千曲万来余話その219「ジャック・ティボー、珠玉のSP復刻集を愉しむ」

オーディオ・ライフというのは、一種の贅沢に見えて、批判する人もいるし、罪悪感を感じる人、さらには、あきれて哀れむ人さえいるだろう。そこにうつつを抜かす人の気は知れない。
ところが そこにスピーカーがあるとき、さらに良い音をと求める人こそさいわいである。なぜなら、与えられる世界が広がっているからである。 すべての人が、仕合わせになるとは、限らない。音楽を求めることにこそ、原点がある。
たとえば、1925年頃の演奏は、蓄音機の世界ではあるが、LPレコードでもって、モノーラル・カートリッジ使用の場合、再生可能な世界である。 盤友人の場合、そのレコードを手にしてから10年ほど経過して、システムの発達を経験してその醍醐味を味わえる世界に、到達したようである。
サーフェイスノイズは、大きいけれど、それ以上にピアノの倍音成分、ヴァイオリンの歌い回しの妙味が、再現されるからである。 楽音のヴァランスが、ノイズを忘れさせて、音楽の世界を直接に味わうことが可能で、その芸術が花開いている。
フリッツ・クライスラー1875・2・2ウィーン~1962・1・29ニューヨーク 彼の芸術は、一面、享楽的で快楽主義、徹底的に人生肯定に聞こえるのに対して、 ジャック・ティボー1880・9・27ボルドー~1953・9・1パルスロネット近郊、アゾレス諸島にて飛行機事故客死、大正12年1923年、昭和11年1936年来日公演、昭和28年大戦後再来日の予定があった最中の出来事、彼の芸術は、芸術至上的、華麗な世界でありながら、その悲劇を予想させない、厳しさがある。
1940年5月モノーラル録音、マルグリット・ロンをピアノにして、チェロにピエール・フルニエ、アルトはモーリス・ヴィユーでフォーレ作曲、ピアノ四重奏第二番ト短調作品45という空前絶後の名演奏がある。
アンサンブルの愉悦、ここに極まれりといえよう。それぞれの音楽の対話が、聞くものを、ガブリエル・フォーレの世界に誘い込む。 SP復刻録音を愉しんだ後のモノーラル録音は、まさにユニヴァーサルの世界に聞こえる。