🎼 千曲万来余話 by盤友人

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 人は、よくものの見方としてレッテルを貼ることが多い。たとえば、指揮者エルネスト・アンセルメ1883.11/11ヴヴェイ出身~1963.2/20ジュネーブ没の指揮したレコードを選ぶ時、そのチョイスはフランス音楽かストラヴィンスキーのバレエ音楽など近代のものに傾きがち、つまりレッテルがものをいう。音色が多彩な管弦楽作品の大家として評価する。その彼の出身というと、ローザンヌ大学で数学と物理を専攻し学生オーケストラを指揮したりしていた。パリのソルボンヌ大学に留学、1905年から母校で教鞭をとる。09年にはベルリンでニキッシュやワインガルトナーの助言を求めて翌年にはモントルーで指揮者デビューを果たし、曲はベートーヴェンの第5番ハ短調交響曲だったという。ドビュッスィ、ラヴェル、ストラヴィンスキーらと親交を結び、15年からジュネーブ交響楽団の指揮者に就任、18年からスイス・ロマンド管弦楽団を創設、66年に辞任するまで約半世紀にわたり音楽監督をつとめていた。イギリス・デッカには彼が指揮した膨大なレコードが遺産としてある。
 ベートーヴェンの交響曲全集では1964年頃録音した第2番ニ長調を再生してみた。なんとも懐かしい、ほのぼのとした表情のベートーヴェンであろう。しっかりと造形された交響曲は、青春の輝き、ゆったりとしたテンポで演奏されてスイス・ロマンド管弦楽団のヴィルトゥオーゾ性満点の味わいは、近代管弦楽の極致で、聴く人を幸福感にいざなう妙味に溢れた音楽になっている。このように指摘すると、彼の原点がワインガルトナー指揮する近代趣味の音楽に有ることがよく分かる。というは、その対極としてフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュが指揮する音楽というのは、テンポやディナミークの振れ幅の大きい表情の趣味とは、明らかに異なり、即物的な趣味といえるものだろう。これは、レッテルではなくて率直な感想であり、盤友人の知人なども、アンセルメの音楽を聴いて好意的な感想を寄せるものである。
 オーケストラ指揮者が交響曲を録音する時、ある決断を要請される。それはVn楽器配置の扱いだ。ウィルヘルム・フルトヴェングラーは1945年を境界として、以前は伝統型を採用しそれ以後は第一と第二Vnを揃える二十世紀多数派のタイプへとの変節していた。その結果コントラバスの配置は指揮者の左手側から右手側へと180度の転換が実現されたのである。
 その結果、第二楽章ラルゲット幅広く緩やかに、やや速くでは、伝統型では第一Vnの主旋律に対応して、第二Vnとアルトの伴奏的音楽という描き分け方が、無視されるという音楽になる。それはステージ上での左右感であり、アンセルメ指揮の楽器配置による現代多数派の録音では、右スピーカーからはチェロやコントラバスの第一拍担当の音楽が強調される。すなわち、音域として高音域のVnと低音域のコントラバスが左右に対比される音楽となる。それはあたかも、バウムクーヘンの輪切りのごとくに、左スピーカーからVn、右のスピーカーからは低音楽器が聞こえる音楽となる。盤友人は弦楽器のみならず、四声体合奏アンサンブルの効果的な配置は、指揮者の左手側にソプラノ、バスそして右手側にテノール、アルトという塩梅が具合良いのではあるまいか?という見立てである。左右の対比は、高低音対比ではなくて、第一と第二Vnの対比こそ音楽として味わい深いコントラストではあるまいか?というのがよって立つ趣味人である。アンセルメの音楽を鑑賞して味わう一方、クレンペラー指揮するVn両翼配置型のステレオ録音をこそより上位とランク付けるのだ。それをレッテルといわず、経験による音楽観といえるのだろう・・・

 令和2年正月、2020年の劈頭にあたり読者のみなさまの安寧とご健勝を祈念申し上げる次第、札幌音蔵とクリケットレコードone-teamにて盤友人ともどもご愛顧のほどよろしくお願いします。
 TV視聴の限りでは、ウィーナーフィルハーモニカーによる新春恒例のシュトラウス一家の音楽会、今年はネルソンス指揮のヨゼフ・シュトラウスがメインディシュで3日にはNHKニューイヤーオペラコンサートで、マスカーニ作曲カヴァレリア・ルスティカーナから復活祭の合唱、女声前列、後列とか中央に男声一列という配置など、新しい時代に相応しい音楽を鑑賞することができた。
 1984年6月録音で、ジェイムズ・レヴァインはドイツグラモフォンからモーツァルトの交響曲第28番ハ長調K200をリリースしている。DG録音の歴史では、70年代にラファエル・クーベリック指揮するドヴォルジャーク交響曲シリーズでVn両翼配置が採用され、1987年新春コンサート、カラヤン指揮して弦楽部伝統配置が定着している。
 レヴァイン指揮するモーツァルトの交響曲は全て第二Vnとアルトは右スピーカーから聞こえてくる。これはどういうことかというと、円舞曲ワルツなどの後打ちリズムは、上手かみてに揃えられることになる。しかも管楽器で云うとホルンの後打ちリズムも斉奏されて聴きもの。すなわち、音楽の聞こえ方が作曲者のツボにはまっていて、ピタリというものなのだ。しも手という指揮者の左手側からコントラバス、チェロ、アルト、ヴァイオリンと楽器を客席に正対させて、弦を、一本ずつピッツィカートさせてみると、低音から高音へとスムーズであることに気が付かれることだろう。すなわち、第一と第二Vn、アルト、チェロ、コントラバスの順番で並べると、そうは行かないのである。
 このことに気づいた指揮者にとって、多数派の第一と第二Vnを束ねた配置が、唯一絶対の配置ではないことを知らされることになる。つまり、その上にある効果的配置が伝統型のものということなのでレヴァインの業績は、それを全集録音完成させたことにある。音楽は、学術論文と異なるから理屈ではなく、感性に訴える。ヴァイオリンが2つの声部に分かれている理由は、楽器配置と密接な関係にあり、1955年以降のステレオ録音が、左にVnが配置され、右にチェロ、コントラバスという低音声部が配置されたことは伝統型配置の破壊であったに過ぎない。吹奏楽でコントラバスが舞台上手にある必然性は特別あるわけではない。左右に高音低音の対比によるものなのだが、声部の左右対比は、もっと別の次元の話であろう。それは総譜を手にする指揮者の音楽判断による。
 レヴァインのモーツァルト音楽の特徴は、演奏が生気に溢れはつらつとした喜悦の表情にある。思えば、ウィーンという歴史は紆余曲折があり、その上での現在の姿なのである。LPレコード再生で、第二Vnが右スピーカーから聞こえる喜びは、体験した方にはお分かりいただける話である。
 だから、音楽は、左右から聞こえるというのは非音楽的な話と一刀両断する議論は、間違いだろう。それはモノーラル状態であり、ステレオとしての左右分離は演奏にも影響を与える。つまり緊張テンションは半端ない。舞台配置の左右感は指揮者の判断問題だ。
 第28番交響曲ハ長調は1774年ギャラントスタイルに向かう時期のものでミラノの空気に触れた交響曲が作曲された18歳(推定1773年作曲)作品になる。まさに清新でさわやか。
 合唱の声部配置で女声前列、男声後列というものはすなわち、Vn両翼と同じ音楽観に基づいている。中央に男声配置するのもほぼ同じことで、チェロとヴィオラが担当する声部であり、舞台全体に響き渡るという王道を行く・・・

 オラトリオ宗教的題材を劇的に表現した大規模声楽曲、管弦楽合奏とティンパニー、合唱、独唱者たちとエヴァンゲリストという進行役の朗読調歌唱により演奏される。「歓喜して小躍りせよ」ヨハン・セヴァスティアン・バッ1685~1750が1743年のクリスマスから翌年1月6日にかけて初演されている。バッハはライプツィヒ聖トーマス教会、聖ニコラウス教会の両方を午前と午後に往復して、この曲を演奏している。今ではLPレコード3枚で鑑賞することができる。
 シュトゥットゥガルト聖歌隊、バッハ・コレギウム聖歌隊、アーリン・オージェSp、クリスタ・ムッケンハイム、ユリア・ハマリAlt、ペーター・シュライヤーTen、ウォルフガング・シェーネBass、合奏団3人のトランペット、ハーネス・ロイビン、ウォルフガング・ロイビン、ベルンハルト・ロイビン、ティンパニー、ノルベルト・シュミット、2人のホルン、ハーネス・ロイビンとウォルフガング・ロイビン、2人のフルート、ギュンター・ポール、シビル・ケラーサンヴァルト、2人のオーボエ・ダモーレ、ギュンター・パッサン、ヘッダ・ロートウェーラー、2人のオーボエ・ダカッチャ、ディートマール・ケラー、茂木大輔、2人のファゴット、クルト・エゾルト、ラルフ・サボウ、首席コンサートマスター、ワルター・フォルケルト、独奏第二Vn、ウィリ・レーマン、チェロ、ヤーコバ・ハンケ、コントラバス、ハルロ・レンツ、チェンバロ、マーティン・ガリング、オルガン・ポジティフ、マルタ・シュスター、ミヒャエル・ベーリンガー、ハンス・ヨアヒム・エルハルト、指揮ヘルムート・リリンク1984年4-6月録音
 音楽というと、正確な演奏が目指されていて、それで良しとするものである。ところが、このクリスマス・オラトリオの音楽と云うと、イエス・キリストの生誕が取り上げられたものであり、歓喜よろこびこそ主たるテーマ題材だろう。実際の演奏会で鑑賞するのだが、その歓びの感じられない演奏に出会うものだが、このLP録音には「歓喜」に溢れた演奏が記録されていて、裏切られることが無い。
 ペーター・シュイヤーの清々しい歌唱には、いつも感動させられる。テノールというのは音域が高い声で、しかも、のど声ではなく身体全体で発声するから、聴いていて心の底から引き込まれる。クラシックの音楽会では、拡声器が使用されることはない。すなわち、発声こそ生命であって、その場の空気の振動感こそ音楽なのであり、スピーカーに向かうオーディオは、電気により駆動された再生機プレーヤーとアンプが、スピーカーにより音楽鑑賞を体感させる。空気エアが、音楽鑑賞の肝であり、その振動感こそ生命である。
 その再生に適う音楽家、ソプラノのアーリン・オージェ、彼女は1991年札幌・芸術の森に登場していて、モーツァルト・レクイエムの独唱者を務めていた。ステージの裏口で彼女とすれ違ったことのある盤友人は当時PMF教育国際音楽祭で合唱に参加していた。指揮者はマイケル・ティルソン・トーマスでアルト独唱はクリスタ・ルートヴィヒというビッグネイムだった。後年1994年だったろうか、マイケルが指揮してPMFオーケストラは第九の終楽章を演奏したことがある。フルートの首席にはウォルフガング・シュルツが出演していて、そのリハーサルの時から彼らの集中力に驚いたものである。その4月にアーリン・オージェは急逝していたのだった。指揮者マイケルの胸中は如何なるものだったのか、そんなことを想いつつ、彼女の元気なころの歌唱を再生して、活き活きとしたソプラノの音楽を鑑賞できることは、感謝するしかない、それほど懸命な歌声に今年1年を想う・・・皆様、どうか良いお年をお迎えください。

 年末を迎えて、日本中でオーケストラはベートーヴェン第九交響曲が目白押しである。何故か?それは歌舞伎の定番、忠臣蔵にならっていてそのこころは大入り間違いなし!である。つまり年の瀬に楽しむ名曲中の名曲で、人々が一押しの聴きたい音楽ということだろう。これは何も日本に限らず、1943年12月8日演奏会のスウェーデンのストックホルムでも記録された第九は、ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮による放送録音だ。ディスコ・コープで1973年にリリースされていて、このたび、キング・インターナショナルでLPレコードが発売されることはまことに慶賀にたえない。
 この演奏自体は、緊張感、そして力感や演奏者の一体感に溢れていてその上さらに、完成度の高い演奏に仕上がっている。これは、当時の入念なリハーサルをうかがわせる重要な音楽であって、よくF氏の指揮棒を揺らすような、アインザッツという音の入りがピタっと決まるという緊張感を高めるスタイルで、彼の音楽はそれが実現されていてまさに、奇跡的といえるほどである。記録というものは、生の音ではなくスピーカーの発生させるものなのだから、類推させる音楽といえるまでである。すなわち、良い音とは、良い音楽に想いが至るためのツールであって同一のものでないことは肝に銘じるべきであろう。
 盤友人の思い出は、札幌交響楽団で指揮台に立った1979年ヘルベルト・ケーゲルのリズム感が抜群だった演奏や、山田一雄指揮の緊張感が際立った1991年5月定期コンサートの舞台でコーラスの一員として合唱に参加した記憶として大切にしている。
 ベートーヴェンは1792年21歳で51歳の父親と死別していて、1822年51歳ではロンドンのフィルハーモニー協会から交響曲作曲依頼を受けている。第四楽章の合唱で、歌詞には、星空のかなたに必ずや父が居ませ給うというフレーズがあり、このことから歓喜の歌の心に、父親讃歌を思わせる「ふし」がある。つまり、ベートーヴェンは、空虚な五度というホルンのハーモニーに弦楽器の原始霧と思われるトレモロという混沌の中から、決然と第一主題が開始される第一楽章、これは明快な彼の人間性が象徴されていて、彼の音楽を鑑賞するカギとなることだろう。曖昧さ、妥協、そして不完全とはまったく無縁の作曲である。
 よくこの音楽は、喜びの歌として切り取られ、歓喜の音楽として採用されることが多いのだが、作曲者の心は、苦悩の道から獲得される歓びであり、この歌は、歓びよ来い来い、という希望を求める音楽なのではないだろうか?これは、先人の音楽評論家、吉田秀和氏の指摘していた事実であり、盤友人は刮目させられた至言といえる。
 誤解をおそれずに続けると、現実には実現されていない理想世界があり、その葛藤の中に人生はあるというのがベートーヴェンの実際だったのではあるまいか?そのように考えると、第二次世界大戦の最中で記録された中立国スウェーデンの音楽家たちの演奏、会場に足を運んだ聴衆たちとの一体感には、心を打たれるものがある。1942年3月のベルリン演奏会では、ヒットラー総統への忠誠があり、その背後に気配のないストックホルム・ライヴは、フルトヴェングラーにとって如何なるものであったのか、想像だに及ばないものがある。緩徐楽章での管弦楽の抑制されたヴィヴラートの美学はとりわけ聴きものであり、木管楽器とホルンの合奏では、ピッチ音程の揺れは皆無である。その上で弦楽器、コントラバスからチェロ、アルト、ヴァイオリンのピッチカートの音楽が印象的な音楽に仕上がっているのは奇跡である。
 そしてフィナーレのプレスト急速では、意外な結末が記録されて・・・

  コンサートホール・キタラはその歴史を二十年以上有する札幌にある管弦楽の聖地と云える。ギリシャ語のギターを思わせるそのネイミングも素敵だが、一度、来たら、やめられなくなるという駄じゃれ的な名前だし、何より、東京の赤坂・サントリーホールと同じ思想、ワインヤード方式の採用された音楽会場である。世界に誇る札幌コンサートホールは、すでに世界最高峰の管弦楽団たちが演奏を披露している会場だ。指揮者ワレリー・ゲルギエフはロシアで同じホールを建設させたという有名な話題もあるし、ウィーン、ベルリン、ロンドン、パリなど数多く国際都市から札幌にそのアンサンブルを披露するホールとしての機能を発揮している。
  そのワールドオーケトラシリーズ、今年はケルン放送響楽団が招へいされていた。指揮者はマレク・ヤノフスキー1932.2/18ワルシャワ生まれ。彼は1983年初めてケルン放送交響楽団に登場、以来ヒンデミットの作品を始めとして、ベートーヴェンの交響曲の録音をリリースする予定がある。キタラホールでは夕方五時から公開プローベが企画されていて、リハーサルの冒頭から聴衆の一人として参加することができた。まず、リハーサルの開始に当たり、セッティングに加わっていた裏方のメンバーの一人ひとりが紹介されて団員から拍手、そして続き楽団員の一人二人が拍手を受けていた。遠くからの判断で正確ではないのだが、誕生日にあたるメンバー紹介のような雰囲気であった。演奏者は全員が時刻を目指して着席していていたのだが、その中心でヤノフスキーは先に指揮台に着席していて、明らかにオーラを発している感じがしたから、その夜の演奏会、すでに雰囲気は形成されつつあったようである。コントラバスは8名編成、チェロ10、アルト12、第2Vn14、第1Vn16という弦楽5部編成。木管は4管というオリジナルに対する倍管編成。トランペット2、トロンボーン3、ホルン4そしてティンパニというフル編成。演奏会はベートーヴェンの第7番イ長調そしてシューベルトのグレート第8番ハ長調は2管編成。その昔、グレートというニックネイムの交響曲は第9番であった。ところが7番は欠番であったために7(9)番ともいわれていたのだ。つまり、第8番はロ短調「未完成」であった。CD主流の時代になり、第7番未完成、第8番グレートというのが現在のところである。LP時代の第8番と云うと「未完成」であった盤友人にとって、偉大交響曲ハ長調D944は第9番が馴染みである。
 未完成という交響曲は、2楽章しか完成していないことにより命名。それでも完成しているという感じはする。8というナンバーは無限大とリンクしていて魅力があるし、第9番は最高級というグレートナンバーに相応しい。フランツ・ペーター・シューベルト1797~1828の生前に演奏は未発表であって、その作品自体、ブルックナーという後期ロマン派の音楽を先取りした音楽になっている。演奏時間も50分余りの長大な作品。第3楽章の音楽は舞曲風、第4楽章はファンファーレで開始され、長大なソナタ形式による。ソナタ形式と云うのは、男性的な第一主題、女性的な第二主題の提示部、展開部、再現部、終結部という形式で作曲されている。ロマン派という永遠なるものに対する憧れの芸術は、古典派という確固たる形式に続く、人間性の発露として、現代人にも受け入れられる音楽といえる。
  チェロ奏者たちのボウイング弓さばきを見ていると整然としている上に、コントラバス奏者の動きと一致する時、そのダイナミックさに視覚的に感動を覚える。
  ケルン放送交響楽団は1947年創立、すでに歴史ある有力なオーケストラで、ベートーヴェンとシューベルトという深遠な世界を記録している。ギュンター・ヴァント1912.1/7エルバーフェルト生~2002.2/14スイス没はグレート、ケルン放送交響楽団を指揮し1977年頃録音、旋律線をくっきりと浮かび上がらせた質実剛健ともいえる青春のエヴァーグリーンである。オーボエ首席奏者として宮本文昭さんの音色(ヘルムート・ヴィンシャーマン譲りのヴィヴラート)が思い浮かぶもののクレジットは特にあるものでもない。とにかくすべてが生き生きとした躍動的な演奏のレコードだ・・・

 Rome was not built in a day  ローマは1日にして成らず。という言葉は高校生の時分に出会った言葉で、その深遠な世界にあこがれを抱いたものだ。特にロマンテッシュというドイツ語の永遠なるものという説明に対して、ガッテンが行く思いを覚えている。
 オーマンディが残した一枚のLPでロンドン交響楽団を指揮したころ、音楽監督だったのはイシュトヴァーン・ケルテス。その当時の演奏は、言葉の真の意味で飛び切りゴージャスなサウンドを誇っている。アンサンブルの能力はトップ水準、そのレスピーギ作曲、ローマの松、ローマの泉はもっと人気が出ても良いディスクだと思っている。1968年頃録音。この頃のフルート首席奏者はジェイムズ・ゴールウェイ。ホルンの首席はバリー・タックウェル。クラリネットはジェルワーズ・ド・ペイエ(未確認の知識)
 まるで独奏者たちがワンチームのオーケストラがロンドン交響楽団である。これは特筆すべき事実であって、あのカール・ベームがチャイコフスキー、ドヴォルジャークの交響曲を録音したのも、ロンドン交響楽団であったということは、決して偶然の事実ではなくてLSOの魅力こそ、その由縁なのだろう。スーパースターたちのドリームチームは、ベルリン・フィルが有名だ。ところが意外と、人知れずというか、ロンドン響は実力、トップチームの一つである。もちろんパリ管弦楽団も、その例に漏れないから、というのも、実力者たちのアンサンブルという意味なのだが・・・
 教育が統一されているのはウィーン・フィルで、伝統組織の色彩が強いといえるだろう。ところが、決して純粋のみならず、外的なスタイル、人材も受け入れているからそこのところ、ピュアリズム一色ではないことに注意をすべきだろう。たとえば、ラグビーの日本代表チームは、混成チームでありながら日本代表という一点だけで、ワンチーム。どういうことかというと、純粋日本人というだけでないのは、大相撲を見るまでもなく成立している。それは弥生時代、渡来人というのは朝鮮半島からの人々のことを指していて、大和時代、日本最古の飛鳥大仏はいうまでもなく「とり仏師」の製作による。混血の事実は何も現代の思想ではあらず、古来やまとの思想は、大ビッグ和ユナイテッドにあるのではないか?これは、UKユナイテッドキングダム合衆王国の実体と一致する。
 ここで話をローマの松に戻すとすると、1924年初演の作品になるから、近代の管弦楽作品ということである。1924年12月14日ローマのアウグステオ奏堂、基本的に二管編成でフルート、トラムペットは3管、ホルンは4管。鉄琴、チェレスタ、ハープなどなど、色彩豊かな音色の管弦楽を発揮する。ローマ三部作の2作目で、その昔、札幌市民会館で聴いたとき、第4曲アッピア街道の松では、古代ローマ軍兵士の行進で、客席の後ろから突然、バンダ吹奏楽の演奏が始まったとき、鳥肌が立った思い出は、忘れがたいものである。最近の舞台の後ろに客席が配置されたワインヤードタイプのステージで、指揮者は、正面に整列させて合奏の一体化を狙っていたのだが、それは、興ざめである。もちろん、LPレコードでは再生不可能な仕組みなのだが、生の音楽は、レコードに太刀打ちできるはずもない。その独自のシアターピースは、立体的な空間を巧く活用した方が良いのではあるまいか。
  うまい話には要注意、アンサンブルの精度を上げるためといって、演奏効果を下げるのであれば、それこそ、第一と、第二Vnのf字孔を揃えるのがその良い例である。Vn両翼配置は、演奏効果を高める配置なのであり、そこのところ時代の要請といえるだろう・・・

 さすがだなあ、と思わされるのは選曲の仕方。フリードリヒ・グルダは第25番と第27番のピアノ協奏曲を一枚のLPレコードでリリースしている。1975年頃録音で指揮はアバード、ウィーン・フィルハーモニーのドイツ・グラモフォン盤。なぜ、26番と27番ではなくて25番と27番なのかなあ?という疑問が、購入したときからのものであった。26番は戴冠式というニックネイム付きのニ長調で1788年の作品、1790年のレオポルト二世即位の戴冠式で取り上げられたという由来による。
 くだくだしくいうものでもないけれど、作品の戴冠式は、平明な作風である。色々なことが言われていて、究極の説は、偽作説というもの。モーツァルトが一体このような音楽を作曲したのであろうか?ということで、分かり易くいうと真作ではなく疑問が拭えないピアノ協奏曲である。ケッヘル1800~1877というモーツァルト作品626曲を作品順であろう順番に整理した人物は、Kケッヘル番号537として戴冠式を位置付けている。彼は楽譜の記録を基に結論を下しているから信頼性は、多数の歴史家の認めているところ。権威の有るものとして通用している。だが、果たして唯一絶対のものとは断定できるものでもない。それは、K626レクイエムニ短調自体、ラクリモーサ涙の日の8小節目までが確認されていて、その続きは弟子たちにより作曲者の書き残したスケッチ帳による補作されたものという事実である。すなわち、真作か、偽作かは断定できるものでもないといえることだ。
 ライフワークとしての偉大な業績に対して、鵜呑みにすることなく、客観的な判断が必要な態度であろう。それは、戴冠式の作風に対する疑問ということだ。
 をではなく、でということは、コントラバスの旋律メロディーラインで検証することである。ひたすら、コントラバスの旋律に耳を傾けながら、右スピーカーの音楽を愉しむ時、自然に疑問が湧いてくる。この作曲はモーツァルトのものなのかなあ ? つまり、平明な作風は、作曲者が独奏者のために難易度の低い作品なのだからという説明が、よくされている。果たしてコントラバスの旋律まで平明ということは、あり得ないことである。どういうことかというと、平易な音楽は独奏部分だけで充分なはずなのに、コントラバスまで平易なのは何故なのだろう ? ということだ。モーツァルトの作曲法を語る時、多声部音楽ポリフォニーの真髄で、ヴァイオリンの次に外声部のコントラバスが呼応していなければ不自然と断定することができる。すなわち、第26番戴冠式はその一点でもって偽作という断定を下せるのである。
 見事な作曲というものは、ピアノと管楽器の対話とか、第一と第二Vnの対話とか、上向するVnと下降するコントラバスの旋律など、モーツァルトは天衣無縫である。
 流説にまどわされることなく、フリードリヒ・グルダは26番を除いて、25番と27番をセットにしてLPレコードをリリースした理由は、こういう類推を楽しいものにしてくれる。断定できることとして、グルダは26番をネグレクト除外したということである。
 会うことは、人の目を見て会話できることにあるのだから、スピーカーとも両目を見開いて音楽の会話を愉しもうと思っている。 刮目して生きることは、桜の花を、有る時に目に焼き付けて無い時分にこそ活き活きと情景を想像する世界、新古今和歌集でもって、見渡せば花も紅葉もなかりけり・・・秋の夕暮れと詠んだ定家の幽玄の世界なのだ。
  真作か偽作か ? は尽きせぬ議論の主題であろう。K503の25番ハ長調は真に、ポリフォニーの傑作であり、グルダはウィーン・フィルと愉悦の演奏を記録している・・・

 アーノルト・シェーンベルク1874.9/13ウィーン生まれ~1951.7/13ロスアンジェルス没は、新ウィーン楽派の泰斗、十二音技法ドデカフォニー音楽の創始者。1936年に作品36のVn協奏曲、1942年には作品42でピアノ協奏曲を創作している。
 盤友人はミュンヘンでアルテピナコティーク、日曜日だったので無料観覧を経験している。圧倒されたのはルネッサンス期その細密な画風の宗教画で、その物語性や画面の迫力に強い印象を覚えていた。音楽でいうとバロックではあるが、ヨハン・セバスティアン・バッハの多数の傑作に近い感覚があった。具象画の絵画は、調性音楽というと正確ではないけれども、大体のところに近親性がある。美術史でいうところのセザンヌ、印象派が色彩と光の感覚に注意が向き始めたことは、カンディンスキー、表現主義の誕生という歴史の展開があるといえるだろう。
 ウィーンでは、モーツァルトの音楽が市民革命と同時期に誕生していて、第一次大戦の頃、シェーンベルク(1941年USA市民権獲得)はコンテンポラリー音楽、いわゆる現代音楽、同時代の音楽を展開させている。なんのことはない、メロディー旋律線というものが自由自在に作曲されていたところに、点と線のメロディーという発展を始めたのである。
 音と音楽は微妙に、イコールとはいえない。どういうことかというと、演奏することにより、躍動感が発揮されて音楽というダイナミックな芸術となる。もちろん、作曲と演奏という両方の行為の上に成立しているのだが、演奏者に対して鑑賞者がいてはじめて認識される。というか、演奏行為と鑑賞行為の両方の上に音楽は展開される。三要素というと、リズム、メロディー、ハーモニーということを教えられていたのだが、コンテンポラリーでは、音程、時間、音色という三要素に変貌している。すなわち伝統のメロディー旋律は、ただの線から「点と線」へと変化しているのだ。そのとき、鑑賞者は旋律線を期待していると、意外なことに、はぐらかされる感覚に陥りがちである。点も、メロディーラインのようにとらえると、シェーンベルクの意図は、鑑賞者に伝えられるというものである。
 グレン・グールドは1961年にモーツァルトの協奏曲ハ短調K491とB面にシェーンベルクの協奏曲を録音している。オーケストラはCBC交響楽団、前者ワルター・ジュスキント、後者はロバート・クラフトが指揮を担当している。グールド1932.9/25トロント~1982.10/4同地没は、大好きなというより、どちらかというと、という言い方がふさわしい。大好きなピアニストというと、クララ・ハスキル・・・とかしっくりするのだが、どちらかというと好きという感覚は、彼の記録を鑑賞するに、理解という変換行為が必要とされるからである。無防備に鑑賞すると、彼の意図は伝わりにくいものがある。モーツァルトにしても、G氏は彼ならではのキャラクターを刻印していて単なるモーツァルティアンではない。それは、好き嫌いを分けるものであり、どちらかというと好きな方というのが正直なところである。シェーンベルクの協奏曲にしても、確固たる演奏は自信に溢れていて、見通しが良く、十二音音楽も聴きやすく工夫されている。租借されているのだから、グールドは通り一遍の演奏ではなくて、確信の伝わる記録となっている。静と動の対比は的確で、あたかも色彩と光の絵画を鑑賞している感覚である。メロディーを求めると失望するのだが、点と線の感覚によると鮮やかな印象を与えられて、グールドの演奏は素晴らしいと思う。
 歴史は発展して展開を続けるから、ワンパターンも良いけれど受け止め方ひとつで万華鏡の世界も素晴らしくて、光の方へと導かれる・・・

 希望と栄光の国土、二十世紀の劈頭に生み出された音楽エドワード・エルガー1857.6/2ウスター生~1934.2/23同地没は近代英国音楽再興の父である。イングランドでロンドンの北西部に当たるウスター出身。イギリスという連合王国はイングランド、ウエールズ、スコットランド、北アイルランドの、多民族による連合国家である。立憲君主制で、エリザベス女王を戴きその近代以前の世界的覇権は歴史の綾だろう。18世紀の産業革命は、フランス市民革命とともに近世の発展に多大なる影響を及ぼしたものだ。君主制度を残し、民主主義を並立させるということは容易なことではない。ヨーロッパの近代史には、たとえば第一次、第二次大戦と多大なる犠牲の上に成り立っている。その歴史は、現代でいうとオイル資源をめぐる中東情勢の不安定に連なっている。
 ルネッサンス文芸復興という13~14世紀の伝統の上にイギリスでは、ヘンリー・パーセル1659?~1695..11/21ロンドン没やジョン・ダウランド1565?~1626.2/20ロンドン没などのビッグネームから、バックス、ブリス、アイアランド、エリック・コーツなどなど近代英国作曲家は連綿とつながっている。そんな中でエルガーの業績は、きわめて多大である。その管弦楽法は精緻を極め、ポンプ・アンド・サーカムスタンス「威風堂々」第1番ニ長調から第5番ハ長調まで作品39の行進曲集は一際精彩を放っている。
 作曲者自身指揮した第1番SP1914年録音は、冒頭のアレグロ、コンフォーコは改変されていて、ラルガメンテ希望と栄光の国土の部分が繰り返された編曲で吹き込まれている(パール盤)。EMI1976年録音エードリアン・ボールト卿指揮、ロンドン・フィルを聴く。まず何よりもその軽快なテンポ感に心踊らされるだろう。切れの良い金管楽器群の吹奏、きらびやかな打楽器のリズムが耳に心地よく響く。ラルゴきわめて遅くより、やや早いたっぷりと、幅広い音楽ラルガメンテ。繰り返された部分ではパイプオルガンの足鍵盤も加えられて、手ごたえ充分の管弦楽法で歌われる。
 ここで、エードリアン・ボールト卿の指揮について考えなければならないことがある。彼のモノーラル録音から1970年代のステレオ録音LPレコードを再生するに、その師匠アルトゥール・ニキッシュから受け継がれた近代指揮法というべき即物主義的音楽は、現代の典型といえる。それはフルトヴェングラーの後期ロマン派スタイルよりは、クレンペラー派の近代的スタイルかもしれない。第二Vnが舞台上手袖に展開されるスタイルは、クレンペラーのステレオ録音だけではなくて、ボールト卿もそれを踏襲している。ステレオ録音初期には、コンサートホールレーベルで、パウル・クレツキ、ウィレム・ファン・オッテルロー、ピエール・モントゥー、カールシューリヒト達指揮する録音に明らかであり、現代のVn両翼配置に歴史は連なっている。左右のスピーカーでいうと、左スピーカーで第一と第二Vnが演奏される録音と、右スピーカーに第二Vnが展開する録音とでは、音楽は手の甲と手のひらを見るほどの相違がある。左右のスピーカーの両方に2本の中心線が有る対比と、左右スピーカーの中央に1本だけ対比の中心線が来る両翼配置とでは、作曲者の舞台配置を予想するか、無視するかほどの違いである。ステレオ録音の多数が、左右、高音域対低音域というコントラストが分かり易いステレオ感であった時代は、新しい時代を迎えたといえる。どういうことかというと、メジャーレーベルは1985年頃からのモーツァルト交響曲全集を録音したジェームズ・レヴァイン指揮の仕事がリリースされて、新展開を遂げているのである。
 そういえば、ニキッシュやボールト卿は長い指揮棒を使用していた。そしてトスカニーニやグィド・カンテルリも同様である。理由はあるのであって、合奏アンサンブルの精度を確保するのに必要だからであり、その彼らに共通することは・・・・・

 今、夜10時ころの星空は東南にオリオン座、西北には白鳥座が美しい。このとき台風に被災された方々のことを想うと胸が痛む・・・レコードを聴きたくとも聞けない人々がいるという現実。
 災害に遭われた皆様の苦労を思うに、心よりお見舞い申し上げます。一刻も早い日常の回復を願わずにいられません。それにしても、普通の生活がなんと大事なことなのか、つくづく、知らされるこの頃、心を込めて読者の皆さんに応える千曲万来に励みたく、サイトに向かう・・・
 ウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25~1954.11/30はバーデンバーデンにて気管支肺炎のため永眠した。9/19,20にはベルリンでベルリン・フィル演奏会を指揮、自作交響曲第2番、ベートーヴェン交響曲第1番を取り上げていて公開演奏会の最期となる。自作曲の演奏は、スムーズに行かなかったと言われている。同年9/28~10/6までウィーン・フィルとワーグナーの「ニーベルングの指輪」第1夜ワルキューレ(ちなみに序夜はラインの黄金)を好調なうちに名演奏を記録することとなる。ガスタインへ湯治で、クラランの自宅への帰路、気管支炎を起こしてしまう。11/12バーデンバーデンのサナトリウムに入院したけれど、回復することはなく、治療のかいなく悪化し帰天している。エリザベート未亡人の話によると、彼とはイエスの博愛についてが最後の語らいであったという。人間に博愛をもたらしたのはイエスであり、この博愛こそがキリスト教の新生面であるというのが最後にして、口をきくのも稀になっていったらしい。行年68歳、晩年は聴覚障害で会話の成立に不自由をきたし、録音は体調の整ったときのものだった。イギリスEMIでは、ワーグナーの「リング」四部作録音を企画、それは「ワルキューレ」にとどまることとなった。
 12/4彼の葬儀はハイデルベルク、彼の母アーデルハイトが長らく生活していた街の聖霊教会で執り行われた。献奏ベルリン・フィルと指揮者はオイゲン・ヨッフム52歳だった。埋葬は同市立墓地で、墓碑銘として、「実に信仰、希望、愛、この三つのものは限りなく残らん。しかしてそのうちもっとも大いなるものは愛なり」コリント書13章。
 楽劇ワルキューレ全曲はウィーン・フィルによるスタジオ録音で、スタジオといってもムズィークフェラインザールでの演奏会形式。ジークムント~Tズートハウス、フンディング~Bsフリック、ヴォータン~Brフランツ、ブリュンヒルデ~Sメードル、ジークリンデ~Sリザネック、フリッカ~Sクローゼ。
 モノーラル録音で、明晰な記録となっている。盤面割は10面で、片面だいたい22分くらいずつのもの。第一幕は3面で第二幕は4~7面、第三幕ワルキューレの騎行は第8面、ヴォータン告別と魔の炎の音楽の終末は圧巻でフルトヴェングラーにとっても、究極の仕上がりであろう。
 命令に背いたブリュンヒルデをヴォータンは厳しく罰し、岩山の頂上に眠らせ、目覚めさせた男の妻となるように定める。だが、彼女の哀願と説得に心を動かした彼は、娘を炎の壁に囲ませ、真の英雄のみが、それを踏み越えられるであろうと定めを変えるのだった。
 フルトヴェングラーは、その記録にのみ音楽は宿っている。ということは、それを再生するものにのみ与えられる喜びと云えるだろう。「オーディオ」の特権である。ここでやっかいなことは、それにグレードというものがあり、人にとってクリアすべき課題と云える。どこの位置にそれを実現するのか ? それこそが課題と云うべきであって、アナログの世界に限りない可能性はある。そこのところで議論の余地はあり、アナログ対デジタルの図式はどちらかの立場に立つという宿命があるのだが、フルトヴェングラーはアナログの子であるのに違いない・・・

 エンジェル・レコード1948年8月録音イッサイ・ドブロウエン指揮フィルハーモニア管弦楽団の記録を再生すると、ジネット・ヌヴー1919.8/11仏パリ~1949.10/28葡サンミゲル没の、芸術性が全体の姿でとらえられる。彼女のヴァイオリンは、炎のような情熱を燃え上がらせたロマンティクな世界である。完璧な技術の上に、申し分ない熱意を持った演奏で十九世紀巨匠たちの弟子としてこれから活躍が期待される存在であったのだ。
 エルンスト・ショーソン1855~1899は、マスネー、フランクらに学んだ後期ロマン派で、特に交響曲変ロ長調などで有名。その管弦楽法は、ワーグナーの影響を受けたともいわれていて、繊細で高貴、抒情的なところは他のどのフランスの作曲家とも異なるといわれている。ヴァイオリンとピアノ、そして弦楽四重奏のための協奏曲ニ長調作品21という音楽など、異色の楽器編成を採用している。
 ポエム詩曲、ヴァイオリンと管弦楽のための作品25、今日では有名なもののひとつで第一に高く上昇するようで抒情的な音楽、そして第二には激してロマンティクという主要なテーマに基づいている。 その開始に当たる管弦楽部分は、明らかに一度耳にした響きを再現している。作曲者自身、なんの筋書きもなく何の出来事も起きない、標題を持たない詩的な音楽というものであるのだが、真に衝撃的な音楽である。盤友人にとり、それはチャイコフスキー作曲、悲愴交響曲のエピソードの一つであった。
 チャイコフスキー1840.5/17~1893.11/6ペテルブルグ没は、よく誤解されているのであるがベシミスティズム厭世主義というものがある。それは交響曲第6番1893.10/28初演の強烈な印象であるが故なのだが、だから彼の音楽全てを指すことは誤りだろう。「創造的理性の能力と宇宙の力と調和を信じていた」というのは、ドミトリー・ショスタコーヴィチの評論である。そのオーケストラ音楽の一部分が、ショーソンの詩曲の開始に響いている。そこで、詩曲の書かれた年月を検討すると1896年という事実に出会う。初演は1897年4月ユジーヌ・イザイVnによる。この間の経過に何事があったのかは定かではないけれど、ショーソンがチャイコフスキーの死に、時間的系列が関連性を指摘できることは、あながち無理ともいえないだろう。
 センセーショナルな印象を与える詩曲であるのだが、ジネット・ヌヴーの演奏は、実に入念に表現されていて、第二次世界大戦終了から三年という時間的経過はその後押しをしているといえる。フィルハーモニア管弦楽団は創立間もない時期に、このような名演奏を記録する事実に、感嘆する。だいたい、音楽のおしまいに近づき、フレンチ・ホルンが朗々とメロディーを吹奏するところなど、クレジットこそ無いけれどデニス・ブレインを想像することは許されることだろうと思われる。
 デニスは1945.9/8.イヴォンヌと挙式していてその友人代表は、木管フルート奏者ガレス・モリスだった。その三年後29歳のジネットは、この詩曲を記録することになる。彼女の演奏スタイルは、新即物的な、テンポの緩急は抑制されているものでその上ではあるが、感情の起伏は激しく表現している。「まるで心理解剖のメスの鋭さを見せているものの、けっして冷たくはなく曲への全身的な共感に満ち、いわば情念の苦悶というべき音を引き出し、それがどう始まってどう終わるかを緻密にたどる・・・」と喜多尾道冬氏は評論される。
 ヌヴーの芸術は、わずか30年余りの人生に凝縮されているけれども、ちょうどそれはロウソクの灯火のごとく、生命の宿りを実感させる真実のぬくもりを帯びている。詩曲も演奏時間15分あまりと詩的であり、はかない・・・

 9/27、パウル・バドゥラ=スコダ1927.10/6ウィーン生の訃報、25日オーストリア自宅で死去とのこと、4月のイェルク・デムス1928.12/2生まれに続くものだった。ウィーン三羽烏ピアニストの時代はフリードヒ・グルダ1930.5/16~2000.1/27からB=S氏をもって閉じられることになる。盤友人は06年07年とキタラホールで彼の演奏に接している。小ホールでは、ベートーヴェンのワルトシュタインソナタの演奏、作曲者が奏しているが如き入魂の演奏に感動を覚えたものだった。その頃、まだ彼のLPレコードを所有しているも、印象はデムスやグルダ程ではなく、実演に接して初めてその真価に打ちのめされたものである。
 1978年にはバックハウス以来というベーゼンドルファー・リングが贈与されている。エドウィン・フィッシャーに師事していて、1949年にはフルトヴェングラー指揮で、ウィーン・フィル、指揮者令嬢ダグマール・ベッラとともに二台のピアノのための協奏曲第10番変ホ長調K365を記録している。W・F氏とは3年後、第22番変ホ長調K482を1952.1/27ライヴ録音のウィーンシェーンブルン宮殿演奏会が、フルトヴェングラー協会盤として入手できる。
 バドゥラ=スコダは、ウエストミンスターレーベルに多数のレコードを録音し、RCAとはシューベルト、ソナタ全集、他では、ベートーヴェンのソナタ全集を記録している。作品の補訂、校訂を担当する等、音楽学者としての活動の他、コンクール審査員を歴任する等、教育活動にも業績を残している。
 フルトヴェングラー指揮のモーツァルト演奏は貴重であり、特に協奏曲第22番の記録は、指揮者自身も認めるほどの大変喜ばしい音楽に仕上がっている。独奏者自身の文章によると、演奏会当時ギリシャ公演のあと悪天候に災いされたものの、無事にウィーン演奏会にこぎつけてベストの演奏をかなえることができたとのことである。
 協奏曲の冒頭は、管弦楽の総奏で、弦楽の他フルート、クラリネット、ファゴット、ホルン、そしてティンパニーなど、壮麗な音楽の開始に仕上がっている。フルトヴェングラーの指揮は完全にオーケストラをグリップしていて、テンポの設定は、悠然、幾分遅めスローでのアレグロ、快い演奏である。24歳の独奏者は臆することなく、しっかりした足取りの快速テンポを展開している。これは、当然というと当然なのではあるけれど、それは若手ピアニストが大器である証に他ならない。バドゥラ=スコダにとってあこがれの指揮者フルトヴェングラーとの共演で、彼のモーツァルトの堂々とした音楽は、ベートーヴェンやワーグナーとはまったく違った天上の音楽という形容で、感動を記述している。
 彼のピアノの打鍵は、低音域の雄大な音響、中高音域の光輝な音色を披露していて、生涯を通じて変わることない演奏スタイルである。彼の訃報を確認した日本の関係者は、こちらでの演奏会予定の確認をする矢先であったようだ。
 ピアノという楽器、アバウトでイギリス式とウィーン式というアクションの構造に相違がある。スタインウエイなどは前者で、鍵盤の先にハンマーは打鍵する仕組みで、金属フレーム全体を共鳴させ、ベーゼンドルファーは後者のタイプ、ハンマーは手前に向かって打鍵する仕組みで楽器の全体を共鳴させる仕組みである。
 ウィーン古典派の伝統にのっとり、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトの貴重なレコードを再生する仕合わせは、何事にも代えがたいものがある。シューベルトの音楽にベートーヴェンロスの音楽を感じさせられたのは、思えば、何の不思議もないことなのだろうか。記録を再生する愉悦こそ、彼の不滅の芸術のおかげである・・・

 すでに今や弦楽配置でチェロが下手側中央に位置しない演奏は、あり得ないという時代ではなかろうか?クーベリク指揮するイギリス室内管弦楽団の演奏を再生してつくづく、そのように思わされる。
 先日キタラホールでアルバン・ベルク1885~1935のヴァイオリン協奏曲の優れた演奏を経験しても違和感をぬぐえず、このような配置だったら違うことだろうと考えた。というのも、その演奏会は現代主流の指揮者左手側にVn、右手側にチェロ、アルトが位置していて上手側奥にコントラバスという、いつも眼にする配置だった。この配置の時、コントラバスを土台と考えたらその向かう延長線は、指揮者の左手側の先、すなわち、合奏体アンサンブルは客席から舞台を前にして左手側に向けられている、つまり正面に向かうことがない横向きの状態と云えるのである。
 その前提で管楽器は配置されるという欠点があり、だから、ホルンは下手側配置にされているのだが、本来、ホルンは舞台の上手配置が自然と云うものだろう。ベルという楽器の広がりは指揮者の右手側から見て舞台下手側に容量が大きい方こそ音響が豊かになる。舞台下手側配置ではそれが窮屈だということなのである。
 ベルクのVn協奏曲、ある天使の思い出に、という新ウィーン楽派、十二音音楽の傑作はマーラー未亡人アルマの娘マノン19歳の急死へ鎮魂曲レクイエムとして1935年8月に完成、作曲者はその四か月後12/24ウィーンにて、悪性腫瘍で急逝することになる。なにより、調性音楽の土台をしっかり有した、ドデカフォニー十二音音楽であり、後半楽章では、バッハのカンタータ第60番終曲のコラールが引用されている。クラリネットの二重奏が開始されるとき、おお永遠よ汝恐ろしき言葉、1723年作は確信をもって姿を現す。★この夜、指揮者を務めていたハインツ・ホリガーは完全にオーケストラを把握していて、独奏者ヴェロニカ・エーベルレ2006年ザルツブルグ復活祭音楽祭にわずか17歳で登場した南ドイツ・ドナウヴェルト出身の美しい音色は、ホールの聴衆を一気に惹きつける名演奏を繰り広げた。ホリガーは、シューマンの第一交響曲を演奏する当夜のプログラムでも、現代主流の左手側に第一と第二Vnのf字孔をそろえる配置を採用しているのだが、盤友人にとって、あの弦楽配置に違和感をおぼえさせられることわずかに残念である。
 当夜の演奏は、音程が完璧に統一されていて揺るぎない演奏、安定感あるハーモニーで演奏されていたのであるけれど、チエロとアルトが中央に配置されていないものでは、中心線が客席からみて左手に向かい、至極残念な結果なのである。ホリガーは、Vnダブルウィングを採用しない演奏家であり、そこのところに限界がある。すなわち合奏の入りを合わせるとき危険性があるというハードルが高い両翼配置を、忌避しているわけである。ところが、ベルクの十二音音楽であっても、ソプラノ、アルト、テノール、バスという四声体のハーモニーは、ボディーをチェロ、アルトという配置に見立てて、左右にヴァイオリンを展開するダブルウィングこそ理想と云えるだろう。
 1968年頃録音によるドヴォルジャーク作曲、弦楽オーケストラのためのセレナード、ホ長調作品22クーベリック指揮の演奏は、郷土色豊かで、生命力あふれていて律動的、ハーモニーの美しい音楽に仕上がっている。ここで、第二Vnが指揮者右手側の配置は極めて効果的である。第一楽章モデラート中庸なテンポで、この音楽の終末でテンポを緩めて締めくくる時や、第二楽章ワルツのテンポでの時、合いの手第二Vnの音楽など、作曲家のイメージで第一Vnの奥にはチェロこそ必要で、指揮者の右手側には第二Vnが効果的である。作曲家の指示こそ書かれていないのだが、音楽にしっかり取り組む場合、ヴァイオリン両翼配置というもの、時代の要請として必要十分条件なのではあるまいか・・・

 「嬉遊曲、鳴りやまず~斉藤秀雄の生涯」を読むと彼はカザルスとフォイヤマンをチェロの神様と呼んでいる。フォイヤマン1902~1942は39歳の生涯で虫垂炎手術ミスともいわれていて、短命でも彼の残した記録はどれも奇跡の名演だ。人は98歳で亡くなったり、85歳とか、B氏は56歳と4か月、バッハ65歳、ブラームス64歳などなど、寿命はそれぞれのものでつくづく命はひとつしかない。
 斉藤秀雄1902.5/23~74.9/18はチゴイネルワイゼンというヴァイオリンの名曲を弾いたフォイヤマンのSPを耳にして、一念発起、ベルリンの高等音楽院に留学したという。奇しくも同じ1902年生まれで斉藤は1930年、彼に教えを乞うことになる。斉藤は1923年近衛秀麿とともに渡独して、ユリウス・クレンゲル(ライプツィヒ王立音楽学校教授、ゲバントハウス管弦楽団首席奏者)に師事していた。
 宮沢賢治は、1926年12月に上京し新交響楽団の練習に立ち会っている。花巻農学校を3月に辞して、3か月滞在するつもりで愛用の蓄音機を手放し時価350円だったという。新響が練習していたのは田園交響曲で「セロ弾きのゴーシュ」に詳しい。ゴーシュはフランス語で左の、左側、不器用な、などの意味。賢治1896生~1933没。そこに見られた鬼指揮者は、当時の斉藤秀雄のようである。その後、彼はブルッフ作曲コル・ニドライ(夕べの祈り)を練習していた。賢治は聴き入ってしまったという。
 メンデルスゾーン作曲ソナタ第2番ニ長調、1アレグロ、アッサイ、ヴィヴァーチェ、2アレグレット、スケルツァンド、3アダージォ、4モルトアレグロ、エ、ヴィヴァーチェ、1939年12月、RCA録音、ピアノはフランツ・ルップ、SP復刻であるけれど、普通のモノーラル録音と遜色はない。フォイヤマンの演奏は躍動感がみなぎり、生命感にあふれている。彼の使用する楽器は最後期のストラディバリウス、滑らかでその上、艶やかな鳴りの豊かな音色である。斉藤はチェロの指導をするとき、特に左手、運指を厳しく指摘したという。それはフォイヤマン演奏法の流れを汲むものかもしれない。鮮やかな音楽は、短命だった彼の人生を微塵も感じさせるところがない。というか、聴き終わると彼の余りにも悲劇的な最後を、悔やまずにいられない。
 トスカニーニ指揮のR・シュトラウスのドン・キホーテ、ユージン・オーマンディ指揮したドヴォルジャークの協奏曲などレコードが残されているのは、せめてもの、せめてもの慰めであり、レコードコレクターに与えられた、ささやかな幸せと云えるかもしれない。アルトゥール・ルービンシュタインのピアノ、ヤッシャ・ハイフェッツのヴァイオリンと組んだ三重奏は「百万ドルトリオ」と称されていた。
 レコードというものは、所詮、缶詰に過ぎないと軽くあしらう向きもあるのは承知している。ところが、オーディオ装置が何のためにあるのかというと、記録の再生であり、ヴィンテージという古式の再生装置は、記録に音楽の生命を吹き込むことを目的としている。確かに、オーディオに経費が掛かるのは、その通りなのであるけれど、モダン現代オーディオというトランジスターによるデジタル対応のものとは、世界が異なる。ノイズ雑音が無いだけの世界と、倍音再生が命のヴィンテージの世界はコンパクトディスクとLPレコードの本質の違いとなって、聞き手に迫ってくる。フォイヤマンの記録を再生する時、アナログ世界は、メンデルスゾーンの音楽にまで到達する。すなわち、演奏者も作曲家の霊感に呼応して、聴く心に訴えること、実感させる空気振動こそ実態と云えるのだ。現代の日本においても、アナログ回帰が言われ始めていることは、盤友人にとってささやかな喜びではある・・・

 オーケストラの音色で、木管楽器のオーボエは、一際チャーミングで聴いてすぐ耳に入る美しい存在である。1971年4/28~30ゾフィーエン・ザールDECCA録音、この頃オーボエ首席奏者は、カール・マイヤーホーファーで飛び切り美しい音色を披露している。彼は74年に非業の死を遂げた伝説の名演奏家で、ロリン・マゼール、カール・ベーム、イシュトヴァン・ケルテス指揮のレコードでよく耳にする音色、名演奏が記録されている。
 だいたい、管弦楽で一人出色の名演奏家が居た時もアンサンブル合奏は、全体として素晴らしいものに仕上がっている。このレコードにおいても、クラリネット奏者アルフレッド・プリンツ、フルート奏者ウェルナー・トリップ、ファゴット奏者ディートマール・ツェーマン、ホルン奏者ギュンター・ヘーグナーなどなど首席奏者たちによる合奏は大変優れている。ちなみにコンサートマスターは69年からゲアハルト・ヘッツェルが就任していてオーケストラの要として活躍している。レコードにクレジットがあるものではなく、個人奏者名は推測の上でのこと。
 スピーカーの中心に管楽合奏がプレゼンスしている時、弦楽器はその前面にプレゼンスする感覚がある。このLPのデッカ録音も大変に優秀で、奥行き感が充実している。この当時のステレオ録音は、低音域が右スピーカーに集中していて、左右感はヴァイオリンとチェロ、コントラバスの対称で確立させている。なかでも、ホルンセクションは右スピーカーに存在感が有り、懐かしい。というのも、最近のオーケストラ配置で、ホルンは舞台下手に居ることが多いからそのように感じられるのだ。オーボエの音色がホルンの量感ある音に包まれている舞台上手配置こそ、安定感が感じられるし、面白味もあるといえる。
 マゼール1930.3/6~2014.7/13は、63~64年にチャイコフスキーの交響曲全集を完成させている。マンフレッド交響曲作品58は第四番(1877)と第五番(1888)の間(1885.9/22)に作曲されている標題音楽でバイロンの同名劇詩によっている。第三楽章が間奏曲、緩徐楽章で、終楽章フィナーレにはパイプオルガンが荘重な演奏を披露する。サンサーンスの第三交響曲「オルガン」は1886年に作曲初演されているからちょうど同時期のアイディアと云えるかもしれない。第一楽章ではアルプス山中をさまよう主人公マンフレッドを描き、第二楽章は眼前、滝の下、虹の中に仙女が姿をあらわす、スケルツォ。終楽章では昔の恋人アスタルテの亡霊がバッカスの饗宴のさなか、山神の地下宮殿にあらわれる。それは地上での不幸な終焉を暗示させる。
 マゼール41歳の時の指揮は、脂の乗り切ったもので、気力に溢れている。ウィーン・フィルハーモニーもフルトヴェングラー没後、カール・シューリヒトや、カール・ベームらの活躍が有り、レナード・バーンスタインのウィーン登場も併せてマゼールの活躍と同時代を構築している。このレコーディングの時期には、イシュトヴァン・ケルテスも指揮していて、ある意味、ゲオルグ・ショルティの「指輪」デッカ録音などと同時期で黄金期だったかもしれない。
 指揮者の仕事というものは、個人的な力量もさることながら、同じ時期の指揮者たちの競われた仕事の上で、合奏力は発揮されている。ということは、指揮者の仕事の一つは、オーケストラの演奏の邪魔をしないことであり、最大限の能力を引き出すところにあるだろう。それはあたかも、オーディオ・システムが、個性を表現することではなく、録音ソースの再生に尽きることと似ている。スピーカーは姿を消して、室内全体に演奏会場の空間が再生されて音楽が繰り広げられることに通じる。ロリン・マゼールは、ひたすらチャイコフスキーの世界を指揮して、ウィーン・フィルは最上の演奏をしている・・・

 ディスコグラフィの情報によると、1956年9/23第1アビーロードスタジオにて録音、たった一日の収録でしかない。それは、指揮者サヴァリッシュとデニスの出会いから最短の間隔でリハーサルが実行されて、33CXナンバーのディスクが記録されたことを物語る。ウォルフガング・サヴァリッシュというと1970年にはNHK交響楽団とベートーヴェンの交響曲全曲演奏会を完成させている。その時の首席ホルン奏者は千葉馨さん。彼は1955年頃英国留学を果たしていて35歳頃のデニスに師事していたという。東京のみならず、日本全国にはバーチ、千葉馨さんに師事したホルンプレーヤーがたくさんいるはずだ。デニスにはそんな、縁ゆかりある伝説のスターである。
 1956年というとホフヌング音楽祭では、デニスがゴムホースでホルンコンチェルトを演奏した記録がある。なんのことはない、マウスピースの先に4ないし5mのゴムホースを繋いで演奏を試みたわけである。そんな茶目っ気ある天才デニス・ブレイン。薄くあわせた両唇のコントロールが抜群で、リヒャルト・シュトラウス19歳の若書き、第1番変ホ長調作品11では、冒頭から力強い低音域、メロウな音質の中高音域を楽々と吹き上げている。バーチいわく、彼、仕事する時はアレキを使っていた・・・つまりドイツ製のアレキサンダーを使用楽器としていたのである。レコードのジャケット写真によると、他のものではピストンヴァルブのものや、ラウーとか、パックスマンとか多様ではあるけれど、R・シュトラウスでの音色は、明らかに、アレキの可能性がある。
 力強く、骨の太い、安定感あるアレキによるアンサンブルにおいては、他のプレーヤーにとっては合わせやすい感覚がある。だから、デニスが吹いているL`Pレコードでは、フルート奏者ガレス・モリスやオーボエ奏者シドニー・サトクリフなどの名演奏も合わせて楽しめることになる。弦楽器奏者達だって相当、乗り気になって演奏しているのが手に取るように伝わってくるのが、この33CXレコードである。
 私は働くのではない、楽しむのだ、というシュトラウスの言葉、一見、享楽主義のように思われるのだが、その様な人にホルン協奏曲のような精緻な管弦楽法によるオーケストレイションを完成させることが出来るであろうか ? 否、人生を深く楽しむ人にこそ成し遂げることが可能な、パラダイス楽園であろう。盤友人は、LPレコードを再生することにより、記録を再生した上で、デニス・ロス1957年9/1の悲劇を克服することが出来る。モーターアクシデント、午前六時ころのロンドン近郊での悲しい出来事は、消すことのできない事実であり、その上で、記録を再生する幸せをかみしめること、その歓びを共有できる幸せこそ、残されたものの手向けである。
 あれから52年の歳月が経過して、盤友人はデニスによる、ホルン協奏曲を鑑賞してその歓びを皆様と分かち合いたいのである。
 第2番は1942年頃の作品で、当時、ドイツはスターリングラードでソヴィエトに降伏している。その複雑な心境は、シュトラウス一流の管弦楽法に描かれているといえるだろう。60年前の若書き作品とひと味違うところは、デニスの演奏で一際明らかにされることになる。多分ホルン演奏技術の最高ランクの記録が、この演奏であって、異論を唱える者はいないことだろう。孤高の境地が記録されていて、エヴァーグリーンとは、このジャケットが物語っている。死なないこと、楽しむこと、世界を知ることとは、ある米国人経済投資家の言葉である。残されたものにとり、彼のレコード再生こそ他にできることはないのであるのだが、おもうことはあること、けだし永遠の名言である・・・


 ロマン派の音楽、すなわち1815年以降にドイツを中心に起こったが必ずしも19世紀音楽全体を総括するのは妥当ではない。むつかしいものがある。ピアノという鍵盤楽器による器楽から、リート歌曲や歌劇オペラにいたるまで多種多様の音楽があり、クラシック古典派音楽の影響を受けてそこから派生した、よりドラマティックな音楽といえようか?1870年以降は後期ロマン派ともいわれている。いずれにしろ、ベートーヴェンが最初に内面を表現してから、飛躍的に展開させた旗手が、ロベルト・シューマン1810~1856でピアノ曲、三重奏曲、四重奏曲、五重奏曲、交響曲や歌曲、歌劇などなど、特に1840年は歌曲の年ともいわれクララ・ヴィーグとの結婚により創作の発展をみている。
 ダヴィット同盟とはシューマンの虚構世界で、クララとの結婚式前夜に語りあった同盟員の様子を描写、18曲から成り1837年作曲、フロレスタンとオイゼビウスというシューマンの分身が語り合い、舞曲集といっても、舞曲は第一曲クララのマズルカのみで新しい音楽の理想を追求する。特に第18曲ハ長調の最低音で閉じられる終わり方は、聴くとふるえる。
 ワルター・ギーゼキング1895.11/5リヨン生れ~1956.10/26ロンドン没、英SAGA盤放送録音1963年コピーライトのプレスを聴いた。彼の愛奏したピアノメーカーはグロトリアン・シュタインヴェーグ、正規録音ではモーツァルト、ドビュッスィ、ラヴェルの全集が有名。楽器メーカーのスタインウエイとは、ドイツのハインリヒ・シュタインヴェーグが1853年、アメリカに移住して成功したもの。スタインウエイ&サンズはその流れ。イギリス式アクションは音量的にみて華麗といえる。なお、ドイツ式・ウィーン式のハンマーが鍵盤の上にあり跳ね上げ式はベーゼンドルファーで、このタッチはピアニストによる依存度が高いといわれていて、多数派をしてスタインウエイに譲るところである所以だろう。
 ギーゼキングは1920年ベルリン・デビューを果たし、ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会を経験し23年ロンドン、26年ニューヨーク、28年パリでそれぞれデビューしている。1953年には初来日、演奏会では完璧な記憶力を有して暗譜主義を貫いている。その演奏スタイルはノイエザハリヒカイト、新即物主義ともいわれていて、現代主流の演奏スタイルの源流とされている。彼以前の巨匠たちは、作曲家直伝の音楽で、テンポのアゴーギグ緩急法は、自由自在でそれが度を過ぎると、端正な音楽スタイルへと展開することになる。それが新即物主義になる。ピアニストの演奏は、一定のテンポ感が尊重されていく。それでも、ギーゼキングのシューマンでは、テンポのギアチェンジが面白い。
 演奏がエネルギッシュ情熱にあふれていて、勢いが一層の力感を発揮していて、並ではない。その上に、音量としても自由な増減が有り、パワーマックスの開始からして度肝を抜かされて、一本調子ではあらずすかさず穏やかな表情に変化する芸術は、聞き手の心をつかみ、引き寄せる展開にはワクワクさせられること請け合いである。それは、ベートーヴェン、リスト、シューマンという一連のピアニズムの成果が見られる。巨匠性、妙技性、精神性が三位一体となり、ギーゼキングが体現し披露する要。
 モノーラル録音ということでも、決して音が悪いことなくてダイナミックスレンジは広く、ノイズもまるで感じられない。なにより、ステレオ録音の上を行くのは、エネルギー感である。キレイな音というのは雑音が無いだけで、空気感すら無い。演奏が発揮する躍動感をいかに再生するかは、モノーラル録音の方に軍配を上げざるを得ない。ピアノフォルテという鍵盤楽器は、美しいのみでなく、その真実により聴くものを捉え離さなくて、ふるえる・・・

 お盆を過ぎてめっきり秋の気配、空を見上げると巻雲、ウロコ雲を目にする季節になった。ご先祖様に思いをいたし、今は亡き人々を偲ぶ習いには、生命の永続を願う営みとして歴史を振り返る気高い時間の過ごし方のような気がする。人には未来だけあるのではなくて、偉大な過去の上に成り立っているということを忘れてならないのだろうと思われる。
 おふくろの味、卵焼きなど盤友人の記憶では、砂糖味だ。子供の時分を振り返るとタップリ甘味の効いたのが卵焼き、すべての卵焼きと云うものは甘いものだとばかり思っていたのが、否、だし巻きだってあると気づかされたのは大学生のことだった。単に、卵焼きが甘いものだったのは我が家の味だったのである。世の中にはプレーンというものだってあったわけだ。ちなみに、白飯をソースで炒めて食することを経験したのは高校生の時で、ショック、衝撃的経験だった。柔道部で一年間、友達と生活したことは例えば、余市海岸の砂浜で夏休みに一週間合宿したとき、波打ち際が一変したことは、月との引力のなせる業という実感をしたものである。
 シューマンは、1810年6月8日ツヴィカウ生まれ、1856年7月29日エンデニヒ没、ドイツロマン派の大作曲家。文学と音楽の化学的反応により様々な作品を創作している。1828年、ライプツィヒ大学法科に進学し同時にピアニストを志すけれど、指の障害を経て演奏家の夢を断念する。作曲という無限の世界へ飛翔するも、評論家という二刀流でもあった。
 幻想曲ハ長調作品17、作曲年は1836~38年で楽譜出版は39年、フランツ・リストに献呈されている。3楽章形式、幻想的、情熱的にという開始から、中庸の速度という音楽を経過して、静かにという終結を迎える。最初クララ・ヴィークへと考えられていたものが、リストへと献呈者は変更された。
 曲は「大ソナタ」としてベートーヴェン的作品が構想されていた。徹頭徹尾、情熱的な音楽で開始されて、迎えた終曲は、しかしシューベルト即興曲を思わせる世界である。それは10年ほど前がシューベルト・ロスであって、ローベルト・シューマンにとっても決定的な青年作曲家へのオマージュであろう。この沈潜する音楽は、高揚した音楽がその泉としてうっそうと生い茂った浪漫の森の中へ遡る道へとたどる事になる。フランツ・ペーター・シューベルトは1797年1月31日ウィーンに生まれ、1828年11月19日同地31歳で没している。フランツ・リストは1811年10月22日ハンガリー・ライディングで生まれ、1886年7月31日バイロイト74歳で亡くなっている。
 つくづく人の一生というもの、長いもあり短いもあり、ひとつしかないものだと思わさる。
 アリシア・デ・ラローチャ、1923年5月23日バルセロナに生まれ、グラナドスの高弟フランク・マーシャルに子ども時代から師事している。来日は1967年を最初に、10回以上果たしている。スペイン音楽からスタンダードなものまで音楽の美と真実に、献身的な演奏活動を展開している。
 1975年デッカLP録音、サイド1はシューマンの幻想曲ハ長調でサイド2はリストの奏鳴曲ロ短調で、大変立派な脂の乗り切った演奏が記録されている。堂々とした構え、テンポの揺れはあまり感じさせることのない、スマートなスタイル。クール、ピアノという楽器の鳴りっぷりが充実していて、風格あるシューマンの世界を鑑賞することになる。健康的でということは、シューマンの肯定的な側面が基本で、前進的な精神が感じられる演奏になっている。これが、ピアノの旋律がピックアップされるとき、病的な印象を与えることがある。否定的ではなくまさにロマンティッシュ、永遠なる世界を印象づけることになる・・・

 レコードを聴く時、最低は片面の再生をし終わらなければ、その芸術を鑑賞したとはいえないだろうと思っている。すなわち、つまみ食いともいえる最初の出だしだけとか、途中の2~3分ほど比較鑑賞は、よくかられる欲求ではあるのだが、それはつまみ食いでしかない。そのレコードの芸術鑑賞としては、必要十分とはいえない。どういうことかというと。違いに気がついたとはしていても、正確とはいえないということなのである。動物の象を、片手で触ってみて感触は理解しても、その全体の姿は、思い浮かべられないのと同じまでのことである。ある程度の鑑賞時間を経なければ無理ということである。
 1980.9/26デジタル録音、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のLPレコードは、そんな経験をさせてくれる希少盤である。オーマンディ1899.11/18ブダペスト生まれ~1985.3/12フィラデルフィア没、本名は、イェーネ・ブラウ。5歳でヴァイオリンを学び、7歳で最初の演奏会、17歳で教授として迎えられ、22歳でアメリカに渡っている。32歳でトスカニーニの代役指揮者としてフィラテルフィア管弦楽団の指揮台に立っている。ということは、55年間ほど同じオーケストラとの関係を維持した偉大な指揮者といえる。常任指揮者、音楽監督などなど、契約関係は多様であるにしても、この長期にわたる関係は、たとえばカラヤンとベルリン・フィルの関係が33年余りだったことをみても、比較にならない長さだといえるだろう。
 31~36年までミネアポリス交響楽団正指揮者、36~38年フィラデルフィア管弦楽団常任指揮者を経て38年ストコフスキーの後に同音楽監督就任、80年に勇退している。退任した後もたびたび客演指揮を果たしている。有名オーケストラとしては、ベルリン・フィル(1955年、エディンバラ音楽祭で)、アムステルダム・コンセルトヘボウ、ロンドン交響楽団などと多くの共演を経験している。真に練達の指揮者、熟練のオーケストラビルダー、多数のレコードディングコンダクター・・・その華麗な経歴の中でも、看過できないのはRCAのエロイカ。
 ベートーヴェンは人生の中でどの交響曲をイチ押しだったか知っている?YGさんは盤友人に質問したものである。すかさず、英雄!と答えると、やっぱり知っていたか・・・と続けたものである。B氏の自伝を読んでいると、エロイカ交響曲が自身で納得していて、最高の作曲だと伝えていたというエピソードがある。
 確かにウィーンではハイドン104曲、モーツァルト41曲の後継作品として1804年私演05年4月テアトルアンデアウィーン作曲者自身指揮で初演されたものは演奏時間50分ほどの大曲である。以前の交響曲は演奏が30分程度のものだったから、2倍近い拡張がなされたのである。ナポレオン・ボナパルトに献呈を意図されたものの、N氏皇帝就任に激怒して、B氏は第二楽章に葬送行進曲を作曲して英雄の死を表現している。市民階級の革命を待望したはずが独裁者への変貌を許せなかったというB氏のロマンである。封建社会から市民社会への展開は、ベートーヴェンとして望むところであり、独裁政治は受け入れられなかったというのは、当時の個人主義思想として、一つの典型だっただろうと思われる。自由主義としての作曲者ならではの芸術である。近代思想史のイーポックメイキング作品と云える。
 オーマンディが指揮したエロイカは数種類ある中で、RCA盤は晩年の録音であり、興味深い。1979年10月には指揮者ポール・パレーが93歳モンテカルロで死去、葬送行進曲に一際熱が込められているのも追悼の音楽なので分かる気がする。O氏は大編成オーケストラを指揮した人生であって、そのおおらかな音楽づくりは、それとして充分に愉しめる。なお、第一と第二楽章は演奏に32分が費やされていて、それが一気に片面カッティングされているのは、それもまた一興、ホルンの吹奏とか、ファゴットの妙技など、聴きどころ満載である。コントラバスの旋律線、メロディーラインなど実に素敵だなあ・・・

 暑中見舞い申し上げます。午後10時頃の夜空、天頂には夏の大三角形で、デネブ・ベガ・アルタイルが一際目に鮮やか。天の川には白鳥座そのデネブの右側に琴座のベガ、下の方にわし座のアルタイルが分かるのでご覧ください。
 札幌も日中には最高気温32度を記録し、真夏日9日目ほど続いている。秋立つや川瀬にまじる風の音/飯田蛇笏、心理的な中に聴覚を効かせているところが面白い。立秋を迎えると残暑の候となる。
 ルートヴィヒ・ヘルシャー1907.8/23ゾーリンゲン生まれ~1996.5/8トゥツィング没、はドイツ孤高のチェロ奏者で6歳から始めケルン、ミュンヘン、ライプツィヒ、ベルリンで研さんを積み、1930年メンデルスゾーン賞獲得、1936年W・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル、独奏者としてデビューを果たしている。1937年ナチス入党という経歴があり、エリー・ナイPf、シュトロスVnらと三重奏で活動している。戦後、教育者としても活動し門下生にアニア・タウアーがいる。
 1959年頃テレフンケンステレオ録音でヨゼフ・カイルベルト1908~1968指揮ハンブルク国立フィルハーモニー管弦楽団と、ドヴォルジャーク、チェロ協奏曲ロ短調作品104、草原から吹く風による涼味満点のようで爽やかな演奏、一輪の花に永遠の生命、忘れられざる名演奏がここにある。
 指揮者カイルベルトは、質実剛健で、カラヤンと同期生でありながら、芸風は一線を画している。ハンス・クナッパーツブッシュのようなアゴーギグ緩急法の一時代前とは異なるが、オーケストラプレーヤーたち入魂の演奏は、まさにミュンヘングループの音楽だ。
 ここではハンブルク国立フィルではあるけれど、管弦楽の即興性はかなり強くて、特に、弦楽合奏は一級品の味わいを持つ。切れ味鋭く、リズム感が抜群であるし、なにより、生命感があふれていて、いつ再生してもフレッシュで独特の価値をもっている。カイルベルトの指揮は無私の感覚が有り、孤高で、高貴な音楽性、カラヤンはというといわば商業主義を前面に押し出しているのと異なり、芸術性の高い、指揮者51歳頃の記録となっている。
 L・ヘルシャーの独奏は、たっぷりと良く鳴る楽器でよく歌っている。エリー・ナイとアンサンブルを編成していて、彼女の芸術性と影響を受けているように思われる。ナチス国家社会主義党との関係性から、政治的に不遇でありながらも、それは時代なのだったように思われる。当時の与党がナチスゆえに不幸な歴史の中にあったがここでは、それを超えて受けとめようと思う。非ナチ化を経験?大戦後シュトゥットゥガルト音楽演劇大学1953~1971で後進の指導にあたる。1953年来日している。
 ボヘミア出身アントニン・ドヴォルジャーク 1841~1904はチェロ協奏曲ロ短調作品104を1894年に作曲着手、95年6月に全曲完成している。2年半の新大陸アメリカ滞在を終え帰国を果たしたのは95年4月のこと。郷土色豊かな音楽は、望郷チェコとともに、ニューヨークでの恵まれた生活、1892年9月音楽院長就任、93年12月カーネギーホール、新世界交響曲初演成功などを経験から生まれている。
 95年9月からプラハ音楽院長に復職している。その当時R・シュトラウスは、ティルオイレンシュピーゲルの愉快ないたずらを初演。1897年のブラームス葬儀にD氏は参加している。そのブラームスは「こういう協奏曲を書けることを知っていたら、自分でしてみたのだが・・・」と話していたという。R・Sはドン・キホーテ、アルトとチェロのための交響詩を97年に発表している。B氏は1887年10月にVnとVcの二重協奏曲ケルン初演していたから、シュトラウス一流のスパイスが効いている。いずれにしてもD氏は、伝統的なチェロ協奏曲を創作したといえる・・・