千曲万来余話その216「フリッツ・クライスラー1910年録音名演集」

良い音とは何か?オーディオの道を歩いていて、追い求める果てしない課題である。
1910年の78回転アコースティックSP録音の復刻LPレコードを聴いた。 ザ・ストラッドという英国製レコード。モノーラル録音でも、心わくわくさせられる演奏で、思いを巡らせた。 ノイズ、サーフェイスといって、SP録音にはつきもののノイズが盛大である。ところがその印象を上回る楽器の鳴りが再生されるのだ。
演奏自体、ヴィヴラートが大きく、現代のスチール弦とは、截然と異なっている。クライスラー、35歳の吹き込みであり、生命力抜群の演奏に仕上がっている。
スメタナ、ボヘミアン幻想曲、クライスラー自作のウィーン奇想曲、愛の喜び、そしてマスネー、タイスの瞑想曲などなど、名曲が立て続けに録音されている。 どこに、聴き手を惹きつける力があるのか?それは、大きな疑問である。良い音だからなのであろう。その良い音とは何なのか。 ピアノの伴奏自体、楽器が良く鳴っていて心地よい。ヴァイオリンは、よく伸びる高音域はさりながら、低音にいたって、ボデイのズーンという響きがたまらない魅力である。
ここまで述べてくるとお分かりかと思うことは、最初、耳にしたサーフェイスノイズは、気にならなく感じられることになるのだ。すなわち、魅力的な演奏が、ノイズの印象を薄めることになる。 ノイズ自体が、柔らかい程度で、耳は楽器の鳴りに注意が向けられるということだろう。 注意すべきは、ノイズから楽器の鳴り方に向けられて、ヴィヴラートの心地よさ、ゆったりとしたテンポという崇高な演奏の高みに導かれて、音楽を充分に愉しめる復刻LPレコードということだ。
クライスラーの使用楽器は、グァルネリウスといわれている。その音色、演奏の質、楽器の響き、すなわち良い音とは、ノイズが無い音の事ではない、という証明である。 こういう良い音楽で最良の再生を求めるこそ、オーディオの醍醐味といわずしてなんであろう。 100年以前の録音でありながら、不滅の音楽、そこに宿る生命の再生儀式がオーディオである。