千曲盤来余話その133「指揮者は、独裁者か?音楽家なのか?」

オーケストラ指揮者というと、アルトゥーロ・トスカニーニ、ウィルヘルム・フルトヴェングラーのビッグネイムが思い浮かぶ。
トスカニーニは、イタリア出身でアメリカのNBC交響楽団の音楽監督だった。
フルトヴェングラーは、ハイデルベルク生まれでベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者だったし、ウィーン・フィルハーモニーとも密接な関係を築いていた。
彼の1926年SP録音、運命を耳にするとその音楽スタイルは、トスカニーニと極めて類似していたことに驚く。トスカニーニは、終生変わらずそのスタイルで、い続けていたのに対して、彼F氏は、フルトヴェングラー独自の音楽スタイルに変貌を遂げている。指揮ぶりを目の当たりにして、そのように思わされる。
1950年代後半ベルリン楽壇で活躍したハンガリー出身のフェレンツ・フリッチャイという指揮者がいる。1914年8月9日ブダペスト生まれ、1963年2月20日スイス、バーゼルで療養半ばにして逝去、白血病だったといわれている。
1957年12月8日からのセッションでベートーヴェン交響曲第9番ニ短調合唱付きが録音されている。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、イルムガルト・ゼーフリート、モーリン・フォレスター、エルンスト・ヘフリガー、バリトン独唱には、ディートリッヒ・フィッシャー=ディスカウ彼この曲唯一のレコード演奏録音である。
当時、フリッチャイは、モーツァルトの歌劇ドンジョヴァンニなどを指揮して、フルトヴェングラーの再来とまで言われていたという。
彼は、指揮者とは、独裁者ではなく、オーケストラを真の友人として、作品に導いていかなければならないと考えていて、演奏活動を記録していた。
1952年からクララ・ハスキルと出会い、彼女と1957年5月まで録音経歴を記録している。特に1955年9月モーツァルトの19番ピアノ協奏曲ヘ長調K459は、開始フルートの音色と共に、忘れがたい名録音である。