🎼 千曲万来余話 by盤友人

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  ベートーヴェンは、自らピアノ演奏による即興を、いかに楽譜にするかという作曲に取り組み、生涯で32曲の番号付奏鳴曲ソナタを残している。父に習い始めたのは5歳。初の独奏会は1778年3月26日ケルンでのこと。1781年10歳でネーフェに師事してピアノ、和声や作曲の勉強を始めた。ソナタのほかの独奏曲として変奏曲やバガテル、作品番号以前の小品など多数ある。作品2の3曲は1795年頃ハイドンに献呈され、第11番変ロ長調作品22は、1800年頃作曲で中期への過渡期の創作になるといえる。
 ソナタ形式は提示部第一と第二主題、展開部、再現部、終結部という形式による。この形式観は、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲などB氏の音楽の根底を形成して、ハイドンやモーツァルトという先人による業績の歴史にある。中国の唐詩7~8世紀の時代では絶句、律詩などに起承転結があることと、相似しているだろう。この形式により、作曲というキャンバスを入手したのだ、ベートーヴェンは。
  クラウディオ・アラウ1903.2/6チリのチャーン生まれ~1991.6/9オーストリア、ミュルツシュラーク没は10歳で国費留学生としてベルリンに学ぶ。シュテルン音楽院でリスト門下のマルティン・クラウゼに師事、彼はエドウィン・フィッシャーの恩師でもある。1918年に亡くなるが、4年前にはアラウはベルリンでリサイタルを開いて成功を収めている。1927年コンクールで優勝、ニキッシュやフルトヴェングラーとも共演を果たしているという。戦後、最も正統的なドイツ音楽の継承者という評価を確立している。もちろん、シューベルト、ショパン、シューマン、ブラームス、トビュッスィなど多数のLPをリリースしていて、フィリップス録音が多数を占めている。
 盤友人のピアノの手ほどきを受けた高校での先生は、アラウの弾くブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴き、その音色の温かさを絶賛していた。ピアノの音色はかくあれ!という印象を与えるピアニストであったのであろう。彼女の師匠は豊増昇先生で、共通するタッチのイメージは、小学生の時からのレッスンで一貫していた。ピアノフォルテという楽器は、基本、たっぷりと豊かに鳴らすのが基本で、そのタッチ作りからというのが、基本姿勢だった。
 3月といえども、室内は暖房を必要とする札幌、オーディオでも熱意が必要である。電源スイッチを入れるときの室温は12度くらい、昇圧トランスは冷えている。レコードを再生しても、つまらない音にしか聞こえない。この音を良しとするようでは、初心者のレベル、つないで音が出るというのと、レコードを味わうというのは、次元が異なる。だから盤友人は、昇圧トランスをセットから外して、ストーブのそばで温める。10分程度で充分、指でさわって温かい人肌程度が良い加減だ。ここで余談をひとつ、昨年頂いた鳥取産の銘酒「鷹勇」、燗酒ぬるかんで辛口最高の味わい、下戸の私でも腰を抜かすきりりとした味だ。
 レコードの再生でどういう違いが出るのかというと、打鍵タッチで、芯のある伸びやかな音が命である。ここまで表現を再生出来てこそ、鑑賞に腰が入るというものだ。アラウは、深い打鍵と、強弱で自由自在の表現は千変万化、それこそ名技性ヴィルティオーゾを遺憾なく発揮した演奏の生命が再生される。
 昨夜、50年前東大駒場900番講堂のドキュメンタリー映画を観た。観映後一時間は、主人公の生命力に、熱情を共有できた。盤友人は高校三年生で彼の短編小説を多数読破していて経験はある青春だった。彼の悲劇は美的ファナティズムであって、上昇する下降と評された彼の人生を、拒否する。彼にとってベートーヴェンは、いかに聞こえていたものか・・・知るよしもがな

 1823年12月テアター・アン・デア・ウィーンではシューベルト作曲による4幕物、合唱、ダンス付きの管弦楽作品が紹介されていた。作者のヘルミーナ・フォン・チェツィーはウェーバー作曲歌劇オイリアンテの台本を担当していた。
 序曲にはアルフォンソとエステレッラ、管弦楽による華麗な開始の音楽にふさわしい。その管楽器合奏は、あたかもリヒャルト・シュトラウスの半世紀前を予告しているがごとくであり、弦楽合奏部分はいかにも劇場作品として似つかわしいもの、ここでは、管弦楽の醍醐味の洗礼を受けることになる。
 ウィリー・ボスコフスキー1909.6/16~1991.4/21は、1939~70年の31年間ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターを歴任している。1955年を最初にして、最後にニューイヤーを指揮したのは、1979年のことだった。ベルリン・フィルのミシェル・シュヴァルベ1919~2012はスイスロマンド管弦楽団から1957~77年の20年余りベルリン・フィルのコンサートマスターに就任していたこととパラレルの関係といえるかもしれない。ボスコフスキーは1963年9月にNHK交響楽団を指揮していた。
 ヴァイオリン奏者でありつつ、フルトヴェングラーやカラヤンの指揮のもとでコンサートマスターの座席にいた彼は、自然にオーケストラを指揮していくことになる。ニューイヤーコンサートのみならず、1978年コピーライトのEMIレコード、シューベルト作曲、劇音楽ロザムンデは、シュターツカペレ・ドレスデンが演奏している。
 ザクセン国立歌劇場管弦楽団という、以前からの歴史をたどると、1584年創立、選帝侯モリッツが発足させた宮廷楽団。1671年ハインリッヒ・シュッツがカペルマイスターに就任。55年間の長きに渡り楽団を指揮、1817年にはカール・マリア・フォン・ウエーバーを迎え、1822年には「魔弾の射手」を初演している。1824年ゼンパー・オーパー、ザクセン宮廷歌劇場が創建されている。1945年連合国軍の空爆により破壊された。戦後1985年に歌劇場は再建されてノイエ・ゼンパー・オーパーとなる。1991年東西ドイツ統一後、ザクセン州立シュターツカペレ・ドレスデンと改称された。
 歴代の音楽監督として有名なのは1843~49年リヒャルト・ワーグナー、1914~21年フリッツ・ライナー、1922~33年フリッツ・ブッシュ、1934~42年カール・ベーム、1945~50年ヨゼフ・カイルベルト、1949~52年ルドルフ・ケンペ、1953~55年フランツ・コンビチュニー、1955~58年ロブロ・フォン・マタチッチ、1960~64年オトマール・スイトナー、1964~67年クルト・ザンデルリンク、1975~85年ヘルベルト・ブロムシュテット・・・
 だいたいのオーケストラは音程も正確にフィットしているのだが、ドレスデン・シュターツカペレは格別である。ウィーン・フィルとS・ドレスデンは純正調のアンサンブルを聞かせる双璧、何が違うかというと、歴史だろう。ウィーン・フィル創立は1842年だから、ドレスデンはその倍近い歴史であり室町時代の世阿弥、英国はシェークスピアの時代からの伝統である。
 ロザムンデを聴いているうちに、管楽アンサンブルの並ではない音楽に心奪われる。マイクロフォンのつき辺りその手前に、弦楽合奏が展開するわけでシューベルト作曲の劇音楽は、ロマン派の音楽を予告していて嬉しい気がする。78年コピーライトからアナログ録音の晩年を知らされるレコードといえる。音の伸びやかなこと、音圧の豊かなこと、イレアナ・コトルバスによるソプラノ独唱の柔らかさ、男声合唱の生き生きした喜び、混声合唱(ライプツィヒ放送合唱団、コーラスマスター、ホルスト・ノイマン)による平和な人々の歌に充実した時間を愉しむ仕合わせは何物にも代えがたい。ボスコフスキーがドレスデンを指揮した一期一会・・・

 録音時のテープ速度とレコードカッティング速度と再生時の回転速度の定速化は、前提とする条件であり、指揮者による芸術鑑賞の上での必要条件だろう。1944年録音された英雄交響曲のレコードで事件は起きたのである。フルトヴェングラーはウラニア社のリリースしたLPの著作権を差し押さえた理由として、考えられる実際の一つである。皮肉ではあるのだがいわゆるウラニア盤のエロイカは名演奏として名高い。それなのに、海賊盤の汚名を着せられて葬り去られたのだが、現在でも高価ながら入手することは可能である。その事件は1953年、裁判で販売差し止め処分に発展した。
 ウィーン・フィルハーモニー演奏によるライブ録音1944.12/19-20は、1952.11/26-27録音のEMI正規録音と競合して、商品化されたのは52年盤の方だ。同じモノーラル録音ではあるのだが、演奏の質は明らかに差異が有る。それは、どこから来るのか?興味深いテーマではある。盤友人の判断は明快、弦楽器配置でのコントラバスとチェロ、第一Vnの距離である。44年盤はその音響が溶け合っているのに比較して、52年盤は明らかにセパレート分離している。つまり、前者は伝統型であるのに比べて、後者は距離感が介在していて、明確にタイムラグは微弱ではあるのだけれど、力強さこそ減衰しているのである。つまり分かり易くいえば、フルトヴェングラーは1946年の非ナチ化裁判を経験して否定されたのが伝統型配置、ヴァイオリン両翼配置による男性的な演奏スタイルなのである。第一ヴァイオリンのすぐ後ろにチェロとコントラバスが配置されることにより、テンポの緩急表現は容易になって、そういう演奏スタイルに入る。つまりこのコントロールの一定感にこだわりを見せたのがトスカニーニであり、フルトヴェングラーは円熟と共に、緩急の磨きを効かせたのがF氏の芸術なのである。すなわち、そこに破たんを見せないスリリングこそが、ライブ演奏の肝である。
 アナログ録音とデジタル録音の差異は、チェロとコントラバスのオクターブ表現に特化していて、顕著である。その倍音こそ、デジタル録音はアナログの下位に属する。だからオーディオの努力として、そこに注意を払うことこそ必要であろう。
 ロシア・メロディア社の復刻したLPレコードは、テープ速度が、カッティテング時と再生時の同期性を証明していてなんの遜色もない。ウラニア盤は、カッティング時の速度が半音ほど低いために、再生時は逆に半音高い現象が生じているのだ。そのためハイ上がりといって、印象は鮮明になり、音楽は別物になる。F氏はそこのところ理解していたのであろう。販売差し押さえ処分にしたものである。
 ウィーン・フィルは、緊張感高い演奏を発揮している。それは、大戦時のドイツ敗色濃いものによるものだと理解されていたのは事実である。その上にいえることは、弦楽器配置構造なのである。舞台両袖に配置されるヴァイオリン奏者は、高い緊張感の上で演奏に臨んでいる。すなわち、第一と第二のヴァイオリンのf字孔が揃えられることで、合奏は、より容易になり大戦後流布した配置となった。つまり、英雄交響曲は、緊張感が半減した演奏の一般化となったことだろう。1944年録音はメロディア盤によってこそ鑑賞されるべきであり、ウラニア盤は、半音ほどピッチが高い別物「英雄」として存在する。その上でフルトヴェングラー理解は必要であり、52年盤と比較する時、正当な評価が成立する。
 音楽が分かるというのは、気をつけるべき言葉であって、50分ほどの音楽鑑賞にたえるのはどちらか?アナログとデジタルの相違は明々白々・・・気がつくかどうか? その人生は、問われるのだろう・・・

 アナログ録音の再生する歓びの一つに、音場の空気感がある。確かに録音上でのテープヒスなど、含まれてはいるのだが、空気には酸素もあれば炭酸ガスもあり、その時の録音にはノイズも合わされるのだが再生の上では、要はシグナル信号のバランスであって、耳の注意はノイズにとらわれることなく演奏を楽しむことになる。音にではなく音楽に集中することにより、録音再生の目的は果たされるのだ。そんな経験を、フランス・エラートのLPレコードを再生して経験する。
 録音技師はピエール・ラヴォア、1976.9/77年ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団、指揮アラン・ロンバール1949.10/4生まれ、ソプラノ歌手モンセラット・カバリエ。
 ロンバールはフェレンツ・フリッチャイに師事して1961年リヨン歌劇場グノーのファウストにより正式デビュー、11歳にしてベートーヴェンの7番を指揮したというエピソードの持ち主。このリヒャルト・シュトラウスの曲を指揮する上でも彼の特性は発揮されている。弦楽器はしなやかに演奏され、艶が有りよく歌われている。管楽器は音程がピタリと合っていて間然とするところは無い。アナログの長所であるコントラバスの音の上に、チェロ、アルトはよく溶け合っていて倍音が、生かされている。
 モンセラット・カバリエの歌唱力は、音程が正確で艶が有り、広い音域を見事に表現している。1933.4/12バルセロナ出身。
 R・シュトラウスは1946年1月メタモルフォーゼン、2月オーボエ協奏曲の初演後、47年後半には最後の管弦楽作品としてクラリネットとファゴットの二重協奏曲を作曲している。晩年はスイス・バーデン、チューリヒやモントルーなどホテルでの生活を転々としている。そして非ナチ化裁判では無罪の認定を受け、裁判費用は国家負担が決定される。当時70歳のヘルマン・ヘッセはノーベル文学賞を受賞するなどしている。シュトラウスは、シェーンベルクやヒンデミットは単に音を並べているだけであんなのは音楽じゃない、などとウィリー・シュー伝記作家に愚痴る。以前からの歌曲夕映えの中で(アイヒェンドルフ詞)のオーケストレーションに取りかかり、1948年5/6モントルーでオーケストラ譜を完成。春7/18、眠りにつくとき8/4、九月9/20を同じく完成している。ちなみにこの三曲はヘルマン・ヘッセの作詩による。
 1950.5/22ロンドン・アルバートホールで、フルトヴェングラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団、ソプラノ歌手キルステン・フラグスタートにより初演されている。フラグスタートは「眠りにつくとき」で曲を開始「九月」「春」を歌う時は高音を下げるなどしている。終曲は「夕映えの中で」。「九月」のお仕舞いに四小節ほどホルンの独奏があるが、デニス・ブレインが受け持っていた。二番ホルンは父オーブリー・ブレインが担当、オーブリーは5/25の演奏を区切りにリタイヤしその後は教授活動、放送録音などに進んでいる。
 ブージー&ホークス社のエルンスト・ロートは楽譜の出版に際して、春、九月、眠りにつくとき、夕映えの中で(献呈者E・ロート)という曲順に設定している。なお、歌曲「あおい」1948.11/23作曲というものがあるが題名は「フォー・ラスト・ソングス」になっている。
 管弦楽譜作曲当時、経済面でホテル代を出版社が持つなどという状況にあったが、非ナチ化裁判で名誉回復などが実現されていて、作曲意欲も最後に遺憾なく発揮されて、精緻な管弦楽法が見事な作品に昇華している。
 広やかな 静かな やすらぎ! かくも深き 夕映え(アーベントロート) さすらいにも飽き果てた これが 死というものか ?(詞ヨゼフ・フォン・アイヒェンドルフ)・・・

 ジュゼッペ・ヴェルディ1813~1901は歌劇作曲家としてイタリアの歴史に不動の地位を築いている。その彼のオペラ以外の重要な作品というと、レクイエム。1873年5/22イタリアの代表的詩人アレッサンドロ・マンツォーニの死去に際し作曲を決意して、初演は彼の一周忌ミラノ・サンマルコ教会にて120人の合唱、100人の管弦楽団そして4人の独唱者たちによって執り行われている。極めて大きな成功をおさめ、アンコールが繰り返されたという。その後、作曲者自身の指揮により、1875年パリ、ロンドン、ウィーン、さらに1876年ケルンのライン音楽祭でも演奏される運びとなった。パリ公演では4回予定が8回にもなったといわれ、ロンドンでは3日にわたってアルバート・ホールで大合唱団の出演で取り上げられた。
 ヴェルディの芸術にアンチの立場をとる音楽家たちにも、深い感動と消し去りがたい印象を与えている。いわく、凡庸な演奏でも涙が出るほど感動させられたと語ったのは、ハンス・フォン・ビューロー。信仰心と歌劇的な様式の高度な結合は、バッハの宗教音楽にも肩を並べる感情体験が約束されている。それはあたかも、ミケランジェロやラファエロたち、ルネッサンス文芸復興期を歴史とするイタリアの系譜に連なる色彩的でダイナミックな形態に直観力を発揮した表現力である。
 1曲レクイエム永遠に安息を与えたまえ主よ。2曲ィエス・イレ怒りの日~罪ある人が裁かれるために、ちりから蘇るその日こそ涙の日である、彼らすべてに休みを与えたまえ、アーメン。3曲オッフェルトリウム主イエス・キリスト光栄の主、死せる信者すべての霊魂を、地獄の罰と底なき深淵から救い出し、獅子の口から解き放ちたまえ。4曲サンクトゥス聖なるかな・・・万軍の神なる主。5曲アニュスデイ世の罪を除き給う神の子羊、彼らに永遠の安息を与え給え。6曲ルックス・エテルナ永遠の光明を彼らの上に輝かせ給え。7曲リヴェラ・メ解き放ち給え、かの恐ろしい日に永遠の死からわたしを、主よ、解き放ち給え。
 今年2020年2月9日にミレッラ・フレーニ死去。ソプラノ歌手1935.2/27北イタリア、モデナ生まれ。1963年ミラノ・スカラ座デビュー、翌年カラヤン指揮プッチーニ「ラ・ボエーム」ミミ役で大成功を収める。1972年1/3-5ベルリン、ダーレム・イエス・キリスト教会にてヴェルディ、レクイエムをカラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニーとレコーディング。独唱陣は他にメッツォ=クリスタ・ルートヴィヒ、テノール=カルロ・コッスッタ、バス=ニコライ・ギャウロフ。
 カラヤンが指揮をするとき、その合奏は細心の注意の上で、音の合わせ、アンサンブルは極上の記録を果たしている。とりわけ第5曲アニュス・デイは、ソプラノとメッツォソプラノによる無伴奏二重唱で始められる。、クリスタの安定した歌唱の上に、ミレッラ・フレーニのソプラノは立派な歌を披露している。カラヤンは何もしていないのではなく、そこに居るという指揮者として音楽に影響を与えていることに気を付けなければならない。彼の芸術は、微妙なニュアンスをきっちりと表現して、録音スタッフは最高の技術をもって記録することに成功している。技師たちは音楽の記録をするだけであって、それ以上ではない。そこがカラヤン芸術の秘訣であろう。あたかもミレッラは、天上の人々の如く最善の歌唱を実現していて、クリスタももちろん素晴らしいことこの上ない。芸術家の気高い精神が発露、高貴で光り輝く歌声でヴェルディの伝統を、忠実に再現している。充分にひそやかで、しなやか、慎ましい信仰心を表現することに成功しているのだ、絢爛豪華、歌劇的であることもまちがいない一面なのだが・・・演奏に1時間50分ほどかかる大曲だ。終曲はソプラノ、祈りの言葉で閉じられる。

 弦楽合奏部分でクレッシェンド次第に強めるとき、演奏は速くなりがちである。そこのところ、じっくりとテンポ感を抑制する指揮者の名人にセルジェ・チェリビダッケがいる。彼は初代ベルリン放送交響楽団首席指揮者1945~46である。1946~50はアルトゥール・ローターで三代目はヘルマン・アーベントロート1950~56である。彼は1955年9/28にはライヴ録音としてシューマンの交響曲春を記録している。H・アーベントロート1883.1/19フランクフルト生まれ~1956.5/29イェーナ没はモノーラル期の名指揮者、1905年リューベックでデビュー、1911年エッセン1914年ケルン1934~45年ライプツィヒ・ゲバントハウス管弦楽団、大戦後ヴァイマールに居住して名誉市民になり49年からライプツィヒ放送交響楽団、ヴァイマール国立管弦楽団、ベルリン放送交響楽団(東ドイツ)の首席指揮者を兼任、ライプツィヒ音楽院院長、ヴァイマール高等音楽院の校長を歴任していて教育者としての立場にあった。1929年2/7ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のベヒシュタイン奨励演奏会でアーベントロートが登場している。
  1883年生まれにエルネスト・アンセルメ、3歳年下にウィルヘルム・フルトヴェングラーがいてチェリビダッケ1912.6/28~1996.8/14は生前にテープ録音された音楽を許可しなかった。ライヴ録音は死後に解禁された記録音楽であり、アーベントロートも積極的にレコーディングする指揮者ではなかったようだ。ただし放送録音は残っているので、その恩恵にあずかるのはレコード収集家にとって福音である。
 チェリビダッケの哲学は明快で、演奏行為こそ音楽であって記録されたものを認めない芸術家で1993年ミュンヘン・フィルハーモニーと札幌厚生年金会館に登場、シューマン第4交響曲、ムソルグスキー=ラヴェル展覧会の絵を指揮している。盤友人はいそいそと楽屋まで出かけ行き、チェリからサインを頂いている。その当時の彼は気安く対応してくれていた。その時の強烈な印象として、彼の指揮ぶりは、一切無駄がない動作で完璧に演奏のテンポと強弱を管理した見事なもの。弦楽器の輝きある音色は鮮烈でそこのところ、アーベントロートの演奏と共通している面がある。
 アーベントロートはオーケストラに対して、管理するタイプではなかったようで、メンバーから厚い信頼を獲得していたといわれている。トランペットの演奏など、風格あるものに仕上がっていて、威厳があり格調の高い音楽で、ドイツ的というとそれまでだが、ゲルマン民族の統一感ある演奏はいかにも狩猟民族で、農耕民族としての日本人の演奏とは一線を画している。それはリズムに全員の統一感が有り、日本人にとってなかなかむつかしいところである。瞬発的な行動より、のんびりとそれぞれに任せたスタイルが農耕の実態で、舞踏ダンスというより日本人のは舞、仕舞い所作というリズムの取り方である。
 演奏風景の写真からアーベントロートは第1ヴァイオリンを左手側に配置、右手側にチェロ、コントラバスを配置する。だから、シューマンの録音を耳にするとき、モノーラルではあるけれど、Vnのアインザッツ音の入り方と、コントラバスの音響には、距離感がある。オーマンディやバーンタインの採用する楽器配置も共通していて、第一と第二Vnは、よく揃っているけれども合奏体として低音域の楽器とは音響が溶け合っていないうらみがある。それが、音楽とは無関係なのか?
 実は、シューマンの交響曲などと密接に関係した事実であろう。すなわち彼の作曲法は、イメージとして舞台上の位置関係が重要なところがある。それは合奏リスク上のハードルが高く、指揮者の選択肢として少数派しか、その感覚を共有し得ない・・・

 第92回にしてオスカー、作品賞はパラサイトが受賞する運びに展開を見せた。サウスコリアのポン・ジュノ監督は、これから朝まで飲むよと公言してその歓びを爆発させた。アジア映画が初めて米国映画祭のグランプリを獲得した歴史の一齣である。格差社会を具体的に描写して、それが認められたということは、意義深い。映画が描き出す人間社会は、モーツァルトがフランス革命、市民革命で引き起こされた階級社会のテーマをコメディーとして描いた歌劇フィガロの結婚という、クラシック音楽の世界とも共通している。韓国がアメリカナイズされていて、社会描写が受け入れられたことに他ならないのだがただし南北問題自体はその上で、ファクト歴史認識を共有すべきという高いハードルが有り、ドイツの東西統一のごとく、連邦制度を生かした民主主義の理想を実現しなければならないことだろう。
 民族問題は相互の共通認識の上での成り立つものだから、解決の展開は複雑多岐が予想される。サッポロという都市を考えてみても、赤レンガは観光スポットの一つなのだが、確かに多数の市民にとっては北海道開拓の歴史として精神的シンボルのよりどころであろうが、よく考えるとこの地名は、アイヌ語である。開拓という事実は、アイヌと和人たちの歴史を知らないことが危険であるということに気がつくことを必要とするのだ。
 ブラームスという名前自体、ブラーマという姓名由来が非欧州の出自を意味していることに気づく。彼は様々な歴史の上に、由来が成り立つ作曲家なのでありハンガリア舞曲集などは、そこのところ明快だろう。
 チェロソナタ第1番ホ短調作品38、これは作曲者が1865年32歳頃の作品で、ヨゼフ・ゲンズバッヒャーに献呈されている。三楽章形式で、第一楽章アレグロ、あまり過ぎずに、第二楽章アレグレット、メヌエットのように、第三楽章アレグロ快速に。
 ジャックリーヌ・デュプレ1945.1/26オックスフォード生まれ~1987.10/19ロンドン没は12歳でBBC演奏会に出演、正式デビューは、1961年ロンドン。エルガーの協奏曲録音により国際的評価を獲得、指揮者はジョン・バルビローリ卿、サージョンもチェリスト出身であったというのは興味深いものが有り、映像でもうかがえるのは幸いである。彼女が操る楽器は二つあってその一つは1712年製ストラディヴァリのダヴィドフ、残念ながらこの奏鳴曲ではクレジット不記載になっている。ピアニストは彼女が21歳で結婚した夫君ダニエル・バレンボイムで、LPコピーライトは1968年、ところがジャッキーは26歳で多発性硬化症にかかり、1973年28歳で引退を余儀なくされている。1987年42歳にて病状悪化により夭逝。  ジャッキーは情熱的な演奏を記録していて、豊かな音量、名技性は遺憾なく発揮されている。現在のチェリストたちは、そのスタイルを避けるかの如く、否、あえてそのスタイルとは決別しているのだろう。昨今一部の演奏会では、テンションを上げることなく、冷静、客観的な演奏を目指しているかの如くである。それは、彼女が第二次世界大戦直後の誕生という、時代の反映と異なることなのだろう。すなわち、そのスタイルは戦争と平和という時代の申し子、現代はそれ以後の世代といえる。たとえばパブロ・カザルスは、鳥の歌、ピースピースと鳴くカタロニア民謡の世界の人であり、彼女はその教え子たちの一人ということである。
 映画パラサイトでは、チェロがシニカル冷笑的に取り上げられるシーンがあり、ジャッキーがチェロを演奏する必然性と一線を画している。クラシックは上流階級をシンボリック象徴的に代表するのも事実なのだが、ジャッキーには、運命の叫びを聴くのが盤友人だけではないであろうこと、このサイトを開く皆さまにはお分かりのことと思われる・・・

 ルチァーノ・ベリオ1925.10/24伊国インペリオ、オネーリァ生まれ~2003.5/27ローマ没
 彼は41歳の時リコーダー独奏曲を発表、ミカーラ・ペトリ1958年コペンハーゲン出身が1976年にBBC録音したレコードを聴く。いわゆる前衛音楽、コンテンポラリー同時代音楽の旗手としてベリオは有名なのだけれど、ジェスティという作品名は、意味深い。身振り手振りというのはジェスチュアという言葉、ジェスティキュレイションは身振り手ぶりで話すことだ。リコーダーの演奏として、ミカーラは吹きながら声も出したり、指で楽器を叩いたり離したりして発音させる。何よりも重音奏法として、一つの音のポジションで倍音を鳴らし、多数の音を発声するなど、現代音楽の典型的なパターンの音楽になっている。
 このLPレコードは第1面に、ヤーコブ・ファン・アイク(17世紀)の変奏曲、パヴァーヌ・ラクリメ、ダリオ・カステルロ(17世紀)ソナタ・プリマ、ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681~1767)ファンタズィア第8番ト短調、11番変ロ長調、第2面にテレマン、ソナタニ短調、アントン・エーベルレ(18世紀)、ソナタ・ブリランテ、そしてベリオのジェスティ。ハープシコード、母ハンネ、チェロ、弟ダヴィッド。
 日本音楽と西洋音楽の根本的な相違は、モノディー単声部音楽か、ポリフォニー多声部音楽かにある。日本人の感覚は、中国大陸からたとえば、笙という楽器が移入されたとき、音管の数を削減している。その感覚としては、単純化に向かう立場である。だから、主旋律に対して伴奏をつけるという感覚であり、ところが、イギリスなどでは、ビートルズの曲を思い浮かべると簡単なのだが、主旋律とハーモニー和声という相違である。盤友人が大学の音楽科をドッペつた時、予備校で現代国語教師は和音の和と言うことが理解できず、なんですかね?と言っていたことが懐かしく思い出される。すなわち、和という漢字の意味するところは、太郎君と花子さんが居た時、合わせるのが和音であって、ハーモニーなのである。たとえば同じ「ド」の音を発声しても基本的にオクターブ(八つの音)の違い高低差があり、この感覚は合唱の原点である。ちなみに、ボーイソプラノというのは、変声期前の少年の声であり、カストラートというのは、男性が女性の音域を歌唱する人の事をいう。
 ミカーラ・ペトリは1968年からヨーロッパで活動開始、ということは10歳でデビュウした天才少女といえる。日本では同じく、ヴァイオリンでいうと、渡辺茂夫という天才少年がいたけれど、立派な教師が居て才能が発揮されるというのは、いわずもがな。シゲオは、伯父の言を借りると既に四歳くらいでロングトーンを一日中取り組んでいたという。天才とは努力する才能である。だから、ミカーラにとって、1977年にリリースされたLPレコードは驚異的な技術を記録していて、ファン・アイクの作品が自家薬籠中のものになっている。
 ポリフォニー音楽とは、単旋律の他に、他の旋律を続けて2つの声部の音楽を同時のように吹奏する。これは、徹底的な訓練を経たうえで有るのは、そうなのだけれど、感覚として頭の中で、2種類の音楽を成立させている。このレコードはあたかも、17世紀の音楽から20世紀のヨーロッパ音楽を記録していて鑑賞できるという、貴重なレコード。正に誤解をおそれずにいうと17世紀の今と、20世紀の今を21世紀の現在、レコードを再生しているという時間藝術の鑑賞である。
 余談だが母、姉、弟という音楽一家の演奏は、その説明を忘れても価値あるLPレコードである。さらに美貌のミカーラとは、ジャケット写真で出会えることに・・・

 フルトヴェングラー指揮1943年10月31日ベルリン・フィルハーモニーによる実況録音と1950年1月18~19日ウィーン・フィルハーモニー、ムズィークフェラインザール録音を比較して聴く。だいたいの構造は、テンポ設定などそれほどの相違はなく第3楽章プレスト急速に、など意外なことに1951年NBC交響楽団を指揮したトスカニーニのプレスト解釈と相通じるものがある。両者による相違はトリオの部分アッサイ・メノ・プレストのアッサイ充分にの解釈である。トスカニーニは基本、プレスト急速にを維持してメノ少し遅くを生かす設定、すなわち、テンポ減速を余り変更させないもの。古典主義的な解釈といえる。ところが、フルトヴェングラーは違っていて、アッサイ・メノ充分に減速してということで、ロマン主義的な解釈すなわち彫りの深い変更を実現する。ここでトスカニーニとフルトヴェグラーは、アポロンとディオニソスほどの違いがある。
 43年ライヴ、ベルリン・フィル指揮したものも、アッサイ充分にメノ減速させたプレストということで実況演奏ならではの効果がある。これがオットー・クレンペラー指揮した1956年録音フィルハーモニア管弦楽団演奏のものは、プレスト自体がすでに、設定は緩やかな表情のもので、アッサイ・メノも更に減速させるから、クレンペラーのものは、重量級のベートーヴェンという印象が強烈である。
 盤友人は学生時代からグリークラブで男声合唱に親しむグリーメン、参加して47年ほどの経歴である。今やOBとしての集まりで歌うのだが、昨年の暮れに意外な経験をした。自分はセカンドテナーでもって、トップテナーの隣で音程を合わせるタイプの声部、つまり第二Vnの位置で歌っていたのだが、指揮者先生、突然、前列に第一と第二テノール、後列にバスとバリトンパートという座席指定の変更を実現したのである。指揮者洋二先生は発声練習の時に、四声部の全員をバラバラに散らして、ハーモニーを作り上げる指導を実践されていて、スターズ・オブ・ザ(ダ)・サマーナイトという曲でやったのだった。それは多分、グリークラブ創立以来初めての事だろうと思われる。60 年近くの歴史が有り、トップ、セカンド、バリトン、バス横一列に慣れていたメンバーにとって、面食らう経験なのだろう。特に上(かみ)手端っこに居たバスなど、トップテナーの後ろに移動したため、慣れていた人には居心地おさまらないものなのだろうと思われる。ところが、セカンドテナーの盤友人にとっては、理想郷の居心地であった。俄然、ハーモニーを設定しやすい、テナー横一列であってその後ろに低声部が配置されることは、音程の下がり様がない安定した歌唱がなされる配置なのだ。
 フルトヴェングラー指揮のベルリン・フィルとウィーン・フィルの相違は、正に、その配置変更にある。43年は伝統型配置であったのが、50年録音では第一と第二Vnが多分、束ねられた配置なのだ。以前から盤友人が発信している、伝統型のVn両翼配置はモノーラル録音であっても明らかに、第一Vnの奥にチェロとコントラバスが配置されるために音楽は男性的といえて、上手側にアルト、第二Vnが座席するためにハーモニーの実体は堅牢で、透明感が高い。それは考えてみると当然といえば当然、舞台を横一列に四分割する配置と、二分割で前後に奥行きある配置とでは、演奏されるというか、聴こえ方は截然と異なる印象を与える。第二Vnの音楽が生殺与奪、活殺自在というものなのだ。
 フルトヴェングラーは1945年を境に、以後では、伝統が否定されてヴァイオリンを第一と第二を揃え、それが標準スタンダードとしてステレオ録音の時代へ突入したのである。ところが考えてみれば、左スピーカーにヴァイオリンが二重にされるより、左右のスピーカーで第一と第二が対比される方が、演奏のハードルは高いけれど、演奏効果は抜群と云えるまでである。現在Vnを束ねる配置は、すでに時代遅れなのであって、時代は伝統回帰の世界なので主流といえるのだろう。古いより、今や新しいといえる伝統型を切望する・・・

 不思議ではあるのだが、名演奏家には楽器、名品と出会いエピソードを語られることが多い。エディット・パイネマン1937.3/3マインツ生まれは同市オーケストラのコンサートマスター、ロベルト・パイネマンを父親として、4歳の時からヴァイオリンに親しんでいるという。ロンドンに留学してマックス・ロスタルに師事した。1956年ミュンヘン国際音楽コンクール、19歳で優勝。1962年には指揮者ウィリアム・スタインバーグが独奏者としてピッツバーグ交響楽団に招きアメリカ・デビューを果たしている。その後ジョージ・セルが独奏者にパイネマンを抜擢してドヴォルジャークの協奏曲で大成功を収めている。そのセルは、1964年ケルンでエリカ・モリーニの代役としてパイネマンがベートーヴェンの協奏曲を演奏して、そのコンサート後のパーティーで彼女により良い楽器の使用を勧めた。5本の名器、ストラディバリ、グァルネリの中からチューリヒのホールで試奏させて、セルが選んだものは1732年製のグァルネリだった。それがパイネマンのものとなり、その後の演奏に使用されることとなったという。
 1987年5月19、21日自由ベルリン放送第3ホールにて、レオナルド・ホカンソンを伴奏者に迎えて、シューベルト、ドヴォルジャーク、モーツァルトの作品が録音される運びになった。レオナルド・ホカンソンはバリトン歌手ヘルマン・プライの伴奏者として有名で、ということは、ソリストというより伴奏者として主に活動していた名手。

 シューベルトの作品からロンド、イ長調ドイチュ番号438、幻想曲ハ長調D934を録音している。この録音を再生すると、グランドピアノは左右のスピーカーの中央にしっかり定位していて、パイネマンのVnは左スピーカーに再生される。これは、明らかにステレオ録音として重要な要件といえる。すなわち、時として独奏者は、奥にピアノを配置してそれを背中に立つ場面が予想されるのだが、パイネマンの録音は左と、右のスピーカーのピアノの対話が象徴的に体験される。それはあたかも、ピアノは作曲者自身を表し、Vnの歌は愛を告白される彼女のように思われるのである。すなわち、ベートーヴェンの十曲のソナタでは、作曲者と独奏者の芸術の相克のように聞こえるのであるのだが、シューベルトの世界では、それ、ピアノとVnの対話がインティメート親密性をもって、青春の輝きそのものなのである。音楽自体は、愛の囁きなどと表現すると、まるで歌謡曲の次元の話に聞こえるのだが、そこはシューベルトの世界、芸術性の高い別次元の音楽といえる。それは、恋愛の喜びに始まり、更に展開すると近代人の直面する「存在する不安」とでもいえるテーマの音楽が聞こえてくる。幻想曲は、歌曲ザイ・ミア・ゲグリューストゥ! 挨拶を贈ろう、よろしくっ ! の旋律による変奏曲に仕上げられている。
 パイネマンの演奏は、しっかりと格調高く演奏され、骨太の感覚で充実している。輝きに満ちた音色で、ささやくような音色から喜び一杯の演奏まで幅広く、ホカンソンのピアノ演奏は表情が男性的で一段と明快に描き出されている。
 ここで記憶しておかなければならないことは、ピアノという楽器の事である。メーカーの問題もさることながら、フォルテピアノは、ベートーヴェンの時代に、現代のコンサートピアノの原型の手前と云えること、二千人収容のホール対応というより、シューベルトアーデという2~3十名程度サロン向けの楽器ということである。19世紀初頭作曲者の時代から、20世紀のコンサート用グランドピアノとはスケールが違うだろう。ところが、シューベルトの世界はそれがミスマッチではないと云えるのだ。それくらい次元の高い世界に、音楽は高められていて青年シューベルトは、モーツァルト、ベートーヴェンに続き、ウィーンの世界を表現していてそれがアルバン・ベルクの十二音音楽へと飛翔する・・・エディット・パイネマンは今年、83歳を迎える。

 人は、よくものの見方としてレッテルを貼ることが多い。たとえば、指揮者エルネスト・アンセルメ1883.11/11ヴヴェイ出身~1963.2/20ジュネーブ没の指揮したレコードを選ぶ時、そのチョイスはフランス音楽かストラヴィンスキーのバレエ音楽など近代のものに傾きがち、つまりレッテルがものをいう。音色が多彩な管弦楽作品の大家として評価する。その彼の出身というと、ローザンヌ大学で数学と物理を専攻し学生オーケストラを指揮したりしていた。パリのソルボンヌ大学に留学、1905年から母校で教鞭をとる。09年にはベルリンでニキッシュやワインガルトナーの助言を求めて翌年にはモントルーで指揮者デビューを果たし、曲はベートーヴェンの第5番ハ短調交響曲だったという。ドビュッスィ、ラヴェル、ストラヴィンスキーらと親交を結び、15年からジュネーブ交響楽団の指揮者に就任、18年からスイス・ロマンド管弦楽団を創設、66年に辞任するまで約半世紀にわたり音楽監督をつとめていた。イギリス・デッカには彼が指揮した膨大なレコードが遺産としてある。
 ベートーヴェンの交響曲全集では1964年頃録音した第2番ニ長調を再生してみた。なんとも懐かしい、ほのぼのとした表情のベートーヴェンであろう。しっかりと造形された交響曲は、青春の輝き、ゆったりとしたテンポで演奏されてスイス・ロマンド管弦楽団のヴィルトゥオーゾ性満点の味わいは、近代管弦楽の極致で、聴く人を幸福感にいざなう妙味に溢れた音楽になっている。このように指摘すると、彼の原点がワインガルトナー指揮する近代趣味の音楽に有ることがよく分かる。というは、その対極としてフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュが指揮する音楽というのは、テンポやディナミークの振れ幅の大きい表情の趣味とは、明らかに異なり、即物的な趣味といえるものだろう。これは、レッテルではなくて率直な感想であり、盤友人の知人なども、アンセルメの音楽を聴いて好意的な感想を寄せるものである。
 オーケストラ指揮者が交響曲を録音する時、ある決断を要請される。それはVn楽器配置の扱いだ。ウィルヘルム・フルトヴェングラーは1945年を境界として、以前は伝統型を採用しそれ以後は第一と第二Vnを揃える二十世紀多数派のタイプへとの変節していた。その結果コントラバスの配置は指揮者の左手側から右手側へと180度の転換が実現されたのである。
 その結果、第二楽章ラルゲット幅広く緩やかに、やや速くでは、伝統型では第一Vnの主旋律に対応して、第二Vnとアルトの伴奏的音楽という描き分け方が、無視されるという音楽になる。それはステージ上での左右感であり、アンセルメ指揮の楽器配置による現代多数派の録音では、右スピーカーからはチェロやコントラバスの第一拍担当の音楽が強調される。すなわち、音域として高音域のVnと低音域のコントラバスが左右に対比される音楽となる。それはあたかも、バウムクーヘンの輪切りのごとくに、左スピーカーからVn、右のスピーカーからは低音楽器が聞こえる音楽となる。盤友人は弦楽器のみならず、四声体合奏アンサンブルの効果的な配置は、指揮者の左手側にソプラノ、バスそして右手側にテノール、アルトという塩梅が具合良いのではあるまいか?という見立てである。左右の対比は、高低音対比ではなくて、第一と第二Vnの対比こそ音楽として味わい深いコントラストではあるまいか?というのがよって立つ趣味人である。アンセルメの音楽を鑑賞して味わう一方、クレンペラー指揮するVn両翼配置型のステレオ録音をこそより上位とランク付けるのだ。それをレッテルといわず、経験による音楽観といえるのだろう・・・

 令和2年正月、2020年の劈頭にあたり読者のみなさまの安寧とご健勝を祈念申し上げる次第、札幌音蔵とクリケットレコードone-teamにて盤友人ともどもご愛顧のほどよろしくお願いします。
 TV視聴の限りでは、ウィーナーフィルハーモニカーによる新春恒例のシュトラウス一家の音楽会、今年はネルソンス指揮のヨゼフ・シュトラウスがメインディシュで3日にはNHKニューイヤーオペラコンサートで、マスカーニ作曲カヴァレリア・ルスティカーナから復活祭の合唱、女声前列、後列とか中央に男声一列という配置など、新しい時代に相応しい音楽を鑑賞することができた。
 1984年6月録音で、ジェイムズ・レヴァインはドイツグラモフォンからモーツァルトの交響曲第28番ハ長調K200をリリースしている。DG録音の歴史では、70年代にラファエル・クーベリック指揮するドヴォルジャーク交響曲シリーズでVn両翼配置が採用され、1987年新春コンサート、カラヤン指揮して弦楽部伝統配置が定着している。
 レヴァイン指揮するモーツァルトの交響曲は全て第二Vnとアルトは右スピーカーから聞こえてくる。これはどういうことかというと、円舞曲ワルツなどの後打ちリズムは、上手かみてに揃えられることになる。しかも管楽器で云うとホルンの後打ちリズムも斉奏されて聴きもの。すなわち、音楽の聞こえ方が作曲者のツボにはまっていて、ピタリというものなのだ。しも手という指揮者の左手側からコントラバス、チェロ、アルト、ヴァイオリンと楽器を客席に正対させて、弦を、一本ずつピッツィカートさせてみると、低音から高音へとスムーズであることに気が付かれることだろう。すなわち、第一と第二Vn、アルト、チェロ、コントラバスの順番で並べると、そうは行かないのである。
 このことに気づいた指揮者にとって、多数派の第一と第二Vnを束ねた配置が、唯一絶対の配置ではないことを知らされることになる。つまり、その上にある効果的配置が伝統型のものということなのでレヴァインの業績は、それを全集録音完成させたことにある。音楽は、学術論文と異なるから理屈ではなく、感性に訴える。ヴァイオリンが2つの声部に分かれている理由は、楽器配置と密接な関係にあり、1955年以降のステレオ録音が、左にVnが配置され、右にチェロ、コントラバスという低音声部が配置されたことは伝統型配置の破壊であったに過ぎない。吹奏楽でコントラバスが舞台上手にある必然性は特別あるわけではない。左右に高音低音の対比によるものなのだが、声部の左右対比は、もっと別の次元の話であろう。それは総譜を手にする指揮者の音楽判断による。
 レヴァインのモーツァルト音楽の特徴は、演奏が生気に溢れはつらつとした喜悦の表情にある。思えば、ウィーンという歴史は紆余曲折があり、その上での現在の姿なのである。LPレコード再生で、第二Vnが右スピーカーから聞こえる喜びは、体験した方にはお分かりいただける話である。
 だから、音楽は、左右から聞こえるというのは非音楽的な話と一刀両断する議論は、間違いだろう。それはモノーラル状態であり、ステレオとしての左右分離は演奏にも影響を与える。つまり緊張テンションは半端ない。舞台配置の左右感は指揮者の判断問題だ。
 第28番交響曲ハ長調は1774年ギャラントスタイルに向かう時期のものでミラノの空気に触れた交響曲が作曲された18歳(推定1773年作曲)作品になる。まさに清新でさわやか。
 合唱の声部配置で女声前列、男声後列というものはすなわち、Vn両翼と同じ音楽観に基づいている。中央に男声配置するのもほぼ同じことで、チェロとヴィオラが担当する声部であり、舞台全体に響き渡るという王道を行く・・・

 オラトリオ宗教的題材を劇的に表現した大規模声楽曲、管弦楽合奏とティンパニー、合唱、独唱者たちとエヴァンゲリストという進行役の朗読調歌唱により演奏される。「歓喜して小躍りせよ」ヨハン・セヴァスティアン・バッ1685~1750が1743年のクリスマスから翌年1月6日にかけて初演されている。バッハはライプツィヒ聖トーマス教会、聖ニコラウス教会の両方を午前と午後に往復して、この曲を演奏している。今ではLPレコード3枚で鑑賞することができる。
 シュトゥットゥガルト聖歌隊、バッハ・コレギウム聖歌隊、アーリン・オージェSp、クリスタ・ムッケンハイム、ユリア・ハマリAlt、ペーター・シュライヤーTen、ウォルフガング・シェーネBass、合奏団3人のトランペット、ハーネス・ロイビン、ウォルフガング・ロイビン、ベルンハルト・ロイビン、ティンパニー、ノルベルト・シュミット、2人のホルン、ハーネス・ロイビンとウォルフガング・ロイビン、2人のフルート、ギュンター・ポール、シビル・ケラーサンヴァルト、2人のオーボエ・ダモーレ、ギュンター・パッサン、ヘッダ・ロートウェーラー、2人のオーボエ・ダカッチャ、ディートマール・ケラー、茂木大輔、2人のファゴット、クルト・エゾルト、ラルフ・サボウ、首席コンサートマスター、ワルター・フォルケルト、独奏第二Vn、ウィリ・レーマン、チェロ、ヤーコバ・ハンケ、コントラバス、ハルロ・レンツ、チェンバロ、マーティン・ガリング、オルガン・ポジティフ、マルタ・シュスター、ミヒャエル・ベーリンガー、ハンス・ヨアヒム・エルハルト、指揮ヘルムート・リリンク1984年4-6月録音
 音楽というと、正確な演奏が目指されていて、それで良しとするものである。ところが、このクリスマス・オラトリオの音楽と云うと、イエス・キリストの生誕が取り上げられたものであり、歓喜よろこびこそ主たるテーマ題材だろう。実際の演奏会で鑑賞するのだが、その歓びの感じられない演奏に出会うものだが、このLP録音には「歓喜」に溢れた演奏が記録されていて、裏切られることが無い。
 ペーター・シュイヤーの清々しい歌唱には、いつも感動させられる。テノールというのは音域が高い声で、しかも、のど声ではなく身体全体で発声するから、聴いていて心の底から引き込まれる。クラシックの音楽会では、拡声器が使用されることはない。すなわち、発声こそ生命であって、その場の空気の振動感こそ音楽なのであり、スピーカーに向かうオーディオは、電気により駆動された再生機プレーヤーとアンプが、スピーカーにより音楽鑑賞を体感させる。空気エアが、音楽鑑賞の肝であり、その振動感こそ生命である。
 その再生に適う音楽家、ソプラノのアーリン・オージェ、彼女は1991年札幌・芸術の森に登場していて、モーツァルト・レクイエムの独唱者を務めていた。ステージの裏口で彼女とすれ違ったことのある盤友人は当時PMF教育国際音楽祭で合唱に参加していた。指揮者はマイケル・ティルソン・トーマスでアルト独唱はクリスタ・ルートヴィヒというビッグネイムだった。後年1994年だったろうか、マイケルが指揮してPMFオーケストラは第九の終楽章を演奏したことがある。フルートの首席にはウォルフガング・シュルツが出演していて、そのリハーサルの時から彼らの集中力に驚いたものである。その4月にアーリン・オージェは急逝していたのだった。指揮者マイケルの胸中は如何なるものだったのか、そんなことを想いつつ、彼女の元気なころの歌唱を再生して、活き活きとしたソプラノの音楽を鑑賞できることは、感謝するしかない、それほど懸命な歌声に今年1年を想う・・・皆様、どうか良いお年をお迎えください。

 年末を迎えて、日本中でオーケストラはベートーヴェン第九交響曲が目白押しである。何故か?それは歌舞伎の定番、忠臣蔵にならっていてそのこころは大入り間違いなし!である。つまり年の瀬に楽しむ名曲中の名曲で、人々が一押しの聴きたい音楽ということだろう。これは何も日本に限らず、1943年12月8日演奏会のスウェーデンのストックホルムでも記録された第九は、ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮による放送録音だ。ディスコ・コープで1973年にリリースされていて、このたび、キング・インターナショナルでLPレコードが発売されることはまことに慶賀にたえない。
 この演奏自体は、緊張感、そして力感や演奏者の一体感に溢れていてその上さらに、完成度の高い演奏に仕上がっている。これは、当時の入念なリハーサルをうかがわせる重要な音楽であって、よくF氏の指揮棒を揺らすような、アインザッツという音の入りがピタっと決まるという緊張感を高めるスタイルで、彼の音楽はそれが実現されていてまさに、奇跡的といえるほどである。記録というものは、生の音ではなくスピーカーの発生させるものなのだから、類推させる音楽といえるまでである。すなわち、良い音とは、良い音楽に想いが至るためのツールであって同一のものでないことは肝に銘じるべきであろう。
 盤友人の思い出は、札幌交響楽団で指揮台に立った1979年ヘルベルト・ケーゲルのリズム感が抜群だった演奏や、山田一雄指揮の緊張感が際立った1991年5月定期コンサートの舞台でコーラスの一員として合唱に参加した記憶として大切にしている。
 ベートーヴェンは1792年21歳で51歳の父親と死別していて、1822年51歳ではロンドンのフィルハーモニー協会から交響曲作曲依頼を受けている。第四楽章の合唱で、歌詞には、星空のかなたに必ずや父が居ませ給うというフレーズがあり、このことから歓喜の歌の心に、父親讃歌を思わせる「ふし」がある。つまり、ベートーヴェンは、空虚な五度というホルンのハーモニーに弦楽器の原始霧と思われるトレモロという混沌の中から、決然と第一主題が開始される第一楽章、これは明快な彼の人間性が象徴されていて、彼の音楽を鑑賞するカギとなることだろう。曖昧さ、妥協、そして不完全とはまったく無縁の作曲である。
 よくこの音楽は、喜びの歌として切り取られ、歓喜の音楽として採用されることが多いのだが、作曲者の心は、苦悩の道から獲得される歓びであり、この歌は、歓びよ来い来い、という希望を求める音楽なのではないだろうか?これは、先人の音楽評論家、吉田秀和氏の指摘していた事実であり、盤友人は刮目させられた至言といえる。
 誤解をおそれずに続けると、現実には実現されていない理想世界があり、その葛藤の中に人生はあるというのがベートーヴェンの実際だったのではあるまいか?そのように考えると、第二次世界大戦の最中で記録された中立国スウェーデンの音楽家たちの演奏、会場に足を運んだ聴衆たちとの一体感には、心を打たれるものがある。1942年3月のベルリン演奏会では、ヒットラー総統への忠誠があり、その背後に気配のないストックホルム・ライヴは、フルトヴェングラーにとって如何なるものであったのか、想像だに及ばないものがある。緩徐楽章での管弦楽の抑制されたヴィヴラートの美学はとりわけ聴きものであり、木管楽器とホルンの合奏では、ピッチ音程の揺れは皆無である。その上で弦楽器、コントラバスからチェロ、アルト、ヴァイオリンのピッチカートの音楽が印象的な音楽に仕上がっているのは奇跡である。
 そしてフィナーレのプレスト急速では、意外な結末が記録されて・・・

  コンサートホール・キタラはその歴史を二十年以上有する札幌にある管弦楽の聖地と云える。ギリシャ語のギターを思わせるそのネイミングも素敵だが、一度、来たら、やめられなくなるという駄じゃれ的な名前だし、何より、東京の赤坂・サントリーホールと同じ思想、ワインヤード方式の採用された音楽会場である。世界に誇る札幌コンサートホールは、すでに世界最高峰の管弦楽団たちが演奏を披露している会場だ。指揮者ワレリー・ゲルギエフはロシアで同じホールを建設させたという有名な話題もあるし、ウィーン、ベルリン、ロンドン、パリなど数多く国際都市から札幌にそのアンサンブルを披露するホールとしての機能を発揮している。
  そのワールドオーケトラシリーズ、今年はケルン放送響楽団が招へいされていた。指揮者はマレク・ヤノフスキー1932.2/18ワルシャワ生まれ。彼は1983年初めてケルン放送交響楽団に登場、以来ヒンデミットの作品を始めとして、ベートーヴェンの交響曲の録音をリリースする予定がある。キタラホールでは夕方五時から公開プローベが企画されていて、リハーサルの冒頭から聴衆の一人として参加することができた。まず、リハーサルの開始に当たり、セッティングに加わっていた裏方のメンバーの一人ひとりが紹介されて団員から拍手、そして続き楽団員の一人二人が拍手を受けていた。遠くからの判断で正確ではないのだが、誕生日にあたるメンバー紹介のような雰囲気であった。演奏者は全員が時刻を目指して着席していていたのだが、その中心でヤノフスキーは先に指揮台に着席していて、明らかにオーラを発している感じがしたから、その夜の演奏会、すでに雰囲気は形成されつつあったようである。コントラバスは8名編成、チェロ10、アルト12、第2Vn14、第1Vn16という弦楽5部編成。木管は4管というオリジナルに対する倍管編成。トランペット2、トロンボーン3、ホルン4そしてティンパニというフル編成。演奏会はベートーヴェンの第7番イ長調そしてシューベルトのグレート第8番ハ長調は2管編成。その昔、グレートというニックネイムの交響曲は第9番であった。ところが7番は欠番であったために7(9)番ともいわれていたのだ。つまり、第8番はロ短調「未完成」であった。CD主流の時代になり、第7番未完成、第8番グレートというのが現在のところである。LP時代の第8番と云うと「未完成」であった盤友人にとって、偉大交響曲ハ長調D944は第9番が馴染みである。
 未完成という交響曲は、2楽章しか完成していないことにより命名。それでも完成しているという感じはする。8というナンバーは無限大とリンクしていて魅力があるし、第9番は最高級というグレートナンバーに相応しい。フランツ・ペーター・シューベルト1797~1828の生前に演奏は未発表であって、その作品自体、ブルックナーという後期ロマン派の音楽を先取りした音楽になっている。演奏時間も50分余りの長大な作品。第3楽章の音楽は舞曲風、第4楽章はファンファーレで開始され、長大なソナタ形式による。ソナタ形式と云うのは、男性的な第一主題、女性的な第二主題の提示部、展開部、再現部、終結部という形式で作曲されている。ロマン派という永遠なるものに対する憧れの芸術は、古典派という確固たる形式に続く、人間性の発露として、現代人にも受け入れられる音楽といえる。
  チェロ奏者たちのボウイング弓さばきを見ていると整然としている上に、コントラバス奏者の動きと一致する時、そのダイナミックさに視覚的に感動を覚える。
  ケルン放送交響楽団は1947年創立、すでに歴史ある有力なオーケストラで、ベートーヴェンとシューベルトという深遠な世界を記録している。ギュンター・ヴァント1912.1/7エルバーフェルト生~2002.2/14スイス没はグレート、ケルン放送交響楽団を指揮し1977年頃録音、旋律線をくっきりと浮かび上がらせた質実剛健ともいえる青春のエヴァーグリーンである。オーボエ首席奏者として宮本文昭さんの音色(ヘルムート・ヴィンシャーマン譲りのヴィヴラート)が思い浮かぶもののクレジットは特にあるものでもない。とにかくすべてが生き生きとした躍動的な演奏のレコードだ・・・

 Rome was not built in a day  ローマは1日にして成らず。という言葉は高校生の時分に出会った言葉で、その深遠な世界にあこがれを抱いたものだ。特にロマンテッシュというドイツ語の永遠なるものという説明に対して、ガッテンが行く思いを覚えている。
 オーマンディが残した一枚のLPでロンドン交響楽団を指揮したころ、音楽監督だったのはイシュトヴァーン・ケルテス。その当時の演奏は、言葉の真の意味で飛び切りゴージャスなサウンドを誇っている。アンサンブルの能力はトップ水準、そのレスピーギ作曲、ローマの松、ローマの泉はもっと人気が出ても良いディスクだと思っている。1968年頃録音。この頃のフルート首席奏者はジェイムズ・ゴールウェイ。ホルンの首席はバリー・タックウェル。クラリネットはジェルワーズ・ド・ペイエ(未確認の知識)
 まるで独奏者たちがワンチームのオーケストラがロンドン交響楽団である。これは特筆すべき事実であって、あのカール・ベームがチャイコフスキー、ドヴォルジャークの交響曲を録音したのも、ロンドン交響楽団であったということは、決して偶然の事実ではなくてLSOの魅力こそ、その由縁なのだろう。スーパースターたちのドリームチームは、ベルリン・フィルが有名だ。ところが意外と、人知れずというか、ロンドン響は実力、トップチームの一つである。もちろんパリ管弦楽団も、その例に漏れないから、というのも、実力者たちのアンサンブルという意味なのだが・・・
 教育が統一されているのはウィーン・フィルで、伝統組織の色彩が強いといえるだろう。ところが、決して純粋のみならず、外的なスタイル、人材も受け入れているからそこのところ、ピュアリズム一色ではないことに注意をすべきだろう。たとえば、ラグビーの日本代表チームは、混成チームでありながら日本代表という一点だけで、ワンチーム。どういうことかというと、純粋日本人というだけでないのは、大相撲を見るまでもなく成立している。それは弥生時代、渡来人というのは朝鮮半島からの人々のことを指していて、大和時代、日本最古の飛鳥大仏はいうまでもなく「とり仏師」の製作による。混血の事実は何も現代の思想ではあらず、古来やまとの思想は、大ビッグ和ユナイテッドにあるのではないか?これは、UKユナイテッドキングダム合衆王国の実体と一致する。
 ここで話をローマの松に戻すとすると、1924年初演の作品になるから、近代の管弦楽作品ということである。1924年12月14日ローマのアウグステオ奏堂、基本的に二管編成でフルート、トラムペットは3管、ホルンは4管。鉄琴、チェレスタ、ハープなどなど、色彩豊かな音色の管弦楽を発揮する。ローマ三部作の2作目で、その昔、札幌市民会館で聴いたとき、第4曲アッピア街道の松では、古代ローマ軍兵士の行進で、客席の後ろから突然、バンダ吹奏楽の演奏が始まったとき、鳥肌が立った思い出は、忘れがたいものである。最近の舞台の後ろに客席が配置されたワインヤードタイプのステージで、指揮者は、正面に整列させて合奏の一体化を狙っていたのだが、それは、興ざめである。もちろん、LPレコードでは再生不可能な仕組みなのだが、生の音楽は、レコードに太刀打ちできるはずもない。その独自のシアターピースは、立体的な空間を巧く活用した方が良いのではあるまいか。
  うまい話には要注意、アンサンブルの精度を上げるためといって、演奏効果を下げるのであれば、それこそ、第一と、第二Vnのf字孔を揃えるのがその良い例である。Vn両翼配置は、演奏効果を高める配置なのであり、そこのところ時代の要請といえるだろう・・・

 さすがだなあ、と思わされるのは選曲の仕方。フリードリヒ・グルダは第25番と第27番のピアノ協奏曲を一枚のLPレコードでリリースしている。1975年頃録音で指揮はアバード、ウィーン・フィルハーモニーのドイツ・グラモフォン盤。なぜ、26番と27番ではなくて25番と27番なのかなあ?という疑問が、購入したときからのものであった。26番は戴冠式というニックネイム付きのニ長調で1788年の作品、1790年のレオポルト二世即位の戴冠式で取り上げられたという由来による。
 くだくだしくいうものでもないけれど、作品の戴冠式は、平明な作風である。色々なことが言われていて、究極の説は、偽作説というもの。モーツァルトが一体このような音楽を作曲したのであろうか?ということで、分かり易くいうと真作ではなく疑問が拭えないピアノ協奏曲である。ケッヘル1800~1877というモーツァルト作品626曲を作品順であろう順番に整理した人物は、Kケッヘル番号537として戴冠式を位置付けている。彼は楽譜の記録を基に結論を下しているから信頼性は、多数の歴史家の認めているところ。権威の有るものとして通用している。だが、果たして唯一絶対のものとは断定できるものでもない。それは、K626レクイエムニ短調自体、ラクリモーサ涙の日の8小節目までが確認されていて、その続きは弟子たちにより作曲者の書き残したスケッチ帳による補作されたものという事実である。すなわち、真作か、偽作かは断定できるものでもないといえることだ。
 ライフワークとしての偉大な業績に対して、鵜呑みにすることなく、客観的な判断が必要な態度であろう。それは、戴冠式の作風に対する疑問ということだ。
 をではなく、でということは、コントラバスの旋律メロディーラインで検証することである。ひたすら、コントラバスの旋律に耳を傾けながら、右スピーカーの音楽を愉しむ時、自然に疑問が湧いてくる。この作曲はモーツァルトのものなのかなあ ? つまり、平明な作風は、作曲者が独奏者のために難易度の低い作品なのだからという説明が、よくされている。果たしてコントラバスの旋律まで平明ということは、あり得ないことである。どういうことかというと、平易な音楽は独奏部分だけで充分なはずなのに、コントラバスまで平易なのは何故なのだろう ? ということだ。モーツァルトの作曲法を語る時、多声部音楽ポリフォニーの真髄で、ヴァイオリンの次に外声部のコントラバスが呼応していなければ不自然と断定することができる。すなわち、第26番戴冠式はその一点でもって偽作という断定を下せるのである。
 見事な作曲というものは、ピアノと管楽器の対話とか、第一と第二Vnの対話とか、上向するVnと下降するコントラバスの旋律など、モーツァルトは天衣無縫である。
 流説にまどわされることなく、フリードリヒ・グルダは26番を除いて、25番と27番をセットにしてLPレコードをリリースした理由は、こういう類推を楽しいものにしてくれる。断定できることとして、グルダは26番をネグレクト除外したということである。
 会うことは、人の目を見て会話できることにあるのだから、スピーカーとも両目を見開いて音楽の会話を愉しもうと思っている。 刮目して生きることは、桜の花を、有る時に目に焼き付けて無い時分にこそ活き活きと情景を想像する世界、新古今和歌集でもって、見渡せば花も紅葉もなかりけり・・・秋の夕暮れと詠んだ定家の幽玄の世界なのだ。
  真作か偽作か ? は尽きせぬ議論の主題であろう。K503の25番ハ長調は真に、ポリフォニーの傑作であり、グルダはウィーン・フィルと愉悦の演奏を記録している・・・

 アーノルト・シェーンベルク1874.9/13ウィーン生まれ~1951.7/13ロスアンジェルス没は、新ウィーン楽派の泰斗、十二音技法ドデカフォニー音楽の創始者。1936年に作品36のVn協奏曲、1942年には作品42でピアノ協奏曲を創作している。
 盤友人はミュンヘンでアルテピナコティーク、日曜日だったので無料観覧を経験している。圧倒されたのはルネッサンス期その細密な画風の宗教画で、その物語性や画面の迫力に強い印象を覚えていた。音楽でいうとバロックではあるが、ヨハン・セバスティアン・バッハの多数の傑作に近い感覚があった。具象画の絵画は、調性音楽というと正確ではないけれども、大体のところに近親性がある。美術史でいうところのセザンヌ、印象派が色彩と光の感覚に注意が向き始めたことは、カンディンスキー、表現主義の誕生という歴史の展開があるといえるだろう。
 ウィーンでは、モーツァルトの音楽が市民革命と同時期に誕生していて、第一次大戦の頃、シェーンベルク(1941年USA市民権獲得)はコンテンポラリー音楽、いわゆる現代音楽、同時代の音楽を展開させている。なんのことはない、メロディー旋律線というものが自由自在に作曲されていたところに、点と線のメロディーという発展を始めたのである。
 音と音楽は微妙に、イコールとはいえない。どういうことかというと、演奏することにより、躍動感が発揮されて音楽というダイナミックな芸術となる。もちろん、作曲と演奏という両方の行為の上に成立しているのだが、演奏者に対して鑑賞者がいてはじめて認識される。というか、演奏行為と鑑賞行為の両方の上に音楽は展開される。三要素というと、リズム、メロディー、ハーモニーということを教えられていたのだが、コンテンポラリーでは、音程、時間、音色という三要素に変貌している。すなわち伝統のメロディー旋律は、ただの線から「点と線」へと変化しているのだ。そのとき、鑑賞者は旋律線を期待していると、意外なことに、はぐらかされる感覚に陥りがちである。点も、メロディーラインのようにとらえると、シェーンベルクの意図は、鑑賞者に伝えられるというものである。
 グレン・グールドは1961年にモーツァルトの協奏曲ハ短調K491とB面にシェーンベルクの協奏曲を録音している。オーケストラはCBC交響楽団、前者ワルター・ジュスキント、後者はロバート・クラフトが指揮を担当している。グールド1932.9/25トロント~1982.10/4同地没は、大好きなというより、どちらかというと、という言い方がふさわしい。大好きなピアニストというと、クララ・ハスキル・・・とかしっくりするのだが、どちらかというと好きという感覚は、彼の記録を鑑賞するに、理解という変換行為が必要とされるからである。無防備に鑑賞すると、彼の意図は伝わりにくいものがある。モーツァルトにしても、G氏は彼ならではのキャラクターを刻印していて単なるモーツァルティアンではない。それは、好き嫌いを分けるものであり、どちらかというと好きな方というのが正直なところである。シェーンベルクの協奏曲にしても、確固たる演奏は自信に溢れていて、見通しが良く、十二音音楽も聴きやすく工夫されている。租借されているのだから、グールドは通り一遍の演奏ではなくて、確信の伝わる記録となっている。静と動の対比は的確で、あたかも色彩と光の絵画を鑑賞している感覚である。メロディーを求めると失望するのだが、点と線の感覚によると鮮やかな印象を与えられて、グールドの演奏は素晴らしいと思う。
 歴史は発展して展開を続けるから、ワンパターンも良いけれど受け止め方ひとつで万華鏡の世界も素晴らしくて、光の方へと導かれる・・・

 希望と栄光の国土、二十世紀の劈頭に生み出された音楽エドワード・エルガー1857.6/2ウスター生~1934.2/23同地没は近代英国音楽再興の父である。イングランドでロンドンの北西部に当たるウスター出身。イギリスという連合王国はイングランド、ウエールズ、スコットランド、北アイルランドの、多民族による連合国家である。立憲君主制で、エリザベス女王を戴きその近代以前の世界的覇権は歴史の綾だろう。18世紀の産業革命は、フランス市民革命とともに近世の発展に多大なる影響を及ぼしたものだ。君主制度を残し、民主主義を並立させるということは容易なことではない。ヨーロッパの近代史には、たとえば第一次、第二次大戦と多大なる犠牲の上に成り立っている。その歴史は、現代でいうとオイル資源をめぐる中東情勢の不安定に連なっている。
 ルネッサンス文芸復興という13~14世紀の伝統の上にイギリスでは、ヘンリー・パーセル1659?~1695..11/21ロンドン没やジョン・ダウランド1565?~1626.2/20ロンドン没などのビッグネームから、バックス、ブリス、アイアランド、エリック・コーツなどなど近代英国作曲家は連綿とつながっている。そんな中でエルガーの業績は、きわめて多大である。その管弦楽法は精緻を極め、ポンプ・アンド・サーカムスタンス「威風堂々」第1番ニ長調から第5番ハ長調まで作品39の行進曲集は一際精彩を放っている。
 作曲者自身指揮した第1番SP1914年録音は、冒頭のアレグロ、コンフォーコは改変されていて、ラルガメンテ希望と栄光の国土の部分が繰り返された編曲で吹き込まれている(パール盤)。EMI1976年録音エードリアン・ボールト卿指揮、ロンドン・フィルを聴く。まず何よりもその軽快なテンポ感に心踊らされるだろう。切れの良い金管楽器群の吹奏、きらびやかな打楽器のリズムが耳に心地よく響く。ラルゴきわめて遅くより、やや早いたっぷりと、幅広い音楽ラルガメンテ。繰り返された部分ではパイプオルガンの足鍵盤も加えられて、手ごたえ充分の管弦楽法で歌われる。
 ここで、エードリアン・ボールト卿の指揮について考えなければならないことがある。彼のモノーラル録音から1970年代のステレオ録音LPレコードを再生するに、その師匠アルトゥール・ニキッシュから受け継がれた近代指揮法というべき即物主義的音楽は、現代の典型といえる。それはフルトヴェングラーの後期ロマン派スタイルよりは、クレンペラー派の近代的スタイルかもしれない。第二Vnが舞台上手袖に展開されるスタイルは、クレンペラーのステレオ録音だけではなくて、ボールト卿もそれを踏襲している。ステレオ録音初期には、コンサートホールレーベルで、パウル・クレツキ、ウィレム・ファン・オッテルロー、ピエール・モントゥー、カールシューリヒト達指揮する録音に明らかであり、現代のVn両翼配置に歴史は連なっている。左右のスピーカーでいうと、左スピーカーで第一と第二Vnが演奏される録音と、右スピーカーに第二Vnが展開する録音とでは、音楽は手の甲と手のひらを見るほどの相違がある。左右のスピーカーの両方に2本の中心線が有る対比と、左右スピーカーの中央に1本だけ対比の中心線が来る両翼配置とでは、作曲者の舞台配置を予想するか、無視するかほどの違いである。ステレオ録音の多数が、左右、高音域対低音域というコントラストが分かり易いステレオ感であった時代は、新しい時代を迎えたといえる。どういうことかというと、メジャーレーベルは1985年頃からのモーツァルト交響曲全集を録音したジェームズ・レヴァイン指揮の仕事がリリースされて、新展開を遂げているのである。
 そういえば、ニキッシュやボールト卿は長い指揮棒を使用していた。そしてトスカニーニやグィド・カンテルリも同様である。理由はあるのであって、合奏アンサンブルの精度を確保するのに必要だからであり、その彼らに共通することは・・・・・

 今、夜10時ころの星空は東南にオリオン座、西北には白鳥座が美しい。このとき台風に被災された方々のことを想うと胸が痛む・・・レコードを聴きたくとも聞けない人々がいるという現実。
 災害に遭われた皆様の苦労を思うに、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い日常の回復を願わずにいられません。それにしても、普通の生活がなんと大事なことなのか、つくづく、知らされるこの頃、心を込めて読者の皆さんに応える千曲万来に励みたく、サイトに向かう・・・
 ウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25~1954.11/30はバーデンバーデンにて気管支肺炎のため永眠した。9/19,20にはベルリンでベルリン・フィル演奏会を指揮、自作交響曲第2番、ベートーヴェン交響曲第1番を取り上げていて公開演奏会の最期となる。自作曲の演奏は、スムーズに行かなかったと言われている。同年9/28~10/6までウィーン・フィルとワーグナーの「ニーベルングの指輪」第1夜ワルキューレ(ちなみに序夜はラインの黄金)を好調なうちに名演奏を記録することとなる。ガスタインへ湯治で、クラランの自宅への帰路、気管支炎を起こしてしまう。11/12バーデンバーデンのサナトリウムに入院したけれど、回復することはなく、治療のかいなく悪化し帰天している。エリザベート未亡人の話によると、彼とはイエスの博愛についてが最後の語らいであったという。人間に博愛をもたらしたのはイエスであり、この博愛こそがキリスト教の新生面であるというのが最後にして、口をきくのも稀になっていったらしい。行年68歳、晩年は聴覚障害で会話の成立に不自由をきたし、録音は体調の整ったときのものだった。イギリスEMIでは、ワーグナーの「リング」四部作録音を企画、それは「ワルキューレ」にとどまることとなった。
 12/4彼の葬儀はハイデルベルク、彼の母アーデルハイトが長らく生活していた街の聖霊教会で執り行われた。献奏ベルリン・フィルと指揮者はオイゲン・ヨッフム52歳だった。埋葬は同市立墓地で、墓碑銘として、「実に信仰、希望、愛、この三つのものは限りなく残らん。しかしてそのうちもっとも大いなるものは愛なり」コリント書13章。
 楽劇ワルキューレ全曲はウィーン・フィルによるスタジオ録音で、スタジオといってもムズィークフェラインザールでの演奏会形式。ジークムント~Tズートハウス、フンディング~Bsフリック、ヴォータン~Brフランツ、ブリュンヒルデ~Sメードル、ジークリンデ~Sリザネック、フリッカ~Sクローゼ。
 モノーラル録音で、明晰な記録となっている。盤面割は10面で、片面だいたい22分くらいずつのもの。第一幕は3面で第二幕は4~7面、第三幕ワルキューレの騎行は第8面、ヴォータン告別と魔の炎の音楽の終末は圧巻でフルトヴェングラーにとっても、究極の仕上がりであろう。
 命令に背いたブリュンヒルデをヴォータンは厳しく罰し、岩山の頂上に眠らせ、目覚めさせた男の妻となるように定める。だが、彼女の哀願と説得に心を動かした彼は、娘を炎の壁に囲ませ、真の英雄のみが、それを踏み越えられるであろうと定めを変えるのだった。
 フルトヴェングラーは、その記録にのみ音楽は宿っている。ということは、それを再生するものにのみ与えられる喜びと云えるだろう。「オーディオ」の特権である。ここでやっかいなことは、それにグレードというものがあり、人にとってクリアすべき課題と云える。どこの位置にそれを実現するのか ? それこそが課題と云うべきであって、アナログの世界に限りない可能性はある。そこのところで議論の余地はあり、アナログ対デジタルの図式はどちらかの立場に立つという宿命があるのだが、フルトヴェングラーはアナログの子であるのに違いない・・・