千曲盤来余話その143「フルトヴェングラー、ベルリン・フィルとの交響曲第七番演奏比較」

この時期には台風による大きな被害のニュースに接する。今年は18号によった茨城常総で鬼怒川氾濫の報道があり、被災された方々に心よりお見舞申し上げます。
ウィルヘルム・フルトヴェングラー1886年1月25日ベルリン生まれ、洗礼名グスタフ・ハインリヒ・エルネスト・マルティン・ヴィルヘルム。母アーデルハイト、父アドルフの長男として誕生。1954年11月30日に、バーデンバーデンで、気管支肺炎により帰天。葬儀は、ハイデルベルグ聖霊教会で執り行われている。
彼の演奏記録から、メロディア盤1943年10月31日、セヴンシーズ盤1953年4月14日、ライヴ二種類ベルリン・フィルハーモニーの演奏を聴いて比較した。前者は大戦時下の旧フィルハーモニーザールで実況録音。後者は戦後8年目のティタニア・パラストでのライヴ演奏録音。
始めに53年録音を聴いて、その後に43年盤を聴いた。両者モノーラル録音。デッドな響きの53年盤の後だと43年盤には、残響ホールトーンの豊かさがあり圧倒される。ベートーヴェンの交響曲第七番イ長調作品92は、1813年12月ウィーンで作曲者自身の指揮により初演されている。
両者ベルリン・フィルハーモニーによる演奏でありながら、印象はかなり異なる。開始冒頭の一撃和音は、きわめて緊張感をもたらすが、すぐその後のオーボエ独奏は、すでに両者の相違が明らかだ。43年盤にヴィブラートは無くて、後者にはそれがある。首席フルート奏者、その音色から53年盤はオーレル・ニコレのものと推察されるが、43年盤のフルートには、ヴィブラートが懸かっていない。木管楽器の合奏において、ヴィブラートの有る無しが、聴く印象にかなりの違いをもたらしている。弦楽器の合奏は、ヴァイオリン群と、コントラバスのかねあいが43年盤はより緊密であり、第二楽章でチェロの斉奏ユニゾンの歌い回しは、たっぷりとしていて、印象的だ。第一と第二ヴァイオリンのかけあいも、説得力がある。第三楽章、中間部のアッサイ・メノ・プレストを、フルトヴェングラーは自信をもってテンポダウンしている。アッサイは、充分にでメノは、より少なくというイタリア語。プレストは、急速にということからして解釈は、アッサイという感覚をどちらにするかで、テンポスローダウンの程度が問われる。終楽章のクライマックスで、43年盤の低音部とヴァイオリンのすきまがないのは、楽器配置の違いによるものだろう。指揮者の左手側にチェロと、コントラバスが配置されると、舞台両袖ヴァイオリン演奏の緊張感はジャストオンビートのために、絶大であるということだ。B氏も多分ニコリとしていよう。