🎼 千曲万来余話 by盤友人

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 二十数年来、人様から頂いたコーヒーカップを口にしていて、その縁(ふち)の感触というか、口当たり素晴らしいのが一瞬間、感じられたことがあって、ああ、いい感覚だなあと思ったことがある。滅多にない経験で、すなわち、当たり前であったことを異なった感触に気づくという経験で、深く、心動かされてしまった。これは、オーディオの世界ではよくあることで、当たり前とスルーしていたことに対して、違った感覚に気づくことは、貴重である。
 いい音とは何か、などという疑問は、答えは一通りではあらず、装置にスイッチを入れるときはいつも、わくわくしてしまう命題であろう。今まで、何、この音という感覚で聴き過ごしていたレコードも、たとえば、札幌音蔵のアクセサリー、スタビライザーという木製品のスペーサーを上手に利用してグレードアップを図ったおかげで、以前聴いていた感覚と、特別な再生音に変化していて、驚いたことが最近の歓びである。
 ジャック・ティボーのSP盤で、1905、1916、1917年フランス録音されたものを聴きなおし、その違いを鮮明にして歓びは一入であった。ティボー1880.9/27ボルドー~1953.9/1バルスロネット近郊(飛行機墜落事故による)は、日本人にとってSPレコードで広く愛好され、実際の演奏会でも接した稀な名演奏家の一人。歴史上伝説のヴァイオリニストであり、我々にとってはSP復刻レコードで記録再生できる存在、それを、上手に再生することは、オーディオの醍醐味である。
 オーディオ業界の宣伝文句で、眉唾物のコピーは数々あるのだけれど、音は最近のものほど目も覚めるような音と言うものがある。それは、真っ赤なウソ。ティボーのSP復刻盤、一番魅力ある録音は1905年のものこそ極上音楽である。少し再生して分かることは、ヴィヴラートとポルタメントの掛け具合、基本的にヴィヴラートは抑制気味のうえで、1916年と1917年録音盤にないものは、ポルタメント奏法である。旋律がキイの高い方を目指していて途中、下降音がある時ポルタメントがかけられる。いつもかけられるのではないのだが、これは、一時代まえの演奏スタイルで、二十四・五歳のときには記録されたもが、十年の後では、演奏されないスタイルで記録的に貴重な経験である。
 いい音とは何か?答えるのに一通りではあらず、様々な答えがあるのだが、盤友人としては、ここで、SP復刻録音LPレコードで楽器の音圧状態をと指摘したい。1905年物は、極めて、明瞭に楽器の鳴りが鮮明な情報で再生される。もう一言いうと、ヴァイオリンが高音域の時、表面の板が振動していて、低音域は裏板が豊かに共鳴している。これは、よくある経験ではないというか、そんな再生に出会う経験は稀である。ティボーの演奏は、すでに、最初の録音で成し遂げていた演奏である。なぜ、ポルタメントは封印されたのであろうか?思うに、時代の問題なのであろう。多数の演奏家がそのように、演奏するからそのようなスタイルへと移行したものなのだろう。趣味の問題で、再生する側として、アナログから、デジタルへの移行に似ている。良しあしではなくて、そのような傾向へと推移してったのであろう。現代のバイオリニストが、もし、復活させたら?とありえないことを盤友人は想像している。すなわち、レコードの世界にしか求められないことである。
 ジャケット写真、よく見ると、楽器ケースの内側には、弓が四、五本目にする。これは、何を意味することであろうか。多分、これまで発信した疑問に対する答えが、情報として混ざっているに違いないだろう。いずれにしろ、SP録音から再生すべき情報は無限なのである。

 北海道震災から一週間が過ぎて亡くられた方は41名を数え、まことに痛ましい惨事となってしまった。
 未明3:08、M6.7の大地震、そのメカニズムを想うに、核であるマグマを包む固体の中層部マントル、それを包む地殻、卵で云うと殻に当たる部分でプレートのヅレによるヒズミの連動が考えられる。その日は月の出が00:53、月齢は26.1で下弦から三日目にあたる。東側に向くと月、地球そして太陽が列をなしていて、地球自体にひねりの圧力が加えられた状態になっていたのだろう。2011、3.11の東日本大震災の日は、月齢6.3で大潮に当たっていた。新月から二日目ということは、太陽、月そして地球という一列で、ひねりが加えられ始める状態であったように考えられる。太陽、地球、月が一列の時は満月でテンションは極限、比較的安定しているのだけれど、新月から上弦に向かうときとか、下弦から新月に向かうときなど、地球に対してひねりが加わっているというテンションに注意したい。いずれにしても、犠牲になられた方々、被災された方々にはお悔やみ、お見舞い申し上げます。
 地震後、昨日に初めてオーディオに電気を流してみた、盤友人はワルプルギスの夜の夢が聴きたくなったのだ。ベルリオーズの幻想交響曲。標題音楽の典型で、ロマン派ならては、作曲者の世界はおどろおどろしい闇夜を体験させてくれる。特に、1959年頃録音になるRCA盤、ピエール・モントゥー指揮、ウィーン・フィル演奏するものを再生する時、弔いの鐘には衝撃をあたえられる。映画評論などでは、ネタばらしと言って嫌われるのだけれども、今から六十年近く前の録音盤で未聴の方もおられようけれども、それはそれとして、始めの一撃は普通でも、三打目の音は、音程間隔が下の方に広い音になっている。つまり、深く感じられて、一瞬虚を衝かれることになる。不気味な感覚といえばそれまでなのだが、そういわれていても、聞いてみるとよく味わうことになる。一瞬、深みにはまるのである。
 夢と情熱、一人の青年は、美しい彼女の姿に胸を奪われる。舞踏会で、再会。野の風景では孤独、そして遠雷、彼は断頭台への行進を体験し、ギロチン斬首の上にそれは転げ落ちて、あたりは魑魅魍魎の跋扈するワルプルギスの夜の夢、という具合に50分ほどの交響曲である。
 音楽をプログラムで語るとは、文学でもあるまいに、音楽は、管弦楽のそれ自体こそ鑑賞すべきであって、言葉の格下のにあたる芸術ではありえない。言葉はイメージのツール手段であり、それに囚われることは芸術の鑑賞としていかがなものか?ということは充分承知の介、レコードを再生する。  モントゥーの弦楽器配置によると、左スピーカーでは、第一Vnとアルト、右スピーカーではチェロ、コントラバスそして第二Vnが展開する。全体として、第一と第二ヴァイオリンの掛け合いは、一聴に値する。先日、NHK-Eテレでオンエアされた、サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィル、フェアウエルコンサート、マーラーの悲劇的交響曲の弦楽器配置もそのようであった。ラトルはこの後ロンドン交響楽団の音楽監督就任が決まっているという。1960年代前半LSOのシェフはピエール・モントゥー、単なる偶然なのであろうか?ラトルが、音楽監督を司っていたBPOを後にするにあたり下した結論はモントゥーの楽器配置と一致したのであったという事実、盤友人にとってきわめて興味深い。
 アンセルメ指揮芸術において、第一と第二Vnは左スピーカーに束ねられていて、周知のごとく、二十世紀後半の多数派。それに対してモントゥーは第二Vnを右側に配置した展開。鑑賞する方としては、一体、どちらが興味あるのだろうか?お尋ねしたいものである。

 ゆらゆら、ゆらゆら、ばしゃばしゃばしゃ、ごごごご、という具合で二~三分くらい長い揺れ方、未明の地震だった。9月6日午前3時08分頃、眠りを覚ます震度5強の震度で、その規模は続いた停電で知らされた。消えては付き、そして消えてという停電の仕方は、尋常ではない経験だった。あとで、伝えられた胆振東部地震、震度7、マグニチュード6.7、震源の深さは40キロメートル。その後、道路のいたるところで、信号機は点灯しない状態が二日間続いた大停電であった。
 被災された方々に心よりお見舞い申しあげますとともに、一日でも早く通常の生活を取り戻せますよう切に願います。

 さて、地震の前日のことですが、ふと、ベルリオーズ、ワルプルギスの夜の夢が聴きたくなり、アンセルメの録音盤に手が伸びた。1883.11/11ヴヴェイ生まれ~1969.2/20ジュネーブ没、1968年6月来日公演を果たしている。幻想交響曲作品14、スイス・ロマンド管弦楽団の演奏、スイスはフランス、ドイツ、イタリア、ロマンスという四つの使用言語地域に分かれていて、フランス語地域をスイスロマンドと言う。数学者でもあったアンセルメはパリ、ソルボンヌ大学にも籍を置き、エルネスト・ブロッホには作曲法を学んでいた。1918年秋に、スイスロマンド管弦楽団を組織して1966年まで常任指揮者に就任、1967年に後任はパウル・クレツキ。その頃のデッカ録音に、幻想交響曲がある。
 第一楽章、夢と情熱、輝かしい弦楽器の音色に驚かされること受け合いである。明るい音楽の第二楽章舞踏会、第三楽章野の風景、静かで穏やかな情景、そして遠雷、 第四楽章、断頭台へ行進、第五楽章ワルプルギスの夜の夢、クライマックスは音楽が低音へと推移していき、やがて最低音、そこで鳴り響く弔いの重低音となる鐘の音へとつながる。舞踏会を過ぎた緩徐楽章でのコントラバスの量感を経験して、誘導された音楽は、おどろおどろしい複雑怪奇な姿を現す。管楽器のけたたましい音楽、ブラスの彷徨。弦楽器にによるグロテスクな音色などなどと1830年作曲、初演された音楽としては本当に前衛のフランス音楽として本領を発揮している。
 ベートーヴェンの音楽の中では、古典主義の骨格、そしてロマン派の萌芽が既に内包された音楽になっていた。彼は、形式を土台として精神は、進取のロマン派の音楽であったところが、ベルリオーズ1803~1869の音楽は、純粋なロマン派の音楽として君臨したのであった。メンデルスゾーン交響曲第二番変ロ長調作品52讃歌の初演は1840年のことで、当時の年表をひもとくとワーグナー1813~1883の活躍を始める時期と重なることが分かるのは、興味深い。
 アンセルメの音楽、その指揮芸術というと、管弦楽の音色に対する趣向であろう。モノーラル録音時代から、近現代音楽に造詣が深く、ストラヴィンスキーとの親交などからうかがえる如く、きわめて繊細に表現していたことが特徴的である。それは、一定のテンポ感、すなわち、アゴーギグ緩急法としてそちらの注意は、あくまで、一定のものである。その上での音色感に対する指向は、普通以上の注意力と云える。デッカ録音の特徴として、中低域の量感にあり、その上で高音域の華美な音色が印象的と云える。最後の録音が、ニューフィルハーモニア管弦楽団との、ストラヴィンスキー作曲した火の鳥。これは、アンセルメ指揮芸術の総決算であり、幻想交響曲はそのすぐ前の仕事であったのは、決して単なる偶然というものではない。そこのところの評価がスルーされると、凡庸な音楽として片づけられるきらいがある。アンセルメの指揮はしたたかで格調高い音楽、最近では聞かれないものである。

 1956年3月ライプツィヒでのライヴ録音、モーツァルト、プロコフィエフ、ドビュッスィ、リスト、クープラン、そしてラモーというラインナップ。
 彼女はパリ音楽院でラザール・レヴィに師事している。近現代音楽をレパートリーとして、コンサートではオーケストラとの共演やリサイタルに活躍していた。1909.10/20パリ出身~1987.6/9パリ没という生粋のパリジェンヌで、ライプツィヒでのライヴは当時、共産圏での演奏会というから異色のソースでその拍手などからでも、暖かい雰囲気が伝えられてくる。
 モーツァルトK330を聴くと、ハスキルと同じ感覚が伝わってきて、フレンチピアニズム、スクールが同じことを実感する。こういう音楽を再生すると嬉しくなるのは、モーツァルトという幸福の共有であり、女流ならではの世界か?と考えさせられてしまう。ただし、ギーゼキングなどの経験を振り返ると、つくづく、その違いこそ、微妙な味わいからして、一刀両断する無意味が想像されて、評論するその意味を考えさせられるというか、評論家を評論できるリトマス試験紙としてのM氏音楽の天才性を、指摘しておきたい。男性や女性、そして猫が鍵盤を踏んじゃっても音は同じではあるが、猫は音楽を演奏できるわけがないことを思い知るべしということだ。音と音楽の違いはそこにもある。
 プロコフィエフ1891~1953は、ロシア出身で、ソヴィエトから亡命を選択、そして祖国に永住する決意を実行した作曲家。1918年来日経験もあり、近代音楽の代表である。第7ソナタ変ロ長調作品83は、戦争ソナタ1939-42年作曲として中でも演奏回数の多いもの。ハイドン風の古典的性格からシューマン的抒情という二種類の音楽的感情を混成していてモダニズムの面白い音楽である。アースの演奏は、きびきびしていて、一本筋が通ったプロコフィエフに仕上がっている。東ドイツで披露した演奏、ピアニストとして、本領発揮した録音である。
 モーツァルト、プロコフィエフと聴いた後に、ドビュッスィを耳にするとき、彼女のピアノ演奏が出色の出来栄えであることを実感させられる。ピアノという楽器が、その性能を遺憾なく発揮している。ピアノからフォルテまで縦横無尽、何より、色彩感が一杯であることに異論をはさむ余地など無いのである。地味な音色、倍音の充分な味わい、それが働かせる感性の世界は、ピアノ音楽の醍醐味であろう。一般的に、スタインウエイという華麗な音色に慣れている耳にとって、この録音で聞き取れる音色は、渋い。ベヒシュタインの可能性が感じられる。すなわち、クレジットが無いから断定できないのではあるけれど、このディスクの後に、別な録音LPピアノ演奏レコードを再生すると、すぐ、実感できるから、盤友人としては、ベヒシュタインの音色であるのかな?という指摘にとどめるほかはない。香るような倍音世界は、ドビュッスィの一手専売、ピアニズム発揮の独壇場である。映像集第一巻、水に映る影。
 それに続くリスト、演奏会用練習曲第二曲、軽やかにクワズィアレグレット1848?頃作曲した音楽を耳にすると、ああ、リムスキー・コルサコフは、1900?頃にサルタン皇帝の物語で間奏曲、熊蜂の飛行を作曲したアイディアでオリジナルの感覚を受ける瞬間に気づく。
 クープラン、ラモーの鍵盤楽器のための音楽こそ、フレンチピアニズムの生粋。つくづく、モニク・アースがピアノの使徒として、ヨーロッパで活躍した片鱗をこのLPレコードで再生できる喜びは何にも代えがたいものがある。
 ピアノの余韻から、倍音の世界を経験して、その世界を再生するこそ、アナログレコードの使命であり、キングインターナショナルのリリース…

 ディスココープという非正規録音盤LP、1954年8月30日ザルツブルグ音楽祭、ウィーン・フィルによるレコードをじっくり聴いた。当時、F氏は聴力の劣化に悩まされていて、周囲との会話にも苦労していたという話がある。しかし、演奏には微塵も悪影響など感じられない、雄渾な演奏が記録されているから驚きである。不滅で、入魂のベートーヴェン演奏の代名詞と云える。
 ベートーヴェンは、生涯に全十六曲の弦楽四重奏曲を完成している。特に、作品95セリオーソまじめに(標題ではない)以後13年ほど、カルテット作曲から遠ざかり、第十二番作品127から二年間で五曲完成している。その作品130でフーガは終楽章にあたり、後に単独で大フーガ変ロ長調作品133とされた。ロシア貴族ガリツィン公からの依頼で第12(作品127)、13(作品130)、15(作品132)番が作曲されている。作曲順でいうと、12、15、13。第十四番は7楽章形式。第十三番は全6楽章形式。第十五番は全5楽章だ。そして第十六番ヘ長調作品135はB氏56歳の年の作品、最後の大作となっている。
 大フーガは第十三番として作曲されていたにもかかわらず、作品の巨大な性格から単独出版されていて、ここでは、弦楽五部による五重奏曲として成立している。コントラバスが6丁使用されていた時、チェロ8、アルト10、第二Vn12、第一は14として、50人編成の規模となるのが通例。ディスココープ盤は非正規録音であるために、コンディションは、最低である。ただし演奏テンションの度合いは最高と云える。わずか、20分前後演奏は、空前絶後の境地に到達している。
 フーガ前半の部分は、第一Vnから第二Vn、アルト、チェロ、コントラバスと横一列並びが想像されて、窮屈感がひしひしと横溢している。すなわち、そこのところでVn両翼配置の場合、指揮台の左右に音楽が整理整頓されて、コントラバスが舞台下手でもチェロ、第一Vnと、音響が確立されたとき、舞台上手側にアルト、第二Vnが展開されて、作曲者のパレットの思い通りであろう。
 演奏が進むうちに、ウィーン・フィルのメンバーはヒートアップ、どうなったのかというと、舞台上上手のコントラバスを中心線として、チェロとアルト、第一と第二Vnの間の境界線が出現したかのように、舞台下手側に向かって、左右展開されて音楽は整頓を見ることになる。雄大なフルトヴングラー指揮芸術が、貫徹される。ウィーン・フィルとF氏の壮大なドラマの記録となる。
 いうまでもなく、ベートーヴェンの音楽は、単なる聴覚障害というハンディキャップを克服したことにとどまるのではあらず、生きる意志発現の作品である。ムス エス ザイン? エス ムス ザイン! かくあらねばならない! という発信は、音楽芸術の底辺に脈々と流れていて、弦楽合奏の傑作として成立、ここにフルトヴェングラーの記録はディスク化されたといえる。
 コンパクトディスクによる音源もあろうかと思われるのだが、基本的にLPレコードの価値を思いいたすがよいだろう、熱気が再生されるのである。デジタルソースでは、再生不可能な世界である。
 つくづくF氏のレコードを求めていると、こういう世界に出会い嬉しい。これは、F氏の実演によりB氏の音楽を再生する歓びとなる。心が折れそうになった時、暗闇の世界、そこに音楽を聴く。アナログソースには、高価な費用対効果が、必要とされているがその上の話で、ヴィンテージオーディオには、約束された世界が広がっている。この地平には、ウィーン・フィルハーモニカー、フルトヴェングラー、そしてベートーヴェンと、それを愉しむ人々との一体感こそ、求めるべき音楽なのであろう。

 その日の夕方、いつものように盤友人はトミー館に足を運んだ。札幌音蔵のはす向かい、栄通にある喫茶店で、マスターはコーヒー焙煎の求道者、苦味や酸味を自在に引き出す味のアーティスト。昔、10年近くマンデリンばかり飲み続け、その後10年以上酸味系のキリマンジャロとか味わっている。今回出会った味は、コロンビアで焙煎に違いがあるという。お客さんが持ち掛けた話で、珪藻土を使用して遠赤外線効果を高め、酸味の引き出しに成功したという。今年一番のショックを覚えた味わいだった。コーヒーもオーディオと同じく、奥が深いとマスターは口にする。二十年以上通い続けても、日々新たし、魅力たっぷりトミー館である。
 キングインターナショナルは、新しい音源のLPレコードリリースの快進撃を続けていて、嬉しいことこの上ない。この度、スイス放送協会提供による、ヨハンナ・マルツィ1976.11/30録音、バルトーク、ラプソディ狂詩曲第一番、モーツァルト、ヘ長調K376クラフィーアとVnのための奏鳴曲ソナタ、シューベルトのデュオという二枚組。  バルトークを始めに聴くのはしんどい、と思いモーツァルトから聴き始める。なんと、その輝かしい音色が耳に飛び込んでくる。彼女の特徴は、ヴィヴラートという音の揺らぎにある。深いヴィヴラートに彼女の面目が表れていて、出会えた喜びはひとしおである。
 その音色こそ1950年代のDGドイツグラモフォンとか、EMIのレコーディングに記録された歴史ある歓び、といえる。モーツァルトのディスクは数あれど、その歓びに出会えるかと言うとさにあらず、通り一遍のものが多数である。そんな中、マルツィのLPレコードは、今まで求め続けた努力に報いるというか、出会うべくして出会えたというか、求めていたからこそ出会えたという醍醐味は飛び切りである。
 これまでは、モノーラル録音が主体であったところ、今回はステレオ録音、その違いは何かと言うと、ジャン・アントニエッティではなく、イシュトバン・ハイデュというピアニストの違いに負うところ大である。モノーラル時代が格下なのかというと、さにあらず、アントニエッティも立派な演奏で披露していた音楽も、ハイデュの演奏は風格ある、格調高い音楽を提供していて、聴きどころ満載である。バルトークのラプソディ第一番など、民族色を遺憾なく発揮していて、舞曲のリズムなど生命力にあふれている。すなわち、音楽の幅が、古典派ロマン派から民族楽派に至る幅を見せて、彼女のバイタリティの拡大を記録している。ルーマニア出身でマジャール系のマルツィの魅力を、引き出すことに成功している。
 板倉重雄氏によるライナーノーツ、力のこもった愛情の上にマルツィの芸術を語り、その魅力を伝えていて充分である。盤面割も余裕があり、高価なレコードでも、その価値はそれ以上である。ステレオ録音ということは、定位ローカリゼーションが左右感を表現していることである。モノーラル録音でも、オトカズは限られているから、それほど不足感はなかったのだけれど、ステレオ録音という臨場感は、一味、魅力があるというもの。キングインターナショナルの宣伝文句に、偽りはない。それは、現在に引き寄せるリアルタイム感の表現でもある。ああ、マルツィが目の前で演奏している感が横溢、彼女が生きている感が、さらに増して幸福感を与えてくれる。この上ない至福のひと時とは、このディスクの再生に相応しい。
 彼女のプロフィール写真はどれも、美女感あふれているのだが、実際は・・・煙草を愛し、声質も低く、カール・シューリヒトのCD集に付属したDVDを観たことがある・・・まあ、いいやfine

 モーツァルトは14歳にしてベートーヴェンが誕生した1770年に初めて弦楽四重奏曲を作曲する。B氏が作品18で取り組み、それより以前の作品3変ホ長調では、弦楽三重奏曲を発表。作品9や作品8ニ長調のセレナーデで次々とトリオを完成している。ここでは、アルト=ヴィオラやチェロが重奏の旋律を受け持つ能力を発揮し、音楽として高めている。
 ここでは、レコードを再生する歓びとして、楽器の定位ローカリゼーションについて考えてみたい。楽器の配置である。マイクロフォンは、チェロとアルトの位置関係を表現することはできるのであろうか?
 ヴァイオリンは楽器の構造からして、f字孔という音響を発信する部分を聴衆に向けるために座席は決定される。そこで、アルトは対面すると考えるのは自然というもので、作曲する上からも、Vnと旋律の掛け合いが試みられている。さらに、チェロはどこに配置されるのがベストなのか?ということも取り組むテーマであり、むつかしい問題である。Vnとアルトと一直線上に並べるのが良いものか?ステレオ録音では、そこのところ、魅力ある問題であり、それは、四重奏の配置を考えるきっかけとなるであろう。すなわち、左右のスピーカーの対話をどのように設定するのか?という問題なのである。左スピーカーがVnというのは、決定的。ならば、右のスピーカーには、チェロなのかアルトなのかという二者択一である。舞台に奥行きというものがあるとするなら、その中央にこそチェロがふさわしく、右側にはアルトがふさわしいといえるのだろう。定位でいうと、Aチャンネル、Bチャンネル、その中央にアルトよりも断然、チェロがf字孔を向けるという設定をするのが正解。だから、レコードの再生にとっては。中央の実体感こそステレオ録音必須の条件であるといえるのだ。つまり、チェロの前でVnとアルトの対話が感じられる再生音こそ、求めるステレオ録音だ。
 ここで、ブラームスの生きていた時代、ヨーゼフ・ヨアヒムの弦楽四重奏の絵画を目にする。Vnの内側には、チェロが配置されている図。すなわち、ヴァイオリン・ダブルウィングという言葉が前提とする、第二Vnが右側上手配置の決定的証拠である。
 ここで、舞台を直線一列に考えるのが、第一、第二Vn、アルト、そしてチェロという配置。ところが、舞台に奥行き感を醸し出す、中央にチェロとアルト配置、そしてVn両翼配置を設定するのが、作曲者の理想とする配置であろう。このように考えを巡らせるレコード再生こそ、いい音の条件であり音楽の魅力とは、演奏する意思の発現こそ目指す境地である。すなわち、音にではなく音楽のために、オーディオは有る。
 四十年近くオーディオの道を歩いてきて、最近つくづく良い音とは、音楽の再生であって、演奏者の音楽性こそ、魅力なのであるという実感である。いい音とは、それぞれのスピーカーは表現しているのだから、スピーカーの数ほどいい音は有る。ところが、どれだけ演奏者の音楽性が表現されているのかというと、疑問である。キレイだという音は多数あっても演奏家の音楽性を表現している再生音は数少ないと云えるのだろう。B氏の弦楽三重奏曲は、どれも、演奏者の気迫が乗っていてこそ聴き映えがする。当たり前というとそうなのだが、それは決して演奏スタイルの問題ではあらず音楽の魅力の問題と云える。演奏の問題でもあり、再生目的の問題でもある。それを的としないオーディオは、未来の無い世界であり、音楽追求こそ的として普遍の価値を持つ究極である。ベートーヴェンは、作品発表の順番として、そこのところをしっかり解決していたといえるであろう。

 大福というもの、種類は一つだけではなく、こしあん、つぶあんなど大ざっぱに云って二種類はある。何を言いたいかというと、こしあんだけが大福かというと大違いで、粒あんを賞味してその男性的な、ワイルドな味に舌鼓を打つことになる。甘いという一色も、そこに塩梅、塩ぐあいというものがありそれは、こしあんだけでも充分なのだが、そこに粒つぶ感が加わると、世界は奥行きを与えられるというものである。濾すということは、その小豆の殻を取り除くものなのだけれど、その行為は純粋さを目指す。ただし、多様性は無い。ヴァイオリンというと、一色なのだけれど、第一と第二という音域で低音域を演奏する第二ヴァイオリンがあるように、この二種類は、味わいが深い。云ってみると第一は女性的でも、第二は男性的音域の音楽である。粒あんは男性的だ。
 ピアノは猫が踏んじゃっても、女性が弾いても男性が弾いても、音はピアノという楽器だから、みな同じピアノ、と言い切るのは、浅はか千万でピアノの音楽は、音一つだけではあるまいに、タッチというものでは女性的、男性的と云えるではないか?すなわち、ピアノは多様な音色を愉しむ、奥深い世界である。だいたいピアノというものは、本来ピアノフォルテと言った如く、二種類の音色を指すものを、ピアノだけで云うのは、片手落ち、フォルテをお忘れなく・・・ということだ。モーツァルトの時代は、クラヴィーアで鍵盤楽器というのが通例で、ヴァイオリンソナタも、クラヴィーアとヴァイオリンのための奏鳴曲ソナタというのが正解である。すなわち、M氏の世界は、ピアノが主体と云えるだろう。彼のケッヘル番号379ト長調第35番はピアノの演奏が印象的である。
 1992年7月2日、新潟市音楽文化会館、シモン・ゴールドベルクと山根美代子女史による最後のリサイタルが、LPレコードでキングインターナショナルからリリースされた。
 ゴールドヘルクはSPレコード時代から、リリー・クラウスとの共演でモーツァルト演奏の神髄として有名である。彼には協奏曲の名曲を録音していないから、意外に知られていない。彼は1909.6/1ヴウォツワヴェク・ポーランド出身~1993.7/19富山市。1917年名教師カール・フレッシュに師事。12歳でワルシャワデビューを果たし、1925年ドレスデン・フィルのコンサートマスターに就任、4年ほどしてウィルヘルム・フルトヴェングラーの招へいにより、ベルリン・フィルの同地位1929~34年に着任する。1930年にはパウル・ヒンデミット、エマヌエル・フォイヤマンらと弦楽三重奏団を結成しアンサンブルで活躍。そのころリリー・クラウスとも共演している。ゴールドベルクは第二次大戦には、1941~45年にかけて、ジャワ島で日本軍により抑留された経験を持つ。この際、評論家菅野沖彦氏のご尊父が対応されたことは、周知の事実である。そんな彼には、1936年リリー・クラウスと来日経験もあり、1938年にはアメリカデビューを果たしている。1955年には、オランダ室内管弦楽団、音楽監督、指揮者に就任。1969年からはロンドンに居を移しその後ピアニスト山根美代子と結婚、1990年から没年まで日本に居住し、新日本フィル、水戸室内管弦楽団を指揮している。★札幌音蔵の社長KT氏、TY氏は、1992年、ゴールドベルク・ラストリサイタルに足を運んだという。そのライヴ録音が、立派にLPレコード化された。チューニング、音程を下から上に取る取り方、三味線のと同じ感覚で、興味深い。人はよく、ゴールドベルクの音程の取り方の不安定さを指摘することが多いのだが、それはガット弦特有の癖であろう。大変立派な、モーツァルトである。美代子女史は、音楽評論家山根銀二氏のご親戚に当たる。リリー・クラウス、ラド・ルプー1975年コピーライトのモーツァルト、ソナタ全集などを経て、生涯の伴侶とした美代子女史のピアノ演奏は、いかにも、女性的である。フラームスの第一番、第二番のソナタと、ゴールドベルクの剛毅なヴァイオリンとともに、寛いだ感の演奏レコードは、彼の人生を象徴して、意味深いものがある・・・

 ヴァイオリン小品集としてコロムビア正規録音集、SP録音復刻盤がキングインターナショナルからリリースされた。
  SP録音というと再生は、78回転がもっとも相応しい。意外なことに、ノイズよりも信号の情報がしっかりしているために、三分間位は集中して鑑賞が容易である。すなわち、復刻LP録音はノイズが強くて、敬遠される向きが多い。ところが、オーディオのグレード・アップに力を注ぐと、決して、ノイズだけの情報ではないことに驚かされる。良いオーディオとは、そういう努力の上に、獲得される境地ではある。
 甘美なる新即物主義の権化というサブタイトルは、いかにも、コダワリ感が横溢するネーミング、権化と言うよりかは、神髄の方が、尊敬の程度はふさわしいように想われるのだが・・・それはどうでもいいこと、とにかく、シゲティの再生を経験すると、その人のオーディオ人生は、程度が知れるだろう。それくらい、再生芸術の上で肝といえるのが、シゲティのLPレコードといえるだろう。
 針を落とすという言い方は、一般的。ただし、盤友人としては落とすという言い方に抵抗感は大である。針をおろすが相応しいであろう。だいたい、一生懸命という言い方すら、疑問である。一生命のある限りと言うのは変であり、一つの所に命を懸けるというのもオリジナルなのであるから、心ある方は、このような言い方に、心を用いてもらいたい。針を落とすとか、一生(命あるうち)命を懸けるなどという言い方に疑問を感じないのは、片手落ちというものである。一所懸命、針をおろすという言い方感覚のオーディオマニアこそ歓迎したい。
 シゲティ1892.9/5ブダペスト~1973.2/19ルツェルンは、伝え聞くところ、名器グァルネリを愛奏したという。輝かしく、豊麗な鳴りを併せ持つ。これは、ストラディバリウスという美しい音色のヴァイオリンと識別できるのは、再生の目的であって、醍醐味というものである。
 B面のケッヘル番号K304ホ短調のクラヴィーアとヴァイオリンのための奏鳴曲は、1937年3月ロンドン録音、ピアノをニキタ・マガロフがあわせている。この曲を盤友人はハスキルとグリュミオーで聴き始めていて、その演奏の違いぶりに驚かされる。いかにも、新即物主義といわれる所以である。まず、マガロフの男性的なモーツァルト演奏は、興味深い。彼が演奏するのはグランドピアノであって、クラヴィーアといわれるような、古楽器ではない。当然というと当然なのだが、最近では、フォルテピアノといわれる楽器、クリスティアン・ベザイデンホウトなどの演奏するモーツァルトとは明らかに一線を画する。音量のダイナミックスは比較にならない。グランドピアノは、二十世紀の楽器なのであり、フォルテピアノこそ、1778年22歳M氏時代の音楽に近いだろう。ただし、弦楽器もスチールストリングではなくて、ガット弦使用のタイプなのだ。
 SP録音時代の楽器もガット弦使用というのは、押さえておくべき重要なポイントである。その演奏で、よく音程の不安定な状態を指摘する向きもあるのだが、いくらスチール弦がやすやすと音程を確保しても、その魅力はガット弦を超えることは無い。それはマガロフの男性的モーツァルト演奏とシゲティの演奏する肝と一致する。その上で、モーツァルト、ベートーヴェンとメヌエット演奏に続き、ドヴォルジャークのスラブ舞曲ホ短調と聴き進み、思わず膝を叩くことになる。初登場となるストラヴィンスキーのパストラールも、その曲調としての新しい調性感は実に、驚きをもって鑑賞する。
 SP復刻録音再生というのは、むつかしいけれども、それを超えて獲得する再生の悦びは、何にも代えがたいものである・・・

 1952年5月30日ケルン放送交響楽団フリッチャイ指揮、ピアノ協奏曲第19番ヘ長調K459がクララ・ハスキルにとって、ドイツで演奏を始めた頃の出会いだったようだ。その後1953年1月20日、ベルリン放送交響楽団と共演、1955年9月21、22日にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とドイツグラモフォンLP録音を果たしている。
 チャールズ・チャップリンは1953年11月、初めて出会ったクララに、貴女あなたはとても素晴らしく偉大な芸術家ですという言葉を贈っていたという。
 1954年には、フリッチャイと彼の細かい気配りによる指揮で気楽に弾くことが出来、しかも、彼は彼女の弾き方に共感していたようだった。まるで魔法にかかったように突然ピアノで魅力的な歌を花咲かせてくれたというのはF氏の言葉で、共演している時でもクララの演奏を聴く時でも限りない喜びを享受していたとも語っている。
 ハスキル1895年1月7日雪の降りしきる日ブカレストに生まれた。ユダヤ系のイサクを父に、ベルタ・モスクーナを母に誕生している。クララは自宅にベーゼンドルファー、グランドピアノがあり、耳の良さと指使いに非凡な才能を発揮していたという。叔母の名を受け継いでいても、ピアノのレッスンや語学の学習を通して幼少を過ごしていた。そんなクララの無二の存在はディヌ・リパッティであった。ディヌの早逝を乗り越えていて、フェレンツ・フリッチャイやラファエル・クーベリックとの共演、彼女の演奏活動は幅を広げていった。
 ピアノ協奏曲第19番は弦楽五部と木管楽器、フルート、オーボエ、ファゴットそして、ホルンという管弦楽との協奏曲。まるで野原に遊び、小鳥のさえずりと交わす会話のような歌の第一楽章、幸福感の横溢する音楽になっている。フリッチャイ1914.8/9ブダペスト~1963.2/20バーゼル、彼の指揮は歌に溢れているところに心を打たれる。オーケストラの演奏者たちは、喜々として演奏を披露していて、それは、開始の弦楽合奏からすでに明らかである。
 モノーラル録音、楽器に近接した捉え方になっていて、ハイファイ録音に近いものがある。ピアノの音は輪郭が明確で、ハスキルの演奏は錦上華を添えている。このような演奏は、稀で、希少価値充分、不滅の記録とはこのディスクに相応しい言葉である。
 7月31日、火星は地球に最接近5758万9633Kmという距離で、南南東、山羊座と射手座の中間部に見える。その右側に土星、少し離れて木星、西の空には宵の明星として金星が並び、惑星のラインナップはそんなに見られない星空ではある。
 北から南にかけてミルキーウエイという銀河の星空、中空には琴座のベガ、わし座のアルタイルという織姫と彦星、1年に一度の逢瀬が準備されている。一期一会という悠久の流れに、一瞬の出会いは、ドイツグラモフォンのレコードに閉じ込められていて、その再生の悦びは、何物にも代えられない珠玉の贈り物と云える。ハスキル、フリッチャイこの二人のモーツァルトの魂は、味わい深い、夜空にきらめく星座のハーモニー、二度と無い奇跡の音楽になっている。エアというのは、空気、旋律メロディー、ともに人生を彩るあそび、いとなみ、音楽の再生は、音響による時間の芸術。
 1960年12月にはクララが、1963年2月にはフェレンツがそれぞれ天に召されてしまう。見上げてごらん、夜の星を、小さな星の、小さな光がささやかな幸せを、歌っている ・・・

 今、札幌では夏祭りとして狸まつりが、ぽんぽこシャンゼリゼという狸小路で開催されている。七丁目ビルディング2Fの映画館で、フジコヘミングの時間を鑑賞した。
 この115分ドキュメンタリーは、ピアニスト、フジコ・ヘミングの半生を紹介した佳品。彼女は私のラ・カンパネルラを他の演奏と聴き比べてほしいと願っている。それは自分の演奏に対する自信の表れ、絶対的確信からそのように発信する。だれとも異なる演奏というのは、彼女の演奏スタイルを古いとする評論に対するアンチテーゼであり、一時代前と言う見当違いの評価に対する反論である。それほど確立されたスタイルに、自信を表明するのは、彼女がブレイクした二十年前の現象へのなせるわざ、六十年余り艱難辛苦に耐えたピアニストの揺るぎないプライドというものであろう。
 1999年CDデビューにより、それまでの耐えた年月を乗り越え、大ヒットしたのは、魂のラ・カンパネルラ。アドルフ・ヒトラー政権樹立の前後、ベルリンでロシア系スエーデン人を父に、そして日本人投網子とあこを母にして出生、生年非公表、その経緯は複雑なのだった。幼少のころから母の弾くショパン夜想曲を耳にして育ち、ピアニストとしてのキャリアを積み重ねるも、不遇の中から獲得したブレイクにして彼女はワールドコンサートツアーを企画する程の地位を確立した。印象的なのは、ストリートで施しをする彼女の姿、そして愛猫とのコミュニケイション、スタンディングオベイションする聴衆のシーン、ピアノのクレジット、それらのカットを通して浮かび上がるのは、フジコヘミングの成功サクセスストーリーだ。ピアニストとして、リスキーな協奏曲での演奏もあるにはあるのだけれど、確立した実績には、敬服するに値する。
 本題に戻ると、キングインターナショナルから最近リリースされた、日本コロンビアSPレコーディングのコンプリート全集二枚組LPレコード1933~35年録音の演奏者十五歳前後の記録である。ドヴォルジャーク、ユーモレスクに始まりシューマン、トロイメライで掉尾を飾るSP復刻、LPレコード。丁寧なレコード作りが音を耳にして伝わるのだけれど、たとえばティボーの復刻などとは、ポリシーが異なる。確かに、耳当たりの柔らかい復刻、その紙一重に、SPレコードの魅力はそがれているとも・・・無いものねだりではある。
 根自子1920~2012は、1924年エフレム・ジンバリストの演奏会を聴いて、名教師小野アンナの門を叩くことにる。当時の門下生には巌本真理。1932昭和7年にはセーラー服の出で立ちで初リサイタル、神童と持て囃されたという。SPレコーディングはその翌年から開始されている。1943年には、ゲッペルスから1722製ストラディバリウス(真贋?)を貸与されて、同年ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ベルリン・フィルとブラームスのコンチェルトを共演している。1946~1960には花形ソリストとして活躍するも、その後は幻のヴァイオリニストとして第一線を退いている。
 クライスラーのプニャーニ形式、プレリュードとアレグロを聴くと、上田 仁(masashi)のピアノ伴奏などと華麗である。ナディダ・ロイヒテンベルクの伴奏も、豊麗な音楽で、錦上華をそえている。ソリストが十三~十五歳というのは驚きで、そういえばハイフェッツのSPデビューも七、八歳であったように、神童はそういうものなのかなあと、認識を新たにする。彼女の録音使用楽器は鈴木政吉のものというクレジットもある。滑らかな音色、豊かな裏板の鳴りが刻印されている。
 SP盤を収集するもよし、LP復刻レコードで彼女を鑑賞するのも、さらに素敵なひと時ではある・・・ジャケット、根自子のポートレートも美麗この上なく、キングインターナショナル万歳!

 よく紅茶やコーヒーを飲むとき、口にするティーカップは器が白い。紙コップにしても内側は白くて、紅茶など琥珀の色味が素敵である。これを当たり前だとスルーするか、じっくり味わうかの違いは、その人の人生の豊かさに比例するのだろう。
 シューベルト1797~1828は、ウィーンでベートーヴェンの姿を目にして、その音楽の恩恵にあずかっていたといえる。二十歳の頃作曲したといわれる弦楽三重奏も、名曲としてひけをとらないだろう。モーツァルトのディヴェルティメント喜遊曲変ホ長調K563、ベートーヴェンの弦楽三重奏曲作品8や9を手本として、S氏は1817年に発表したものだ。第一楽章アレグロ、モデラートこれは、快速でしかも中庸にというほどの指定、第二楽章アンダンテ、歩くような速さで、第三楽章メヌエット、アレグレットこれは、アレグロよりやや遅く。第四楽章ロンド=主題を何度も繰り返す器楽形式、アレグレット。第五楽章アレグロ、快速で。30分弱の室内楽曲、ヴァイオリン、アルト=ヴィオラ、チェロで演奏される。
 室内楽では、楽器配置が演奏者によって決定される。それは彼らの音楽観の表明であってスルーすることは、モノーラル的鑑賞態度、楽器配置は問題にしないというものだ。ところが、盤友人は、オーディオのグレードアップを経験して、その重要性を受け身から、積極的に認識した上で、ディスクの選択観点の一つとしてとらえている。すなわち、舞台に向かい左手側からVn、アルト、チェロというステレオ観、高音域に対する低音域という発想に立脚するのか、あるいは、チェロを中央にして左右にVnとアルトを配置するというステレオ観にするのかが問われているのである。
 楽器の数が限られているために、その決定は容易であり、なおかつその上で決定的な差を有する。盤友人がここで再生したのは、フランス盤、トリオ・ユーテルプ1977年録音で演奏者Vnダニエル・ナレッソ、Altデニス・ブーズ、Celloジャン・ポール・ベラール。実にさわやか、晴朗で快適な演奏、若々しさが一貫している音楽になっている。オーディオ装置でプリアンプの電源部で使用する整流管をヴィンテージで英国製ムラード5Y3に交換して、チャンネル分離セパレイショの向上、定位ローカリゼイションの明確性を獲得向上した後で、チェロの中央定位という姿、左右のヴァイオリンとアルトの配置は、極めて効果的である。確かに、他方、ヴァイオリン、アルト、チェロというステレオ録音も存在する。デッカ録音、ウィーンのメンバーによるものなのであるのだが、それとは、性格を異にするステレオ録音である。
 20世紀後半ステレオ録音の多数派は、左スピーカーからヴァイオリン、そして右スピーカー、アルトとチェロというものであった。それが主流であったというのはそうなのだが21世紀を迎えて、なんと、左スピーカーからもチェロ、コントラバスが聞こえて、右スピーカーからもヴァイオリンが聞こえるという録音が復活している。復活というのには、理由があってステレオ録音の登場により、コントラバスは向かって右側という固定観念が確立されているのである。ところが、盤友人は、1945年以前のフルトヴェングラー指揮による演奏写真を目にしていて、コントラバスは向かって左側という世界を認識していたのである。だから、固定観念を否定できると、チェロが中央にあるという自然さは、言わずもがなであり、チェロが右手側で演奏するという不自然さの認識は、オーディオグレードアップと比例して、自然な成り行きなのである。
 ちなみに、弦楽四重奏で、第一と第二ヴァイオリンを並べる発想は、多数派を形成しているのだが、それはそれで、問題がある。ヴァイオリン・ダブルウイングという言葉のネグレクト、無視というのは、回避されてきた懸案である。議論回避の態度は、時代の変遷により乗り越えられてきたといえる。
 弦楽四重奏で、第二ヴァイオリンの上手配置は、必須の課題だろう。弦楽三重奏の上で、上手側に第二ヴァイオリン配置という選択は、ステレオ録音にとって、味があるといえるのだけどなあ・・・

 それを誤解しているようだが、聴こえ方の一つだけとか、復古主義とかのネガティブなキーワードではなくて、オーケストラ音楽の本質的なあり方を云う。
 よく人は、管弦楽というものでも音は聞こえるとそれで良いと考えているのだが、大きな誤りというものだ。すなわち、舞台の楽器配置はその指揮者の音楽観の表現であり、慣れというものは、保守主義の陥り易いつまずきの石である。それを乗り越えることは、音楽家としての飛躍をもたらす世界であるのだ。
 ポール・パレー1886.5/24~1979.10/10はゴール人として誇り高い、職人指揮者の典型。フランス音楽、ドイツ音楽、あらゆる管弦楽に精通していて、演奏家集団から熱い音楽を引き出す名人である。第二次大戦時にもレジスタンスとして、占領下のパリからモンテカルロに逃れて有力なリーダーとして活躍していたという。1969年六月録音、リスト作曲交響詩レ・プレリュード前奏曲、人生は死へ至る前奏曲でなくて何であろうというフランスの詩人ラマルティーヌの一節をもとにした音楽。
 オーケストラはモンテカルロ歌劇場管弦楽団、弦楽器の光輝な音色、軽快な木管楽器、小気味よいトランペット、伸びやかなホルン、燦然と輝くブラスアンサンブル、ティンパニーなど打楽器たちの活躍・・・ここに記録された音楽は、気宇壮大なロマン派音楽の精髄であり、勝利したパレー芸術の貴重な記録と云える。その仕掛けとして、ヴァイオリン両翼配置がある。弦楽器の配置であるヴァイオリン・ダブルウイングは、単に、楽器配置を超えて、指揮者の力量が発揮される最高レヴェル音楽の姿である。第一のポイントは、コントラバスが、舞台下手、中央に配置されるから、指揮者の左手側に低音域音楽が展開することになる。これは徹底的に、ステレオ録音の主流としての左右が高音、低音の対比という音楽観の否定である。ヴァイオリンは第一と第二の対比こそ舞台上での対話成立する必要条件といえる。二つ目のポイントとして、第一 Vnの隣にチェロ、アルトという配置、すなわち、ハーモニー和音の外声部という感覚の獲得、指揮者右手側にアルト・第二Vnという内声部の配置こそ弦楽器配置の理想的前提条件なのである。高い低いという設定は素人によく分かる感覚なのだが、その程度のシロモノだ。ここでポール・パレーが披露する音楽は、最高のパーフォーマンスなのである。弦楽器の演奏する音楽の上に、管楽器、打楽器の高度なテクニックが発揮されたオーケストラ音楽で、弦楽器配置は、全体に与える影響は大きいものがある。
 さようならば、なぜ、パレーは全て、その様に配置した音楽ではなかったのか?それは、時代、というものなのである。彼が活躍した時代は、両翼配置を否定した時代のものであって、69年当時、クレンペラー、モントゥー、クーベリックたちの録音に聴くことが出来た世界に対して、パレーも採用した楽器配置という図式なのだろう。主流派ではなかった時代の録音というのは、そうなのであって、理想的演奏の記録という価値があるといえる。そこに繰り広げられるリストの音楽は、熱気をもって演奏されたものであり、この音楽に出会える喜びは、極上である。
 フランス・コンサートホールLPというマイナーレーベルのものでも、貴重な価値があり、大量に存在するCDコンパクトディスクに太刀打ちできないのではあるけれど、レコードコレクターとして、この出会いこそ人生の醍醐味で、収集家冥利に尽きる。情報そのもの、だけではない鑑賞するための音楽記録としてのLPレコード、目的のための、手段としてのレコードは再生音楽の理想形であろう。パレー芸術万歳!

 札幌は今、PMF太平洋国際教育音楽祭の開幕を迎えている。1990年レナード・バーンスタインの提唱により実施された。彼の最期に企画されたプログラム、当初は北京が予定地であったところを事情により、札幌市に白羽の矢が立ったという。そのPMFステージに招かれながら実現を果たせなかった指揮者がロリン・マゼール1930.3/6~2014.7/13ヴァージニア州キャッスルトン自宅で没。彼はUSA国籍取得していたロシア出身両親の元、フランス、パリ近郊のニュイーで生まれた。1938年頃、ロスアンジェルス・フィル准指揮者ウラディーミル・バカレイニコフの指導でピッツバーグに転進したその後も彼に指揮法を学ぶ。絶対音感をもった神童として教育され39年ニューヨークで指揮者としてデビュー。1960年にはバイロイトでアメリカ人指揮者として初めて舞台に立つ。それ以前には、二十代でベルリン・フィルとのレコーディングキャリアを残しているし三十代の仕事としては、ウィーン・フィルを指揮してチャイコフスキーとシベリウスの交響曲全集を録音している。
  マゼールは、72年にはクリーブランド管弦楽団をジョージ・セル後任として音楽監督に就任。82~84年には、ウィーン・フィル音楽監督を担当、ニューイヤーコンサートの舞台には十回登場し、バイエルン放送交響楽団、ニューヨーク・フィルの音楽監督を歴任し2008年2月には平壌公演を果たしている。2012年ミュンヘン・フィル音楽監督に就任し2014年に健康上の理由から辞任、アメリカに帰国していた。1960年代のベルリン放送交響楽団時代からフィリップス録音や、DG、DECCA、EMI、CBSソニーへウィーン・フィルとの録音でマーラー交響曲全集など、余人に真似できない金字塔をうちたてている。
  1971年、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と、ラヴェルの管弦楽曲を録音、その一枚がボレロ。一定のリズムパターンを小太鼓が叩き続けて、340小節ほどの音楽、計算するとタンタカタンタン、タンタン+タンタカタンタン、タカタタカタという繰り返しで4066個ほどの音符を奏者は叩く。このパターンでフルート、ハープ、管楽器、弦楽器と装飾を加えAという音型を二回独奏楽器を変えて演奏、Bパターンを同様に二回繰り返す。このまとまりを四回繰り返して、16パターンで最後にAとBをフルオーケストラで演奏して大団円となる。作曲者自作自演のものは、16分かかる程度のテンポ、速いテンポは、トスカニーニで13分くらい。
 ミュンシュは、56年ボストンSOと13:50、62年同じく15:01、68年パリ管弦楽団と17:04という録音を残している。カラヤン先生66年DGベルリンPO録音は16:09、77年EMIベルリンPO録音は16:07、1985年DGデジタル録音は15:45というタイミング。マゼールは、71年のニューフィルハーモニアで12:58という録音を残した。
 フルートからクラリネットに同じ音型が受け継がれるとオーケストラの音色に変化が与えられる。特に、クラリネット奏者が少し変化を与えると、続く独奏者たちが、それを真似したりなどすると、微妙な遊び心を味わえることになる。その時、指揮者は一定のテンポを維持するだけで、強弱も指定するのは彼の力量に比例する。ここで問題になるのは、その影響力だ。指揮者の意図が前面に出ると、白けてしまうことが多い。演奏する奏者の主体性こそ聴いている者にとって楽しみなのであり、指揮者が前面に出るのは、印象として失敗した演奏の典型。なぜなら、音楽の神髄は、管弦楽にあるのだから指揮を聴いているのではあらず、指揮している演奏の音楽こそすべてなのである。その点でマゼールは、断然抜きん出た記録を残したといえる・・・

 

 クラシック音楽を、日本では教養の一部として受容していた側面から、トップダウンで歴史が進行していたようだ。すなわち、シューベルト交響曲第九番グレートを現在、第八番にすげかえようとしているのだ。どういうことかというと、従来、第七番が欠番だったという理由から9(7)という扱いをされていたのだが、それは、九曲のB氏と同格、すなわちハ長調交響曲グレートを第九番としていたムリを第七番ともしていて、第八番、未完成交響曲を第七番に変更するという時流の変化である。そもそも、未完成で完成していた第八番を第七にするというのは、荒業だ。盤友人は、未完成交響曲を第七とするのには、違和感を覚えるし、混乱の元凶でありグレートを第八番と言うのは、それ以上に抵抗感がある。なぜなら、グレートというニックネイム、第九という認識は、自然、だから未完成を第七とする不自然は大変な愚行、という感覚こそ自然である。
 エードリアン・ボールト卿1889.4/8~1983.2/22は23歳でライプツィヒ留学、ニキッシュの薫陶を受けている。日本のLPレコード全盛時代、ドイツ・オーストリア指揮者優位からして、凡庸な扱いに終始していて、ホルスト、エルガー、ヴォーン・ウイリアムズなどの英国音楽では本領を発揮していた。ところが、輸入盤LPレコードを収集していると、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスのレコードは、どれも、素晴らしいのである。なぜ、日本では脇役扱いだったのか?
 理由は簡単、彼は、ヴァイオリン両翼配置型採用の音楽だからである。クレンペラーひとりだけという図式が構築されたとき、ボールト卿は除外されたと盤友人は見立てている。ひどい話だ。これが、レコード業界の元凶、評論家の間では、誰一人、その事実を指摘していない。
 オーディオとは何か?グレードアップとは何であり、何のためのものか?という哲学が構築されていないとき、日本の業界は壁に突き当たり、現実の音楽界は激変して先祖返りの時代、というのが歴史の推移であろう。コンパクト・ディスクCDというものの正体は、記録媒体、情報、であり、鑑賞する魅力とは別物であるという事実、それを認識するのに、盤友人は30年の時間を経過している。事実、レコード業界は、評論家総出で、LPレコードを駆逐して新時代到来を謳歌していた、過去形で表記するのには訳があり、現実、LPレコードを生産する時代が到来したからである。
 考えてみると、CDプレーヤーで情報再生していることより、LPレコード再生による魅力に負けるのが現実だから、それを否定する愛好家は多数であっても、少数の実感派たちこそ、これから成長するのが実態といえる。
 シューベルト作曲したグレートは、好適な作品、何にとってかというとヴァイオリン両翼配置である。第一楽章で左右のスピーカーから、十六分音符音型の対話が再生されたとき、その喜びは、指揮者を通して作曲者S氏の世界へと飛翔する。ビショップ氏?録音とされる世界は、ステレオ録音の極みであり、中心軸が指揮台にあり左右感が確立された音楽こそ、左側で第一と第二ヴァイオリンが鳴る不自然をそのように実感させる。すなわち、中心軸が左右に存在するのは、不自然なのだという感覚の獲得こそは、オーディオの醍醐味なのだ。現実の保守派は、第一と第二ヴァイオリン束ねる世界である。有力な指揮者たちは、すべて、ダブルウイングの世界へと飛翔する、後戻りは、まったくないのが現実。
 ボールト卿のレコード達と出会うことは、レコードコレクターにとって、彼岸から此岸への架け橋となるのではあるまいか?そう思うこの頃で、英国楽壇魅力いっぱいということだ。

 1778年モーツァルト作曲ピアノソナタイ長調、K331という作品には第三楽章トルコ行進曲付きのニックネイムがある。
 
M氏ウィーン時代、ピアノや作曲の個人教授もこなし、ピアニストとしても大の売れっ子だったという。以前はパリ時代ともいわれていたのが、今では、このウィーン時代の作曲になるとのこと。名作としてピアノと管楽器のための五重奏曲K452、ハ短調ソナタK457などが次々と作曲されている。トルコ行進曲とは当時のウィーンに居たトルコ軍隊の行進風景で耳にした音楽らしい。
 イングリット・ヘブラー女史1926ウィーン~、1963年フィリップス録音を聴くといかにも、三部形式中間部トルコ行進曲がゆったりとしていて、正統派の演奏に仕上がっている。
 六月の札幌キタラホール、ロシアナショナル管弦楽団がチャイコフスキーのピアノ協奏曲を取り上げた時、ソリストはアンコールに、トルコ行進曲を取り上げた。その演奏は軽快で、運指がよくまわり、テンポアップされた演奏だった。MN氏は、休憩時、もうやめたやめたこういう演奏を聞くに堪えないと興奮気味に話していた。すなわち、フォームが小振りで、軍隊が素通りしていくような音楽は、正統的とはほど遠かったから、客席からは温かい反応だったにもかかわらず、である。盤友人としては、何もロシア人たちの前でトルコの音楽を演奏することはない感覚で違和感を覚え、それもM氏を敬愛したチャイコフスキーとはいえミスマッチ、選曲間違いに違いないと感じていたのである。だいたい、当日のオーケストラ編成はコントラバス七丁であったところを協奏曲の時は四丁に刈り込まれていて、弦楽器は少なくなっている。ソリストによる軽量級チャイコフスキーに疑問を感じていた。今時人気若手奏者による、トルコ行進曲、指はよく回るけれど形式としてのトルコ行進曲とは、小振りであったように思われた。
 ディジタル録音導入期の謳い文句に、静謐の究極的録音形式、無ノイズの世界とあった。ところが以前の愛好家にとって、二十キロヘルツ以上カットという録音方式は、感覚として、アナログ録音になじんでいた耳には受け入れがたい、オーディオとして別物であった。すなわち、ディジタルの完全録音方式は、弱点として、高音域カットの世界なのである。
 思えば、LPレコードの欠点として指摘されていた問題、再生時間の開始と、レコード内周におけるビックアップ性能として、線速度低下問題がそれである。
 明らかに、レコードディスクの外周部分の円周と内周部分では三分の一ほどの違いを抱えている。オーディオの性能が向上するほど、その差異は顕著になり、聴感上、外周情報と内周での感覚とでは、事実、情報ロスでスピーカーの鳴りっぷりは低下を感じさせる。これはどういうことかというと、オーディオを経験する時、始めの頃は音楽に集中していて、その差に気が付かないのは普通で、理論的な感覚で、外周と内周の聴感を指摘されると気が付くというシロモノ。気をつけると・・・という世界の話である。だから、コンパクト・ディスクの情報ロスとは、異なる世界の話で、CDでは、外周と内周とという指摘ではなく、始めから音の世界として、弱点を帯びた問題である。ディジタルとアナログの弱点問題としては、土俵は違うと言えよう。
 現実の音響と音楽の問題、演奏の実態、録音された音楽とコンサートで演奏されるものとの比較問題、それぞれに三者三様と云える。生の音響に問題は無いのだけれど、音楽には派生する問題がある。演奏者の音楽性、教養、伝統、・・・ヘブラー女史のトルコ行進曲を聴くと、豊かな気持ちになれるというオーディオの醍醐味は極上の料理に似たり・・・だろう。

 6/18月曜日午前八時前、震度六弱の大きな地震が大阪北部に発生、被災された皆様方にお見舞い申し上げます。何かと不自由な生活を強いられることは天災の常、ここを乗り越えられますように。 季節は梅雨で、札幌もエゾツユといって、曇天の日が続く。気温は二十度前後。雨量はそれほどでもないのだが、九州四国地方は相当なもので、二次災害が発生しないように祈念する。
 梅雨というと、雨、が話題になるのだけれど、他面、太陽光線からしのげるというメリットもあるらしい。すなわち、雲というものが直接の日射をさえぎり、紫外線被害から遠ざけているということも考えられるらしい。いずれにしても、この季節を乗り切って太陽の恩恵にあやかりたい。
 ジョージ・セル指揮するケルン放送交響楽団、ルドルフ・フィルクスニーのピアノ演奏によるモーツァルト作品、ケッヘル番号456が、キングインターナショナルから、リリースされている。レコード二枚組で、カップリンクはズデニエク・マーカル指揮による、K450というピアノ協奏曲第15番。聴いてみて、指揮者による違いか゛如実に分かり、面白かった。
 ジョージ・セル1897.6/7ブダペスト出身1970.7/30クリーブラド?没、彼の晩年はクリーブランド管弦楽団とのコンビネーションで1946年から常任指揮、音楽監督を務めていた。四半世紀という業績は特筆すべき事実で、オーケストラをして、彼の楽器とまで称賛されていた。当時フィラデルフィアには、ユージン・オーマンディという名物指揮者が居てアメリカビッグファイブ、他に、ニューヨーク、ボストン、シカゴという交響楽団が隆盛をほこっていた。
 特にセルとオーマンディはハンガリー出身で、フリッツ・ライナーやゲオルグ・ショルティなども同郷である。中でもセルはウィーン音楽院出身で、その音楽性はモーツァルトに相応しい。エーリヒ・クライバーの下でベルリン国立歌劇場などの経歴、リヒャルト・シュトラウスの薫陶を受けるなど、音楽的に観て、ヨーロッパ音楽のエキスに立脚して、なおかつアメリカのオーケストラの機能性高いアンサンブルに拍車をかけている。かのシュトラウスからは、管弦楽法の基礎として、ビゼーの交響曲を指摘されていたという証言もある。
 セルはピアノ演奏も長けていて、Vnドルイアンとの二重奏のレコードも素晴らしい。指揮者として、管弦楽の大オーケストラも手中に収めているのだが、ここでは、弦楽器の統率力に非凡な才能を発揮している。モーツァルト、1784年の作品として、K449変ホ長調、450変ロ長調、451ニ長調、453ト長調、456変ロ長調という具合、名作の森である。ここでの、K456第二楽章モーツァルトの哀しみは、ことさら特徴的である。
 ピアニスト、ルドルフ・フィルクスニー1912.2/11~1994.7/19チェコ、モラヴィア出身でアメリカのスターツバーク自宅で死去。彼の演奏の本領は、気品の高い優美な音楽に発揮されている。一聴して分かることは、端正な演奏、清潔なタッチ、優雅な音楽を披露していることだ。それが、緩徐楽章のあと、終楽章では決然としていて俄然、雄渾な音楽が姿をあらわす。ピアノというと、コンサートでの多数派はスタンウエイ、ところが、F氏はベーゼンドルファーを使用していて、一際、精彩を放っている。これは、クレジットされていないから、誤解かもしれないことだけれど、盤友人が再生すると低音域の雄大なことからそのような印象を受けるというまでである。ということは、レコード会社の責任、使用楽器クレジットは必要であるということを付け加えておきたい。スタインウエイが多数であることにより、省略されているわけだが、ならば少数派のクレジットは明記してほしいものである。

 前回、テノールの人名で、ミヒャエルという読み方をした時、すかさず、1940年イリノイ州出身という情報をKH氏からいただいた。すなわち、ドイツ風発音ではなく、マイケル・カズンズという指摘。確かにライトナー指揮のバスフ録音から読み方の判断を下したのだが、ネットなどでは、米国出身者ということからそれは誤りで、マイケルということだった。盤友人もそのように判断せざるを得ない。人名は、ドイツ風かネイティブか?で、かなり、違いを見せる。マルタ・アルゲリチという女性ピアニスト、1941.6/5ブエノス・アイレス出身から正確には、ネイティブでアルヘリチが自然なのだがドイツ風であると、アルゲリッヒ、現在の日本では、アルゲリチが通例となっている。30年くらい前、盤友人はブルーノ・レオナルド・ゲルバーに直接楽屋を訪問してたずねたことがあり、友達である彼は、アルヘリチとそのように発音していた。通例とも異なる事例でありむつかしい。
 フェリックス・メンデルスゾーン、バルトルディ1809~1847彼は銀行家の家庭出身といわれていて、幸福な身分だったと伝えられている。わりと短命でも家系は現在にも続きオーレル・ニコレやチェロの藤原真理らとともに、カントロフのVn、そのM氏直系がアルト奏者というデンオンにモーツァルト、フルート四重奏曲録音もある。
 十代で、シェークスピア劇によった序曲を作曲して、17年後、第一曲スケルツォ、第七曲夜想曲そして結婚行進曲を、抜粋した組曲版がこのレコードである。緩徐楽章として、ケンペは二曲目に夜想曲をもってきているのだが、スケルツォを先にする順番もありではある。
 序曲では、開始の管楽器によるハーモニーを耳にすると、ああ、リムスキー・コルサコフは千夜一夜物語、シエラザードを作曲したな・・・とか、その後の弦楽器演奏部分を聴くと、ブルックナーは交響曲第四番ロマンティシュを作曲したなとか、なによりも結婚行進曲を聴くとき、ワーグナーには、歌劇ローエングリンがあったな、などなど、夜の夢は走馬灯の如くである。だから、メンデルスゾーンの音楽は、その管弦楽法の影響力に大きなものがあるのだということが知れてくる。それくらい、インパクトに強いものがある。★以前、坪内逍遥の解釈によるものなものだったか、真夏の夜の・・というものであったのだが、現在の訳によると夏の夜、すなわち、ミッドサマーを夏至という解釈により、夏の夜の夢、というのが定説。今年は6月21日。今頃の物語で、恋人同士は夢から目を覚まして初めて出会った者同士という恋愛劇。恋愛とはそんなものと云うシェークスピアの諭、機知ウィットが、たくまずして効いているコメディー。
 ルドルフ・ケンペは、トーマス・ビーチャムの指名を受けて、1961年にロイヤル・フィルハーモニーの指揮者に就任、創立者ビーチャムの絶大な信頼、推薦があったということである。演奏内容も特筆すべきはその楽器配置である。第一と第二Vnを並べる当時の主流に対して、ビーチャム自身も頑として並べる派だったのであるのだが、ケンペはその両方で録音を残している。すなわち、二刀流ツーウエイであった。これは、メンデルスゾーンの管弦楽法から如実に判断可能なことなのだが、作曲者の前提は、第一と第二Vnを前列にしてその中央にチェロとアルト配置、コントラバスは指揮者の左手側がベストだということである。なにより、合奏アンサンブルの緊張感がよく伝わり、低音から高音へと舞台で左右に音楽が渦を巻く受け渡しなど、聴きものである。ケンペの統率力は揺るぎなく、清潔で、透明感に溢れなおかつ雄渾である。当時には、彼が英国楽壇から脚光を浴びていた様子が録音された、貴重なレコードの一枚だといえる。

 中世音楽合唱曲の歌詞を採用カール・オルフ1895~1982が1937年に作曲したのが世俗カンタータ、カルミナ・ブラーナ。運命の女神よ、で始まる管弦楽とコーラスによる壮大な音楽で、ラテン語によるというところが、肝である。つまり具体的な英語や独語、日本語に訳すると差しさわりが有るらしい。直訳すると放送禁止になるといわれるくらいのものだから意味深長だ。
 19曲男声合唱、もし若者が乙女と一つ部屋にいたなら・・・愛はきっと深まるに違いない→こうくると、もうウハウハ、まじめな顔して必死に歌うのであるからして推して知るべし。20曲来たれ、来たれ、御美人よ、薔薇より赤く、百合よりも白し・・・21曲心が秤の上で上下…23曲私は全てをあなたに捧げます、ソプラノ独唱、24曲ブランツィフロールとヘレナ、高貴なる女神よ→ここで合唱はクライマックス、最高音を爆発させる。おそらく、オーディオ機器では音量が相対化されて生の感覚のようには獲得できない趣・・・
 フェルディナント・ライトナー1912.3/4ベルリン生まれ~1996.6/3は、作曲をフランツ・シェーカー、指揮法をユリウス・プリューヴァーだからブラームスの孫弟子にあたる。1974年コピーライトのケルン放送交響楽団、ソプラノはルート・マルグレート・ピュッツ、テノールはミヒャエル・クーシン、バリトンはバリー・マクダニエル、バスはローラント・ヘルマン、ケルン放送合唱団、テルツ少年合唱団、合唱指揮者ヘルベルト・シェルヌス。録音監修カール・オルフ。
 カペルマイスター楽長ともいわれる職人型指揮者で、玄人受けするライトナー、このLPレコードを再生してすぐに伝わるのは、ゆるぎないテンポ感、緩やか、軽やか、粘り、伸縮自在の安定感である。さすが、ドイツ人指揮者の典型、謹厳実直であり、そのカルミナ・ブラーナであって、彼の芸術性は温故知新というか、正統性の高みにある。健康、不健康を超えて、愛すべき音楽の一つであろう。
 1981.7/28、第217回札響定期7月カルミナブラーナ公演、ソプラノ常森寿子、テノール鈴木寛一、バリトン大島幾雄、澄川西小学校合唱団、札幌放送合唱団、指揮、岩城宏之。1977年から後の10年間ほど、合唱指揮を宍戸悟郎が担当して合唱曲が定期演奏会で取り上げられた。これは、マエストロ岩城のアイディアでゴロウチャンにまかせればOK!ということで実現された。ドビュッスィ、ブラームス、ハイドン、オルフ、ヴェルディ、フォーレ、デュルフレといったラインナップ、管弦楽と合唱の大曲が1年ごとに取り上げられた。バッハのロ短調ミサを指揮秋山和慶で、マーラーの千人交響曲も高関健の指揮で初演されている。
 札幌厚生年金会館が主流、旧札幌市民会館では、ラヴェルのダフニスとクロエの全曲演奏にも取り組み、最大級の音量を披露したこともあった。指揮者岩城と札幌での活動は破格だった札幌放送合唱団。秋山指揮バッハの演奏会では立見が出るほど、札幌の愛好家に支持されていた。
 盤友人は昭和46年春に文芸誌新潮特別号を彼に送り、返信をいただいたことがある。気合の入った、オール武満プログラムによる定期公演、ストラヴィンスキー三大バレエ曲キタラ演奏会、メルボルン交響楽団アルプス交響曲演奏会、走馬灯の如く八面六臂の活躍に、光陰矢のごとし、6月13日は、彼の13回忌命日、昭和43年5月バンベルク交響楽団を率いて、ウェーバーのオベロン序曲、リヒャルト・シュトラウス交響詩ドン・ファン、チャイコフスキー第五交響曲で舞台に立っていた。ドンファンの管弦楽の煌きをこれからも忘れることはできない。カルミナブラーナを歌い、舞台の醍醐味は、頂点に達したといえるだろう。オーディオの土台に、音楽体験あり・・・

 店でトマトを探しているとき、¥258と¥358という4個1パックのものに出会った。フムフム100円の違いは何なのかなあ?という疑問を感じたのである。高いものを買い不思議に納得した。味が普通のものより濃い味のように感じた。もりもりトマトというポップ文句で、ミネラルの強い味わいに満足である。
  管弦楽音楽というと、弦楽器には、ヴァイオリン、アルト=ヴィオラ、チェロ、コントラバス、木管では、オーボエ、フルート、クラリネット、ファゴット、ほかにもバスクラリネットとかある。金管は、ホルン、トランペット、トロンボーン、テューバなどなど、その上で、打楽器として、ティンパニー、小太鼓スネアドラム、大太鼓バスドラム、テューブラ・ベル、シンバル、トライアングル、タムタム、マリンバ・・・ハープも加わる。1770年から1970年へと200年間にその編成は、管楽器、打楽器と幅をひろげている。ハイドンの時代から武満の作曲する管弦楽は、カレードスコープ万華鏡のように展開したといえる。
 武満 徹の作品を、一人の評論家が音楽以前、と烙印を押して酷評、その評論家は、リズム・メロディー・ハーモニーという3要素の判断からそのような発信と考えたのは簡単である。ところが、ストラヴィンスキーやバルトーク、メスィアン、シュトックハウゼン、ノーノ、ケージというコンテンポラリー同時代音楽を経験すると、かの評論家の誤謬はもはや、歴然としている。ピッチ音高、タイム時間、カラー音色という3要素から音楽をとらえると、その地平は広がりを持つというもので、ヨーロッパ古典派音楽の時代性からの飛躍、現代音楽は決して不必要な音楽と言えないのである。感性の世界、音と音楽という永遠のコンビネーションから、その愉悦は、無限だろう。
 札幌冬季オリンピック1972年記念演奏会委嘱作品、若杉 弘指揮、読売日本交響楽団パリ初演、6分54秒ほどの演奏時間ということは410秒余りのオーケストラ作品。まさに感覚美の世界であり、初演を聴いたメスィアンは、楽屋に作曲者を訪ねて、あれはトランペットか?と聞き彼はノンと答え、その工夫を伝えたというエピソードがある。正に師弟関係を物語り、フランスから現代日本音楽へと接ぎ木が完成した一瞬を伝えた貴重な証言であろう。
 音楽は、風を切る一瞬から開始されて、冬、もの想う作曲者が耳にする音を、作曲して、弦楽器から、金管楽器から、木管楽器から、そして打楽器へとステージに繰り広げられた管弦打楽器のすべての音色が、指揮者のタクトの基に、秩序をもって展開する。
 作曲者から与えられる予備情報は、冬1971、というタイトルだけ。作曲家が宇宙の感覚でもって音響に秩序を与え、そのうえで、魂の飛翔をイメージさせる。厳しい、感覚の世界で、地上というよりは天上の感覚に近い。
 冬のイメージ、あえて付け足すとしたら、1970.11/25を経験してからの初めて迎える冬、あの管弦楽のお仕舞いは、浮揚する魂への浄化、祈りにほかならない。あれは、世情を騒乱させるに充分すぎる事件であって、情報の錯綜から不必要な感情を排除して本質のみ対峙して作曲の机に向かうと、結果、ウィンター1971オーケストラ音楽が生まれ出たといえるのだろう。
 音楽は時間の芸術、文学ではないから、物語は、似合わないのだが、なぞることは可能であり、その昔、ラジオ番組で、聴いた音楽を言葉で反芻するという少し微笑ましいものがあった。理屈はさておいて、再生した音楽をスピーカーで鑑賞するというオーディオの醍醐味は、意外にも、武満 徹やここでの東京都交響楽団を指揮した岩城宏之の世界に立ち会えることが出来るという醍醐味だから、御霊の世界を体験する儀式、通過儀礼なのであろうか?