🎼 千曲万来余話 by盤友人

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 演奏のスタイルは、時代を反映する。大戦後4年を経過してバーデンバーデン南西ドイツ放送交響楽団演奏会のライヴ録音、指揮ハンス・ロスバウト1895.7/22~1962.12/29。彼はP・ブーレーズ指揮上での師でもある。
 ジネット・ヌヴー1919.8/11パリ生まれ~1949.10/28サンミゲル没、幼少期から非凡な才能を発揮し7歳で公開演奏、パリ音楽院入学ジュール・ブーシュリに師事、11歳でプルミエ・プリ獲得し卒業、1935年ワルシャワで開催されたウィニャエフスキー国際コンクールでグラン・プリの栄誉に輝き次席入賞者はダヴィッド・オイストラフだった。15歳のヌヴーに、オイストラフは27歳で優勝獲得するはずだったのは、知られたエピソードのひとつで一躍脚光を浴びることになった。(オイストラフは名誉挽回ブリュッセル1937年イザイ国際コンクールで優勝!)
 カール・フレッシュ1873生~1944没の門下生の一人。イダ・ヘンデル、ヨハンナ・マルツィ、シモン・ゴールドベルク、ヘンリク・シェリング、ティボール・バルガ、イフラ・ニーマンなど錚々たる演奏家の名前が続く。1938年にはベルリンデビュウを果たす。華々しい活躍、レコーディングなど伴奏者で兄のジャン・ヌヴーと演奏活動を続けるも、1949.10/28アメリカに渡る途中、搭乗していた旅客機はアゾレス諸島の山に激突、非業の死を遂げることになる。
 彼女に残されたレコードは数少ないものの、どれひとつとっても情熱のほとばしる演奏ばかりで、他の追随を許さない緊張感の高いものばかりである。ベートーヴェンの協奏曲ニ長調は、ティンパニーの四つの打音から開始され、木管楽器のアンサンブルが続き、弦楽器の応答が独奏者の登場を招く仕掛けになっている。ある評論家は、あっ誰か来た・・・そして家に招き入れる作曲者が居て来客と会話が弾むようだと書いていた。第二楽章なと、のどかな晴れ渡った午後、しばらくして曇りのお天気になり、ぽつりぽつりと雨が降ってきたような雲行きになる。フィナーレはロンド輪舞、思い返しては心弾む高揚した音楽になる。ある人は、同じ旋律が繰り返される音楽に対して、「あれは良くないね」というか「下品」という烙印を押す人もいる。ただし非難するというよりは、彼らしいねという、温かみのある批判である。もっと上品にね・・・というのは、ないものねだりか?
 冒頭で時代を反映する演奏という指摘をしたのは、2020年に聴くことのできるヴァイオリンの演奏は、大半がテンションが低い、情熱を内に秘めて表にしないという態度に終始するという感覚をいう。ヌヴーの演奏はギリギリのところで演奏を展開していて、その音楽は、バックの管弦楽団員の緊張感に影響している。レコードを再生して、すぐ感じられるのは、オーケストラの演奏の緊張感である。すなわち、天才的な演奏が展開される音楽は、ステージ上で化学反応をきたして、聴衆にまで影響を及ぼすのが記録されている。固唾をのむというのは、このようなライヴ演奏会であり、ロスバウトの気品ある指揮振りは、演奏に反映されている。それでは、バリバリの緊張感で硬直した音楽かというとさにあらず、柔軟なフレーズで、歌うような高揚感は繊細、かつ、柔和な表情を見せている。
 現代の演奏はメッゾフォルテ、メッゾピアノの印象が前面に出ていて、決して緊張感を表面化するようなテンションで演奏しないかのようである。すなわち、アンチ・ヌヴー、アンチ・イダヘンデルの演奏の様である。これは前時代の演奏とは一線を画すスタイルをめざしている。盤友人は演奏会にも足を運ぶのだが、全く満足する演奏になかなか出会えない現実にがっかりしているのだが、私一人だけの印象なのだろうか?LPレコードのありがたさをつくづく印象付けられる秋の夜長・・・

  シューベルト1797~1828は、16才1813年に交響曲第1番ニ長調を作曲していて、第5番変ロ長調は1816年、「未完成」は1822年頃で「グレート」は1828年とされている。ピアノソナタは、1815年に始まり1828年に第21番変ロ長調作曲まで続いている。弦楽四重奏は、1812年に第1番変ホ長調を始めに第15番ト長調は1827年作曲になる。作品1歌曲魔王は1815年なのだけれど1811年には歌曲を作曲し始めていて、1828年までに600曲を超えることになる。1817年には「ます」を作曲していて1819年第4楽章の主題と変奏に用いられた5楽章からなるピアノ五重奏イ長調作品114が発表された。
  楽器の編成は、弦楽はヴァイオリン、アルト=ヴィオラ、チェロ、コントラバスそれに鍵盤楽器ピアノというもの。音域は、ピアノがベートーヴェン晩年ということでC1ド32.70ヘルツ~f4ファ2793.83ヘルツ。中央の「ラ」は440.00ヘルツでもって、だいたいでいうと、赤子の泣き声に近いといわれている。男声はド261ヘルツ~下へ「ソ」98ヘルツ、ハイツェーといわれる「ド」は523.25ヘルツ、女声は下のソ196ヘルツ~上の「ド」1046.50ヘルツくらいである。Vnはソg196~ミe2637ヘルツ、アルトはドc130ヘルツ~ソg1567.98ヘツくらい、チェロはドc65.41ヘルツ~ファ1396.91ヘルツ、コントラバス4弦はミ41.20ヘルツが最低音域となる。
 弦楽四重奏では最低66ヘルツくらいから最高音域2673ヘルツ、ピアノ五重奏曲鱒では下が41ヘルツまで広げられたことになる。室内楽の先例として、ベートーヴェンは作品20で七重奏曲変ホ長調はVn、アルト、チェロ、コントラバスとクラリネット、ファゴット、ホルンという編成1800年の作曲になる。ウィーン市民としてのシューベルトはベートーヴェンが理想の作曲家とされ、動機として無二の存在だった。当時はロッシーニのオペラが盛んに取り入れられていた時代でも青年作曲家にとっては、室内楽が向かい合う音楽だったのかもしれない。
 モノーラル録音の時から、五重奏曲鱒は取り上げられていて、優れた演奏に恵まれている。そんな中でオイロパ・フォノクラブ、シュトゥットガルト盤オスカール・ローテンシュタイナーのピアノ、Vnジークフリート・ボリス、Altハインツ・キルヒナー、Celloウィルヘルム・ポセッガ、Cbクルト・ヴァルナーが演奏したベルリン・フィル楽員たちのレコードは味わい深い演奏である。ジークフリート・ボリス1912~1980は1933~41年そして45~61年までベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターを歴任していて、フルトヴェングラーとカラヤンの下で在任していたことになる。途中の41年から45年まではベルリン国立歌劇場のコンサートマスターに就任、カラヤンが抜擢していた。このレコード録音は多分1960年頃のもので、チェロコントラバスの響きからして、フィルハーモニカーをほうふつとさせていて、ボリスのVnは40~50代脂の乗り切った演奏を披露している。何よりも歌謡性と躍動感が備わっていて、青年作曲家の音楽に相応しい気迫がみなぎっている。
 モノラル録音ということでステレオ的定位の問題は無く、自由に楽器の配置を想像して楽しめることうけ合いである。舞台中心にチェロを配置、左右にVnとアルトを対向させる。下手側にはコントラバスそして上手側にピアノを配置する。ピアノ奏者は背中で弦楽演奏を感じて、首を右に振ればアイコンタクトは可能である。ステレオ録音の多数はピアノを中央の配置としてVnとコントラバスを対称させるものなのだが、左スピーカーからコントラバス、そして右スピーカーからピアノを鳴らすというのは、盤友人の希望的提案である。舞台下手にコントラバスというのは現代における復古的主流だろう・・・

 長らくモノラル時代が続き、ステレオの世界へと転換期を迎えたようである。1950年代ではなく2020年のこと。モノーラルというのは単一の音源であり、ステレオというのは複数の定位が感じられる世界なのである。それならば、ステレオ録音は1955年頃開発されたものではないか?ところが、定位は音域の高低でもって基準化されたのである。左側高音、右側低音。オーケストラでいうとヴァイオリンに対してチェロ、コントラバスが対称化された世界がステレオとしての基準となったといえる。それは容易な感覚判断であり、管弦楽でもその基準が暗黙の大前提となったのである。
 ステレオ装置のグレードアップの一つに、ステレオ定位の明確化がある。どういうことかというと、左右の対称と中央の三点による3次元での立体化すなわち奥行きの形成だろう。モノラル録音でさえ、管弦楽における楽器の距離感、左右ではなく奥行き感は有り、マイクロフォンはその感覚を録音していて、二つのスピーカーによる再生は、実体感を与える。だから左右スピーカーの中央には空間を必要とする理由が有り、オーケストラの管弦打楽器による位置感覚は、ステレオ録音の肝といえる。
 オーディオのグレードアップとは、良い音の追究であり、良い音とは音楽の喜びと密接な関係を持つ。音の入口、胴体、出口で、カートリッジというピックアップとプレーヤー、そしてコントロール・プリアンプ、パワーアンプという胴体、そしてスピーカーという音の出口で成立する。このたび、胴体のアンプでアースの採り方、抵抗器、コンデンサーの交換を図り、ステレオの定位の改善、向上させる機会となった。札幌音蔵社長KT氏は三日間かけて実施し見違えるほどのシステム向上を果たした。コントロールアンプという胴体部分の改善だった。手仕事において、はんだ付けひとつで音は変わり、オーディオ工作派の方なら経験おありのことだろう、要注意の世界である。
 エードリアン・ボールト1889.4/8チェスター(イングランド北西)生まれ~1983.2/23ファーナム(ロンドン北西)没は、オックスフォード大学卒業、1913年ライプツィッヒ音楽院留学アルトゥール・ニキッシュに師事している。翌年帰国1918年にはホルスト惑星を初演している。英国ではビーチャム、サージェント、バルビローリなどの活躍に後塵を拝して、メジャーデビューは1966年にEMIレーベル録音が転換点といわれている。それまでには米国マイナー録音が多数であった。
 1971年コピーライトのB氏作曲Vn協奏曲ニ長調作品61、独奏者はヨゼフ・スーク1929.8/8プラハ生れ~2011.7/6同地没、曽祖父は、アントニン・ドボルジャークである。オーケストラは、ニューフィルハーモニア管弦楽団。レコードに針を降ろすと、冒頭はティンパニーによる四音の連打、それに続くこと第1Vn、そして第2Vnという連なりとなる。まさに楽器間の対話であり、そして呼応がその位置を主張している。作曲者ベートーヴェンは、その効果的な配置を要求しているといえるだろう、言葉で指図せずとも。
 エードリアン・ボールト卿は指揮していて、プロデューサーはクリストファー・ビショップ、バランス・エンジニアはマイケル・グレイというスタッフで、ASD番号の名録音は記録された。
 名評論家三浦淳史はボールト卿の言葉として、指揮を執るということは船の船長になるようなものだと思う、石油のドラム缶といっしょに転げまわる理由は全くない、と紹介している。そこには、指揮者の心得で的確な楽器配置という前提があることは忘れてはならないだろう。指揮者の対面に必要な楽器としてティンパニーだというのは作品67、交響曲第5番でも証明されているのだし、それを実際に取り入れない指揮者は再考をする必要があるのだろう・・・

  NHK-Eテレ20:55のニュースで劇作家山崎正和の死去報道に接した。86才。今から、23~4年ほど前に盤友人は札幌教育文化会館にてパネルディスカッションの聴衆として参観、そのあと交流会で色紙にサイン頂いたことがある。戦後に岸田戯曲賞受賞作世阿彌で脚光を浴びた。昭和40年ころ評論集劇的なる精神を皮切りに論壇で活躍、昭和平成と時代をリードする存在だった。政界とも関連していたし日本の最高権威とも深く関わり2018年文化勲章し、企業メセナの活動も指導的地位にて社会貢献を果たす存在だった。彼から頂いた名刺は貴重な形見となった。
 「水の戯れ」を満州、蓄音機で聴いた少年時代や京都大学では喫茶店で「フランクのVnソナタ」を繰り返し聴いたとか、哲学科美学の修了でイェール大学留学、翌年には客員教授、日本演劇界の一旗手でもあり晩年には中央教育審議会会長歴任、他にサントリー財団顧問など八面六臂の活躍をする愛煙家であった。兵庫西宮にて逝去、8/19の早朝に息を引き取られたとのこと。ご冥福を祈念します。
 9/1は鎮魂の日である。早朝、天才的音楽家デニス・ブレインは過労によりロンドン郊外でカー・クラッシュ、自動車事故を引き起こしてしまった。36才。その七年前に独バーデンバーデンで彼は献呈された協奏曲を披露している。作曲されたのは1949年だから、戦後4年目のことでなおかつ、ドイツ人作曲家パウル・ヒンデミット1895~1963は1940年米国に亡命していた。デニスは17才でブッシュ合奏団、父オーブリーとバッハのブランデンブルグ協奏曲第1番を共演している。兵役を経験して、後にフィルハーモニアオーケストラ・オブ・ロンドン、ロイヤル・フィルハーモニックなど草創期に活動していた。ヒンデミットは1948.10/10にデニス独奏でモーツァルトのホルン協奏曲を指揮していて、その圧倒的な音楽性に感激してホルン協奏曲作曲に取り組んだ。作曲家ヒンデミットは、ナチスとの対立、R・シュトラウスからは「音階ばかりで音楽が無い」とけなされていたものだ。盤友人にとって、指揮者ヒンデミットは1956.4月第1回ウィーン・フィル来日公演指揮者として記憶している。耳が良く音程ピッチのコントロールは正確無比といわれた。指揮者ヨゼフ・カイルベルトは1968.5月バンベルク交響楽団来日公演で画家マチスを演奏していたから作曲者死後5年しか経っていなかったことになる。この曲の初演は1934年3月フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルによるものだった。ホルン協奏曲は1956.11/19一日で作曲者指揮、フィルハーモニア管弦楽団独奏者はデニス・ブレインにより録音された。この直後11/24に指揮者グィド・カンテルリ36才はパリ・オルリー空港で飛行機事故という悲劇に見舞われることになった。
 曲は「中庸で、速く」「急速で」「とても遅く、中庸で、遅く叙唱風で快活に、とても遅く」という三楽章形式。「ある偉大なホルン奏者から、もう一人の偉大なホルン奏者へ」これはデニスが大切にしていた写真への書き込み「この作品の空前無比の初演者へ、感謝に満ちた作曲者より」と書かれたスコアを初演終了後に進呈されている。演奏自体、高い演奏技術をもとめられ、その上に熱狂とは対極的な音程コントロールそして、音楽形式観、歴史に刻印するという気高い精神性を実現する。
 オーディオで求められるものは、音響のみならず演奏家の音楽性、時間を体験する取り組み、感覚における刺激のみならず、時間経過に耐えられるだけの音楽情報、そして鑑賞者のニーズ必要性であろう。刺激というピンポイント的な発想の上に、オーディオ装置のアナログ指向という方向性なしに、ありえない。原点指向という態度こそマニアに求められる前提条件、決して後ろ向きではあらず未来志向なのだ・・・・・

 ジョーン・バルビローリ1899.12/2ロンドン出身1970.7/29同地没は、49年にサーの称号を授与されている。祖父、父方共にイタリア人でヴァイオリン奏者、母はフランス人であり英国の血は流れていないようである。1911年にはアクースティク録音でチェロを演奏している。16歳で王立音楽院の所属楽団員の経歴を持つ。クイーンズ・ホール管弦楽団チェリスト。1918年から兵役、同志の管弦楽団で指揮者として活動、27年頃から指揮するレコーディングが残されている。1937年から43年までニューヨーク・フィルハーモニックの常任指揮者、当時はアルトゥーロ・トスカニーニ、ドミトリー・ミトロプーロスというビッグネイムが大黒柱の中にあってその音楽性は鍛えられたことが推測される。
 その後英国の、ハルレ管弦楽団の音楽監督として活動、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ニューフィルハーモニアそしてパリ管弦楽団との経歴を記録している。どのような古豪のオーケストラともがっぷり四つ、バルビローリ節は明快である。中でも1968.12/12.13録音によるパリ管弦楽団とのドビュッスィ作曲三つの交響的素描「海」と、夜想曲は名盤として誉れ高い、不滅の音楽となっている。パリ管弦楽団は母体がパリ音楽院管弦楽団で、1967年シャルル・ミュンシュの下で出発、それもつかの間、68年11月米国演奏旅行で客死している。そんな緊張感の中あたかも献呈されたかのごとき名演奏が記録されることになった。
 名門のオーケストラは押しなべて管楽アンサンブルが盤石、安定感のあるホルン、木管楽器の中でもファゴット、バッソンは演奏会で体験すると、オーケストラ全体の元締めとして印象は強い。どういうことかというと、木管の和音ハーモニーの土台が音響の上でバッソンが支配していて、聴いていると安定感を覚える。特に英国、フランス系でホルンは指揮者の左手側、下手配置というのは、コントラバスとの兼ね合いが考えられる。ウィーン、ドイツ系は指揮者右手側上手配置が主流である。楽器の構造、マーラーの交響曲第5番のフィナーレ、ホルン独奏の旋律など夜明け、日の出を感じさせて、指揮者が北に向かって東、右手側から吹奏されるのが作曲者のイメージだろう。コントラバス下手配置が前提なら解決される問題である。最近の演奏会で見られる下手配置は疑問。
 交響詩海は、1905年10月15日パリでラムルー管弦楽団により初演されている。第1曲海の夜明けから真昼まで、第2曲波の戯れ、第3曲風と海の対話。開始はpppピニッシシモでティムパニーの叩き始めは印象的に入る。ここで音量の問題として、pppピアニッシシモをどのように録音するのがベストか ? というと聞こえる最弱の音量設定である。聞こえることが前提となる。すなわち、ホールで演奏する時、PAパブリックアドレスのポリシーは聞こえない音量がホール全体で、感じられるような前提となる。ところが、客席の単一の印象はあり得ないのである。前後左右すべて印象が異なることは自然なのだから、PAによる音量の補正は、木に竹を接ぐ愚策に過ぎない。レコードというものは、印象の問題でナロウ、不自然であることは前提条件といえる。だから、自然な音空間の再生を旨とする。楽器間のディステンス表現こそ妙味だろう。
 「海」の神奈川沖波裏、葛飾北斎の版画は遠景として富士山が中央で目の前の大きな波は、西洋の油彩画の意表を突く大胆な構図、波の戯れでお仕舞いは、五音音階ペンタトニックが聞こえるジャポニズム。この近代音楽も当時は革新性が強く、聴衆にとって耳新しい、受け入れられにくい音楽だったと言われている。
 ジョン・バルビローリはパリ管弦楽団からdevoteされる関係構築に成功している・・・・・

 コロナウイルス禍の今年は、一変した世界になっている。8/6札幌市民交流プラザで開催された交響楽団新・定期演奏会も、4階が閉鎖されて客席は全体で半減、空席確保されていた。もちろん入場時の検温で感染防止対策は施され、半券チギリも入場者本人による。ニックネイム・ヒタルの大ホールは渋谷NHKホールと同程度の空間、2019年8月に開館されてオペラ公演対応の施設、こけら落としでは「アイーダ」が催された。期待されていた矢先に出鼻をくじかれたようである。
 問題点を一つ提起したい。オーケストラ公演におけるPAパブリック・アドレスだ。映画館などではスクリーンの両サイドにスピーカーが組み込まれていて自然な音響が提供されている。管弦楽の公演において、この両サイドのPAが曲者といえる。率直に言って、映画と演奏会の違いはどこにあるのかというと、管弦楽は舞台で音楽を演奏している。すなわちその上で、両サイドのPAは木に竹を継いだ形になっているのだ。だから、ヴァイオリン協奏曲でも独奏者がカデンツァを演奏している時、舞台の全体に音響は広がって、管弦楽が入る印象は小さな広がりその位置感覚になりさがる。異様なバランスなのだ。昔の札幌市民会館や厚生年金会館などPA装置のない会場では当然のことだが、管弦楽と独奏者のバランスは音響技術者が調整するわけもなく、指揮者一人の感覚に委ねられている。多分管弦楽団員たちは、違和感のないであろう空間の中で演奏されているのだろうが、客席にいる聴衆の一人にとってコンサートマスターの熱の入った演奏が、ステージの左側袖から聞こえるのは不自然という違和感を覚えるのである。
 独奏者使用楽器ヨハネス・バプティスタ・グァダニーニ1748の鳴りっぷりよい音楽も、アンコールでの音量感に首をかしげてしまった。彼女の演奏に責任は無いのだが…
 フルートという楽器は木管楽器、なのに現代では金、銀、洋銀といった金属製フルートが主流を占めている。これは大量生産される近代の象徴であり、手工業は細々と営まれている事実も影響していることだろう。そんな中でクルト・レーデル1918.10/8ブレスラウ出身~2013.2/12ミュンヘン没は数少ない木管楽器奏者であり、指揮者の一人でもある。残念なことに1960年代の途中から金属製にスイッチしているのだが,彼は、その上でも木管の音色を出す工夫をするという発言をしている。
 ヨハン・クリスティアン・バッハ1735~1782大バッハの末息子でセヴァスティアンの死後15歳にしてカール・フィリップ・エマヌエル・バッハに引き取られる。ボローニャのマルティーニ神父のもとで研さんを積みカトリックに改宗し1764年ロンドンでは当時8歳のモーツァルトと交流している。
 6曲のクラフィーアとフルートのためのソナタ作品16、鍵盤楽器としてフォルテピアノ、ハンマーフリューゲルが使用された演奏1969年録音でイングリッド・ヘブラーは絶妙な音色のコントロールに成功している。第1番ニ長調に始まり、ト長調、ハ長調、イ長調、ニ長調、ヘ長調というそれぞれ2楽章構成は正に、ソナチネ小奏鳴曲アルバムといえる。なぜにこのような調性になるのかというと、作曲当時の楽器フラウト・トラベルソは音孔も限られていて、♭変や♯嬰といった音の演奏に自由は確保されていなかったことによる。去年オーボエのハインツ・ホリガーにサインをもらった時LPジャケット写真で一緒していたオレール・ニコレを指さし「彼といったらボーボー吹いている」という具合に嘲笑していたもので、オーボエのピッチの正確さに比べるとフルートの音程は一歩譲るところである。
 クルト・レーデルは伸びやかで爽快な印象を与える演奏を記録している。ヘブラーとのユニゾン斉奏も素敵な仕上がり・・・・

  テレヴィで大相撲を観戦する、幕内力士の土俵入りのときに一人ひとり上がるその足を観察していると、左足から右足から力士により様々で足を上げ踏み切る足の方が利き足なのだろう。その時、力士は無意識なはずである。グレン・グールドの演奏を聴いていると、自然、左手のパッセージが意識的に聞こえる。力の込め方が右手より意識が強いように感じられる。実際はどうなのか確認することはできないので、そうなのかなあ?と感じる世界である。
 1957年1月グールドは、ニューヨーク・フィルハーモニックとベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19を演奏している。彼は25才で指揮者38才のレナード・バーンスタイン、彼らの良好な関係は1962年までしか続かなかったのは、天才同士の相性によるものなのだろう。衝突した音楽はブラームスのピアノ協奏曲第1番、テンポの設定に合意形成は果たされずバーンスタインは、グールドに従う結果となった。彼ら最初のレコーディングは1957年4月録音でコロンビア交響楽団といえども、実体はニューヨークフィルハーモニック、契約関係からクレジットライセンスはそうならなかったのだろう。名称といえども、名は体を表すのだが音楽的には無視できるともいえる。
 モノーラル録音、ピアノの音色は克明で、オーケストラ弦楽器の厚みは充分でベートーヴェンの音楽に相応しい。といっても、ホールのサイズは現代仕様で、作曲者の時代とはスケールが異なるだろう。弦楽器の開始は、指揮者の意志が反映されていてテンポの設定は微妙に意志的に動きを伴っている。その後からソリスト独奏者が入るのだが、グールドの意志は決然としていて、素早く反応する。伝記本を読むと彼はその当時SPレコードでシュナーベルの演奏を愛聴していたと有った。シュナーベルというと、ベートーヴェンの全ソナタをSP収録していた最初のピアニストで、それは当時の規範となるスタイルだった。まず、テンポの設定は機械的に非ず、微妙に変化する意思が反映されているし、強弱の幅は広く取られて、対比は明快である。分かり易くいうと、バーンスタインが弦楽で語り掛けるように演奏すると、それに呼応するがごとくグールドはピアノを演奏させる。この阿吽の呼吸は、みんなそのように演奏しているかというと、意外と機械的、スポーティブな演奏に陥りがちである。グールドの味わいはレガートなフレーズ、ノンレガートといった、区切りをつけた表現の入れ替わりに妙味はあるといえるのだろう。
 1957.1/16というと、巨星アルトゥーロ・トスカニーニ89才が息を引き取っている。その前年11/24グィド・カンテルリ36才がパリで客死している。その2年前にはウィルヘルム・フルトヴェングラーが68才で病死するなど、音楽界は偉大な存在が新しいスターを呼び出すかの如く、時代の節目を形成していた。カラヤンやバーンスタイン時代の到来を告げていてその端緒に当たるレコーディングが、L・BとG・Gの共同作業であたというのは象徴的だったかもしれない。
 オーディオの話の時、「倍音」を聴くという言葉がある。まさに、ベートーヴェンの第2協奏曲第二楽章の後半カデンツァ装飾的経過部で、独奏ピアノという楽器が奏でる「倍音」を鳴らす部分がある。この変ロ長調作品19は彼がウィーンに出て23~25才の当時に作曲されている。第2番でも、先に楽譜出版されたハ長調作品15の前に作曲されている。楽譜出版は1801年末、第1番は1798年作曲で2番の3か月前に楽譜出版されたことによる。いずれにしろグールド演奏の特色てある、ピアノの音によく耳を澄ませる行為が聞き取れる、決定的な記録となっている。バーンスタインも素晴らしく更にその上をいくグレン・グールドとの奇跡的な出会い・・・

 情報は知人からメールが入り6/30に亡くなられたという訃報で1998年来日時、キタラホールでラトル指揮バーミンガム市立SOによるブラームスの協奏曲を思い返した。サインを頂きミーハーぶりは恥じる事でもなく、貴重な経験である。
 イダ・ヘンデル1928.12/15ポーランド・ヘウム生まれ、晩年はマイアミで後進の指導にあたっていたという。生年は定かではなく諸説ある。いずれにせよ卒寿を越して長寿、カール・フレッシュ門下三姉妹ヌヴー、マルツィ、ヘンデルという時代は過ぎ去りゆく。彼女の演奏スタイルを評して20世紀前半を伝えているというもの。アグレッシヴ積極果敢、パッション情熱的、メロデイアス歌謡性という三拍子揃ったヴァイオリニストは稀な存在だろう。最近の奏者達の脱力系スタイルには、アンチの感覚が透けて見える。アナログ時代を代表する名演奏は、オーディオマニアにとって福音であり、稀少な扇の的といえるだろう。
 最近、ある知人からマンションに居てオーディオの追究には限界があるという、否定的な感覚を伝え聞いている。翻ってこのサイト読者達のオーディオ環境事情は・・・思いを巡らせてみた。確かに一軒家では大きな音量を愉しめるし、鑑賞時間にも自由はあるのかもしれない。ただ、オーディオの愉しみ方として、大音量は感覚がマヒしてしまうものでありそれは、一面的な愉しみに過ぎないだろう。音量を絞り、大きな編成の管弦楽曲も、ステレオ録音で定位ローカリゼイションを突きつめる追い込みをすると、楽器の配置に手ごたえが有り、会話するプレーヤー達の感覚が聞き分けられて、実に愉快である。すなわち、大編成管弦楽をあたかも室内楽風に小音量に絞り込んでも音楽が痩せないことにオーディオの愉しみはある。つまり、音量を絞りこんでも愉しめる醍醐味こそもう一つのオーディオスタイルだ。それには装置のバランスを巧く整えて特に、アンプの性能向上を図り、スピーカーのキャラクターを生かすグレードアップという道はあることだろう。
 イダ・ヘンデルの演奏したストックホルムリサイタル1984の二曲目は、バッハ無伴奏パルティータニ短調BWV1004からシャコンヌ、1720年頃作曲ケーテン時代の雄大な独奏曲は演奏時間15分位の名曲である。バッハの曲をヘンデルが弾くというのは頭が混乱してしまうものだろうが、演奏する情熱が溢れていて聴きごたえがある。強弱の振れ幅は広く、クレッシェンドの力強さから息の長いディミュニエンドというしだいに音量をしぼるスタイルは印象的、精神世界の強靭さや、雄大さが刻印されている。不思議であるのだが、女性奏者でありながら気性を前面に出す気迫、微妙なフレージングという旋律の表情付け、楽曲の把握は並外れていて抜群の力量である。パルティータというものは、舞曲の組み合わせであり、その一曲、シャコンヌはパッサカリアと同義で17~18世紀の緩やかな音楽、葬送の音楽ともいわれている。気品ある演奏は感情の盛り上げから、仕舞い方など伸縮自在、安定感のあるテンポの設定は、格調高い音楽として余人の追随を許さない孤高のディスクに仕上げられている。
 このレコードを聴いていて、気になることとして、楽器の音像がピンポイントでクローズアップされているところにある。多少の不満としては、マイクから楽器への距離感でオンマイクに過ぎるところがある。モノラル録音ですら、この距離感は味わいが有り、オンマイク過ぎるとつまらないもの、贅沢な不満ではある。これは録音技師の好みの問題でもあり、音作りとしてはSPレコードからモノラル録音LPレコードを沢山耳にすると違いが分かる世界であり、その経験の上でステレオ録音の定位が重要になる。Aチャンネル、中央、Bチャンネルという音響の不思議こそ・・・

  ンタタタ・ターン、ンタタタ・ターンという開始を指揮者が二回振る動作を繰り返すとき作曲者、運命はかく扉を叩くとかシントラーに語ったとされている。ここで管弦楽のテンポをどのように設定するのか、指揮者は楽員に提示する必要がある。第一楽章アレグロ・コン・ブリオという楽譜の記入は自筆譜に有り、アレグロは快速に、コン・ブリオ生き生きと活気をもってという表情記号、そこで解釈のSPスタンダード・プレイは1913年記録のニキッシュ指揮ベルリン・フィルのものは、四分音符一分間に90位である。
 ところが最速の記録はフリッツ・ライナー指揮のもので、120位ということはヴィヴァーチェもしくはプレストの解釈でもって押し通す。弾丸ライナーとは、よくぞ言ったりでトスカニーニ、カラヤン、ショルティ、カルロス・クライバーらの演奏速度テンポはこれらのグループといえる。アンチというか、遅めの解釈は、フルトヴェングラー、クレンペラー、フリッチャイ、ベーム、ブーレーズたちの演奏になる。
 1971.12/20,23録音になるミュンヘン・フィルハーモニック指揮者ルドルフ・ケンペのテンポ設定は、68年録音のブーレーズ指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と同じく、遅めの設定になっている。ウィルヘルム・フルトヴェングラーの評伝(猿田直氏)を調べていると生涯演奏回数148回という数字を目する。簡単に云うとトスカニーニは21回ほどで、フルトヴェングラーを超える指揮者はそうざらにいるものではないということであろう。まさにケンペはフルトヴェングラー速度テンポを墨守していて、曲全体が支配されている感覚になっている。ちなみに、1817年頃の作曲者によるメトロノームテンポは、108とか楽譜に残されているのだが、果たしてその解釈はそれを目安に、速めと遅め、その中間という三択が演奏者たちの判断にゆだねられているといえよう。
 ルドルフ・ケンペ1910.6/14ドレスデン生れ~1976.5/12チューリヒ没はミュンヘン・フィルの常任指揮者として生涯を閉じ、晩年はドレスデン・シュターツカペレ、チューリヒ・トーンハレ、ロイヤル・フィルなどと65歳で良好な活躍ぶりだった。ドイツ、スイス、イギリスとヨーロッパで活躍、聴衆からは絶大な支持を受けて尊敬される音楽家の代表だったと伝えられている。日本ではレコードでしか評価されなかったことは、返すがえす残念なことである。否、彼の記録はどれも貴重なもので、それを再生できることはオーディオ・ファンに残された唯一の仕合わせといえるだろう。CDでいうとCBSソニーのレーベル、LPでいうと、EMI系列のアーティスト。ドイツではBASFとかACANTAなどマイナーレーベルでおなじみ。ケンペ芸術は、生粋のドイツ音楽のみならずストラヴィンスキー、ブリテン、など近現代音楽でも名演奏を記録している。盤友人としてはブラームス、チャイコフスキー、シューマンなどのピアノ協奏曲でもVn両翼配置を記録していることは、嬉しい事この上ない。ただし、残念と言うか、ベートーヴェンツィクルス全集は、右スピーカーから左へのグラデーションでチェロ・アルト・第2Vnという録音配置で口惜しいこと限りない。
 ケンペの選択したテンポ設定で揺るぎない音楽は、その弦楽器の豊かな音響にあるだろう。すなわち、タタタ・ターンという速度で、速すぎると楽器特有の空気振動感が希薄になる。つまりゆったり目のテンポは、スピーカーがよく反応してアナログ冥利、フカフカの感覚は手応え極上である。切れ込み良い管楽器と弦楽器の好バランス、これが第1楽章から終楽章にいたるまで一貫して感じ取れるのは喜びである。フィナーレで少しアクセルを踏み込む感じでの気張りは、嬉しく感じられることになる。
 第V番のVはヴィクトリー勝利の音楽になっている…

梅雨前線の停滞により九州地方の豪雨で被災された皆様にお見舞い申し上げます。人吉市では1965年の洪水と同じくらいの水位を電柱は示していたという。大変な災害に際しくれぐれも生命第一でお過ごしされること祈念します。
 現代音楽というと、日本人作曲家としては一柳 慧(とし)1933.2/4兵庫県神戸出身で、1954~57年ジュリアード音楽院留学、1959年にジョン・ケージ1912.9/5ロスアンジェルス生~1992.8/12ニューヨーク没の講座を受講、以来、不確定性の音楽で図形楽譜の使用など1961帰国して以来、洗礼を受けたことになる。二十世紀音楽研究所主催、第一回現代音楽祭―前衛音楽特集、紹介に努めている。この時代の象徴的な作品に1952.8月にウッドストックで発表された「4分33秒」がある。第一楽章33秒、第二楽章2分40秒、第三楽章1分20秒、ピアニストは楽器の蓋の開閉をするだけで、作曲者の意図はその間、耳を澄ませよという。
 歴史上、初めて無音を聴き、演奏行為「休止」と、聴く行為の一体化を発表したことになる。その時、演奏会場の音を聴けという「作品」。これは究極の音楽になるといえる。ちなみに273秒というのは、絶対零度を意味する。
 オリヴィエ・メスィアン1908~1992に師事した、ピエール・ブーレーズ1925.3/26仏モンブリン生~2016.1/5独バーデンバーデン没は1948年にピアノソナタ第2番を作曲している。これを演奏しているのはマウリツィオ・ポリーニ1942.1/5ミラノ生まれ。1978年来日時に札幌厚生年金会館ではベートーヴェンの後期ピアノソナタ三曲を取り上げている。白面のピアニストが、演奏の高揚感でまっ赤になりながら集中しその緊張感に驚いたことだった。レコードでは、アポロ的で客観的、冷静な演奏スタイルに接していただけでは、知り得ないポリーニ芸術に感銘を覚えている。
 ポリーニは1960年国際シュパンコンクールのグランプリ獲得以来、公の場から離れていたものの1968年ロンドンのコンサートから再起している。ショパン、モーツァルト、ベートーヴェンのほか、シューベルト、シューマン、ブラームス、ドビュッスィ、シェーンベルク、ストラヴィンスキーと多彩なLPレコードをリリース。とりわけ、ブーレーズやノーノのレコード発表は現代音楽、コンテンポラリー同時代の音楽と意欲的な取り組みをしているところなど、並みの演奏家の水準を超えている。
 ブーレーズというと指揮者で有名なのだが、初来日は1970年5月、ジョージ・セルとともにクリーブランド管弦楽団を指揮していた。大阪万国博の合間に二人は長谷寺、室生寺を参詣している。彼の指揮した「春の祭典」のLPレコードで、1963年フランス国立放送管弦楽団とのセッションは熱気を記録していて孤高の名盤といえる。
 ポリーニの演奏したソナタ第2番はカップリングがウェーベルンの「ピアノのための変奏曲作品27」(1928)、演奏時間9分弱の音楽。シェーンベルク、ベルク、ウエーベルンという3人はウィーンの作曲家で12音音楽ドデカフォニーの開祖、新ウィーン楽派。1920年以降、シェーンベルク作曲、五つのピアノ曲の第5曲が最初の無調音楽の作品といわれている。
 ブーレーズのソナタは、絵画で云うと点描の趣であり、メロディーライン旋律線やハーモニー和音、ダンスのようなリズム律動とは、無縁の音楽になっている。四楽章構成、極度に急きょで5:57、レント遅く11:08、モデラート中庸、ほぼヴィーヴォで2:10、ヴィーヴォ10:00。この音楽には、音楽の三要素は導き出されることなく、音の三要素という音量、音高、音色を感じ取ることになる。音楽はちょっと聞きではなく、深い鑑賞を必要とする…

 先日、オーディオとは何のためにあるのか?と考えさせられる経験をした。イコライザーアンプを視聴、レコードの魅力を遺憾なく体感してつくづく、究極のアナログ体験ともいえるLPの魅力にしばし、席を離れることが出来なかったのである。隣に居た人は、これをCDで聴いたらどうなるのか?とか口走っていたのだけれど、デジタルとは無縁のアナログ世界経験なのであって、CDで、という仮定は成立しないことを理解しないといけない。聴いた音盤はチェロソナタ、ジャックリーヌ・デュプレ1945.1/26オックスフォード生まれ~1987.10/19ロンドン.の演奏するベートーヴェンのソナタ第3番イ長調OP69、ピアノはスティーヴン・(ビショップ)コヴァセヴィチ1940/10/17、ロスアンジェルス近郊生まれ(ユーゴスラヴィア系両親)との1965年EMI録音。
 イコライザーアンプというものは、いわゆる、プリアンプを構成する入口部分で、カートリジというピックアップから昇圧トランスを通過した後で、プリアンプ部分の前半に当たる。この回路こそアナログ固有な世界であり、デジタルでは経験できないものといえる。ビギナーには理解するのに時間がかかることだろう。これは、EMTのレコードプレーヤーでは、アーム部分の次に直結されていて、139stといってお分かりになるのはマニアの世界、プリアンプに入る前段である。
 ピアノとチェロのためのソナタをB氏は、作品5で2曲ヘ長調、ト短調、1808年頃作品69でイ長調、1815年作品102でハ長調とニ長調というように、調性は微妙に考えられている。
 6/22に札幌市役所1Fで、中学校音楽の教科書を手にする機会が有った。その中で、「音の3要素」の記述に出会った。音量、音高、音色というもの。盤友人がその時代に学習したのは、「音楽の3要素」だったことを記憶している。律動、旋律、和音(リズムメロディーハーモニー)。ここで相違することは、「音楽」が「音」へと変わったことにある。すなわち演奏する行為から、構成する要素へという変化だろう。ここで素朴な疑問を覚えた。教科書全体の中で取り扱われている教材は、ベートーヴェン交響曲第5番、ラヴェル・ボレロとかヴェルディ歌劇アイーダという楽曲なのだ。すなわち、「音の3要素」という発想は、音楽史の調性音楽が十二音音楽という無調の音楽への展開を経て、ハーモニー和音の概念から「音」へという変化による影響が明らかである。「音の3要素」という発想から調性音楽の教材はミスマッチということで、音楽観の変化には注意が必要というものだ。それはあたかもオーディオでいうと、デジタルの世界への歴史展開が「アナログ」の世界をスルーすることと同じである。調性音楽やアナログの世界を無視することは、重大な欠落といえるのだろう。
 デュプレ20歳当時の、ベートーヴェン演奏はそれ以前も耳にしていたレコードなのだが、イコライザーアンプの経験をして、刮目のレコード再生経験となったものである。だから、いい音、とは高音域とか低音域とかの現象ではあらずして、演奏者の気迫横溢した演奏を感じさせる音のことなのだ。それはあたかもベートーヴェンの名作の森、作品として作曲者の血気盛んな創作意欲発露としての音楽を、ジャッキーの演奏を再生する悦びは経験させてくれるのである。音でいうと、チェロの音の綾なす襞ひだ、倍音の充実にある。楽器の余韻も素晴らしく、倍音の充実感はアナログ世界の証だろう。ジャッキーの演奏活動は1972年頃までで、病魔「多発性硬化症」がおそうことになる。後はリタイヤ、15年ほどの療養生活、それにしても残されたものにとって、彼女の1961年から開始されたレコーディングキャリアを十全に再生する努力こそオーディオマニアにとっての慰めとなる。処女作にサンサーンス「白鳥」を記録していたことは暗示的とも・・・

 かなり以前のことになるけれど、最初に日管製品1.5万円ほどの洋銀製楽器を両親から買い与えて頂いたことが、盤友人のフルートとの出会いだった。中学校に入学して、迷いなく吹奏楽部に入り、トロンボーン、サックスなどすぐに音を出せたのは喜びだった。中でも、音はなかなかでないよ、と言われてもすぐに出せたフルートには、何か運命的なものを感じていた。誰にも習わないで、ところが、昭和47~48年頃NHK教育TVで吉田雅夫先生による「フルートとともに」は、眼を見開かされる経験をした。音程の確保という1丁目1番地を認識させられたものである。ここで初めてフルート演奏の基礎を修得することができた。吉田雅夫はカラヤンをしてNHK交響楽団首席奏者の時代、ドイツ音楽とフランス音楽を吹き分ける名演奏家という高い評価を与えられた草分け的存在、指揮者ジョセフ・ローゼンシュトックさんの時代に、ファリア三角帽子をリハーサルの時から本番まで演奏時間が乱れることは無かったと指摘していた言葉が印象に残っている。N響大黒柱の1人であったのだ。ちなみに盤友人が高校生の時、音楽の先生は武蔵野音大を卒業していて当時ローゼンシュトック先生が練習中にかんしゃくを起こしたとき、なだめ役は首席チェロ奏者の斉藤秀雄先生だったというエピソードを伝え聞いている。
 いつまでも語り伝えられる話には、考えさせられることが含まれている。ローゼン氏の話は、オーケストラを指揮するテンポの一定感であって、並みの話ではないだろう。吉田雅夫先生は「フリュート」といつもフランス式に発音し、ピッチ、テンポ、音楽様式全般を経験された上でのテレヴィ講師だった。「アンブシュアー」吹き口の角度や、「アポジャトゥーラ」倚音いおんなどは楽譜解釈アナリーゼの上で必要不可欠の知識と云える。このTV受講は決定的な経験となったのだ。
 中世からバロックにかけては「フラウトトラヴェルソ」という楽器の発達を見ている。指孔だけだった楽器もキーが付け加えられて、ヨハン・セヴァスティアン・バッハは「無伴奏フルートのためのパルティータ、イ短調BWV1013」など現代モダン楽器でこそ易々と吹奏可能な音楽でも、その当時1720年頃に作曲されていたということは、音楽の父、大バッハの面目躍如といえるものである。
 電気の発明発見から近代と云えるのだろうが、フルートは木管楽器に分類されている。さて、盤友人は昭和52年にはムラマツ総銀製のフルートを購入、洋銀製の10倍ほどの価格であった。すなわち、現代ではフルートという楽器は1960~70年代にはジャン・ピエール・ランパルなど24Kのゴールド製品使用とか、今に続くジェイムズ・ゴールウエイ、エマニュエル・パユらの金製品楽器使用演奏家が多数派を形成している。ちなみに、1969年オレール・ニコレ初来日の頃、彼は洋銀製楽器使用を平気で演奏会に臨んでいた。
 というようなことで、現代フルートの大勢は金属フルートの時代だといえる。あたかも、サキソフォンという木管楽器が本体は「金属製」という事情と並行しているだろう。ところが、エボニー黒檀製の楽器演奏家に英国人奏者ガレス・モリスが居る。フィルハーモニア管弦楽団首席奏者、オットー・クレンペラーの録音の大半を彼モリス1920.5/13クリーブドン生まれ~2007.2/14ロンドン没が演奏していたことになる。彼は、一歳年下のデニス・ブレインが挙式する時の付添人を務めた無二の友人である。1945.9/8ピーターズフィールドで花嫁はイヴォンヌ。
 うまいフルーティストは星の数ほどいる中でガレス・モリスの演奏は稀少である。盤友人は20年ほど以前にフィリップ・ハンミッヒ黒檀製のフルートを購入した。歌口は吹き口という穴だけなのでヴィヴラートはほとんどかからない。合奏する時には他の楽器との倍音が豊かに響いて、金属製フルートとは喜びが異なる。バッハ管弦楽組曲第二番ロ短調BWV1067はフルートと弦楽合奏と通奏低音の編成である。楽曲はフランス風序曲に始まり、ロンド、サラバンド=スペイン風舞曲ゆるやかに流れる、ブーレ、ポロネーズ=もっとも有名で中間部はチェロと華麗で優雅な二重奏が演奏される、メヌエット、バディネリ=冗談風に軽やかで。クレンペラー指揮の演奏は風格が有り、決して技巧を前面にすることなく、じっくりと、フルートを吹奏させている。1955年頃録音によるモノーラルレコードでも、フルートの豊かな響きは、弦楽に埋もれることなくて、音量を誇る金属製フルートの上をいく味わいである。オーケストラでは、首席と第二奏者がエボニーでアンサンブルをする団体が無いのは実に不思議なことだなあ・・・・・

デニスとイヴォンヌの結婚式の時の写真。
1945,9,8 ピーターズフィールドにて。
左端は花婿付添人ガレス・モリス
右端はレナード夫妻

 魔法の言葉というものがある。アキレスは先に歩き出した亀を追い抜くことはできない、というもの。動の否定、アキレスは足が速いわけでなくても亀より速く歩くことはできるのだが、時間を考えるとき先に歩き出すことにより時間は規定される。だから、亀は先に歩き出すと時間があることにより、アキレスが歩き始める間、亀は歩いていることにより、永久に追い抜かれることは無い、アキレスは亀に近づく、その間歩いているから・・・あれえ、アキレスは足が速いでしょう、なのに、時間があることにより、亀は先に歩いているという訳である、だから、アキレスが先に歩き出した亀を追い抜くことはできない。
 少しまともに考えることにより、時間というものは説明する時にやっかいなものなのである。たとえば指揮者というものは、何をしているのか?手を振っているから、ああ、指揮者は指示を出している人なのかとという風に考えて納得しているのだが、それでは、誰が指揮をしてもオーケストラを指揮することで音楽は同じなのだろうか?分かりやすく考えるとき、女性がピアノを弾いて出す音と、男性が弾いて出す音、猫が鍵盤の上を歩いて出す音、音は全て同じ音でも、つまり、ドとレだけの時、ドレと云う音は同じ音だ、だから女性が弾いても、男性が弾いても、猫が歩いても、音に違いは無い、と断言する人は笑われる。笑われた人は、真顔で、ピアノの音に違いを聞き分けることはできないと頑張るだろう。すなわち、その人は真剣に猫の音と女の音と男の音に違いは無いと言い続けることだろう。笑止千万、噴飯ものというのは、音楽の本質なのである。ピアノの音と、音楽は月とスッポンほどの違いがある。北京と月はどちらが遠いか? 月か北京か、見えるのは月だから北京の方が遠いと言うと笑われるのと同じことなのだ。
 クラシック音楽の鑑賞でレコードを再生する時、美しいと感動する瞬間を経験する。その経験は、簡単に忘れることのないということを知っている人は、音楽愛好家といえる。盤友人にもその経験はあり、ジュピター交響曲の第2楽章アンダンテ・カンタービレ歩くような速さで歌うようにの開始早々、弦楽器のほれぼれする美しさに耳を奪われて、その時の感動が忘れられずにそのLPレコードを手放すことが出来ず、今までに幾度となく鑑賞している。プレーヤー、アンプ、スピーカー、そしてLPレコードを再生できる電気があることにより、鑑賞することが出来る。ウィーン交響楽団、指揮者フェレンツ・フリッチャイ、1961年3.12/13(3ヶ月ほど前に彼はクララ・ハスキルの訃報を受け取っている)ムズィークフェラインザール、ウィーン録音。弦楽器がゆるやかに演奏して、弱音を奏でるアンサンブルを、精密に合奏する指示を出すのが指揮者の仕事であり、ドイツ・グラモフォンの録音クルー、スタッフは見事にその哀しいまでの美しさをレコードに刻むことに成功して、それを再生する鑑賞者、オーディオファンは愉悦を経験することが出来る。そこで、盤友人の満月夜にスピーカーから流れ出す再生音は、フカフカの豊かな音響、楽しい音で確実である。この次の満月は 7月5日である。このサイト読者にとっては盤友人の発信を検証することのできる機会であり、どのような感想を持たれることだろう。
 無意味な発信か、否かはサイト読者が判断できる話。
 よろしくお願いするまでもない。皆さんがどのようにリアクションするか、盤友人の愉しみはそこにある。
 後ろから指揮者の姿を鑑賞するのではなくてその先にある指揮者の芸術を再生するのが、オーディオ愛好家ディレッタントの取り組む課題なのであろう。フリッチャイは手を振るのみならず、演奏者たち最良の音楽を引き出す魔法の存在、その美を引き出すオーディオこそ永遠の悦びであり、アキレスが亀を追い抜けない理由も理解できて、今夜もレコードに針を・・・

 太陽を中心にして初めて地動説が成り立つ。すなわち、地球は北極星を頭にして絶えず西から東方向へと自転する。さらに6/21日曜日は夏至であり、1日の昼が年間で最も長いのは、太陽に対して南北軸にあたる北極点がわずか傾いていることによる。ところが公転といって北斗七星を起点にするとよく分かるのだけれど、オリオン座は今頃夜に、目にすることはできない。太陽の周りを1年かけて回転していることによる。
 ロマン派の音楽とハイドン、モーツァルトら古典派は、シューベルトの存在を境にしてグラデーションの様に推移している。彼はベートーヴェンが太陽であっただろう。ピアノソナタや、弦楽四重奏曲はベートーヴェンの多大な影響の上に展開する。彼の作曲した600 余りの歌曲は、まさに詩との出会いでありそこのところが、ウィーン音楽の生命である。B氏は交響曲作家として成功している。ピアノトリオに始まり、ピアノソナタや弦楽四重奏など室内楽から作品20で七重奏曲、そして21で第1番交響曲を発表、第3番は作品55で34歳、1805年のことである。
 宇宙に轟けと言わんばかりの開始、和音が二つ管弦打楽でということは、ティンパニーもフォルテで奏される。アレグロ・コン・ブリオ快速で生き生きと、表情記号は指定している。この音楽は明らかに、会場の演奏者も聴衆も緊張感の真ん中に指揮者が存在することを、作曲者は企てたことなのだろう。ナポレオンの登場を喝采したベートーヴェンが居るのだが、第2楽章は葬送行進曲風に、演奏される音楽になっている。有名なエピソードとして、ボナパルトに献呈するはずが、総譜表紙で作曲者は、献呈辞をぐしゃぐしゃと多数の線で引きかき消している。つまり皇帝の独裁政展開に彼は愛想をつかしたと言われている。政治家を断罪するベートーヴェンが居る。確かに市民革命による封建社会の変革はベートーヴェンの望むところであったのだが、独裁政治へというナポレオンを、彼は許すことが出来なかった英雄交響曲である。
 山なりにつらなる旋律線メロディーは、単純明快な動機モティーフであり、第1楽章の変ホ長調から、ハ短調による葬送行進曲ふうにの音楽はその明暗逆転が劇的である。フェレンツ・カール・フリッチャイ1914.8/9ブダペスト生まれ1963.2/20バーゼル没が、初めてベルリン・フィルハーモニーに登場したのは1949年頃で、チャイコフスキーの5番を録音している。その当時の主な活動はベルリンRIAS交響楽団でその後多数の録音を残すことになる。1958年10月に英雄を録音、一時体調不良に陥り、胃腸手術に向かう直前のことである。
 モーツァルト録音を多数残しているフリッチャイはベルリンで活躍していたころ、フルトヴェングラーの再来とまで市民から厚い信頼を獲得していた。盤友人が彼の名前を最初に記憶したのは1970年のこと、グラモフォンの1100円レコードで、ベートーヴェンの「合唱」、ベルリン・フィルを指揮してディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの名前が有ったことによる。その時分フルート奏者はオレール・ニコレだった。
 ともかく盤友人はフリッチャイの名前を目にしてはレコードを購入して、ハスキルとのモーツァルトピアノ協奏曲19番ヘ長調K459、1955年録音を入手したときは天上の音楽を満喫、この英雄交響曲もステレオ録音でありながら、ステレオテイクモノーラルLPレコードまで手に入れた。その味わいは、オーケストラの旋律の受け渡しがとても味わい深く、たとえば、葬送行進曲でもオーボエ独奏が、入るタイミングなどで、ぐんぐんと聴くものに迫る緊張感は、ぐっと来る。音楽の全体がサクサクと進み、なおかつ前のめりにならない足取り軽快で、そのじつ演奏者全員の足並みがピタリそろっているのは、並々ならない指揮者への敬意をふつふつと感じさせる貴重無二のレコードに仕上がっているといえる・・・

※ハインツ・ホリガーは「オレール」と発音しておりました。

 安心安全は、正しい情報と正確な知識に基づいた判断により構築される。プロコフィフの伝記に目を通していると彼の偉大な音楽は、ピアノの技術の上に音楽的環境としてオペラに接していて、経験として歌劇やバレエの世界が青春時代身近な音楽的環境であったことが理解できる。例えば最初の作曲はピアノ曲、インドのギャロップ、5歳の時でブルックナーの没年のこと1896年。生まれは1891.4/23ウクライナのソンツォフカ(没年は1953.3/5)、母の影響により手ほどきは3歳からで歴史は始まる。7歳で四手ピアノのための行進曲を書いている。ということは早熟の天才的才能の開花をすでに成し遂げられたという話だろう。歴史の刻印は正しい知識でといえることと、無くても済む話ということでもあるまい。
 ベートーヴェン1770ボン~1827ウィーンはというと、5歳で父親からピアノの手ほどきを受けている。といってもグランドピアノなどという原型はフランツ・リスト1811生~1886没の頃で、B氏のワルトシュタイン奏鳴曲1804年の完成は音域の拡大ともいえる最高音の使用とか改革が工夫されていて、リストの奏鳴曲ロ短調1853年作曲へと歴史は連なっている。
 矢の話で、飛んでいる矢は止まっているというのが有名だ。動の否定、なんのことはない、飛んでいるけれど動いているのではないと言うまでだから驚く話でもないだろう。たとえば、盤友人の話には数字が頻繁に打ち出されていて、読みにくい事この上ないと思われている向きもあろう。盤友人の意志は、正確な知識を問うているまでで、歴史に裏打ちされたエヴィデンス証拠を求めている。だから面白い話として、顔が白い犬が居ました、尾も白いポチという名前で・・・という面白い話の他に発信として彼は1954年生まれでとか数字を用いることにより具体性を発揮することになる。ベートーヴェンは交響曲9曲、といっても番号付きということで、B氏には番号無しのウエリントンの勝利という交響曲1813年初演もある。プロコフィエフは交響曲第7番青春1952年完成というものが最後になっている。盤友人は1944年作曲になる第5番変ロ長調作品100を札幌交響楽団第268回定期演奏会1986年3月14日に札幌厚生年金会館で鑑賞している。1951年ソルトレイクシティーUSAでは、ソヴィエト作品ということから上演妨害事件を起こされているいわくつきの作品で、さしたるアジテイションの含まれた作品ではない四楽章構成の対ナチスドイツ戦勝利祈念の交響曲。
 メンデルスゾーン1809生~1847没は第5番交響曲として、宗教改革を作曲している。1832年11月15日ベルリンにて作曲者自身の指揮により初演。コントラファゴットやセルバンという低音管楽器の補強がなされているのは興味深い。
 ロシアとドイツというパラレル平行な関係は、たとえば変ロ長調B-dur作品100というプロコフィエフの業績はベートーヴェンの第5交響曲ハ短調c-moll作品67と関係性は薄いのだけれど・・・B氏の徹底ぶりというと、曲の終結はドCの音一つだけというもので、プロコフィエフは第5番1945年1月モスクワ音楽院初演、指揮作曲者自身で作品100という数字を刻印しているという事実しか発信することはできないのであるけれども、読者のみなさまには、盤友人深読みの世界を想像して頂けるほかはない。平たくいうとP氏はB氏に百点満点、100%という評価を与えたというまでである。ゲンナディ・ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団のLPレコード。ロシア人の感覚はダイナミックス・レンジの幅広さ、ということはffffの強調とppppppという両方の認識の上に成立する。録音の限界はオーディオによる想像上での話で、その音楽のために、というのが盤友人の発信だろう…fine

 エレアのゼノンは、半分を通過する時間は2倍を通過する時間に等しい、このように語っている。どういうことかというと、A地点とB地点の半分がC地点だとすると、C地点はAからBへ移動した時点で成立するまでだ。A地点からC地点まで移動する時、半分はその中間地点となるのである。
 モノーラル録音を再生する時でさえ盤友人は左右のスピーカーで、上下にドライバーと500ヘルツカットのウーファーという一対、すなわち4本のスピーカーを鳴らしていることになる。此処で気を付けなければならないことは、左側が高音域で右側が低音域という構成には当てはまらないことだ。平たくいうとチェロはマイクロホンに正対していて、だから中央から聞こえるということだ。ところが、ステレオ録音は、初期のスタートは、左側にヴァイオリン、右側にアルトとチェロという具合に振り分けてその影響は現在まで続いている。盤友人は、1920年代演奏録音のジャケット写真を前提にして、クリングラー四重奏団をそのように判断する。すなわち、オペラの録音では左のスピーカーに女声だけ、右のスピーカーには男声だけというのは成立しない話だろう。その前提条件に疑問を持てということである。だから、クリングラー四重奏のように中央に低音域を集めて、左右にヴァイオリンを振り分けると、自然になるといえる。
 ハイドンは第1Vnに、ひばりが歌うような旋律を与えている。隣に第2Vnがいるより、対面に存在した方がVnの旋律は明快になる。すなわち、チェロが居た方がじゃまにならない、それどころか、第1拍チェロの合いの手として第2Vnとアルトの対面する方が効果的だろう。
 青空高くひばりを歌わせる方法はさまざまであり、金太郎飴のように、いつもいつもヴァイオリンを舞台下手に束ねる配置は、工夫が必要だろう。
 情報媒体がいつも同じ情報を流し続けるクラシック音楽業界は、特に、現役の演奏は自由であるべきはずで、固定的に配置を設定することには疑問がある。
 モノーラル録音の再生でもチェロの低音は中央、下の方に響くから愉快、愉快でたまらない、たまらないのは貯金かあ ?

 今までこのサイト発信では、ベーゼンドルファーのピアノ音盤紹介に一所懸命で、一体なんのつもりか?と疑問を持たれている向きもあろう。ピアノはピアノであり、メーカー問題にこだわることに疑問派は、多数の方だろう。そう、メーカー問題は、目的ではあらずして音楽を楽しむこそ本意なのである。
 ところが、オーディオにとって良い音とは何かを究めるとき、決め手は余韻と倍音の成分追求にあるというのが、現段階のポイントになる。なぜCDではなく、LPなのか?果たしてSACDとLPレコードの良い音とは、手のひらと手の甲ほどの相違があるのだろう。つまり、ベーゼンドルファーとスタインウエイの相違にこだわることこそ、オーディオ愛好家の醍醐味、その決め手こそ倍音成分であって、それに気づくか否かの世界である。どちらがエライかの問題ではあらず、その違いの追求こそ、オーディオというまでだ。今年の2月2日に札幌キタラ小ホールでバリトンリサイタルがあり、シューベルトの水車屋の娘全曲演奏会、その時の使用されたピアノこそ、サー・アンドラーシュ・シフ選定による楽器であった。ピアニスト左手の打鍵により、そのキャラクターはウィーンの香りを表現されていた。  展覧会の絵というと、ラヴェル編曲による管弦楽版が有名だが、原曲はピアノ独奏曲。1886年までロシアで楽譜出版はされていなかった。モデスト・ムソルグスキー1839.3/21カレヴォ生~1881.3/28ペテルブルグ没大作曲家ロシア五人組の一人。この大作の実演レコードは、フィリップス系列で1958年2月ソフィアライヴとしてスヴィアトスラフ・リヒテル、片やRCAレコードで1951.4/23実際のカーネギーホール演奏会、ウラディーミル・ホロヴィッツの二大横綱級、LPが有名である。両者ともスタジオ録音演奏盤は存在する。開始のプロムナードでミスタッチがちらっと感じられるのはリヒテル1915.3/20ジトミール(ウクライナ)生~1997.8/1モスクワ近郊没のもので、そんなことは、微塵もマイナス要素にならないほどの完成度、感情移入マックスのLPである。ピアノもベーゼンかペトロフかといえるものである。
 ホロヴィッツ1904.10/1キエフ(ウクライナ)生~1989.11/5ニューヨーク没は、1921年ハリコフでデビュウするも革命期の混乱を避けて祖国を離れ、ベルリン、ハンブルクと活動を展開し1928年にはビーチャム指揮によりニューヨーク・フィルと米国デビュウを飾っている。彼は精神的、肉体的にもスランプに陥り、数多く活動休止を経験している。1933年にはトスカニーニの娘婿となりワンダと結婚、1936年から4年間、1953年から65年まで12年間、1968年から74年まで6年間というもの。再起不能と噂されるも一つひとつ克服してステージに復帰、1983年と86年には来日公演、その86年には60年ぶりのモスクワ音楽院大ホール演奏会を成功させている。89年にはニューヨーク自宅で最後のレコード録音を果たした直後に帰天している。
 最初の来日公演の際、高名な日本人評論家「ひびの入った骨董品」とのクリティークによりその3年後にリベンジしたとのこと、圧倒的な名演奏を披露している。彼は自宅からスタインウエイを持参、使用している。カーネギーホールライヴの展覧会の絵では、緊張感が第1音から発せられて、プロムナードをミスタッチ無しで一気呵成に演奏している。「サミュエルゴールデンベルクとシュミーレ」では大金持ちと貧乏人のキャラクターを見事に表現していて、ダイナミックスレンジも幅広い。B面、キエフの大門では演奏者自身の改定で即興性を表現していて、憑依現象かと思わせるほどのグリッサンドで豪華絢爛たるフィナーレに、胸のすくことこの上ない。協奏曲演奏の際にはコントラバス、6丁と太刀打ちするのではあるまいかと思われる程・・・拍手は記録されていない。
 ジャケット写真は、ニューヨーク・スタインウエイアンドサンズ、演奏使用楽器関係性未表記

 迷いながら見つけた道は教えられた道より確かである。80年くらい前、戦争突入する時代に銃後の国民は竹やりを用意しての国威発揚だった。国家総動員体制で同調圧力の極みだから、ぜいたくというものは素敵だったんだ・・・ウィルスは130ナノメートル(ナノは10億分の1m)、0.1マイクロメートルで電子顕微鏡という世界が細菌とは異なるのを忘るべからずというまでだ。布マスクなどの5~500ミクロンという隙間は、N95やサージカルマスクなど防護マスクと比較にならないこと、客観的事実はすでに情報発信していたところである。
 オーディオでいい音とは、いい音楽と微妙に異なる。つまり不即不離の世界は、平行パラレルな関係で、働けど働けど我が暮らし楽にならざりきぢっと手を見るとは石川啄木のことばで、この時、見るのは手の甲か手のひら? か、彼は手相でぢっと見入ったことは想像するに難くない。これは理解、ではなく気づきの世界のことなのだ。
 フランツ・ペーター・シューベルト1797~1828ウィーンの青年作曲家は、ベートーヴェンの世界から誕生してロマン派の扉を開いている。「楽興の時」全6曲作品94ドイチュ番号780は1823~28年に作曲、楽譜出版されている。第3曲アレグロ・モデラート中庸で快速にはロシアの唄として、もっとも有名、ラッタラッタ、ラッタラッタという平易なリズムで開始される音楽は日曜日の朝に、「音楽の泉」でつい先日、担当していた水戸出身の皆川達夫先生は長寿を全うされた。盤友人にとって堀内敬三、村田武雄氏担当が中学生の頃のラジオ放送でクラシックを耳にしたもの。まだFM放送が無い中波放送の時代だった。
 第2曲アンダンティーノ変イ長調は、より深遠な世界でアンダンテよりは速めのテンポ。旋律線メロディーラインは、一層なだらかに連なり、明らかにベートーヴェン・ロスの心象風景を感じさせる。
 グランドピアノはリスト、シューマン、ショパン達で同時代となり、シューベルトの音楽はフォルテピアノという前G・Pの世界ながら、すでにロマン派の境地を表現しているといえる。グランドピアノはイギリス式、突き上げ式の発音構造キーアクションと、ウィーン・ドイツ式という跳ね上げ式のアクションと大きく二通りのタイプに分けられる。スタインウエイは華やかで大きな音量を誇り前者で、ベーゼンドルファーは、ウィーン式である。低音域の雄大な倍音成分は、男性的な打鍵を必要としてたとえば、アンヌ・ケフェレック女史はエラート録音で両者、シューベルトをベーゼンで、ラヴェルをスタインウエイでと使い分けている。パウル・バドゥラスコダはベーゼン1本で、イエルク・デムスとかフリードリヒ・グルダは2刀流タイプだというのは興味深い。
 カール・エンゲル1923.6/1スイス・バーゼル近郊出身~2006.9/2モントルー没は、ベーゼンドルファー・ピアニストだ。アウスレーゼ選り抜きレーベルでシューベルトの即興曲作品90と楽興の時作品94をカップリング。彼はベルン音楽院でパウル・バウムガルトナーに師事、パリ・エコールノルマルでアルフレッド・コルトーに学んでいる。フィッシャー=ディースカウ、ヘルマン・プライなど歌手による歌曲伴奏の録音など多数ある。
 余韻というのは、読んで字のごとく楽器の音が空間に残る音で、似ている響きが倍音である。その違いは何かというと、倍音は、演奏している最中に響いているもので、オーディオの機器が深化するにしたがって微妙に成分のバランスが大きくなっていく。グランドピアノがワーンと鳴り響いている状態と、電子ピアノが鳴り続ける和音と、その実態には相違がある。その違いが倍音である。カール・エンゲルを再生するにその演奏する旋律線の倍音の連なりこそ、シューベルトの求めた生命であろう・・・

 フランツ・リスト1811.10/22ハンガリー、ライディング生~1886.7/31バイロイト没は古今を通じてピアノの巨匠として高名、父がハンガリー人で母はドイツ人という家庭に育ち自身は、ハンガリー語をほとんど話せなかったと言われている。19世紀を代表するピアニスト、作曲家、指揮者、教育者として活躍。ヴィルトゥオーゾ超絶技巧ピアニストであり、時代の新しい潮流をになう代表的存在だった。作曲はサリエリ、ピアノはチェルニーに学び1832年にパガニーニのVnを聴き、ピアノのパガニーニを目指し猛練習開始する。33年にマリー・ダグー伯爵夫人とジュネーブに駆け落ちする。肖像画などに見られるリストはイケメンで美形で37年に誕生した次女のコージマはハンス・フォン・ビューロー夫人となり後にリヒャルト・ワーグナー夫人になったという逸話は有名なものだ。各地を転々と演奏旅行し10年以上続ける。ダグー夫人とは疎遠になり47年にはカロリーネ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と出会い作曲に専念するようにという忠告に従うことになる。1855年2月ワイマールにて作曲者自身は独奏を担当、ベルリオーズが指揮して初演される。第1番のスケッチは1830年にさかのぼり、第2番など22年の経過をみて演奏、その管弦楽法などユニークなアイディア、終楽章にトライアングルが鳴らされるなど話題作となる。
 スヴャトスラフ・リヒテル1915.3/20ジトミール生まれ~1997.8/1モスクワ没はウクライナ出身のロシアを代表するピアニスト。19歳でオールショパン演奏会を成功させる。1958年チャイコフスキー国際コンクールでヴァン・クライバーン優勝をおぜん立てしたのは審査員だったリヒテルの功績といわれている。1960年5月東西冷戦の最中、西側での活動が認可される。日本盤の新世界レーベルでも分かることだが、シューマンとブラームスを1971年1枚ものLPでザルツブルク録音したとき、楽器メーカーのクレジットは別建てで2種類、すなわちスタインウエイとベーゼンドルファー使用の記載がなされている。すなわち、リヒテルは生涯を通してピアノ楽器メーカーのあらゆる使用を心掛けていた。ということは、彼の音盤ディスクを収集することで様々な音色を愉しむことになる。
 スタインウエイは華やかな倍音を誇り、よく鳴る楽器として有名、レコードでは多数派の代表的存在である。ところがフィリップス1961年録音になるリストのピアノ協奏曲で使用されている楽器にクレジット表記は無い。再生して、ピアノの左手で打鍵される倍音の鳴りに特色を感じた時、ああこれはベーゼンドファーに違いないという確信をもつことになる。これこそオーディオの醍醐味、再生するよろこびともいえる。大多数のレコードがスタインウエイで録音されている中で、一際、異彩を放つのがベーゼンドルファーの低音域倍音の鳴りっぷりであろう。無論、中、高音域へと連なる楽器の音色は、何にも勝る作曲者リスト、独奏者リヒテル、そしてフィリップスレコード録音者の一体感こそ、再生の愉悦なのである。
 前回、ボールト指揮LPレコードの録音年月情報提供を知人にいただいた。1958年3月ということはデニス・ロス録音に当たるのだけれども、レコード再生する価値に揺るぎはない。独奏楽器の華麗な音色、右チャンネルからの2ndVnの音楽、その集中力たっぷりな演奏に一層の思い入れを強くしたものである。録音年月日、場所、使用楽器のクレジットなど、商品としての必要条件であり、時代が経過するとともに明らかにされていく。
 音楽のよろこびは、音にとどまることなく歴史を味わうという多様性にある。美とは生命、営みの目標ではあらず手段であることに気がつくか否か ? 時間を味わうところにあるのだろう・・・

 4/30木曜日札幌ではソメイヨシノが開花するか否かが話題になるところ。東京では3/20頃の話題だったから日本はいかに南北に長い距離があるかの証左、季節感は地域性を物語る。もっとも、こちらでは辛夷こぶしの開花、白い花びらが露払いだからわくわく感はクレッシェンドを愉しみとする。次第に強くそしてディミュニエンドという音楽用語が身をもって知らされるこの季節は、日本の四季を知らされることになる。
 何を酔狂な話題?と今や地球全体が新型肺炎ウィルスの大流行期にあって顰蹙を買うも、人が集まることにより感染リスクが問われてこの時期は絶望的な局面にあるのも事実だが、盤友人は希望を決して捨てるものではない。ステイホーム週間も未来には、時間はかかることとは思われるけれど、ここが我慢のしどころだろう。
 横綱の土俵入りを思い浮かべるがよい、両腕の開き方は二通りあって盤友人の青春時代は大鵬関、雲竜型といって左腕を胸にして、右腕を開くという攻めと守りの両立を象徴する時代だった。ところが現代の白鵬関は両腕を開く不知火型、これは男性的ともいえる。両腕で力を込めるという象徴である。これは管弦楽団の弦楽配置の方法、二者択一のヴァイオリン配置型とパラレルの関係にある。
 知人からメールがあって、独奏ケントナーでボールト指揮したフィルハーモニア管弦楽団、あれはデニス・ブレインが吹いているのかという問い合わせをいただいた。にわかに返事したのはコピーライトのことで、あれは1958年とのことだった。盤友人はレコード棚を探してASD268というヒズマスターズヴォイス白金のレーベルを再生したのは深夜で、独奏ホルンをしっかり聴き込んだ。デニスの特徴は高音域が楽々の演奏で、ほぼ彼の姿が思い浮かばれる。問題はレコーディング ファースト パブリッシュト1958年の解読になる。録音年月日は不記載でも、1958年の録音は考えられないから、ASD290番号、メニューイン独奏するグーセンス指揮フィルハーモニア管弦楽団のラロ作曲スペイン交響曲作品21は1956年録音だった。あれも1958年コピーライト記載LPレコードだったことからその類推により、ホルン首席奏者デニス・ブレインが存命中のレコーディングということは確実である。事実は未確認事項。残念ながらエードリアン・ボールト指揮したLPレコード、情報が日本国内では希少だ。
 時間は経過して、盤友人のオーディオシステム格段の向上を迎えてレコード購入当時とは雲泥の差、すなわち左右チャンネル分離感がグレードアップしたことにより、右スピーカーから第2Vnが聴こえる段階になり、その奥に独奏ホルンは定位ローカリゼイションを主張する。
 左スピーカーで第1と第2Vnが演奏を展開するのは雲竜型で、不知火型の両腕左右に展開するスタイルはVn両翼配置であろう。この感覚は、良い音良い音楽を求めるオーディオの世界のグレードアップと並行する問題だと考えられる。モノーラル録音という時代で弦楽配置は、聴こえればそれで良いということだったのが、ステレオ録音によると、定位ということで左右感は音楽の問題となって浮上する。盤友人は札幌交響楽団を指揮したマックス・ポンマー氏と会話したことが有るのだが、彼はダブルウイング問題で、両腕を左右に開き輪を描いて嘲笑した。明らかに両翼配置をあざける態度を表明したのだった。盤友人にとって忘れることのできない体験である。これが何を意味するのかというと、演奏家は主体的に両翼配置を採用しない意思の問題で演奏上での主体性確保という立場、指揮者多数派の態度だろう。エードリアン・ボールト卿の録音を高く評価するのは、両翼配置採用する演奏を記録したことによる。一聴して分かることだが、左右にVnが展開する方が音楽演奏の格は上といえるのがオーディオ愛好家のグレードと一致することだろう。デニスがホルン首席で演奏することにより、木管楽器アンサンブルも万全で安定感ある音楽を展開しているのは言わずもがな・・・