千曲盤来余話その94「朝まで闘論のこと。」

左スピーカーからは、第一ヴァイオリン、右スピーカーから第二Vnが聞こえてくるのは、作曲家の意匠デザインなのではないか?盤友人の主張するところである。
一方の意見は、ホールで聴くのはモノーラル状態ではないか?だから、それだけだということはないよとのことである。
盤友人の提案としては、指揮者がオーケストラを演奏させるとき誰に聴かせるのか?という前提にすぎない。それは、作曲者に対してであるはずだと申し上げたいのである。
しかし一方の考え方は、ホールにいる聴衆全体が対象であるという前提に立っている。
ここで、指摘しておきたいことは、聴衆というのは全体を指すことであって、聴き手は、一人の人間であるはずだ。そうするとステージの左袖、右袖という配置がステレオ録音の場合、従来のヴァイオリンとコントラバスという対称性は、おかしいと言えるのではないのか?ということである。クーベリック指揮する幻想交響曲1981年録音のCDを聴く。
閑話休題。おとのへり、音の縁という本の題名を作曲家、武満徹は書いていた。
コントラバスには、その縁へりがあって、第一ヴァイオリンの音がその内にあると、倍音の楽しみが倍増すると考えられる。そのコントラバスは、ステージのどちら側に存在したらベターといえるだろうか?
オールド・ジャーマンスタイル、1940年代のベルリン・フィルの演奏写真を見ると、指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラー左手側にコントラバス、チェロそして第一Vn
が、配置されている。右手側には、アルトと第二Vnの姿が見える。
ヴァイオリンを両袖に展開すると演奏する難易度のハードルは高くなるが、緊張感は倍加して面白味は、いわずもがなである。ベートーヴェンを愛する指揮者には・・・・・
舞台下手側にコントラバス、上手側に第二ヴァイオリンを配置したとき、開放弦はピアノの鍵盤のごとくに、左手で下の低音から、右手で上の高音へとなめらかに配列されて完成。第一Vnは、特別な配列であって、その配置は魔法マジックであると言っておこう。