千曲盤来余話その136「考えると思う、その違いについての考察」

よく口にする、と思うよ、それと、と考える、にはかなり違いがある。
考えるの方は、知的な、行為すなわち思いを巡らす働きをさしている。一方の思うは、心に思いを浮かべる行為をさしている。だから、コーヒーを飲んで美味しいというのは、思う方で、その豆はケニヤか、マンデリンかという品定めは、考える方である。
それほどの違いに思いが至ったとき、電源部のトランスを敷いている板を取り除いた音、その変化に驚いていた。ところがオーケストラのレコードを鳴らしたとき、砂を噛むようなうすら寒さを覚えたのだった。
そこで、思い切って、碁盤の厚いものを敷いてみたら、その違いに、仰天したのだった。
木管楽器の合奏部分で、オーボエ、クラリネット、フルートまで止まりの印象だったのが、ファゴットという低音の旋律線に手応えが感じられたのである。
1957年9月2日から、ベルリン・フィルハーモニーは、指揮者にルドルフ・ケンペを頂いて、ドボルジャーク、交響曲新世界からを録音している。厳しい演奏で、ニコリともしない指揮者の表情を思い浮かべられる緻密で豪壮な印象を受ける。
第一と第二ヴァイオリンが左スピーカーから、中央には第三楽章でトライアングルの涼しげな音が定位する。右スピーカーからは、チェロやコントラバスそしてティンパニーが聞こえてくる。
全体として、前面に弦楽器のアンサンブル、その奥にはトランペット、トロンボーンの重厚な合奏が燦然と姿を現す。
その頃の録音セッションでは、ユーディー・メニューインの独奏を迎えて、ブラームスの協奏曲ニ長調作品77、哀しくなるほど美しい演奏が繰り広げられている。
考えてみるに、その9月1日早朝のカークラッシュ、デニス・ブレイン悲劇の知らせがベルリンにも届いていただろうことに思い至るのである。
LPレコードではその衝撃を受け止めた音楽を鑑賞することができる。