千曲万来余話その249「バッハの管弦楽組曲第3番を、ケンペ、ベルリン・フィルで聴く」

ルドルフ・ケンペ1910・6・14独ニーダーボイリッツ~1976・5・12チューリッヒ 彼は1955年6月、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウが独唱したマーラー、子供の死の歌をベルリン・フィルと初めて録音している。
そのとき、ブラームス、ドイツ語によるレクイエム、交響曲第二番、シューマンの交響曲第一番などを録音、その10月モーツァルトのレクイエム、1956年4月、ワーグナー、マイスタージンガーを録音している。
1956年11月26日シューマンのマンフレッド序曲、11月27日バッハの管弦楽組曲第三番、 11月29日ブラームスのハイドン変奏曲、11月30日ワーグナーさまよえるオランダ人序曲、タンホイザー序曲、ヴェーヌスベルクのバッカナール、ジークフリートのラインの旅、12月1日~4日ブラームスの交響曲第四番1957年6月27日ヤーコブ・ギンぺル独奏ベートーヴェン、ピアノ協奏曲第五番皇帝、7月1日チャイコフスキー、ドボルザーク、スメタナの序曲などなど、 矢継ぎ早にベルリン・フィルとのレコーディングがおこなわれていたのは、興味つきない。
盤友人は、中でも、バッハの管弦楽組曲第三番、特に、第二曲アリアに深く心をうたれた。 組曲第三番ニ長調はきらびやかで壮麗な序曲、アリアと続く。このアリアの演奏は弦楽合奏による。コントラバスは、ピチカートを押さえ目に表現して、ヴァイオリンなどはヴィヴラートを極力抑制していて、しかもレガートを充分に効かせている。歌心がひしひしと伝わる希有な故人追悼の音楽に仕上がっている。ベルリン・フィル畢生の演奏で、モノーラル録音。もし、11月27日録音という情報が正確であったならば、これは、重要な意味を帯びている。
1956年11月24日、パリにある、オルリー空港で、イタリア人指揮者グィド・カンテルリが飛行機事故に遭遇し、悲劇的な死を遂げていた。36歳、将来を嘱目された存在で華やかな活躍を見せていた。トスカニーニをして、私のように指揮をするとまで言わしめていたのだった。
ルドルフ・ケンペは1956年6月にハイドン交響曲第104番ロンドンをフィルハーモニア管弦楽団とレコーディングを済ませていて、当時、カンテルリは、フィルハーモニア管弦楽団と貴重な録音を果たして密接なコンビネーションを組んでいた。ケンペのオーケストラ録音には、いくばくかヴァイオリン両翼配置を採用しているのは、その影響を考えることができる。
カンテルリは完全に、ステレオ録音でその配置をまっとうしていたからである。 カンタービレに満ち、歌心溢れる彼らの音楽は盤友人、レコート゛収集のテーマの一つでもある。