🎼 千曲万来余話 by盤友人

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梅雨前線の停滞により九州地方の豪雨で被災された皆様にお見舞い申し上げます。人吉市では1965年の洪水と同じくらいの水位を電柱は示していたという。大変な災害に際しくれぐれも生命第一でお過ごしされること祈念します。
 現代音楽というと、日本人作曲家としては一柳 慧(とし)1933.2/4兵庫県神戸出身で、1954~57年ジュリアード音楽院留学、1959年にジョン・ケージ1912.9/5ロスアンジェルス生~1992.8/12ニューヨーク没の講座を受講、以来、不確定性の音楽で図形楽譜の使用など1961帰国して以来、洗礼を受けたことになる。二十世紀音楽研究所主催、第一回現代音楽祭―前衛音楽特集、紹介に努めている。この時代の象徴的な作品に1952.8月にウッドストックで発表された「4分33秒」がある。第一楽章33秒、第二楽章2分40秒、第三楽章1分20秒、ピアニストは楽器の蓋の開閉をするだけで、作曲者の意図はその間、耳を澄ませよという。
 歴史上、初めて無音を聴き、演奏行為「休止」と、聴く行為の一体化を発表したことになる。その時、演奏会場の音を聴けという「作品」。これは究極の音楽になるといえる。ちなみに273秒というのは、絶対零度を意味する。
 オリヴィエ・メスィアン1908~1992に師事した、ピエール・ブーレーズ1925.3/26仏モンブリン生~2016.1/5独バーデンバーデン没は1948年にピアノソナタ第2番を作曲している。これを演奏しているのはマウリツィオ・ポリーニ1942.1/5ミラノ生まれ。1978年来日時に札幌厚生年金会館ではベートーヴェンの後期ピアノソナタ三曲を取り上げている。白面のピアニストが、演奏の高揚感でまっ赤になりながら集中しその緊張感に驚いたことだった。レコードでは、アポロ的で客観的、冷静な演奏スタイルに接していただけでは、知り得ないポリーニ芸術に感銘を覚えている。
 ポリーニは1960年国際シュパンコンクールのグランプリ獲得以来、公の場から離れていたものの1968年ロンドンのコンサートから再起している。ショパン、モーツァルト、ベートーヴェンのほか、シューベルト、シューマン、ブラームス、ドビュッスィ、シェーンベルク、ストラヴィンスキーと多彩なLPレコードをリリース。とりわけ、ブーレーズやノーノのレコード発表は現代音楽、コンテンポラリー同時代の音楽と意欲的な取り組みをしているところなど、並みの演奏家の水準を超えている。
 ブーレーズというと指揮者で有名なのだが、初来日は1970年5月、ジョージ・セルとともにクリーブランド管弦楽団を指揮していた。大阪万国博の合間に二人は長谷寺、室生寺を参詣している。彼の指揮した「春の祭典」のLPレコードで、1963年フランス国立放送管弦楽団とのセッションは熱気を記録していて孤高の名盤といえる。
 ポリーニの演奏したソナタ第2番はカップリングがウェーベルンの「ピアノのための変奏曲作品27」(1928)、演奏時間9分弱の音楽。シェーンベルク、ベルク、ウエーベルンという3人はウィーンの作曲家で12音音楽ドデカフォニーの開祖、新ウィーン楽派。1920年以降、シェーンベルク作曲、五つのピアノ曲の第5曲が最初の無調音楽の作品といわれている。
 ブーレーズのソナタは、絵画で云うと点描の趣であり、メロディーライン旋律線やハーモニー和音、ダンスのようなリズム律動とは、無縁の音楽になっている。四楽章構成、極度に急きょで5:57、レント遅く11:08、モデラート中庸、ほぼヴィーヴォで2:10、ヴィーヴォ10:00。この音楽には、音楽の三要素は導き出されることなく、音の三要素という音量、音高、音色を感じ取ることになる。音楽はちょっと聞きではなく、深い鑑賞を必要とする…

 先日、オーディオとは何のためにあるのか?と考えさせられる経験をした。イコライザーアンプを視聴、レコードの魅力を遺憾なく体感してつくづく、究極のアナログ体験ともいえるLPの魅力にしばし、席を離れることが出来なかったのである。隣に居た人は、これをCDで聴いたらどうなるのか?とか口走っていたのだけれど、デジタルとは無縁のアナログ世界経験なのであって、CDで、という仮定は成立しないことを理解しないといけない。聴いた音盤はチェロソナタ、ジャックリーヌ・デュプレ1945.1/26オックスフォード生まれ~1987.10/19ロンドン.の演奏するベートーヴェンのソナタ第3番イ長調OP69、ピアノはスティーヴン・(ビショップ)コヴァセヴィチ1940/10/17、ロスアンジェルス近郊生まれ(ユーゴスラヴィア系両親)との1965年EMI録音。
 イコライザーアンプというものは、いわゆる、プリアンプを構成する入口部分で、カートリジというピックアップから昇圧トランスを通過した後で、プリアンプ部分の前半に当たる。この回路こそアナログ固有な世界であり、デジタルでは経験できないものといえる。ビギナーには理解するのに時間がかかることだろう。これは、EMTのレコードプレーヤーでは、アーム部分の次に直結されていて、139stといってお分かりになるのはマニアの世界、プリアンプに入る前段である。
 ピアノとチェロのためのソナタをB氏は、作品5で2曲ヘ長調、ト短調、1808年頃作品69でイ長調、1815年作品102でハ長調とニ長調というように、調性は微妙に考えられている。
 6/22に札幌市役所1Fで、中学校音楽の教科書を手にする機会が有った。その中で、「音の3要素」の記述に出会った。音量、音高、音色というもの。盤友人がその時代に学習したのは、「音楽の3要素」だったことを記憶している。律動、旋律、和音(リズムメロディーハーモニー)。ここで相違することは、「音楽」が「音」へと変わったことにある。すなわち演奏する行為から、構成する要素へという変化だろう。ここで素朴な疑問を覚えた。教科書全体の中で取り扱われている教材は、ベートーヴェン交響曲第5番、ラヴェル・ボレロとかヴェルディ歌劇アイーダという楽曲なのだ。すなわち、「音の3要素」という発想は、音楽史の調性音楽が十二音音楽という無調の音楽への展開を経て、ハーモニー和音の概念から「音」へという変化による影響が明らかである。「音の3要素」という発想から調性音楽の教材はミスマッチということで、音楽観の変化には注意が必要というものだ。それはあたかもオーディオでいうと、デジタルの世界への歴史展開が「アナログ」の世界をスルーすることと同じである。調性音楽やアナログの世界を無視することは、重大な欠落といえるのだろう。
 デュプレ20歳当時の、ベートーヴェン演奏はそれ以前も耳にしていたレコードなのだが、イコライザーアンプの経験をして、刮目のレコード再生経験となったものである。だから、いい音、とは高音域とか低音域とかの現象ではあらずして、演奏者の気迫横溢した演奏を感じさせる音のことなのだ。それはあたかもベートーヴェンの名作の森、作品として作曲者の血気盛んな創作意欲発露としての音楽を、ジャッキーの演奏を再生する悦びは経験させてくれるのである。音でいうと、チェロの音の綾なす襞ひだ、倍音の充実にある。楽器の余韻も素晴らしく、倍音の充実感はアナログ世界の証だろう。ジャッキーの演奏活動は1972年頃までで、病魔「多発性硬化症」がおそうことになる。後はリタイヤ、15年ほどの療養生活、それにしても残されたものにとって、彼女の1961年から開始されたレコーディングキャリアを十全に再生する努力こそオーディオマニアにとっての慰めとなる。処女作にサンサーンス「白鳥」を記録していたことは暗示的とも・・・

 かなり以前のことになるけれど、最初に日管製品1.5万円ほどの洋銀製楽器を両親から買い与えて頂いたことが、盤友人のフルートとの出会いだった。中学校に入学して、迷いなく吹奏楽部に入り、トロンボーン、サックスなどすぐに音を出せたのは喜びだった。中でも、音はなかなかでないよ、と言われてもすぐに出せたフルートには、何か運命的なものを感じていた。誰にも習わないで、ところが、昭和47~48年頃NHK教育TVで吉田雅夫先生による「フルートとともに」は、眼を見開かされる経験をした。音程の確保という1丁目1番地を認識させられたものである。ここで初めてフルート演奏の基礎を修得することができた。吉田雅夫はカラヤンをしてNHK交響楽団首席奏者の時代、ドイツ音楽とフランス音楽を吹き分ける名演奏家という高い評価を与えられた草分け的存在、指揮者ジョセフ・ローゼンシュトックさんの時代に、ファリア三角帽子をリハーサルの時から本番まで演奏時間が乱れることは無かったと指摘していた言葉が印象に残っている。N響大黒柱の1人であったのだ。ちなみに盤友人が高校生の時、音楽の先生は武蔵野音大を卒業していて当時ローゼンシュトック先生が練習中にかんしゃくを起こしたとき、なだめ役は首席チェロ奏者の斉藤秀雄先生だったというエピソードを伝え聞いている。
 いつまでも語り伝えられる話には、考えさせられることが含まれている。ローゼン氏の話は、オーケストラを指揮するテンポの一定感であって、並みの話ではないだろう。吉田雅夫先生は「フリュート」といつもフランス式に発音し、ピッチ、テンポ、音楽様式全般を経験された上でのテレヴィ講師だった。「アンブシュアー」吹き口の角度や、「アポジャトゥーラ」倚音いおんなどは楽譜解釈アナリーゼの上で必要不可欠の知識と云える。このTV受講は決定的な経験となったのだ。
 中世からバロックにかけては「フラウトトラヴェルソ」という楽器の発達を見ている。指孔だけだった楽器もキーが付け加えられて、ヨハン・セヴァスティアン・バッハは「無伴奏フルートのためのパルティータ、イ短調BWV1013」など現代モダン楽器でこそ易々と吹奏可能な音楽でも、その当時1720年頃に作曲されていたということは、音楽の父、大バッハの面目躍如といえるものである。
 電気の発明発見から近代と云えるのだろうが、フルートは木管楽器に分類されている。さて、盤友人は昭和52年にはムラマツ総銀製のフルートを購入、洋銀製の10倍ほどの価格であった。すなわち、現代ではフルートという楽器は1960~70年代にはジャン・ピエール・ランパルなど24Kのゴールド製品使用とか、今に続くジェイムズ・ゴールウエイ、エマニュエル・パユらの金製品楽器使用演奏家が多数派を形成している。ちなみに、1969年オレール・ニコレ初来日の頃、彼は洋銀製楽器使用を平気で演奏会に臨んでいた。
 というようなことで、現代フルートの大勢は金属フルートの時代だといえる。あたかも、サキソフォンという木管楽器が本体は「金属製」という事情と並行しているだろう。ところが、エボニー黒檀製の楽器演奏家に英国人奏者ガレス・モリスが居る。フィルハーモニア管弦楽団首席奏者、オットー・クレンペラーの録音の大半を彼モリス1920.5/13クリーブドン生まれ~2007.2/14ロンドン没が演奏していたことになる。彼は、一歳年下のデニス・ブレインが挙式する時の付添人を務めた無二の友人である。1945.9/8ピーターズフィールドで花嫁はイヴォンヌ。
 うまいフルーティストは星の数ほどいる中でガレス・モリスの演奏は稀少である。盤友人は20年ほど以前にフィリップ・ハンミッヒ黒檀製のフルートを購入した。歌口は吹き口という穴だけなのでヴィヴラートはほとんどかからない。合奏する時には他の楽器との倍音が豊かに響いて、金属製フルートとは喜びが異なる。バッハ管弦楽組曲第二番ロ短調BWV1067はフルートと弦楽合奏と通奏低音の編成である。楽曲はフランス風序曲に始まり、ロンド、サラバンド=スペイン風舞曲ゆるやかに流れる、ブーレ、ポロネーズ=もっとも有名で中間部はチェロと華麗で優雅な二重奏が演奏される、メヌエット、バディネリ=冗談風に軽やかで。クレンペラー指揮の演奏は風格が有り、決して技巧を前面にすることなく、じっくりと、フルートを吹奏させている。1955年頃録音によるモノーラルレコードでも、フルートの豊かな響きは、弦楽に埋もれることなくて、音量を誇る金属製フルートの上をいく味わいである。オーケストラでは、首席と第二奏者がエボニーでアンサンブルをする団体が無いのは実に不思議なことだなあ・・・・・

デニスとイヴォンヌの結婚式の時の写真。
1945,9,8 ピーターズフィールドにて。
左端は花婿付添人ガレス・モリス
右端はレナード夫妻

 魔法の言葉というものがある。アキレスは先に歩き出した亀を追い抜くことはできない、というもの。動の否定、アキレスは足が速いわけでなくても亀より速く歩くことはできるのだが、時間を考えるとき先に歩き出すことにより時間は規定される。だから、亀は先に歩き出すと時間があることにより、アキレスが歩き始める間、亀は歩いていることにより、永久に追い抜かれることは無い、アキレスは亀に近づく、その間歩いているから・・・あれえ、アキレスは足が速いでしょう、なのに、時間があることにより、亀は先に歩いているという訳である、だから、アキレスが先に歩き出した亀を追い抜くことはできない。
 少しまともに考えることにより、時間というものは説明する時にやっかいなものなのである。たとえば指揮者というものは、何をしているのか?手を振っているから、ああ、指揮者は指示を出している人なのかとという風に考えて納得しているのだが、それでは、誰が指揮をしてもオーケストラを指揮することで音楽は同じなのだろうか?分かりやすく考えるとき、女性がピアノを弾いて出す音と、男性が弾いて出す音、猫が鍵盤の上を歩いて出す音、音は全て同じ音でも、つまり、ドとレだけの時、ドレと云う音は同じ音だ、だから女性が弾いても、男性が弾いても、猫が歩いても、音に違いは無い、と断言する人は笑われる。笑われた人は、真顔で、ピアノの音に違いを聞き分けることはできないと頑張るだろう。すなわち、その人は真剣に猫の音と女の音と男の音に違いは無いと言い続けることだろう。笑止千万、噴飯ものというのは、音楽の本質なのである。ピアノの音と、音楽は月とスッポンほどの違いがある。北京と月はどちらが遠いか? 月か北京か、見えるのは月だから北京の方が遠いと言うと笑われるのと同じことなのだ。
 クラシック音楽の鑑賞でレコードを再生する時、美しいと感動する瞬間を経験する。その経験は、簡単に忘れることのないということを知っている人は、音楽愛好家といえる。盤友人にもその経験はあり、ジュピター交響曲の第2楽章アンダンテ・カンタービレ歩くような速さで歌うようにの開始早々、弦楽器のほれぼれする美しさに耳を奪われて、その時の感動が忘れられずにそのLPレコードを手放すことが出来ず、今までに幾度となく鑑賞している。プレーヤー、アンプ、スピーカー、そしてLPレコードを再生できる電気があることにより、鑑賞することが出来る。ウィーン交響楽団、指揮者フェレンツ・フリッチャイ、1961年3.12/13(3ヶ月ほど前に彼はクララ・ハスキルの訃報を受け取っている)ムズィークフェラインザール、ウィーン録音。弦楽器がゆるやかに演奏して、弱音を奏でるアンサンブルを、精密に合奏する指示を出すのが指揮者の仕事であり、ドイツ・グラモフォンの録音クルー、スタッフは見事にその哀しいまでの美しさをレコードに刻むことに成功して、それを再生する鑑賞者、オーディオファンは愉悦を経験することが出来る。そこで、盤友人の満月夜にスピーカーから流れ出す再生音は、フカフカの豊かな音響、楽しい音で確実である。この次の満月は 7月5日である。このサイト読者にとっては盤友人の発信を検証することのできる機会であり、どのような感想を持たれることだろう。
 無意味な発信か、否かはサイト読者が判断できる話。
 よろしくお願いするまでもない。皆さんがどのようにリアクションするか、盤友人の愉しみはそこにある。
 後ろから指揮者の姿を鑑賞するのではなくてその先にある指揮者の芸術を再生するのが、オーディオ愛好家ディレッタントの取り組む課題なのであろう。フリッチャイは手を振るのみならず、演奏者たち最良の音楽を引き出す魔法の存在、その美を引き出すオーディオこそ永遠の悦びであり、アキレスが亀を追い抜けない理由も理解できて、今夜もレコードに針を・・・

 太陽を中心にして初めて地動説が成り立つ。すなわち、地球は北極星を頭にして絶えず西から東方向へと自転する。さらに6/21日曜日は夏至であり、1日の昼が年間で最も長いのは、太陽に対して南北軸にあたる北極点がわずか傾いていることによる。ところが公転といって北斗七星を起点にするとよく分かるのだけれど、オリオン座は今頃夜に、目にすることはできない。太陽の周りを1年かけて回転していることによる。
 ロマン派の音楽とハイドン、モーツァルトら古典派は、シューベルトの存在を境にしてグラデーションの様に推移している。彼はベートーヴェンが太陽であっただろう。ピアノソナタや、弦楽四重奏曲はベートーヴェンの多大な影響の上に展開する。彼の作曲した600 余りの歌曲は、まさに詩との出会いでありそこのところが、ウィーン音楽の生命である。B氏は交響曲作家として成功している。ピアノトリオに始まり、ピアノソナタや弦楽四重奏など室内楽から作品20で七重奏曲、そして21で第1番交響曲を発表、第3番は作品55で34歳、1805年のことである。
 宇宙に轟けと言わんばかりの開始、和音が二つ管弦打楽でということは、ティンパニーもフォルテで奏される。アレグロ・コン・ブリオ快速で生き生きと、表情記号は指定している。この音楽は明らかに、会場の演奏者も聴衆も緊張感の真ん中に指揮者が存在することを、作曲者は企てたことなのだろう。ナポレオンの登場を喝采したベートーヴェンが居るのだが、第2楽章は葬送行進曲風に、演奏される音楽になっている。有名なエピソードとして、ボナパルトに献呈するはずが、総譜表紙で作曲者は、献呈辞をぐしゃぐしゃと多数の線で引きかき消している。つまり皇帝の独裁政展開に彼は愛想をつかしたと言われている。政治家を断罪するベートーヴェンが居る。確かに市民革命による封建社会の変革はベートーヴェンの望むところであったのだが、独裁政治へというナポレオンを、彼は許すことが出来なかった英雄交響曲である。
 山なりにつらなる旋律線メロディーは、単純明快な動機モティーフであり、第1楽章の変ホ長調から、ハ短調による葬送行進曲ふうにの音楽はその明暗逆転が劇的である。フェレンツ・カール・フリッチャイ1914.8/9ブダペスト生まれ1963.2/20バーゼル没が、初めてベルリン・フィルハーモニーに登場したのは1949年頃で、チャイコフスキーの5番を録音している。その当時の主な活動はベルリンRIAS交響楽団でその後多数の録音を残すことになる。1958年10月に英雄を録音、一時体調不良に陥り、胃腸手術に向かう直前のことである。
 モーツァルト録音を多数残しているフリッチャイはベルリンで活躍していたころ、フルトヴェングラーの再来とまで市民から厚い信頼を獲得していた。盤友人が彼の名前を最初に記憶したのは1970年のこと、グラモフォンの1100円レコードで、ベートーヴェンの「合唱」、ベルリン・フィルを指揮してディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの名前が有ったことによる。その時分フルート奏者はオレール・ニコレだった。
 ともかく盤友人はフリッチャイの名前を目にしてはレコードを購入して、ハスキルとのモーツァルトピアノ協奏曲19番ヘ長調K459、1955年録音を入手したときは天上の音楽を満喫、この英雄交響曲もステレオ録音でありながら、ステレオテイクモノーラルLPレコードまで手に入れた。その味わいは、オーケストラの旋律の受け渡しがとても味わい深く、たとえば、葬送行進曲でもオーボエ独奏が、入るタイミングなどで、ぐんぐんと聴くものに迫る緊張感は、ぐっと来る。音楽の全体がサクサクと進み、なおかつ前のめりにならない足取り軽快で、そのじつ演奏者全員の足並みがピタリそろっているのは、並々ならない指揮者への敬意をふつふつと感じさせる貴重無二のレコードに仕上がっているといえる・・・

※ハインツ・ホリガーは「オレール」と発音しておりました。

 安心安全は、正しい情報と正確な知識に基づいた判断により構築される。プロコフィフの伝記に目を通していると彼の偉大な音楽は、ピアノの技術の上に音楽的環境としてオペラに接していて、経験として歌劇やバレエの世界が青春時代身近な音楽的環境であったことが理解できる。例えば最初の作曲はピアノ曲、インドのギャロップ、5歳の時でブルックナーの没年のこと1896年。生まれは1891.4/23ウクライナのソンツォフカ(没年は1953.3/5)、母の影響により手ほどきは3歳からで歴史は始まる。7歳で四手ピアノのための行進曲を書いている。ということは早熟の天才的才能の開花をすでに成し遂げられたという話だろう。歴史の刻印は正しい知識でといえることと、無くても済む話ということでもあるまい。
 ベートーヴェン1770ボン~1827ウィーンはというと、5歳で父親からピアノの手ほどきを受けている。といってもグランドピアノなどという原型はフランツ・リスト1811生~1886没の頃で、B氏のワルトシュタイン奏鳴曲1804年の完成は音域の拡大ともいえる最高音の使用とか改革が工夫されていて、リストの奏鳴曲ロ短調1853年作曲へと歴史は連なっている。
 矢の話で、飛んでいる矢は止まっているというのが有名だ。動の否定、なんのことはない、飛んでいるけれど動いているのではないと言うまでだから驚く話でもないだろう。たとえば、盤友人の話には数字が頻繁に打ち出されていて、読みにくい事この上ないと思われている向きもあろう。盤友人の意志は、正確な知識を問うているまでで、歴史に裏打ちされたエヴィデンス証拠を求めている。だから面白い話として、顔が白い犬が居ました、尾も白いポチという名前で・・・という面白い話の他に発信として彼は1954年生まれでとか数字を用いることにより具体性を発揮することになる。ベートーヴェンは交響曲9曲、といっても番号付きということで、B氏には番号無しのウエリントンの勝利という交響曲1813年初演もある。プロコフィエフは交響曲第7番青春1952年完成というものが最後になっている。盤友人は1944年作曲になる第5番変ロ長調作品100を札幌交響楽団第268回定期演奏会1986年3月14日に札幌厚生年金会館で鑑賞している。1951年ソルトレイクシティーUSAでは、ソヴィエト作品ということから上演妨害事件を起こされているいわくつきの作品で、さしたるアジテイションの含まれた作品ではない四楽章構成の対ナチスドイツ戦勝利祈念の交響曲。
 メンデルスゾーン1809生~1847没は第5番交響曲として、宗教改革を作曲している。1832年11月15日ベルリンにて作曲者自身の指揮により初演。コントラファゴットやセルバンという低音管楽器の補強がなされているのは興味深い。
 ロシアとドイツというパラレル平行な関係は、たとえば変ロ長調B-dur作品100というプロコフィエフの業績はベートーヴェンの第5交響曲ハ短調c-moll作品67と関係性は薄いのだけれど・・・B氏の徹底ぶりというと、曲の終結はドCの音一つだけというもので、プロコフィエフは第5番1945年1月モスクワ音楽院初演、指揮作曲者自身で作品100という数字を刻印しているという事実しか発信することはできないのであるけれども、読者のみなさまには、盤友人深読みの世界を想像して頂けるほかはない。平たくいうとP氏はB氏に百点満点、100%という評価を与えたというまでである。ゲンナディ・ロジェストヴェンスキー指揮モスクワ放送交響楽団のLPレコード。ロシア人の感覚はダイナミックス・レンジの幅広さ、ということはffffの強調とppppppという両方の認識の上に成立する。録音の限界はオーディオによる想像上での話で、その音楽のために、というのが盤友人の発信だろう…fine

 エレアのゼノンは、半分を通過する時間は2倍を通過する時間に等しい、このように語っている。どういうことかというと、A地点とB地点の半分がC地点だとすると、C地点はAからBへ移動した時点で成立するまでだ。A地点からC地点まで移動する時、半分はその中間地点となるのである。
 モノーラル録音を再生する時でさえ盤友人は左右のスピーカーで、上下にドライバーと500ヘルツカットのウーファーという一対、すなわち4本のスピーカーを鳴らしていることになる。此処で気を付けなければならないことは、左側が高音域で右側が低音域という構成には当てはまらないことだ。平たくいうとチェロはマイクロホンに正対していて、だから中央から聞こえるということだ。ところが、ステレオ録音は、初期のスタートは、左側にヴァイオリン、右側にアルトとチェロという具合に振り分けてその影響は現在まで続いている。盤友人は、1920年代演奏録音のジャケット写真を前提にして、クリングラー四重奏団をそのように判断する。すなわち、オペラの録音では左のスピーカーに女声だけ、右のスピーカーには男声だけというのは成立しない話だろう。その前提条件に疑問を持てということである。だから、クリングラー四重奏のように中央に低音域を集めて、左右にヴァイオリンを振り分けると、自然になるといえる。
 ハイドンは第1Vnに、ひばりが歌うような旋律を与えている。隣に第2Vnがいるより、対面に存在した方がVnの旋律は明快になる。すなわち、チェロが居た方がじゃまにならない、それどころか、第1拍チェロの合いの手として第2Vnとアルトの対面する方が効果的だろう。
 青空高くひばりを歌わせる方法はさまざまであり、金太郎飴のように、いつもいつもヴァイオリンを舞台下手に束ねる配置は、工夫が必要だろう。
 情報媒体がいつも同じ情報を流し続けるクラシック音楽業界は、特に、現役の演奏は自由であるべきはずで、固定的に配置を設定することには疑問がある。
 モノーラル録音の再生でもチェロの低音は中央、下の方に響くから愉快、愉快でたまらない、たまらないのは貯金かあ ?

 今までこのサイト発信では、ベーゼンドルファーのピアノ音盤紹介に一所懸命で、一体なんのつもりか?と疑問を持たれている向きもあろう。ピアノはピアノであり、メーカー問題にこだわることに疑問派は、多数の方だろう。そう、メーカー問題は、目的ではあらずして音楽を楽しむこそ本意なのである。
 ところが、オーディオにとって良い音とは何かを究めるとき、決め手は余韻と倍音の成分追求にあるというのが、現段階のポイントになる。なぜCDではなく、LPなのか?果たしてSACDとLPレコードの良い音とは、手のひらと手の甲ほどの相違があるのだろう。つまり、ベーゼンドルファーとスタインウエイの相違にこだわることこそ、オーディオ愛好家の醍醐味、その決め手こそ倍音成分であって、それに気づくか否かの世界である。どちらがエライかの問題ではあらず、その違いの追求こそ、オーディオというまでだ。今年の2月2日に札幌キタラ小ホールでバリトンリサイタルがあり、シューベルトの水車屋の娘全曲演奏会、その時の使用されたピアノこそ、サー・アンドラーシュ・シフ選定による楽器であった。ピアニスト左手の打鍵により、そのキャラクターはウィーンの香りを表現されていた。  展覧会の絵というと、ラヴェル編曲による管弦楽版が有名だが、原曲はピアノ独奏曲。1886年までロシアで楽譜出版はされていなかった。モデスト・ムソルグスキー1839.3/21カレヴォ生~1881.3/28ペテルブルグ没大作曲家ロシア五人組の一人。この大作の実演レコードは、フィリップス系列で1958年2月ソフィアライヴとしてスヴィアトスラフ・リヒテル、片やRCAレコードで1951.4/23実際のカーネギーホール演奏会、ウラディーミル・ホロヴィッツの二大横綱級、LPが有名である。両者ともスタジオ録音演奏盤は存在する。開始のプロムナードでミスタッチがちらっと感じられるのはリヒテル1915.3/20ジトミール(ウクライナ)生~1997.8/1モスクワ近郊没のもので、そんなことは、微塵もマイナス要素にならないほどの完成度、感情移入マックスのLPである。ピアノもベーゼンかペトロフかといえるものである。
 ホロヴィッツ1904.10/1キエフ(ウクライナ)生~1989.11/5ニューヨーク没は、1921年ハリコフでデビュウするも革命期の混乱を避けて祖国を離れ、ベルリン、ハンブルクと活動を展開し1928年にはビーチャム指揮によりニューヨーク・フィルと米国デビュウを飾っている。彼は精神的、肉体的にもスランプに陥り、数多く活動休止を経験している。1933年にはトスカニーニの娘婿となりワンダと結婚、1936年から4年間、1953年から65年まで12年間、1968年から74年まで6年間というもの。再起不能と噂されるも一つひとつ克服してステージに復帰、1983年と86年には来日公演、その86年には60年ぶりのモスクワ音楽院大ホール演奏会を成功させている。89年にはニューヨーク自宅で最後のレコード録音を果たした直後に帰天している。
 最初の来日公演の際、高名な日本人評論家「ひびの入った骨董品」とのクリティークによりその3年後にリベンジしたとのこと、圧倒的な名演奏を披露している。彼は自宅からスタインウエイを持参、使用している。カーネギーホールライヴの展覧会の絵では、緊張感が第1音から発せられて、プロムナードをミスタッチ無しで一気呵成に演奏している。「サミュエルゴールデンベルクとシュミーレ」では大金持ちと貧乏人のキャラクターを見事に表現していて、ダイナミックスレンジも幅広い。B面、キエフの大門では演奏者自身の改定で即興性を表現していて、憑依現象かと思わせるほどのグリッサンドで豪華絢爛たるフィナーレに、胸のすくことこの上ない。協奏曲演奏の際にはコントラバス、6丁と太刀打ちするのではあるまいかと思われる程・・・拍手は記録されていない。
 ジャケット写真は、ニューヨーク・スタインウエイアンドサンズ、演奏使用楽器関係性未表記

 迷いながら見つけた道は教えられた道より確かである。80年くらい前、戦争突入する時代に銃後の国民は竹やりを用意しての国威発揚だった。国家総動員体制で同調圧力の極みだから、ぜいたくというものは素敵だったんだ・・・ウィルスは130ナノメートル(ナノは10億分の1m)、0.1マイクロメートルで電子顕微鏡という世界が細菌とは異なるのを忘るべからずというまでだ。布マスクなどの5~500ミクロンという隙間は、N95やサージカルマスクなど防護マスクと比較にならないこと、客観的事実はすでに情報発信していたところである。
 オーディオでいい音とは、いい音楽と微妙に異なる。つまり不即不離の世界は、平行パラレルな関係で、働けど働けど我が暮らし楽にならざりきぢっと手を見るとは石川啄木のことばで、この時、見るのは手の甲か手のひら? か、彼は手相でぢっと見入ったことは想像するに難くない。これは理解、ではなく気づきの世界のことなのだ。
 フランツ・ペーター・シューベルト1797~1828ウィーンの青年作曲家は、ベートーヴェンの世界から誕生してロマン派の扉を開いている。「楽興の時」全6曲作品94ドイチュ番号780は1823~28年に作曲、楽譜出版されている。第3曲アレグロ・モデラート中庸で快速にはロシアの唄として、もっとも有名、ラッタラッタ、ラッタラッタという平易なリズムで開始される音楽は日曜日の朝に、「音楽の泉」でつい先日、担当していた水戸出身の皆川達夫先生は長寿を全うされた。盤友人にとって堀内敬三、村田武雄氏担当が中学生の頃のラジオ放送でクラシックを耳にしたもの。まだFM放送が無い中波放送の時代だった。
 第2曲アンダンティーノ変イ長調は、より深遠な世界でアンダンテよりは速めのテンポ。旋律線メロディーラインは、一層なだらかに連なり、明らかにベートーヴェン・ロスの心象風景を感じさせる。
 グランドピアノはリスト、シューマン、ショパン達で同時代となり、シューベルトの音楽はフォルテピアノという前G・Pの世界ながら、すでにロマン派の境地を表現しているといえる。グランドピアノはイギリス式、突き上げ式の発音構造キーアクションと、ウィーン・ドイツ式という跳ね上げ式のアクションと大きく二通りのタイプに分けられる。スタインウエイは華やかで大きな音量を誇り前者で、ベーゼンドルファーは、ウィーン式である。低音域の雄大な倍音成分は、男性的な打鍵を必要としてたとえば、アンヌ・ケフェレック女史はエラート録音で両者、シューベルトをベーゼンで、ラヴェルをスタインウエイでと使い分けている。パウル・バドゥラスコダはベーゼン1本で、イエルク・デムスとかフリードリヒ・グルダは2刀流タイプだというのは興味深い。
 カール・エンゲル1923.6/1スイス・バーゼル近郊出身~2006.9/2モントルー没は、ベーゼンドルファー・ピアニストだ。アウスレーゼ選り抜きレーベルでシューベルトの即興曲作品90と楽興の時作品94をカップリング。彼はベルン音楽院でパウル・バウムガルトナーに師事、パリ・エコールノルマルでアルフレッド・コルトーに学んでいる。フィッシャー=ディースカウ、ヘルマン・プライなど歌手による歌曲伴奏の録音など多数ある。
 余韻というのは、読んで字のごとく楽器の音が空間に残る音で、似ている響きが倍音である。その違いは何かというと、倍音は、演奏している最中に響いているもので、オーディオの機器が深化するにしたがって微妙に成分のバランスが大きくなっていく。グランドピアノがワーンと鳴り響いている状態と、電子ピアノが鳴り続ける和音と、その実態には相違がある。その違いが倍音である。カール・エンゲルを再生するにその演奏する旋律線の倍音の連なりこそ、シューベルトの求めた生命であろう・・・

 フランツ・リスト1811.10/22ハンガリー、ライディング生~1886.7/31バイロイト没は古今を通じてピアノの巨匠として高名、父がハンガリー人で母はドイツ人という家庭に育ち自身は、ハンガリー語をほとんど話せなかったと言われている。19世紀を代表するピアニスト、作曲家、指揮者、教育者として活躍。ヴィルトゥオーゾ超絶技巧ピアニストであり、時代の新しい潮流をになう代表的存在だった。作曲はサリエリ、ピアノはチェルニーに学び1832年にパガニーニのVnを聴き、ピアノのパガニーニを目指し猛練習開始する。33年にマリー・ダグー伯爵夫人とジュネーブに駆け落ちする。肖像画などに見られるリストはイケメンで美形で37年に誕生した次女のコージマはハンス・フォン・ビューロー夫人となり後にリヒャルト・ワーグナー夫人になったという逸話は有名なものだ。各地を転々と演奏旅行し10年以上続ける。ダグー夫人とは疎遠になり47年にはカロリーネ・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人と出会い作曲に専念するようにという忠告に従うことになる。1855年2月ワイマールにて作曲者自身は独奏を担当、ベルリオーズが指揮して初演される。第1番のスケッチは1830年にさかのぼり、第2番など22年の経過をみて演奏、その管弦楽法などユニークなアイディア、終楽章にトライアングルが鳴らされるなど話題作となる。
 スヴャトスラフ・リヒテル1915.3/20ジトミール生まれ~1997.8/1モスクワ没はウクライナ出身のロシアを代表するピアニスト。19歳でオールショパン演奏会を成功させる。1958年チャイコフスキー国際コンクールでヴァン・クライバーン優勝をおぜん立てしたのは審査員だったリヒテルの功績といわれている。1960年5月東西冷戦の最中、西側での活動が認可される。日本盤の新世界レーベルでも分かることだが、シューマンとブラームスを1971年1枚ものLPでザルツブルク録音したとき、楽器メーカーのクレジットは別建てで2種類、すなわちスタインウエイとベーゼンドルファー使用の記載がなされている。すなわち、リヒテルは生涯を通してピアノ楽器メーカーのあらゆる使用を心掛けていた。ということは、彼の音盤ディスクを収集することで様々な音色を愉しむことになる。
 スタインウエイは華やかな倍音を誇り、よく鳴る楽器として有名、レコードでは多数派の代表的存在である。ところがフィリップス1961年録音になるリストのピアノ協奏曲で使用されている楽器にクレジット表記は無い。再生して、ピアノの左手で打鍵される倍音の鳴りに特色を感じた時、ああこれはベーゼンドファーに違いないという確信をもつことになる。これこそオーディオの醍醐味、再生するよろこびともいえる。大多数のレコードがスタインウエイで録音されている中で、一際、異彩を放つのがベーゼンドルファーの低音域倍音の鳴りっぷりであろう。無論、中、高音域へと連なる楽器の音色は、何にも勝る作曲者リスト、独奏者リヒテル、そしてフィリップスレコード録音者の一体感こそ、再生の愉悦なのである。
 前回、ボールト指揮LPレコードの録音年月情報提供を知人にいただいた。1958年3月ということはデニス・ロス録音に当たるのだけれども、レコード再生する価値に揺るぎはない。独奏楽器の華麗な音色、右チャンネルからの2ndVnの音楽、その集中力たっぷりな演奏に一層の思い入れを強くしたものである。録音年月日、場所、使用楽器のクレジットなど、商品としての必要条件であり、時代が経過するとともに明らかにされていく。
 音楽のよろこびは、音にとどまることなく歴史を味わうという多様性にある。美とは生命、営みの目標ではあらず手段であることに気がつくか否か ? 時間を味わうところにあるのだろう・・・

 4/30木曜日札幌ではソメイヨシノが開花するか否かが話題になるところ。東京では3/20頃の話題だったから日本はいかに南北に長い距離があるかの証左、季節感は地域性を物語る。もっとも、こちらでは辛夷こぶしの開花、白い花びらが露払いだからわくわく感はクレッシェンドを愉しみとする。次第に強くそしてディミュニエンドという音楽用語が身をもって知らされるこの季節は、日本の四季を知らされることになる。
 何を酔狂な話題?と今や地球全体が新型肺炎ウィルスの大流行期にあって顰蹙を買うも、人が集まることにより感染リスクが問われてこの時期は絶望的な局面にあるのも事実だが、盤友人は希望を決して捨てるものではない。ステイホーム週間も未来には、時間はかかることとは思われるけれど、ここが我慢のしどころだろう。
 横綱の土俵入りを思い浮かべるがよい、両腕の開き方は二通りあって盤友人の青春時代は大鵬関、雲竜型といって左腕を胸にして、右腕を開くという攻めと守りの両立を象徴する時代だった。ところが現代の白鵬関は両腕を開く不知火型、これは男性的ともいえる。両腕で力を込めるという象徴である。これは管弦楽団の弦楽配置の方法、二者択一のヴァイオリン配置型とパラレルの関係にある。
 知人からメールがあって、独奏ケントナーでボールト指揮したフィルハーモニア管弦楽団、あれはデニス・ブレインが吹いているのかという問い合わせをいただいた。にわかに返事したのはコピーライトのことで、あれは1958年とのことだった。盤友人はレコード棚を探してASD268というヒズマスターズヴォイス白金のレーベルを再生したのは深夜で、独奏ホルンをしっかり聴き込んだ。デニスの特徴は高音域が楽々の演奏で、ほぼ彼の姿が思い浮かばれる。問題はレコーディング ファースト パブリッシュト1958年の解読になる。録音年月日は不記載でも、1958年の録音は考えられないから、ASD290番号、メニューイン独奏するグーセンス指揮フィルハーモニア管弦楽団のラロ作曲スペイン交響曲作品21は1956年録音だった。あれも1958年コピーライト記載LPレコードだったことからその類推により、ホルン首席奏者デニス・ブレインが存命中のレコーディングということは確実である。事実は未確認事項。残念ながらエードリアン・ボールト指揮したLPレコード、情報が日本国内では希少だ。
 時間は経過して、盤友人のオーディオシステム格段の向上を迎えてレコード購入当時とは雲泥の差、すなわち左右チャンネル分離感がグレードアップしたことにより、右スピーカーから第2Vnが聴こえる段階になり、その奥に独奏ホルンは定位ローカリゼイションを主張する。
 左スピーカーで第1と第2Vnが演奏を展開するのは雲竜型で、不知火型の両腕左右に展開するスタイルはVn両翼配置であろう。この感覚は、良い音良い音楽を求めるオーディオの世界のグレードアップと並行する問題だと考えられる。モノーラル録音という時代で弦楽配置は、聴こえればそれで良いということだったのが、ステレオ録音によると、定位ということで左右感は音楽の問題となって浮上する。盤友人は札幌交響楽団を指揮したマックス・ポンマー氏と会話したことが有るのだが、彼はダブルウイング問題で、両腕を左右に開き輪を描いて嘲笑した。明らかに両翼配置をあざける態度を表明したのだった。盤友人にとって忘れることのできない体験である。これが何を意味するのかというと、演奏家は主体的に両翼配置を採用しない意思の問題で演奏上での主体性確保という立場、指揮者多数派の態度だろう。エードリアン・ボールト卿の録音を高く評価するのは、両翼配置採用する演奏を記録したことによる。一聴して分かることだが、左右にVnが展開する方が音楽演奏の格は上といえるのがオーディオ愛好家のグレードと一致することだろう。デニスがホルン首席で演奏することにより、木管楽器アンサンブルも万全で安定感ある音楽を展開しているのは言わずもがな・・・

 4月20日桜前線は松前に到着した。札幌には26日と予想されている。平年より10日ほど早いとのことだ。
 ミクロンとは百万分の1メートルで、0.5ミクロンがウィールスの大きさを表している。一般用マスクの網の目は500ミクロンほどだから、千倍ほどの隙間といえるのだろう。米国大統領、自分は検査して陰性だったからウィールス拡散しないんだと発言していたのは3月のことだった。あれから世間では安心を求めてマスクは必需品となっているのだが、その役目をはき違えないことを忘れてはいけないだろう。安心、というものは人の心であってその認識の危険性は承知しておいた方が良いのだ。
 弦楽四重奏を蓄音機で聴くのは最高の快楽だ!とは稲垣足穂(たるほ)の言葉で、フランスのカペー四重奏団は1930年に78回転式SP録音でベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132を記録している。多分文士稲垣も、これを聴いての話ではなかっただろうか?すごい演奏であり、演奏の熱気が記録されていてLPレコード鑑賞可能だから、当時の感覚はそのまま体験できる。
 第15番は第12番の次に作曲されていて、1825年作曲だから亡くなる二年前の作品で全5楽章。続く第13番は6楽章、第14番は7楽章。第16番は4楽章になっている。ちなみに「大フーガ」作品133というのは1825年秋、ウィーンのルドルフ大公に献呈、第13番の終楽章に構想されるも、独立単一楽章作品として扱われている。
 イ短調作品132、第一楽章はアッサイ、ソステヌート(各音符を充分保持して)、アレグロ(快速に)、第2楽章アレグロ、マ ノン タント(快速で、しかし余りではなく)、第3楽章モルト アダージョ(きわめて、幅広く遅く、くつろいで)第4楽章アラ マルチャ(行進曲風に) アッサイ ヴィヴァーチェ(充分に快活で)第5楽章アレグロ アパッショナート(快速に 熱情的で) ここで4~5楽章は続けて演奏されるから、聴いていて第3楽章は緩徐楽章でおだやか、次に快速な演奏の楽章が展開して全4楽章の感覚は生きている。おだやかな音楽は「感謝の歌」ともされていてリディア旋法によるもの。中世教会音楽では第5旋法、古代ギリシャ旋法、支配音は「ハ」cの音で、終止音は「へ」fになる。
 B氏は、ここの冒頭「リディア旋法による、病から回復した者の神に対する聖なる感謝の歌」と記しているという。演奏時間16分ほど、全5楽章で40分ほどの中間に位置するからたっぷりした印象を与える。瀕死の瀬戸際から作曲を遂行して成立させる喜びは如何ほどだったことだろう。「なぜに、ベートーヴェン?」 かというと、彼の人生は、苦悩する中から獲得する歓喜というものがあり、その精神世界はまさに哲学、宗教を超えて、音楽の愉悦だろう。終楽章に充満する歓喜の演奏は、カペー四重奏団の展開する世界なのだけれど、まさに、B氏55歳で到達した孤高の境地。
 ルシアン・カペーが主宰するアンサンブル、第二Vnはモーリス・エウィット、アルトはアンリ・ブノア、チェロはカミーユ・ドゥロベーユ。1893年カペーは20歳で創立、57歳時の演奏録音になる。
 第2Vn、アルト、チェロ、第1Vnへと演奏は展開したり、アルト、第2Vn、第1Vn、チェロへと旋律が受け渡される音楽を聴いていると、楽器の配置はジャケット写真の如くに中央がチェロアルトというVn両翼配置なのが理解されるだろう。すなわち、モノーラル録音であっても演奏する音楽は楽器配置がそのような前提で作曲されていることを認識するのが自然というもの。単純に左右が高い音から低い音へ整列するというのは伝統破壊に他ならないことだろう。作曲者の御前では・・・・・ということだ

 自動車というとニッサン、トヨタという戦後日本をけん引した二大メーカーを忘れることはできない。とりわけ技術の日産、大衆車として1959年から登場したのはブルーバード、2001年には生産終了しているが英国車オースチンをモデルとして当時米国で主流派フォルクスワーゲンの、ビートルとは一線を画した左側車線通行の右ハンドルセダンタイプ、ヘッドライトは一つ丸目。1963年からはダブル丸目の三代目となる。
 ベルリン・フィルは初代常任指揮者がアルトゥール・ニキッシュ1855.10/12~1922.1/23ライプツィヒ没で、二代目はウィルヘルム・フルトヴェングラー1886.1/25~1954.11/30バーデンバーデン没、三代目は1955年からヘルベルト・フォン・カラヤン1908.4/5~1989.7/16ザルツブルグ没という歴史がある。
 ディスコグラフィーによるとフェレンツ・フリッチャイ1914.8/9ブダペスト生~1963.2/20バーゼル没は1953年1月ベルリン・フィルとベートーヴェン交響曲第1番を録音している。1955年にはクララ・ハスキルを迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲第19番ヘ長調を録音していて、彼は当時ベルリン放送交響楽団がメインだったことからBPO録音は割と貴重なものといえる。53年4月第8番、57年12月第9番、58年10月第3番、60年10月第7番、そしてこのコンビによる録音は61年9月第5番でピリオドを打つ。
 1959年10月ドイツ・グラモフォン録音ドヴォルジャーク新世界からがリリースされている。幸いなことにステレオ録音の他にモノーラル盤があって、このたびステレオテイクモノーラル盤を聴いた。ステレオとモノーラルの違いはどこにあるかというと、ステレオには定位ロ―カリゼイションという問題がある。左右チャンネルと共に中央の感覚があり、マイクロフォンはその上に前後感覚を生起させる。ステレオ録音方式はだいたい1955年頃からリリースされていて、トスカニーニやフルトヴェングラーはモノーラル録音時代の芸術といえる。ただし、トスカニーニにはワーグナー作品のステレオ録音が存在している。フルトヴェングラーには「英雄」がLPステレオ盤で40数万円というものもあった。
 ステレオ録音が採用された当初は左チャンネルがヴァイオリン、右チャンネルはコントラバスというものが主流であって、高低グラデイションが基準とされていた。ところがEMIのものでは、たとえばカラヤン指揮したフィルハーモニア管弦楽団によるシベリウスの交響曲第2番などで、ヴァイオリン両翼配置が採用されていて、右スピーカーには第2Vnが定位していたのである。それは少数派でLPレコードの主流は、右チャンネルにはコントラバスというものとなった。フリッチャイもレコーディングはモーツァルト、ベートーヴェンの交響曲など高低グラデイション録音となっている。
 モノーラル盤はマイクロフォンに対して楽器が正面に据えられている感覚からチェロ、コントラバスも楽器は中央感覚があるから、右側低音楽器という感覚から解放されているのだ。すなわちVnの主旋律に対して右スビーカーでコントラバスがピッチカートするという違和感が発生しなくて救われる。本来、第1Vnの奥にチェロ、コントラバスは配置されて作曲者イメージの再生となるものである。
 フリッチャイの指揮は管弦楽団演奏者達から絶大の信頼を受けていて、ひしひしと伝わる感覚があり木管楽器奏者による余分な力の抜けている誠実な演奏には、本当に心を打たれるし、金管楽器奏者によるリズム感抜群の切れの良いメロディーにはワクワクさせられる。ベルリンの楽壇からは、フルトヴェングラーの再来として受け入れられていたというのも尊敬される存在として指揮者のシンボルであった。第2楽章ラルゴを聴いていると夜の音楽、祈りのひと時だろう・・・

 イダ・ヘンデル1928.12/15ヘウム、ポーランド生まれは存命する最古参女流ヴァイオリニストの一人で、幼少からカール・フレッシユやジョルジュ・エネスコの薫陶を受けている。幸いなことに盤友人は彼女から、レコード・ジャケットにサインして頂いた幸運を体験している。その夜のリサイタルは、ラヴェルのツィガーヌ、ピアノ伴奏がメインディッシュだった。80歳を越えていてもなお矍鑠としていて、一夜のピークをうまく設定していて演奏会として大成功、大変立派な演奏会だった。
 彼女の評価として、20世紀前半の演奏スタイルを今に伝える偉大さを確立している。1995年9月と11月にロンドン・第1アビーロードで、バッハの無伴奏ヴァイオリン、ソナタ、パルティータ全6曲をアナログ録音している。プロデューサーはポール・ベイリーで、バランス・エンジニアはアレックス・マルコウ、英国テスタメント盤。
 盤友人がこれを購入したのは15年余り前の事で、思えばLPレコード再生としては、かなりむつかしいものだった。ひらたくいうと、なかなか良い音に聞こえない代物だったのである。音自体は薄っぺらく、ガツんガツん弾いているのが耳について、力技が勝っていて、聴くのに疲れてしまっていた。なぜ彼女はこんなにりきんでゴシゴシ弾くのか?疑問が先立って味わう以前の段階だったのだ。ということは、このレコードを再生することは、ときどきであり、そして満足感を経験することはできなかったのである。
 オーディオというものは、音の出口としてスピーカー、胴体としてアンプリファイヤ、入り口としてプレーヤー、その生命はピックアップ、カートリジがある。そのオーディオアクセサリーとしてスピーカーケイブルやラインコードなどがある。何をチョイス選択するかで音味は、かなり変化するものであり、盤友人は40年余り、人生の半分以上を費やしていることになる。ケイブルやラインコード選択基準は、1950年代、60年代の素材というものである。すなわち機材の製作された年代のものがベストマッチということで99,9999%純銅などという宣伝文句とはまったく縁がない線材である。不思議なことであるのだが、機材の製作された同時期のものこそベストなのである。これはヴィンテージオーディオの生命だ。つまり、モダンオーディオは、常に最良のものを追求していてという建前、すなわち絶えず以前を否定している立場に過ぎないのである。前よりこの方が良いという立場なのがモダンオーディオの実体であり、そこが、決定的にヴィンテージ物と異なるところである。ワインの世界と同じであり、エイジングだけでは説明がつかない世界、純粋に最良の世界を味わう世界といえるのである。
 最近、昇圧トランスの箱を札幌音蔵社長は少し大きなものを製作し、取り換える次第になった。結果は明らかでイダ・ヘンデル演奏の再生音は一段と向上を見せた。ホ長調BWV1006の第1曲プレリュード前奏曲は、ヴァイオリンという楽器の箱鳴りがバランス良く再生されることになった。すなわち、彼女の演奏上での努力とは、ここに有ったのである。つまり、10年前の薄っぺらい音とは、胴鳴り音再生がかなわなかった状態であって、そのバランスが向上して初めて真実が明かされたといえる。良い音とは、音楽的真実の再生をもたらすものなのだ。電子ピアノとグランドピアノの比較を想像していただけると話は早い。電子音には倍音が無いのと同じことである。この倍音の音圧を向上させることこそアナログの醍醐味といえる。1980年代にジャーナリズムが総動員されてデジタル時代を開始、アナログ時代は否定されて現在に至る。笑止千万なことではあるのだ・・・・・

 星空を目にする時間はというと宵、夜半、夜明けという時の経過で、地球の自転による設定を共有する必要がある。すなわち3月29日頃では宵の明星がおうし座という西方のプレアデス星団すばるを横切る宇宙ショーが見頃であり、科学館のプラネタリウムでは天体の進行が見やすい。
 ベートーヴェンの葬儀は1827年3月29日ウィーンで執り行われている。万を超えるウィーン市民による葬列が見られたと、伝記本にはある。命日は3月26日、雷鳴にこぶしを振り上げて息を引き取ったのは午後6時ころとのことだった、56歳肝臓硬化症。
 B氏は生涯に弦楽四重奏曲を16曲残している。作品18で6曲1セットをまとめて1801年に楽譜出版されている。1799年第1番ヘ長調が作曲完成。通称ラズモフスキー四重奏曲は1806年作曲作品59で3曲、第10番変ホ長調作品74はハープというニックネイム、1810年第11番ヘ短調セリオーソ、13年経過して5曲連作で作品127、130、132というのはガリツィンセット。第12番変ホ長調作品127は1825年2月作曲、第13番変ロ長調作品130は1825年11月作曲で終楽章を大フーガ作品133に代えて1826年10月にロンドソナータを当てている。第15番イ短調作品132は1825年7月作曲で完成初演は第13番より早い。第14番嬰ハ短調作品131は1826年8月作曲だからガリツィンセット3曲の後の作曲になる。第16番へ長調作品135は1826年10月作曲という最晩年、27年間で第1番の調性に回帰する。
 弦楽三重奏曲としては1792年作曲第1番変ホ長調作品3で六楽章、1798年頃作曲作品9ではト長調、ニ長調、ハ短調の3曲、作品8ニ長調セレナードは1797年頃作曲で作品25フルート付きセレナードと一対をなす。モーツァルトは1788年9月にK563変ホ長調として喜遊曲ディベルティメントとして弦楽三重奏を6楽章で作曲していた。
 ヴァイオリン、アルト、チェロという3重奏曲を演奏する時、チェロの配置により選択肢は二通りとなる。すなわち中央とするか、Vnとコントラストの配置か? という2選択である。このことに対して、答えをひとつに限るのではないことに注意が必要とされる。それならどちらでも良いということなのだろうか? つまり、何を目的とするかにより、答えは決まるというものである。だから、作曲者のイメージという前提条件を設定したとき、どちらでも良いというのは、誤りであろう。すなわち、チェロを中心として、舞台の対称としてVnとアルトをコントラストとするのが、最善の配置だろう。中心となるのはチェロで扇の要なのである。その前提に立ち、ヴァイオリン両翼配置という言葉が後付けでありながら、弦楽四重奏のチェロ配置は、第1Vnと第2Vnの中央にチェロとアルト配置が作曲者のパレットというもので、料理はいかにでも・・・というのは、最善の音楽を希望する盤友人としては、チェロアルトが中央とする弦楽四重奏を理想とする。だから、チェロが第1ヴァイオリンと正対する配置は、不自然に感じられる。チェロ奏者は演奏配置の中央にあって、その上で各楽器との会話が聴き手にとって、整理整頓された作曲者のイメージを伝えることに成功する。
 盤友人のオーディオ装置は、このたび60ヘルツ変換器のほかに電源トランス、パワーアンプ、ラインアンプ(プリ)という6セットを碁盤に載せる次第となった。LPレコードであっても、マスターテープに迫る再生音に近づき、楽器の周囲の空気感が再生されて、距離感が鮮明化へと変化を見せた。室内楽という愉悦は、作曲者へのリスペクト尊敬という次元へ飛躍して、ベートーヴェン生誕250年という節目を迎えた・・・

  ベートーヴェンは、自らピアノ演奏による即興を、いかに楽譜にするかという作曲に取り組み、生涯で32曲の番号付奏鳴曲ソナタを残している。父に習い始めたのは5歳。初の独奏会は1778年3月26日ケルンでのこと。1781年10歳でネーフェに師事してピアノ、和声や作曲の勉強を始めた。ソナタのほかの独奏曲として変奏曲やバガテル、作品番号以前の小品など多数ある。作品2の3曲は1795年頃ハイドンに献呈され、第11番変ロ長調作品22は、1800年頃作曲で中期への過渡期の創作になるといえる。
 ソナタ形式は提示部第一と第二主題、展開部、再現部、終結部という形式による。この形式観は、交響曲、協奏曲、弦楽四重奏曲などB氏の音楽の根底を形成して、ハイドンやモーツァルトという先人による業績の歴史にある。中国の唐詩7~8世紀の時代では絶句、律詩などに起承転結があることと、相似しているだろう。この形式により、作曲というキャンバスを入手したのだ、ベートーヴェンは。
  クラウディオ・アラウ1903.2/6チリのチャーン生まれ~1991.6/9オーストリア、ミュルツシュラーク没は10歳で国費留学生としてベルリンに学ぶ。シュテルン音楽院でリスト門下のマルティン・クラウゼに師事、彼はエドウィン・フィッシャーの恩師でもある。1918年に亡くなるが、4年前にはアラウはベルリンでリサイタルを開いて成功を収めている。1927年コンクールで優勝、ニキッシュやフルトヴェングラーとも共演を果たしているという。戦後、最も正統的なドイツ音楽の継承者という評価を確立している。もちろん、シューベルト、ショパン、シューマン、ブラームス、トビュッスィなど多数のLPをリリースしていて、フィリップス録音が多数を占めている。
 盤友人のピアノの手ほどきを受けた高校での先生は、アラウの弾くブラームスのピアノ協奏曲第1番を聴き、その音色の温かさを絶賛していた。ピアノの音色はかくあれ!という印象を与えるピアニストであったのであろう。彼女の師匠は豊増昇先生で、共通するタッチのイメージは、小学生の時からのレッスンで一貫していた。ピアノフォルテという楽器は、基本、たっぷりと豊かに鳴らすのが基本で、そのタッチ作りからというのが、基本姿勢だった。
 3月といえども、室内は暖房を必要とする札幌、オーディオでも熱意が必要である。電源スイッチを入れるときの室温は12度くらい、昇圧トランスは冷えている。レコードを再生しても、つまらない音にしか聞こえない。この音を良しとするようでは、初心者のレベル、つないで音が出るというのと、レコードを味わうというのは、次元が異なる。だから盤友人は、昇圧トランスをセットから外して、ストーブのそばで温める。10分程度で充分、指でさわって温かい人肌程度が良い加減だ。ここで余談をひとつ、昨年頂いた鳥取産の銘酒「鷹勇」、燗酒ぬるかんで辛口最高の味わい、下戸の私でも腰を抜かすきりりとした味だ。
 レコードの再生でどういう違いが出るのかというと、打鍵タッチで、芯のある伸びやかな音が命である。ここまで表現を再生出来てこそ、鑑賞に腰が入るというものだ。アラウは、深い打鍵と、強弱で自由自在の表現は千変万化、それこそ名技性ヴィルティオーゾを遺憾なく発揮した演奏の生命が再生される。
 昨夜、50年前東大駒場900番講堂のドキュメンタリー映画を観た。観映後一時間は、主人公の生命力に、熱情を共有できた。盤友人は高校三年生で彼の短編小説を多数読破していて経験はある青春だった。彼の悲劇は美的ファナティズムであって、上昇する下降と評された彼の人生を、拒否する。彼にとってベートーヴェンは、いかに聞こえていたものか・・・知るよしもがな

 1823年12月テアター・アン・デア・ウィーンではシューベルト作曲による4幕物、合唱、ダンス付きの管弦楽作品が紹介されていた。作者のヘルミーナ・フォン・チェツィーはウェーバー作曲歌劇オイリアンテの台本を担当していた。
 序曲にはアルフォンソとエステレッラ、管弦楽による華麗な開始の音楽にふさわしい。その管楽器合奏は、あたかもリヒャルト・シュトラウスの半世紀前を予告しているがごとくであり、弦楽合奏部分はいかにも劇場作品として似つかわしいもの、ここでは、管弦楽の醍醐味の洗礼を受けることになる。
 ウィリー・ボスコフスキー1909.6/16~1991.4/21は、1939~70年の31年間ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターを歴任している。1955年を最初にして、最後にニューイヤーを指揮したのは、1979年のことだった。ベルリン・フィルのミシェル・シュヴァルベ1919~2012はスイスロマンド管弦楽団から1957~77年の20年余りベルリン・フィルのコンサートマスターに就任していたこととパラレルの関係といえるかもしれない。ボスコフスキーは1963年9月にNHK交響楽団を指揮していた。
 ヴァイオリン奏者でありつつ、フルトヴェングラーやカラヤンの指揮のもとでコンサートマスターの座席にいた彼は、自然にオーケストラを指揮していくことになる。ニューイヤーコンサートのみならず、1978年コピーライトのEMIレコード、シューベルト作曲、劇音楽ロザムンデは、シュターツカペレ・ドレスデンが演奏している。
 ザクセン国立歌劇場管弦楽団という、以前からの歴史をたどると、1584年創立、選帝侯モリッツが発足させた宮廷楽団。1671年ハインリッヒ・シュッツがカペルマイスターに就任。55年間の長きに渡り楽団を指揮、1817年にはカール・マリア・フォン・ウエーバーを迎え、1822年には「魔弾の射手」を初演している。1824年ゼンパー・オーパー、ザクセン宮廷歌劇場が創建されている。1945年連合国軍の空爆により破壊された。戦後1985年に歌劇場は再建されてノイエ・ゼンパー・オーパーとなる。1991年東西ドイツ統一後、ザクセン州立シュターツカペレ・ドレスデンと改称された。
 歴代の音楽監督として有名なのは1843~49年リヒャルト・ワーグナー、1914~21年フリッツ・ライナー、1922~33年フリッツ・ブッシュ、1934~42年カール・ベーム、1945~50年ヨゼフ・カイルベルト、1949~52年ルドルフ・ケンペ、1953~55年フランツ・コンビチュニー、1955~58年ロブロ・フォン・マタチッチ、1960~64年オトマール・スイトナー、1964~67年クルト・ザンデルリンク、1975~85年ヘルベルト・ブロムシュテット・・・
 だいたいのオーケストラは音程も正確にフィットしているのだが、ドレスデン・シュターツカペレは格別である。ウィーン・フィルとS・ドレスデンは純正調のアンサンブルを聞かせる双璧、何が違うかというと、歴史だろう。ウィーン・フィル創立は1842年だから、ドレスデンはその倍近い歴史であり室町時代の世阿弥、英国はシェークスピアの時代からの伝統である。
 ロザムンデを聴いているうちに、管楽アンサンブルの並ではない音楽に心奪われる。マイクロフォンのつき辺りその手前に、弦楽合奏が展開するわけでシューベルト作曲の劇音楽は、ロマン派の音楽を予告していて嬉しい気がする。78年コピーライトからアナログ録音の晩年を知らされるレコードといえる。音の伸びやかなこと、音圧の豊かなこと、イレアナ・コトルバスによるソプラノ独唱の柔らかさ、男声合唱の生き生きした喜び、混声合唱(ライプツィヒ放送合唱団、コーラスマスター、ホルスト・ノイマン)による平和な人々の歌に充実した時間を愉しむ仕合わせは何物にも代えがたい。ボスコフスキーがドレスデンを指揮した一期一会・・・

 録音時のテープ速度とレコードカッティング速度と再生時の回転速度の定速化は、前提とする条件であり、指揮者による芸術鑑賞の上での必要条件だろう。1944年録音された英雄交響曲のレコードで事件は起きたのである。フルトヴェングラーはウラニア社のリリースしたLPの著作権を差し押さえた理由として、考えられる実際の一つである。皮肉ではあるのだがいわゆるウラニア盤のエロイカは名演奏として名高い。それなのに、海賊盤の汚名を着せられて葬り去られたのだが、現在でも高価ながら入手することは可能である。その事件は1953年、裁判で販売差し止め処分に発展した。
 ウィーン・フィルハーモニー演奏によるライブ録音1944.12/19-20は、1952.11/26-27録音のEMI正規録音と競合して、商品化されたのは52年盤の方だ。同じモノーラル録音ではあるのだが、演奏の質は明らかに差異が有る。それは、どこから来るのか?興味深いテーマではある。盤友人の判断は明快、弦楽器配置でのコントラバスとチェロ、第一Vnの距離である。44年盤はその音響が溶け合っているのに比較して、52年盤は明らかにセパレート分離している。つまり、前者は伝統型であるのに比べて、後者は距離感が介在していて、明確にタイムラグは微弱ではあるのだけれど、力強さこそ減衰しているのである。つまり分かり易くいえば、フルトヴェングラーは1946年の非ナチ化裁判を経験して否定されたのが伝統型配置、ヴァイオリン両翼配置による男性的な演奏スタイルなのである。第一ヴァイオリンのすぐ後ろにチェロとコントラバスが配置されることにより、テンポの緩急表現は容易になって、そういう演奏スタイルに入る。つまりこのコントロールの一定感にこだわりを見せたのがトスカニーニであり、フルトヴェングラーは円熟と共に、緩急の磨きを効かせたのがF氏の芸術なのである。すなわち、そこに破たんを見せないスリリングこそが、ライブ演奏の肝である。
 アナログ録音とデジタル録音の差異は、チェロとコントラバスのオクターブ表現に特化していて、顕著である。その倍音こそ、デジタル録音はアナログの下位に属する。だからオーディオの努力として、そこに注意を払うことこそ必要であろう。
 ロシア・メロディア社の復刻したLPレコードは、テープ速度が、カッティテング時と再生時の同期性を証明していてなんの遜色もない。ウラニア盤は、カッティング時の速度が半音ほど低いために、再生時は逆に半音高い現象が生じているのだ。そのためハイ上がりといって、印象は鮮明になり、音楽は別物になる。F氏はそこのところ理解していたのであろう。販売差し押さえ処分にしたものである。
 ウィーン・フィルは、緊張感高い演奏を発揮している。それは、大戦時のドイツ敗色濃いものによるものだと理解されていたのは事実である。その上にいえることは、弦楽器配置構造なのである。舞台両袖に配置されるヴァイオリン奏者は、高い緊張感の上で演奏に臨んでいる。すなわち、第一と第二のヴァイオリンのf字孔が揃えられることで、合奏は、より容易になり大戦後流布した配置となった。つまり、英雄交響曲は、緊張感が半減した演奏の一般化となったことだろう。1944年録音はメロディア盤によってこそ鑑賞されるべきであり、ウラニア盤は、半音ほどピッチが高い別物「英雄」として存在する。その上でフルトヴェングラー理解は必要であり、52年盤と比較する時、正当な評価が成立する。
 音楽が分かるというのは、気をつけるべき言葉であって、50分ほどの音楽鑑賞にたえるのはどちらか?アナログとデジタルの相違は明々白々・・・気がつくかどうか? その人生は、問われるのだろう・・・

 アナログ録音の再生する歓びの一つに、音場の空気感がある。確かに録音上でのテープヒスなど、含まれてはいるのだが、空気には酸素もあれば炭酸ガスもあり、その時の録音にはノイズも合わされるのだが再生の上では、要はシグナル信号のバランスであって、耳の注意はノイズにとらわれることなく演奏を楽しむことになる。音にではなく音楽に集中することにより、録音再生の目的は果たされるのだ。そんな経験を、フランス・エラートのLPレコードを再生して経験する。
 録音技師はピエール・ラヴォア、1976.9/77年ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団、指揮アラン・ロンバール1949.10/4生まれ、ソプラノ歌手モンセラット・カバリエ。
 ロンバールはフェレンツ・フリッチャイに師事して1961年リヨン歌劇場グノーのファウストにより正式デビュー、11歳にしてベートーヴェンの7番を指揮したというエピソードの持ち主。このリヒャルト・シュトラウスの曲を指揮する上でも彼の特性は発揮されている。弦楽器はしなやかに演奏され、艶が有りよく歌われている。管楽器は音程がピタリと合っていて間然とするところは無い。アナログの長所であるコントラバスの音の上に、チェロ、アルトはよく溶け合っていて倍音が、生かされている。
 モンセラット・カバリエの歌唱力は、音程が正確で艶が有り、広い音域を見事に表現している。1933.4/12バルセロナ出身。
 R・シュトラウスは1946年1月メタモルフォーゼン、2月オーボエ協奏曲の初演後、47年後半には最後の管弦楽作品としてクラリネットとファゴットの二重協奏曲を作曲している。晩年はスイス・バーデン、チューリヒやモントルーなどホテルでの生活を転々としている。そして非ナチ化裁判では無罪の認定を受け、裁判費用は国家負担が決定される。当時70歳のヘルマン・ヘッセはノーベル文学賞を受賞するなどしている。シュトラウスは、シェーンベルクやヒンデミットは単に音を並べているだけであんなのは音楽じゃない、などとウィリー・シュー伝記作家に愚痴る。以前からの歌曲夕映えの中で(アイヒェンドルフ詞)のオーケストレーションに取りかかり、1948年5/6モントルーでオーケストラ譜を完成。春7/18、眠りにつくとき8/4、九月9/20を同じく完成している。ちなみにこの三曲はヘルマン・ヘッセの作詩による。
 1950.5/22ロンドン・アルバートホールで、フルトヴェングラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団、ソプラノ歌手キルステン・フラグスタートにより初演されている。フラグスタートは「眠りにつくとき」で曲を開始「九月」「春」を歌う時は高音を下げるなどしている。終曲は「夕映えの中で」。「九月」のお仕舞いに四小節ほどホルンの独奏があるが、デニス・ブレインが受け持っていた。二番ホルンは父オーブリー・ブレインが担当、オーブリーは5/25の演奏を区切りにリタイヤしその後は教授活動、放送録音などに進んでいる。
 ブージー&ホークス社のエルンスト・ロートは楽譜の出版に際して、春、九月、眠りにつくとき、夕映えの中で(献呈者E・ロート)という曲順に設定している。なお、歌曲「あおい」1948.11/23作曲というものがあるが題名は「フォー・ラスト・ソングス」になっている。
 管弦楽譜作曲当時、経済面でホテル代を出版社が持つなどという状況にあったが、非ナチ化裁判で名誉回復などが実現されていて、作曲意欲も最後に遺憾なく発揮されて、精緻な管弦楽法が見事な作品に昇華している。
 広やかな 静かな やすらぎ! かくも深き 夕映え(アーベントロート) さすらいにも飽き果てた これが 死というものか ?(詞ヨゼフ・フォン・アイヒェンドルフ)・・・

 ジュゼッペ・ヴェルディ1813~1901は歌劇作曲家としてイタリアの歴史に不動の地位を築いている。その彼のオペラ以外の重要な作品というと、レクイエム。1873年5/22イタリアの代表的詩人アレッサンドロ・マンツォーニの死去に際し作曲を決意して、初演は彼の一周忌ミラノ・サンマルコ教会にて120人の合唱、100人の管弦楽団そして4人の独唱者たちによって執り行われている。極めて大きな成功をおさめ、アンコールが繰り返されたという。その後、作曲者自身の指揮により、1875年パリ、ロンドン、ウィーン、さらに1876年ケルンのライン音楽祭でも演奏される運びとなった。パリ公演では4回予定が8回にもなったといわれ、ロンドンでは3日にわたってアルバート・ホールで大合唱団の出演で取り上げられた。
 ヴェルディの芸術にアンチの立場をとる音楽家たちにも、深い感動と消し去りがたい印象を与えている。いわく、凡庸な演奏でも涙が出るほど感動させられたと語ったのは、ハンス・フォン・ビューロー。信仰心と歌劇的な様式の高度な結合は、バッハの宗教音楽にも肩を並べる感情体験が約束されている。それはあたかも、ミケランジェロやラファエロたち、ルネッサンス文芸復興期を歴史とするイタリアの系譜に連なる色彩的でダイナミックな形態に直観力を発揮した表現力である。
 1曲レクイエム永遠に安息を与えたまえ主よ。2曲ィエス・イレ怒りの日~罪ある人が裁かれるために、ちりから蘇るその日こそ涙の日である、彼らすべてに休みを与えたまえ、アーメン。3曲オッフェルトリウム主イエス・キリスト光栄の主、死せる信者すべての霊魂を、地獄の罰と底なき深淵から救い出し、獅子の口から解き放ちたまえ。4曲サンクトゥス聖なるかな・・・万軍の神なる主。5曲アニュスデイ世の罪を除き給う神の子羊、彼らに永遠の安息を与え給え。6曲ルックス・エテルナ永遠の光明を彼らの上に輝かせ給え。7曲リヴェラ・メ解き放ち給え、かの恐ろしい日に永遠の死からわたしを、主よ、解き放ち給え。
 今年2020年2月9日にミレッラ・フレーニ死去。ソプラノ歌手1935.2/27北イタリア、モデナ生まれ。1963年ミラノ・スカラ座デビュー、翌年カラヤン指揮プッチーニ「ラ・ボエーム」ミミ役で大成功を収める。1972年1/3-5ベルリン、ダーレム・イエス・キリスト教会にてヴェルディ、レクイエムをカラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニーとレコーディング。独唱陣は他にメッツォ=クリスタ・ルートヴィヒ、テノール=カルロ・コッスッタ、バス=ニコライ・ギャウロフ。
 カラヤンが指揮をするとき、その合奏は細心の注意の上で、音の合わせ、アンサンブルは極上の記録を果たしている。とりわけ第5曲アニュス・デイは、ソプラノとメッツォソプラノによる無伴奏二重唱で始められる。、クリスタの安定した歌唱の上に、ミレッラ・フレーニのソプラノは立派な歌を披露している。カラヤンは何もしていないのではなく、そこに居るという指揮者として音楽に影響を与えていることに気を付けなければならない。彼の芸術は、微妙なニュアンスをきっちりと表現して、録音スタッフは最高の技術をもって記録することに成功している。技師たちは音楽の記録をするだけであって、それ以上ではない。そこがカラヤン芸術の秘訣であろう。あたかもミレッラは、天上の人々の如く最善の歌唱を実現していて、クリスタももちろん素晴らしいことこの上ない。芸術家の気高い精神が発露、高貴で光り輝く歌声でヴェルディの伝統を、忠実に再現している。充分にひそやかで、しなやか、慎ましい信仰心を表現することに成功しているのだ、絢爛豪華、歌劇的であることもまちがいない一面なのだが・・・演奏に1時間50分ほどかかる大曲だ。終曲はソプラノ、祈りの言葉で閉じられる。