千曲盤来余話その66「音楽の楽しみ方、理性と感性の認識」

人と人の会話で、音楽をテーマにするとき、知的な話題は、好まれないものである。
良かった、ひどかったなどは、好みの問題であって、お好きにどうぞというまで。特にかかわりを持つまでもない。
知的な話題、あの演奏は両翼配置でやられていて、面白かったなどという指摘をされると、おやっと思って聴き直さなければ、と思わされる。
先日、TV放映で、ネルロ・サンティ指揮した演奏会が取り上げられていた。
ロッシーニ、メンデルスゾーン、ベートーヴェン、ワーグナーという演目。
演奏会の放送は、TVという媒体で鑑賞するもので、実際の鑑賞と当然、違いはある。
それぞれに画像で、オーケストラの演奏は興味深く、音楽の構造が明らかにされている。
このとき、聴き方は、二通り考えられる。一つは、聞き流す。もう一つは、ステレオに聞き耳を立てて、その面白さに注意を払うことである。
特に、ベートーヴェンの交響曲第二番に注目すると、第一ヴァイオリンと第二Vnの対話が際だっている。
従来の配置で聴くのと、サンティの配置で聴くのとでは、作曲者の仕掛けの聞こえ方が違ってくるということに気付かされる。
これは、もう、感性と理性の共同作業で音楽の認識を語り合わなければ、片手落ちというものである。良かったね、だけでは、語り尽くせない問題を提起している演奏会である。
それは、NHK交響楽団が優れた、演奏を数多く体験しているからこそ可能な演奏会なのであろう。配置を換えています、という程度の問題では、済まされないのである。
アマチュアのオーケストラは、指揮者の左手側から、高い音、右手側に低い音という順番に配置して、終わりなのである。ところが、オールド・ジャーマン・スタイルになると、第二ヴァイオリンとチェロの配置、コントラバスの位置は、左右逆転しているのである。
ヴァイオリンを指揮者の両脇に展開するのは、演奏の技量が高度であることを要求される。
ひとえに、指揮者の音楽観が問われているという問題なのである。