千曲万来余話その218「嬉遊曲第17番ニ長調K334、モノーラル録音でウィーンの名演奏」

1950年代のモノーラル録音で、ウィーンコンツェルトハウスの楽員による嬉遊曲ディヴェルティメントニ長調K334には名演奏がある。
ステレオ録音演奏とは別テイクで、ひと味違っている。 ウエストミンスター盤でコレクターシリーズのレコード。オレンジ色のジャケット。
人生は、迷いであると103歳の女性書家が104歳の医師に語っているTV番組を視聴した。
平成28年、2016年4月14日、午後9時26分頃九州熊本地方を震度7の大地震が襲った。 被災された皆様に、お見舞申し上げます。
変な話ではあるが、我が身に起こっていたら・・・と考えると、天変地異の恐ろしさを肝に銘じる。 オーディオの愉悦を、語っている場合ではあるまいが・・・そんなときに、モーツァルトの音楽を聴く。
生きているって、素晴らしい。M氏の音楽を聴けるのは、仕合わせである。特に、モノーラル録音レコードを聴いていて感じる悦びは、格別。 音楽を真正面から、鑑賞できる悦びだからである。
真空管のパワーアンプ、フォノイコライザー、音蔵プリアンプを使用してモノーラルカートリッジと、倍率のマッチした昇圧トランスを入手して、世界が広がって奥行きが出てきた。 トランジスターアンプ、ステレオカートリッジを使用していては、かなわない世界である。 これでよいのだろうか?という迷いはすでに、経験したあとの世界である。
コントラバスという楽器の奏でる深い味わい、フレンチホルンの朗々とした広がり、ヴァイオリンやヴィオラ=アルトの艶やかな旋律線、そして楽しげなチェロの歌い回しなどなど、これらの音楽は、演奏する側の愉悦と共に、再生して鑑賞できる悦びを体験するのだ。これこそ仕合わせを感謝して、至極である。
ここには、18世紀、ウィーンに生きたモーツァルトに連なる愉悦の証があるのであって、神の与え給う無上の喜悦でなくてなんであろう。ここで言う神とは、生命の係累そのものを指している。
それは、オーディオ究極目的の実現なのである。一つのモーツァルト体験をブログ発信としたい。