千曲盤来余話その125「真夏に聴く、ベトちゃんの第九」

立秋の前日までに土用の丑の日が、今年は二回有るという。札幌も気温摂氏29度くらいで、蒸し暑い。太平洋の高気圧が張り出しているようだ。ウナギの脂身もDHAとか体に良い食材なのだそうだ。今夜の食卓にはウナギの蒲焼きが予定されている。
そんなコンディションの中で、ベートーヴェンの第九交響曲を聴く。
オットー・クレンペラー指揮するフィルハーモニア・オーケストラオブ・ロンドン。
バリトン独唱は、ハンス・ホッター。1957年10月録音による。若々しい歌声を聴くことができる。第二楽章を聴いて、あのティンパニーの連打は、何を表しているのか?
盤友人は、1808年頃のウィーン郊外を想像してしまった。
ナポレオン軍大砲乱れ撃ちの様子、聴覚障害が進行する以前のB氏の記憶ではないか?
だいたい、歓喜の歌と言われる第四楽章、音楽評論家吉田秀和氏は、あれは、歓びの歌ではない、歓びよ来い来いという心の叫びの歌ではないか?と語っておられた。
けだし、名言だ。人は、幸福の時、音楽を必要とはしない。そうでない時にそれを求めるのが音楽である。ホッターの歌声には、信実がこもっている。
この録音のひと月前にはホルン首席奏者デニス・ブレインの交通事故死を経験している。
この悲劇的な暗い空気にあらがうかのような、緊張感に満ちた彼らのアンサンブルが、録音されている。一人の天才的なオーケストラプレーヤーは、その死にもかかわらず、影響を与えている。
星空の彼方には、父なる神が、居ませ給う。大自然の中に帰天した聖霊、ベートーヴェンの父、デニス・ブレインの魂ばかりではなく、全ての聖者の御霊が響き合う。
70分余りの交響曲の中に、音楽の歓びは、味わわれるのだ。お仕舞いのトライアングル乱れ打ちは、神がみの火花を連想させる。