千曲盤来余話その122「律動、リズムのよく似ている話」

昔、学校で習った知識の一つに音楽の三要素がある。リズム律動、メロディー旋律、そしてハーモニー和音がそれだ。
音楽などというものを、知識から入るのは、いかにもクラシック音楽らしいのだけれど、決して、不必要なことではない。感性の世界を理性で語ることの異質性をわきまえていることが肝要である。現代音楽の世界で三要素とは、音程、音量、音色だったであろうか?それはさておきリズムというものは、音の強弱により、感じられる。単に、強い弱いという認識から、旋律線の開始、緊張感の解決拍という感覚まで、柔軟な理解の仕方が大切なことである。イチ、ニッ、サンという感覚と、ニイ、サン、イチという感覚の違いに気が付くことが、音楽認識の豊かさにつながる。音の強弱と、音楽の、緊張感の関係を把握することが、大事な話だ。
ブラームスの1879年作品78、ヴァイオリンソナタ第一番ト長調には、雨の歌というニックネイムの付くことがある。同名の作品59の中、歌曲の旋律から第三楽章主題が導き出されていることによる。このテーマのリズムは、タ、タターというもので冒頭のヴァイオリンの旋律にも表れていた。
このリズム律動は、作品73の第二交響曲第一楽章の中に表れている。
タッタカ、タッタカという動機と、タッ、タター、タッ、タターという動機の相克の中から、クライマックスが築き上げられる。
そのとき、複数の楽器ホルンなどがタッ、タターという中で同時にトランペットだけがタッ、タカターという音楽の楽譜が多数派で、録音されている。
ところが、トランペットだけ、タッタカターという楽譜は、音楽上おかしいのである。
他の楽器の音楽をかき消してしまうことになることに気が付くと、タッ、タターと吹奏することが作曲者の意向なのではあるまいか?ラファエル・クーベリク指揮バイエルン放送響、オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィル、ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送響らの少数派の演奏に音楽は、そのように記録されている。