千曲万来余話その233「大病を克服したクララ・ハスキル」

彼女の人生は、何回かの闘病を経験して演奏活動を展開している。
その中でも1942年、マルセイユで脳腫瘍の外科手術を経験、名医に恵まれ、奇跡的な回復を遂げたと伝えられている。 演奏旅行を通して、多数の音楽家との出会いがあって彼女の芸術は花開いて、見事な記録を残している。その一人、アルテュール・グリュミオーとの二重奏が不滅のディスクとなって記録されているのは、後生の愛好家にとって、せめてもの幸いである。
1953年6月、運命的なつながりの下、彼女は、グリュミオーとベートーヴェンのソナタ第10番を共演、最高の出会いを果たしている。 指揮者フェレンツ・フリッチャイとの共演をこの頃、経験している。彼女の芸術は一段と輝きを放つ歴史を展開することになる。
1955年4月、ミラノ・スカラ座で三日間をかけて、ベートーヴェンのVnソナタ全曲演奏、グリュミオーと共演、成功を収めている。12月末には年越しして、アムステルダムで、全曲録音を完成した。 クララ・ハスキルの伝記を読んで、印象的なことは、とにかく練習、練習のたゆまぬ努力のピアニストという事実である。彼女の批評によく見られるのが、天才的な才能に恵まれた音楽家というのが多数である。確かに、それはそうであり、練習練習などと書くのは、彼女の芸術に似合わないのかも知れないのだが、盤友人にとって、ハスキルは、不断の努力する芸術家というのは、あながち的外れとは思われないのだ。 天才とは、努力する才能であり、人並みはずれた芸術の使徒、神の使いであろう伝道師といえる。
ベートーヴェンは、ヴァイオリンソナタ作品12の三曲を、ピアノパートはあたかも、彼自身の 即興演奏のように書き記している。その音楽をハスキルは、レコード再生の時間、生き生きとして演奏、記録することに成功した。
レコード自体、生の音楽とは同じではないのだけれど、その時間が音楽の喜びを体験させてくれるということで、価値がある。誤解のないように付け加えるとしたら、それは、音にではなく音楽のためにあるものと言えよう。
音楽とは、生命そのものである。