千曲盤来余話その142「シューマン、ピアノ独奏曲のオーディオ的探求」

平成27年9月、ということは今年もすでに、三分の二が過ぎゆき月日は流れ去る。オーディオでどれほどの実りを収穫できたのだろうか?
コンセントプラグ、一度抜いてその金属部分を一万番のフィルムペーパー紙やすりで磨いた。
電源トランス、アンプのヒューズの差込で、頭の方をホットにそろえたし、コードの方向性で、クレジットを読む方向にそろえて、ホットとコールド側を定めた。さらに、敷いている板を厚い物に変更した。
ピアノの独奏曲で、シューマンのものにチャレンジ。
アルフレッド・コルトーで交響的練習曲作品13、クララ・ハスキルの弾く森の情景作品82、ワルター・ギーゼキング演奏するクライスレリアーナ作品15、そしてイーヴ・ナットの幻想曲は長調作品17。
コルトーのレコードを再生すると、シューマンが、いかにロマン派の旗手であったかを知らされる。
ハスキルのものは、幸福感いっぱいである。ギーゼキングの演奏には、ピアノ曲の演奏の極みが記録されている。
イーヴ・ナットの1950年頃EMI録音のもの、結構、ミスタッチがちらほら、ペダル踏み込むときの動作音がガタゴト記録されていて、ということは生々しい感じがする。
敷いていた物を分厚いのに変更して、中低音の余韻音圧デシベルが向上した。ピアノの音響が豊かになり、聴き易いものになってきた。
モーツァルトは古典的音楽で、ベートーヴェンのピアノソナタは、古典派からロマン派へと推移が見られる。
リストやシューベルトの音楽は、古典的形式から離れてロマン的フォームを形成していたし、メンデルスゾーンの無言歌集など、そのネイミングは、象徴的である。シューマンのその世界は、形式を超えて、芸術の爛熟を感じさせる。それは、作曲する上での感情表出と演奏技術追求の幸福な結実である。
モノーラル・カートリッジの性能により、ピアノ音楽を再生することの意味が、豊富なパレットに繰り広げられる。