千曲万来余話その719「アルペジオーネソナタ、デビュー録音盤と老大家達のコラボ…」
歳を重ねることで、音楽の力が強くなるという仕合わせに立ち会える音楽会ほど素敵なものはない。評論家が絶賛するでもなく、プロモーターによる美辞礼賛を超えた音楽家コラボによるコンサートに足を運んだ幸福は何物にも代えがたいものが在る。今井信子先生と小林道夫先生入魂のシューベルト演奏は、満席小ホール会場万雷の拍手というお開きの音楽会、シューべルトアーデとも云うべきふきのとうホールは人間味あふれる空気に満ちていた。
いつもこの曲を聴くとき、アルペジオーネというフレット附きのヴィオラダガンバともいえるチェロで弾かれたりする名曲は、ここで今井信子というキャリア豊富なヴィオリスト、指揮者コリン・デイヴィスとの「イタリアのハロルド」独奏フィリップス盤をステップとして欧州で研鑽をつんだ教育者としても名高い彼女のシューベルト演奏で、小林道夫先生をしてあの曲は今井さんとの共演によりああいう結論を得たと演奏を披露していた。
第一楽章は、問いかけと悩みの告白の音楽の様に聞こえてくる。それは恋愛的なもの、宗教的なもの、人生上での悩みなど複数のテーマなのかもしれない。恋愛の悩みといえば、美と愛がここに居たことを、口づけを贈らんザイ ミア ゲグリュースト! 笑いと涙、リュッケルトの詩にS氏は様々な旋律で作曲している。美しき水車屋の娘、冬の旅、白鳥の歌。これらは1797年から1828年という人生の近代人、浪漫派の作曲家として歌曲の王とも言われたシューベルト傑作の数々、晩年の作品には共通してベートーヴェンロスの影が射していた。冬の旅とは正にS氏にとりB氏の落日に花咲かせた大きな芸術の花園かもしれない。
よく演奏会では芸術家の技術を、批評の対象として語られることが多いのだが、あにはからんや、技術の瑕疵を超えた音楽の力というものを忘れてはならないのである。例えば、バッハのイタリア協奏曲をベーゼンドルファーで演奏していて、終曲の途中に一度ピアニストが立ち止まる、この一瞬をいかに評価するか、二通りのパターンが考えられる。一つは思考停止、もう一つは立ち止まって振り返る一瞬、この楽興の時こそ音楽会の醍醐味といえる。盤友人としては、単なる思考停止とするより、音楽の深い底を覗いた一瞬の様に感じられた。もちろん、二回三回と繰り返されることは想定外の話であり、ドキッとするあの一瞬はそれを乗り越える音楽家の老練を知らされると言ってよいかもしれない。
アルペジオーネソナタのフィナーレを、今井と小林デュエットは明鏡止水の境地で演奏、弾ききったとする感想を受け取ったものである。アンコール曲はセレナード夜曲である。実は、神経をすり減らしていた後、ナーヴァスになりスモールの状態では、独奏者が伴奏者の前奏に入る一瞬を、逃す危険はマックスである。バッハのソナタでも、音を延ばしていて音楽が展開するそのきっかけを逃すリスクは、明らかに老大家にとっても、そのようであることをこの音楽会で経験している。ただ何よりも、技術上の問題を超えた次元で音楽というものは聴く人に喜びをもたらすものである。音楽は演奏家と聴衆が居て、その間の時間であり、作曲家の笑顔が思い浮かぶかどうか ? それこそオーディオの時間の醍醐味だろう。
「音楽の喜び」には吉の感じが見えていて、それこそ「生きる喜び」と同義語である。勝つか負けるか ? 損するか儲けるか ? 損得勘定も人生、ただし真と美と更に善の「感性の世界」は、人として身に着けておきたい価値観の一つといえるのではあるまいか ? 道夫先生にシューベルトをリクエストした昨年、そうシューベルトねえー ? という反応を見せられていたもののアルペジオーネソナタ演奏会の収穫は、稔り多い音楽会の一つと記憶された・・・感謝