千曲盤来余話その115「オーディオ現代論、そして笑顔になる」

オーディオとは、何か?
ずいぶん大雑把な疑問であり、どの人にも、あてはまる思いではなかろうか?
いろいろな答えがあり、その上なおかつ、いつの時にも思い当たる疑問ではある。
ある人は、オーディオとは人なり、と言われた。その人のオーディオを耳にすると人となりが、わかるというのである。その人が、どんな人生を歩いてきたのか?透けて見える。
お金が、からむ。たとえば、オイロダインは、車一台分のお金がかかるのだが、お金を持っている人は、誰でもそのスピーカーを所有しているのであろうか?
答えは、簡単である。否、ということだ。
お金を持っていることと、あれを持っていることと、同じではない。
それでは、持っていることは、幸福なのであろうか?
否、である。スピーカーを求めていながら、音楽を求めているからである。
スピーカーを所有することと、ダイヤモンドを持つことは、お金を使うことで、同じことのように思われる。それでは、スピーカーとダイヤモンドは、同じなのであろうか?
大枚をはたくことで、同じことでありながら、決定的に、音楽の追求するかどうかという違いがあるのである。
音楽とは何か?それは、人生である。人の命であり、糧であり、道である。
いい爺ちゃんで、アルテック所有者なおかつ、ヤマハ、オートバイでかっ飛ばす人生を愉しんでいる。彼にとって、スピーカーを愛するがごとく、オートバイは趣味で、生き甲斐である。笑顔が素敵だ。笑顔を見せる彼の人生は、しあわせなのだと感じた。
オーディオの目的は、音楽にあるということを、忘れてはならない。
記録された音楽を再生して、初めて、命が宿る。
オーディオとは、音ではなく、音楽なのである。