千曲盤来余話その101「指揮者の仕事、楽譜から音楽へ」

指揮者の仕事に、どういうものがあるのか?
音楽の演奏において、アンサンブル合奏では、大勢の演奏者がいるために、テンポ速度感、ダイナミックス音量調節、そしてアインザッツ、音の入りを合わせたり、フレーズといって、楽譜の読み込みによる句読点の感覚の合わせ、などなど、微妙な作業が指揮者に要請されている。
常識的に言って、音楽の演奏行為に注目されがちである。
それ以前には、楽譜の選択、楽器の配置、演奏会の曲目構成、全体構想といった、前提になる問題があるということだ。
そもそも、音楽を味わうという、的を射ることを忘れてはならない。
そのために・・・・・
たとえば、東京のオーケストラが札幌のコンサートホールでの演奏会で、ベートーヴェンの交響曲第5番運命をとりあげたとしよう。
その交響楽団は、昭和10年にSP録音していて、第一楽章501小節の楽譜を採用している。ところが、最近の演奏会では、389小節目に全休止のある楽譜を使用しているために、502小節楽譜の音楽を演奏することになっている。
このことを、どのように考えたら良いのであろうか?
盤友人が持つ問題意識は、愛するベートーヴェンの音楽の実現にある。あの全休止は作曲者の意図する音楽ではないという指摘である。すなわち、現在、流布している楽譜は、無意味な間、間違いの間があるという問題意識である。
123、124小節に注目すると、二小節連続して、全休止符になる間=ま、である。
音楽上の間は、大事であるという一般論について、否定する理由はない。
389小節目に休止符のない楽譜は、存在している。すなわち、その間は、唯一絶対の選択肢ではないということである。そこのところを、問題提起している。
NHK交響楽団の前身は、新交響楽団で、山田耕筰指揮した録音に、かの全休止はない。