千曲盤来余話その98「シューマンを弾く、イェルク・デームスとグレン・グールド」

ローベルト・シューマン1810.6.8ツヴィカウ~1856.7.29エンデニヒは、作品47でピアノ四重奏クアルテット、変ホ長調を作曲している。作品44は、五重奏曲。
第一楽章の前奏に表れるメロディー旋律は、どこかシベリウス、フィンランディアの第二主部、コラールに似ている。似ているだけで、どうというわけでもない。
第二楽章は、軽快な音楽。第三楽章はアンダンテ・カンタービレ、歩くようなゆったりとしたテンポで唱うように、チェロが朗々と旋律を奏でる音楽になっている。ここまで来ると、楽器の配置が気になってくる。
イェルク・デームスがピアノを弾くバリリ四重奏団員1956年頃録音、LPレコードは、米ウエストミンスター盤モノーラル録音。1968年5月、グレン・グールドは、ジュリアード弦楽四重奏団員とステレオ録音を残している。そこでは左右の音の広がり感が定位プレゼンスされている。
すなわち、左側にヴァイオリンが聞こえると同時に、右側にチェロの演奏が聞こえる具合になっている。ピアノは中央の奥に定位する。定位というのは、そこに存在するごとく聞こえるというほどの意味だ。
ここで、盤友人は、疑問を呈する。チェロの主旋律は、どのように聞こえるのが作曲者の世界になるのか?ということだ。
チェロ、f字孔の感じを聞き取れるのが理想である。すなわち、正面に位置して、聴衆、オーディエンスと正対するのがベストでそれは、ヴァイオリンの奥に位置すると実現する。
であるから、ヴァイオリン、チェロ、アルト、ピアノというあんばいでの配置はどうであろうか?
常識と対立する観念は、ピアニストが、背中で聴くごとく弦楽部ストリングスと合奏することである。予想に反して、ピアニストのアイコンタクトは、自由であり、優先して配置を尊重する方が良いのではないか?モノーラル録音を聴いて、ステレオの理想感覚を思案するのは愉快この上ないことである。