🎼 千曲万来余話 by盤友人

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五月も残り一週間になリ、晴天が続く初夏でウグイスの鳴き声(小樽にて)を耳にする。当地札幌では街路樹でライラックの紫色、花の房を目にする季節で、ニセアカシアもパールホワイトの花が満開になっている。
  ライラックはフランス語でリラ、むらさきはしどい のこと、モクセイ科の落葉低木でうすむらさき色花の房から甘い香りが強く、札幌では街かどでよく見かける。 カール・ニールセン1865~1931デンマークの作曲家。リヒャルト・シュトラウス、グラズノフたちと同世代だから、後期ロマン派に属するといえる。コペンハーゲン音楽院に学び、同地の王立管弦楽団、第二ヴァイオリン奏者として16年間在籍、1890年奨学金を得て外遊を経験して作曲に専念することになる。1905年に同楽団を辞任して交響曲第一番を作曲する。1908年、王立歌劇場管弦楽団の第二指揮者、のちには音楽協会会長、音楽院教授、院長など要職を歴任、交響曲第四番は不滅のニックネームで有名。
 弦楽四重奏曲第二番ヘ短調作品5は1890年頃発表されている。第一楽章アレグロ、 ノントロッポ、快速にでも余りはなはだしくなく。マ、エネルジコ情熱的に。第二楽章ウンポコ、アダージオ。少し幅広くゆったりと。第三楽章アレグレット、スケルツァンド。やや快速で、諧謔的。第四楽章フィナーレ、アレグロアパッショナート、アレグロモルト、プレスト。終楽章、快速に熱情的に、充分に快速で、そして急速に。
 作風としては、ブラームスの雰囲気を受け継いでいて、充分にロマン派風である。演奏は、コペンハーゲン四重奏団、トゥッター・ギヴスコフ、モーゲンス・リドルフのVn、モーゲンス・ブルーンのヴィオラ。アスゲル・ルンド・クリスチアンセンのチェロ。なおジャケット写真のイラスト画を参考で演奏を耳にすると、中央にチェロとヴィオラが定位し右スピーカーから第二Vnの音楽が聞こえてくる。コピーライトは 1968年で、ステレオ録音の米国ターナバウト盤。第二楽章は第二Vnの独奏に、他が伴奏を付けているような音楽になっている。弦楽三重奏のとき、チェロが中央に、Vnとヴィオラは左右に配置されると、音楽的に安定する。では、第二ヴァイオリンは、どこにシフトするのが良いのだろうか?
 現代の多数派は、Vnとチェロの間に座席する。ところが、言葉としてヴァイオリン両翼配置がある。すなわち、現代はこの言葉に則ることなく、ネグレクト無視、あるいは忌避、タブー視している。だから、オールクラシックミュージック イズ ダブルウィングを認めた時、第二ヴァイオリンは演奏者たちの左手側、客席から見ると上手配置が正解になる。実際、聴いていると第二Vnが端で演奏する方が音楽として聞こえやすい配置になる。ということは、演奏中心に考えると両翼配置は、無視する方が演奏しやすくて、聴く立場になると、両翼配置の方が音楽として面白くなる。というか、チェロとヴィオラが中央に存在して、左右にヴァイオリンを配置した方が作曲効果の上がる、聴きやすい配置と云えるのである。盤友人としては、ステレオ録音では二枚目となる。それくらい希少価値ある音楽。
 最近の音楽シーンで、合唱グループの配置は男声を中央にして、ソプラノとアルトの間に挟む団体が増えてきている。どういうことかと云うと、女声と男声と左右に分けるだけではなく、サンドイッチのように、男声を中央にしてはさむスタイルが試されてきているのだ。新しい響きを求めるのは、過去とは異なる音楽を求める欲求の表れであり、自然な成り行きと云える。それは、あたかも作曲家の時代から演奏家優位の時代に変遷したのが、さらに作曲家の時代へと回帰しているかのようなんだよね・・・

 あをによし奈良の都にたなびける天の白雲・・・ここでいう青丹よしとは青緑、赤色成す奈良の都の枕詞で花盛りを意味する。ところが詠み人知らずの3602の歌は入新羅使のもので、あをによしは、アンニョンヒというハングルの日本語化したものではあるまいか?というのは盤友人の見立てである。オモニナラという言葉は、母なる国というハングル。その奈良の都にたなびく雲を、新羅の遣いは旅立つ際に詠んでいるのだろう。
 モーツァルトはK495で、1786年頃四番目の協奏曲を作曲している。第一楽章アレグロ・モデラートこころよい中庸なテンポで、この音楽はギャラントスタイルともいえる前古典主義、ロココ風の様式。弦楽五部というのは、第一、第二ヴァイオリン、アルト、チェロ、コントラバス。それに、オーボエ、ホルンの二管編成。第二楽章ロマンツァ、アンダンテは、のびやかなゆったりした音楽で第三楽章は、ロンド、アレグロ、ヴィヴァーチェ。
 指揮者カラヤンはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督に就任する以前、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団と、多数のレコード録音(1948年に初共演)を残している。英国で、名人を組織化して録音のために編成されたオーケストラ、その中心でヘルベルト・フォン・カラヤンは指揮していたことになる。当時不滅のLPレコードとしてベストセラーを記録したのが、デニス・ブレイン1921.5/17~1957.9/1を独奏に迎えた1953年12月録音ホルン協奏曲四曲のモノ。
 先代からのホルン一家出身で、初代はアルフレッド・エドウィン・ブレイン。デニスの父親はオーブリー・ブレインBBC交響楽団、ロンドン・フィルハーモニーなどの首席奏者だった。デニスは1938年ブッシュ室内管弦楽団に参加してプロとしての経歴を開始する。1946年、指揮者ビーチャムからロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団の首席に招かれ、1950年にはフィルハーモニア管弦楽団の首席に就任している。この頃はロイヤル・フィルハーモニックとフィルハーモニアの掛け持ちが可能な演奏活動だったようだ。
 デニスの演奏は、豊かな音楽性に基づいて、朗々としたホルンで天馬空を行く姿のような録音を残している。元NHK交響楽団首席奏者の千葉馨さんは、デニスに師事していて、彼は仕事する時、ほとんどアレキを使っていたと語っていた。アレキとは、アレキサンダーというメーカーの楽器のことである。音量が豊か、堂々とした鳴りっぶりでドイツ製のもの。ホルンの演奏は、オーケストラ演奏会では聴いているとき、独奏の場面ではハラハラする。音程のキープがむつかしくて、音がひっくり返ったり、とにかく目立つ。プロフェッショナルといえども、一発勝負で安定感を与える演奏を披露できるのは、超一流と云える。未熟な演奏家でなくとも、上出来の演奏は、拍手喝さいものなのである。その意味でレコードでは決して記録されることのないシロモノなのだが、それを易々と演奏した記録がレコード、というと、何か腑に落ちないものである。音がころげて不思議でないはずなのに、楽々と演奏しているのは、超一流ならではの演奏と云えるのではなかろうか? 
 ホルンというのは英語、イタリア語ではCornoコルノ。渦巻き状の管で左手でヴァルブを操作して、右手はベルという開いた筒の中に入れて演奏する。音程を作るのはマウスピースにあてた両唇で息を吹き込むことによる。このマウスピースにゴムホースをつないで、先にロートをはめると、立派な楽器、ホルンのような演奏は可能である。英国のホフナング1956年音楽祭にデニスは出演して、それを実演した水撒きホース記録レコードもある。

  ヨハンナ・マルツィ1924.10/26ティミショアラ~1979.8/13チューリヒは、英国コロンビアの33CXナンバーでバッハの無伴奏全曲を記録している。現在相場価格、120万円はくだらないという代物、ミソスの復刻盤も一枚福沢諭吉さん分相当だから、簡単に手の出るレコードとは言いかねるもの。果たして、その価値を再生できるシステムにまで高めることが出来るように到達した。
  レコードの価格と云うものは、音盤に込められている情報を、最大限に再生することにより、報われるというものである。だから、レコードを購入した段階では、明らかに、ミソスの音源はその価値を発揮できるものでは非ずに干からびた復刻盤の段階だったのだ。
  メインアンプの出力管を五極管から三極管のPX4というオールド球システムに変更したり、その上で、ラインコードをN社、B社、T社のものから、ゴッサム社製品に統一したり、というグレードアップを経過している。
 一番、変化のシステム向上がはかられたのは、音盤の基本音に比較して倍音のバランスが飛躍して再生されて、馥郁とした再生音を獲得できたことにある。マルツィの演奏で云うと第二番ソナタイ短調BWV1003の開始、第一楽章グラーベ、その始めの複合音の音響は、見事に情報が詰まっているところを開放してくれることになる。すなわち、カルロ・ベルゴンツィというあだ名の楽器の胴鳴りが再生される歓びは、まさに、オーディオ道の醍醐味であろう。その音楽は、一貫して表板の振動感が再生されることに気が付く。彼女が何に気をつけているかが、伝わってくる再生音にグレードが向上しているのである。平たく云うと、ミソスのレコードから繊細なヴァイオリンの再生音が獲得できたのである。最初手こずっていた再生が、現段階ではミゾに刻まれた情報が充分に引き出すことが出来て、レコードに針をおろす歓びを体験することに相成ったという次第。マルツィが眉を寄せて脱力したポウイング、弓さばきが再生できる歓びは、何物にも代えがたいものがある。彼女は脱力していて、力の入れ方をコントロールしているのが如実に伝わってくる。
 盤友人は勤務を退職して、振り返ったとき、負けてはならない人生、負けん気、負けることはいやでありながらも、負け続けた人生だったような気がする。ところが、マルツィの演奏を再生していると彼女は、勝とうとしている精神状態は、どこにも感じられない、無心というか、負けるが勝ちといえるまで感じがするのである。2020東京オリムピックを来年に控えて、世の中の価値観は、勝て勝て勝て、負けられない! というもので溢れている。翻って、日本語には「負けるが勝ち」というものがある。これは、正反対の価値観に通じる世界である。負けていいのである、否、負けても価値がないのではあらず、負けるが勝ちと云う境地で救われる世界もあることに気が付いてこそ、必要な心構え、勝者と敗者は見かけの上だけであり、敗者でも無価値な存在ではあらず、価値はあることに気が付くことこそ必要な態度であることを、的確に表現した言葉ということである。あの時、勝つことが出来ず負けていて悔しかったことも、負けるが勝ちという言葉に気が付いてこそ救われていたのではあるまいか? という境地を、ヨハンナ・マルツィを聴いて、そう思われる。
 勝気にあふれた演奏の代表は、ヴァイオリンでいうと、ギスギスした技巧テクニックだけが気になる、倍音の抜けた再生音である。そういうレコードが溢れているのが実情である。裏板が鳴るし、その上で、表板の音響にも細心の注意が払われているものこそ、マルツィ、負けるが勝ちの演奏である。
 負けることは無意味で非らず、勝ちにこだわるこそ、解脱するべき境地なのではあるまいか ? 技巧の上に、倍音を聴かせる努力・・・

大人の味というものがある。子供が口にするとたんに、受け入れられずもどしてしまうもので、ある経験を経るとやがて受け入れられるというか、病みつきになる味・・・人生経験を経ることにより知るよろこびというと何やら意味深長なのだが、コーヒーの味と云うと分かりやいすものがある。
  ブラジルコーヒーは、判断するスタンダードで苦味、甘味、酸味が一体となっていて、中性と云えるのだが、スマトラマンデリンは、バランスとして苦味が主体である。タンザニア=キリマンジャロはそこのところ、酸味が主体、アフリカ系のケニアなど宇宙にでも届くような酸味の世界であり正に緑色のベルベットのごとき、深い味わいがある。そこのところ同じ感覚のコロンビアは南米風であり、甘みの強い酸味である。グアテマラはココア風の酸味であり、中性である。いずれにしても、一般にコーヒーは口に苦く、ある人にとってはキスよりも甘い味、という苦味の評価が分かれるところでもある。
 ローベルト・アレクサンダー・シューマン1810~1856は作品44で変ホ長調ピアノ五重奏曲クインテットを作曲している。シューマン三十代1842年の作品で気力、意志力の充実した、クララ・ヴィークとの結婚を果たした幸福な青年音楽家がいる。フロレスタンとオイゼビウスという二人の名前を使用した音楽新報に評論活動を展開して、方や詩的音楽の作曲に集中していた。ロマン派の旗手、浪漫という漢字表記によるとイメージしやすいのであるが、それは正確ではあらず、首都ローマを目指すロマンティッシュとは、永遠なるものを欲する表現主義と云える。それは、文学との一体に憧れ、あるときは歌曲、またある時はピアノ曲と揺れる振り子の運動のごときである。弦楽四重奏とピアノによる音楽と云うクインテットはピアノ自体は作曲家の意志表明の手段なのであろうか?第一楽章と対照的な第二楽章、行進曲風にというのは、葬送である。そのうえで、幅広くよりわずか早めのという世界は、まさに二律背反するアンビヴァレンツである。
 狂気ともいわれるようなロマネスクの世界は、決して美的ファナィズムではなく、すなわち熱狂的な精神は自身を裁く危険があるけれど、シューマンの作曲にはそこの危険を回避していて、主体となる自我は崩壊していないのである。第三楽章スケルツォは、絶えず下から上へと上昇を繰り返す情熱を、第四楽章のフーガの手法は、完成した形式感を表現していて成功している。
 クリフォード・カーゾンは1907年5/18~1982年10/2ロンドンにて没している。伯父は作曲家のケテルビー。12歳でロイヤル音楽アカデミーに入学、1928年から二年間はベルリン留学してアルトゥール・シュナーベルに師事している。その後パリでワンダ・ランドフスカ、ナディア・ブーランジェに教えを受けている。そのピアノの音色は甘美で、馥郁とした薫り高い、ロマン派の音楽にうってつけの音楽性と云える。第二楽章のヴィオラ=アルトとチェロの低音の魅力もさることながら、それに寄り添うピアノの左手メロディーラインのスパイスは正に苦味である。 
 音色もさることながら、第三楽章の熱情を経た後の第四楽章のあの形式感は、味わいを甘いもの一辺倒からバランス良い苦味を味わわせてくれて、ロマン派音楽の頂点を形成する音楽と云える。ブダペスト弦楽四重奏団と1950年代録音。
 ピアニストの中には、ベヒシュタイン、スタインウエイ、ベーゼンドルファー、プレイエル、ヤマハとかすべて使用しているスヴィアトスラフ・リヒテルのような奏者もいるけれど、クリフォード・カーゾンは、ウィルヘム・バックハウスのように、頑としてベーゼンドルファー・ピアニスト不動の地位を築いている・・・

 令月、調和ビューティフル・ハーモニーと意味する「令和」が始まる。令室、令嬢、令息などなど、めでたきとかの熟語もある。時代の呼び名が交替する御代がわり、018レイワを足すと西暦の数字になるから分かり易い関係性がある。1+018=019だからこのダブル感覚をうまく利用するところにこれからの時代、生活があると思う。
  モーツァルト1756~1791はジングシュピール歌芝居、「魔法の笛」を自身の指揮で1791年9/30ウィーン初演、その二か月余り後に死去している。悪者だと思われていたザラストロ、何やらツァラトゥストラに言葉は似ている、拝火教の主、実は人々の尊敬を受ける賢者だったという。王子タミーノは幾たびか試練を受けるのだが夜の女王は、タミーノに魔法の笛を与え、パパゲーノは銀の鈴を持ちお供する。十八歳だが老婆姿のパパゲーナ、パパゲーノがしかたなく永遠の愛を誓うと少女に変身して、すぐ消えてしまう。一方、タミーノに冷たくされ思い悩んでいたパミーナ姫は、三人の童子から真実を聞き、火と水の試練へ向かうタミーノの前に現れる。二人は魔法の笛の力により無事試練を乗り切って祝福の合唱に迎えられる。パパゲーノもパパゲーナに再会し、ば、ぱ、ば・・・と喜びを歌う。夜の女王はザラストロへの復讐を狙うのだが雷鳴と閃光に打ちのめされる。太陽の神殿の場面となりザラストロを讃える合唱が響くところで幕となる。
 ベルナルト・ハイティンクは、1980年録音でステレオLPレコード3枚組を記録している。タミーノ役ジークフリート・イェルサレム、パパゲーノはウォルフガング・ブレンデル、パパゲーナはビリギッテ・リンダー、夜の女王はエディタ・グルベローヴァ、パミーナ姫はルチア・ポップ、ザラストロはローラント・ブラハト。
 序曲を耳にすると、弦楽アンサンブルはVn両翼配置で下手にコントラバスがあるため、ホルンは上手に配置されている。舞台のオーケストラピットをイメージする時、ヴァイオリンが両袖に展開されるのは作曲者の意図に合致していて、聴いて実に愉快である。ところが、札幌のオペラでは第一と第二のヴァイオリンが下手に束ねられる配置でそこのところ、まったく、つまらないものにされている。観客は喝采の拍手を贈るため、指揮者はなんのためらいが無いのだけれど、ハイティンク指揮のレコードはそこのところ、しっかり両翼配置で記録されているのだからなんの不足も無いことになる。現実の指揮者たちは、ハードルが高いVnダブル・ウィングを避ける傾向が多数派である。
 すなわち、過去のステレオ録音初期には、左スピーカーに高音域、右スピーカーには低音域というグラデーションを記録していることによる。ところが、定位ローカリゼーションというものを考えた時、舞台下手に低音域を配置するように三人のレディースもアルトが端に来て、中央にソプラノが・・・すなわち、指揮者の左手側に低音域が来ることになる。がっちりと、指揮者右手側にコントラバス配置と云う現代多数派の固定観念と異なるところに、ステレオ定位の感覚がヴァイオリン・ダブル・ウィング配置なのである。左にパパケーノというバリトン、右にタミーノというテノールがお互いに対話するステレオ録音は、現実にはなかなか演奏されない配置と云えるかもしれない。だから、第一と第二ヴァイオリンが対話し、あるいは、ユニゾン斉奏されるところにステレオ録音の醍醐味はある。
 音楽と云うものは、配置と云う前提の上で、最高の演奏が展開したところに面白味はある。新しい時代こそ、その愉しみは可能性を秘めていると云えるのだろう・・・

 15日ノートルダム寺院大火災に続いて、16日イェルク・デムス1928.12/2ベルテン生まれの訃報が届いた。享年90歳。彼は去年も来日公演を果たしていて、大の親日家。一時期毎年のように来日していて、盤友人もベートーウェンの第三番協奏曲や、バドゥラ・スコダとの二重奏など三回の演奏会を愉しんでいた。2003年4月22日にはリサイタル終了して、ロビーでサインを頂いた。その時に持参したLPレコードは、フィッシャーディースカウ独唱、ブラームス曲マゲローネのロマンスだった。彼は一瞬、驚いて、遠くの方を眺めるようにひと言、ショェーン!と発した。椅子に着席していた彼の顔は間近にあり、瞳の色は青色ブルー。リーベ・レルネンとか添え書きとともにブックレットの余白に自署していただくことができた。
 1955年には、バッハ、ゴールドベルク変奏曲をウエストミンスターレーベルに録音。とにかく録音は豊富で、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン・・・この時期の青年デムスは次から次へとリリースしていた。そののち、ドイツ・グラモフォンレーベルに契約が移行して、ディースカウが歌う歌曲の伴奏など豊富なレコーディングを成し遂げている。歌曲の伴奏者と云うと、マイナーな印象を受けるのだが、デムスの場合、独奏者としても八面六臂の活動を経験しているから並ではないだろう。
 鍵盤楽器の歴史は、バッハの平均律クラウィーア曲集に始まると言っても過言ではない。確かにスカルラッティ、ラモー、クープランなどイタリアやフランスにも歴史はさかのぼることが出来る。その後を受けて、ハイドンのソナタやモーツァルト、ベートーヴェンと歴史は展開する。ベートーヴェンの後姿を見て、シューベルト、そしてリストは作曲を発展させている。シューマン、ショパンというのは、ロマン派の典型である。デムスはその後、セザール・フランクやドビュッスィーまでレパートリーにしている。そして独奏のみならず、シューマンやブラームスのピアノ四重奏曲など室内楽の分野にも活躍している。
 アベッグ変奏曲作品1、蝶々作品2、ダヴィッド同盟舞曲集作品6、トッカータ作品7、謝肉祭作品9、幻想小曲集作品12、交響的練習曲作品13、子どもの情景作品15、クライスレリアーナ作品16、幻想曲作品17、アラベスク作品18、フモレスケ作品20、森の情景作品82、 ローベルト・シューマン1810~56は数々のピアノ作品を作曲し、自身もピアノ演奏に熱中し過ぎていた。そして精神的な不安定を経験し、幸福と苦難の両方の道をたどっている。
 ピアノソナタ第2番ト短調は作品22.そして第1番は作品11だったというのは、ベートーヴェンにならい、作品番号の管理は、意識的なものであったというのは容易に想像することが出来る。ベートーヴェンのピアノソナタ32曲は、第31番のソナタをもって100楽章を作曲完成して、第32番は二楽章の構成から成立していた。シューマンの第2番は四楽章構成からなる。第一楽章は迅速な速度で、第二楽章はアンダンティーノ、第三楽章はスケルツォ、特に迅速な速度で、第四楽章はロンド。聴いていて特にソナタ形式の音楽ではなく、それぞれがショパンの前奏曲に相通じるものがある。
 デムスのピアノは、音色が低音域の音色に重量感があって当時のウエストミンスターのアーティストの音色に共通するものがある。現代はとにかく、スタインウエイが多数派を形成しているのだけれども、デムスがデビューした頃の音色は、現在と違っていたのである。確かな技巧もさることながら、ロマン派の何たるか、情熱の伝道者として面目躍如するものがあったのだった・・・

 その日は午前8時のテレヴィ放送の映像で、大聖堂が炎上する場面で尖塔がまさに崩れ落ちる瞬間を捉えていた。15日の午後7時という現地時間から8時間にも及ぶ火災に見舞われたノートルダム寺院、人々が悲嘆にくれる様子を伴い、ニューヨークの9/11事件と同じような様相を呈していた。聖母マリアを意味し、宗教的聖地でありながらパリの歴史的文化的象徴としてのノートルダム寺院が初めて被災を経験する悲劇的時間である。
 800年にも及ぶ人々の信仰対象、ゴチック期の代表的建築物は二度の世界大戦を免れていながら被災するという大きな事件で、ターナー、1835年作品の「国会議事堂の火災」を想像させる。ノートルダムにはパイプオルガンが設置されていてフィリップス録音でピエール・コシュローが演奏するブラームスのコラール前奏曲集作品122を鑑賞することができる。
 第 1 曲 Mein Jesu,der du mich 
 第 2 曲 Herzliebster Jesu
 第 3 曲 O Welt, ich muss dich lassen
 第 4 曲 Herzlich tut mich erfreuen
 第 5 曲 Schmucke dich, o liebe Seele
 第 6 曲 O wie selig seid ihr doch, ihr Frommen
 第 7 曲 O Gott, du frommer Gott
 第 8 曲 Es ist ein Ros entsprungen
 第 9 曲 Herzlich tut mich verlangen
 第10曲 Herzlich tut mich verlangen
 第11曲 O Welt, ich muss dich lassen まで、録音は1, 6, 2, 8, 9, 11, 10, 4, 5, 7, 3という     順番でなされている。
 パイプオルガンは、十本の指のみならず、スエル(床)という二本の足を駆使して足鍵盤を演奏するという全身を使う楽器の王様である。綾なす高域メロディー、中音域の定旋律、そして足鍵盤による低音域というポリフォニー複数旋律音楽の粋。ロマンティシズムというのは、欲望を欲する精神の発露ともいわれ、ブラームスはその中で擬古典派ともいわれるバロック音楽を深く追い求める作曲家、バロックとは「いびつな真珠」ともいわれ、同時に左右拡張する精神の芸術である。実際にオルガン演奏の作曲家ではなかったけれども、作品番号を持つ唯一の遺作となった十一曲のコラール前奏曲、ヨハン・セヴァスティアン・バッハを尊敬するブラームス渾身の傑作と云える。ピエール・コシュロー ?~1984.3/6没は1955年からノートルダム寺院のオルガニストを務めていた。
 オルガン演奏による音楽は、ときとして矮小化された感覚に陥り易いのであるけれども、大聖堂の音響は、まさに、ストラクチュア構造物としての音楽体験であり、それを想像する努力を必要とする。火災の映像はあたかもミニチュアの感覚に陥りがちなのであるけれど、事件は歴史の消失であり、大惨事であることを忘れてはならない。ニュースを受け入れがたい感覚とともに、数百万数千万人に及ぶ悲嘆を想像するに、「祈り」の行いの必要をことさらに痛感するレコード鑑賞を、これからも続けることの日常を、つらくもいとおしく思われる一日となった・・・

 クラシックで音楽の三要素とは、リズム、メロディー、ハーモニー(律動、旋律、和音)というもの。そのうち、ヴァイオリンによる旋律は、本当にうまくできている。小振りな楽器ながら高い音から中音域までそれこそ楽器自体を響かせて聴きものである。そして合奏となると、アルト=ヴィオラ、チェロ、コントラバスなどによる中音域から低音域に至る弦楽合奏は、和音という厚みある音楽の集大成であり、ハイドン、モーツァルトたちによる作曲は、現代にまで歴史的に発展した合奏体としてまことに立派なものを誇っている。さて、それでは、リズムとはどこにあるのか?というのは素朴な疑問である。オーケストラと云う言葉自体、舞台を意味するもの、管弦楽というと、打楽器が抜けていることになる。
  ティンパニーという音程を表現可能な打楽器はオーケストラの要であり、リズムの直接的役割を担っている。ところが、イタリア人作曲家ジョヴァンニ・バッティスタ・ヴィオッティ1753~1824のヴァイオリン協奏曲第23番では、そのティンパニーが使用されていない。すなわち、リズムを担当する楽器は無いことに気が付く。ここが、ポピュラーやジャズの音楽にあるパーカッション打楽器の存在をいつも必要としないクラシック音楽との違いである。リズム楽器が無いのに合奏がなぜ可能なのかということになる。すなわち、指揮者の存在である。彼は、音を出さないで拍節を指示していることが大きな役割だからである。指揮者の大きな仕事の一つに、リズム律動を把握して、テンポ速度を指定する働きがある。演奏行為でテンポ感は合奏者の構成員が多ければ、それを体現する一人として、指揮者の存在は絶対のものがある。ジャズなどを想像したとき、ドラム奏者の存在は必要であり、時としてピアノがその役割を果たすことも多いのだが、クラシックには時として、ドラムセクションは必要としない音楽であるのは象徴的である。イタリアでは16世紀ころにはオペラが誕生しているのだが、リュリという作曲家の時代には、指揮者の役割が発生していたのは重要な事実である。日本音楽の雅楽、能楽、歌舞伎などでは、そういう役割の個人的存在を生み出さなかったのは、日本人社会を考察する時、そういう個人的役割の指揮者を生み出さなかった歴史で、西洋社会と日本を考察するに興味深い社会的課題である。いわば、キリストという個人を中心に据えるところは、管弦楽における指揮者の存在に似ている。日本では、合奏者の中にその存在は居ても、指揮者と云う存在はおいていないのである。
 独奏者のいる協奏曲では、指揮者の存在は、音を出さない打楽器奏者役割を果たしながら、音楽全体の把握、統率、中心の存在なのである。実際、弦楽合奏のほかに、管楽器は二管編成でありながら、ヴィオッティではフルート、ファゴット、ホルンという意外に小編成なのてある。その開始はまるでモーツァルトのピアノ協奏曲の音楽を予想させるスタイルで、ああヴィオッティはヴィヴァルディからパガニーニへの中間で、橋渡しする存在になっていた。時代的にはハイドン、モーツァルトという古典主義の音楽と云える。ヴィヴァルディはバロック音楽の中心であり、パガニーニというロマ派音楽の丁度、中間的存在である。適度に独奏者の名技性を発揮しながらも、ロマン派程の展開は見せておらず、合奏者自体もその技術の発露を見せている。フルートがトリルを演奏する時、あたかも小鳥のさえずりの如く、晴れ渡った田園風景を経験する素朴な音楽になっている。
 ローラ・ポベスコ1921.8/9クラヨーヴァ、ルーマニア生まれ~2003.9/4スパ、ベルギー没は、美貌の天才ヴァイオリニスト。エネスコ、ティボーの薫陶を受けている。1980年には初来日を果たしていて、親日家、ファンの方も多くいた。歌謡性豊か、楽器を充分に鳴らせる名人。ご主人はジャック・ジャンティでマルツィ、オークレールらの伴奏を受け持っていた。このレコード1980年録音でボベスコは、たっぷりと歌い、大輪の花を開かせ魅力横溢するLPとなっている。

 M氏は35年間の生涯において27曲のピアノ協奏曲を残している。1767年11歳で、ケッヘル番号37ヘ長調は第1番にあたる。そのうち、短調作品はK466ニ短調とK491ハ短調の二つしかない。
 短調と長調の違いは、第三音の音程が長短三度の相違による。短調は狭い短三度によるために、悲しい音楽の様相を見せる。主音を(ド)とすると(ミ)との音程は全音と全音の積み重ね。ところが短調の場合、主音を(ラ)とすると第三音は(ド)にあたり、全音と半音の音程になる。主音がドの長調は、ハ長調、Cメジャー、主音がラの短調はイ短調、aマイナーになる。主音がラの長調はイ長調Aメジャーになる。ドイツ語でいうと、長調はドゥーア、短調はモールと呼ばれる。だからAメジャーはアードゥーアA-durということになる。
 ピアノ協奏曲イ長調の作品はK414とK488の二曲。ヘ長調F-durはK37、K413、K459そしてK242。変ロ長調B-durはK39、K238、K450、K456、K595。ニ長調D-durはK40、K175、K451、K537。ハ長調C-durはK246、K415、K467、K503。ト長調G-durはK41、K453。変ホ長調Es-durはK271、K449、K482、K365。以上27曲、このうち、変ホ長調K365は二台、ヘ長調K242は三台のためのロドゥロン協奏曲になる。
 モーツァルト音楽愛好家モーツァルティアンとして、クララ・ハスキル1895.1/7ブカレスト~1960.12.7ブリュッセルは有名である。1906年11歳でパリ音楽院、フォーレに師事し、翌年からコルトーの指導を仰ぐ。1909年には首席で卒業、バーゼルではブゾーニに認められている。イザーイとの共演、エネスコやカザルスらとの共演を経験して、1936年にはスイスの市民権を得てレマン湖のヴヴェイに移住。ハスキル58歳にしてVnのグリュミオー32歳、このアンサンブルは7年のコンビネーションを記録している。
 1954年録音パウル・ザッヒャー指揮ウィーン交響楽団(ウィーン・フィルハーモニーが国立歌劇場管弦楽団を主体メンバーとしたのとは別組織の交響楽団)。この録音のピアノは、おそらく、ベーゼンドルファーと思われるのだけれども、クレジットは未標記である。楽器の倍音が、低音域主体であるところからそのように判別可能である。特に、ハスキルのタッチ打鍵は繊細で、豊かな響きを奏でていることにより、特徴的である。決然とした歌いまわしの上に、フレーズといって、句読点の導き方が極上品と云える。
 盤友人が小学生の時分、ピアノの先生はいつも、オクターブ上の旋律を一緒に弾いてくれて、弾きやすかった経験がある。その感覚と共通するものを感じる。ただ、大学生で教授に指導を受けた時は、打鍵を抑制されて、フレーズの収め方を工夫するようによく注意されたものである。一本調子にならずに力を、抜くというような脱力注意といえる。ピアノのレッスンで、しっかりした打鍵を身に付けたら、その上の段階として力を込めたり、抜いたりする感覚を身に付けなければ上達したとは言えないのである。
 ハスキルの芸術は、あたかも、モーツァルトが直接に弾いていると思われるような極上の音楽の演奏で、その場に居合わせた指揮者も、管弦楽団員もその音楽の中にある。それは、演奏行為の、最上の感覚、現在と永遠の共通、と云えるかもしれない。第二楽章アダージォ緩やかには、八分の六拍子、シチリアーノ舞曲。クラリネット、ファゴットそしてフルートという木管楽器編成。オーボエがいない、しっとりとした月夜の光の中のドラマ。ピチカートという弦楽アンサンブルも、趣がある。そこはかとないM氏の哀しみを味わうに、極め付きの名曲、イ長調ピアノ協奏曲第23番である。

 チェロという楽器は、通奏低音として主旋律に対する支える役目を担当する時代を経過している。室内楽では中低音域の音楽を奏でて、地面に近い感覚があり、聴く人に安定感を与える。いわば脇役的な面が主として果たしていたのだが、ヨハン・セヴァスティアン・バッハに至って無伴奏による組曲を作曲、独奏して主役に躍り出たようなものである。しかも、その楽譜、音楽に脚光を当てたのはパプロ・カザルス。音楽家として神様の存在であるアーティストに負うところが大きい。
 ベートーヴェンは生涯で五曲のチェロ・ソナタを書いている。バッハの無伴奏組曲が旧約聖書にたとえられると、ベートーヴェンのものは新約聖書にたとえられるのはそういう事情による。1796年25歳の時、作品5の二曲のソナタが作曲初演されている。
 第一番ヘ長調作品5-1、アダージォという雄渾な開始の音楽、つづけてピアノが主導するアレグロの第一主題が導かれる。楽器としてはピアノとチェロという二台の合奏であるのだけれども、音楽としては一大管弦楽の音楽が奏でられているかのような音楽になっている。中低音域の音楽は、オーケストラのボディであり、土台とも云える演奏は、たっぷりとして音に包まれる。楽器自体も、演奏者は抱えて演奏することにより身体全体で音楽を演奏するという、気宇壮大なことになる。
 米ウエストミンスター1952年コピーライトのLPレコードは、チェロがアントニオ・ヤニグロ1918.1/21ミラノ~1980.5/1、ピアノはカルロ・ゼッキが担当している。ヤニグロはミラノ音楽院や、パリ・エコールノルマルのマスタークラスを卒業している。歌謡性たっぷりの演奏でなおかつ、厳しい気品がある。この感覚は当時のカザルスが打ち立てた、新即物主義的なところに近いものがある。楽器の演奏というものには、演奏者の人間性、特に品格、漂うものがある。例えば、1970年の大阪万国博覧会、NHK交響楽団とアレクシス・ワイセンベルクが独奏を受け持ったブラームスの第2番ピアノ協奏曲の第三楽章、独奏チェロが開始になる音楽で、その輝かしい音色に、記憶が焼き付けられた経験を持つ。指揮者岩城宏之でテレビの視聴だった。たいした装置の音ではなかったのだが、その音楽の強烈さは不滅の演奏であったといえる、首席チェロ奏者は徳永謙一郎だった。彼は若くして病を得、不帰の人となっている。当時彼の存在は伝説となり、N響を指揮したサヴァリッシュなどは、「徳永」を絶賛して絶大な信頼を表明していたものである。斉藤秀雄の門下生で、歴史に残るチェリストの一人。
 宮沢賢治は、盛岡から東京に出かけたチェロの音楽を愛した早逝の天才である。彼の記念館には,愛奏した楽器が展示されていて間近に見ることができる。賢治は詩作、農業従事、教育者、チェロ演奏、作曲など、多面的な顔を持つ東北人の童話作家であった。彼はチェロを愛していたのである。
 深い人間性とは、歌謡、思索、瞑想、祈り・・・多面的な顔を見せる神としての父親のような様相を見せるものである。一言でいうと、広い心というのは簡単であるけれど、エア、空気、旋律、澄み切った心は、宗教者の到達する高みにあるものと同じかもしれない。レコードという記録媒体はどのような音楽を再生するかで、生の音楽とは別格の世界なのである。
 ヤニグロは、チェロ演奏から指揮者への転向を見せているけれど、彼のベートーヴェンを聴いていると、技巧を極めることにより、独奏者から指揮者へと転向した人生も、理解できないものでもない。ただ、チェロを演奏する孤高の芸術家にとどまることなく、その音楽の世界を求める楽しみこそ、レコード収集の醍醐味でありかなあ・・・

 バッハという名前、日本語になおすと小川という意味になる。そこでベートーヴェンは小川ではなく、大海 ダス メール(という中性名詞)とよぶべきだったとか洒落ていた。16世紀の作曲家ファイトを主要家系としてヨハン・セヴァスティアン・バッハ1685.3/21~1750.7/28は、先妻マリア・バルバラ1684~1720の方からウィルヘルム・フリーデマン・バッハ1710~1784、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ1714~1788、後妻アンナ・マグダレーナ・ヴィルケ1701~1760方からヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ1732~1795、ヨハン・クリスティアン・バッハ1735~1782という音楽一家を形成している。一説によると現在、家系は絶えているとかいわれている。ヨハン・クリスティアンは、父50歳の子どもで「ロンドンのバッハ」ともいわれ、8歳のモーツァルトに影響を与えているように前古典派ともいわれる系譜に当たる。
 大バッハは35歳のとき、先妻に先立たれて、宮廷楽長は四人の子どもと悲嘆にくれることになった。家庭生活の激変を経験し、芸術の転換点を迎えている。無伴奏ソナタをこの頃、浄書譜の完成をしている。現代でもヴァイオリニストに演奏されるのであるけれど、当時のバロックVnとは構造は異なる。ソナタは四楽章構成が基本で、パルティータは舞曲の構成で、アルマンド、ブーレ、メヌエット、サラバンド、シャコンヌ、ジーグなどなど五~六曲ほど。
 BWVバッハ作品番号1005、無伴奏Vnソナタ第三番ハ長調は、アダージョ、フーガ、ラルゴ、アレグロ・アッサイの四楽章で構成されている。この曲は冒頭から重音奏法という技法で開始される。一回の弓さばぎで音を重ねるというポリフォニー複旋律音楽の典型的スタイル、楽器の一丁で二つのメロディーラインを形成する等、和声音楽のピークを成している。
 ヨゼフ・スーク1929.8/8~2011.7/6生没プラハの曽祖父はドヴォルジャーク。つまり大作曲家のひ孫にあたるサラブレッドで同姓同名の祖父も作曲家というから少し複雑。大家コチアンの弟子にあたり、英才教育を受けプラハ音楽院を卒業してアンサンブルを編成して、さらにソリストとしても活躍していた。澄み切った美しい音色、確かな技巧に基ずく歌謡性ゆたかな演奏を披露して多数のレコードを残している。EMIから無伴奏Vnソナタ、パルティータ1970年録音をリリース、とりわけソナタ第三番は特筆すべき完成をみている。
 第一曲アダージョは、どれほどの名手でも難曲中の難曲、手ごわい作品で第二曲のフーガは、楽器の裏板を鳴らすという魅力的な作品である。
 裏板とは何?という疑問になるのだろうが、アルト、チェロは中低音域を担当するところ、ヴァイオリンは高音域担当になる。それでは、アルトと構造の大きな違いはどこにあるのか?というと、表板と裏板を繋ぐ魂柱こんちゅう、ハートポストこれが弦の振動を表と裏に伝える仕組みで、四本の弦の音域に従い、音響が別けられている。スイッチの切り替えがあるわけでなく、演奏者の技量により表現が可能となる。盤友人はオーケストラの演奏で第二ヴァイオリンのことによく言及するが、楽器は同じものでも、演奏する音域により第二Vnは裏板を鳴らす演奏を担当している。すなわち、舞台ステージの指揮者右手側の袖に座席して裏板を響かせるのが本業と云えるのだが、ステレオ録音では第一と第二をf字孔を同じ向きに揃えるという多数派を形成している。
 この第二曲だけ、裏板を客席に向かせるように演奏すると面白いと思われるのだが…余談はさておき、この曲の醍醐味は、裏板をどれだけならせることができるかで、出来栄えは決定的になる。名手スークはその偉業を達成したといえるだろう・・・

 霊長類、この言葉との出会いは中学生の時分で、長の漢字の意味が理解不能だった。多分、霊が長いとか、考えていたのではあるが、納得が行かなかった。今までの人生の半分くらいの時でガッテンと行ったのは、長が「おさ」ということではなかろうか?という風に考え始めたころである。すなわち、リーダー、酋長、駅長、校長、社長と漢字二文字を並べて行って、気づいたことである。どこに正解があるわけでなく、あの時質問された尊敬する中学校新米の理科教師は、横を向いたことが記憶に残っている。答えは自分で考えろ!とかいうメッセイジだったのであろう。人に教わるものでもあるまい。 オーディオの道を歩いて今年で四十年になる。当時、何も知らない音楽好きが、とうとうLPレコードのカートリッジ、軽自動車一台分の価格、と適合する昇圧トランスと巡り合うことになった。その時のトータル機器一式の価格相当する代物。そのあまりの実力に腰を抜かす思いをしたのである。ノイマン社製品。
 クラシックのいわゆる名曲に田園がある。運命は絶対音楽で、この曲は標題音楽だから、ワンランク下とかいわれている類の交響曲。1808年に同じく初演されていて、ウィーン郊外、ハイリゲンシュタットでの作曲になる。第二楽章、小川のほとりの情景で、小鳥のさえずりが模倣されている。ここで、指摘しておかなければなないことは、耳の聞こえていた作曲者の自然観、世界観の表明ということであろう。聴覚障害を背負った作曲者の聞こえていた世界の表現なのである。第五楽章 嵐の後の喜びと感謝、牧人の歌。まさに、感情の世界、描写にとどまらない人生観の音楽と云うことなのである。この幸福感こそ聴くべき音楽、オーディオの目標なのである。
 エードリアン・ボールト1889.4/8~1983.2/22、ロンドン・フィルの首席指揮者を歴任、大指揮者ニキッシュに師事している。ホルストの惑星を初演するなど、英国の指揮界の大御所的存在。なぜか、わが国では過小評価されている。
 コピーライト1978というから、77年頃録音になるベートーヴェンの田園交響曲。第一ヴァイオリンの奥にチェロが配置されている。右スピーカーからは、アルトの刻み、第二ヴァイオリンの応答などが、クリア鮮明でこの上ない。だから、左右のスピーカーでそれぞれ中低音と高音域の分離が聴きものである。すなわち、チェロとアルトが左右に開かれているところが、新鮮であり、このような感覚になったのは、初めてのことである。これは、昇圧トランスの周波数特性が、フラットで違和感なくステレオの分離が達成されているところよることが、大である。
 ステレオ録音初期は、明らかに、左スピーカーからヴァイオリン、そして右スピーカーにアルト、チェロが押し込められていたのである。左スピーカーで第一と第二ヴァイオリンが対話し、右スピーカーでアルトとチェロが音楽を交わすという図式である。演奏者としては、対話を意識しているのであるのだが、聴いている側としては、ステレオ感により、ネグレクトされていたと云えるのである。ボールトのステレオレコードが日本では、あまり流通していなかったという事実は、こういう事情が働いている可能性がある。
 瓶ビールは、ピアホールの味わいを追求しているのであるけれど、LPレコードは正に、その配置を徹底するべくレコード量産は、成されていたといえるであろう。カラヤンやバーンスタインがもてはやされるのが、マーケット市場であり、その中で対する、クレンペラー、モントゥー、クーベリックらによるステレオ録音は、話題にも上らないところに、日本国音楽市場の不幸は、確かに、有ったいえるかもしれない。新しい時代にこそ、ボールト卿のステレオ録音が再評価されることを、期待しているのであるが・・・

最近の夕食に焼き魚は? というと、鰊である。数の子がもてはやされるのだが、家庭には白子入りのものが多い。昔は生臭くて敬遠したものであるけれども、今や少し焼きをしっかりさせると美味な触感でおいしくいただける。メスは卵を抱えているけれど、オスはそうでないために白身の肉の味は美味なように思われるけれども、みなさんは如何に食されているだろうか?オスとメスの違いや如何に!同じかもしれないのだが、気の持ちようで味わいというもの、違いはあるのでなかろうか?盤友人はオスをおいしくいただいている。
 M氏はピアノ協奏曲を第27番変ロ長調K595まで作曲しているが、第22番変ホ長調K482は、1785年12月に作曲している。弦楽器は第一と第二Vn、アルト、チェロ、コントラバスという五部編成、管楽器はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、そして打楽器はティンパニーというもので大きい編成である。モーツァルトは、当時、フルートという楽器は音程が甘く割合、きらっていたとかいうことである。そうでなくても、クラリネットも編成に加えたり、はずしたりしていて、その使用方法は一様ではない。意外にもフルートの音型は十六分音符を割とひんぱんに使用していて、演奏するうえでやっかいな音楽に仕上げている。第三楽章ロンドなどを聴いていると、フルートとファゴットのかけあいなど、むつかしい音型を展開していて、M氏の独特のフモールを感じさせることになる。
 第21番ハ長調K467の第二楽章アンダンテは、飛び切り優雅で美しくも短く燃え、という邦訳タイトルの映画音楽で有名になっている。それは、同じ年の三月に作曲されていた。シンプルは究極の洗練であるという言葉があるように、モーツァルトのメロディ旋律は、天与の才能から生まれた音楽である。凡百のメロディーはあるけれどもこのピアノ協奏曲ほどに料理された旋律は、この世に無いとまで思われる。29歳のM氏は、ハイドン・セットと呼ばれる弦楽四重奏を作曲するなど、活動のピークを迎えていた時代であり、その六月には歌曲リートのすみれ、が作曲されている。年表を見ていると、その頃、父親はフリーメイソンに入団(四月)とあり、なんらかの影響はあることだろうと思われる。
 イングリッド・ヘブラー女史は1966年、コリン・デイヴィス指揮のサポートを得てこの曲を録音している。彼女はスタインウエイを愛用していて、ロンドン交響楽団、アルチェオ・ガリエラ、ヴィトルド・ロヴィツキーらの指揮により、全集を記録している。使用したピアノも制作年代が異なり、音色も微妙に変化しているのが聴いてわかる。スタインウエイと一口にいっても、味わいは異なる。
 この曲は管楽器の演奏が、華麗で、第三楽章では演奏技術の巧拙が、聴いて取れるというものである。特に、フルート奏者、すこぶる付きの名手、一体それは誰? というと、録音データを知ると理解できるのである。1969年9月からカラヤンがベルリン・フィルに招聘した人物、ジェイムズ・ゴールウエイであろう。1973年NHKホールでの映像を視聴したことがあるが、首席フルート奏者は髭をたくわえたジミーであった。滅茶苦茶テクニックが優秀で、なおかつ、一音耳にしただけで彼と分かる演奏者はめったやたら存在するものではない。66~69年までロンドン響に在籍し、それがきっかけでベルリン・フィルに移籍している。まさにジミーがM氏の当時活躍していたら、フルートは音程が悪い楽器という不名誉の評判は、なかったことだろうと云える。彼の演奏を耳にすると、心踊らされて、幸せになること、大げさな言い様でないことはこの録音が証明することだろう。

 いつものライフスタイルは、自動車を運転して例えば二時間くらいかけて小樽へ行くことがある。ところが、最近JRを利用して列車に乗り、電車を利用することがあった。その時、座席にどのように座るか?考えることがあった。どういうことかというと、座席が窓側横一列のものと、リクライニングシートで、進行方向に向かって座るか、逆向きにするか可能な座り方の座席である。 昔は列車というと、ほとんどが四人対面型といって、自由に、進行方向向きか逆向きかを選択できたのが実際なのだった。だから、両方の座り方が普通だった。盤友人も還暦を超えてから、身体の不具合に敏感になり、二時間くらい車両に座り続けると、どういう座り方か疲れないかを考えるようになったのである。明らかに、進行方向に対して背を向けて座るのが重力の加わり方に、楽することができるように感じられる。まわりを見回すと、多数派は進行方向に向かい座っているもので、盤友人は少数派であることに気が付く。それは音楽鑑賞が、CDコンパクトディスクによるものか、LPレコードというアナログ趣味なのかという違いに似ているだろう。それは感覚の違いによるといえる。アナログ的再生にこそ、鑑賞の喜びは倍加するというものである。  1958年6月録音、ドイツ・グラモフォン盤ステレオ初期のものを聴いた。ルートヴィヒ・ヘルシャー1907生~96没がベルリン・フィル首席チェロ奏者歴任は多分1940~50年代頃なのだろうか?フルトヴェングラー時代なのだろう。彼以前にはピアティゴルスキーなど居たと思われる。その演奏スタイルは、近代的ともいえる即物的というか、スマートでヴィヴラートも抑制気味、しかし浪漫的でなおかつ生き生きとしている。オーケストラブレーヤーとして面目躍如、表現が過剰に走らないスタイルである。伸びやかで、朗々とした音色でいかにも内省的な演奏に仕上がっている。ブラームス、1865年6月仕上げられた作品でもともと4楽章形式のものが、アダージョ楽章が割愛され、第3楽章などその年2月2日の母の死が反映されているような哀しみの音楽である。
 ステレオ初期の録音で、左スピーカーからピアノ、右スピーカーにチェロが定位する。明快なもので、中央の音響でピアノとチェロの重なりを補うように再生するのが重要である。音量の設定に問題があるのは、左右が完全に分離して、中央が薄い感覚になる時である。シューベルトのピアノ五重奏曲鱒でもそうなのだが、グラモフォンのステレオ録音では、デムスのピアノは左スピーカー定位が普通になっている。ところが、盤友人は、正反対の感覚になっている。すなわち、ピアニストは独奏者に対して背中で音を合わせる、右側にセッティングされる方を考える。だから左側にチェロ、右側にピアノをイメージするのがいつものことである。
 残念ながら、こういう音楽はモノーラル録音にしか問題意識を薄める方法が無いものである。最近の演奏会は、ピアノトリオである場合、チェロはいつも、右側なのだが、チェロの音楽を考えた時、中央にシフトして、ピアノこそ右側で弦楽器に対して背中で音楽を合わせた方が、聴いている方としては、すっきり、弦がアンサンブルとピアノの合奏が楽しめるというもので、チェロがいつも客席から向かって右側というのは、不満がある。チェロの音の響きは、ピアノの音楽と被ることなく、ヴァイオリンと重なることには違和感が少ないのである。それでは、結線を左右逆にすると良いのかというとそういうことではなく不満と向き合いつつステレオ録音を再生している。生の音楽会に希望を託しているのだが、そうはいかないのが現実なのだなあ・・・

 三月に入り、1日の夕方アンドレ・プレヴィンの訃報が知人からメールで届いた。89歳とのことで老齢によるものと思われるが死因不明、ニューヨーク・マンハッタン自宅でのこと。盤友人は彼に東京渋谷NHKホールの楽屋で、2ndVn永峰高志さんを通して会話した経験がある。伝記本にサインを頂いた時ディスイス゛ノットトゥルーとぶつぶつ、しぶしぶのご様子だった。ベートーヴェンの第五交響曲、第一楽章389小節目の全休止を盤友人が示し、ディスイズ、メイビーノットオリジナルパウゼ !と言うと即座に、オーイッツ、インタレスティング !と楽譜に目を落としつつ反応していたのは嬉しい体験98年5月のことだった。
 プレヴィンというとご艶福家で有名、複数回結婚キャリアで70年代は映画女優ミア・ファロウと、他にもVnアンネ・ゾフィームッター06~09ともカップルで協奏曲をCDリリースしている。生年1929.4/6ベルリンでとされているが、本人はユダヤ系ロシア人家庭出身で正確なところを不明としている。幼少期ベルリン高等音楽院でピアノを、9歳でパリ音楽院入学マルセル・デュプレに指導を受けて、39年渡米し43年米国籍獲得、ジャズピアニスト、映画音楽作曲家として編曲、作曲で活動を開始して51年からサンフランシスコ響のピエール・モントゥーに指揮法を師事している。セントルイス響62年指揮者としてデビュー、ヒューストン響67年音楽監督に就任、ロンドン交響楽団68~79、ピッツバーグ交響楽団76~84、ロスアンジェルス・フィル85~89、ロイヤル・フィル85~92、オスロ・フィル2002~06、そして2009年からN響首席客演指揮者の座についていた。
 独墺系、フランス、ロシア系など指揮したレパートリーは広いものがあった。イタリア系は不思議にも無い。80年代ウィーン・フィルともレコーディングは多数で、R・シュトラウスは自家薬籠中のもの、モーツァルトのピアノ協奏曲の弾き振りという二刀流も記録している。艶福家ということからも分かることだが、気が多いのみならず魅力がある好人物で、才能有りの天才的音楽家だったといえる。ピアニストでもオペラ作曲もなど、LP録音も多数。
 1948年R・シュトラウス1864~1949の遺言的作品に、四つの最後の歌がある。ソプラノ歌唱で、管弦楽伴奏の文字通り最後の作品。ヘルマン・ヘッセ、ヨゼフ・フォン・・アイヒェンドルフの詩による。1曲春、うす暗い洞穴の中で、私は長い間、夢を見ていた・・・2曲九月、庭が悲しんでいる、夏はとどまり平安を憧れる、3曲眠りにつくとき、今や昼はわたしを疲れさせる・・・以上ヘッセ、4曲夕映え、私たちは悲しみも喜びも手に手を取って通り抜けてきた・・・おお広い静かな平和、夕映えの中、深く私たちは疲れ切っている、これがことによると死なのだろうか?
 この曲順は出版楽譜に拠るもので、ベーム指揮、Spリーザ・デラ・カーザは3と1曲目を入れ替えている。これは、演奏の開始に、春に、は負担が大きいことによる。プレヴィン指揮ロンドン交響楽団、ソプラノ独唱アンネネリーゼ・ローテンベルガーは1974年録音。クリストファー・ビショップがプロデュース、録音技師クリスファー・パーカーの手によるEMI盤は名録音の誉れ高い。名録音の条件として、楽器音色の分離が鮮明、管楽器と弦楽器の位置感覚にすぐれ、独唱者とのヴァランス良好で、自然なホールのプレゼンス感覚が明快、空間感が秀逸で、極上のアナログ録音である。三曲目の歌唱など、意欲充分の感じがひしひしと記録されている。ローテンベルガーはオペラ歌手としても経験豊富で、確かな技術を披露していてリヒャルト・シュトラウスの世界を歌唱し、華麗さ、虚無感、後期ロマン派の夕映えを象徴して代表的録音盤となり独奏Vnやホルンソロも実に美しい音楽に仕上げられている。

 2月26日は不肖、盤友人の誕生日、うお座、横綱北の湖敏満関と同年生まれ。目出度くもあり冥途への一里塚、千曲万来余話も佳境に入り、お付き合いのほど何とぞよろしくお願いします。
 LPレコード収集というもの、オーディオのグレードアップと並行して、先祖がえりともいうべきモノーラル録音盤の再生に、俄然、感激の度合いが向上をみせている。再生する音が豊かになるに従い、真骨頂に迫るよろこびを味わうというものである。此処に至って、RCA1941年録音になるベートーヴェンの大公トリオ、決定盤に出会った。とにかく、名人三重奏、名演、名録音の三拍子そろっている。
 エマニュエル・フォイヤマン1902.11/22コロミヤ(ウクライナ)~1942.5/25ニューヨーク没、ポーランドのガリチア地方生まれ。11歳でワインガルトナー指揮ウィーンの交響楽団でデビューを行っている。早熟の天才で27年ケルン音楽院29年ベルリン音楽院教授に迎えられている。ドイツ時代にはベルリン・フィルと共演のほかVnシモン・ゴールドベルク、Pfパウル・ヒンデミットらとトリオを結成、活動していた。1933年ナチス政権誕生とともにドイツを去り渡米することになる。1934年36年と二回来日していて、教育者としても有名な斉藤秀雄は彼に師事している。アメリカでは、ピアノのアルトゥール・ルービンシュタイン、Vnのヤッシャ・ハイフェッツと、三重奏グループを結成し、当時、百万ドルトリオと言われ名声を博している。惜しくも40歳で虫垂炎により死去している。フォイヤマンの特色は、チェロを楽々とヴァイオリンのように演奏し、力強く、切れ味の良い演奏を披露している。甘い音色、新即物主義的解釈でピアノでいうと、ギーゼキングのような演奏というべきであろうか?パブロ・カザルスが父親的な存在とすると、フォイヤマンは二枚目的、主役級の大物チェリストといえる。彼の録音は、どれも魂のこもった存在感ある音色、一聴して惹き寄せられる不思議な演奏の記録である。上手に再生することができるのは、一段落、向上したオーディオの愉悦である。
 ベートーヴェン41歳で1811年に、第七番変ロ長調作品97としてピアノトリオを作曲、ルドルフ大公1788~1831に献呈している。ちょうど交響曲第七番と八番作曲の壮年期である。気力が横溢していて、冒頭の第一楽章第一主題は、気宇壮大、演奏気力の充実を求められる、いかにも、ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェンの面目躍如、意気盛んな音楽と云える。 RCA盤では、余裕綽々のルービンシュタインのピアノ演奏もさりながら、ハイフェッツは、ピタリとフォイヤマンのチェロに寄り添っていて、室内楽演奏の醍醐味を十二分に実現している。F氏は余りにも楽々と演奏しているから、チェロもヴァイオリンのような感覚で、しかも、音域は低音であるからして、安定感抜群である。不思議にも、チェロこそ合奏の主役のように聞こえる。ピアノが楽器の王様であるとしたら、チェロは司祭のようで、ヴァイオリンは口上の役者、三者による饗宴である。たとえば、作曲家ブラームス生前の頃、ウィーン・フィルで演奏者たちの報酬で一番上が、チェロ奏者であったというのは、いかにも頷けるというものである。
 ベニー・グッドマンによる、カーネギーホールコンサートでギャランティー、一番上は音符の数からしてドラム奏者のジーン・クルーパーが要求したというエピソードもあるけれど、割に合わないのはピアニストでも、チェリストの重要性は、フォイヤマンの演奏がある限り、説得力があるというものである。
 大公トリオは四楽章構成で第三楽章は緩徐楽章、アタッカ継続してフィナーレを迎えるのはB氏の創意であって、大柄な音楽になっている。

 1941年12月8日には太平洋戦争が始まり、その11日には独伊国が米国に宣戦している。第二次世界大戦である。1942.3/22、24にはブルーノ・キッテル合唱団創立40周年記念演奏会でフルトヴェングラー1886.1/25ベルリン~1954.11/30バーデンバーデン没はベルリン・フィルを指揮してベートーヴェンの第九を演奏、同じく4/19にはヒットラーの生誕祝賀前夜祭で第九を指揮している。この二つの第九の間に、テレフンケンによるブルックナー第七交響曲第二楽章アダージォのSP録音が実施されている。1943年に入ると戦況は刻々と悪化の一途をたどり、スターリングラードではドイツ軍がソ連に降伏、9月にはイタリアが連合国に対し降伏している。このようにドイツの敗色濃厚の中で、フルトヴェングラーは6/26エリザベート・アッカーマンと再婚している。
 同年2/7(8)ベルリン、フィルハーモニー音楽堂でのライヴ録音、ゲオルグ・クーレンカンプ1898.1/23ブレーメン~1948.10/5チューリヒ没のヴァイオリン独奏で、シベリウス1865~1957の協奏曲ニ短調が演奏されている。この戦時下の演奏記録は、壮絶なものであり、極度に異様な燃焼感をもって残されている。いかに戦争という極限状況の中で芸術家は演奏するものなのか、このレコードは貴重であり、1903年ヘルシンキで初演されてから05年にはベルリン初演、シベリウス唯一のヴァイオリン協奏曲である。クーレンカンプは20世紀初頭ドイツ音楽界を代表する演奏家でヨーゼフ・ヨアヒム門下のエルンスト・ヴェンデルに師事している。ベルリン芸術大学を経て1916年ブレーメン・フィルのコンサート・マスターに就任、1919年からソリストとして活動に入った。1923年には母校の教授職に就任、同年~26、31~43年まで指導に関わっていた。一方、室内楽では、Pfエドウィン・フィッシャー、Vcエンリコ・マイナルディと三重奏を演奏していたことが知られている。クーレンカンプはナチス政権下、メンデルスゾーンの協奏曲を演奏するなどして、一定の距離感を持っていた。当時、アドルフ・ブッシュは反ナチスを表明してアメリカに去るなど、きわめて厳しい状況ではあったのである。協奏曲においてカデンツァでは、ヨアヒム、クライスラーなどユダヤ系の音楽を実演していたのである。1944.11/14に尊敬するカール・フレッシュが没すると、その後任としてルツェルン音楽院教授に就任、引き継いでいる。1948.9/22が彼の最期のスイス・リサイタル、13日後にチューリヒ、50歳の若さで永眠することになる。1937.11/25、そのころ発見されたシューマンの協奏曲ニ短調のドイツ初演をラジオ全国中継、レコーディングを果たしている。
 フルトヴェングラーとの共演は35年にブラームス、39年にベートーヴェンの協奏曲を演奏していて、三度目の共演がシベリウスということになる。43年2月の演奏は、そのよう状況下で、精神性、緊張感の高い孤高の録音になっている。第三楽章にヒヤリとする場面もあるのだけれど、弱音演奏の時、ブレスする鼻息はオンマイクで生々しく、管弦楽のベルリン・フィルの演奏も、壮絶である。K氏の独奏は格調が有り、骨格が極めて大柄、歌謡性、ヴィヴラートも適度で過不足なく、下から上へあがるポルタメントも、時代を感じさせていて、しかも、くどいものではなく哀しみ表現として、極上である。英国ユニコーン盤もグッドコンディション、音楽の表情を隅々まで記録していて、力があるLPレコードといえる。
 つくづく、大戦時の貴重な記録であり、悲惨な戦争の記憶として味わい、肝に銘じることの多い音楽ではないのだろうか・・・・・

 彼はいい人だ、というと彼の人間性を指す断定の文である。ところが、彼は人がいい、と言うとき少しニュアンスが異なる。良い人なのだけれど、トラブルになる時に使われることである。文というものは、言葉面が同じであっても、用いられ方で意味がそれぞれであるから、その微妙な違いに気を使う必要がある。
 ベートーヴェンの作品番号はopオーパスで表されるのだが、彼の場合、WoOという作品番号無しの作品もある。それは1795年以前のものと、それ以後でも未発表や未完成作品によるものがあるからなのだ。後世に整理されていて205まである。作品番号1は、ピアノ三重奏曲三曲、第一番は変ホ長調。ピアノ、ヴァイオリン、チェロのための作品である。1969年12月、70年1月録音になるEMI盤、ジャクリーヌ・デュプレのチェロ、ピンカス・ズッカーマンのヴァイオリン、ダニエル・バレンボイムのピアノ。
 ジャッキー(デュプレ)1945.1/26~1987.10/19は、1961年3月1日ロンドン、ウィグモアホールで正式なプロデビューを果たしている。ビートルズの正式レコードデビューは1962年10月。戦後、新しい時代の胎動といえるかもしれない。ところが彼女の活動は、1971年頃から体調不良に陥り、1973年多発性硬化症と診断されて、リタイヤすることになる。折しも来日公演は実現されずに夢となった。彼女はバレンボイム指揮盤でナレイションを残している。天才少女の記録は、サー・ジョン・バルビローリ指揮1965年、エルガーのチェロ協奏曲が有名。68年シューマンのチェロ協奏曲、指揮バレンボイムは新婚ホヤホヤどきのアルバムで文字通り、熱演の記録となっている。
 B氏のピアノトリオ全集はズッカーマンのヴァイオリンを得て完成され、緻密なアンサンブルを聞かせる。バレンボイムのピアノ演奏が中央にセッティングされ、堂々としている。グランドピアノだからなのだが、作曲当時のフェルテ・ピアノという楽器と味わいは、多分異なるだろう。だからというわけでもないけれど、楽器の配置として、スピーカーの左側から、ヴァイオリン、中央にチェロ、右側にピアノというものをイメージするのが、作曲者のものと考えられる。バレンボイムよりは、ジャッキーのチェロを中央にセッティングしたいのである。レコードでは、左右にズッカーマンとジャッキーが展開してい、真ん中にバレンボイムがいることになっているのは演奏風景の写真。ステレオという定位、ローカリゼイションの感じられる録音では、中央に何が必要か? よく勘案する必要がある。すなわち、なにも考えないのはモノーラル録音と言うべきで、ステレオ録音はそこのところ、面白味があるといえる。作曲者はヴァイオリンのピッツィカートとピアノとの対話を設定しているから、そこで左右感がチェックされているのであるまいか? ステレオ録音はそれを表現できるのだから、盤友人はそこを指摘しているまでである。
 ある意味、ジャッキー晩年の録音であり、味わい深いものがある。彼女の内面で不調の予感があったのかもしれないが、うかがい知れないところではある。ストラディバリウスの名器は滑らかな音色を披露していて、クレジットはないのだけれども、美しい演奏である。彼女最期の記録は、ショパンのチェロソナタ、バレンボイムのサポートでペレッソンというのが使用楽器とされている。
 室内楽は、合奏でアンサンブルといわれるもの、ここでは楽器同士で対話が行われていて、表と裏の会話が楽しまれる。これは二重奏と異なる味わいであり、チェロは重要な役割を果たしている。音楽は感性の世界で、結果を求められのではあらず、時間自体を味わう、異なものである・・・

 モーリス・ラヴェル1875.3/7シブール~1937.12/28パリは、健康上の理由により実現されなかったアメリカ演奏旅行の時に、ピアノ協奏曲ト長調を作曲、1932年1月14日初演されている。作曲者自身の指揮、女流ピアニスト・マダム・マルグリット・ロン1874.11/13ニーム~1966.2/13パリ没、ラムルー管弦楽団による。一説によるとSP録音時の指揮は、ペドロ・デ・フレイタス・ブランコという情報もある。ここでは、パテマルコニー・リファレンスのLPレコードを鑑賞した。 マルグリット・ロン夫人は、1903年パリ音楽院ピアノ科教授に就任している。フランス・ピアノ界の大御所、1943年ロン・ティボー国際音楽コンクールが開催されピアニスト、ヴァイオリニストの登竜門として有名、ちなみに第1回ピアニスト第一位はサンソン・フランソワが獲得している。
 フランス製エラールを愛奏していて、みやびやかな音色に豊かな量感を披露して、天衣無縫のテクニックを発揮している。協奏曲の開始はなぜか、パチンという音を発する打楽器「むち」をイメージさせる冒頭の第一楽章アレグラメンテ、快活に、喜んで。ピアノの装飾的な音楽、トランペットの極めてむつかしいパッセイジ、諧謔的な賑わいの様相を呈している。管楽器が活躍していて、その掛け合いは、精密さの追求が前提となっている。これを指揮するのは、精神の強靭さを証明するようなもので、これを実現して天狗になっていては、様にならない。逆にプレーヤーに対する謙虚な姿勢が、作曲者の意図のような気がする。すなわち、ラヴェルはここで、演奏家の熾烈な格闘をあらかじめ予想して、その成功、成就感を狙っているかのように思われてならない。作曲を心底楽しんでいるのである。スイスの精密時計といわれる所以である。
 第二楽章アダージョ・アッサイ、充分に緩やかに、ラルゴは幅広くひじょうに緩やかに、だから、遅すぎない緩やかさが求められる。ピアニストは左手で8分の3、右手で4分の3の旋律が演奏される。開始は大体150秒なので2分半ほど独奏者だけで演奏され、次第に管楽器弦楽器と加わり、春の野辺、日光のまぶしい風景が目に浮かぶようである。ここは、モーツァルトK467、ハ長調協奏曲の第二楽章が下敷きになっていて、本歌取りである。二流の作曲家によると、下敷きがある場合、持たれる感じがすることになるところを、ラヴェルは流石に、その上を飛翔している。まるでラヴェルの微笑みのポートレートといえる。
 第三楽章プレスト急速に、ジャズ的雰囲気の音楽を導入した自由なロンド形式。木管楽器と金管楽器の掛け合いは、スリルに富んでいて聴きもので、その舞台の前列でピアニストは軽快なフレーズを披露する。ピアノ協奏曲の定番といえば、そうなのだが、プレーヤー達はいつ脱線事故が起こるか分からない中で、大団円をむかえるのだから、危険を潜り抜けた歓びは、演奏者にしか感じられない興奮で、でも、それを聴衆はその展開に立ち会う喜びはある。レコードではそこのところ、缶詰になっているところで、演奏会に敵わない。レコードはあくまで記録、それを再生するのが歓びなのだからアナログ世界は、独奏楽器の鳴りっぷりを追求する。
 モーツァルトやベートーヴェンの古典的世界から、リストの即興性を拡大したピアノ音楽を経過して、その百年余り後のラヴェルは、装飾的ともいえる音楽の作曲に到達している。即興性を楽譜化したところに装飾的な音楽が展開して、それをさらに即興性にまで高めたというのがラヴェルの音楽なのではなかろうか ? マルグリット・ロンのピアニズムは、歴史の一頁に不滅の記録として不動である。

 1976年5/24~26ウィーン・ムジークフェラインザール録音、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルのドイツ・グラモフォン盤、冒頭、まろやかなギュンター・ヘーグナー?のホルン独奏にみちびかれて、マウリツィオ・ポリーニのグランド・ピアノの雄渾な演奏が次に続く。ウィーン製のベーゼンドルファー・インペリアル。ブラームス作曲ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83はあたかもピアノ独奏付き交響曲の雰囲気を持つ。四楽章構成で、通常は三楽章形式なのに、熱情的な第二楽章をはさんで、緩徐楽章である第三楽章はチェロ独奏で開始される。
 ふと録音の順番を考えた時、第二、第四そして第一と最後に第三楽章という具合に想像した。第二楽章は力感に溢れていて、始めに取り組み、仕上げとして第三楽章を録音したのではあるまいか?というのが盤友人の見立てである。録音のセッションは時として、始めに力仕事をもってきて、気力勝負の音楽は余力をたくわえて後に回すのが、その様に思われるのである。ポリーニ1942.1/5ミラノ出身で現役最高のピアニストの一人で34歳の時の演奏。指揮者クラウディオ・アバド1933.6/26ミラノ~2014.1/20ボローニャ没は、56~58年ウィーン音楽院ハンス・スワロフスキーの門下生。1963年ニューヨークのミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝、二位はズデニェク・コシュラー。65年ザルツブルグ音楽祭、マーラーの「復活」でウィーン・フィルとのデビューを果たす。66年VPOとベートーヴェン交響曲第7番をデッカ録音している。
 ポリーニは1960年ショパン国際ピアノコンクール、審査員全員一致しての優勝を獲得。当時の審査委員長アルトゥール・ルービンシュタイン、私達審査員の中で彼以上にうまく弾ける人はいるだろうか?驚嘆のコメントを残したと伝えられている。以後思索と研さんに励むため、舞台から遠ざかり1968年秋ロンドンのコンサートデビューにより、再起して大成功を収める。1974年初来日。モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンからシェーンベルク、ノーノ、ブーレーズなどコンテンポラリー前衛音楽までレパートリーは幅広いものがある。 ブラームスはピアノ協奏曲を二曲ものにしていて、第一番ニ短調作品15は1858年頃25歳で作曲、悲劇的な色調の開始で二年前、シューマンが死去していた。第二番変ロ長調作品83は1881年48歳で作曲、三月には第二回イタリア旅行をしていて11/9にブダペストで初演されている。ここでは明るい感じが支配している中、第三楽章ピウ・アダージョで79年作品86の6歌曲死の憧れが用いられている。その頃フォン・ヘルツォーゲンベルク夫人には、一つの小さなピアノ協奏曲を作曲したと告げているのは、彼一流の皮肉である。
 この第2番は1967年バックハウス独奏カール・ベーム指揮したV・POのゾフィーエンザール、デッカ録音はチェロ伴奏、エマヌエル・ブラベッツでポリーニ盤はロベルト・シャイバインというクレジットがある。オーボエ奏者に注目すると、前者はカール・マイヤーホーファー、後者はゲルハルト・トレチェックというウィーナーオーボエの歴史が感じられる。大家バックハウスもさることながら、ポリーニの独奏盤は青春の気力横溢した音楽がみなぎっていて低音域に注意していると、チェロやコントラバスの音楽に、ポリーニの左手が勝負をかけていて、印象的である。その量感は雄大で、うまくLPレコードを再生出来た時、深い共感を覚えるから嬉しい事限りない。
 クリケットレコード店長のきめ細やかな応対でこのLPレコードをゲット入手できるのは、またとないチャンスと云えるかもしれない・・・まさに一期一会 !