千曲盤来余話その82「話の仕方、もって行き方の注意」

一年間は、365日、閏年うるうどしは366日とされている。
何気なく、そのように覚えているのだけれど、なぜ、360日ではないのか?そこのところ考えてみるに、ミステリーが潜んでいるようだ。5~6日という日数、数字の遊びがあると言える。ベートーヴェンの話を、今は、するまい。そこには人の世の、不思議が隠されているのだから。
先日の、右チャンネル不具合解決の話には、続きがある。
どうも、こちらの出力が不足している聞こえ方であり、気になって仕方がなかった。
そういえば、V69というパワーアンプの整流管の交換があって、そのせいなのかなあと気になった。差し替えてみると分かる。
結果は、変わりなかったのだ。二、三日してフォノイコライザーの四本の差込を確かめてみたところ、右チャンネルのX7の差込が不十分であったことが、分かった。2~3ミリほど浮いていたのだった。今まで、気がつかないでいなかったのだった。
問題は解決された。聴感上のバランスは向上した。色々な不具合が解決されてきて、たとえば、クリフォード・カーゾンの弾いたシューベルトの楽興の時、イギリス・デッカ盤の音など一層のインパクトを発揮して、左手の低音域の音は、伸びやかな響きが確保された。
多数のピアニストの録音とは、異なった音色であって、ウィーン製のベーゼンドルファーであろうことが、瞭然である。クレジットはされていないので、そのように聞こえるという書き方が正しいのであろう。
シフ・アンドラーシュのシューベルト、即興曲集のハンガリー・フンガロトンのディスクをクリケットレコードで買い求めた。
これもまた、ベーゼンドルファーの響きに聞こえる。
実に、実に愉快である。多数のレコードとは、聞こえ方の異なる音色が再生されて、すこぶる気分が良くなったのである。問題の解決がいかに大事なことなのか、身をもって体験したのだった。