千曲盤来余話その74「札響577定期公演、雑感」

筆者は、札響を初めて旧札幌市民会館で聴いてから45年間くらい経過する。
オーケストラは楽団員が入れ替わって、当時の人たちは、客席で見掛けるほどになっている。ちなみに、札響サッキョウというニックネイムは、親しみを込めて言葉にする地元の人たちだけに通用する。札幌響と言わなければ全国には通用しないのでは?と不安がある。
当時の常任指揮者は、ペーター・シュヴァルツさんといって、バンベルグ交響楽団の首席チェロ奏者であった。ウィーン・スタイルのモーツァルト音楽を贈ってくれていた。
プログラムもモーツァルトの交響曲40番、リヒャルト・シュトラウスの交響詩死と変容
の一夜など、オーケストラの豪華絢爛な音響サウンド、光り輝きは、今持って不滅の記憶として蘇ってくる。
昨夜は、シベリウスの交響曲5番変ホ長調作品82、6番ニ短調作品104、7番ハ長調作品105の三曲である。
それぞれ3楽章、4楽章、1楽章という編成からなっている。
弦楽五部は、コントラバス8、チェロ10、アルト12、第二Vn14、第一Vn16の60人編成。木管楽器は二管編成、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ハープ1、バスクラリネット1、ティンパニ1の、あわせて80人余りのステージ。
記憶に残ったのは、ヴァイオリンの斉奏ユニゾンの多用した音楽、チェロとアルトのアンサンブル、そして、第二ヴァイオリンから旋律が開始されて、アルト、チェロそして、第一ヴァイオリンへと受け渡される作曲様式。
なんのことはない、ステージは、ヴァイオリン・ダブルウイング両翼配置、中央にチェロとアルト、左手側にコントラバスの配置が作曲者のイメージである。ホルンは右手側配置。
現在の指揮者、オーケストラの演奏者は、第一と第二のヴァイオリンを束ねて配置しているために、そこのところ音楽がバラバラに聞こえてくる。作曲者の意向無視である。
指揮者は、6番を初めて指揮したと言われた。初めて聴いたとき、つまらなかったとも言われていたけれど、それは現在の配置だからの話であって、ヴァイオリン両翼配置で演奏されると、当然、話は異なってくるというものではあるまいか?
残念至極という感想を覚えたのは、盤友人だけであったのだろうか?