🎼 千曲万来余話 by盤友人

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  あかつき、あけぼの、朝ぼらけ、それぞれ明け方の大和ことば。夜半から明け方までを暁と呼び、春は曙、秋冬には朝ぼらけと使い分け、5月始めの下弦の月は4日の暁に出る。盤友人は前の夜8時に就寝して翌朝の3時30分頃起床、オーディオルームにあがる。スイッチ・オンした時はまだ闇夜であり、すぐ白み始めて3:50頃からあけぼの、4:18頃から小鳥が囀り始める。札幌は今が桜満開で、山桜は葉も一緒だ。
 オトカズひとつのレコードというと、無伴奏ヴァイオリンソナタ・パルティータや、チェロ組曲とかピアノ奏鳴曲、パイプオルガンなどなど、最近めっきり面白味が増したレコードとしてチェンバロ曲がある。イタリア語名。英語ではハープシコード、独語ではクラヴィツィンベル、フリューゲル。仏語ではクラブサン。ピアノフォルテ(ピアノ)はフェルトのハンマーで弦を打撃する撥音構造であるのに対して、チェンバロは爪プレクトラムが弦をはじく仕組みになっている。アクションの特徴としてジャックと呼ばれる長い木片の先に鳥の羽の軸が爪としてついていて、鍵盤全体で演奏できる。1段から4段の構造まで数種類ある。
 最近は仮想アース、電源タップというアクセサリー周辺機器を装着した上でさらにティファニーレコーズからのカーボンスペーサーAB10を採用、これは制振材料であると同時に、トランスなど磁界発生するコイルのチューニング作用が、微小電流に大きく影響して良い音が獲得される。こうなると、チェンバロの輝かしい音楽が、極上の愉悦を保証してくれることになる。レコードの開始、撥弦による倍音発生、楽器胴体の共鳴音という複合した楽音が再生されることにより、オーディオルームは、奏者直近の王宮広間に変身する。
 ヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク1562アムステルダム生まれ~1621同地没はバッハ、ヘンデル1685誕生年などバロック音楽以前の大作曲家。ネーデルランド楽派。現在ではフランドル楽派とも呼ばれルネッサンス期から主導する北フランス、ベルギー南部を中心とする音楽を指している。スウェーリンクは、ヴェネツィアに学び、和声論書の翻訳、作曲家、オルガン奏者として終生アムステルダムで活躍していた。後継の作曲家としてフローベルガー1616~1667、ブクステフーデ1637~1707、ヨハン・フェルディナント・カスパール・フィッシャー1670~1748、ヨハン・クーナウ1660~1722などの名前が挙げられる。
 仏エラート盤STU70348で演奏者は、エディト・ピヒト=アクセンフェルト1914.1/1フライブルク生れ~2001.9/29同地没。ルガーノでアンナ・ヒルツェル=ランゲンハン、バーゼルでルドルフ・ゼルキンにそれぞれ師事している。1927年生地デビュー、1937年ショパン国際コンクールで入賞、47~78年フライブルク音楽院教授就任、81~96年には草津国際音楽祭アカデミー講師としてたびたび来日、札幌でも大谷短期大学でピアノ公開レッスンを開催、共済ホールにてバッハのゴールトベルク変奏曲演奏会、盤友人は故高岡立子さん(教授)からご案内頂きベートーヴェンのソナタのレッスン参観と演奏会では最前中央席で鑑賞する機会があった。ソナタ(28番?)では古典派的解釈とロマン派的アプローチの相違について詳細な説明を女学生に教授していたのが印象的だった。バッハの「ゴールトベルク」では暗譜演奏であり、開始から5曲目あたりで危うい一瞬が有り、だがしかし、ミスタッチにはならず、その後は一気呵成で前半を終了し、少し間をおいてフランス風序曲第16曲から安定した音楽を展開、確信に満ちた演奏で百戦錬磨、ヴェテランの至芸を札幌の市民300人余りの聴衆に印象づけさせていた。今から30年余り以前の記憶である。
 午前4~5時の間の鑑賞は音量を押さえ再生の基準を音圧で決めて、クリーンな電源に感動で、ひときわ深い味わいが・・・

 フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ1809.2/3ハンブルク生まれ~ 1847.11/4ライプツィヒ没は裕福な銀行家の家庭に育ったと伝えられている。ピアノ協奏曲第1番は1831年ミュンヘンで作曲、10月に自作自演で発表された。B氏の第5番は1809年作曲でありショパンの第2番は1829年に第1番は1830年ワルシャワで作曲初演されている。メンデルスゾーンはロマン派の旗頭、リストやシューマン、ショパンたちとピアノ音楽の花畑を築いたといえるだろう。
 全3楽章は途切れなく演奏され、ト短調からホ長調そしてト長調へと転調している。中間の緩徐な部分アンダンテのお仕舞いでブラスアンサンブルのファンファーレが聞かれるのは、ショパンの第2番ヘ短調に先例が認められる。
 ルドルフ・ゼルキン1903~1991は、1937年にフィラデルフィア管弦楽団とユージン・オーマンディ指揮の演奏会に初登場、1958年3月メンデルスゾーンの協奏曲を録音している。
 米コロンビア:レコード番号MS6128 
 オーディオ趣味の世界で良い音を求める道は果てしない。それはシグナル信号とノイズ雑音の比率、SN比の向上がアナログからデジタルへという転換をもたらした。そして40年余りの経過で、レコードプレーヤーの再生産開始、レコード針の提供、レコードプレスの再開、アナログ回帰のニュースが続々発信されてきている。ちなみに「札幌音蔵」は、ヴィンテージオーディオ、貴重真空管アンプ、海外スピーカー、プレーヤーの牙城であり中古レコードやヴィンテージもの、国内外のジャズLP、ポピュラー、クラシックなどアナログ世界対応の数少ないショップである。オーディオの工房では、スタッフによるメンテナンス修理のほか、音蔵社長みずから、アンプリファイアの音決めメンテナンス、クリケットレコードでは店長による良質レコードの紹介に余念がない。
 最近、バーチャルアースの採用から、電源タップへと展開し、音量ではなく、レコード再生で音圧の向上を実現している。たとえば、メンデルスゾーンの協奏曲のプレスト、モルトアレグロ、ヴィヴァーチェ~急速に、充分快速で快活にへと移行する部分で、独奏者によるかなり美しい緩徐な独奏部分がある。このときのゼルキンの独奏は、楽器スタインウエイの香り立つような高音を見事に奏でていて、ひときわ印象強い音楽のひと時が記録されている。ゼルキンはスタインウエイ弾きアーティスト。これもシステム性能アップ、良い音を求め続けた成果の表れで、楽器の音色の特色キャラクタが、遺憾なく発揮されたことにより確認された。
 良い音とは、記録されている倍音が鮮やかな音色として再生されるまでアンプの性能を発揮させることにある。ピアノという楽器、グランドピアノ、アップライトピアノ、アナログ世界は楽器の倍音を記録する世界であり、電子ピアノに倍音はまったく無い。グランドピアノを演奏する人にとってアップライトは全く別物であり、楽器として抵抗感を抱く感覚は、楽器を演奏する経験のある人にとって、納得のいく話でなぜ、トランジスタではなく真空管のシステム採用になるのかというと、倍音の印象にあることなのである。
 「倍音」とは油絵でいうと、絵の具の「光沢」にあるのではないだろうか?指揮者オーマンディ1899.11/18ブダペスト生れ~1985.3/12フィラデルフィア没にとってこのレコード録音の半年前には、天才ホルン奏者デニス・ブレインとのラストコンサートがあってデニス・ロスの再起作に当たる。楽曲はM氏がミュンヘン時代、愛弟子女性ピアニストのデルフィーネ・フォン・シャウロートに捧げられていることと関係性はないものの、ゼルキン入魂の演奏は、芸術家の鎮魂の演奏として不滅の音楽であり、その再生の悦びこそ・・・・・

  演奏家が女性であるのか男性であるのか?違いが現れるのはどこにあるのか興味深いものがある。それは音に現われるし、音楽にも違いが生まれるというと何やら差別問題に突き当たるおそれがあるだろう。たとえばベートーヴェン演奏家の大家としてエリー・ナイ1882.9/27デュッセルドルフ生まれ~1968.3.31トゥッツィング没ドイツ音楽の女神、ナポレオンの血をひきチェルニー門下のレシェテツキとリスト門下のザウアーの流れを汲む。女流ピアニストであり、その風格は比類がない。ただ彼女の致命的な弱点は1940年代の政治活動にあり広告塔的な存在として、扇動活動にあった。芸術家が政治にかかわることはその評価が歴史に判断される。たとえばアルフレッド・コルトーもその例にもれない。大戦後の彼女の不遇を考えた時に多大な損失と思わざるを得ない。
 ナイの演奏の特色は「自然体」にある。何一つ特別な演奏をするわけでなく、ベートーヴェンが演奏している、そんな錯覚にさせられるから不思議である。チェロ奏者ルートヴィヒ・ヘルシャー1907.8/23ゾーリンゲン生まれ~1996.5/8トゥッツィング没と共演した1956年頃録音のチェロソナタを再生したとき、ピアノは母親でチェロをB氏が演奏している、というような錯覚に陥る。ソナタ第1番ヘ長調作品5の1は彼が25歳の時に作曲されている。チェロソナタは青年期1796年の作品5で 2曲、円熟期1808年の作品69、後期1815年の作品102で2曲書かれている。1番と2番はプラハからベルリンへ足をのばした滞在中に宮廷楽団のチェロ奏者ジャン・ピエール・デュポールあるいは弟ジャン・ルイのために作曲しピアノを共演して、デュポールに師事していたチェロを弾くフリードリヒ・ウィルヘルム二世に献呈した。2曲ともアダージオを含むアレグロとロンドの2楽章制で堅実な内容の音楽に仕上がっている。1805年頃を境にしてB氏は聴覚障害に襲われることから、25歳の作品は彼が耳にした音楽といえるのだろう。
 エリー・ナイのピアノ演奏に耳を傾けると楽器の音響に対して実に敏感で繊細なタッチで演奏していることが如実である。なおかつ、句読点がくっきりしていてフレーズの感覚が明快、あたかも、語り手が身振り手振りで朗読するがごときで視覚的にも面白味の深い音楽に仕上がっている。レコードはテレフンケン原盤を基にした復刻盤で、リマスター仕上がりのために低音の輪郭が甘く、中高域のエッジがいまいちの印象を受ける。ただし、全体を聴きとおして何の不足感もなく彼女と彼の芸術を味わった充足感はいうまでもない。
 レコード番号BLE14081。
 モノラル録音の再生になる。カートリジはヴィンテージでオルトフォンの黒ツノというあだ名の物で、一対のスピーカーが全体で演奏空間を再生する。チェロという楽器は指向性が極めてはっきりしていて、マイクロフォンに正対する印象は、きわめて、愉快。というとは、バーンスタインとかオーマンディーとかオーケストラの配置でチェロを舞台上手に揃えるものは、その楽器の正面に音が発信されるから、客席では横向きに音が飛んでいることになる。その配置でいうと、第2Vnの位置とチェロを交換されるのがVn両翼配置である。チェロの演奏は客席と正対するのがベストで、ヘルシャーの演奏など楽器の音色を整える感覚は絶妙であり、味わいが多彩なところを充分に満喫できるのが正対配置である。
 エリー・ナイとの二重奏はフレーズ感覚の一致に魅力が有り、なにか対話を愉しむ演奏家同士のたたずまいが記録された極上のレコードといえるに違いない。ピアノとチェロのソナタという発想が以前にはなかった世界であり、通奏低音の楽器というものから独奏楽器としての地位を確立した革命的作品といえるのだろう・・・

 夜10時頃天頂には北斗七星が春の大曲線を成してアークトゥールス、スピカが並ぶ。北東の低い高度にはベガ、低い北西には御者座のカペラが明るく輝いていて四月ならではの星空である。
 昨夜、感染症対策を万全に施した札幌の交響楽団演奏会に足を運ぶ。ぺールトの弦楽合奏とチューブラベルのための音楽は、祈りの音楽でリヒャルト・シュトラウスのメタモルフォーゼンなどの4分の1ほど時間的サイズ。澄み切った調べでアルトの定旋律が主導する。舞台上手奥から始まり第2Vnそして第1Vnからチェロへと渡される音楽は舞台下手のコントラバスが土台となって自然な音楽になっている。雰囲気醸成には好適な演奏で指揮者と楽員の信頼関係が密である。ベートーヴェンのVn協奏曲は、ティンパニの四打音から開始、作曲者のイメージした弦楽アンサンブル配置で演奏者たちも愉しんでいる様子がうかがえた。ただ、第二楽章で独奏とホルンの対話など、上手側配置こそ理想なのだろう。ただしメインディシュの交響曲の兼ね合いからそのようなのだろうと推察される。独奏者はストラッド1724年製をしっかり鳴らしパールマンやズッカーマン、ムローバなどを聴いたけれど今夜が最高と感激していた壮氏のオーディエンス、アンコールではバッハの無伴奏からサラバンドBWV1004ニ短調、ステージ上の楽団員もその圧巻の独奏を聴き入っていた。協奏曲のカデンツァのところで、コントラバスやチェロの首席奏者たちがストリングスを手で押さえていたのは、なかなかだ。
 シベリウス2番、まさに、カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団1960年録音通りの配置で演奏していたのは、流石なことだといえる。シベリウスの管弦楽法をさして、1970年代にある評論家は「劣っている」などと酷評したのを聞いた覚えがあるのだったが、それは、第1と第2Vnを並べる前提の話なのであって、Vnダブルウイングのとき、チェロとアルトが舞台中央で音楽する、Vnが舞台両袖でユニゾンするときなど、なんと効果的な配置なことか、かの評論家氏は前提条件の事を考慮していなかっただけの話、作曲者の意図する効果的な配置こそ、前提とすべきの話なのだろう。クライマックスでカラヤンはガクンとリタルダンドのギアチェンジを施すのが巧みなのだが、それはカラヤンならではの技術、その高弟氏もリタルダンドをかけてクレッシェンドするアラルガンドを採用で来たら・・・
 グィド・カンテルリ1920.4/27伊ノヴァラ生まれ~1956.11/24パリ没は、43年デビュー45年からミラノのスカラ座で活動していた。48年にトスカニーニから後継者「まるで自分の様に指揮をする」とまで推奨されてNBC交響楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、フィルハーモニアオーケストラオブロンドンの指揮、56年スカラ座首席指揮者を務めるも飛行機事故で夭折。交響曲第4番イ長調作品90、メンデルスゾーンは、幸福な作曲家の代名詞、バッハのマタイ受難曲を発掘し蘇演していた。ロマン派音楽の旗手である。ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団代表を歴任する等、多彩な経歴。カンテルリは1955年8/12、13.16とモノラル録音。きわめて爽やかな音楽に仕上がっている。フルートのガレス・モリスは金属製ではなく木管製楽器で吹奏、シドニー・サトクリフのオーボエと極上のアンサンブル、もちろんクラリネット、ファゴットなどフィルハーモニアの管楽アンサンブルは無敵の歴史を築いていたといえるだろう。ただ、8/18にはステレオ録音で「未完成」を完成していた。コントラバスはスピーカーの左側、デニス・ブレインのホルンは右スピーカー側に定位。光城精工の電源タップを採用して、音の「彫り」が一段と深くなり、その威力に魂消るたまげる。定位ローカリゼイションでいうと第1Vnと第2Vnの響き、漢字で云うと「人」のごとく、モノラル録音同様に左右のスピーカーから聞こえるのは極楽ごくらく、ごくらく・・・

 ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ1927.3/27アゼルバイジャン・バクー生まれ~2007.4/27モスクワ没は、チェロ奏者として活躍、ピアノ伴奏、指揮者としても活動していた。エネルギッシュな指揮振りはロンドン・フルハーモニックとチャイコフスキーの交響曲全集、パリ管弦楽団とのシェラザードなど名演奏を記録している。ソヴィエト連邦から出て1957年4月エードリアン・ボールト指揮ロイヤル・フィルハーモニックと協奏曲を録音。ステレオ録音でモノラル盤もリリースしていて、ALP1595ナンバーを再生した。ボールト1898.4/8チェスター~1983.2/22ロンドン指揮者は67歳の時で、スラヴァは丁度30歳、彼はターリヒ、カラヤン、ジュリーニ、小澤らとも録音しているからステレオ初期時代のレコードとなる。
 日本ではボールト指揮の録音のリリースは希少で余り話題にならないがそれは、日本の音楽界の問題なのであって、演奏の内容は素晴らしく豊かな音楽で満たされている。協奏曲となると独奏者に自由闊達な演奏ぶりを求めがちであり、このボールト盤はその観点からすると、控えめな印象を受けるのだが、よくよく聴き込むと、アンサンブルが極上であることに気付かされる。どういうことかというと、オーケストラの各パートとの兼ね合いが緊密、緊張感に満ちていて、その上で自由な呼吸が感じ取られる。指揮者の音楽は格調が高く、しっかりした造形が形作られている。弦楽器は緊密な演奏ぶりであり、木管、金管楽器のパート独奏などの演奏ぶりも、たとえば、フルートは音程感がアバウトに近いという弱点を持ちながらも与える印象は、イントネイションは正確だという演奏を展開している。第2楽章の終わり近くでホルン三重奏の印象的な音楽が待ち受けているのだが、肩の力を抜いた、なおかつ、優雅で宗教的な味わいが満点のアンサンブルに接する時、独奏チェロは俄かに格調高い演奏を引き継ぐことになる。まさに、独奏と管弦楽が一体となった極上の時間を経験することになる。
 ボールトの指揮はオーケストラのバランスを的確に整えて、しっかり長い指揮棒を駆使していて見やすい姿であっただろうことを想像させてやまない。オーケストラ音楽のトレイニングを確実に築き上げた上での演奏であることは当然どころか、安心感を演奏者にも鑑賞者にも与える音楽に仕上がっている。すなわち、指揮棒を振り回すことなく、演奏者との信頼関係を開陳しているといえる。
 ドヴォルジャークは1895年54歳にしてチェロ協奏曲に取り組んでいる。51~53ニューヨークの音楽院長に就任していた。それ以前ロンドン訪問は頻繁で1890年49歳の時第8交響曲を当地で初演していた。ということは作曲者は意外に英国との関係は密であったといえる。1896年にロンドンでチェロ協奏曲は初演された。ボールト盤のロイヤル・フィルハーモニックは1946年、トーマス・ビーチャム卿によって設立されている。ホルン首席奏者はデニス・ブレイン、彼の存在は独奏のみならず、管楽のアンサンブル全体にまとまりが緊密であり、D・Bの天才性は衆目の一致するところであった。デニスと一緒にアンサンブルする悦びは、緊密な演奏に集約されている。
 モノラル録音はカートリッジ針をモノラル仕様を採用することにより、一段と性能がアップされた再生を可能としている。よく、雑誌の録音評価で30%割り引く判定を成されているものであるのだが、どこに根拠が有るものか? 演奏の説得力は明らかにステレオ録音より倍増していることは、確かであろう。
 ロストロポーヴィチ独奏する楽器の鳴りは雄弁で、量感豊かであり、他に共演していた指揮者のレコードより格調の高さは、秀でているといって過言ではない。「スラヴァ」の光栄は不滅なのだろう・・・

 1928年頃の録音となると、SPの復刻盤である。弦楽四重奏をSP78回転で聴くことは極楽といわれているがそれはなかなか叶わぬこと。LPレコードをモノラル針で再生するのはベターチョイスだろう。針を下して、すぐに胸倉をわしづかみされた気持ちになる。チェロのメロディーに、そのテンポの的確さと共にその音色、ふくよかな抑揚プラス、スウイングするような沸き立つ律動感、多分、ガット弦の持っている説得力が遺憾なく発揮されていることだろう。
 Vnのルシアン・カペーは1873.1/8にパリで生まれ1928.12/18パリで亡くなっていてこれは彼の最後期の録音である。1896年にはラムルー管弦楽団のコンサート・マスター就任するもまもなく辞任し、独奏者として、また四重奏団のリーダーとして輝かしいキャリアを築き上げた。彼はボウイングの技術に秀で、巨匠セヴシックによる運指のテクニックと比肩すると評価される程であったといわれた。
 最初期のカペー四重奏団は1893年から99年まで編成されている。1903年から10年まで、ベートーヴェンの弦楽四重奏全曲演奏するなど古典派、ロマン派の作品と共にB氏の作品を繰り返し取り上げていた。この時から、モーリス・エウィット、アンリ・カサドシュ、マルセル・カサドシュたちと3度目のアンサンブルを立ち上げるも、チェロのマルセル・カサドシュは第1次大戦で戦死、その後エウィット、アルトのアンリ・ブノア、チェロのカミーユ・ドゥロベールたちと最後のアンサンブルを結成している。1922年にロンドン演奏旅行を大成功させ、カペーの生涯の終わりには、ベートーヴェンの作品59-1、74、131、132を録音させている。
 B氏は作品18でもって6曲の弦楽四重奏曲を創作、作品59では3曲、74では「ハープ」というニックネイムつき、95では「セリオーソ厳格に」を作曲している。ラズモフスキー第1番ヘ長調は、第2番ホ短調、第3番ハ長調とセットで1806年に完成している。ラズモフスキー伯爵は有名な音楽愛好家で、有力なパトロンのひとり。
 第1番は田園交響曲やスプリング・ソナタと同じ調性を持っている。その調性が、いかなる意味を持つかは、解釈が多様だろうけれど、不思議に、晴れやかな気分を持たせるのは、特徴的と言って差し支えない。ニ長調は明るい幸福な調性といわれていて、作品61ヴァイオリン協奏曲などその典型だろう。
 モノラル録音であると、マイクロフォンに対して正対する再生音が経験される。だから弦楽四重奏で採用される、チェロ上手側には、違和感がともなうのを否定できない。第1Vnのすぐ近くに配置されて旋律を奏でたり、第1拍を演奏するのは合理的といえる。チェロに続いて、合いの手ともいえる第2Vnとアルト=ヴィオラの音楽は、第1ヴァイオリンと対称に配置されるのが理想というか、作曲者のパレットなのだろう。
 カペー四重奏団の演奏を耳にしていると、優雅なテンポ、音色、対比の効いたフォルテとピアノの付け方、さらに、フレーズの受け渡しと収め方の自然さなど、古き良き時代をほうふつとさせる、というか、アンサンブルはかくあるべしという作曲者の音楽の理想郷なのだろう。この時代の後に、新即物主義というか、テンポのスマートさ追求とか、スタイルのモダン性などの採用の時代となって今日を迎えている。そんな中で、ルシアン・カペーの合奏を聴いて、ほっとするのは、現代という時代に対するアンチ・テーゼ、コロナ禍で厳しく現代人に問われている魂の平安を取り戻す答えが、ここにあるといえないだろうか?
 パンデミックは終息するのにはかなりの時間がかかるといわれている。日常、ウイルスとの共存生活は、避けられない事態なのであって、当面、平常心が試されているのではないだろうか。カペーの生命力を頂く・・・

 有難うございました、という挨拶は無意識で使用される。ところが、「ありがたかった」という過去形はありがとうの過去形とは少し異なることに気を付ける必要がある。どういうことかというと、「御座いました」という過去形の意識は、言葉の意味によるとあれはありがたかったということの使用法であって、英語ではサンキュー、サンクed ユー「感謝した」というのとは別な意味になるだろう。英語的にいうならば、サンキュー ソーマッチ!ということで過去形とはならないのである。であるならば返答では「失礼しました」とか、あくまでも「ありがとうございます」なのだろう。
 「無意識の」という枕詞でいうと現代では、コーラスの配置はソプラノ、アルト、テノール、バスというが自然の成り行き。ところがである、オーディオ装置のグレードアップを図った次元では、無伴奏コーラスでは、女声が前列、男声が後列という配置が実現することになる。どういうことかというと、今では単層で横一列が多数派なのだが、LPレコードを再生して、ブルックナーの無伴奏モテット集を耳にしてその実体が再生される。
  管弦楽付きの合唱曲では、コントラバスに合わせて指揮者の右手側にバスが配置するのが多数であるのだが、無伴奏曲の場合ソプラノの後ろにバスが居て、アルトの後ろにテノールが配置されると、それで作曲者のイメージするセッティングとなる。
 アントン・ブルックナー 1824.9/4上部オーストリア、アンスフェルデン生まれ、9歳にしてリンツへ堅信礼で上京し合唱、オルガン、ヴァイオリンを修得、17歳で小学校助教の資格を修得し、21歳では聖フローリアン教会にて有給助教のオルガン奏者となる。オルガンの即興演奏を身に着けている。25歳で最初の大作は「レクイム、ニ短調」、31歳で聖フローリアン正オルガン奏者となる。リンツ大聖堂の予備試験通過して翌年教区聖堂のオルガン奏者就任。単純対位法、複対位法を学び、1861年にはモテットの「アヴェマリア」を作曲、39歳では交響曲ヘ短調、翌年には交響曲第0番、ミサ曲ニ短調などを作曲し44歳、交響曲第1番をリンツで作曲者指揮初演する。53歳では交響曲第3番「ワーグナー」のウィーン初演、非常な不評を受ける。1883年59歳で有名な第7番を完成しワーグナー追悼の音楽となっている。1896年10/11ウィーンにて他界、聖フローリアン修道院大オルガンの下に安置されている。交響曲第9番ニ短調は3楽章の未完成作品。享年72歳。
 シュトゥットゥガルト、フィルハーモニア・声楽アンサンブルのLPレコードを聴く。指揮者はハンス・ザーノテルリ。1979年頃録音。「パンジェ・リングァ」トマス・アクイナスによる聖体讃歌。「クリストゥス・ファクト・エスト」キリストは己を低くして、「ロークス・イステ」この場所は神が造りたもう、この場所は・・・はかりがたい秘蹟を申し分ない秘蹟を、 「オス・ユスティ」正しきものの口は知恵を語り、その舌は公義を述べる、その心には神のおきてがあり、その歩みは滑ることがない、アレルヤ・・・「アヴェ・マリア」・・・「ヴィルガ・イェッセ」エッサイの杖から芽が吹き花が咲き、乙女は神と人類を生んだ、神は我々と和睦して、いやしきものと崇高なるものを和解させた、アレルヤ!
 「ロークス・イステ」昇階唱、1869作この曲には盤友人の思い出として、フュッセンのノイシュバンシュタイン城「ワーグナーの間」で仲間と突然に合唱したことである。1992年9月M氏が指揮で許可をもらい歌ったものだが、ガイドさんは次に来た団体さんに対して「さて皆さんは、何を歌いますか?」と無茶振りして大いに笑ったものだった。
 「アヴェ・マリア」は始めが女声合唱になるのだが、これは明らかに前横一列を想定して作曲されたことは疑いないだろう。「ヴィルガ・イェッセ」では、ソプラノが「イン セー」と降りる音型で歌うのだが、その後でバスとテノールが加わる時、SopのうしろにBassが位置した方が純正調になるのは自明だろう。
 オーディオシステムで、ステレオ定位が認識獲得されたとき、作曲者の世界を体現したことになる・・・

 バーチャル仮想アース、畏るべき光城精工製品の威力たるやオーディオ・アクセサリーという機能を遺憾なく発揮。プレーヤーからの昇圧トランスアース端子に接続、プリアンプ、イコライザーアンプ、60ヘルツ変換器(光城精工製品)、スピーカーのマイナス端子という具合にそれぞれ仮想アースを取り付けることが出来た。結果、オーディオで求める「良い音」とはかくのごときという模範解答を、獲得することになった次第である。
 ベルリン・フィルのディスコグラフィーを一覧していてローリン・マゼール1930.3/6ヌイー生まれ~2014.7/13バージニア州没、が登場したのは、1957年2/27にまでさかのぼる。ベルリオーズ、プロコフィエフなどのロメオとジュリエット抜粋録音。そして彼の初めてになるステレオ録音は1958.5/13,14、6/20のB氏ハ短調交響曲第5番である。
 数年前に知人からマゼール指揮のものでVn両翼配置ではないか?と聞かれて盤友人はその時マゼールはそれをやらない指揮者だと返答していたものだった、ところがである。独へリオドール廉価盤をじっくり再生してチェックしたところ、明らかにB氏「運命」は両翼配置に聴こえるまでグレードアップしたということにあいなった。すなわち、ステレオ録音には「定位」ローカリゼイションといって、Aチャンネル、Bチャンネルそして中央センターという情報が再生される。これはCDでもヘッドフォンでチェックすると容易で、左右から異なった楽器演奏が認識される。「運命」の場合、第1楽章からすでに、左右でヴァイオリンの掛け合いが認識されるのであるけれど、決定打は第3楽章に確認される。すなわち、静かに低音域から旋律が上昇、ホルンの強奏に展開して、コントラバスから新しいメロディーが駆け上がる。それは、チェロ、アルトそしてセカンドVnという受け渡しが有り、第1Vnでもって一段落する部分、そのセカンドVnから第1Vnへ行くのが右から左スピーカーへという展開になる。これが多数派ステレオ録音であると、右スピーカーから左スピーカーへという滑らかな移行であって聞こえは良いのだが、「ひねり」が無いのである。
 時代は、ジェームズ・レヴァインのモーツァルト交響曲全集の完成により、デジタル録音でもって、ウィーン・フィルハーモニーはVn両翼配置の時代へと推移していくことになる。ドイツ・グラモフォン録音でVn両翼配置録音は、革命的事件であって、レコード業界に火種をもたらすことにあいなる。ジミーは、2021.3/9逝去、晩年にはハラスメントのゴシップまみれということでそのこと自体に盤友人は何か意図的なものを感じている。ウィーン・フィルがヴァイオリン・ダブルウイングでもって録音すること自体、他の指揮者連中にとって脅威になり、すなわち、タブーとされていた両翼配置の再評価が進行する展開を、指揮者達、レコード業界は警戒しているのである。
 率直にいって、盤友人の目には、コントラバスの指揮者右手側配置、もはや時代遅れといわざるをえない。それは中央、もしくは左チャンネルという配置が許容される新しい時代というまでである。ちなみに、マゼール指揮するベルリン・フィル58年録音「運命」の定位は、コントラバス・チェロが中央である。
 盤友人は、レコードを収集するからには、多様性を受け入れる立場をとる。だからVn両翼配置の演奏を探し求めるのであり、ラファエル・クーベリック指揮のDG録音B氏の交響曲全集は、オーケストラの多様性と共に第5と第2番は両翼配置を採用していないという事実であり他はすべてダブル・ウィングというステレオ録音である。何と愉しい事なのではないのだろうか。
 ローリン・マゼールは、おそらく、Vn両翼配置をただの1回だけ記録したのだろう、不可断言ではあるが・・・

 夜半、南東の星空に向かい、天頂にひしゃく星の柄が認められるとそのしなりに連なるのが春の大曲線といわれる牛飼い座のアークトゥールスその先におとめ座のスピカが目に鮮やか。さらにしし座のデネボラが見えると春の大三角形になる。宮澤賢治さんもよたかの星で物語するが今時はコロナウイルス禍で一年がたち、2020年12月28日ロンドンでピアノ奏者フー・ツォンが感染して享年86歳の人生を閉じていた。彼は1934年3月10日上海市出身、父親は芸術学院のフランス文学翻訳家として活躍するも、1966年から文化大革命に巻き込まれ非業の死を遂げている。父から手ほどきを受け上海交響楽団のイタリア人指揮者パーチに10歳の頃本格的に修得した。
 1955年には、ショパンコンクールで第3位、グランプリはアダム・ハラシェヴィチ次席はウラディミール・アシュケナージだった。日本人ピアニストとして田中希代子第10位。コンクールにランクは付きものなのだが、陸上競技100m走のように順位は明確なものでもない。フー・ツォンはその時「マズルカ賞」を受賞。ワルシャワ音楽院で研さんを重ね、1958年ロンドンへ移り翌年のデビューリサイタルは、センセーショナルなものだったと伝えられている。彼はヴァイオリニストのユーディー・メニューインとの演奏を通して英国で活躍しメニューインの娘婿でもある。
 フレデリク・フランソワ・ショパン1810.3/1ワルシャワ近郊生れ~1849.10/17パリ没は、ピアノの詩人ともいわれているのだが、フランス人を父とし母はポーランド人。革命前夜1830年秋にウィーンへの楽旅の途中でワルシャワ陥落を知りパリへ向かい、以後はフランスで活躍する。その代表作は作品11の第1番ピアノ協奏曲ホ短調、前年に作曲されていた第2番ヘ短調協奏曲は作品21、どちらも青春の息吹きのようなポエジー詩情に満ち溢れている。3曲のピアノソナタ、前奏曲集、練習曲集第1巻第2巻、ポロネーズ集、ワルツ集、マズルカ集、夜想曲集・・・スケルツォ、バラードはそれぞれ全4曲からなる。第1番ト短調作品23は1831年ウィーン~35年パリで改訂、第2番ヘ長調作品38は1836~39年パリ、第3番変イ長調作品47は40~41年ノアンで、第4番ヘ短調作品52は1842年パリで作曲されている。バラードとは中世の物語詩をさしているが、ショパンはピアノ曲として着想し、ポーランドの詩人ミツキエヴィチの詩をもとにしたといわれている。
 ベートーヴェンは32曲のソナタを作曲しているが、ショパンは一形式にとらわれることなく、ピアノ曲を創作したといえるのだろう。フー・ツォンの記録は数少なくモーツァルト、シューベルト、ショパンなどLPレコードで入手できるのは幸せである。1983年8月録音になる演奏は、比類なき情熱的な演奏でしかも、弱奏部の詩情は抜群の静寂感に満たされていて、グランドピアノとしてその表情のダイナミックな振幅に圧倒されてしまう。確信に満ちたショパンがそこに居る。フー・ツォンはワルシャワ音楽院で身に着けたショパンを終生披露していて、確立された躍動的なピアノ演奏の記録に徹している。だから夜想曲にしても、ピアノの倍音を綺麗に記録し、集中力の抜群な耳を、知らしめるに充分なデジタル録音になっている。クラウディオ・アラウがアナログ時代の最高度の録音を記録しているのに比肩して、クオリティ品質製の高いLPレコードをリリースしたといえるのだろう。
 フー・ツォンのピアニズムは、耳にしてすぐ気の付くことなのだが、音と音の間の連続性が聞きものである。フレーズ感覚が並外れて貴重であり、力を込める喉を引き締めるような唸り声が、随所に記録されていて、あたかも、玲瓏たる陶磁器の白磁のつやが青白い光放つが如き、謹んでご冥福をお祈りいたします・・・

 ストラヴィンスキーの作曲に比較して、ヴィヴァルディのそれはワンパターンという評価は誤解を招くおそれがある。いかにも下等というレッテルであるのだが、著しく浅薄な判断に過ぎないだろう。「和声法と創意への試み」と訳されるのが今までなのだが、「創意」というのは「インヴェンション」であり、「2声部楽曲」の誤訳だろうと思われる。アントニオ・ヴィヴァルディ1678年頃ヴェネツィア生まれ~1741.7/28埋葬ウィーン。父からヴァイオリンと作曲の手ほどきを受けている。1709年には女子音楽学校の教師になり、1716年に合奏長、のちに合唱長にも就任している。作曲はアルビノーニ、マルチェルロなどの影響を受けている。弦楽器や管楽器などの協奏曲は多数あり、それは急速、緩、急の三楽章形式による。調性も主調、属調、関係調、主調というようにすすめられる。
 「四季」はRV269.315.293.297作品番号8の1-4まで春夏秋冬という構成。それぞれに作者不詳のソネット14行詩が添えられている。~春が訪れ、小鳥たちは華やかに、喜ばしく歌声で感謝し、西風の息吹に泉は柔らかく囁きながら湧き出でる。~描写音楽ともいえる春の第二楽章などでは、犬のなき声のような擬声音楽が奏される。
 クリストファー・ホグウッド1941.9/10~2014.9/24はケンブリッジ大学で古典学、音楽学を修得する一方、レオンハルトにハープシコードを師事している。1970年前後には、夭折の天才古楽器奏者デヴィド・マンロウと共にロンドン古楽コンソートの設立メンバーとして参加、活躍し1973年にはアカデミー・オブ・エンシェントミュージックを結成、チェンバリストや指揮者として活動、ピリオド楽器「時代楽器」のレパートリーをバロックからハイドン、モーツァルト、さらにはベートーヴェンにまで拡大していった。古楽にとどまらずにホグウッドの指揮はモダン楽器でストラヴィンスキー、コープランド、ティペット、オネゲルなど現代作品にまで及んでいる。
 1982年12月キングズウエイホール録音、ヴィヴァルディの四季は、コントラバス1、チェロ2、アルト3、第1、第2ヴァイオリンがそれぞれ4という編成、さらに、春と秋ではバロックギター、ハープシコード、夏と冬では、ポジティフ室内用オルガンとアーチリュートが通奏低音として加えられている。独奏ヴァイオリンはそれぞれ交替して、春はクリストファー・ハイロンズ、使用楽器デューク、c1775、夏はジョーン・ホーロウエイ、楽器マリアーニ1650、秋はアリソン・バリイ、楽器ロジェリ1699クレモナ、冬はカトリーヌ・マキントッシュ、楽器ロウランド・ロッス1978アマティモデル。使用楽器のそれぞれは、音色や鳴り方に特徴があり、聴くものを飽きさせることはない。
 オーディオの愉しみ方として、グレードアップの条件はあくまで原音忠実ハイフィデリティにある。それはあたかも、カートリッジ、ピックアップの介在が透明化して録音テープの音感にせまることである。仮想アースの採用は、スピーカーのマイナス端子に接続することにより、飛躍的な向上を見せることになった。透明感、高音域から低音域に渡りシグナル信号の音圧が高まりをみせて、エネルギー感を向上させる。AとBのチャンネルセパレイションが確かになるということは、ホグウッド指揮の採用しているヴァイオリン両翼配置が効果抜群といえる。左右のスピーカーに第1と第2のヴァイオリンが定位する効果は、まさに作曲者の時代の効果的配置であって、近代ステレオ録音が採用していた、ヴァイオリンを揃える配置とは対照的な弦楽アンサンブルの醍醐味を再生してやまない。オーディオの道を歩み、ホグウッド指揮の世界を再生する悦びは何物にも代えられない音楽の歓びそのものといえるかもしれない・・・・・

 パリでロシアバレエ団リュッスに対してセルゲイ・ディアギレフ1872~1929はモーリス・ラヴェル1875~1937にバレエ音楽「ダフニスとクロエ」を作曲依頼1912年6月、シャトレエ座で初演されている。ダフニス役ニジンスキー、クロエはカルサヴィナ、指揮者はピエール・モントゥー37歳だった。
 約3世紀頃のギリシャ詩人ロンゴスの小説を題材に、それを台本に振付師ミハエル・フォーキン1880~1942が自由に構想をまとめたもの。古代ギリシャを舞台、羊飼いダフニスと乙女クロエとが恋のライヴァルと競い合ったり海賊と戦ったり、牧羊神パンの助けを得て最後にはめでたく結ばれる。ロマンティック、官能的、色彩ゆたかで緻密、完成度の高い大編成管弦楽というラヴェルの音楽は、演奏時間50分ほどのもの。第1組曲とか第3場のものを第2組曲の管弦楽曲になど編成し直されている。全曲版は歌詞の無いヴォカリーズ母音唱法が付けられたり、大規模。盤友人は1995年5月全曲演奏舞台の合唱団員として参加し当時楽団事務局長は札幌市民会館演奏の中で最大の音量を記録したと感想を語られていた。
 ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団、コベントガーデンロイヤルオペラハウス合唱団は1959年4月全曲版デッカ録音をリリース。不滅のステレオ録音といわれている。なんといっても、モントゥーの指揮は、演奏者の士気が高く、高潔な解釈で演奏されていて、力量、演奏能力の名技性を遺憾なく記録しているところに価値がある。40年余り以前の初演指揮者が、歴史の記録を数々書き換えていき、豊富な経験の発露の記録は、圧倒的で追随を許すところは無い。管弦楽の色彩感、高揚感、完成度のどれをとっても最高峰の記録なのである。
 モントゥーのステレオ録音レコードで、貴重な所以は、第2 Vnの分離された記録、すなわち、多数のステレオ録音とは異なる、ダブルウイング両翼配置の演奏という完成度である。1960年70年代とステレオ録音の多数は左スピーカーで束ねられたヴァイオリン演奏を聞かされるのだが、右スピーカーから聞こえる第2ヴァイオリンの演奏は説得力が異なる。モントゥーのステレオ録音はその大半がコントラバス指揮者右手側配置というもので、映像の記録によるとモノクロ作品でもウイレム・メンゲルベルク1871生~1951没、指揮などはこのモントゥー録音型の配置である。なぜ、戦後広く流行したステレオ録音、第1、第2ヴァイオリンを並べたものが多数派なのか考えるに、演奏リスクの容易化だろう。両翼配置は合奏するのにリスクが高く、現代的なリハーサル効率の面を考慮するには、両翼配置は敬遠されたのだろう。ところが、最近の演奏会は、両翼配置採用が多数見受けられるように経過している、すなわち時代である。第1と第2を対向させる配置こそ新しい音楽シーンであり、それは、すでに60年前のステレオ録音に存在した歴史的事実である。
 音というものは、聴こえれば良くて、どのように聞こえるかは問題にしない立場、それは、モノラル録音の世界である。ステレオ録音では定位ローカリゼイションとして、左右と中央に楽器の位置感覚は設定される。弦楽四重奏で、チェロとアルトが舞台上手で下手にヴァイオリンというのは、低音の方から高音の方へと一直線にするとしたら、客席にいる聞き手の対面で横並び、その中央にチェロとアルトを舞台前列にヴァイオリン両翼にして初めて舞台正面から客席へと音楽は向かうのだろう。
 21世紀という新しい時代、すでに21年経過して、モントゥー指揮録音をステレオ再生できる喜びこそニース゛といえる。コントラバスとチェロの前に第1Vn、アルトと第2ヴァイオリンを指揮者右手側に配置してこそ作曲者イメージする音楽演奏の実現だろう。コントラバスが指揮者左手側配置だとホルンは自然、指揮者右手側に座席してホルン奏者も演奏しやすいことだろうと推察される・・・

 ハルサイと聞いてああ春の野菜かという連想は料理の世界で、音楽でいうとイゴール・ストラヴィンスキー作曲、バレエ音楽・春の祭典とこうくる。ところが祭典というのはフェスティバル、フェテなのでサクレというのは神聖な、というものになるから意訳の典型であろう。祭事まつりごと、立春をむかえて、キリスト教以前のロシアで異教徒たちの儀式、選ばれし乙女のいけにえ、神聖祖先神礼賛というまでだ。
 第1部1序奏2春の兆し・若い娘たちの踊り3誘惑の戯れ4春のロンド5競い合う部族のたわむれ6賢者の行列7大地礼賛8大地の踊り、第2部1序奏2乙女たちの神秘な集い3選ばれしおとめへの賛美4祖先の霊への呼びかけ5祖先の儀式6終曲いけにえの聖なる踊り、30分程度の管弦楽曲で楽譜にはメトロノーム記号が指定されていて、短めで29分、長めで37分程度の演奏時間になる。
 ストラヴィンスキー1882.6/17オラニエンバウム生~1971.4/6ニューヨーク没行年88歳は、ペテルブルグ近郊で生まれ、父はオペラ歌手。9歳でピアノ教師についてグリンカ、チャイコフスキー、リムスキー=コルサコフ、グラズノフたちの影響を受ける。大学法科に在籍するもR・コルサコフと知り合い作曲に志す。2年間、作曲法、管弦楽法を修得して1903年にピアノソナタ、1907年変ホ長調交響曲第1番を作品1として創作、08年には恩師令嬢の結婚祝いとして「花火」を作曲、完成直後にリムスキーは死去している。ロシアバレーのために第1作火の鳥が1910年5月に作曲され、習作時代から飛躍した。この6月パリのオペラ座に現われて輝かしい成功は未来を約束されることになる。バレエ団プロデューサーのディアギレフは積極的に彼に関わり、3大バレエ音楽として火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典が世に送り出されている。
 ヴィヴァルディは600余りの協奏曲作曲が、ひと通りの作曲様式であったのに比較して、ストラヴィンスキーは100通りというか、作曲するたびにスタイルを変えているといわれる。原始主義というかバーバリズム、バレエ音楽プルネチルラ以降は新古典主義といわれる。1913年5/29には春の祭典を初演、指揮者ピエール・モントゥー。作曲者はスイスやパリで活動ののち1940年の渡米を経験して1959年には来日、NHK交響楽団を自作曲指揮をしている。力強い指揮振りに、多大な感銘を当時の関係者からの証言として聞かれている。
 フランス人作曲家ピエール・ブーレーズ1925.3/26モンブリン生まれ~2016.1/5バーデンバーデン没は、ハンス・ロスバウトに指揮法を師事して1963年6/20~21にフランス国立放送管弦楽団とスタジオ録音を果たしている。師のロスバウトは前年1962.12/29ルガーノ67歳で死去、ということは、指揮したブーレーズにとって鎮魂の記録になったことは想像するにかたくない。鮮烈な音色、力強いリズム、不協和音の新鮮さなどなど当時のセンセイションは相当なものだったことだろう。ブーレーズは1970年5月来日していて、ジョージ・セルと共に、長谷寺室生寺を参詣、クリーブランド管弦楽団を指揮棒持たないスタイルで指揮していたのは、現在の先駆けとも云えるのだろう。演奏者にとって緊張感を強いられる厳しい取り組みが、ブーレーズにとって信念信条にかかわる生命線ともいえる。
 春の祭典は現代音楽の代名詞ともいえるのだが、すでに古典音楽クラシックとして有名である。リズムと、メロディーそして和音ハーモニー、工夫としての不協和音は、手のひら返しの新しい地平として、獲得された自由といえるのかも・・・・ステレオ録音はモントゥー型ともいえる、Vn両翼配置、指揮者右手側低音のものになる。

 ステレオ録音で最初期にはフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団のR・シュトラウス作曲「ツァラトゥストラはかく語りき」1954.3/8RCA録音が挙げられる。ベートーヴェンでハ短調交響曲「運命」はシャルル・ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団。1955.5/2RCA録音。ミュンシュ指揮する運命を盤友人は未確認、ロジンスキー指揮するフィルハーモニック管弦楽団オブ・ロンドンという1956.9/28~30ウエストミンスター録音を聴く。このフィルハーモニックオーケストラオブロンドンという名称は1946年創立されたロイヤル・フィルといわれている。フィルハーモニア・オーケストラ・オブ・ロンドンとは類似しているが別団体で、1955年クレンペラー指揮するフィルハーモニア管弦楽団のEMIモノラル録音による「運命」と比較すると弦楽アンサンブルや管楽合奏、ティンパニーなど音響から受ける印象は明確に異なる。ただし首席ホルン奏者は同一の高い確率で、デニス・ブレイン。
 アルトゥール・ロジンスキー1892.1/1クロアチア・スピルト生まれ~1958.11/27米国没ウィーン大学で法学博士号を取得しフランツ・シャルクに指揮法を師事している。1920年代から活動開始、ストコフスキーに認められ26年からフィラデルフィア管弦楽団の指揮アシスタントを務めた。29年ロスアンジェルス・フィルの音楽監督就任、33年から43年までクリーブランド管弦楽団の首席指揮者を歴任43年からニューヨーク・フィルハーモニック首席指揮者で、47年に辞任している。47/48年シカゴ交響楽団音楽監督で終生にわたり、その客演指揮の立場にあった。一切妥協を許さない姿勢は伝説化している。
 ステレオ録音でその初期は、左右が高音と低音の分離型という認識を発信し続けていた。この録音を再生すると、第2Vnは右スピーカーに定位するヴァイオリン両翼配置である。ちなみに、ライナー指揮するツァラトゥストラの新旧ステレオ録音の二種類で、最初はダブルウイング配置録音になる。後期はVnの第1と第2は左スピーカーに束ねられることになる。
 盤友人にとって、ロジンスキーの「運命」ステレオ録音は福音であり、左スピーカーに定位するコントラバス、チェロ、第1Vnの音楽で、低音域からVnまで音響が「密」になることは非常に心地よい結果をもたらしている。第2楽章のコントラバス・チェロ・アルト、Vnという旋律の受け渡しは左右二つのスピーカーの一対の中で、つむじ風の様に左右の展開する音楽が、いかに、作曲者の意図を表現するか、効果てきめんである。すなわち、左側にVnそして右側にアルト・チェロ・コントラバスという高低のグラデーション階層配列は、モノラル録音のポリシーと云えるのだろう。さらに言うと、指揮者右手側にチェロ、アルト外側配置はコントラバスを土台の感覚で云うならば、横綱の右手側がトップになる雲竜型の土俵入り、第1と第2Vnを両手に見立てると左右に「かいな」を開いた不知火型土俵入りのイメージである。さらに言うと、左側高音と右側低音の和音ハーモニー外声部、中央に内声部がサンドウィッチされる音楽より、左右に外声部と内声部を配置した方がステレオ効果はより楽しいものになる。これは一重に、指揮者と演奏者がいかに聞こえるかを考えた時、重要な鍵となるのだろう。
 ロジンスキー指揮する「運命」の第1楽章は明らかに第一楽章502小節に基いているのだが、389小節目の全休止処理、短めである。クレンペラーが指揮すると、悠然と全休止は一小節充分なのだが、ロジンスキーは詰めている。その不自然さに気を付けているのだと思われる。作曲者の全休止記譜は57小節目、123と124小節目の2小節分あったりするのだが、389小節目は音楽として不自然であり、501小節こそ作曲の完全性発揮だ。最後の決め手は、426小節目から音楽は流れ出すのであり、427小節目から流れるブライトコップ社版楽譜などによる演奏は作曲者の意図に従わない結果であり、一小節ずれる。ベートーヴェンの偉業に口ふさぐという卑劣な仕打ちなのだろう。指揮者やオーケストラ演奏家はこの二者択一という現実で、固定観念から脱却する必要があり、楽譜の検証と拠って立つ音楽の感覚こそ必要、禁忌タブーなひと言は「楽譜に書いてある」だ。
 オーディオによるレコード再生する意義は、ここにある・・・・・

 先日、中古専門系列店のLPレコード箱を探していて、ワイセンベルクのLP2枚を、それぞれ50円の外税で購入。まったくキズの無い、磨くと新品同様の東芝レコードを再生してみた。スクロバチェフスキー指揮パリ音楽院管弦楽団でショパンのピアノ協奏曲集、ミスターSというと、ルービンシュタイン独奏でロンドン新交響楽団との名盤がすでにあり、気になるアーティストだった。S氏(録音当時43歳)の指揮振りは序奏の部分で弦楽合奏を充分に歌わせていてコントラバスに揺らぎは無く透明感に抜群の印象を与える素晴らしい演奏である。ワイセンベルクのピアノは華麗であり、スケール感あるダイナミックスレンジの広い、ショパンを一段と男性的に仕上げているスタイル。これが一枚55円というLPレコードの世界、オーディオという趣味でこれまで積み重ねた努力が実った至福のひと時となった。 なぜパリ音楽院管弦楽団との共演なのか? アレクシス・ワイセンベルク1929.7/26ソフィア生まれ~2012.1/8ルガーノ没はユダヤ系であったために44年イスラエルに逃れさらに米国へ移住。47年に国際音楽コンクールに優勝、翌年2月にセル指揮ニューヨーク・フィルと共演して華々しいデビューを飾っている。56年には活動を休止して研さんの時期に入っていた。1960年でクララ・ハスキルの伝記本には、パリの駅でワイセンベルクと出会っていて心臓疾患の彼女にベートーヴェンの第3番ピアノ協奏曲について手紙で自分の解釈とハスキルの弾き方を詳しく論じていたという部分がある。彼が31歳の頃である。ハスキルは1月に65歳で最後の誕生日を迎えていた。
 パリ音楽院管弦楽団は1967年10月にマルロー文化相の肝いりで「オルケストル・ド・パリ」いわゆるパリ管弦楽団に改組されている。3/2ほどメンバーの入れ替えがあったといわれている。ショパンのピアノ協奏曲第2番は67.8/4~6、9/7~9、第1番は同年9/11~13にサル・ワグラム、パリで録音されている。 (引用レコードイヤーブック2014音楽之友社)いわばパリ音楽院管弦楽団最後期の録音に当たる。オーケストラメンバーは、管楽器が割合、移行するのに対して、弦楽部分は入れ替えが多数であったかもしれない。たとえば、フルート奏者のミッシェル・デボストは1962年から89年まで首席を務めていたことなどからそのように考えられる。そして録音データから類推して再生音から判断するに、ワイセンベルクのピアノの音色は、華麗というよりかは渋めで玲瓏たるものでコルトーの再生音に近い倍音を聞かせている。
 カラヤンは1967.9/17ベルリンにてワイセンベルクとチャイコフスキーのピアノ協奏曲を初共演していた。ワイセンベルクは56年からの活動休止以来10年のインターバルを経てパリで再開、カラヤンとの共演はセンセーショナルであったといわれている。1970.2/9~11サル・ワグラムでパリ管弦楽団と録音。盤友人にとって長らく、カラヤン(録音当時61歳)がなぜパリ管弦楽団とのチャイコフスキーなのか? 疑問はつきまとっていたものだった。
 ピアノの使用楽器のクレジットはほとんどの場合省略されている。フランス・エラートレーベルの場合は、意外にきっちりとクレジット表記されている場合が多い。だから、東芝レコードのショパンやフランス・EMIパテ盤などは音色に注意を払い、他の同時期LPを比較鑑賞して類推するほかはない。たとえば音色に気をつけるとベートーヴェンの皇帝などは明らかにスタインウエイのそれであり、渋さはプレイエルこそ勝って素晴らしい世界であるということは、スクロバチェフスキーやカラヤンも一目置いていたのかもしれない・・・

 和声でハーモニーというと、4声体のソプラノ、アルト、テノール、バスから構成される。音の重なりで、ドミソドというのを主和音、ソシレソを属和音、ファラドファを下属和音としている。そこには、暗黙の規則があって、主音、属音、下属音のダブりは認められているものの第3音といって主音から3度上の重なりをしてはいけない。3度上の長3度は長調を構成して、短3度は短調を既定する。その役割だからということもなく、オクターブで重なるハーモニーは避けられている。
 ステレオ録音で、横一列に並べられるVn、第二Vn、アルト、チェロ、コントラバスという配置は、高音と低音の重なりを避けて、左と右手側へと配置される。これは、ステレオ録音構成の根底にある、音のダブりを嫌うことに拠っている。
 ベドルジフ・スメタナは1824.3/2、ボヘミア東方、モラヴィアに近いリトミシェルにうまれた。5歳でヴァイオリンを習い6歳でピアノの公開演奏を経験している。56年プラハ訪問したF・リストと知り合う。66年オペラ売られた花嫁初演、74年には聴覚障害が悪化していて、その苦しみは76年作曲、弦楽四重奏曲我が生涯よりで表現されている。その当時交響詩第1曲高い城、第2曲モルダウ、75年には第3曲シャルカ、第4曲ボヘミアの森と草原からが作曲され翌年に初演、第5曲ターボル第6曲ブラニークという連作交響詩我が祖国が完成、1882年には全曲初演された。高い城ヴィシェラートの主題は、終曲ブラニークのフィナーレの明るく輝かしく謳われている。盤友人はラフマニノフ、交響曲第2番の最終コラールにその共通する動機モチーフを聴いて、胸を衝かれた思いがある。
 ドイツ音楽の基礎をなす交響曲は、大概、標題プログラムを持たない絶対音楽である。ということは、言葉にとらわれない鑑賞は、思考が自由自在で、誘導されることはないから、芸術として上等、といえないまでも、価値としては受け入れやすいものである。それでは、標題音楽は格下の烙印を押されて構わないものなのだろうか?多分、両方が左右一対で、同格というのがふさわしいだろう。というのも、ボヘミアの森と草原からを聴いたとき、序奏に続く弦楽の入り方は絶妙であって、作曲家スメタナの音楽設計に心打たれるからである。第1Vnから始まり、第2Vn、アルト、チェロ、コントラバスという旋律の受け渡しは、ラファエル・クーベリク指揮バイエルン放送交響楽団のレコードで、左右そして奥の右左へという音楽の対話構造が明確に記録されていることによる。あたかも、目の前に眺望が広がる景色がボヘミアの森と草原に、風が吹き渡る様子そのままなのである。すなわち、指揮者の左手側から右側へという階層グラデーションでは、体験できないステレオ録音の醍醐味なのだ。
 不思議なことに、ステレオ録音では、左手側ヴァイオリンで、右手側チェロ、コントラバスが当然前提となっている指揮者の主張するところは、音の芸術だから聞こえ方は、不問ということで、弦楽器の配置は、高音と低音のステレオ録音が近代的オーケストラのスタンダードになっていて、舞台上手というところに低音楽器が配置されることになるのだが、舞台下手からコントラバス、チェロ、アルト、ヴァイオリンという配置の時、客席に対面する開放弦の一本一本は滑らかに推移して、低い音から高い音へとピチカートで確かめられるだろう。
 クーベリク指揮の録音すべてがその配置ではなく、孤高の指揮者はオットー・クレンペラーだろう。エードリアン・ボールト卿の場合、初期のステレオ録音は、右手側低音域楽器配置の典型であった。これは、聴こえ方の問題ではなく、作曲者の世界に迫る配置の問題なのであり、きわめて重要な音楽鑑賞の要因ファクターといえる・・・

 2020年暮れ訃報が届いた。イヴリ・ギトリス1922.8/22イスラエル・ハイファ生まれが24日パリの自宅で逝去、98歳。現代最高の演奏家の一人といわれていた。親日家としても有名、とくに、東日本大震災の折には被災地に出向いて演奏活動を捧げていた。13歳でパリ音楽院に最上成績で入学、ジャック・ティボー、カール・フレッシュ、ジョルジュ・エネスコという指導者に恵まれ1951年にはロン・ティボー・コンクールで入賞、その結果には聴衆たちが騒動に発展したらしい。パリ・デビューにつながったと言われている。
 幾度となる来日公演で、盤友人は10年余り前、キタラホールで聴いてそのエネルギッシュな演奏に感銘を覚えたものである。リサイタルがはねてから、LPレコードのジャケットにサインを頂いた。ミーハーなのだけれど、シベリウスの協奏曲でジャケット顔写真が2~30代の若いものだったので、いたく喜び、ピアニストのヴァハールを呼んでともに笑いあっていたのが懐かしい思い出。知人のVn演奏家NF氏などは、終演の際に舞台へかけより、ワインを贈っていたものだった。NF氏は滅多なことではなくて格別の思いを届けたかったと言っていた。
 ギトリスの演奏スタイルは、即興性の尊重につきるのではなかろうか?インテンポで停滞気味の演奏をことのほか嫌う。1976年コピーライトの、フランク作曲ヴァイオリン奏鳴曲イ長調ピアニストはマルタ・アルヘリッチ、鬼才ギトリスの神技というタスキが言い得て妙である。50代前半のこの録音は、脂の乗り切った円熟の境地の記録になっている。
 ピアニスト・アルヘリッチは1965年ショパン国際コンクールのグランプリでその前回の覇者はマウリツィオ・ポリーニだった。彼女は1970年初来日、1月札幌市民会館にてプロコフィエフ、第3番ピアノ協奏曲を指揮ペーター・シュヴァルツ札幌交響楽団第91回定期公演で共演している。その音源はCD化されている。当時、盤友人はFM放送でショパンの第3番ソナタを耳にして、圧倒的、情熱的、即興性の勝った演奏に深く心に刻まれたものである。困ったことなのではあるのだが、その後、シューマン子どもの情景など、クララ・ハスキルなどの録音を聴いた後では、その即興性に対して、疑問を覚えていたのである。だから、今回のフランクのVnソナタで、さもありなん、冒頭の和音からして、盤友人としては違和感がある。没入、没我、感情移入過多、ロマン派の溺できたる表現に抵抗感がある。ただし、それが彼女の真骨頂(ご主人が、3から5人いる!)というまでである。つい最近のドキュメンタリーでは、父親が3人とも異なる娘たちと談笑するアルヘリッチには脱帽した。そのときのパートナーは、ピアニスト・スティーヴン・ビショップ・コヴセヴィチ。彼女は破格の人生を謳歌している。ステキな天才ピアニスト、われわれは、彼女の演奏をそのように受け入れれば仕合わせということだ。
 仮想アースというグレードアップの次に、音蔵社長KT氏はコントロールアンプの初段管ECC32を提供してきた。ムラード社製ブラックプレートという古いタイプ、それなりの線材がヴィンテージものだから、再生される音のニュアンスが絶妙になる。たとえば、ギトリスの演奏の狙いは、ヴァイオリンという楽器の音を限りなく、人の声に近づける懸命の演奏ということが分かる。第3楽章レチタティーヴォ、ファンタジア、叙唱風で幻想的な、という音楽は正に一所懸命な響きの歌に近づいている。切れのある音色が浮き彫りになる時、この音楽の真価は、フランクがユジーヌ・イザーイというヴァイオリニストの1886.9/28、結婚を祝して作曲献呈された由縁が明かされるだろう。オーディオのグレードアップは、それこそ、音楽の真骨頂に迫る力を与える…

 賀正、新年が佳き年となりますように。読者の皆さんにとって実り多い年にと祈念します。
  今年ニューイヤーコンサートはリッカルド・ムーティ1941.7/28ナポリ出身、指揮する素晴らしい演奏会で開幕された。ムーティは1967年グィド・カンテルリ国際指揮者コンクールグランプリ、ちなみに、70年グランプリは井上道義、ムーティは1975年ウィーンフィル来日公演でカール・ベームに帯同していた。ニューイヤー最近の登場は2018年、1993年97年2000年04年と常連株でウィーンフィルデビュウは1971.8/11ザルツブルク音楽祭のドニゼッティ曲、歌劇ドン・パスクワーレの成功からになる。
 今年の「ニューイヤー」は無観客TV中継配信演奏会で大変残念な成り行き、けれどウィーンフィル自体は、フルトヴェングラー指揮の時代から、スタジオ録音と銘打たれていたものは、そのほとんどムズィークフェライン無観客によるモノラル録音であって、彼らの歴史からいうと、すでに経験済みの事なのである。ただし2018年のLPレコードには、満場の喝采が記録されていてそれからすると、いわずもがなの演奏会ではあった。今年の美しき青きドナウでの、ホルン吹奏は殊更抜群に聞こえたの盤友人ひとりだけのことだったのだろうか、否、TV鑑賞されたみなさん全て心踊らされたことなのだろう。ギュンター・ヘーグナーの後継者としてウォルフガング・トンベックJr、ラルス・ミヒャエル・ストランスキー、ロナルド・ヤネツィックなど錚々たるメンバーが座っている。ホルンという楽器は、微妙な音程保持があって、経験の少ない演奏者は、よく「ころぶ」という音外しが有る。そのオーケストラの力量と比例していて、バロメーターだろう。この安定感こそ管弦楽鑑賞の醍醐味の一つである。
 ムーティの指揮振りは、決して派手ではなく、かつ、脱力系とは正反対の熱血指揮はデビュウ以来変わっていない。今年の指揮もウィーンフィルがなかなかドライヴに反応しないだけではなく、オーケストラが主導権を握り、逆に、ムーティは、なかなかキューを出さずに「溜め」を作るなど丁々発止で火花が飛び散る、手に汗握るシュトラウス演奏会になっていたといえる。これは、指揮者とオーケストラが信頼関係土台とした、玄人好みの演奏会なのである。もちろん、素人も大盛り上がりとなるものなのだろう。2018年の演奏でも、ラデツキィ行進曲でのムズィークフェライン満場の手拍子のあの圧力は滅多に経験できない代物だ。
 テレヴィを見ていて女性奏者の数の多さにも隔世の感があるといえる。今ですら当然の風景なのだろうが、カラヤンの頃までは、男性奏者のみのオーケストラであった。K氏が積極的に女性採用入団を推進していたのは有名である。その実現は90年代からの景色で、ダイバーシティ多様性の時代経過といえる。
 時を同じくして、Vn両翼配置が復活、ようやくにして作曲家当時の楽器配置が実現したといえる。音楽が「音」だけをとらえて、指揮者の左手側からVn、アルト、チェロ、コントラバスという並べ方は、近代ステレオ観ともいえる、指揮者右手側に低音を配置する感覚になる。いみじくも、2020年1月、ジョン・ウィリアムスはそのような配置で「スターウォーズ」を演奏していたことにより、その意味はより明確化されたといえる。近代の音楽性は舞台下手が高音域で舞台上手は低音域という前提に楽器配置を徹底したものなのだが、それはクラシック音楽の場合、最上の配置破壊と等しいものであった。たとえば、ベートーヴェンの交響曲をそのように設定した音楽は、もはや古いファッションなのだろう。
 ムーティは何食わぬ顔して平気、堂々と、ウィーンフィルの指揮台に登場しているということは、これからの指揮者のあり方を示唆しているのだろう…

 ~百万遍の菓子屋の二階に、いまはなくなった小さな喫茶店があって、客の少ないのを幸いに、そこでたて続けに聴いたフランクのヴァイオリン・ソナタなどは、私の心をそうした危ない断崖に立たせてくれる種類の音楽であった。(青春と音楽と感情と~音楽の友1967年5月号)フランチェスカッティのヴァイオリンとカサドジュのピアノで吹き込まれているそのレコードは、四楽章を聴くためには一度裏返さなくてはならず、店の女の子が面倒臭そうに電気蓄音機をいじっているあいだじゅう、私は有名なメロディを思わず口ずさんでしまわないために、文字どおり渾身の力をふるって自分をおさえながら待つのであった。それは私の感情をかきたてながら鎮めてくれる音楽であり、私自身のよりはもうすこし賢く、もうすこし成熟した青春が呼びかけてくれる声でもあった。―――突然、窓の下にけたたましい音をたてて電車がとまり、見おろすと街路樹のまばらな葉むらをすかして、見知った顔がひとりふたり、大学の方へむかってアスファルトの道をわたってゆくのが見えたりもした。さぼっている講義のことがふと心をかすめ、私は、いま聴いたばかりのレコードをもう一度聴きなおそうと、わけもなくばかばかしい決心をしたことを思いだす~「座右の」音楽書=ハンス・リック「音楽美論」の思い出、評論家山崎正和=
 田中美知太郎の後継となるべく西田幾多郎の系譜に属する哲学部美学科出身の劇作家は今年、享年86にして鬼籍の人となられている。彼は劇作により岸田国士戯曲賞受賞作・世阿弥を発表、米国イエール大学留学後同校にて日本文学の客員教授に就任するほか60年代は評論活動で脚光を浴びている。「芸術現代論」では現代音楽会の評論で、音楽はもはや不必要な芸術ではないか・・・とか書いていた。切れ味鋭い舌鋒は慧眼にして、森鴎外=闘う家長、三島由紀夫=劇的なる日本人・平知盛、いずれも時代を看破する書物を刊行していた同時代の高校生として盤友人はその膨大な情報をまともに浴びていた。
 セザール・フランク1822.12/10リエージュ生~90.11/8パリ没は1886年Vnソナタ、イ長調を同郷の演奏家ユジーヌ・イザーイに献呈している。第一楽章やや快速で、充分に中庸な速さで、第二楽章快速で、第三楽章叙唱、幻想曲充分に中庸で、第四楽章やや快速で少し動いて。ジノ・フランチェスカッティ1902.8/9マルセイユ~1991.9/17は父親がパガニーニ弟子エルネスト・シヴォリの門下生でマルセイユ響のコンサートマスターのイタリア人、母親はヴァイオリン奏者のフランス人。マルセイユでクライスラーの演奏に出会い5歳で公開演奏会10歳でベートーヴェンの協奏曲を演奏したという。愛奏器はグァルネリウスでフランクのVnソナタを1946年4月に録音。ピアニストはロベール・カザドシュ1899.4/7パリ生まれ~1972.9/19パリ没。
 ソナタの冒頭は平行調、それが長調で解決する。今年11月フォノイコライザーを接続し、12月には外部シャーシアースとして、光城精工製品の「Crystal E」を接続、モノラル録音LPレコードの再生においても限りない透明感を獲得するに至った。オーディオのグレードアップにより、情報獲得精度が緻密になることで演奏の表情は格段と向上、フランチェスカッティの、悲しみの音色から輝かしいフィナーレという音楽の喜びを体験する。これは今まで経験してこなかった境地であって、仮想アースというオーディオ・アクセサリーの威力を遺憾なく享受することが可能となった。
 たゆみないクラングフィルム・オイロダインとの牛歩の如き26年間ここにきて皆様にご報告できる仕合わせをともに分かち合いたい、読者のみなさまのアクセスをひしひしと感じて。来る年が明るいものでありますよう・・・fine

 クリスマスに相応しい音楽として、バッハのクリスマス・オラトリオなどあるだろう。オラトリオとは聖譚曲で宗教的題材による大規模な叙事的楽曲、メサイア救世主ヘンデルの曲も有名。カンタータ交声曲とは17世紀イタリアで単声モノディ音楽から生まれ、独唱曲詠唱アリア、叙唱レチタティーヴォ、重唱曲、合唱曲からなる楽曲形式。ヨハン・セヴァスチアン・バッハにより多数の音楽が成立している。ミヨー、オネゲル、プーランク、オーリック、デュレ、ダイユフェールというのはフランス六人組のこと、第1次大戦前後のころ批評家アンリ・コレ1885~1951はロシア五人組になぞらえた。
 アルテュール・オネゲル1892.3/10 ルアーヴル~1955.11/2パリ没はスイス人両親のもとチューリヒやパリの音楽学校に学んでいる。ドビュッスィ、ラヴェルを好み、ワーグナー、R・シュトラウスに影響を受け、ベートーウェン、ブラームスを深く研究したということからわかるように、当時ウィーン楽派シェーンベルク、ベルク、ウエーベルンと同時代にあって、主和音ドミナントおよびそのその解決間の相互作用という一貫する態度で作曲、その彼の白鳥の歌が1953.12/18パウル・ザッヒャー指揮バーゼル室内管弦楽団により初演された。ノエル聖夜の交声曲、「クリスマス・カンタータ」バリトン独唱、児童、混声合唱と管弦楽のための。
 ジャン・マルティノン1910.1/10リヨン~1976.3/1パリは1953年NHK交響楽団を指揮して初来日を飾り幻想交響曲の名演、再来日してストラヴィンスキーの3大バレー音楽、70年には日本フィルを指揮するなど親日家でもあった。明快、優雅、洗練というエスプリの効いた音楽を記録している。ここでは、フランス国立放送管弦楽団、合唱団(合唱指揮はマルセル・クーロー)、児童合唱(指導はジャック・ジュノー)、バリトン独唱カミーユ・モラーヌ、オルガンはアンリエット・ピュイ-ロジェ。1971年頃録音。
 不安感のあるオルガン独奏で開始、続いて弦楽合奏、われ深き淵より主をよぶ(合唱)、来たれエマヌエル、われら重き罪により泣けり、この声を聴き入れたまえ、天使(喜べ、いまぞイスラエルびとよ、エマヌエルは来たらん)、合唱(われらの罪と争いとを追い払い、われらの行く道を照らしたまえ)、バリトン(ゆめ恐れるな、汝らによき知らせ、大いなる歓びを伝えん、救い主は今生まれたまえり、幼子イエスは生まれたまえり)、いと高き所に、栄光あれ主よ、お暗き夜の闇に美しきバラは咲けり、古き世を救わんと生まれ出でたまう、アレルヤ、清き夜、聖なる夜、オザンナ。バリトン独唱いと高き所に神み栄えあれ、地には平和、善意の人々に平和あらんことを、父のみ神に、み子に清き御霊に、昔ながらの平安あれ、とわにアーメン。
 金管合奏による壮麗な音楽に、きよしこの夜、あるいは、1599年讃美歌フィリップ・ニコライのドイツ・キャロル高き天より(これはJ・S・バッハによるカンタータ140番目覚めよと呼ぶ声聞こえ)が大きなクライマックスを築いている。いったん鎮まり、力強いラウダーテ褒めたたえよの大合唱、アーメンで終わり、オルガンを伴って曲は宗教的おだやかな雰囲気のうちに、しずかにお仕舞い。
 当時、シェーンベルクなどによる無調の音楽が台頭する中で、オネゲルはあたかもバッハに還れとでも主張するかの如く、きよしこの夜と目覚めよと呼ぶ声が聞こえという音楽の交錯する作品を提示している。雪の舞う都会の雑踏の中でオネゲルの胸中は、ただ「祈り」をもって作曲する。音楽というのは、演奏されるとともに人々の心の中にこそ宿るという運命を背負っているのだろう。コロナ禍という最中にレコードを再生する貴重なひと時は、人生の中で、ささやかな平安である。読者の皆様の不安を思うとき、冬至を越してという聖夜の音楽は、受け継がれ鑑賞されるべき貴重な時間ではないのだろうか・・・・・

 1791.12/5午前零時55分ウィーンにて、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト1756.1/27午前8時ザルツブルグに生まれた作曲家が生涯を閉じている。享年35歳。映画アマデウス冒頭場面はその二日後埋葬シーンから印象的に開始されていた。10月にはクラリネット協奏曲、11月には病床に臥してレクイエム鎮魂ミサ曲はラクリモーサ涙の日の8小節まで完成していて死亡し弟子ジェスマイヤーにより補完された。
 クリストファー・ホグウッド指揮アカデミーオブエイシェントミュージック合奏団、合唱団、Spエンマ・カークビー、Altカロライン・ワトキンソン、Tenアンソニー・ロルフェジョンソン、Basデイヴィド・トーマス、ウエストミンスター児童合唱団デイヴィド・ヒル合唱指揮1983年9月録音ロンドンキングズウエイホール。クリストファー・ホグウッド1941.9/10~2014.9/24は以前、デイヴィド・マンロウ主宰するロンドン古楽コンソートで鍵盤楽器を演奏して設立メンバーで参加していた。ケンブリッジ大学などで古典楽、音楽学を修得している。彼のレパートリーはルネッサンスから現代まで幅広くカヴァーしている。NHK交響楽団のステージには2009年9月に登場したことがある。Vn両翼配置でアルト、チェロ、コントラバスと上手配置型。それはモーツァルトのレクイエム鎮魂ミサ曲でも記録されている。モウンダー版。アカデミーの創立は1973年、ピリオド時代楽器による編成になる。注意すべきは、モダン楽器からピリオド楽器への転換の時に、楽器配置で第一と第二Vnを両翼配置に展開したことは、意外に指摘されていない事実でこのことは、評論家諸氏の責任といえるだろう。
 音楽開始の弦楽合奏からバセットホルン、バスーンによる哀切極まりない旋律は、M氏作曲当時の事情を鮮烈に表現している。男声合唱、永遠に休息を与えよとニ短調で歌い始められ、一段落すると、ソプラノにより神よ憐み給え、キリストよ憐み給えと続く。合唱も管弦楽もそうなのだが、エンマ・カークビーによるノン・ヴィヴラート唱法は力強い確固たる音楽を創造している。格調高い指揮は、抜群の記録レコードとしてその価値は不滅である。第4曲でトロンボーン伴奏、バス独唱は圧巻、目の覚めるような音楽で、M氏面目躍如たる管弦楽法といえる。合唱部分は中央に児童合唱が配置され、女声ソプラノとアルトが前列、テノールとバスが後列、コントラバスの配置からバスは指揮者の右手側に位置している。
 1988年12月、盤友人はハンス・グラーフ指揮モーツァルテウム音楽院管弦楽団の舞台でモツ・レクを合唱団の一員として歌っている。その時合唱団120名は札幌モーツァルテウム合唱団、合唱指揮者は宍戸悟郎。ティンパニー奏者の後ろで演奏したが、彼はエルネスト・アンセルメ風貌然としていた。コントラバスの若い女性奏者は豊かな音量、体全体でスウィングして演奏、彼らは作曲者からの伝統の上で臨んでいたということになる。
 1991年7月21日札幌芸術の森、指揮マイケル・ティルソン・トーマス、Spアーリン・オージェ、Altクリスタ・ルートヴィヒ、Tenポール・スペーリー、Basコーネリアス・ハウプトマンで前年死去したレナード・バーンスタイン追悼演奏会の舞台も経験している。ステージの脇でA・オージェと盤友人はすれ違ったし、C・ルートヴィヒと同じステージに立った経験は、PMFパシフィック・ミュージック・フェスティバルに参加したのおかげである。同年12/9札幌交響楽団331回定期公演にも出演Sp三縄みどりAlt青山智英子Tn五十風修Bs福島明也達と稀少なレクイエム体験であった。その指揮者は秋山和慶、斉藤秀雄メソッドを継承する主要な指揮者で合唱指揮者の宍戸悟郎と絶大な信頼関係のもと、演奏は成功している。
 死者のためのミサ曲レクイエムは、死者に捧げる音楽であるとともに、残された人々の手向けという死者に寄り添う音楽なのであるが、音楽というものは、生きている人間による力強い祈りに他ならない。曲はクムサンクトゥスエイス、レクイエム・エテルナム・ドナ・エイス、冒頭に回帰して永遠の安息を与えよという音楽にて終結する。画家横尾忠則氏は以前ラジオで、この音楽は宇宙全体が鳴り響いているような印象を与えると発信していた・・・・・