千曲盤来余話その96「人の歌声、テノール歌手ビョルリンクの至芸」

人の歌声で、身近な例は、お寺さんのお経ではないだろうか?いやいや、教会で歌う聖歌ですよという人もいらっしやるだろうし、祝詞で、かみながら、かみながらの唱いもあると言える。
すべてに、共通するのは、マイクロフォンを使用しない人の歌声である。
カラオケの世界と一線を画するのは、拡声器を通さない人声の世界である。
西洋では、グレゴリオ聖歌グレゴリアンチャアントが芸術音楽の泉であった。
日本では、声明しょうみょうや、能の地謡いなどがあげられる。
いずれにしろ、器械と無縁の人の声、芸術の世界が繰り広げられることになる。
テノールというのは、音の高さで言うと、高い声、甲高い声の歌手のことである。
蓄音機のSP録音の世界で伝説的な歌手が居た、エンリコ・カルーソー。
まるで、バリトンともいえる人の低い声、太い声でありながらそのまま、キーの高いところまで声を張り上げることができる、身も心も揺さぶられる歌声である。
1907年2月2日スウエーデン、ストラ トゥーナに生まれた三男坊のユッシ・ビョルリンクは、音楽一家の中に育ち、1935年にはウィーン登場を果たしている。
ヴィクトール・デ・サバータの指揮で、国立歌劇場の演目、ヴェルディ作曲アイーダ主役ともいえるラダメスの役である。スウエーデン人でありながら、イタリアオペラで輝かしい成果を上げている。1937年には、コヴェントガーデンなどロンドン、1938年秋には、メトロポリタン歌劇場でのアメリカデビュウという着実な経歴を積み重ねている。その後、約20年余りの活躍を記録している。アメリカでは、華麗なキャリアを誇っている。
彼の歌声は、輝かしくて、劇的だ。プッチーニの詠唱アリアのメロディーは、ドラマに相応しく、聴く人の魂に訴える、底知れないエネルギーを感じさせる。
惜しむらくは、彼の人生が世界大戦の歴史と平行していたことである。
いや、だからこそ、人の真実を歌声で記録できたのかも知れない。1960年9月9日、ニューヨーク公演を最後に、長いとは言えない人生の幕を閉じている。