🎼 千曲万来余話 by盤友人

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 ハルサイと聞いてああ春の野菜かという連想は料理の世界で、音楽でいうとイゴール・ストラヴィンスキー作曲、バレエ音楽・春の祭典とこうくる。ところが祭典というのはフェスティバル、フェテなのでサクレというのは神聖な、というものになるから意訳の典型であろう。祭事まつりごと、立春をむかえて、キリスト教以前のロシアで異教徒たちの儀式、選ばれし乙女のいけにえ、神聖祖先神礼賛というまでだ。
 第1部1序奏2春の兆し・若い娘たちの踊り3誘惑の戯れ4春のロンド5競い合う部族のたわむれ6賢者の行列7大地礼賛8大地の踊り、第2部1序奏2乙女たちの神秘な集い3選ばれしおとめへの賛美4祖先の霊への呼びかけ5祖先の儀式6終曲いけにえの聖なる踊り、30分程度の管弦楽曲で楽譜にはメトロノーム記号が指定されていて、短めで29分、長めで37分程度の演奏時間になる。
 ストラヴィンスキー1882.6/17オラニエンバウム生~1971.4/6ニューヨーク没行年88歳は、ペテルブルグ近郊で生まれ、父はオペラ歌手。9歳でピアノ教師についてグリンカ、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフ、グラズノフたちの影響を受ける。大学法科に在籍するもR・コルサコフと知り合い作曲に志す。2年間、作曲法、管弦楽法を修得して1903年にピアノソナタ、1907年変ホ長調交響曲第1番を作品1として創作、08年には恩師令嬢の結婚祝いとして「花火」を作曲、完成直後にリムスキーは死去している。ロシアバレーのために第1作火の鳥が1910年5月に作曲され、習作時代から飛躍した。この6月パリのオペラ座に現われて輝かしい成功は未来を約束されることになる。バレエ団プロデューサーのディアギレフは積極的に彼に関わり、3大バレエ音楽として火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典が世に送り出されている。
 ヴィヴァルディは600余りの協奏曲作曲が、ひと通りの作曲様式であったのに比較して、ストラヴィンスキーは100通りというか、作曲するたびにスタイルを変えているといわれる。原始主義というかバーバリズム、バレエ音楽プルネチルラ以降は新古典主義といわれる。1913年5/29には春の祭典を初演、指揮者ピエール・モントゥー。作曲者はスイスやパリで活動ののち1940年の渡米を経験して1959年には来日、NHK交響楽団を自作曲指揮をしている。力強い指揮振りに、多大な感銘を当時の関係者からの証言として聞かれている。
 フランス人作曲家ピエール・ブーレーズ1925.3/26モンブリン生まれ~2016.1/5バーデンバーデン没は、ハンス・ロスバウトに指揮法を師事して1963年6/20~21にフランス国立放送管弦楽団とスタジオ録音を果たしている。師のロスバウトは前年1962.12/29ルガーノ67歳で死去、ということは、指揮したブーレーズにとって鎮魂の記録になったことは想像するにかたくない。鮮烈な音色、力強いリズム、不協和音の新鮮さなどなど当時のセンセイションは相当なものだったことだろう。ブーレーズは1970年5月来日していて、ジョージ・セルと共に、長谷寺室生寺を参詣、クリーブランド管弦楽団を指揮棒持たないスタイルで指揮していたのは、現在の先駆けとも云えるのだろう。演奏者にとって緊張感を強いられる厳しい取り組みが、ブーレーズにとって信念信条にかかわる生命線ともいえる。
 春の祭典は現代音楽の代名詞ともいえるのだが、すでに古典音楽クラシックとして有名である。リズムと、メロディーそして和音ハーモニー、工夫としての不協和音は、手のひら返しの新しい地平として、獲得された自由といえるのかも・・・・ステレオ録音はモントゥー型ともいえる、Vn両翼配置、指揮者右手側低音のものになる。

 ステレオ録音で最初期にはフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団のR・シュトラウス作曲「ツァラトゥストラはかく語りき」1954.3/8RCA録音が挙げられる。ベートーヴェンでハ短調交響曲「運命」はシャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団。1955.5/2RCA録音。ミュンシュ指揮する運命を盤友人は未確認、ロジンスキー指揮するフィルハーモニック管弦楽団オブ・ロンドンという1956.9/28~30ウエストミンスター録音を聴く。このフィルハーモニックオーケストラオブロンドンという名称は1946年創立されたロイヤル・フィルといわれている。フィルハーモニア・オーケストラ・オブ・ロンドンとは類似しているが別団体で、1955年クレンペラー指揮するフィルハーモニア管弦楽団のEMIモノラル録音による「運命」と比較すると弦楽アンサンブルや管楽合奏、ティンパニーなど音響から受ける印象は明確に異なる。ただし首席ホルン奏者は同一の高い確率で、デニス・ブレイン。
 アルトゥール・ロジンスキー1892.1/1クロアチア・スピルト生まれ~1958.11/27米国没ウィーン大学で法学博士号を取得しフランツ・シャルクに指揮法を師事している。1920年代から活動開始、ストコフスキーに認められ26年からフィラデルフィア管弦楽団の指揮アシスタントを務めた。29年ロスアンジェルス・フィルの音楽監督就任、33年から43年までクリーブランド管弦楽団の首席指揮者を歴任43年からニューヨーク・フィルハーモニック首席指揮者で、47年に辞任している。47/48年シカゴ交響楽団音楽監督で終生にわたり、その客演指揮の立場にあった。一切妥協を許さない姿勢は伝説化している。
 ステレオ録音でその初期は、左右が高音と低音の分離型という認識を発信し続けていた。この録音を再生すると、第2Vnは右スピーカーに定位するヴァイオリン両翼配置である。ちなみに、ライナー指揮するツァラトゥストラの新旧ステレオ録音の二種類で、最初はダブルウイング配置録音になる。後期はVnの第1と第2は左スピーカーに束ねられることになる。
 盤友人にとって、ロジンスキーの「運命」ステレオ録音は福音であり、左スピーカーに定位するコントラバス、チェロ、第1Vnの音楽で、低音域からVnまで音響が「密」になることは非常に心地よい結果をもたらしている。第2楽章のコントラバス・チェロ・アルト、Vnという旋律の受け渡しは左右二つのスピーカーの一対の中で、つむじ風の様に左右の展開する音楽が、いかに、作曲者の意図を表現するか、効果てきめんである。すなわち、左側にVnそして右側にアルト・チェロ・コントラバスという高低のグラデーション階層配列は、モノラル録音のポリシーと云えるのだろう。さらに言うと、指揮者右手側にチェロ、アルト外側配置はコントラバスを土台の感覚で云うならば、横綱の右手側がトップになる雲竜型の土俵入り、第1と第2Vnを両手に見立てると左右に「かいな」を開いた不知火型土俵入りのイメージである。さらに言うと、左側高音と右側低音の和音ハーモニー外声部、中央に内声部がサンドウィッチされる音楽より、左右に外声部と内声部を配置した方がステレオ効果はより楽しいものになる。これは一重に、指揮者と演奏者がいかに聞こえるかを考えた時、重要な鍵となるのだろう。
 ロジンスキー指揮する「運命」の第1楽章は明らかに第一楽章502小節に基いているのだが、389小節目の全休止処理、短めである。クレンペラーが指揮すると、悠然と全休止は一小節充分なのだが、ロジンスキーは詰めている。その不自然さに気を付けているのだと思われる。作曲者の全休止記譜は57小節目、123と124小節目の2小節分あったりするのだが、389小節目は音楽として不自然であり、501小節こそ作曲の完全性発揮だ。最後の決め手は、426小節目から音楽は流れ出すのであり、427小節目から流れるブライトコップ社版楽譜などによる演奏は作曲者の意図に従わない結果であり、一小節ずれる。ベートーヴェンの偉業に口ふさぐという卑劣な仕打ちなのだろう。指揮者やオーケストラ演奏家はこの二者択一という現実で、固定観念から脱却する必要があり、楽譜の検証と拠って立つ音楽の感覚こそ必要、禁忌タブーなひと言は「楽譜に書いてある」だ。
 オーディオによるレコード再生する意義は、ここにある・・・・・

 先日、中古専門系列店のLPレコード箱を探していて、ワイセンベルクのLP2枚を、それぞれ50円の外税で購入。まったくキズの無い、磨くと新品同様の東芝レコードを再生してみた。スクロバチェフスキー指揮パリ音楽院管弦楽団でショパンのピアノ協奏曲集、ミスターSというと、ルービンシュタイン独奏でロンドン新交響楽団との名盤がすでにあり、気になるアーティストだった。S氏(録音当時43歳)の指揮振りは序奏の部分で弦楽合奏を充分に歌わせていてコントラバスに揺らぎは無く透明感に抜群の印象を与える素晴らしい演奏である。ワイセンベルクのピアノは華麗であり、スケール感あるダイナミックスレンジの広い、ショパンを一段と男性的に仕上げているスタイル。これが一枚55円というLPレコードの世界、オーディオという趣味でこれまで積み重ねた努力が実った至福のひと時となった。 なぜパリ音楽院管弦楽団との共演なのか? アレクシス・ワイセンベルク1929.7/26ソフィア生まれ~2012.1/8ルガーノ没はユダヤ系であったために44年イスラエルに逃れさらに米国へ移住。47年に国際音楽コンクールに優勝、翌年2月にセル指揮ニューヨーク・フィルと共演して華々しいデビューを飾っている。56年には活動を休止して研さんの時期に入っていた。1960年でクララ・ハスキルの伝記本には、パリの駅でワイセンベルクと出会っていて心臓疾患の彼女にベートーヴェンの第3番ピアノ協奏曲について手紙で自分の解釈とハスキルの弾き方を詳しく論じていたという部分がある。彼が31歳の頃である。ハスキルは1月に65歳で最後の誕生日を迎えていた。
 パリ音楽院管弦楽団は1967年10月にマルロー文化相の肝いりで「オルケストル・ド・パリ」いわゆるパリ管弦楽団に改組されている。3/2ほどメンバーの入れ替えがあったといわれている。ショパンのピアノ協奏曲第2番は67.8/4~6、9/7~9、第1番は同年9/11~13にサル・ワグラム、パリで録音されている。 (引用レコードイヤーブック2014音楽之友社)いわばパリ音楽院管弦楽団最後期の録音に当たる。オーケストラメンバーは、管楽器が割合、移行するのに対して、弦楽部分は入れ替えが多数であったかもしれない。たとえば、フルート奏者のミッシェル・デボストは1962年から89年まで首席を務めていたことなどからそのように考えられる。そして録音データから類推して再生音から判断するに、ワイセンベルクのピアノの音色は、華麗というよりかは渋めで玲瓏たるものでコルトーの再生音に近い倍音を聞かせている。
 カラヤンは1967.9/17ベルリンにてワイセンベルクとチャイコフスキーのピアノ協奏曲を初共演していた。ワイセンベルクは56年からの活動休止以来10年のインターバルを経てパリで再開、カラヤンとの共演はセンセーショナルであったといわれている。1970.2/9~11サル・ワグラムでパリ管弦楽団と録音。盤友人にとって長らく、カラヤン(録音当時61歳)がなぜパリ管弦楽団とのチャイコフスキーなのか? 疑問はつきまとっていたものだった。
 ピアノの使用楽器のクレジットはほとんどの場合省略されている。フランス・エラートレーベルの場合は、意外にきっちりとクレジット表記されている場合が多い。だから、東芝レコードのショパンやフランス・EMIパテ盤などは音色に注意を払い、他の同時期LPを比較鑑賞して類推するほかはない。たとえば音色に気をつけるとベートーヴェンの皇帝などは明らかにスタインウエイのそれであり、渋さはプレイエルこそ勝って素晴らしい世界であるということは、スクロバチェフスキーやカラヤンも一目置いていたのかもしれない・・・

 和声でハーモニーというと、4声体のソプラノ、アルト、テノール、バスから構成される。音の重なりで、ドミソドというのを主和音、ソシレソを属和音、ファラドファを下属和音としている。そこには、暗黙の規則があって、主音、属音、下属音のダブりは認められているものの第3音といって主音から3度上の重なりをしてはいけない。3度上の長3度は長調を構成して、短3度は短調を既定する。その役割だからということもなく、オクターブで重なるハーモニーは避けられている。
 ステレオ録音で、横一列に並べられるVn、第二Vn、アルト、チェロ、コントラバスという配置は、高音と低音の重なりを避けて、左と右手側へと配置される。これは、ステレオ録音構成の根底にある、音のダブりを嫌うことに拠っている。
 ベドルジフ・スメタナは1824.3/2、ボヘミア東方、モラヴィアに近いリトミシェルにうまれた。5歳でヴァイオリンを習い6歳でピアノの公開演奏を経験している。56年プラハ訪問したF・リストと知り合う。66年オペラ売られた花嫁初演、74年には聴覚障害が悪化していて、その苦しみは76年作曲、弦楽四重奏曲我が生涯よりで表現されている。その当時交響詩第1曲高い城、第2曲モルダウ、75年には第3曲シャルカ、第4曲ボヘミアの森と草原からが作曲され翌年に初演、第5曲ターボル第6曲ブラニークという連作交響詩我が祖国が完成、1882年には全曲初演された。高い城ヴィシェラートの主題は、終曲ブラニークのフィナーレの明るく輝かしく謳われている。盤友人はラフマニノフ、交響曲第2番の最終コラールにその共通する動機モチーフを聴いて、胸を衝かれた思いがある。
 ドイツ音楽の基礎をなす交響曲は、大概、標題プログラムを持たない絶対音楽である。ということは、言葉にとらわれない鑑賞は、思考が自由自在で、誘導されることはないから、芸術として上等、といえないまでも、価値としては受け入れやすいものである。それでは、標題音楽は格下の烙印を押されて構わないものなのだろうか?多分、両方が左右一対で、同格というのがふさわしいだろう。というのも、ボヘミアの森と草原からを聴いたとき、序奏に続く弦楽の入り方は絶妙であって、作曲家スメタナの音楽設計に心打たれるからである。第1Vnから始まり、第2Vn、アルト、チェロ、コントラバスという旋律の受け渡しは、ラファエル・クーベリク指揮バイエルン放送交響楽団のレコードで、左右そして奥の右左へという音楽の対話構造が明確に記録されていることによる。あたかも、目の前に眺望が広がる景色がボヘミアの森と草原に、風が吹き渡る様子そのままなのである。すなわち、指揮者の左手側から右側へという階層グラデーションでは、体験できないステレオ録音の醍醐味なのだ。
 不思議なことに、ステレオ録音では、左手側ヴァイオリンで、右手側チェロ、コントラバスが当然前提となっている指揮者の主張するところは、音の芸術だから聞こえ方は、不問ということで、弦楽器の配置は、高音と低音のステレオ録音が近代的オーケストラのスタンダードになっていて、舞台上手というところに低音楽器が配置されることになるのだが、舞台下手からコントラバス、チェロ、アルト、ヴァイオリンという配置の時、客席に対面する開放弦の一本一本は滑らかに推移して、低い音から高い音へとピチカートで確かめられるだろう。
 クーベリク指揮の録音すべてがその配置ではなく、孤高の指揮者はオットー・クレンペラーだろう。エードリアン・ボールト卿の場合、初期のステレオ録音は、右手側低音域楽器配置の典型であった。これは、聴こえ方の問題ではなく、作曲者の世界に迫る配置の問題なのであり、きわめて重要な音楽鑑賞の要因ファクターといえる・・・

 2020年暮れ訃報が届いた。イヴリ・ギトリス1922.8/22イスラエル・ハイファ生まれが24日パリの自宅で逝去、98歳。現代最高の演奏家の一人といわれていた。親日家としても有名、とくに、東日本大震災の折には被災地に出向いて演奏活動を捧げていた。13歳でパリ音楽院に最上成績で入学、ジャック・ティボー、カール・フレッシュ、ジョルジュ・エネスコという指導者に恵まれ1951年にはロン・ティボー・コンクールで入賞、その結果には聴衆たちが騒動に発展したらしい。パリ・デビューにつながったと言われている。
 幾度となる来日公演で、盤友人は10年余り前、キタラホールで聴いてそのエネルギッシュな演奏に感銘を覚えたものである。リサイタルがはねてから、LPレコードのジャケットにサインを頂いた。ミーハーなのだけれど、シベリウスの協奏曲でジャケット顔写真が2~30代の若いものだったので、いたく喜び、ピアニストのヴァハールを呼んでともに笑いあっていたのが懐かしい思い出。知人のVn演奏家NF氏などは、終演の際に舞台へかけより、ワインを贈っていたものだった。NF氏は滅多なことではなくて格別の思いを届けたかったと言っていた。
 ギトリスの演奏スタイルは、即興性の尊重につきるのではなかろうか?インテンポで停滞気味の演奏をことのほか嫌う。1976年コピーライトの、フランク作曲ヴァイオリン奏鳴曲イ長調ピアニストはマルタ・アルヘリッチ、鬼才ギトリスの神技というタスキが言い得て妙である。50代前半のこの録音は、脂の乗り切った円熟の境地の記録になっている。
 ピアニスト・アルヘリッチは1965年ショパン国際コンクールのグランプリでその前回の覇者はマウリツィオ・ポリーニだった。彼女は1970年初来日、1月札幌市民会館にてプロコフィエフ、第3番ピアノ協奏曲を指揮ペーター・シュヴァルツ札幌交響楽団第91回定期公演で共演している。その音源はCD化されている。当時、盤友人はFM放送でショパンの第3番ソナタを耳にして、圧倒的、情熱的、即興性の勝った演奏に深く心に刻まれたものである。困ったことなのではあるのだが、その後、シューマン子どもの情景など、クララ・ハスキルなどの録音を聴いた後では、その即興性に対して、疑問を覚えていたのである。だから、今回のフランクのVnソナタで、さもありなん、冒頭の和音からして、盤友人としては違和感がある。没入、没我、感情移入過多、ロマン派の溺できたる表現に抵抗感がある。ただし、それが彼女の真骨頂(ご主人が、3から5人いる!)というまでである。つい最近のドキュメンタリーでは、父親が3人とも異なる娘たちと談笑するアルヘリッチには脱帽した。そのときのパートナーは、ピアニスト・スティーヴン・ビショップ・コヴセヴィチ。彼女は破格の人生を謳歌している。ステキな天才ピアニスト、われわれは、彼女の演奏をそのように受け入れれば仕合わせということだ。
 仮想アースというグレードアップの次に、音蔵社長KT氏はコントロールアンプの初段管ECC32を提供してきた。ムラード社製ブラックプレートという古いタイプ、それなりの線材がヴィンテージものだから、再生される音のニュアンスが絶妙になる。たとえば、ギトリスの演奏の狙いは、ヴァイオリンという楽器の音を限りなく、人の声に近づける懸命の演奏ということが分かる。第3楽章レチタティーヴォ、ファンタジア、叙唱風で幻想的な、という音楽は正に一所懸命な響きの歌に近づいている。切れのある音色が浮き彫りになる時、この音楽の真価は、フランクがユジーヌ・イザーイというヴァイオリニストの1886.9/28、結婚を祝して作曲献呈された由縁が明かされるだろう。オーディオのグレードアップは、それこそ、音楽の真骨頂に迫る力を与える…

 賀正、新年が佳き年となりますように。読者の皆さんにとって実り多い年にと祈念します。
  今年ニューイヤーコンサートはリッカルド・ムーティ1941.7/28ナポリ出身、指揮する素晴らしい演奏会で開幕された。ムーティは1967年グィド・カンテルリ国際指揮者コンクールグランプリ、ちなみに、70年グランプリは井上道義、ムーティは1975年ウィーンフィル来日公演でカール・ベームに帯同していた。ニューイヤー最近の登場は2018年、1993年97年2000年04年と常連株でウィーンフィルデビュウは1971.8/11ザルツブルク音楽祭のドニゼッティ曲、歌劇ドン・パスクワーレの成功からになる。
 今年の「ニューイヤー」は無観客TV中継配信演奏会で大変残念な成り行き、けれどウィーンフィル自体は、フルトヴェングラー指揮の時代から、スタジオ録音と銘打たれていたものは、そのほとんどムズィークフェライン無観客によるモノラル録音であって、彼らの歴史からいうと、すでに経験済みの事なのである。ただし2018年のLPレコードには、満場の喝采が記録されていてそれからすると、いわずもがなの演奏会ではあった。今年の美しき青きドナウでの、ホルン吹奏は殊更抜群に聞こえたの盤友人ひとりだけのことだったのだろうか、否、TV鑑賞されたみなさん全て心踊らされたことなのだろう。ギュンター・ヘーグナーの後継者としてウォルフガング・トンベックJr、ラルス・ミヒャエル・ストランスキー、ロナルド・ヤネツィックなど錚々たるメンバーが座っている。ホルンという楽器は、微妙な音程保持があって、経験の少ない演奏者は、よく「ころぶ」という音外しが有る。そのオーケストラの力量と比例していて、バロメーターだろう。この安定感こそ管弦楽鑑賞の醍醐味の一つである。
 ムーティの指揮振りは、決して派手ではなく、かつ、脱力系とは正反対の熱血指揮はデビュウ以来変わっていない。今年の指揮もウィーンフィルがなかなかドライヴに反応しないだけではなく、オーケストラが主導権を握り、逆に、ムーティは、なかなかキューを出さずに「溜め」を作るなど丁々発止で火花が飛び散る、手に汗握るシュトラウス演奏会になっていたといえる。これは、指揮者とオーケストラが信頼関係土台とした、玄人好みの演奏会なのである。もちろん、素人も大盛り上がりとなるものなのだろう。2018年の演奏でも、ラデツキィ行進曲でのムズィークフェライン満場の手拍子のあの圧力は滅多に経験できない代物だ。
 テレヴィを見ていて女性奏者の数の多さにも隔世の感があるといえる。今ですら当然の風景なのだろうが、カラヤンの頃までは、男性奏者のみのオーケストラであった。K氏が積極的に女性採用入団を推進していたのは有名である。その実現は90年代からの景色で、ダイバーシティ多様性の時代経過といえる。
 時を同じくして、Vn両翼配置が復活、ようやくにして作曲家当時の楽器配置が実現したといえる。音楽が「音」だけをとらえて、指揮者の左手側からVn、アルト、チェロ、コントラバスという並べ方は、近代ステレオ観ともいえる、指揮者右手側に低音を配置する感覚になる。いみじくも、2020年1月、ジョン・ウィリアムスはそのような配置で「スターウォーズ」を演奏していたことにより、その意味はより明確化されたといえる。近代の音楽性は舞台下手が高音域で舞台上手は低音域という前提に楽器配置を徹底したものなのだが、それはクラシック音楽の場合、最上の配置破壊と等しいものであった。たとえば、ベートーヴェンの交響曲をそのように設定した音楽は、もはや古いファッションなのだろう。
 ムーティは何食わぬ顔して平気、堂々と、ウィーンフィルの指揮台に登場しているということは、これからの指揮者のあり方を示唆しているのだろう…

 ~百万遍の菓子屋の二階に、いまはなくなった小さな喫茶店があって、客の少ないのを幸いに、そこでたて続けに聴いたフランクのヴァイオリン・ソナタなどは、私の心をそうした危ない断崖に立たせてくれる種類の音楽であった。(青春と音楽と感情と~音楽の友1967年5月号)フランチェスカッティのヴァイオリンとカサドジュのピアノで吹き込まれているそのレコードは、四楽章を聴くためには一度裏返さなくてはならず、店の女の子が面倒臭そうに電気蓄音機をいじっているあいだじゅう、私は有名なメロディを思わず口ずさんでしまわないために、文字どおり渾身の力をふるって自分をおさえながら待つのであった。それは私の感情をかきたてながら鎮めてくれる音楽であり、私自身のよりはもうすこし賢く、もうすこし成熟した青春が呼びかけてくれる声でもあった。―――突然、窓の下にけたたましい音をたてて電車がとまり、見おろすと街路樹のまばらな葉むらをすかして、見知った顔がひとりふたり、大学の方へむかってアスファルトの道をわたってゆくのが見えたりもした。さぼっている講義のことがふと心をかすめ、私は、いま聴いたばかりのレコードをもう一度聴きなおそうと、わけもなくばかばかしい決心をしたことを思いだす~「座右の」音楽書=ハンス・リック「音楽美論」の思い出、評論家山崎正和=
 田中美知太郎の後継となるべく西田幾多郎の系譜に属する哲学部美学科出身の劇作家は今年、享年86にして鬼籍の人となられている。彼は劇作により岸田国士戯曲賞受賞作・世阿弥を発表、米国イエール大学留学後同校にて日本文学の客員教授に就任するほか60年代は評論活動で脚光を浴びている。「芸術現代論」では現代音楽会の評論で、音楽はもはや不必要な芸術ではないか・・・とか書いていた。切れ味鋭い舌鋒は慧眼にして、森鴎外=闘う家長、三島由紀夫=劇的なる日本人・平知盛、いずれも時代を看破する書物を刊行していた同時代の高校生として盤友人はその膨大な情報をまともに浴びていた。
 セザール・フランク1822.12/10リエージュ生~90.11/8パリ没は1886年Vnソナタ、イ長調を同郷の演奏家ユジーヌ・イザーイに献呈している。第一楽章やや快速で、充分に中庸な速さで、第二楽章快速で、第三楽章叙唱、幻想曲充分に中庸で、第四楽章やや快速で少し動いて。ジノ・フランチェスカッティ1902.8/9マルセイユ~1991.9/17は父親がパガニーニ弟子エルネスト・シヴォリの門下生でマルセイユ響のコンサートマスターのイタリア人、母親はヴァイオリン奏者のフランス人。マルセイユでクライスラーの演奏に出会い5歳で公開演奏会10歳でベートーヴェンの協奏曲を演奏したという。愛奏器はグァルネリウスでフランクのVnソナタを1946年4月に録音。ピアニストはロベール・カザドシュ1899.4/7パリ生まれ~1972.9/19パリ没。
 ソナタの冒頭は平行調、それが長調で解決する。今年11月フォノイコライザーを接続し、12月には外部シャーシアースとして、光城精工製品の「Crystal E」を接続、モノラル録音LPレコードの再生においても限りない透明感を獲得するに至った。オーディオのグレードアップにより、情報獲得精度が緻密になることで演奏の表情は格段と向上、フランチェスカッティの、悲しみの音色から輝かしいフィナーレという音楽の喜びを体験する。これは今まで経験してこなかった境地であって、仮想アースというオーディオ・アクセサリーの威力を遺憾なく享受することが可能となった。
 たゆみないクラングフィルム・オイロダインとの牛歩の如き26年間ここにきて皆様にご報告できる仕合わせをともに分かち合いたい、読者のみなさまのアクセスをひしひしと感じて。来る年が明るいものでありますよう・・・fine

 クリスマスに相応しい音楽として、バッハのクリスマス・オラトリオなどあるだろう。オラトリオとは聖譚曲で宗教的題材による大規模な叙事的楽曲、メサイア救世主ヘンデルの曲も有名。カンタータ交声曲とは17世紀イタリアで単声モノディ音楽から生まれ、独唱曲詠唱アリア、叙唱レチタティーヴォ、重唱曲、合唱曲からなる楽曲形式。ヨハン・セヴァスチアン・バッハにより多数の音楽が成立している。ミヨー、オネゲル、プーランク、オーリック、デュレ、ダイユフェールというのはフランス六人組のこと、第1次大戦前後のころ批評家アンリ・コレ1885~1951はロシア五人組になぞらえた。
 アルテュール・オネゲル1892.3/10 ルアーヴル~1955.11/2パリ没はスイス人両親のもとチューリヒやパリの音楽学校に学んでいる。ドビュッスィ、ラヴェルを好み、ワーグナー、R・シュトラウスに影響を受け、ベートーウェン、ブラームスを深く研究したということからわかるように、当時ウィーン楽派シェーンベルク、ベルク、ウエーベルンと同時代にあって、主和音ドミナントおよびそのその解決間の相互作用という一貫する態度で作曲、その彼の白鳥の歌が1953.12/18パウル・ザッヒャー指揮バーゼル室内管弦楽団により初演された。ノエル聖夜の交声曲、「クリスマス・カンタータ」バリトン独唱、児童、混声合唱と管弦楽のための。
 ジャン・マルティノン1910.1/10リヨン~1976.3/1パリは1953年NHK交響楽団を指揮して初来日を飾り幻想交響曲の名演、再来日してストラヴィンスキーの3大バレー音楽、70年には日本フィルを指揮するなど親日家でもあった。明快、優雅、洗練というエスプリの効いた音楽を記録している。ここでは、フランス国立放送管弦楽団、合唱団(合唱指揮はマルセル・クーロー)、児童合唱(指導はジャック・ジュノー)、バリトン独唱カミーユ・モラーヌ、オルガンはアンリエット・ピュイ-ロジェ。1971年頃録音。
 不安感のあるオルガン独奏で開始、続いて弦楽合奏、われ深き淵より主をよぶ(合唱)、来たれエマヌエル、われら重き罪により泣けり、この声を聴き入れたまえ、天使(喜べ、いまぞイスラエルびとよ、エマヌエルは来たらん)、合唱(われらの罪と争いとを追い払い、われらの行く道を照らしたまえ)、バリトン(ゆめ恐れるな、汝らによき知らせ、大いなる歓びを伝えん、救い主は今生まれたまえり、幼子イエスは生まれたまえり)、いと高き所に、栄光あれ主よ、お暗き夜の闇に美しきバラは咲けり、古き世を救わんと生まれ出でたまう、アレルヤ、清き夜、聖なる夜、オザンナ。バリトン独唱いと高き所に神み栄えあれ、地には平和、善意の人々に平和あらんことを、父のみ神に、み子に清き御霊に、昔ながらの平安あれ、とわにアーメン。
 金管合奏による壮麗な音楽に、きよしこの夜、あるいは、1599年讃美歌フィリップ・ニコライのドイツ・キャロル高き天より(これはJ・S・バッハによるカンタータ140番目覚めよと呼ぶ声聞こえ)が大きなクライマックスを築いている。いったん鎮まり、力強いラウダーテ褒めたたえよの大合唱、アーメンで終わり、オルガンを伴って曲は宗教的おだやかな雰囲気のうちに、しずかにお仕舞い。
 当時、シェーンベルクなどによる無調の音楽が台頭する中で、オネゲルはあたかもバッハに還れとでも主張するかの如く、きよしこの夜と目覚めよと呼ぶ声が聞こえという音楽の交錯する作品を提示している。雪の舞う都会の雑踏の中でオネゲルの胸中は、ただ「祈り」をもって作曲する。音楽というのは、演奏されるとともに人々の心の中にこそ宿るという運命を背負っているのだろう。コロナ禍という最中にレコードを再生する貴重なひと時は、人生の中で、ささやかな平安である。読者の皆様の不安を思うとき、冬至を越してという聖夜の音楽は、受け継がれ鑑賞されるべき貴重な時間ではないのだろうか・・・・・

 1791.12/5午前零時55分ウィーンにて、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト1756.1/27午前8時ザルツブルグに生まれた作曲家が生涯を閉じている。享年35歳。映画アマデウス冒頭場面はその二日後埋葬シーンから印象的に開始されていた。10月にはクラリネット協奏曲、11月には病床に臥してレクイエム鎮魂ミサ曲はラクリモーサ涙の日の8小節まで完成していて死亡し弟子ジェスマイヤーにより補完された。
 クリストファー・ホグウッド指揮アカデミーオブエイシェントミュージック合奏団、合唱団、Spエンマ・カークビー、Altカロライン・ワトキンソン、Tenアンソニー・ロルフェジョンソン、Basデイヴィド・トーマス、ウエストミンスター児童合唱団デイヴィド・ヒル合唱指揮1983年9月録音ロンドンキングズウエイホール。クリストファー・ホグウッド1941.9/10~2014.9/24は以前、デイヴィド・マンロウ主宰するロンドン古楽コンソートで鍵盤楽器を演奏して設立メンバーで参加していた。ケンブリッジ大学などで古典楽、音楽学を修得している。彼のレパートリーはルネッサンスから現代まで幅広くカヴァーしている。NHK交響楽団のステージには2009年9月に登場したことがある。Vn両翼配置でアルト、チェロ、コントラバスと上手配置型。それはモーツァルトのレクイエム鎮魂ミサ曲でも記録されている。モウンダー版。アカデミーの創立は1973年、ピリオド時代楽器による編成になる。注意すべきは、モダン楽器からピリオド楽器への転換の時に、楽器配置で第一と第二Vnを両翼配置に展開したことは、意外に指摘されていない事実でこのことは、評論家諸氏の責任といえるだろう。
 音楽開始の弦楽合奏からバセットホルン、バスーンによる哀切極まりない旋律は、M氏作曲当時の事情を鮮烈に表現している。男声合唱、永遠に休息を与えよとニ短調で歌い始められ、一段落すると、ソプラノにより神よ憐み給え、キリストよ憐み給えと続く。合唱も管弦楽もそうなのだが、エンマ・カークビーによるノン・ヴィヴラート唱法は力強い確固たる音楽を創造している。格調高い指揮は、抜群の記録レコードとしてその価値は不滅である。第4曲でトロンボーン伴奏、バス独唱は圧巻、目の覚めるような音楽で、M氏面目躍如たる管弦楽法といえる。合唱部分は中央に児童合唱が配置され、女声ソプラノとアルトが前列、テノールとバスが後列、コントラバスの配置からバスは指揮者の右手側に位置している。
 1988年12月、盤友人はハンス・グラーフ指揮モーツァルテウム音楽院管弦楽団の舞台でモツ・レクを合唱団の一員として歌っている。その時合唱団120名は札幌モーツァルテウム合唱団、合唱指揮者は宍戸悟郎。ティンパニー奏者の後ろで演奏したが、彼はエルネスト・アンセルメ風貌然としていた。コントラバスの若い女性奏者は豊かな音量、体全体でスウィングして演奏、彼らは作曲者からの伝統の上で臨んでいたということになる。
 1991年7月21日札幌芸術の森、指揮マイケル・ティルソン・トーマス、Spアーリン・オージェ、Altクリスタ・ルートヴィヒ、Tenポール・スペーリー、Basコーネリアス・ハウプトマンで前年死去したレナード・バーンスタイン追悼演奏会の舞台も経験している。ステージの脇でA・オージェと盤友人はすれ違ったし、C・ルートヴィヒと同じステージに立った経験は、PMFパシフィック・ミュージック・フェスティバルに参加したのおかげである。同年12/9札幌交響楽団331回定期公演にも出演Sp三縄みどりAlt青山智英子Tn五十風修Bs福島明也達と稀少なレクイエム体験であった。その指揮者は秋山和慶、斉藤秀雄メソッドを継承する主要な指揮者で合唱指揮者の宍戸悟郎と絶大な信頼関係のもと、演奏は成功している。
 死者のためのミサ曲レクイエムは、死者に捧げる音楽であるとともに、残された人々の手向けという死者に寄り添う音楽なのであるが、音楽というものは、生きている人間による力強い祈りに他ならない。曲はクムサンクトゥスエイス、レクイエム・エテルナム・ドナ・エイス、冒頭に回帰して永遠の安息を与えよという音楽にて終結する。画家横尾忠則氏は以前ラジオで、この音楽は宇宙全体が鳴り響いているような印象を与えると発信していた・・・・・

 オーディオ装置の向上には、多少の経費が必要であろう。どのような音楽を求めるかという目的なしに考えられない。アナログ、ヴィンテージという枠の中で1950年代の再生音を目標として、ということは、第二次大戦後の世界である。大変な時代を経過して人々が求めてやまない音楽の世界に近づけようという努力が、盤友人にとっての、よすがである。フォノ・イコライザーアンプを持ち込むことにより、再生音に格段の透明感を獲得できた。1929年録音HMV。アルフレッド・コルトー1877.9/26瑞西ニヨン生まれ~1962.6/15ローザンヌ没は、20代の頃ピアニスト、指揮者として活躍バイロイトで副指揮者を務める。1902年25歳パリでワーグナー神々の黄昏、トリスタンとイゾルデのフランス初演を指揮。1928年パリ交響楽団を設立の際は、6歳年下のアンセルメとともに指揮者に就任している。1905年からカザルスのチェロと、ティボーのVnというピアノ三重奏団の活動を1933年まで継続、オフ・シーズンの6月にパリで演奏会を開催していた。★07年母校パリ音楽院の教授に招聘されている。主任教授に任命され、1917年世界第一次大戦終戦の前年まで就任、国際的な新風を送り込んだ。革命直前のロシア訪問、18年には交響楽団ソリストとして訪米、その翌シーズンにはニューヨークでワルター・ダムロッシュ指揮するニューヨーク交響楽協会とベートーヴェンの協奏曲全5曲を演奏した。パリコンセールバトワール教授退任後、エコール・ノルマル・ド・ミュージックという音楽学校を創立している。ソルフェージュ、和声分析、音楽形式、音楽史など知的テクニックにもとずく良きテクニックを修得するという教育理念を実践した。第1次大戦後20年間は、ピアニスト、教育家、文筆家として活躍をしている。
 ドイツ第三帝国の影響により、コルトーはレジスタス運動には不参加、親ドイツ路線を歩み、第2次大戦後ローザンヌに幽閉。フルトヴェングラーの活動再開にあわせて、48年エディンバラ音楽祭でショパン・プログラムを演奏してリサイタルを開いた。カザルスはよりをもどし、58年プラード音楽祭に彼を招いている。5年前にティボーは亡くなっていてのことである。その6年前、52年、一度だけの来日公演が日比谷公会堂で実現、75歳で技術的なハンディを超えて当時の聴衆に巨匠の芸術は感銘深いものだったと言われている。東京での最後の演奏会11月12日。
 ロベルト・シューマンの交響的練習曲作品13は、主題と12の練習曲で構成されている。ウィーンでの楽譜出版は1837年のこと。フォン・フリッケン男爵がフルートのために書いた旋律、彼は養父で娘のエルネスティーネ・フォン・フリッケンにロベルトは恋していたという。ということは、シューマンが一所懸命作曲したピアノ曲は、いかにもシューマンらしい音楽に仕上がっていて、古典派と一線を画するロマン派特有の夢幻性を帯びている。ベートーヴェンの後姿をシューベルトは追いかけていて、シューマンはその先の音楽世界を創造するのに成功しているといえる。正に、コルトーの一所懸命に演奏するピアノ・プレイエルはその夢幻性の再生であり、シューマンの作曲こそコルトーの世界といえるのだろう。イコライザーアンプの採用によりモノラル録音の透明感は格段に向上して、一音一音の連なりが姿を現す。つまり旋律線のフレーズを克明に描き分けるコルトーのタッチは不滅であり、ピアノとフォルテのストレスの表現は、リズムの躍動感を浮き立たせる。一所懸命なコルトーこそ、不滅の芸術であり、オーディオ再生の究極の目標となるから、モノラルレコードの価値は、ピアノの倍音再生だ。スピーカー全体が楽器の音響となり、そこに、コルトーの姿が浮かび上がる瞬間こそ醍醐味であろう・・・

 オーディオというもので再生する音楽はたぶん、演奏家の目指す作曲家のメッセージをいかに味わえるかということが肝要となるだろう。つまりそこに、スピーカーとか、指揮者やオーケストラ奏者の技術を超えて、この音楽を楽しむことが目標である。そんな意味で、ラジオカセットで聴いても、ステレオで聴いてもどれだけ音楽の醍醐味を味わえるかなのである。だから装置は、他人に自慢するものではなくて、本人がどれだけ納得できるだけ追究するかのもので果てしがない。日々新たしというか、音楽を味わう目的を失うべからずということであろう。そんな意味で、アナログの一つのピークの段階に到達した。プリアンプその前段の昇圧トランスの後にイコライザーアンプをセットできた。フォノイコライザーを、トランス、真空管E80CCという出力管装備で格の違いを経験することになった。
 札幌の交響楽団定期公演でマーラー、交響曲第5番嬰ハ短調を聴いた。指揮者は弦楽の古典配置を採用して舞台奥一列にコントラバスを並べるという設定、舞台下手にはハープ、ホルン、中央にトランペット、トロンボーン、チューバ、舞台上手にティンパニ、大太鼓、小太鼓、シンバル、タムタム、鉄琴を揃えていた。木管楽器はほぼ3管編成。印象的だったのは、指揮者が的確な指示、正確なキュー、好ましいテンポ感、安定感に満ちたマナーで団員からは確固たる支持を獲得していた。舞台中央にチェロ、アルト、Vnダブルウィングという配置は、作曲の妙味が一段と増して鑑賞できることになる。
 グスタフ・マーラー1860.7/7プラハとウィーンの中間にあるカリシュト生まれ~1911.5/18ウィーン没、1897.5/1ウィーン宮廷歌劇場管弦楽団指揮者に就任、この年にはローマカトリックに改宗、オペラを指揮するなどの活動をしている。交響曲第1番巨人は1889.11/20にブダペストで初演、第5番は1904.10/18ケルン、作曲者自身の指揮で初演されている。1902.3/9アルマ・シントラーと結婚、出会い後ほぼ5か月足らずのことだった。その11月には長女マリア・アンナ誕生、1907.7/5病死、その12/7にはウィーンの国立歌劇場と決別するなど、波乱が続き辞表受理は12/31になる。第5番は、第1部が第一と第二楽章、第二部が第3楽章スケルツォ、第4楽章アダージェット弦楽5部、ハープと第5楽章は第3部という感覚になる。初演年は
 第1番ニ長調巨人、ブダペスト1889.11/20、
 第2番ハ短調復活、ベルリン1895.12/13、
 第3番ニ短調夏の朝の夢、クレフェルト1902.6/9、
 第4番ト長調大いなる喜びへの讃歌、ミュンヘン1901.11/25、
 第5番嬰ハ短調、ケルン1904.10/18、
 第6番イ短調悲劇的、エッセン1906.5/27、
 第7番ホ短調夜の歌、プラハ1908.9/19、
 第8番変ホ長調千人の交響曲、ミュンヘン1910.9/12、
 大地の歌、ミュンヘン1911.11/20、
 第9番ニ長調(1910.4完成)、ウィーン1912.6/26、
 第10番嬰ヘ長調アダージォ(未完成)、ウィーン1924.10。
 ラファエル・クーベリク指揮バイエルン放送交響楽団1981.6/12ライヴ録音を聴く。スピーカー右側から独奏トランペット、トロンボーンなどが定位する。中央はティンパニーなど打楽器、スピーカー左側にはヴァイオリン、チェロ、コントラバスそしてハーブ。右側に第2Vnとアルト=ヴィオラという和音ハーモニーの内声部が明快に演奏されている。
 ステレオ録音を考えた時、左スピーカーにヴァイオリンという時代が大多数を形成している中で、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを見ていると1987年ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮から古典配置が復活している。
 すなわち、高音と低音の分離という時代から古典的な第1と第2Vnの分離こそ最上のステレオ録音なのだろう・・・

 ドヴォルジャーク1841.9/8ネラホゼヴェス生まれ。弦楽四重奏曲「アメリカ」というニックネイムは、黒人とアメリカ・インディアンの民謡に関わりがあり「ニガー」というのは全体的ではなく、かつ時代により配慮すべき意味合いがある呼称のために現代日本では「アメリカ」とされているヘ長調作品96。作曲当時アメリカ本土の生活から米黒人への郷愁が感じられる。特に第2楽章レント緩やかには、民謡風旋律を主題を繰り返し受け継がれる。主題がVnからチェロに引き継がれるのは印象的である。いえることは、深いメランコリーと、慰めに満ちた感情が切々と歌い上げられる。これは作曲者による黒人たちに対する強く深い理解の上になる作曲でありプラハへの望郷の念と一対である。第3から第4楽章へヴィヴァーチェさらに、はなはだしくなく快活にフィナーレを迎える。
 1893年完成、神への感謝、スケッチは3日間くらいで仕上げられている。1892年から1895年4月までニューヨーク・ナショナル音楽院の教授、院長として業績を残している。プラハに帰国、同音楽院長就任して1904.5/1腎臓病により急逝62歳。14曲の四重奏曲の中で後期作品第12番になる。
 モノラル・デッカ録音LXT2530のレコード1950年代前半のものでグリラー四重奏団。輝かしい音色からメランコリーに満ちた深い悲しみを湛えた歌に溢れた演奏。モノラル録音というものは、マイクロフォンに正対した楽器の音色を鑑賞することになる。だからチェロとアルト=ヴィオラがスピーカー中央に聴けるのは大いなる歓びであり、第二ヴァイオリンを第一と分けられるイメージは格別なものがある。現代は古典的配置、ヴァイオリン両翼配置が復興している時代であり、室内楽でも聞かれるものと思いきや、Vnとチェロを正対される多数派の演奏に、つまらない思いをしているのは、盤友人だけのことなのだろろうか?
 演奏家たちは演奏する立場から、Vnの第一と第二を舞台下手にそろえることにより、自然、アルト、チェロは舞台上手配置に振り分けられるステレオ録音が多数派である。この「アメリカ」を聴いて、第二Vnを第一と正対させることにより、聴く立場としては、聴きやすくなることこの上ない。第一Vnに続いて、チェロがテーマを引き渡されるのは上手中央にチェロが座って成立する話である。現代の両翼配置復興を考えた時、弦楽四重奏はその配置により歓びのグレードは向上することだろう。すなわち、ステレオ時代の多数派形成は演奏者主体の時代であって、聴衆のことを考慮したとき、古典配置は成立するものなのだろう。チェロを第一Vnと揃える発想は、モノラル録音を聴いていると、自然、導かれるものなのである。第二Vnのコキコキコキという伴奏は、上手に配置すると聞きやすくなる。
 演奏家は、音を出すのが仕事だから、配置は問題にしないという。それでは音楽とは何か?  心の中にある旋律、リズム、ハーモニーであり、音は必要条件なのだが十分とはいえないものであり、聴衆の存在と共有するもの、それこそ音楽なのであろう。だから、最善の配置をこそ求められるべきであり、ということは、聴こえやすい配置を追究しなければならないのである。オーディオで語る時、左スピーカーに第一Vnとチェロ、右スピーカーにアルトと第二Vnこそ理想の配置なのである。モノラル録音を再生すると、自由なイメージが楽しめるので、ステレオ録音では、お相撲で云うと不知火型、両腕を広げて中心にチェロ、アルト、広げた両腕がヴァイオリンという配置で聴きたい。
 アントニン・レオポルド・ドヴォルジャークの作曲は、ただ単に美しいだけではなく、黒人、ネイティヴ・アメリカンに対する彼の想いを受け止めることこそ音楽なのだろう。そのためには、理想とする配置で演奏されることこそ最上なのであり、生の音楽は、それが求められていることに気づけるかなのである・・・

 レコードを収集していると、モノラル録音の世界はとても貴重な記録となっている。何よりピアノの音色は、そのレコードの特色とも云えるメーカーの違いに味わいがある。例えば、ベルリンで記録されたものではベヒシュタインではないだろうか?とかウィーンのものではベーゼンドルファーではなかろうか?などと好みの世界は広く深遠である。この段階に届くためには、オーディオの追究が必要条件である。まず、ピックアップともいう、カートリジをモノラル専用の仕様に変換が必要であり、ステレオカートリジで再生するより、宇宙の感覚が頼もしいものである。スピーカーの鳴り方にドライバー、ウーファー上下左右の一体感により、壁面全体に音響は拡大を見る。弦楽四重奏の場合など、下方にチェロ、その上にアルト=ヴィオラ、そしてヴァイオリンが上の方に聞こえるから整然として四つの楽器、演奏する音楽は克明な表情を帯びることになる。そのように、ピアノという楽器の場合、倍音の鳴り方により、スタインウエイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタインの三者の相違は明らかにされる。
 ピヨトール・イリイッチ・チャイコフスキー1840.5/17ウドムルト自治共和国カムスコ・ヴォトキンスク生まれ~1893.11/6ペテルブルク没、母親はアレクサンドラ・アンドレエヴナ・ダシェ、フランス系の若く美しい婦人で音楽の影響を与えている。1850年ペテルブルクの法律学校入学、勉学の傍らコーラス、ピアノと理論を学び54年にはピアノ曲ワルツが残されている。59年卒業して法務省勤務、63年辞職、アントン・ルービンシュタインやニコライら主宰するロシア音楽協会に参加、ペテルブルク音楽院に入学、師はニコライ・ザレンパでチャイコフスキーが作曲家としての自信を確立している。最初の管弦楽作品は序曲嵐・テンペスト。オストロフスキーの戯曲による。1866年には交響曲第1番作品13冬の日の幻想を作曲し74年にはピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23を完成する。ニコライ・ルービンシュタインは全否定して演奏不能の批評を下し、初演は別な大ピアニストのハンス・フォン・ビューローに献呈されボストンで披露されている。ニューヨークでも大成功、12/30にはタネーエフによりモスクワ初演が果たされている。ニコライ・ルービンシュタインはその後自身の誤りを認めのちの当時最大の協演者になったといわれている。
 チャイコフスキーは生涯、モーツァルトの音楽を愛して管弦楽組曲第4番作品61モーツァルティアーナを作曲、アヴェ・ベルムコルプス聖体讃美歌を主題とする作曲をしている。1887.11/26作曲者自身指揮初演大成功。モーツァルト作曲フルート四重奏曲ニ長調の第2楽章は弦楽器のピチカートに導かれて、フルートが主題を吹奏している。ピアノ協奏曲第1番作品23第2楽章も同じアイディアであり、現在、それは大問題で独奏フルートの旋律、ティーターラティー、というメロディーなのだが現在の演奏会では、主題の旋律と異なる音楽を平気で演奏している。すなわち、使用楽譜に訂正が加えられていて、開始の音に戻る音は、上から降りるのが主題なのだが、独奏フルートのとき跳躍しないで下から上がるように演奏している。現行楽譜によるとそのようなのであるが、ステレオ録音の時代には多数派がその跳躍する主題とは別な音楽を吹いている。ステレオではフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団1955年録音が、主題と同じフレーズ演奏を採用しているしドイツグラモフォン1951年11/13録音レオポルト・ルートヴィヒ指揮ベルリン・フィルハーモニーでオレール・ニコレと予想される演奏も主題と同じ音型採用。
 1929年録音ハミルトン・ハーティー指揮、ハルレ管弦楽団、1940年録音のウイレム・メンゲルベルク指揮ベルリン・フィルも主題と同音型採用のフルート。さらに、ウエストミンスターレーベルでヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管弦樂団のフルートも跳躍型でピアノはエディト・ファルナディ女史。ハーティー盤のピアニストはソロモン、メンゲルベルク盤はコンラート・ハンゼン。ソロモンはスタインウエイ、ハンゼンはベヒシュタインだろうと思われる音色、ファルナディはベーゼンドルファーの音色、モノラル録音盤世界の多様性こそあるべき姿で、金太郎飴現代の演奏はいささか疑問?といえるだろう。どちらが楽しいかである・・・

 ジャケット写真というもの、プレイバックして指揮者と独奏者たちの会話を類推するに、記録の完全性に関わるであろうと思われる。ここでは指揮者個人ではなくて、音楽家たちの会話であることにより貴重な1カットとなるであろう。ピエール・フルニエ1906.6/24パリ~1986.1/8ジュネーブ没、ウォルフガング・シュナイダーハン1915.5/28~2002.5/18ウィーン生没、ゲーザ・アンダ1921.11/19ブダーぺスト~1976.6/14チューリヒ没、フェレンツ・フリッチャイ1914.8/9ブダペスト~1963.2/20バーゼル没、彼らは1960.5/30~6/1に、ベルリン放送交響楽団とセッション録音を完成。ドイツ・グラモフォンの名録音、金字塔を打ち立てている。
 本年で生誕250年ベートーヴェンは作品56、1803~4年ロブコヴィツ侯爵に献呈したのは、英雄交響曲ならびに第4ピアノ協奏曲と同じ時期、傑作の森にある作品。よく地味、陳腐とか見下されている作品なのであるけれど、コンチェルトグロッソ合奏協奏曲というバロック時代の様式を体現してルドルフ大公のピアノを想定して作曲されている。ベートーヴェンの弟子でありつつパトロン的存在?のために作曲という設定は、英雄交響曲の意欲作の後に、平明な作曲技法による管弦楽法でありB氏らしさの刻印された楽曲であろう。
 ステレオテイク・モノラル盤であり、指揮者の背後に独奏者たちを配置した合奏、指揮者は背中でソリスト達の演奏を聴きながら、前面の管弦楽団を統率するという、指揮者冥利に尽きる音楽、充実感はジャケット写真の意味するところである。敢えて、ピアニストは背中でVnとチェロの合奏に合わせるのが自然であろう。だから、リスナーにとって舞台上手にピアノ、指揮者左手側に弦楽奏者を配置すると理想である。フリッチャイ指揮のステレオ録音は、多数がVn左スピーカー側で右側にはチェロ・コントラバスを配置させている。これは、ステレオ録音初期の典型なのである。バーンスタインやオーマンディ指揮のものなどは、指揮者の右手側にチェロ・コントラバスを配置させる。ところが現代ではピリオド楽器の時代が復興して、その後に古典的配置、Vnダブルウイング両翼配置が復活している。指揮者のなかには、ブレないように、かたくなに舞台左手側に第1と第2Vnを揃える多数派がいるのだが、作曲者時代の両翼配置は、現代の演奏者に超えるべきハードルとして要請される時代と云えるだろう。すなわち、フリッチャイの音楽を、根底として楽器配置は現在バレンボイムやズービン・メータらの判断こそ、賢明といえる。
 ヴァイオリンとチェロのアンサンブルでは指揮者左手側の音楽なのであり、アルト、第2Vnの音楽はピアノとうまくアンサンブル出来るだろう。指揮者が「音」にだけこだわり、第1、第2のVnを揃える時代は、すでに古い時代のものとなっている。時代はうねるがごとく変容しているものであり、かたくななスタイル固辞は克服すべき判断なのだろう。
 フリッチャイは、この録音の3年を経ずして他界、歴史の非情を痛感させられる。ただ、第九名録音の後2年後の記録であり、その勢いに預かるのはささやかな慶びである。名演奏家達による自由闊達なレコーディングこそ、何ものにも代えられない宝物である。フリッチャイ芸術こそ不滅の記録といえよう・・・

 秋の夕暮れは、つるべ落としといわれる如く時間の過行くさまが急でいつの間にか夜の帳が下りている。東から南にかけて赤い火星がのぼり、西の空には土星と木星が三日月と接近している。札幌市に近い手稲山頂では、先週に降雪が見られた。秋の深まりは一気に進んでいる。
 秋に相応しい作曲家というと、ヨハネス・ブラームス1833.5/7ハンブルク生まれ~1897.4/3ウィーン没。坂本龍馬は1836.1/3高知生れ1867.12/10京都没だから徳川幕府末期の時代である。1862年の秋にはウィーンへと進出、68年にはドイツ語によるレクイエム作品45を成功して名の売れた作曲家となる。1871年のクリスマスにはカールスガッセ4番地のアパートに気に入った部屋を見つけ、終生をこの住居にとどめることにした。この頃に彼は失恋していてアルト・ラプソディー作品53に心情は吐露されている。
 ハンブルクに住んでいた父親の死は1872年2月のこと、1873年5月には作品56のa管弦楽用とb二台のピアノ用、ハイドンの主題による変奏曲を発表している。これまでに彼は管弦楽の音楽を、セレナード2曲、ピアノ協奏曲第1番と作曲しているのだが、交響曲第1番は1855~76で作曲、11/4カールスルーエの宮廷歌劇場で初演された。ブラームスはおよそ20年の歳月を温めて完成させている。云えることは、交響曲に対する作曲家のプライド矜持、104曲余り作曲したハイドンとは一線を画して、ベートーヴェンが創作した9曲、彼はある種の理想を見通しているのだろう。先達のB氏は30歳で世に問い、ブラームスは43歳で決断している。
 作品68でハ短調交響曲というのは、B氏が作品67だったという事実と、微妙な相関関係があると考えられる。すなわち、B氏の四つの連打音、ブラームスの開始部分で、序奏の後に執拗に鳴らされていることから、彼はベートーヴェンの67に続く68で発表したということの想像がつく。それくらい、考えに考え尽された交響曲なのだと思う。第1番ハ短調、第2番ニ長調、第3番ヘ長調、第4番ホ短調という主音を繋げると、ドーレーファーミというモーツァルト第41番交響曲ジュピターの第4楽章に現われるモチーフ、偶然の結果、そうとも言えないところがブラームス愛の問われるところである。
 第2楽章は緩徐楽章で、明らかにロマン派の極みである。コンサートマスターの独奏が設定されている。なんと、対話する相手は、ホルンの独奏、だから座席としてアイコンタクトの可能な指揮者の右手前方、舞台上手配置は自然なことなのだろう。ウィーン・フィルハーモニーのディスクでは、フルトヴェングラー指揮1952年、カラヤン指揮1959年のものが有名で、それ以後はラファエル・クーベリック、ズービン・メータ、ジョン・バルビローリ、カール・ベーム、クラウディオ・アバド、レナード・バーンスタインなど、名演奏がズラリと記録されている。
 レコードに表記されているものでたとえば、カラヤンのものはウィリー・ボスコフスキーが演奏している。1956年10月デッカ録音でヨゼフ・クリップス1902.4/8ウィーン生~1974.10/13ジュネーブ没の指揮したものは、聴いていてボスコフスキー1909~91の浪漫的な演奏スタイルとは少し味わいが異なる。どちらかというと古典的スタイルで節度あるヴィヴラートに、気品ある音楽を味わうことができる。当時のコンサートマスターでは、ワルター・バリリ1921年生まれが演奏している想像を許されることだろう。クレジット表記は無いので、違うのかもしれないけれど、そんな雰囲気はある。
 音を聞くのは、音楽を味わう必要条件であり、十分な条件は音楽を味わうところにある。すなわち、耳の外で音は鳴っていても、頭の中では音楽が鳴っている。鑑賞するべきは音楽であって、その想像の世界は宇宙といえる。その限りでブラームスは演奏されているとき、生きているのだろう・・・

 ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調は作品67ということを認識するのは、チャイコフスキーがピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23というときに気が付いたものだ。調性はシ・フラットでbというものになる。ちなみに変音だからbビーで、♭が無いときはhである。いずれにしろ1873年作曲。運命の作曲は1808年だから、ウィーンの音楽がモスクワの作曲家になんらかのインスピレーションが伝わったのだろう。運命の動機は、作品10の1ピアノソナタ第5番ハ短調の終楽章で、ウタタタ・タ、タタタ・タ、タタタ・ターという瞬間に出会う。このことはフリードリヒ・グルダの演奏できわだっていた。グレン・グールドの演奏では、そのことは封印されていてアルトゥール・シュナーベルの演奏に近いものを感じさせられたものである。1798年作曲で作品10の2はソナタ第6番ヘ長調、作品10の3は第7番ニ長調、伯爵夫人アンナ・マルガレーテに献呈された。そういえば田園交響曲は、作品68でヘ長調、ピアノソナタ第5、6番の10年後1808年作曲になる。 ウタタタ・ター、ウタタタ・ターという動機モチーフは、通常、4小節の表記で済む話、ところがB氏はファファファ・レーというところの、レの小節をタイでもって同じ音をつなげて2小節目にフェルマータ延音記号を付している。初版の楽譜ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社のものでは、同音連結になっていない。このことは何を意味するのか?すなわちこの一所にB氏の思惑がある。ある評論家は、2小節目のフェルマータより、5小節目のものは1小節分長いと説明して、指揮者の中にはトスカニーニの映像を見て分かるのだが彼は、それを同じ振り方でもって、1小節分長いという仕方を示すことはない。ブルーノ・ワルター指揮は、コロンビア交響楽団のレコードでは5小節目の方を短く済ませる解釈を記録している。
 フェルマータというのは、拍節を停止して自由に延ばすのだから、かの評論家の説、大多数の方の印象は、よく考えると成り立たないものなのである。何気なく聞いていると後者の方を延音するほうが納得するのだが、作曲者の意図は、違うところにある。それがすなわち、4小節から5小節へと動機を拡張した説が考えられる。バーンスタインは、音楽のよろこび、訳者吉田秀和によると1954年11月14日放送のテレヴィ番組で、第5番交響曲の解釈アナリーゼを発信している。最初の4個の音符、その前には1個の休符があり、2小節から構成されている。この認識をさらに拡張すると全体で5小節の感覚が必要になる。オーケストラ総譜を開くと、弦楽5部の他にB♭クラリネットが同じ音楽を演奏している。盤友人はこれを、舞台の上で指揮者の右手側上手の音響を補強していると解釈する。フルート、オーボエ、バスーン、ホルン、トランペット、ティンパニ、これらの楽器は休止していて、同じようにフェルマータを2と5小節目に付している。最初にはいつつの楽器だけで、7個の楽器には無かったという指摘をしていて、クラリネットは後で加えられたもの、ということになる。ちなみにフェルマータをB氏は、2と5、21と24、128、249と252、268、479と482という10小節に記譜されている。それぞれペアの場合は2つ目が同音連結、128小節目はペアにならないでフェルマータが記譜されているところで、長さの区別説が説明できないことを意味している。268小節目はオーボエが独奏して、レチタティーボ詠唱風に1小節だけで記譜、カデンツァ装飾5小節相当部分が演奏される。
 B氏の作曲は明らかに5小節1単位で作曲されていて、楽章の終結は476~501という25小節で完結する。現行の楽譜では477~502になっている。現行譜は389小節目に全休止が有るからで、それを作曲者は記譜していないと考えるのはニキッシュ指揮や山田耕筰、パウル・クレツキ指揮1966年コピーライトでバーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団、最近知人に提供されたSP復刻CD録音でブルーノ・ザイドラー=ウィンクラー指揮、帝国大管弦楽団による(ニキッシュ録音以前の)ものなど、全て、第一楽章501小節作曲389全休止なしによることで分かる。
 ピエール・ブーレーズは、現行譜に従うものなのだが遅目のテンポを採用していて、ニューフィハーモニア管弦楽団1968年12月録音。クレンペラー、フリッチャイ指揮などと共通するテンポ設定。楽章終結に25小節というのは、5の平方であり、全休止を123、124小節と2小節連続して設定しているから、389小節目全休止は不要である。406小節目から音楽は流れ出すという規格は作曲者の設定に必要であり、それは5小節1単位という大前提による。単なる全休止の否定ではなく音楽の枠組み、基本設計の土台という感覚になる。それは、ブーレーズ採用のテンポでもって明らかになり、彼は389小節全休止という現行譜の前提で記録したことになる。その不自然さは聴いているとよく分かること。だから、大多数の指揮者はこのテンポを採用せずに、トスカニーニやカラヤンの採用する、プレスト急速に近いアレグロを採用するのだろう。アレグロ・コン・ブリオというイタリア語は、活気、熱気をもってという作曲者指定する楽想記号であり、モデラート中庸に近くアレグロ快速なテンポを設定することは極めて、意味深い・・・・・

 LPレコードを考えた時、そのあり方として基本情報、何時どこで誰がというクレジットをどのように対処するかということがある。商品だから音楽鑑賞するアイテムとして付帯情報を提供しないという考え方があれば、1950年代のドイツ・グラモフォン、アルヒーフ盤などは録音年月日、場所、使用楽器、使用楽譜、事細かくなおかつ正確な情報をカードとしてレコードに添付していた。そのポリシーにいたく感動したものである。
 レコードのあり方は、多様であってひと通りの条件で成り立つものでもない。1980年に日本コロンビアは、不滅の名演奏家1500シリーズその3としてセルジェ・チェリビダッケ指揮・管弦楽団というクレジット、ブルックナーの交響曲第8番ハ短調というレコードをリリースしている。録音年月日、場所、管弦楽団名など不詳としていた。チェリビダッケ1912.6/28(現行暦7/11)ルーマニア・ローマン生まれ~1996.8/14パリ没、彼は1936年にベルリンへ移住し音楽院や大学で研さん、1945年8/29にベルリン・フィルの指揮台に登場している。23日に指揮者レオ・ボルヒャルトが米兵による誤射で死去により急遽招かれることになる。45/46年のシーズンに108回の演奏会をこなすことになる。当時、フルトヴェングラーは非ナチ化裁判の最中であり、復帰するまでティタニア・パラストなどでの演奏会に白羽の矢が立ったといえる。この経歴は、ベルリン・フィルという歴史ある楽団を経営するという貴重な経験であって、その中で彼の芸風は確立されたことに間違いはないだろう。F氏は1947年に裁判を経てベルリンに復帰して、1954年F氏没して後任にカラヤンが就任するとともに、チェリは退くことになる。その事情は、指揮と商業ベースの関係性にある。カラヤンの路線とは別に、音楽を時間の芸術としてとらえるチェリは、録音を認めない、いわゆる実演至上主義の路線を突き進むことになる。生前、彼がリリースしたレコードは、プロコフィエフの古典交響曲、イダ・ヘンデルとのブラームス・Vn協奏曲、自作曲の3種類のみ。ただし、彼はオーケストラが録音したソースにより、死後、多数のCDが販売されることになっていった。
 日本の音楽ファンに知られるようになったのは、1970年頃の読売日本交響楽団との定期公演登場になる。ロンドン交響楽団との来日公演ライヴ放送を盤友人はリアルタイムで鑑賞している。異常な緊張感で、ムソルグスキー=ラヴェル編曲、展覧会の絵など、あのロンドン響の首席トランペット奏者が最初にミスしたことを鮮明に記憶している。
 当時NHK-FM放送により、シュトゥットゥガルト放送交響楽団の演奏は、よく流されていたので多分、団塊の世代のリスナー諸氏は貴重な経験を積まれていたことと思わる。そんな中で、チェリのレコードが、カナダ・ロココ原盤により市中にリリースされた。管弦楽団とは、いったい、どこのオーケストラなのか疑問は、謎のまま時間は経過した。1996年音楽之友社刊になる伝記本、井口優子、カールステン、斉藤純一郎訳のクラウス・ウムバッハ伝記的ルポルタージュが出版されている。その中に1976年グラーツ演奏会、ブルックナー交響曲第8番、シュトゥットゥガルト放送交響楽団という記述を目にした。レコードを再生すると、弦楽器の分厚い響き、金管楽器の重厚なアンサンブル、木管楽器の緻密な演奏、そしてティンパニーのよく鳴る叩きぶりなど、総合的、俯瞰的に判断すると伝記本の記述と日本コロンビアのレコードの関連性が腑に落ちたといえる。
 1976年はチェリビダッケがシュトゥットゥガルト放送交響楽団音楽監督就任の年であり、このクレジット未表記のレコードの実体と強い関連性を認識するに、充分な情報は揃ったと云えるだろう・・・

 10/6火曜日はあいにくの雨天で、東京23度札幌13度という気温。夜9時ころ東方の空では二十日あまりの月、南の中空には雲間に火星が見えた。地球に準大接近、といっても6207万0493Kmだからその感覚は、月が地球までの平均距離384.399Km…雲をつかむより、さらに遠いことは確かな話だろう。家の外では薄紅の秋桜が美しい季節。
  ヨゼフ・シゲティ1892.9/5ブダペスト~1973.2/19ルツェルン没、彼はグァルネリ愛用家でフバーイに師事している。
 ヤッシャ・ハイフェッツ1901.2/2ウィルナ旧ポーランド領~1987.12/10ロスアンゼルス没、H氏はグァルネリからストラディバリウスへの二刀流
 ナタン・ミルシュテイン1904.12/31オデッサ~1992.12/21ロンドン没、彼はストラディバリウス愛用家。ロシア人の二人は、同じアウアー門下生ながらH氏アメリカへ移住して活躍の場を定めたのに対して、M氏は同じくアメリカでも活躍するが、最後までヨーロッパでの活動を続けていたという立場の違いがあった。
 ヨハン・セヴァスティアン・バッハ1685.3/21アイゼナッハ生~1750.7/28ライプツィヒ没は、無伴奏Vnソナタと、パルティータを三曲ずつ、BWVバッハ作品番号1001~1006まで作曲している。1703年に彼はワイマールでVn奏者として宮廷楽団に就職している。最初の細君はマリア・バルバラ1684~1720、フリーデマン・バッハ1710~84(ハレ)は長男で、次男はカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ1714~88(ベルリンとハンブルク)、ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト・バッハ1715~39(ミュールフェルト)は三男。バルバラ死去の時期1720年頃に無伴奏ソナタ、パルティータは作曲されている。後妻のアンナ・マグダレーナ1701~60の子どもとして、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ1732~95(ビュッケブルク)、ヨハン・クリスティアン・バッハ1735~82(ミラノとロンドン)は末子で有名な音楽家に成長。アンナ・マクダレーナは16歳年下ながら、セヴァスティアンとの間に13人の子どもをもうけたと伝えられる。ものの本には、夫の作品を写譜、清書し筆跡はバッハ自身のものと間違えるほど似ているとある。
 ソナタ第3番ハ長調の4つの楽章は楽器の音響の特性を発揮させ、オーディオのチェックに最適と盤友人は考えている。一つの音を長くのばして装飾的なつながりを重音奏法という、きわめて高度な技術を要求されている。ハイフェッツの1953年10月録音は、その点、わりと短めの印象を受けるし、それは、その後のシゲティ1959年6月~60年4月録音の結果として長めのたっぷり鳴らす音楽に比較して遜色が感じられる。H氏はどちらかというと、技巧の上に音楽を演奏しているのに対してS氏は技巧を露わにしながら、隈取深い縄文の文様のような印象を受ける。楽器は輝かしい音色で、S氏の録音はハンディがあるものの、この音盤から楽器の豊かな音響を引き出せたときに、醍醐味は充分である。すなわち「音色はキタナイ」という感想は、オーディオ機器のグレードアップ余地のある話だろう。ミルシュテインは1950年代にモノーラル録音で滑らかな音楽性と、高度な技術を記録し1973年にはステレオ再録音を残している。
 音蔵社長KT氏は「美しいご婦人が通り過ぎて、後に香水の香りがするのは余韻、向かい合ってする香水の香りは倍音」と説明していたものである。すなわち、楽器の音というものは、楽音と倍音の織り成す音楽なのであって、単なる「音」という認識では、オーディオという世界を知らないまでであろう。お金をかけないのも喜びなのだろうけども、お金を支払いして得られるのがヴィンテージの世界。同じお金をかけることで到達する高みは、お金を支払う人には分かる世界なのである。それは、バッハの作品をどのように描くかという芸術家、懸命の世界と同じなのだろう・・・

 スピーカーという装置は、上下にドライバーとウーファーという中高音と低音再生の仕組みになるツーウエイ方式が左右一対である。モノラル録音というものは、カートリジも専用のピックアップを使用する。ステレオカートリジでも再生は可能なのだけれど、専用カートリジ使用して、より高品位の再生音を鑑賞できる。
 ラインアンプ(プリアンプ)とパワーアンプの間にアッティネーターといって音量可変する調節器を組み込んでいる。このことにより、ラインアンプ出力との兼ね合いで、ドライバーとウーファーの鳴り具合に変化をもたらす。つい最近までアッティネーターを絞り気味、プリアンプをフルに調節していたのだが、ある人が、いやアッティネーターをフルに使っているんだという言葉を聞いて、それじゃ自分もしてみようというきっかけになった。アッティネーターを最大の手前まで開いて、プリアンプを抑え気味に調節してみたのだった。
 結果は、なんと、今までドライバーという中高域が控えめであったのが、にわかに、鳴りだしているではないか、そのためにウーファーの鳴りっぷりにゆとりが生まれたかのようである。モノラルレコードで室内楽というと、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリンとチェロ、ピアノのアンサンブルからなっている。レコードを再生してすぐ気の付くことは、ピアノの音響がドライバーという中高域で、豊かに鳴っている。チェロの音色はウーファーで朗々と旋律を奏でていて心豊かになる。
 アントニオ・ヤニグロのチェロとジャン・フルニエのVn、ピアノはパウル・バドゥラ=スコダ、1954年頃の録音で、モーツァルトのピアノ三重奏曲ト長調K564を聴いた。1788年10月頃の作曲になる。作曲者は32歳で交響曲は40番や8月には41番ジュピターを書き上げていて、充実の期間である。ピアノトリオ変ロ長調K254は1776年に書き上げていてそれを喜遊曲と呼んでいた。ト長調K564は第一楽章がト長調、第二楽章はハ長調の変奏曲、第三楽章は変ロ長調ロンドからなっている。第二楽章などを聴いているとテーマ主題が鍵盤楽器で演奏されて、弦楽器のVnやチェロが歌うように演奏を展開する。レコードを聴いているとつくづく、演奏家は音を出すのは、出す人なのだけれど、音楽を演奏していることを忘れてはならないことなのだろう。すなわち、単なる物音を鳴らすのではなく、楽音を奏でるということは、音に耳を澄ましながら音楽を味わう、だからより良い聞こえ方を求めるのがオーディオマニアなのである。よく、良い音とは何かと問われるのだが、ひとつの答えとして、演奏家が録音に込めた音を忠実に再生して、演奏家が耳にしたであろう音の情報を細大漏らさず再生したものを目指すということである。その判断の鍵は、楽音の中でも倍音成分の再生にある。これはむつかしいことに聞こえるのだが、簡単にいうと耳を澄ませて、楽音の鳴るその姿をイメージすることである。音波の全体の姿というのは、音響の全体、すなわち、楽音と倍音の両方をいう。余韻とういのは、楽器が音を切ったときのことをいうのだが、倍音は和音が鳴っているその全体像をイメージする。
 ピアノという楽器は、その点明快でありながら、ヴァイオリン、チェロの旋律を演奏する歌謡性に一歩も、二歩も譲るところである。その全体がピアノトリオであり、1794年、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは変ホ長調作品1で草稿初演を果たしている。オーディオの愉しみは様々であり、オペラやシンフォニーもあれば、室内楽の再生も大きな喜びである。
 つくづくオーディオの愉しみは、小高い山の一つひとつであり、協奏曲というやもがあれば、ソナタ、室内楽という小高い山を登るのも、一つの喜びといえるのだろう・・・

 演奏のスタイルは、時代を反映する。大戦後4年を経過してバーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団演奏会のライヴ録音、指揮ハンス・ロスバウト1895.7/22~1962.12/29。彼はP・ブーレーズ指揮上での師でもある。
 ジネット・ヌヴー1919.8/11パリ生まれ~1949.10/28サンミゲル没、幼少期から非凡な才能を発揮し7歳で公開演奏、パリ音楽院入学ジュール・ブーシュリに師事、11歳でプルミエ・プリ獲得し卒業、1935年ワルシャワで開催されたウィニャエフスキー国際コンクールでグラン・プリの栄誉に輝き次席入賞者はダヴィッド・オイストラフだった。15歳のヌヴーに、オイストラフは27歳で優勝獲得するはずだったのは、知られたエピソードのひとつで一躍脚光を浴びることになった。(オイストラフは名誉挽回ブリュッセル1937年イザイ国際コンクールで優勝!)
 カール・フレッシュ1873生~1944没の門下生の一人。イダ・ヘンデル、ヨハンナ・マルツィ、シモン・ゴールドベルク、ヘンリク・シェリング、ティボール・バルガ、イフラ・ニーマンなど錚々たる演奏家の名前が続く。1938年にはベルリンデビュウを果たす。華々しい活躍、レコーディングなど伴奏者で兄のジャン・ヌヴーと演奏活動を続けるも、1949.10/28アメリカに渡る途中、搭乗していた旅客機はアゾレス諸島の山に激突、非業の死を遂げることになる。
 彼女に残されたレコードは数少ないものの、どれひとつとっても情熱のほとばしる演奏ばかりで、他の追随を許さない緊張感の高いものばかりである。ベートーヴェンの協奏曲ニ長調は、ティンパニーの四つの打音から開始され、木管楽器のアンサンブルが続き、弦楽器の応答が独奏者の登場を招く仕掛けになっている。ある評論家は、あっ誰か来た・・・そして家に招き入れる作曲者が居て来客と会話が弾むようだと書いていた。第二楽章なと、のどかな晴れ渡った午後、しばらくして曇りのお天気になり、ぽつりぽつりと雨が降ってきたような雲行きになる。フィナーレはロンド輪舞、思い返しては心弾む高揚した音楽になる。ある人は、同じ旋律が繰り返される音楽に対して、「あれは良くないね」というか「下品」という烙印を押す人もいる。ただし非難するというよりは、彼らしいねという、温かみのある批判である。もっと上品にね・・・というのは、ないものねだりか?
 冒頭で時代を反映する演奏という指摘をしたのは、2020年に聴くことのできるヴァイオリンの演奏は、大半がテンションが低い、情熱を内に秘めて表にしないという態度に終始するという感覚をいう。ヌヴーの演奏はギリギリのところで演奏を展開していて、その音楽は、バックの管弦楽団員の緊張感に影響している。レコードを再生して、すぐ感じられるのは、オーケストラの演奏の緊張感である。すなわち、天才的な演奏が展開される音楽は、ステージ上で化学反応をきたして、聴衆にまで影響を及ぼすのが記録されている。固唾をのむというのは、このようなライヴ演奏会であり、ロスバウトの気品ある指揮振りは、演奏に反映されている。それでは、バリバリの緊張感で硬直した音楽かというとさにあらず、柔軟なフレーズで、歌うような高揚感は繊細、かつ、柔和な表情を見せている。
 現代の演奏はメッゾフォルテ、メッゾピアノの印象が前面に出ていて、決して緊張感を表面化するようなテンションで演奏しないかのようである。すなわち、アンチ・ヌヴー、アンチ・イダヘンデルの演奏の様である。これは前時代の演奏とは一線を画すスタイルをめざしている。盤友人は演奏会にも足を運ぶのだが、全く満足する演奏になかなか出会えない現実にがっかりしているのだが、私一人だけの印象なのだろうか?LPレコードのありがたさをつくづく印象付けられる秋の夜長・・・