千曲盤来余話その111「あだ名の由来、たとえば運命」

ベートーヴェンは、1808年12月22日、作品発表の大演奏会で交響曲を二曲同時に発表している。第一部で田園生活の想い出と題する第五交響曲と、第二部では、大交響曲ハ短調第六番を公開演奏会という形であった。結果は、ウィーンの市民が冷たい反応であったと言われている。
楽譜が出版されると、第五番ハ短調、第六番ヘ長調田園パストラールという具合になっている。田園は、作曲者による題名であり、運命というあだ名は、作曲者が運命は、かく扉を叩くと伝記作者シントラーに語ったことによる。
ンタタタ、ター、ンタタタ、ターという音楽が、こぶしを振り上げて宙を叩くことによる。
この音楽が、厳密な作曲により、第一楽章は、501小節で書かれている。なぜ、500小節プラス1で完全なのかというと、最初の小節は、始めが休止符だからである。501小節目の一音で500小節完全になる。
さらにいうと、提示部124小節でリピート繰り返しをすると、625小節の音楽になる。これは、5×5×5×5という完全な数字である。
ところが、現在、流布している楽譜の389小節には、原作にはない一小節分の全休止が書かれているために、指揮者達、オーケストラプレーヤーたちは、そこに、全休止を加えていることになっている。
なにごともないかのように、音楽は進められているのだけれども、演奏者達はしたり顔で済ませている。それは、何を意味しているのかというと、作曲者の努力のネグレクト無視である。
その原譜が有るのか?という疑問には、ニキッシュ指揮したペルリン・フィルの録音がある。高弟の山田耕筰指揮した新交響楽団によるものにも、かの全休止はないことで明らか。
あの全休止を演奏するのは、ベートーヴェンの音楽に対して、滑稽な感じがするのだ。
あの全休止のない音楽を待望している。運命はいかに・・・・・