千曲万来余話その234「セゴヴィアの弾くバッハ、良い音楽とは何か?」

アンドレス・セゴヴィア1893.2.21スペイン・リナレス~1987.6.2マドリード
ギターの神様は、銘器マヌエル・ラミレス、1937年以降ヘルマン・ハウザー1世作を使いこなしたといわれている。
バッハのシャコンヌは、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第二番から、彼の編曲で、パリ初演を42歳頃に成功している。 MCA盤LPレコードでSP録音復刻を聴いた。途中二回ほど、中断がそのまま録音されていても、不自然さを感じさせることはない。 そんなことよりも、楽器胴体の鳴りが充分で、テンポが一定しているでもなく、栄養分たっぷりのギター音楽が再生される。
ここで、現在、一般に聴かれる音楽の、一定のテンポ感に対する疑問を禁じ得ない。セゴヴィアの弾く演奏は呼吸が深く、フレーズがくっきりしているので、聴いていて安心感がある。 作曲者バッハの言葉を聴いているような感覚に導かれる。 シャコンヌという舞曲は、葬送の音楽ともいわれるくらい、哀しみを湛えた音楽であって、無味乾燥な器楽曲とは、一線を画している。
このSP復刻レコードは、聴く人の心を惹きつけて止まない。この魅力、引力はレコードの力であり、アナログレコードの特色、価値であるといえる。 テンポがよれよれしているというのは悪口であり、含蓄深い演奏というのが的確である。よれよれの上辺だけ真似をすることはできても、その真価は楽器の鳴りっぷりにあるので、似て非なる音楽であることは容易に理解できるであろう。
ディジタル録音、それが登場した時期には、ジャーナリズムは一斉に新時代の幕開けをアナウンスしていたことを忘れられない。あれから30年以上経過して、冷静に批判できる時代を迎えている。 ディジタルは、どこか冷たくて、アナログは温かいという当時の感覚を笑うこと簡単であるのだが、再生音の倍音成分という言葉を体感したとき、ディジタルには無くて、アナログにはしっかりと有る世界だということを、神様セゴヴィアの弾くバッハを聴いて、うなづくことしきりである。
良い音楽とは、生活の一部であり、生命力の糧となるものではないだろうか? 今の世の中、スマホで音楽を聴くという時代に、盤友人は、レコードプレーヤーを操作する。 その儀式を経由して、音楽を鑑賞するのであり、アナログ仲間に、通用する話ではある。