千曲万来余話その197「シューベルト、即興曲集を弾く女性と男性ピアニストによる違いは?」

リリー・クラウス1908.4.3ブダペスト生まれ~1986.11.6アッシュビル没
女性ピアニストとしても大家の存在、1967年頃シューベルトの即興曲集D899とD935を録音している。たっぷりと楽器、スタインウエイを鳴らして、押し出しの強い演奏を披露している。くまどりもはっきりした旋律線メロディーで歌い、強弱のダイナミックスにも過不足はない。屈託が無く素朴で立派なシューベルト作品に仕上がっている。
第一番ハ短調は、奥深い音楽。多彩な表現が可能な音楽であり、他のディスク、男性ピアニストによるものを聴いてみた。
アルフレッド・ブレンデル1931.1.5チェコスロバキア、モラヴィア、ヴィーゼンベルグ生まれで、すでに引退している。1974年頃、フィリップス録音。開始の和音フォルテの余韻のあと、旋律は夢見るような、ためらいに満ちた節回し、ああ、もうこれはロマンティクな音楽以外のなにものでもない!
ここで、女性と男性の違いについて一言。
フランツ・シューベルトは、1797年生まれで1828年には亡くなってしまったウィーンの青年音楽家。
結婚生活も経験していない、ということは、彼の音楽には永遠に憧れる世界を夢見た青年の精神世界であるということだ。これは、忘れてはならない事実である。
音楽は、感性の世界であり、理屈ではないからこそ、そこのところ、気をつかうところである。
たとえば、ピアノのメロディー旋律一つにしても、ためらい、思いをこめる、表現の機微が発生する。
ところが、不思議なことに、モーツァルトのピアノ作品では、求められない世界なのである。
それは、作曲者の時代の違いにほかならない。M氏は古典派、S氏はロマン派の世界である。
シューベルトは、ベートーヴェンの後ろ姿を見ていた時代ではあるけれど、B氏自体、音楽はロマン派の扉を開いていたと言える。その違いは、表現様式、作曲者の感性表現の度合いだ。
作曲家になぜ、女性が少数なのか?それは恋愛感情を表現する側がどちらなのか?という違いによる。
たとえば、女性は、恋の告白を受ける感性であるのに対して、シューベルトは、告白する側、すなわち、思いのたけを伝える不安の存在である。結婚を成し遂げた男性も経験している不安であり、女性には分からない、経験のない、多分ではあるけれど、ロマンチックな精神が音楽そのものなのだからである。
ピアノの演奏にしても、女性ピアニストの表現と、男性による表現の深み表現の相違は、手のひらと手の甲を見るほどの違いである。ぢっと見る手は、いったいどちらなのか、考えてみるのも一興というものだ。