千曲盤来余話その93「人間性豊かなルドルフ・ケンペの至芸」

彼が、いかなる政治活動経歴を有していたか不明であっても、その芸術の価値が左右されるわけではない。ただ、ナチスに抵抗する立場であったという話は、伝えられている。
芸術活動の経歴の出発は、ライプツィッヒ・ゲバントハウスオーケストラ、オーボエ奏者としての音楽家であった。
1910.6/14ニーダー・ボイリッツ~1976.5/12ミュンヘン
ザクセン州立歌劇場オーケストラ音楽監督50~52、バイエルン州立歌劇場54~56、ウィーン51年出演、コベントガーデン53年出演、バイロイト60~67年登場などと、オペラ経験が豊富である。
1957年6月27.28日、指揮者ルドルフ・ケンペは、ヤーコブ・ギンペルを独奏者に迎えて、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベートーヴェン、ピアノ協奏曲第五番皇帝のレコーディングを残している。
針をおろして、最初、独奏ピアノの音色にあれっと、惹きつけられるものがあった。
玲瓏として、香り高い音色である。いつもの聞き慣れている音色とは明らかに違いがあった。
いつも聞き慣れている楽器の音色とは、スタインウエイのものである。それとは、少し異なっているというのは、ベヒシュタインの音色であろうか?
独奏ピアノの重厚な音色とともに、オーケストラの織りなす低音域の、音圧の高い響きは、
聴きものである。こういうレコードには、めったに出会えるものではない。
だいいち、オーケストラといえども当時のメンバーは、ずっと、継続するわけではない。
たとえば、フルート首席奏者であったオーレル・ニコレにしても、1950年9月から、59年8月までの在団である。だから、各奏者にしても、一期一会の音楽家集団であり、それとしての音楽なのである。人間性豊かな音楽は、ケンペの至芸である。