千曲万来余話その370「名曲の愉しみ方、オーディオの流儀」

オーディオの世界は、奥が深い。ラインをつなげて音は出るものの、それが果たして十全のものなのか? 疑うのが必要な態度ではあるまいかと思われる。つい先日も知人のシステム、適当なアドバイスをし、手を加えて以前とは異なった音楽を鑑賞することが出来た。彼は、知らないことは恐ろしい、と感想を語っていたのである。 
 よくある景色に、スピーカーの間にアンプやプレーヤーが挟まれていたり、スピーカーの上に絵皿や置物を載せていて、平気である。果たして、良い音が出ていないことに気が付いていない。  
 ①  スピーカーは、楽器であり、ものを載せることは、まかりならないことである。
 ②  その中央には空間が必要であり、工夫してセンターの音像を確保する努力をする。
 ③  アンプの受け口とするコンセントは使用せずに、壁のコンセントで1 1のホット側を確認してプラグを差し込む。通常は右側がプラスであることが多いので、プラグのチェックをし規格がわかる方を上にして差し込む。 くれぐれも、スピーカーの周囲に空間を確保して、壁から少し前に出すと、低音域が豊かになり、中央に置いているプレーヤー類を少し前に出して、後ろにスピーカー、中央の音像を確保すると、それまでとは別世界のスピーカーの鳴りが、楽しめることになる。音は楽しい、ということでもって、音楽の生命感が再生されることになるのである。  
 よく言われる名曲の一つに、新世界がある。正確には、新世界から、という訳が相応しいのだが、新世界、と略称で通用する。アントニン・ドボルジャーク、彼はブラームスの音楽に憧れていて、国民楽派の作曲家、大きく言ってロマン派の世界に属する。そしてアメリカに招かれ、やがて帰郷する際に作曲された名曲、カーネギーホールで1893年12月16日に初演された。1889年2月17日には、パリで、セザール・フランクの交響曲ニ短調が初演されている。共通しているのは、第二楽章冒頭でコールアングレ、イングリッシュホルンというダブルリードの低音木管楽器による独奏があることだ。これは、何を意味するのかというと、それまでの交響曲での使用楽器の拡張にあり、 フランクの時は、あまり聴衆の共感を得られなかったのに、ドボルジャークは成功したであろうといえるのである。いわゆる、家路、というネーミンクで有名な音楽は当時から受け入れられたであろうことは、想像するに容易だ。使用楽器は、第二楽章にだけチューバが使用されたり、第四楽章に一度だけシンバルが鳴らされたり、とする彼の工夫は、先人のアイディアを取り入れた音楽になっている。第三楽章でトライアングルが活躍するのは、ブラームスの第四交響曲と同じ音楽である。これらの楽器の色彩感は、オーディオの醍醐味を、試されるといえよう。 
 コンスタンティン・シルヴェストリー1913.5/13~1969.2/23ルーマニアからイギリスに帰化した指揮者が1956年10月にパリで録音された新世界からは、記念碑的な音楽に仕上がっている。右スピーカーには低音域があって、左スピーカーには、第一、第二ヴァイオリン、ホルンが聞こえてくる。これは、その当時のステレオ観によるものでありほほえましいものだが、スタンダードとして、現在の手本になっているともいえる。それはそれとして楽しいのだが、第一と第二ヴァイオリンが左右に開いた録音を待望するのは、盤友人の音楽観であって、笑って許して・・・