千曲盤来余話その100「チェロを愛するということ」

室内楽では、チェロが大事な位置を占めるといえる。
1792年、ウィーン以前にボンで修学していたベートーヴェンは、ハイドンに出会っている。ヴァイオリン、ヴィオラ=アルト、チェロ、弦楽三重奏トリオ作品番号3を作曲した。第1番は、変ホ長調で書かれている。第一楽章、アレグロ・コン・ブリオ、こころよい速さで、勇気をもって。第二楽章、アンダンテ、歩くような速さで、ここの音楽チェロの旋律メロディーに耳を傾けると、タッタッタッターというラインが聞き取れて、ここに、第5交響曲の動機、タタタターという姿を、すでに先取りしていることが感じ取れる。
ヴァイオリンと、アルトの掛け合いに、チェロが合いの手を入れる音楽の聞こえ方は、どのような楽器配置が効果的なのであろうか?
テーマの受け渡しが、ヴァイオリン、アルト、チェロと進むとき、時計と逆回りで移ると演奏者の音楽は、すっと入ってくる。
ここで、一番大事なことは、チェロがオーディエンス聴衆に正対することである。
話の前提として、作曲者は楽譜を残しているのだけれど、楽器の配置を指定しているわけではないということである。すなわち、条件として、楽器配置に一つしかないのではない。
あくまでも、音楽として効果的な配置はどうか?効果的な聞こえ方の配置はどれかということなのである。
作曲者は、当然、理想的な聞こえ方のイメージをもって、作曲しているはずである。
ここのところ、唯一、絶対という議論ではなくて、効果的、理想的配置は、どうなのかというまでである。
だから、どれでも良いというのではなく、理想の追究ということなのである。
チェロという楽器は、音量が大きく、コントロールするのが技術であるのだけれど、正確な音程、軽快なリズム感など、メリット利点を生かすのも、楽器がステージ上で聴衆に対して真向かいに位置するのがベスト、理想なのではないのだろうか?