千曲盤来余話その128「のような、或いは、らしいという話」

昔、アイザック・スターンのレコードを聴いたとき、使用しているのはストラディヴァリというヴァイオリンの話を聞かされた経験がある。
最近、聴き直しているうちに、違うのではないか、グゥルネリウスではないかという感じがし始めた。事実は、グァルネリとのことである。
ストラディヴァリというと、アルテュール・グリュミオーの使用しているものはそうであると聴いている。それが、基準になっている。
サルヴァトーレ・アッカルドも、札幌旧市民会館でのリサイタルのとき、ストラディヴァリウス、セヴンティーン、トゥエンティー1720年のものと言っていた。
ジャック・ティボーのものも伝説である。
ウォルフガング・シュナイダーハン、アルヒーフLPレコードの添付されたカードには1704年製のもの、リービヒストラドとある。
ヤッシヤ・ハイフェッツ、ヘンリク・シェリングらは、グゥアルネリ、ストラディヴァリなど二刀流らしい。ユーディ・メニューヒンもそのようである。
クライスラー、シゲティらのレコードを聴いていると、音色はグゥアルネリウスのもののようである。
ナタン・ミルシュタインはストラディヴァリ、ルッジェーロ・リッチはグゥアルネリなど、色々である。
ハンガリー弦楽四重奏団の名盤、ベートーヴェン弦楽四重奏曲全集、モノーラル時代、ステレオ期のものと複数あり、ライナーノーツによると、第一Vnゾルタン・セーケイのものは、1718年製ストラディヴァリウス、ミケランジェロ。第二Vnミヒャエル・カットナーのものは1704年製グゥアルネリウス、サンタ・テレージアとある。
1966年にリリースされた全集を耳にするとき、左スピーカーからは、ストラディヴァリとグァルネリの二大名器の音色が愉しむことができるという次第である。