千曲盤来余話その129「真贋の判定は、目で見て分かる」

平成26年5月、芸術の森美術館で、篠山紀信の世界を見聞したときのこと。
その中の一葉、三島由紀夫の姿で日本刀の一振りが目に付いた。模擬刀であった。
刀身の文様のディテール細部を目にして、即断できた。何も無かったからである。
ロンドンのヴァイオリン鑑定家にベアマンという人がいる。彼はストラッドか、グァルネリかの見極め、音を聴いてするのではない。目で糸巻きを見て、裏板の文様を目にして判別するという。先日、ヒューズの差込み方を、話題にして面白かった。
社長さんに、こう質問をした。250Vの数字が見える方を頭にするの?
そうだよ・・・・・じゃキャップをかぶせるほうが頭なの?
さしこむとき、見える方だよ!・・・・・それでは、差し込む手前が頭になるの?
傍らにいた人は言った、いやあ要するに音が良い方が、いいんだよ!
彼は、面白そうに話を回したのだけれど、事実は闇の中のママである。
後になって、社長は言った。ヒューズボックスの奥がホットなの!そこに250Vの数字が当たれば良いのよ!ここまで、話をさせるの?とこうきた。
良い音かどうか、耳で判断するのは、そのとおりなのではあるけれど、ものの道理というものを知りたかった。話を、良い音かどうかとの判断を下す手前で知りたかったのに、聴いたら分かるでしょうは、ないでしょう!社長の説明を聞いて初めて、納得がいった。
閑話休題、バッハの無伴奏ヴァイオリン組曲でヨハンナ・マルツィの演奏と、ヨゼフ・シゲティのものは、どうなの?と問われた。
マルツィとシゲティを比較したいのらしいけれど、それは、無茶というもの。
マルツィの良さは、コロンビア33CXでもって分かるのであって、シゲティの滋味豊富な演奏内容は、それまた、別の話である。
音楽の評価、それはそれで別の話、味わいの違いは、両者を愉しむことにつきる!