だから豊平区側に対して中央区側が豊平川左岸線という呼称であって、それは、インターネットで容易に確認できる。京都御所から北を背にして東が左京、西が右京という発想に似ている。地図の上では右側が東で左京区ということである。
 ピアノの演奏を耳にして、スタインウエイ、ベーゼンドルファーという識別はむつかしい。LPレコードの場合、ピアノ、という表記が大多数であって、メーカーのクレジットはなされていないことの方が多数である。なぜなら、使用楽器はスタインウエイであることが多い事による。ヴィンテージ・オーディオの経験を積み重ねることにより、ピアノ・メーカーの識別が明確になってきている。すなわち、スタインか?ベーゼンか?その違いは倍音の手応えにより、感覚として認識力が向上した。
 シューベルト作曲になるピアノソナタは21曲を数える。未完のものや、未発見のものもあるのだろう。そこのところ、ベートーヴェン32曲とは異なっている。その第18番ト長調は、幻想ソナタといわれていて、ドイッチュ番号はD894となっている。ラド・ルプー、アルフレッド・ブレンデルなどの演奏は、楽器の響きも美しく、まさに幻想的、素晴らしい演奏に仕上がっている。それだけを聴いていたのなら、何も、問題は発生しない。
 盤友人はパウル・バドゥラ=スコダ、1970年録音のRCAヴィクトローラ薄盤プレスを入手し、再生した。その冒頭の音楽、まるで、ベートーヴェンのソナタ第15番パストラールに共通する出だしである。音楽が下降していき、低音域のおさまりに達したとき、そのピアノの音色に前者たちとは異なる印象を与えられたのである。それは、明らかに楽器メーカーによる音色の違い、感触の手応えであった。グランド・ピアノの発達は、作曲者が耳にしていたであろうものとは、当然、違いはあるのだろう。だがしかし、バドゥラ=スコダの低音域には、説得力があった。すなわち、S氏が求めている音色は、こちらのものである、という確信は盤友人のみならず、この演奏に出会った人々はみな、同じ感想を抱くことの予想は容易である。それくらい、スコダの音楽には、作曲者の精神と共にある演奏だと言えよう。
 何も、スタインウエイが劣っていて、ベーゼンドルファーだけが優れているというわけではない。アクションの構造は、鍵盤の先の方にハンマーが弦を叩くというイギリス式がスタインウエイであり、鍵盤の上にハンマーが乗っていて手前、チューニング・ピンの近くでハンマーが弦を叩くドイツ式、あるいは、ウィーン式というベーゼンドルファーの仕様という違いは、ピアニストが楽器を選択する一つの鍵と云える。エドウィン・フィッシャー、以前はベヒシュタインを使用していたところをスタインウエイに、移行していったというのは、ものの本で読んだことかある。タッチが、スタインウエイがより、奏者の感覚に近いものがあったのである。ところが、バックハウス、カーゾン、バドゥラ=スコダたちは、ベーゼンドルファーを愛用している。アニー・フィッシャーという女流ハンガリーのピアニストもベーゼンにこだわりを見せ、共演経験のある指揮者ウォルフガング・サヴァリッシュ歌曲伴奏ピアノのほとんどは、ベーゼンであるというのは、興味深いものがある。いずれにせよ、音楽を愛し、ピアノを愛し、シューベルトを愛する時・・・ウィーンの音楽に相応しい音色を、求めてやまない。それが、オーディオの愉悦というものなのであろう。

 オーディオのグレードというもので、楽器を耳にした時、そのメーカーの個性を認識することには、かなりの興味を惹かれることがある。そのきっかけを与えてくれたのは、リパッティのジャケット写真で、ドイツ・エレクトローラ盤、使用楽器のクレジットではないのだけども、ベヒシュタインという文字が強調されたものだった。かならずしもその楽器が使用されていたのか定かではないのだけれど、LPレコードを再生すると、その楽器メーカーのキャラクター識別されることは容易であった。それが基準となると、たとえば、ウィルヘルム・ケンプなどは、モノーラル録音時代とステレオ録音時代で、ベートーヴェンのピアノソナタ全集の音色の差は明らかで、前者はベヒシュタイン、後者はスタインウエイではなかろうか?というくらい楽器の音色に違いが感じられる。これは盤友人の感覚であって、クレジットによる判断ではないのだが、そこのところ、どなたかにはご教示お願いしたいものである。仏エラートレーベルは、ベーゼンドルファーとスタインウエイのクレジット表示がなされていて、良心的と云える。
 ちなみに、件のブラームスでピアノ協奏曲第二番変ロ長調作品83、冒頭の音楽開始は、ホルンによる独奏旋律なのだが、その音色ですら、普段聴き慣れたホルンとは、明らかに異なっていて、多数派のアレキサンダー社製より明るく軽いものである。フレンチホルンですら、楽器製作者のメーカーによる音色の違いがあるのだから、グランドピアノは?という期待は高まるというものである。 
 スヴィヤトスラフ・リヒテル1915.3/20ジトミール・ウクライナ生まれ~1997.8/1モスクワ没というピアニストを代表する巨匠は、一つのメーカーにこだわる演奏者ではなかった。ウィーン交響楽団と共演したチャイコフスキーの協奏曲はベーゼンドルファーだったろうし、バッハの平均律クラヴィーア全集では、そのクレジットを明確にしたものであった。他には、スタインウエイ使用が多数だったのではあるが、フィッシャー=ディースカウとの歌曲伴奏に際しては、ヤマハを使用していた時があったりもしている。だから、今回のLPでは?という疑問を持つことは、自然なことである。
 ブラームス第二協奏曲の開始でのピアノの入り方は、始めからして、スリリングである。ミスタッチを感じるのは、独奏者の力量が最高度のピアニストであっても、ライヴ録音では、それをおそれずに、リヒテルは演奏開始をする並外れた緊張感を発揮している。彼の演奏する展覧会の絵、ソフィアライヴ録音など、ミスタッチは有名で、それを修正しない彼の音楽性は、その不名誉を通り越して素晴らしいのだから、説得力充分な演奏を展開しているのである。部分的な訂正は可能なはずであるのだが、リヒテルは小手先の細工を超えた音楽性のピアニストなのであって、彼の経歴は、それだけにちゃちなものではない、偉大さの証明なのである。彼の実力は、聴いていて安心できるから不思議である。というか、彼の性格からして、修正という手を加えた虚飾を拒否するピアニストだったといえるのだろう。ある評論家などは彼の集中力を評して、演奏会のある一瞬、途切れることを指摘するするくらいに、張り詰めていることを表現していた。ここでも、ベーゼンではない、とかスタインでもない、もしかすると?プレイエルなのか?そういえば、オーケストラはヴィトルド・ロヴィツキ指揮したフランス国立放送管弦楽団、シャイヨー宮、劇場ライウ録音であった。第一楽章での最高音決め打ちの輝き、第三楽章の素朴な音色などからすると、さもありなんという印象を盤友人としては、楽しんでいたのである。モノーラル録音でもピアノの音色はくっきり・・・スタインだったのか?はたまた、プレイエルだったのか?興味を惹かれる演奏なのである。メーカー問題は、ペンディング一時預かりとしておこう・・・1961年10月6日ライヴ録音、拍手入り。

オーディオには色々なこだわりがあり、中でもラインコードは開始から現在まで悩ましいものがある。最近のゴッサム一辺倒から、米国ベルデン社製の細くてかたい丸線の二十年前のものに取り換えてみて、スピーカーのドライバーという高音域担当のバランス、豊かな鳴りに腰を抜かしてしまった。流石、ベルデンということで、KT氏に相談するとジャズには良いんでないかなと言うことだった。彼、最近のイチオシはもちろんゴッサム、だから簡単には承知しない。そこで、ゲオルク・ノイマンに代えてみたら?というアドバイスを即答する。
 盤友人は逆らわずに試してみると、それはそれはのけぞってしまうことになる、透明感が深化を見せたのであった。こういう経験は滅多に味わえるものではあらず、その瞬間の経験は不滅である。オーケストラの録音を再生して、それぞれの声部が鮮やかで、印象的に聞こえる。すなわち、低、中、高音域のバランスは一定であって、強調されることは無い。よくある現象なのだが、高音域が強調されたり、あるいは、中低域が豊かになったりするのだが、ノイマンのケーブルには、そのような味付けは無かった。
 それどころか、ピアノの旋律線メロディーラインはくっきりと、響きが連なる具合で、いわゆる透明感が向上を見せたのである。それは、音像、左右の広がり感が充実して、ABチャンネルと中央の定位がなめらかでワイドになる。つまり、二つのスピーカーの中央の実体が現れて、モノーラル録音であっても後方壁面の音像が拡大化されるのである。
 ジャック・ティボー1880.9/27~1953.9/1のSP録音復刻盤を再生する。1936年や、1944年5月パリ録音、ラヴェル作曲ハバネラ形式の小品で、タッソウ・ヤノポウロ演奏するピアノの伴奏がみずみずしい。倍音の鳴り方が豊かで魅力いっぱい、ラヴェルの作曲がいかに、天性豊かなものであったかを知らしめるに充分な再生音なのである。普通の再生グレードでは、スルメを噛むような味わいのところを、唾液が一杯、味わい一杯の音楽に変貌する。それくらいに録音盤の情報が、そのままスピーカーから再生される喜びは何物にも代えがたい。ティボーの音色は、ガット弦の魅力いっぱいなのであろう。ジャケット写真に注目すると、向かって左側のG線という太いものの隣、D線は斜め上に巻かれている。これは、もしかするとティボー独自の巻き方なのかもしれないので彼の秘密の一つとして発信しておきたい。
 彼の音色、ヴィヴラートは、比べるものなきがごとく、高潔な音楽性は聴く者の精神を昇華する。明るい輝きは、ジネット・ヌヴーの音色と同じく銘器ストラディバリウスの所以である。53.9/1の悲劇は、彼の遺骸が散逸、楽器の弦の一部だけ埋葬されたという悲しすぎるエピソードに象徴的である。73年間で彼の音楽は日本に三回目の登場を与えてもらえなかったのだが、チャップリンと一緒、東京で天婦羅に舌鼓を打ったとあるライナーノーツの記事にホッとする。フランスレジスタンス参戦の経歴もあるのだが彼の録音は永遠である。だから、オーディオの醍醐味とは、こういう音楽再生にあるのではないかと、盤友人は楽しんでいる。
 来年でその歩みから四十年、ということは、人生、下り道にこそ、勢いは増すというもので、注意が肝心、折り返し地点からゆっくり、しかし確実な歩みにこそ開ける世界はあるというもの。音にではなく、音楽にこそ救われる神は宿る。ティボーの音楽に、酔うのであらず、SP復刻を、よだれ一杯にして味わうところに高みはあるのだろう。ゲオルク・ノイマン様様である、と言ってもこれからの入手は至難だかといっていたなぁ・・・



ヘルベルト・フォン・カラヤン1908.4/5ザルツブルグ生まれ~1989.7/16同地没
 二十世紀を代表する指揮者の一人、モノーラル録音からステレオ録音、デジタル・コンパクトディスクに至るまで、膨大な録音盤を残している。アーヘン歌劇場音楽監督で出発、1955年からはベルリン・フィルハーモニカーの指揮者として活動して、他にもウィーン国立歌劇場音楽監督を歴任、日本には1954年4月単身で登場し、日比谷公会堂、京都劇場、宝塚劇場、名古屋市公会堂などで指揮している。管弦楽団はNHK交響楽団。
 その後、1957年11月二回目の訪日、ベルリン・フィルハーモニー演奏旅行、日比谷公会堂、名古屋公会堂、福岡・電気ホール、八幡製鉄体育館、広島市公会堂、宝塚大劇場、神戸・国際会館、産経ホール、東京体育館(NHKSO)1959年10/11月ウィーン・フィルハーモニー演奏旅行、1966年4/5月ベルリン・フィルハーモニー演奏旅行で、東京文化会館、宮城県民会館、札幌市民会館、愛知文化講堂、金沢市観光会館、大阪・フェスティバルホール、岡山市民会館、高松市民会館、松山市民会館、福岡市民会館、広島市公会堂などにて指揮している。
 1970年5月ベルリンpo演奏旅行、大阪フェスティバルホール、東京文化会館、日比谷公会堂で指揮している。5/14?にはプローベ・リハーサルをジョージ・セルが訪問し、その当時、大阪万国博覧会でクリーブランド管弦楽団公演が後に続いていたのだった。
1973年10月同じく、NHKホール、大阪フェスティバルホールで指揮、1977年11月同じく、大阪フェスティバルホール、東京普門館で、1979年にも同じく、10月21日にはこの時の普門館第九公演がCD化されている。1988年4/5月、同じく、大阪シンフォニーホール、東京・サントリーホールで五回の公演を指揮している。カラヤンの来日は計九回を数えるほど、親日家といえるのだった。
 同じベルリンpoであっても、弦楽器や管楽器などプレーヤー、メンバー自体が交替していて例えば、オーボエなど50年代から77年まではロータール・コッホが首席であったのだけれど、チャイコフスキー冬の日の幻想第二楽章を聴くと明らかで演奏スタイル、ビブラートの掛け方等は異なる。次期の首席、ハンスイエルク・シェレンベルガーの演奏である。彼の師はマンフレート・クレメント、バイエルンの地で活躍したスタイルを有していて、ベルリンpoのスタイルがコスモポリタンといわれる所以である。ウィーンフィルはそこのところ、少し異なりウィーン高等音楽院の伝統が生き続いているのと違うといことなのだ。
 冬の日の録音は、77年12月9、10日。その頃のシーズンから彼はエキストラ演奏者として活躍し80年シーズンからは首席奏者に就任している。コッホの演奏スタイルに耳なじんだオーボエでは、シェレンベルガーのそれはビブラートが抑制されるなどして、かなりフレッシュ新鮮である。
 カラヤンのチャイコフスキーは、作曲者へのリスペクト、尊敬の念を通り越して、明らかに、カラヤンらしいスタイルに仕上がっている。それは、第四楽章を聴くと明らかになる。つまり、モーツァルトのジュピター交響曲が手本とされていて、楽器声部の入り方、すなわち、Vn両翼配置が底辺になっているところを、アルト、第二Vn、第一Vnそしてチェロ・コントラバスなどに受け継がれる音楽は、カラヤンのもの、すなわち現代主流型配置である第一と第二Vnが束ねられたものでは、いびつな音楽になっているのである。
 第二楽章でホルンのユニゾン斉奏が左スピーカーで位置し、コントラバスが右スピーカーから聞こえるのは作曲者のイメーシ゛とは正反対なのであり、現在、復古した配置で聴くと腑に落ちるというものである。ここで気を付けなければならないことは、それだけでカラヤンの音楽が否定されるのではないということだ。配置自体は、時代の反映なのであり、作曲者へのリスペクトこそ、復活した両翼配置の哲学と云えることなのだろう。カラヤンを尊敬する指揮者は多数いることだろうが、時代のスイッチ転換に敏感であることは、要請される指揮者の生き方である。 
※今年4月5日でカラヤンは生誕110年を迎える。

ベルリンフィルと結びつきの古い指揮者というとフルトヴェングラー、三度も全集録音を成し遂げたのはカラヤン、最初のCD全集はアバド、最近の全集録音はというとラトル、最初のLP全集レコーディングを果たしたのはアンドレ・クリュイタンス1905.3.26アントワープ生~1967.6.3パリ没である。ちなみに三回録音したカラヤンは、1960年代イエスキリスト教会、1970年代フィルハーモニーホール、1980年代同ホール、デジタル録音という変化を見せている。ラトルは2015年フィルハーモニーホールライヴ録音LPレコード全集、そんなわけで、最初の全集録音がクリュイタンスであったというのは、意外と言えば意外であろう。
 いうまでもなく、例えば、三回録音したカラヤンのものなど、芸風はそれぞれに異なっており、発売当時、評論家たちは競って発売された時には、今回の録音は優秀であるとか、なんとかで、売らんかなの論調であったことは記憶に新しい。カラヤンは、オーケストラプレーヤーとの連携構築は彼の宿命であり、60年代はフルトヴェングラーの影響への対決姿勢は、微妙なものである。そんな中で、クリュイタンス指揮する英雄交響曲作品55を鑑賞した。ステレオテイクモノーラル盤、フランスEMIの全集で、録音年は1958年12月15、16、18、19日、グリューネヴァルト教会でのLP。
 クリュイタンスは、王立劇場の合唱指揮者を経て常任指揮者に昇格、トゥールーズ、リヨン、ボルドーなどと歌劇場の経歴を積み49年にはミュンシュの後任として、パリ音楽院管弦楽団の常任指揮者となり62歳で亡くなるまでその地位にあった。55年にはバイロイト、ミラノ・スカラ座でもワーグナー指揮者として活躍、ウィーンフィル、ニューヨークフィルの指揮台にも登場、64年には来日を果たして名演奏ライヴ録音を残している。
 彼のエロイカ英雄交響曲を一聴して、印象的なことは、スピーディーというテンポ感であろう。フルトヴェングラーの52年12月ライヴなどを聴いてみると、その演奏するテンポは、アレグロ快速にの後にくる緩やかな部分では、明らかに別なテンポ感のものとなるのだけれど、クリュイタンスが指揮すると、緩やかなものでも、快速な部分と一体感が継続するという違いを感じる。どういうことかというと、F氏の場合、ベルリンフィルのメンバー、演奏者との連携が精神的に深いものがあって、いわば、神がかり的なものに仕上がるのに比較して、C氏の場合はそこまで求めていない、というか神がかり的とは言えない。
 F氏の52年のものでも、C氏の58年の第四楽章のフルート独奏する部分で、首席奏者オーレル・ニコレは25歳と31歳の違いがあり、彼は59年8月でベルリンフィルを去っている。その演奏スタイルは同じでも、C氏の録音で抜群の安定感を記録しているのは、特筆しておきたい。
 エロイカ英雄交響曲は、ナポレオン・ボナパルトに献呈するはずだったものをB氏は皇帝就任に抗議を込めて破棄し、第二楽章は葬送行進曲としている。クリュイタンスの演奏では、その音楽の終え方は特徴的で、激しい感情表出の後に、ロウソクの火が消えるかのようで印象的な演奏になっている。
 後世、フランス音楽の大家と目されているけれど彼のオーケストラ統率力は、並々ならぬ53歳の指揮芸術を記録している。
 フルトヴェングラーとカラヤンの狭間にあって、その洗練された大編成オーケストラのエロイカ英雄として最初に記録されている事実は歴史を眺めるうえで貴重。こうしてカラヤン時代の先鞭と位置付けられる演奏は、聴いていて心地良いものがある。モノーラル録音を充分に鑑賞出来て、時代を俯瞰することは、実に愉快・・・

レクイエム鎮魂ミサ曲、死者のためのミサ、ガブリエル・フォーレ1845~1924は、1890年頃作品48を作曲していて1893年小編成第二版がある。イントロイトゥス入祭唱キリエ、オッフェルトリウム奉献唱、サンクトゥス感謝の讃歌、ピエ・イエズああイエスよ、アニュス・デイ神の子羊よ、平和の讃歌、リベラ・メ神よ許し給え、イン・パラディスム楽園にてという七曲。バリトン独唱は奉献唱とリベラ・メ。ピエ・イエズはソプラノの独唱。混声四部合唱と管弦楽伴奏、バンダとしてホルン、トロンボーンも参加している。
  ナディア・ブーランジェ1887,9/16~1979,10/22パリ、モンマルトル墓地にリリー1918年没の妹と一緒に埋葬されたという。ナディアは十歳でパリ音楽院に入学、作曲理論をフォーレに師事。女性指揮者として先駆者、作曲、ピアノの門下生は多数で、1937年ディヌ・リパッティのデビュー録音、ブラームス、ワルツ愛の歌集で連弾を受け持っていた。
 フォーレのレクイエムを彼女が指揮をしてパリ放送大管弦楽団、合唱団、オルガニストとしてモーリス・デュルフレ、ソプラノ独唱ジゼル・ペイロン、バリトン独唱ドーダ・コンラートらが、1948年10月11,13日に録音している。
 普通、指揮者がタクトを振るとき、強弱を指示するために、演奏者に対して比較的、抑え目というストレスを加えるのが普通である。ところが、ブーランジェの指揮した音楽ではそのような印象よりも、合唱や独唱者の演奏には自発性が重んじられているようであり、さらにテンポ感はゆったりとしているにもかかわらず、わずかに速めであり、遅すぎることはない。何よりも、バリトン独唱もヴィヴラートがかかった謡いぶり、であるけれども、音楽はなにかグレゴリオ聖歌のような印象を与える。つまり、演奏というよりも祈り、という印象を与える音楽に変貌している。
 ジゼル・ペイロンのソプラノも愛に包まれるかのようで、その巧みな歌唱を経験すると、音楽の持っている魅力に強く心を奪われる。これは宗教曲であるが故にということもあるのだけれど、その歌唱力、音楽には深い叡知と愛情そして技術修練の上に成り立った圧倒的な説得力の前に、ナディア・ブーランジェの偉大な芸術を知らされることになる。彼女には、作曲者に直接教えを受けているのみならず、何か、音楽演奏の奥義が伝えられていて、演奏者達を磁化するような魔法を身につけているのであるまいか?というように思われる。
 オルガニストのデュルフレも魅力的なオルガン演奏を披露していて、パイプオルガンの持つ圧倒的な音楽で感動を与える。パテマルコニー、レファレンスLPレコード、SP復刻のものであるにもかかわらず、というよりそのために再生した音圧は、並みのものではない。サーフェスノイズも修正が加えられていて、聴きやすいレコードである。
 盤友人が聴きやすいものという発信をすると、誤解を与えるはずですなわち、以前聴いた時より、装置はグレードアップしていて、SP復刻録音を聴きやすいグレードまで、高める努力は必要とするものである。言い方を変えると、そのための努力が必要ということなのである。モノーラルカートリッジは必要なのであり、しかもAタイプという針圧,6.7グラムの世界にして、獲得できる世界である。レコードの溝に記録された情報を豊かに再生して、感動を得るものである。
 1948年1月には非暴力主義者マハトマ・ガンジーが死去している。そこに何の関連性も無いといえるものなのか?盤友人は、こじつけではなくて、当時の社会的情勢に夢を巡らせる。それだけで、それ以上のものではないのだけれども・・・

三月二日、大学生による混声合唱演奏会に足を運んだ、教育文化会館小ホール。
  四ステージ構成で、それぞれが若々しいコーラス、聴いていて勇気を吹き込まれるような音楽で、演奏の原点が味わえるような感動を味わうことになる。前半三部までは男性指揮者によるもので、第四部は女性が担当していたのだけれども、ステージの風景が一変した。それまでは男性が舞台下手から先に入場して舞台上手に配置され、女性が遅れて整列する。それが、男性後列に二十名余り二列、前列女性二列で十四名という具合に並んだ。風景通り、始めは女声と男声が左右対称に展開した音楽であったのが、第四ステージは明らかに響きがそれとは、異なっていたのだ。男声の分厚い響きの前に女声の響きが繰り広げられた混声合唱に変貌していた。すなわち、それまでは女声と男声があきらかに分離、セパレイトしていた響きが、一体となって面白い響きに変化を聴かせたといえる。
 女性指揮者は指揮台を外して、ピンヒールを履いていたのでロウヒールの方が良かったのにという感想は、まあ、どうでも良かったのだけれど、声部配置は思い切ったものだったといえる。きっと賢明な考えによる指揮で、コーラスに一際精彩が増したのは言うまでもない。ぶらぼうっ!それは満月夜の演奏会で、帰り道、中空に月は明るかった。
 ベートーヴェンは1825年に第12番変ホ長調作品127を作曲している。弦楽四重奏曲全十六曲中、後期作品群の最初に位置する重要な作品で、第二楽章はアダージョ、マノントロッポ、エ モルト カンタービレ。幅広く緩やかで、はなはだしくなく、そして充分に歌心をもって、という楽想用語。簡潔にして明瞭、B氏の切実さが伝わる。クリングラー四重奏団、1930年頃の録音、モノーラルレコード、いうまでもなく定位やチャンネルセパレイションはないのだけれどもチェロとアルトという低声部、そして高低二色のヴァイオリンの旋律線は、くっきりと、立体的である演奏、そう数あるものではない。唯一無二の録音と言っても良い演奏である。1960年代多数ステレオ録音の主流を占めたのは左側に第一と第二ヴァイオリン、右側にアルト、チェロの低声部というもの。
 このサイトで、書き起こしに混声合唱の話を披露したのは、合唱のことの他に声部配置問題、高音部の後ろに低音部を配置すると音響的にどうなるのか?という問題提起のためであった。
 モノーラルレコードであっても、その録音自体、声部配置が、第一ヴァイオリンの奥にチェロ、対面してアルト、第二ヴァイオリンという音楽は、多数の弦楽四重奏と、明らかに異なる音楽であるということを、印象付けるといえる。ちなみに、クリングラー四重奏団は大ホールにおける弦楽四重奏の演奏であっても、ヴァイオリン両翼配置、中央にチェロとアルトの配置写真が残されている。
 世の中では、コピーの提出問題、何をコピーしたものかで騒動を起こしているけれど、元になるものが、しっかりしていてコピーは意味があるというもの。数あるコピーを用意する意味は何も無くて、このレコード一枚の写真でもってサイト観察者の皆さんは納得が行く話となることであろう。
 思えば、陽の目を見ない録音風景写真は数あることであろうけれど、貴重なソース、お蔵入りの物も多数。それらがこれから封印を解かれることを期待される。インターネットの力は、流通するペーパーを凌駕することが出来るものなのか?興味深いものがある。輸入レコードを収集していて、自由に入手できる時代に対し盤友人は、恩恵にあずかること大なのである。自由、というのは価値あるキーワード、ありがとう!

アレキサンダー・ブライロフスキー1896.2/16キエフ~1976.4/15ニューヨーク没、1924年パリにてショパン全ピアノ独奏曲を六回のリサイタルで演奏。生地の音楽院を経てウィーンで、レシェティツキに師事、さらにブゾーニの薫陶を受けている。彼のLPレコード、RCA録音でショパンのソナタ第二番変ロ短調作品35葬送、第三番ロ短調作品58を聴いた。
 ブライロフスキーの映像を見たことは無いのだけれども、聴いた印象で彼の指は、きっと長いように思われる。と言うのは、克明なタッチのストレス、音圧感はきれいに整えられていて、というのは、均一と言うことではなくて、言ってみると、強い弱いのコントラストが、見事に弾き分けられていて印象的ということである。第二番ソナタで云うと、ピアノの音響は、鍵盤で弾いている感覚がうまく表現されていて、一音一音は際立ち、濁ることは無く明確である。一瞬、凸凹な感じを受けるのでは有るけれども、聴いているうち、フレーズの感覚が伝わってくると、作曲者の音符一つひとつに込められた意図を尊重するピアニストであることが、理解される。第一楽章は悲劇性とともに、叙事的な語り口に引き込まれる感じになる。これは、安易にピアノという楽器の音響に頼ることなく、楽想を描き切る演奏者の気高い意志の力が伝えられる。第二楽章の速いパッセージも、手ごたえ充分に演奏していて、第三楽章の葬送行進曲への期待感が高まる。あの音楽は、野辺送りの足取りそのものであり、ショパンの抱いた痛切で悲劇的な経験を表現していて、並大抵ではない。ショパン1810-1849、1837年葬送行進曲は完成していて、1839年の夏に作曲を終えた。第四楽章フィナーレの演奏、わずか75小節86秒余りである。
 葬送行進曲の演奏、一際印象的なのは、ABAという三部構成での中間部、長調の明るさは一層、明るい色調をもたらすことになる。そこは、彼ブライロフスキーの表現主義として、成功している所以であろう。重苦しい雰囲気を表現の上に、逆に、晴天を思わせるあの明るさは一体、何を表現しているのだろうと思わせる。こんな感想を抱かせるほどに明るいのである。つまり、悲哀と明朗というギャップが極大といえるのである。これは、ピアニストの表現としてより、一人の人間として、剛毅な存在であることの証明、偉大なピアニストの証左である。1932年と1966年の二回、来日を果たしているが、評論家たちの評価は余り話題に上らなかったらしい。コンディションもあるのだろうけれども、彼の演奏スタイルが受け入れられなかったのだろうと思われる。
 RCAレコード、コピーライトとして、1955年のクレジットがある。詳しい情報は得ていないのだが、1954年の悲劇として、11月に指揮者WFの死去がある。これは単なる憶測にすぎないのだけれど、この曲の録音は歴史的史実を拾って聴くと、納得が行く。つまり、演奏者にとって、現実のバイアスがかかることによって、その演奏モチベーションが倍増するというものである。順番としてはレコードを聴いて、その悲劇性に胸を撃たれ、ジャケットの情報を確かめることによって、腑に落ちるという音楽体験である。
 ここで付け加えると、この演奏はモノーラル録音ということで、オルトフォンの初期型、黒ツノつきAタイプ・カートリッジ使用して,明らかになる録音だ。ブライロフスキーの十本の指、その表現するストレスを上手に再生して、初めて、その芸術の真実に至る。オーディオの醍醐味として、必要な条件を整えて獲得する境地である。良い音とは、感覚の問題ではあらず、オーディオで努力した結果をいう。それは果てしない話・・・

モーツァルト1756.1/27~1791.12/5は、1778年3月マンハイムに立ち寄っているのだが、その3月26日、七歳のベートーヴェンは同地で初のピアノ独奏会を開催していてM氏に影響を受けたと言われている所以である。1782年にはケッヘル番号407、ホルン五重奏変ホ長調が作曲されている。
 バルヒェット四重奏団と、ホルン独奏でピエール・デル・ヴェスコーヴォ、エラート録音盤は名演奏。1950年代後半のモノーラル録音である。ホルンはヴィヴラートのあるフランススタイルの演奏で、巧みな技術、豊かな歌謡性が感じられる。弦楽器はヴァイオリン、チェロそしてヴィオラ=アルトが二本のものという、少し不思議な編成である。当時、アルトの名演奏家がいたのかもしれない。いずれにしろ内声部担当で決して目立たないパート、ホルンの音域に対応している。
 オーケストラはとても上手で強力です。両側にヴァイオリンが十人から十一人、ヴィオラが四、オーボエが・・・というのは、モーツァルトがマンハイムに立ち寄った時の文で、1778年頃のもの。ここで気を付けなければならないことは、両側にヴァイオリンが・・・という部分、これはオーケストラの風景で、ヴァイオリン両翼配置のものを記述していることに注意しなければならない。そのことは、ヴァイオリンが偶数の時、両側に配置されているときの両翼配置の証言に他ならない。だから、弦楽四重奏でも、舞台左半分にはチェロを中心にしてヴァイオリンとアルトが両脇で、右半分には第二ヴァイオリンとか、独奏管楽器を配置することが予想される。つまり、このホルン五重奏曲でも向かって左側には、ヴァイオリン、チェロ、アルトが配置され、右側には、アルトとホルンが配置される風景が思い浮かぶのである。 
 ヴァイオリンの主旋律はよくわかるのだが、アルト二本の旋律はなかなか、目立たないのではあるのだけれども、Vnの奥にはチェロが、ピッチカートでメロディーを演奏したり、中央でアルト二本が対話するのは、聴いていて楽しいものがある。ここで注意することは、Vnとチェロの間に、アルトを配置しないことであり、Vnとチェロ、そしてその右側となりにアルト二本というものである。独奏するホルンには、舞台上手配置という王道、すなわち、演奏者の右手ベル側にスペースを用意することに生命がある。
 エラート盤は、モノーラル録音でチャンネルセパレーションがあるものではない。二個のスピーカーの中央に楽器は定位する。これは想像力を働かせてくれて、モノーラル録音の利点である。ステレオ録音になると、楽器配置問題が前面に出て、違和感を覚える経験が多い。その点からみても、このレコードは楽しめるものになっている。室内楽の醍醐味は、演奏者同士の対話であり、演奏の掛け合い、デリケートな味わいなのであるけれど、そこのところが実に楽しいのである。
 だいたい、ホルンという楽器自体、演奏する際に、注意力を要求され、モーツァルトは大胆な旋律を描いている。ホルン協奏曲を四曲作曲していて、1782年に集中されていて、その当時、M氏は名演奏家に出会っていたことが考えられる。
 英国人のデニス・ブレインはホフヌング音楽祭で、ゴムホースを使い、マウスピースだけで、楽器のように演奏していた。日本では、弟子であった千葉馨さんも実演していて、彼DBは仕事する時ほとんどアレキを使っていたねと、盤友人がサインをいただいた時に話していた。アレキとは、ドイツのメーカー、アレキサンダー社製のこと。ホルンの演奏は、ヴァルブ使用よりも、歌うように唇で音程を出し、微妙な技術そのもの、ホルン五重奏曲のレコード、数は少なくとも名演奏ばかりてある。

エードリアン・ボールト
1889.4/8チェスター生~1983.2/23ファーナム没
 
  昔はウエストミンスターレーベル、後半生はEMI専属だった名指揮者。日本ではなぜか、棒指揮者として不遇。彼は長いバトンを愛用していた。長い指揮棒は、オーケストラ・プレーヤーにとっては、見やすいはずである。打点というのは拍の合わせ方、テンポ、演奏する緩急の合わせ方が、指揮棒を持っていない時より截然と合わせ易い。アルトゥール・ニキッシュ直伝のスタイル、理由は後付けに過ぎなくて師匠から受け継ぎというものであろう。そういえば、トスカニーニやグィド・カンテッリ達も長いバトン使用派。共通するのは、Vn両翼配置で指揮者のバトンが極めて重要な働きを有するといえる。すなわち、第一と、第二ヴァイオリンが演奏を合わせるのに注意力を要する楽器配置、現代の多忙な指揮者たちがネグレクトしていた配置で、長いバトンは、そこのところを意味しているわけであろう。
 ヘンデル1685~1759の救世主メサイアは、演奏に2時間ほど要するオラトリオ、管弦楽、独唱者付きの合唱曲。ボールト卿は、モノーラルやステレオでも録音している。だいたい、オールクラシック イズ Vnダブルウィングといわれるほど、管弦楽の楽器配置の基本となった楽曲である。それは、作曲者が文字で書き置いた指定ではあらず、演奏する効果が、両翼配置を前提としているほどの意味合い。演奏する必要十分条件であり、必要条件、十分条件の両者成立するもの。なぜそのように断言できるのかは、ボールト卿のDECCAステレオ1961?年録音が原点となる。序曲から、終曲に至って納得する。左スピーカーで第一と第二Vnが対話するだけでは、モノーラルというもので、これは、作曲者にとって舞台の下手側、上手側の聞こえ方が前提とされている。右スピーカーにアルト、チェロ、コントラバスが居るのは、低音が指揮者右手側に重心が来て、モノーラルの発想なのである。左右でヴァイオリンが演奏することによって、面白味は控え目に言って、倍増する。そうなると合唱声部配置にも影響がある。SATBという高低差による根拠は一変する。すなわち、ソプラノとアルトの左右対話こそがあるべき配置と云える。実際に、ボールト卿はそのように配置していて、バスとテノールの対話も聴きものである。
 宗教曲ということで、キリスト教音楽の神髄、イロハのイという楽曲なのであり、幸い盤友人は大学生の時分旧札幌市民会館で抜粋を、合唱団の一員として演奏している。もちろん、その時はSATB、オーケストラはVnからコントラバス上手配置であった。これは、時代、というもので仕方のない事、これからの時代は、SBTA、Vn両翼配置で演奏されることを願うばかりである。
 オーケストラにとって、コントラバスという土台がステージで上の方、上手側にあるという時代の違和感をここで指摘しておきたい。ベートーヴェン作曲合唱付き交響曲、第九でも、フィナーレの歓びの主題が指揮者の左手側から始まることの意味は、アルファベットが舞台に向かって左から右へ進んだ方が自然。このことに気が付くか、付かないかで、分かれるところと云えるだろう。ボールト卿のステレオ録音は、そこのところ、気付かせてくれる。ヘンデルの最終アーメンコーラス、かくあれ!という祈りは正に、折り目正しい格調高いレコードになっている。
 今年の冬は、寒い日が長く続いている気温が氷点下の札幌、福岡や大阪では十度という。それでも、暖かい日を待ち焦がれるのは、両翼配置を待ち焦がれるに似たり、必ずや、その時代はやってくることだろう。

 二月二十三日はA・B卿の没後35年目にあたる。