千曲万来余話その258「ショーソン、詩曲を神とまで讃えられたエネスクの演奏で聴く」

ショーソン1855~1899は、フランス、後期ロマン派の作曲家。ヴァイオリン独奏で管弦楽のものとピアノ伴奏によるものがある。1920年代にエネスクが録音している。
ジョルジュ・エネスク1881.8.19ポトシャニ、ルーマニア~1955.5.4パリ、仏 4歳でヴァイオリンを始め、5歳には作曲を学んでいる。7歳でウィーン音楽院に入学、Vnをヘルメスベルガー、ピアノをルートヴィヒ、作曲をフックスに学んだ。1893年で卒業し、95年にはパリ音楽院に入学、ヴァイオリンをマルシックに師事し、作曲をマスネーやフォーレに学ぶ。 99年に卒業している。
パリでは、コルトー、カザルスらと共演している。 1904年、エネスコ弦楽四重奏団を結成。1924年には、イザイが彼に無伴奏ソナタ第三番、バラードを捧げている。 彼自身の作曲として、ルーマニア・ラプソディー狂詩曲第一番、第二番、オペラ・オイデプス王、ヴァイオリンソナタ第三番、ルーマニアの民族様式でがある。
指揮者として、1917年、祖国でオーケストラを結成。21年には、国立オペラ・カンパニーを組織し、最初の公演に、ワーグナー、ローエングリンを取り上げている。 彼の20年代の録音に、ピアノにシュロッセルを迎えて、ショーソンの詩曲を録音している。
録音のコンディションは、良いもので、鮮明な表情を聞き取ることが可能である。1980年に、ロシア、メロディアがLPレコード化していて、盤友人はそれを鑑賞した。 演奏スタイルは、20世紀前半のものといえる、表情の濃い色づけであり即興性が加えられている。 聴き進んでいくうちに、エネスクの精神性が姿を現してきて、15分ほどの演奏は、楽器の音色として、燃えさかる炎と化していくのを覚える。
1980年頃というと、NHK・FM放送で、ピンカス・ズッカーマンのヴァイオリンの音色から、鮮明に記憶されたのが、スチール弦による音だった。ブラームス、ヴァイオリン協奏曲、これには、強い記憶として刻まれている。
エネスクのものは、明らかに、ガット羊腸のものによっている。これは、2016年の現在、コンサートで耳にするスチール弦とは、決定的に違った世界である。
エネスクの世界、20世紀前半のものとはいえ、古い物、とは済まされない音楽である。 ショーソンの詩曲、レコードの中でも、一つのピーク高みにある、ヘリテイジ遺産であろう。
盤友人は、オーディオの歩みを進めていて、たどり着いた衝撃は、その数少ない一つである。