🎼 千曲万来余話 by盤友人

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先日、父親の遺品としてクリケットレコードに託されたLPレコード、それが盤友人の目に留まることになった。
  アルプス山嶺に消ゆ、母親へ送る若き天才フルーティストの手紙、1992年12月15日第一刷発行に記載されていた、1963年8月3日モンテカルロ歌劇場管弦楽団演奏会、指揮アンタル・ドラティで独奏者が加藤恕彦だった、バッハの管弦楽組曲第二番ロ短調。
 その演奏会を後に二週間も経ずして、恕彦とマーガレット夫妻はセルボ山荘を出発して消息を絶つ。悲劇的なアルプス遭難、彼の遺体はその翌年九月に発見されているけれど、彼女は今も不明のままであるという。
 1937年7月4日、東京に生まれる。十一歳で林リリ子1925-73、作曲家林光1931.10.22-2012.1.5の従姉にフルートを師事する。1958年渡仏する頃には吉田雅夫1915.1.2-2003.11.17に指導を仰いでいる。
 パリ・コンセルヴァトワール1958.11.4フルート正科生として合格、60.6プリミエ・プリ・プリミエ・ノメ1等賞の第一位を審査員全員一致で獲得、九月にはミュンヘン国際コンクール二位、61.3室内楽科プリミエ・プリで卒業する。1961.6モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団首席奏者に就任、1963.2.9ロンドン聖オズモンド教会にて二歳年下マーガレット・キング女史と挙式、彼女はオーボエ奏者で南仏ボーソレイユに新居を構え、イギリス、イタリア、スイスと旅行をかさねた。
 63.8.16突然、加藤夫妻アルプスに遭難という悲報が東京に届く・・・
 吉田雅夫さんの文章によると、パリ音楽院で、ソルフェージュという学科では最初に、<コンマ>を学んだと伝えられている。ピュタゴラスのコンマという理論ではドを五度上に十二回、倍音を重ねることにより、シのシャープはドよりも高い音程となる・・・このサイトをご覧の方には、なんのことやらさっぱりわからん!といわれるような理論をその当時、既に習得しているということである。例えば、平均律で、ラのシャープとシのフラットは、ピアノの鍵盤では同じにもかかわらず、純正調でいくと、シのフラットの方が僅かに高いヘルツ周波数となる、という理論は、言葉で学習するよりも、フルートの吹奏で体得すると、実際に理解は容易である。
 純正調と平均律の相違はピアノに対してコーラス、弦楽器、フルートなどで経験することが出来る。ピアノという平均律では、ドとミの音程が僅かに広く、すなわち、ミが高目であるのに比べて、純正調というハーモニーにおいてその長三度の音程は狭くて、そうすると和音に揺らぎはなくなる。
 マーガレットはヒロヒコが完全に彼女を理解してくれて相思相愛であったと母に伝えていたという記述がある。問題を乗り越えて国際結婚、幸福のすぐ後、その悲劇・・・
 八月三日の実況は録音されていて、盤友人はそれを奇跡的に再生することができた。
 ヒロヒコは指揮者ドラティのバッハ解釈にしっくり感じてはいなかったらしいけれど、演奏は完全で、その独奏者と管弦楽団の一体感は、比類がない。いかにヒロヒコは技術と精神の融合を身に着けて実践していたことか、それはかろうじて記録されている。
 良い音とは何か? それは美麗な音のみにはあらずして、音楽家の精神性を伝えて余りある記録、実況のため低周波の定期的な雑音を超えて、演奏終了後の、次第に熱狂的な拍手喝さい、事実、五十秒くらいしてブラボーの声が沸き起こるさまは感動的だ。リズミカルで軽快な演奏スタイルは、神の庇護を受けたものにのみ、与えられたかのよう! 54年前、天に召されたヒロヒコ、つくづく、魂の平安を、祈らずにいられない。

全国のバッハファンのみなさんお早うございます、と角倉一郎さんが伝えていたのは昭和40~50年代のFM放送、日曜日朝、音楽番組開始の名セリフだった。
 バッハの音楽はクラシック音楽の中でも別格、何か特別な感慨を与えてくれるひと時であったのだ。なぜそのように感じるのか? それは聴くにしても、演奏するにしても、彼の音楽は原点ともいうべき根本的感動を分かち合える数少ない音楽であるからではなかろうか。
 音楽の三要素、リズム律動、メロディー旋律、ハーモニー和声が綜合的にまとめられていて、何より、調性といって長調と短調からなる音楽の典型的な音楽になっている。クラシック音楽は全てがそうではないか? という疑問を持たれる向きもあろうけれども、バッハの音楽にはさらに、宗教性、全キリスト教的性格を帯びているという特徴を成しているのである。
 バロック音楽、十七世紀、どこかいびつなという意味のあるバロック、その音楽の高みにあるのがヨハン・セヴァスティアン・バッハ1685~1750で、ジョージ・ヘンデルは同年生まれだ。
 クリスマスオラトリオBWV248は1734~35年に、それ以前作曲されていたカンタータなどを素材としてまとめ上げられた音楽である。 六部編成、それぞれクリスマスから翌年一月六日にかけ、教会暦の祝祭日に沿って初演されている。 歓喜して小躍りせよ! から 第六部主よ、高ぶる敵が息巻くとき、顕現節三王の礼拝まで全64曲からなり、21曲に旧作から転用された音楽である。
 オイゲン・ヨッフム1901.11/1バーベンハウゼン生~1987.3/26ミュンヘン没
 彼が指揮するとき、音楽は躍動的でなおかつ、喜悦に溢れた正統的なものに仕上がっている。ここBWV248でも、分厚い声部、躍動感のある重厚なスタイルである。コントラバスなど通常編成の規模で、小編成の音響とは異なる。
 エヴァンゲリスト福音史家、テノールにホルスト・ラウベンタール、バス、ヘルマン・プライ、アルト、ブリギッテ・ファスベンダー、ソプラノにはエリー・アメリンクが起用されている。
 合唱と管弦楽は、バイエルン放送交響楽団、合唱団、テルツ少年合唱団。通奏低音としてオルガンにフランツ・レールンドルファー、チェンバロとしてヘドウィッヒ・ビルグラム、チェロにラインハルト・ビュール、コントラバスにフランツ・ヘーガー、ファゴットにカール・コールビンガー、第一独奏Vnにルドルフ・ケッケルトらである。1972 年頃録音。
 開始の音楽での、歓喜せよというコーラスには、喜びがあふれていて、二つのスピーカー中央にはティンパニーの柔らかでリズミカルな音楽が奏でられ、トランペットの吹奏により、さらに感情が高められる働きがある。ステレオ録音という設定は、作曲者の想定外ではあっても、その効果を彼は想定しているであろう音楽なのである。つまり、ティンパニーの音楽は弦楽器に包まれているのであって、そのように配置されて、いやが上にも喜びの音楽を高揚させている。コーラスの配置にしても、テノールが始まりで、アルト、ソプラノそしてバスというカノン、追いかけは男声部後列、女声部前列、左右の対話として初めて効果的と云えるのであろう。
 シンフォニアで、弦楽器の他に通奏低音としてチェンバロの音が聞こるが、それは当たり前ではない、ヨッフムの深い思慮が働いてのことなので、彼こそ伝道師として一流である。

ウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25~1954.11/30バーデンバーデン
 1922年からベルリン・フィル常任指揮者として活躍しその間1945.2~1947.5には非ナチス化裁判を経験、多数の演奏家から弁護を受けて1946.12/12無罪判決、活動再開は翌年の五月となる。

・ベルリン・フィル
   1937.5/1                                    inロンドンsop.エレナ・ベルガー
   1942.3/22~24                            inベルリンsop.ティラ・ブリーム
・ストックホルム・フィル1943.12/8   inストックホルムsop.イェルディス・シムベ

・ウィーン・フィル
 1951.1/7                                     inウィーンsop.イルムガルト・ゼーフリート
   1952.2/3                                    inウィーンsop.ヒルデ・ギューデ
   1953.5/31                                   inウィーンsop.イルムガルト・ゼーフリート
・バイロイト祝祭管弦楽団
   1951.7/29                                   inバイロイトsop.エリザベート・シュワルツコップ
   1954.8/9                                     inバイロイトsop.グレ・ブラウエンステイン
・フィルハーモニア管弦楽団1954.8/22 inルツェルンsop.エリザベート・シュワルツコップ

 良い音とは何か?というのは永遠のテーマなのだが、生々しい音、一点ポイントに絞るとAUDITEからリリースされているルツェルン実況録音盤LPレコードは秀抜である。
 一聴して伝わる感覚は、平和、なのである。1942年実況盤は明らかに戦況下の緊張感、あのティンパニー演奏の強烈さは、類を見ない異様である。ヒットラー臨席の演奏であったかどうかは定かでないのだが、それはそれとして、典型的に壮麗なコラール交響曲に仕上がっている。
 これらは古典配置であって、コントラバスとチェロが第一ヴァイオリンに近接している。ということは演奏の緩急法アゴーギクで加速する力強さは、一つの特徴的とさえ云える性格である。
 だから第一と第二Vnを束ねる現代配置は、前提として、楽器配置は音が聞こえればそれで問題は無いという発想がそうさせているので、一つの仮説に過ぎない。古典配置は聴こえ方として、指揮者の左手側と右手側という位置関係が作曲者の前提となっているという発想と正反対の仮説なのである。最近の流行ファッシ
ョンとして、Vn両翼配置が復活したのには、それなりの理由があると言って差し支えないだろう。
 ピリオド時代楽器演奏の復活と共に、楽器配置が再考されたという現象に基づいているのである。 コントラバスが舞台下手に配置されるのは低音楽器として自然というもの、現代配置が不自然であるというのは今言える感覚であって、二十世紀後半の慣らされた感覚こそ上手配置なのであると言えよう。
 1937.5/1ロンドン・ライブのお仕舞いが過激なプレスト急速演奏になっているのは象徴的であって、古典配置究極のスタイルなのではなかろうか?
 フィルハーモニア管弦楽団との演奏にはホルン奏者として、デニス・ブレインが参加しているはずである。第二楽章で聴くことのできるハイトーンは、ああ、デニスに出会えたという感激を
味わうことになる。これはLPレコード再生により経験される醍醐味と云える。
 人はCDでもLPでも、音楽鑑賞に変わりはない、とそのようにおっしゃる御仁もおられるのだが、一聴瞭然べ・つ・も・の! 如何に先入観念によ
り多数の人々の判断が誤っていることか・・・

●AUDITE盤●tahra盤

 

フェレンツ・フリッチャイ1914.8/9~1963.2/20バーゼル 父リヒャルト・フリッチャイ、母ベルタ・レンジェル、ローマ・カトリックの家庭でブダペストに生まれる。
 1920年リスト音楽院にてピアノを習得し、父からヴァイオリンの手ほどきを受けて、クラリネット、バルブ式トロンボーン、打楽器なども学ぶ。1928年、音楽院にて作曲の講義を受けるなど経験を積み、1933年修了試験、同年セゲードの軍楽隊長に就任し34年には結婚し三人の子供に恵まれている。
 1946年にはウィーンから招待があり、12/9、フォルクスオーパーにおいて歌劇カルメンの新演出を指揮している。1947年ザルツブルグにて、オットー・クレンペラーの代役としてアイネム作曲歌劇ダントンの死、初演指揮を果たしている。
 1948年にはベルリンにて、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウをロドリーゴ役に迎えて、ヴェルディの歌劇ドン・カルロ新演出を指揮している。同年RIAS交響楽団、12/15、オイゲン・ヨッフムの代役として、ベルリン・フィルの指揮デビュー、ドイツ・グラモフォンとの専属契約が成立している。1949.12/31、RIAS交響楽団とベートーヴェンの第九交響曲を上演、1950年には、シルヴィアと二度目の結婚、63年まで終生の伴侶となる。52年には、ボーデン湖畔エルマティンゲンに居を構える。イタリア、イギリス、ドイツ、フランス、スイスと目まぐるしく演奏旅行、53年には、アメリカのボストン、ヒューストン、サンフランシスコにおける演奏会、54年10/24には、ヒューストンにて22週を超える契約を結んでいるがあまりにも多忙で55.1/19契約解除となる。
 56年には、ミュンヘンにて、音楽総監督に就任しているが、57年、重篤な状態に陥る。ヒンデミット作曲、交響曲世界の調和の初演を作曲者に返上。58年11月20日、最初の胃腸手術をチューリヒにて受ける。59年9月まで静養。その後、同年バルトーク・ベラ作曲管弦楽のための協奏曲録音で、ディスク大賞を受賞。1961/62年、ベルリン・ドイツ・オペラ音楽総監督就任要請にも、健康上の理由により辞退。60年、モーツァルト歌劇ドン・ジョヴァンニ全曲録音に対してディスク大賞受賞、 61年11月16日、ベルリン放送交響楽団と最後の演奏会となる。12月に以後の活動を新たな病気の療養専念となる。1963年1月20日、モーツァルト・メダル授与を知らされる。2月20日バーゼルにて逝去、3月24日、ベルリン放送交響楽団、ラファエル・クーベリク指揮により追悼演奏会。
 1961年9月25.26日、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と最後のセッション録音となるベートーヴェン、交響曲第五番ハ短調作品67、秀抜なLPレコーディングで再生してその生命力横溢した演奏に驚かされる。第一楽章と第二楽章のアレグロ・コン・ブリオと、アンダンテ・コン・モートに統一的なテンポが感じられる。すなわち、第三から終楽章にかけても同様で、堂々とした揺るぎない安定したもので、これは、クレンペラーやフルトヴェングラー指揮などの音楽を受け継いだものになっていて、それはB氏に対する音楽観が、古典派からロマン派への基礎的な解釈として考えられる。そのチェロやコントラバスの重厚な演奏を再生して初めて受ける感覚であって、録音技術が獲得した最高レヴェルを記録している。
 こういうテンポの音楽によると、あの運命第一楽章で389小節目の全休止一小節分は不自然と知らされる感じがするも、フリッチャイ記録芸術は不滅である!

イシュトヴァン・ケルテス1928.8/28ブダペスト~1973.4/16テルアヴィヴ 
 1948年、リスト音楽院でショモジーに師事して指揮を、そして他にVnと作曲も学んでいる。
 1953年、ジェール歌劇場の指揮者に就任、55年ブダペスト国立歌劇場の副指揮者に就任、翌年のハンガリー動乱の勃発により、亡命。ローマ聖チェチーリア音楽院でプレヴィターリの下で研さんを積み、58年アウグスブルグ歌劇場指揮者に迎えられる。半年で第一指揮者に昇格し60~63年に音楽監督を務めて名声を確立、ケルン市立歌劇場総監督64~73年、65~68年ロンドン交響楽団の首席指揮者を兼任、64年にはLSO創立60周年記念世界楽旅に同行し来日している。
 1960年頃、ウィーン・フィルとの<新世界から>は、英デッカにデビュウ録音だった。
 彼の早過ぎる晩年には、モーツァルト、シューベルトやブラームスの交響曲全集が遺産として残されている。M氏の第25番ト短調、第29番イ長調のディスクは万人必聴のモーツァルト演奏に仕上がっている。ここでウィーン・フィルは、あたかも、作曲者自身が指揮しているかのようで、その味わいは無二の経験となって聴く人をその幸福感にいざなうこと、必定である。
 63~66年ロンドン交響楽団と、ドボルジャーク交響曲全集を完成している。
 中でも第8番ト長調作品88は、緊張感に溢れていて抜群の出来栄えに仕上がっている。
 切れ味鋭いリズム感、表情の起伏は幅広く、優雅で雄渾、雄大な印象を与える。よく、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と比較して、格下の烙印を押す過ちを人は犯しがちであるのだが、VPOは歌劇場活動中心の管弦楽団、LSOはコンサート主体のオーケストラで、優秀な演奏を展開するのは、同格であるといって差し支えない。特に、第8番ト長調で歯切れ良いトランペットの演奏や、ティンパニーお仕舞いの一撃など、極めて印象深いものがあって無二のレコードである。
 ゲオルグ・ショルティ  1912.10/21~1997. 9/ 5南仏アンティーブ 
 アンタル・ドラティ   1906. 4/ 9~1988. 11/14デトロイト?  
 ユージン・オーマンディ 1899.11/18~ 1985. 3/12フィラデルフィア 
 ジョージ・セル     1897.  6/ 7~ 1970.  7/30クリーブランド 
 フリッツ・ライナー   1888.  12/10~ 1963. 11/15ニューヨーク  
 以上は、ハンガリー出身の名指揮者たちで、共通しているのは、ブダペスト生まれ、そして多数がリスト音楽院出身ということである。彼らの音楽性に共通するのは、鋭いリズム感で、スマートな音楽性であるということ、アゴーギグ緩急法は、控えめではあるけれど、ジョージ・セルの晩年の演奏に見られるように、決して機械的、冷酷さ一辺倒というものなどではなく、ヒューマンで温かみが施されているといえるだろう。それにしても、彼らの記録は、どれも名演奏と云えるのだが、ケルテス氏はわずか45歳まえ、遊泳中での事故死、痛恨の極みである。バス歌手の岡村喬生によるヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ、新潮社1983年刊にそのいきさつは、詳しい。
 なにより、レコードに記録されたハンガリー出身指揮者の系譜は、さかのぼると、 アルトール・ニキッシュ 1855.10/12セント・ミクロシュ~1922.1/23ライプツィヒに辿り着く。 彼は、ベルリン・フィルハーモニーを飛躍的に発展させた業績を残している

良い音とは何か?その様々な答えの一つとして、ピアノの音色をキーワードにしてみたい。 左手で和音ハーモニーの低音を響かせたとき、その音響には倍音が含まれている。いわゆる楽器の鳴りである。右手でうまい具合にその音響を探りあてた時、香るような響きを生み出すピアニストは、良い耳を持っていると評価される。その楽器全体の音響を再生するのが、オーディオの醍醐味。あくまで、全体的、トータルな音響であって、単音そしてハーモニーに包まれた響きの立ち上り具合が生命なのだ。
 アルフレッド・コルトー1877.9/26スイス、ニヨン~1962.6/15ローザンヌ
 1933年録音に、ショパンのバラード集がある。SP復刻でCOLHナンバー棒付きジャケットLPレコードを生々しく再生することが、オーディオ究極の目的であり、その人の人生のテーマになるのではなかろうか?確かにスクラッチ・ノイズといって、78回転再生に特有のノイズは付きものなのではあるけれど、シグナルのバランスが取れると、鑑賞する時にスルーできる、問題にならないくらいの弱点である。それは、演奏者のダイナミックな演奏スタイル、アゴーギグ緩急法や、ダイナミックス強弱の付け方、フレージング句読点を施す歌謡性など、注意すべきポイントは多様であって、ノイズにばかり気をとられていては、音楽の聴き方として片手落ちというものである。
 コルトーの愛奏するピアノは、仏製プレイエルといわれている。あの楽器の音色は珠を転がすようなという形容が相応しい、玲瓏たる一種独特な響きである。その低音は倍音が豊かというに値する オーディオ的魅力の際立ったピアノと云える。
 シューマンの謝肉祭、作品9は、1833年ころ25歳での作曲で21曲の小品から成り立っている。中でも、第五曲オイゼビウス瞑想の詩人、第六曲フロレスタン情熱的行動家、というのは作曲者自身の分身的肖像といわれている。その他にも、キアリーナ、エストレルラという恋人たちの肖像もある。
 いかにも、ロマン派音楽の旗手に相応しい作品であり、その標題からプログラムを想像させるのであるけれど、それは演奏家にとってのテーマ、キーワードであって、ピアノの音楽がそれを表現しているわけではないことに、注意したい。暑い夏の日に、森林を眺めるとき、涼しさの感覚を催すのであるけれど、森林それ自体は、涼しさの表現ではないという、あの音楽美学を思い出すのが適当と云えるだろう。
 コルトーには、1953年5月9日録音として、謝肉祭作品9と、交響的練習曲作品13がある。
 後者は、1834年頃作曲された、フロレスタンとオイゼビウスによるピアノのための管弦楽的性格の練習曲という題名が予定されていたという。練習曲12曲に変奏曲5曲がちりばめられていて、彼S氏の多面性躍如としたロマン的ピアノ音楽の代表といえる。
 コルトーの演奏は、深い洞察力と、情熱的な演奏法、そして卓抜なピアノ表現に成功していて、無類のディスクとなっている。このLPレコードを上手に再生する事こそ、究極のオーディオ道であって、あれこれ道草を食うのも、そこに人生の味わいがあり、糧である。 記録芸術の再生は、一過性の結論にあるのではなくて、継続する経験にこそ宿る歓びである。

終演して舞台がはねたのは21時15分頃で、演目はメンデルスゾーンのVn協奏曲とブルックナーの交響曲第七番の二曲だった。
 指揮者譜面台にはミニチュアスコア、一度も頁がめくられることなく載せられたまま、満席拍手喝さいの上に、マエストロは楽員たちをくるりと後ろ向きにさせる合図を出し、舞台P席にも応礼するなど気配りを示して、首席奏者達にもそばまで歩み寄り握手を交わすなど、心温まる雰囲気たっぷり、それは、このコンサートのすべてを物語る風景だった。
 そのあとのロビーではメンデルスゾーンで共演したヴァイオリニストのレオニダス・カヴァコス50歳と一緒にマエストロのヘルベルト・ブロムシュテット90歳の2ショット、サイン会に姿を見せたのは驚きだった。マエストロは着替えもせずに、元気いっぱいをアッピール、盤友人がサインして頂けたのは、21時55頃で一番最後だ。紅潮した頬、目を真っ赤にしブルーの瞳の、ベシタビリアンに対して、なお一層の長寿を祈念せずにはいられなかった。
 それ以前、指揮者としては岩城宏之、小澤征爾、井上道義、尾高忠明、オトマール・スイトナー彼にダンケシェーン!と声掛けすると、ビッテシェーン!と応じてくれたのは温かい思い出で、ブロムシュテット氏にはサンキュー・ベリマッチ!と言うと、ウエルカム・ウエルカム!だった。
 他に、セルジェ・チェリビダッケというビッグネイム、深い紺色ヴェルヴェットベレー帽姿だったジョルジュ・プレートル彼らとは札幌厚生年金時代で、キタラホールではロジャー・ノリントン氏、実に上機嫌でVnダブルウイング・イズ・グッドゥ!と水を向けるとオールクラシックミュージック、イズ、ダブルウイング、オール!という短いコミュニケイションが、実に、記憶に残っている。チェリ、ブレートル、スイトナー、1975年3月11日だった岩城など今となっては黄泉の国の人もいるけれど楽屋に押しかけていた時代とは様変わりである。
 18時15分、ステージを目にして、コントラバス8席が舞台左手側配置、前半プロでは第一と第二Vnは、6プルトで古典配置、第一Vnの奥チェロの3プルト右手にアルト4プルト、木管楽器二管編成で、ホルンとトランペットそれぞれ二管編成でティンパニー中央にしてトランペットと木管楽器上手配置、ホルン下手側チェロの奥に配置されている。Vn協奏曲では、コントラバス4挺、後半のプロ、ブルックナーでは低音弦楽器から4、5、6、Vnは8プルトでダブル、木管は二管編成、金管楽器4管編成とテューバなど総員で指揮者含めて87人だった。前半プロでは、総勢54人。
 メンデルスゾーン、この作曲者とは所縁のあるライプツィッヒ・ゲバントハウス管弦楽団、オーボエの調律チューニングA音は、聴き慣れているのよりは、低目に感じられた。それは落ち着き感が伝わるものである。独奏者カヴァコスは、現在、最高のコンディションを披露するソリストで、管弦楽団員とのコンタクトが充分、どういうことかというと、テンポ感の緩め方、速め方が巧みで合奏との構成感が崩れないという、最高のテクニック、耳を発揮している演奏である。アンコールとして、バッハのパルティータ三番からガボット、ポリフォニーという二重声部が見事に描き分けられた演奏は無類の演奏芸術、アーティストとして至高の境地を披露し満場万雷の拍手であった。
 ブルックナーの交響楽は、ワーグナー追悼の音楽、その後に続くスケルツォ、そしてフィナーレに続くという、コンサートマスター熱演が印象的で、マエストロの力みが無いベストな指揮ぶりに強く印象に残る演奏会、至福のひと時だった。

 

十一月文化の日、来日した米国大統領のお嬢様を日本国首相がおもてなしに、雅楽をお聞かせしたという。それは、日本古来の音楽をという発想の様であったのだが、ところがそれは、中国宮廷音楽が原型であり奈良時代のもの、ナラという言葉自体、国を意味する朝鮮語ハングルである。だからよく考えてみると、一人の女性をお祝いした日本音楽のその響きは中国、朝鮮の装いのものであったといえる。それでは日本固有の音楽とは何かというと、室町時代にさかのぼること、田楽、散楽の音楽なのであって、能、狂言に使用される笛太鼓、テーグンやチャングンなどと親戚の能管や小鼓などこそ、日本独自の音楽なのではあるまいか?使用される音階を詳しく調べると中国、朝鮮の影響から発達した日本固有の音楽である歌劇は、お能そのものであることに気をつけたいのである。
 ピヨートル・イリイッチ・チャイコフスキー1840~1893はピアノ協奏曲第一番変ロ短調作品23を34、5歳頃に作曲している。ベートーヴェンの協奏曲第五番変ホ長調作品73皇帝をしのぐ作品としての音楽なのであった。皇帝はT氏の作曲から65年ほど前のものであってグランドピアノにふさわしい音楽をという発想によったものである。
 ステレオ録音に限ってみると、グラモフォン盤赤STEREOジャケットのレコードで、スヴャトスラフ・リヒテルが独奏、カラヤン指揮したウィーン交響楽団によるLPが有名である。
 その楽器の響きは重厚で、ヘルベルト・フォン・カラヤンの指揮ぶりもそれに劣らず雄渾な音楽になっている。ここで、ピアノのメーカーについて、考えてみよう。
 一般的に日本国内で流通していて、ピアノのLPというと言うまでもなく、圧倒的なシェアは、スタインウエイであろう。これは、60~70年代以降のステレオレコードについてのみ、言えることなのであって、あくまで、総体的な話、事実、SP録音に使用された楽器は、山田耕筰が演奏した仏製プレイエルとか、ヤマハ楽器のプロトタイプである独製ベヒシュタインとか、グランドピアノの制作者メーカーは色々なのである。ところが、ピアノ、というクレジットの無いLPの実態は、スタインウエイによる音が主流で、通用している。だから、ウィーン交響楽団というクレジットの元に、ピアノのメーカー問題はスルーされて実は、リヒテル演奏していた楽器メーカーというのは、ウィーン製ベーゼンドルファーであった?という事実はなかなか語られない話題の一つである。
 このことで盤友人が指摘するピアノメーカー問題は、オーディオ録音再生としての音楽論であって、クレジットによるものではないことを、指摘しておきたい。つまり、音楽鑑賞において楽器メーカーには、こだわらないという態度が前提の話題なのである。ここで、オーディオ論その六なのであるのだけれども、良い音とは何か?という究極は、どうも、そこにあるように思われてならない。たとえば、キャデラック、クラウン、ロールスロイス、フォルクスワーゲン、シトロエン、フェラーリ、ランボルギーニ、ヴォルヴォこれら愛称の違いは何も言葉の問題などではなくて、それぞれの操縦性、居住性、デザイン、性能がすべて異なる自動車のことなのであり、車という一言で括ることのできない世界であることは、明らかである。すなわち究極のオーディオ論はグランドピアノという一括りの世界から脱却して個々のメーカーを語るところに、あるように思われてならない。
 このリヒテルのピアノ演奏を再生してつくづく知らされるこの頃である。

クラシックは何が好きですか?このように聞くことがしばしばある。それくらいこの世界は、鵺のごとく得体が知れないもの。きのうピアノを聴いて、すごいなあという名演奏に感動していながら、今日はヴァイオリン演奏を聴いて、この演奏をしのぐものなどあるのだろうか等々、心服することはいつもである。
 レコードを再生して経験することは、LPレコード、真空管アンプでは片面30分くらいを再生すると、何か音響世界が豊かになるような変化を感じられるということである。
 以前、満月の夜は音が良いと発信したことがある。11月04日土曜日は月齢が15.3になるその夜。11月1日は12.3という十三夜。さかのぼるとその新月は10月20日金曜日月齢が0.3、振り返るとその日からスピーカーの鳴りは、豊かに変化していっている。ピークは、今週の土曜日、それを越して11月18日土曜日が月齢29.3で新月、太陰暦でいうところの神無月朔日、10月01日に相当する。この日は音が悪い、という発信をするのは正確ではない。すなわち、スピーカーの鳴りっぷりは満月のころに比較すると薄い音響で、オーケストラの音楽など、楽器の輪郭は鮮明に聞こえるというほどのものである。音が悪いというのは、倍音の印象が薄まるということで、逆に、満月夜はそれが豊かに再生されるということ、ピアノの音楽を再生する時、左手の打鍵は豊かな音響に聞こえるということである。盤友人は、仲間のグループ七人で男声コーラスの練習を定期的に経験しているのだけれど、満月の日は、和音ハーモニーの鳴りっぷりが強めに感じられる。
 宇宙の姿を想像したとき、太陽、地球そして、月が一直線の状態になるのが満月夜。そして、さらに詳しく考えると地球自体の自転で太陽に背を向けた時が夜、だから、ここで自転を想像したとき、一日のうち、夕方四時半を過ぎて五時あたりから地球は東側へと回転し続けている。そこで、太陽に対して地球外側へと遠心力が働く状態となる。そのときから、スピーカーの鳴りっぷりは、フカフカ状態になるのだ。つまり、夕方五時から夜の七時過ぎへと、音は良く鳴り出す。
 ヨハン・セヴァスティアン・バッハの作品番号BWV1001~1006という六曲は無伴奏、独奏ソナタ、パルティータという音楽、パルティータで、アルマンドというのはドイツ風舞曲からなる曲、その中で第二番パルティータ、ニ短調、その中の第六曲はシャコンヌで、葬送の際の音楽ともいわれている。名曲中の名曲、その一曲だけで15分くらいの演奏時間を要する。ちなみに、ソナタ三曲、パルティータ三曲でそれぞれ、LPレコードでは片面25分くらいの時間、三枚で収容される。ちょうどよい具合である。
 ジョルジュ・エネスク1881.8/19ルーマニア、リヴェニ・ヴィルナウ生~1955.5/4パリ没
 彼のバッハ演奏は、復刻モノーラルLPレコードで再生すると、その明確な演奏スタイル、奥深い作品解釈、唖然とするほどの微妙なテンポ感ニュアンス、確固たるバッハ演奏における態度、その弓さばきに対して、畏敬の念すら覚えるのは、盤友人だけなのであろうか?
 良い音とは何か?それは演奏空間の再生と演奏鑑賞するその空間の一体感にある。
 エネスクのヴァイオリン演奏する空気感が横溢するスピーカー、それは透明になり、音場はリスニングルームそのもので、演奏家の魂は再生され、浮遊し始める・・・ 

人には、受ける第一印象というものがある。会ったとたんにその人となりが伝わり、どことなく馬が合う合わないという直感が働く。ところが、付き合ってみてこんな人だったのか、と思うこともしばしばある。意外にも、こんな良い人だったのかといって、第一印象とは受ける感じの違う人もいる。盤友人は大の悪筆、子供じみた文字を書くので、ひどく莫迦にされる経験を多く持つけれど或るとき、あなたは嘘をつけない人の字だねえ~としみじみ言われた経験があって、それを唯一、心の支えにしている。ものは言い様で、印象の受け取り方も様々なのであるが、オーディオにもそれに近いことが言える。すなわち、第一印象で全てわからないということである。
  札幌音蔵社長KT氏は、或る時、オーディオって何か分かる?と言って付け加えたそのひと言、耳を鍛えなさい!ということさ・・・。落語家の師匠、芸に肥やしは必要、といって平然であり、それに近いものがある。人情噺するのに、しゃべくりが、市井の人並みと一緒では、なんにも違いは出ないところと共通するだろう。スピーカーひとつとっても、取り換え引き換え経験しないところに耳は鍛えられないというもの、失敗は成功の母、成功しか経験が無い人に、その悔しさの違いは理解できないように、失敗して初めて喜びは分かるというものである。健康なだけの人より、病気を経験して初めてそのありがたみは分かるのであって、スピーカーも、日本製、米国製、英国製、ドイツ製を経験して、どれが、自分と相性が合うのか?しっくりくるといえる。 
 そんなこと、経験できるわけがない、とこう考えるのは自然、さにあらず、努力をするところに、オーディオの醍醐味はあるのであって、意外にも、オーディオショップに足を運ぶことで、経験は可能であろう。できるかできないかではなくて、するかしないか?にある。働けど働けど我が暮らし楽にならざりきぢっと手を見る、と詠んだのは石川啄木、彼は、手の甲を見たのではなく、多分、手のひらを見たのであろうということ、このことに気が付くか、気が付かないかで、人生の深みは截然と異なる。
 モーツァルト、室内楽の名曲クラリネット五重奏曲イ長調K581は1789年九月33歳のときに作曲していて、M氏亡くなる二年前のもの、晩年の傑作である。クラリネット、弦楽四重奏という黄金の組み合わせ、この一曲に名演奏は星の数ほどあろうけれど、盤友人の愛する一枚は、レオポルド・ウラッハ、ウィーンコンツェルトハウス四重奏団である。1951年録音、ウラッハ1902.9/9~1956.5/7、ウィーンに生まれ、ウィーンで一生を終えた楽人、ウィーン・フィル、モノーラル時代録音のクラリネット演奏は彼のものが多数であり、その音色は巨匠たちが愛したものであった。ウィーンコンツェルトハウスカルテットのメンバーは、創立当時からフィルハーモニカーの人たちであって、その演奏スタイルは、ウィーン楽派といわれる純正、歴史的に見ても作曲家生前からの演奏法を受け継いでいるところに、特色はある。第二楽章ラルゲット、ややゆったりと幅広く歌うように、という音楽、耳を澄まして聴き入ると、ヴィヴラートの無い管楽器に、合わせるかのように弦楽器の奏法も、抑制されたヴィヴラート、ゆらぎをもたせた歌い方である。
 黄金色の銀杏並木に、真っ赤なナナカマド、色鮮やかな装いの中に、時はうつろいゆく、しみじみと人生の秋を思わせる季節、そこはかとない憂いの有る季節にオーディオは応えてくれる。万歳!

台風21号の接近、通過に伴い札幌では23日午前に初雪となった。雪と言っても霙、雨交じり模様である。車を運転していると、車窓の銀杏並木は紅葉の盛りで、黄金色の景色は、秋の深まりを見せている。南北に長い日本列島、10月と言ってもまだ夏の名残の地方もある中で、北海道は冬が間近、歌志内にあるチロルの湯で、一泊した。
  フェルッチォ・ブゾーニ1866~1924イタリアの作曲家、ピアニストをしてかつて、完璧な才能の持ち主の一人といわしめた存在、ユーラ・ギュラーはクララ・ハスキルと同窓である。
 第一次大戦の後、七人のピアニスト、モーリッツ・ローゼンタール、エミール・ザウアー、ホフマン、コルトー、ルービンシュタイン、ソロモンそして、70年ほど以前(1977年から)当時12歳のユーラ・ギュラーはパリ音楽院で首席、第二次大戦でピアニストとしての経歴は中断されていた、 錚々たる大家の中に彼女がいたというキャリアの持ち主はウィグモアホールに招待されている。
 英国ニンバスレコード、数少ない彼女の演奏記録の一枚は、リスト編曲によるバッハ作曲、前奏曲とフーガ、イ短調BWV543、幻想曲とフーガ、ト短調BWV542など、圧巻の演奏である。 ホールトーン会場音響の豊かな、クアドロフォニック録音で、バッハのオルガン曲をリスト編曲によるピアノの音楽は、深い楽譜の読み込み、圧倒的な技術性を誇ったピアニストにのみ可能な演奏である。ジャケット写真は、彼女のアップされた顔で、アイドル系のそれとは無縁な世界を象徴する。ユーラは、ハスキルの演奏と共通するスケール感の別格な世界で、スカルラッティのソナタなどの小品でも、ゆるぎない雅な気品高い格調ある音楽で、一度経験すると、忘れられない魅力のとりことなるから、不思議である。
 ショパン、アルベニスの他にクープラン、ラモーら、フランス系の小品が録音されているレコードは、希少価値充分で、秋の深まりにふさわしい。なぜ、彼女のレコードは少ないのだろうか? 多分、彼女は録音に対して興味はなく、演奏活動、教育活動に本領を発揮していたのだろうということしか考えられない。
 ピアノは鍵盤楽器の一種、ベートーヴェンの時代に、チェンバロからハンマーフリューゲルという弦をはじく方式から叩くものにと変化を見せて、音量的にもピアノとフォルテという強弱の対比が可能な楽器へと進化した。鍵盤の数が低音ラ27.50ヘルツから高音ド4186.01ヘルツへと広がりを見せて、楽器として王者の地位を確立している。
 ピアノという楽器による作品、だから、ベートーヴェン、シューベルトが源流とも云える。バッハの作品の多くは、鍵盤楽器、オルガンとか、チェンバロで演奏されていて、ラモー、クープランなどのフランス系、スカルラッティなどイタリア系などオリジナルはチェンバロの演奏が主であった。 リスト、シューマン、ショパンらのロマン派、これらの音楽は表現形式主体の古典派から、人間的感情表現主体のロマン派へと展開を見せている。リストが演奏技術の拡張を見せているのに対してシューマンの作品は、明らかに内面世界へと深化を見せている違いが明らか、その時代が、ピアノ芸術のピークであるというのは、言い過ぎではないだろう。しかし、不思議にもヨハン・セヴァスティアン・バッハは、バロック時代、既に鍵盤楽器のピークを築いていたのである。

システムを組み立てる時、たとえばコンセントに差し込む電源プラグのことを意識したことがおありだろうか?
 以前に指摘したこともあるけれど、そのとき注意すべきポイントを再記したい。
 プラグをよく観察すると、金具が出ているプラスチック面は、規格がプリントされていることが分かる。たとえば、電圧の数字とかが読み取れる。その時プラグの上下が決まるのでそれを元に、差し込むことが基本である。それ以外の時は、つまむ面で規格が書かれている面を上にして、ブランド名が書かれている面を下にするのが、ベスト。交流電源であってもそれが基本、どちらでも良いのではないか?と疑問を持たれる向きもあろうけれど、不思議と違いが出てくるのである。それは、長きにわたる経験からによるものだから、それ以上の説明は無用というまでである。
 ピンコードなどについても、差し込むとき、方向性がある。ケーブルの表皮には、注意してよく見るとクレジットがプリントされている。それを、読み取る方向で電気が流れるように配線するのが基本である。たとえば、クレジットの始め側をプリアンプ、そして終わり側にパワーアンプが来るように繋ぐということだ。そんなことに、気を使う必要があるのか?と思われてそんなのは、神経タカリ!と笑う向きもあろうけれども、そういう気遣いの上に、オーディオの愉しみは成り立っている。電源コンセントには、ホット、コールドという呼び名があるように、ホット側から電流があり、コールド、すなわち、グランドアースがあるという理屈なのだから、それに従うのは自然だというのが、よって立つ立場である。
 LPレコードの片面を再生して、大体、二十分余りが記録されている。それが、こともあろうに再生の最初とお仕舞いで、音のコンディションに違いが出てくる。つまり、再生始めは情報が豊かなのに、内周部分ではピアノという楽器一つの音楽で、その再生音の情報はやせてしまう。これは、プレーヤーのアーム、初期型というグレードアップを図って、顕著に実感するところとなってきた。スタインウエイ、スタジオ録音でマイクロフォンが近接しているであろうものと、ホールで録音されピアノの音の他にホールトーンがよく乗っている再生音では、そこのところ、差異が微妙である。
 クリフォード・カーゾン1907.5/18ロンドン~1982.9/1ロンドン
ロンドン音楽アカデミーに学び、16歳より演奏活動を始めた英国人の偉大なピアニスト。21歳で渡独して、シュナーベルに師事している。パリでランドフスカやブーランジェにも就いていて端正な演奏スタイルを確立している。特に、録音に使用するピアノは、ベーゼンドルファーが多数で、その音色は、豊かな印象を与える。
 シューベルトの楽興の時、作品94は小品六曲から成り1823~25年にかけて作曲されている。その第三曲目、ハンガリー舞曲風で、日曜日午前八時の音楽ラジオ番組開始曲として有名で盤友人が中学生の時分から親しんでいるもの。その有名曲の一つ前、二曲目は沈潜した音楽でピアノの音響を、じっくり聞かせるものである。こういう音楽を作曲する青年、フランツ・シューベルトは只者であらず、これを演奏するカーゾンのLPを再生すると、先に記した情報、つまらない知識など採るに足らないとして一笑に付されるのが落ちというものだが、さにあらず、その上での話なの・・・

こんなレコード、どうだい?とクリケットレコード店長が手渡してくれたのは、MPSのジャズでピアノの二重奏ライヴ盤だった。
  ハンク・ジョーンズ1918.7/31ビッグスバーグ~2010.5/16
 トーマス・リー・フラナガン1930.3/16デトロイト~2001.11/16N・Y
 ステレオ録音で、左右から二種類の異なった音色、それは、倍音成分が明らかで左側は軽快なスタインウエイ、右側から重厚なベーゼンドルファー・インペリアル・コンサートグランドピアノのものが流れてくる。
 A面で、トミー・フラナガンはスタインウエイを弾き、ベーゼンドルファーをハンク・ジョーンズが弾いているように聞こえる。トミーのタッチは軽やかで、ハンクのものは深くて、太い音色を聞かせているようだ。彼の次弟はサド、トランペッターで末弟は天才肌ドラマー、エルヴィンという三兄弟。即興的な演奏は無類で、けっして、目立ちがり屋などではなく、トミーとの二重奏でも、出るときは出るけれども、引くときは引くという控えめさを併せ持った天才ピアニストである。
 良い音とは何か?というと、きれいでノイズが無く・・・とこうくるのだが、そのことにより、デジタルの音は、確かにノイズは皆無であるのだが、ソースの重要な情報が欠落しているように盤友人には、聴こえる。それは、このレコードを再生して、意をさらに強くした思いがする。それは、二種類のピアノの音色の違いにあるのだ。
 スタインウエイは、華やか、音色が高い音から低い音まで均一で、スマート感があり、倍音も豊かである。ところが、ベーゼンドルファー・インペリアルとなると、低音域の音の押し出し感はスタインウエイと比較すると、その厚みが段違いである。ハンク・ジョーンズもそこのところを、一層描き分けて、楽器の持ち味を十分に引き出している。
 さて、ジャケット裏の演奏風景写真をみると、舞台下手側には、トミーがすわっていてそのピアノのペダルボックスの形状に注意すると、明らかにベーゼンドルファーである。B面、向かって左側でトミー・フラナガンは演奏しているようである。
 この二重奏を聴いていて、驚かされるのは、調律が完全で、二台のピアノの音程ピッチに狂いが無いことである。当たり前というと、そうなのだが、その上で、二人が、同時に音をぶつけ合うのではなく、相手を立てるために引いたり、自分が主になったり、描き分けているのが手に取るように再生されると、これは、阿吽の呼吸、二人の名人芸に聴衆の喝采と共に、記録芸術再生の愉悦を、深くかみしめることになる。
 この高みを目指して、23年余りの歳月に至るのだけれども、その時々の充実感こそ、礎であってどれ一つとして、無駄なひと時ではなかったように振り返ることが出来る。良い音とは何か?それは、経験を積み重ねた上に求められるもので、ラインを接続してから始まる、苦難の歴史の克服にある。様々な人との出会い、切磋琢磨、向上心、探求心、さらに言うと意があり、注意有り、周囲に恵まれ、達人と出会いがあって、その上で音楽と出会い、袖触れ合うも他生の縁、気がつくとそこには、音があり音楽があり、良い音とは、正に色々なのである。     

ディスクを選択するところから、オーディオは始まりLPレコード、モノーラル録音はモノーラルカートリッジを使用して、十全な記録再生を体験することが出来る。その上で、スピーカーにウエスタン・ウッドホーン224を鳴らし、時間は、1943年、10月31日11月1、2、3日のベルリン・フィルハーモニーホール、45年1月に連合国側により空爆される一年余り以前の記録、その黄金ホールに繰り広げられたフルトヴェングラー芸術の偉大なレコード再生に至る。
 10/09月曜えぽあホール、デイヴィッド・ラッセル、ギターリサイタルに足を運んだ。  
 小さな音量、その上でよく響くかそけき音色、華やかな名技性、彼が楽器をチューニングする時から、客席に座る盤友人の耳を捉えて離さない。スコットランド出身で、スペインに育ち、アメリカでも活躍した国際性豊かなキャリアを物語り、スペイン音楽の神髄やスカルラッティ等クラシック音楽の演奏で、一瞬キタラをかきならすギリシャ人を思わせられた錯覚に陥ったりしたものである。
 グラナドスなどアンコール二曲披露して、小ホール一杯の聴衆と一体になり、濃密な秋の夜のひと時を過ごすことが出来た。咳しわぶき一つない、静寂の中でギター音楽は、充実する。えべつ楽友協会の主催で、開館二十周年の新たな一ページ、感謝する一念を胸に、ホールを後にした
 音楽は、大小さまざまな音量で聴かされるのだけれど、大音量が記憶に残るとは限らない。小音量であっても、深く心に刻まれる音楽もあるのであり、それをその日に経験できたことは、貴重であった。
 ウッドホーンの実力は中音域の微妙なニュアンスの力強い表現にある。1943年の録音であっても、その記録に弦楽器、管楽器の合奏アンサンブルの妙技性、はたまた、ティンパニー音楽開始の一打に、ホールの空間が実感させられて、素晴らしい事、この上ない。
 なにより、オーケストラ演奏の緊張感が伝えられるとき、ベートーヴェン交響曲第七番イ長調作品92という音楽を鑑賞するベルリン市民聴衆の姿が、浮かび上がる。これはもう、オーディオの醍醐味、そのものであろう。きっちり、リズムを刻まれて、ダンスのリズムの上に交響曲第一楽章は繰り広げられる。低音域、チェロやコントラバスがスウイングするそのリズムは、魂を揺さぶられる事、この上ない。オーディオという単語一つでもって、括られることは、記録の再生ということなのであろう。そこに、ウッドホーンで再生体験をするとき、何にも代えられない、フルトヴェングラー、必死の指揮姿を思い浮かべられるのは、正にこのひと時以外に、なかなか経験できる世界ではありえない。F氏が指揮するのは、ヒットラーが政権を維持していた時期であり、明らかに戦況は悪化していく、その只中にある。戦争状況の中で、ベートーヴェンの音楽を求める市民の胸中を想像するに、政治と芸術の狭間の市民生活に心痛める。そこを想像せずに、この記録再生を過ごすことはありえない。特に民主主義は、一人一票の政治体制、人々の死線を左右する政治家は、この事実を、いかに、受け止めるのであろうか?市民の側の立場として、しっかり、体制選択を志向する責任こそ求められるのではないか。責任の所在は政治家にこそあり、一蓮托生の市民生活に、真に、意義ある芸術体験をウッドホーンは、導いてくれる・・・そこはかとない、ぼんやりとした不安、今、必要とするオーディオとは? 

他人を思いやれてこそ自立、傲慢で配慮が無いのは孤立、これは月別カレンダーの言葉で札幌音蔵の特別室で目にすることが出来る。10月の暦でお目にかかったもの。
 どこか、意味が深くて思い当たる節があるものではなかろうか? 何も政治家にばかり当てはまるのではなくて、芸術家、特に指揮者に当てはまるものではなかろうかと思われる。
 深く考えるに、人間関係の神髄を言い得て、妙である。人と人間、この違いを考えてみると、個としての存在が人で、人間というものは社会的動物を指している。社会的というのは、集団を形成して、その人間関係の有るか無しかという微妙な構成要素を指す。
 たとえて言うと、お相撲さんの社会では、横綱と小結には、明らかに差異が有り、その立ち居振る舞いにはおのずから違いが出てくるものであろう。何も、上下関係を指すばかりではなく、その人の来歴、経験の違いによるところなのである。身分差別を意味するのではなく、人として、敬意の発露を促す要素、差別というと、階級社会を意味するものではあるのだけれども、それを無暗に礼賛するわけではなく個別の、人間関係を考慮する時、必要な手掛かりとして、有る。そんな、横綱にこそ必要な言葉なのだ。そして、組織のリーダーにこそ、必要な言葉、人間関係を構築すべき人には心しなければならない言葉なのである。
 さて、音楽の話、指揮者について考えてみよう。ベルリン、ウィーン、そしてミュンヘンという三都で大活躍した指揮者ハンス・クナッパーツブッシュ1888.3.12~1965.10.25はドイツ、エルバーフェルトに生まれ、ミュンヘンで市井の人々に惜しまれつつ物故した怪人、否,快人である。何か、知った風な物言いで、恐縮するのだが、彼の残したレコードには、熱い血潮がたぎる名演奏ばかりで、中でもブルックナー交響曲第8番ハ短調、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のものは、すこぶるつきの、記録となっている。
 それでは、何故、ベストセラーとは、なり得ないのか?というと、採用している楽譜は改訂版、ウィーン原典版の楽譜を手にして鑑賞していると、ばっさり改訂した部分が多々あり、カットも多くて、ついていくのに骨が折れるからである。首をかしげてしまい、明らかに、スタンダードというのに憚りがあるというものである。だがしかし、これは不自然ではなく、愛する人々のその執着する度合いは随一といえるであろう。余人をもって真似できない音楽であり、オーケストラプレーヤーの熱意がひしひしと伝わってくる演奏である。そのグレード、合奏の緻密さたるや、抜群である。
 旋律線にスラーがついていても、それを第二Vnではピチカートで演奏しているなど度肝を抜かされてしまうのだけれど説得力はかなりのものだ。1963年1月のウエストミンスター録音、ステレオ録音で古典配置が手に取るように印象的である。
 現代において、封印されていた楽器配置、第一と第二ヴァイオリンが二つのスピーカーから聞こえてくる音楽は、必然的にチェロという楽器が客席と正対する演奏であって、なおかつ、第二Vnが上行してピチカートでメロディーが上がり、左スピーカーから第一Vnが下降する時など、思わず聴いていてうなずくほどの効果がある。いわずもがな、それは、作曲家に対するリスペクトの楽器配置と云えるからであろう。まして、演奏者が指揮者に対するものと重なるから、なお不思議・・・

オーディオで、プレーヤーという入口、アンプという胴体、スピーカーという出口などの三部構成認識が必要である。さらに付け加えると、オーディオ・アクセサリー付属品という要素もあって、それらの総体が、オーディオの構成ということになる。
 プレーヤーでは、アーム、カートリッジ(ピックアップ)、ターンテーブル、テーブルシート、そしてモーターなどなど、詳しく見ると、ほかにもまだ云えるだろう。モーターについていうと、アイドラー式、ダイレクトドライブ式、糸ドライブ式など千差万別で、多数派はアイドラー式というもの。モーターにアイドラーを装着、ターンテーブルを回転させる方式、そのアイドラーの材質、ゴムによっても音は、変わる。
 ターンテーブルのシートによっても、音は変わるし、ターンテーブルの材質によっても音は変わるから不思議だし、面白いし、奥が深い。
 だいたい、ターンテーブル、モーター、アーム全体を組み立てるキャビネットによっても、音は変わる。木の材質を選ぶことによって変化があるし、たとえば、キャビネットのかどを角にするのか?丸くするのか?でも、影響が出る。
 カートリッジ、いわゆるレコード針とそれを稼働する本体、MM式、さらに昇圧トランスを必要とするMC式、なども微妙である。針と本体を接続するものとして、リッツ線がある。その線材として金線、銀線、銅線がある。これらはオーディオアクセサリーといわれるものなのだが、音に違いを愉しむ経験が、可能である。さして違わないといわれる向きもあるには、あるのだが、金はキンキン、銀はギンギン、銅はドウドウというと、笑い話のようだけれど、体験すると、実に奥が深い。盤友人は、ヴァイオリンを再生する音でもって、その差を確認して、一番、実際に近いかどうかの判断を下したものである。結論は、銅、でした。金と同じという漢字ではあるのだけれども、感じは違うのであって、自然さ、ナチュラルな感覚を尊重して、銅という線材を選択、洗濯ではなくて、選択したのだった。
 さらに付け加えると、リッツ線の結線段階で、プラスとマイナスを逆にする位相の違いを経験したことがある。右チャンネルだけ逆位相にして、出てくる音像に変化を加えるという。なんのことはない、音は変わり、その変化に惑わされるのだが、正位相、それで良いだけの話だ。
 カートリッジというと、メーカーによって音に違いがある。シュアー、FR、エンパイヤー、それぞれのお国柄、音色に違いが有る。ウィーン・フィルハーモニーのレコードを再生したとき、一番、自然に感じられたカートリッジは、オルトフォンの音色だった。ヴァイオリン、アルト=ヴィオラの音色もさることながら、チェロとコントラバス、音のかたまり(塊)感に、優れているものがあった。
 音の張り具合は、ピアノを再生する時、感じることが容易である。位相のチェックをするのも、ピアノのタッチで判断することが、最適である。音の発信感は、アナログ録音の得意とするところであり、デジタル録音、一番の弱点である。それは、ノイズが無いという宣伝文句の表と裏の関係にあって、アナログにはノイズが付きものであっても、聴く耳は、選別する注意を働かせているのであり、それをカットしているのは、質的に、別世界だというオーディオの話である。

フルトヴェングラー指揮というモノーラル録音のLPレコードによる放送録音集がキングインターナショナルから、リリースされるのは非常にありがたいことである。さらに、詳しく付け加えると、1947年~1954年までのベルリン・フィルハーモニーとのライヴ放送録音。
 つまり、彼が非ナチス化を認定され、指揮活動を再開されてからの記録であるから、その芸術たるや、生きる喜びの記録と言い換えることができるだろう。第二次世界大戦での戦争犯罪から免れた芸術家の一人として、極めて稀有な存在、戦前から戦後へと継続してその指揮活動を認められた人類の至宝的芸術家といえるだろう。もちろん、ヘルベルト・フォン・カラヤン1908~1989もその一人であって、その違いは、モノーラルからステレオ録音両時代の活躍を続けたかどうかの相違にある。つまり、F氏は、モノーラル録音のみの英雄なのである。
 舞台芸術における、オーケストラ録音の在り方としてモノーラルか、ステレオかという考え方の違いは、意識されざるテーマとして、きわめて、重要なものである。すなわち、弦楽器配置における古典配置か? 現代配置か? ということである。
 今から三十年余り前、アナログからデジタル録音へ録音ソースが展開を見せた時代、盤友人の周りには、デジタルはちっとも音が良くないねとか、フルトヴェングラー指揮のものは大戦前のものと後のもので、四十年代のものは何か違うんだなあと口にするレコード愛好家が居たものである。今振り返ると、それはそれは、貴重な聴き方であったといえるだろう。大量情報伝達媒体は、競ってデジタル録音へと、愛好家の嗜好誘導を図って、ほとんどコンパクトディスクへと転換を進めていた現実があった。そんな大多数の人々は、CDの世界へと移行していったのが現実である。だが、よく考えると、レコードプレーヤーについていうと、捨てた人々と、愛着から保存した人々と二通り居たのが現実であり、最近の情報として、LPレコードリリースというニュースが伝えられる時代と相成った次第である。まさに、フルトヴェングラー指揮が蘇る時代の到来といえるだろう。
 舞台をモノーラルの音源と考えたとき、ヴァイオリンは、第一と第二ヴァイオリンが共に束ねられる現代配置が存在するのだが、F氏の四十年代は、ヴァイオリン両翼配置であったというのは、しかと、認識を改めなくてはならない事実である。それは、舞台のステレオ的配置といえるのだ。だから、指揮者左手側には、コントラバスとチェロ、第一ヴァイオリンが配置されるというのが、舞台下手側といえるのである。右手側上手配置として、アルト、第二ヴァイオリンが配置されてステレオ的といえるのだ。すなわち、ステレオ録音初期は、左手側高音、右手側低音という配置が多数派的楽器配置であったのであり、それをさらにさかのぼること、作曲家時代の楽器配置こそ古典配置というヴァイオリン両翼型というものである。ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスの音楽をモノーラル録音で愉しむことから、古典配置へと遡るのは、ごく自然な成り行きといえるのだ。 ヘルベルト・ブロムシュテットをはじめ、ダニエル・バレンボイムらのベテランから、クリスティアン・ティーレマン、ジョナサーン・ノットらの世代へと指揮者たちが両翼型配置移行している現実と共に、モノーラル録音でのフルトヴェングラー指揮芸術、ありがたいのはレコードといえる。 つくづく、戦争と平和について考えさせられるこの頃なのだ。

第一楽章、お仕舞い近くのカデンツァ、独奏者が一人で名技性を発揮する部分で、管弦楽団メンバー達は静かに聞き入っている。そんな中でコントラバス首席奏者の池松宏さんたちは弦を、両手組んだ手のひらで押さえていた。感動的な一コマ。都響札幌公演、キタラホールLAブロックでコンバス向かいに座り、左手側にティンパニー、管楽器そして弦楽器、右手側に客席を眺める座席位置、中心に指揮者、大野和士の気迫を確認する。独奏者は、若いパク・ヘユン、ベージュのインナーで黒のシースルーというドレス姿、完璧な技術を駆使してアンコールにエルガーの性格練習曲作品24の5、ホ長調を華麗に披露した。
 Vn協奏曲は、第一と第二ヴァイオリンのティラリラリラリラという最弱音の演奏で囁きの中に開始される。これは、配置が明らかに、両翼配置を前提としている。第二楽章で、フルートが高い音でゆっくり降りてきて、第二Vnとアルトがそれを受け継ぐ音型など、指揮者右手側舞台配置の演奏でもって収まりがつく。現代主流の配置はそこのところ、セカンドVnとアルトが離れているのは致命的に聞こえ方に難がある。札幌キタラホールはワインヤード型といって、舞台の全周囲に客席が配置される構造になっている。原点はベルリン・フィルハーモニーホール、1963年10月建立にさかのぼる。ところが第二次大戦前フルトヴェングラー指揮した時代のものは、シューボックス型といってウィーンのムジークフェラインザールなどが有名なタイプである。
 よく人は、音楽は音の芸術だから聞こえるとそれで良いから配置はどうでも構わないと、アバウト、逆に、弦楽器配置はVn両翼が前提と言うと、あなたは原理主義者か?という反応をする輩が居る。 笑止千万きわまりない事はなはだしい。だいたい、音の芸術というよりは、時間の芸術なのであって、管弦楽には相応しい配置というか、作曲家が前提とする楽器配置はあるのだから、それを模索する態度こそ指揮者に求められるのであろう。
 ヌヴーの1945年11月ロンドン録音は、彼女が26歳、初めてオーケストラと共演した記録、一気に演奏されたような印象を受ける。管弦楽かさくさくとリズムを刻むとき、彼女は目一杯フレーズを歌わせる。音色が鮮烈でガット弦の輝きを宿している。作品47ニ短調というと、ショスターコーヴィチは1937年に交響曲第五番を作曲、シベリウスは1904年2月08日初演の指揮を執っている。 そういえば、マタイ受難曲の第47曲ロ短調、アルト独唱とヴァイオリンによる魂からの詠唱というべき音楽であったのは、単なる偶然といえるのだろうか。
 ジネット・ヌヴーは1919.8/11パリ生まれ~1949.10/27アゾレス諸島、飛行機事故で客死している。1935年ヴィエニャフスキ国際コンクール15歳でグランプリ獲得、その時27歳ダヴィッド・オイストラッフが二位であったというは有名である。
 白熱の記録、ワルター・ジュスキント指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏はフルオーケストラの風圧を受けつつ、必死に歌を歌うような演奏で、彼女の薄命を自覚するとき涙を覚える。
  そういえば札幌音蔵の扉を開くとき、対面するガラス戸のサンドブラッシュデザインが彼女の演奏するポートレートであるのは、趣味として素敵である。  

指揮者、朝比奈隆は晩年になって、これからの時代に手本となる音楽として、オットー・クレンペラーの記録を挙げていた。
 何を意味しているのか、補足して指摘すると、その当時あふれていた音楽情報のスタンダードは、帝王ヘルベルト・フォン・カラヤンであって、彼が君臨するオーケストラ指揮界に、人々の大多数を形成するのは、カラヤン指揮するレコードを買っているとハズレはない、という心理が働いて、経済動向の底辺となっていたということだ。カラヤン中心にクラシック音楽は、回っていたといえる。そんな中の発言で、朝比奈は、クレンペラー指揮の音楽がやがて主流となるだろうという予言を残していたのである。
 オーディオの世界で、モノーラル録音の時代から、ステレオ録音の世界へと展開を見せていたのは、多数の人の認める歴史であろう。ステレオとは何か?というと、左右チャンネル、そして中央の音像という、左A、中央C、そして右Bという定位、ローカリゼーションが成立する。盤友人の父親は今年98歳、未だに、スピーカーが二つある理由を理解していない。すなわち、それぞれ二つのスピーカーから同時に出るのは同じ音だという認識であるのだが、笑ってはいけない、人の認識というものは正しい知識が無い時、その程度のもの、大同小異なのである。
 オーディオの世界、そのシステム風景写真で、中央に物が置いてある時、その人のレベルが知れるというもの、中央の意識が無いのは、それで限界があるオーディオを表わしている。
 オットー・クレンベラーが指揮したメンデルスゾーンの交響曲第四番イ長調作品90イタリア、その初演がされたのは1833年5月13日、ロンドン、作曲者自身指揮によるものだった。二管編成、弦楽五部そしてティンパニーという当時としては標準的なもの。1960年2月フィルハーモニア管弦楽団により、SAXナンバーの英国コロンビア社のレコードは現在でも流通している。
 イギリスのオーケストラを認識する時、ロンドン・フィルハーモニック、ロンドン交響楽団、フィルハーモニア・オーケストラ・オブ・ロンドン、ロイヤル・フィルハーモニック、BBC交響楽団などなど、歴史、特色ある管弦楽団が目白押しである。フィルハーモニア管弦楽団は、創立時にビーチャムの名前も見え、フルトヴェングラー、カラヤン、クレンペラーのビッグネイムのほかにも、イッサイ・ドブロウエン、オットー・アッカーマンや、アルチェオ・ガリエラなど、モノーラル録音時代の錚々たる指揮者達、レオポルト・ストコフスキーなどはシェラザードの名録音を残すとか、多士済々である。
 ステレオ録音の礎を築いたのがオットー・クレンベラーであることは、誰も依存の無いところであろう。
 クレンペラー録音の一大特色は、左右が第一、第二ヴァイオリンの対話から成立していて、中央に管楽器が広がり、その中心にティンパニーが定位していることだ。このシチュエイションをオーディオ再生の必要十分条件として朝比奈は、予言していたのであろう。左チャンネルに第一と第二ヴァイオリンが居て右チャンネルにコントラバスが配置される音楽は、もはや一時代前のステレオ観なのであって、真髄を確認するLPレコードこそは、我がクリケット・レコードに在庫している。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を聴いていてその演奏を支えるプレーヤー達と独奏者が一体となった集中力に圧倒されて、心を揺り動かされてしまった。作曲者の表現していたロマン派音楽に加えて、ロシア音楽のメランコリーが一杯に溢れた演奏、若く美しい函館出身、岡田奏<カナ>さんの力強い打鍵で繰り広げられた演奏は、函館市民会館満席聴衆のハートをつかんで離さなかった。 Sigeru-kawaiというメーカークレジットのある楽器は、彼女が愛するピアノ。輝かしい音色から、アンコールで演奏された、月の光、充分な集中力で演奏されていて、その音色はフランス印象派作品に相応しく、ドライで玲瓏、冴え冴えとした明るいものだった。
  独奏者のドレス、浅田真央さん風の黒を基調としたシースルータイプ、聴衆に応える笑顔に、客席一杯の老若男女、手を振って応援していた。管弦楽団員達の気力溢れる演奏、管楽器の意欲溢れる演奏、弦楽器プレーヤー入魂の演奏ぶりは、目の当たりにして実に快いものだった。 
 指揮者は広上淳一、ツボにはまった指揮ぶりで、厳しい演奏者たちの輪の中心に居た。楽器配置は、ティンパニー下手配置、ホルンはコントラバス側に配置されていた。序曲ルスランとリュドミーラの軽快なテンポで音楽会は開始され、メインディッシュはチャイコフスキーの交響曲第五番ホ短調、アンコールとしてグリーク、ホルベルク組曲からサラバンド、弦楽合奏が披露された。
 仙台フィルハーモニー管弦楽団は、1973年創立、初代に作曲家芥川也寸志の名前が見える。龍之介の三男であり、彼の音楽性は、DNAとして受け継がれていて、若いコンサートマスターを筆頭に熱気あふれる演奏が鮮明である。コントラバスを響きの土台として、ステージ横一列に連なった響きは、アンサンブルの生命であり、演奏者のプライドを表現していて迫力充分であった。
 コントラバスに目を向けると、首席は、ピッツィカートの時、弦を弾く右手が円を描いて顔に近づける。これは、目にして心打たれる姿だ。パート六人全員が揃うと、鬼に金棒だと思われる。@ 札幌交響楽団、リハーサルしていた時、指揮者岩城宏之は、コントラバス首席に注意力を要求していて、それに対して周りのパート員が集中する指摘をしていたことがあった。管弦楽は、合奏アンサンブルの醍醐味であって、オーケストラメンバーがスタンドブレイに陥る愚を戒めパートがバラバラになる危険に注意を払っていたことが、盤友人には記憶されている。
 ティパニーやシンバルなど、全体を彩る打楽器演奏は緊張感を高めていて、聴いていて実に楽しい。 チャイコフスキーの名曲を聴いていると、いつも、気になることがある。
 それは、楽器配置問題。現在主流のスタイルは、演奏者が慣れ親しんだものであっても作曲家の描くイメージとは、違うということを指摘しておきたい。たとえば、トスカニーニは、徹頭徹尾、ヴァイオリン両翼型を貫いていたことは、意識する必要があることだ。フルトヴェングラーは、第二次大戦後、過去の配置を封印して現在のスタイルの基礎となっている。これは、何を意味しているのか? というと、第一と第二ヴァイオリンを舞台両翼に広げる配置での演奏者の合奏緊張感を解除している状態であって、それ以上の音楽がある配置なのである。すなわち束ねているのは合奏容易なだけであって、コントラバスの土台は、第一ヴァイオリンやチェロの位置的、緊密性を表現する配置であってほしいというもの。それは、指揮者に突き付けられた疑問に他ならない。