千曲万来余話その320「ブラームス、大一番ハタン調の全休止で、起きたこと・・・」

 その演奏会で、彼は予備拍として二つ空振りをしていたのは、見ていて気になっていた。 
 もしもリハーサルが充分になされていて、プレーヤー達とテンポ感が一体となって共有されていたならば、一つ振りで可能だったのに、そのようではなかった。だから、メンデルスゾーン、序曲フィンガルの洞窟での開始部分にしても、ヴァイオリン群の音と、アルト、チェロの響きが、上手にコントラバスの響きの上にアインザッツは、乗っかっては居なかった印象だった。二曲目のシューベルト、交響曲第五番変ロ長調の冒頭も、指揮者のテンポと、プレーヤー達の感覚は、同じようには聞こえていなかった。彼の設定は、アレグロでも少し前のめりで、速いものだった。 
 この印象は、当夜、一貫して受けた印象であって、明らかに衝突事故が予想されていた。これは、危ないな。後半のブラームスでの第二楽章の、アンダンテでも、落ち着くことがなくて、オーボエ、クラリネットの独奏部分が、異様に速かった。吹き飛ばされた感じ、あれで、首席奏者達が歌うことができないような感じだったのは、彼らがもう少し指揮者に従わないで、たっぷりと歌うようなテンポでブレーキをかけたほうが良かったのではないかと思われた。このテンポ感の、不一致は結果として、フィナーレ、285小節目、第一拍目の全休止直後に、アンサンブルは、破たんしてしまったのだった。
 そういう事故が、起こらないように、リハーサルが行われてはいなかった、ということだろう。定期史上最悪の演奏会となってしまった。不思議にも、演奏後の拍手は盛大で、誰一人として、ブーイングの声は無かった。果たして、聴衆は何事もなかったかのように拍手をしていて、演奏会はハネタけれど・・・?それでも良いものかなあと思いながら、知人と話し合いながら、帰途に就いた。 
 一曲目はコントラバス八丁で、二曲目は半減、そして、ブラームス交響曲第一番は、フル編成に戻り二管編成で弦五部六十名の演奏会だったけれど、音量からいって、二曲目が特別小さかったことはなかったということは、大らかな演奏であったということになる。 
 指揮者と演奏者との間でのテンポ感の共有は、多分、責任が指揮者の棒にはあるけれど、交響楽団定期公演としては、演奏家の力量が問われていることになる。明らかに、一方に責任があっても、弦の合奏がバラバラ事件になってしまっては、その主体はどこにあったのか?ということで、本番でも、指揮棒が速すぎても独奏首席達がブレーキをかけられなかったものか疑問は残る。オーケストラで、コンサートマスターは、指揮者とオーケストラプレーヤー達の中をとりもつ重大な責任がある。彼に、責任を追及するつもりは無いが、組織として、その存在が機能してほしいと思うのは、盤友人だけなのであろうか?ヴァイオリン独奏と、オブリガート独奏ホルンのアイコンタクトがとれない楽器配置も大きな疑問として残る。つまり、ホルンという楽器のステージ上での位置は、コンサートマスターと対角線上にあるのが望ましいのに、そのようには、当夜、というか、いつも配置されてはいない、逆の位置である。つまり、演奏者たちが楽しめるような配置にはなっていないというのが、現実である。第二ヴァイオリンとアルト群が同じような音楽を演奏していながら、いつも分断された位置でセットされているのだが、舞台上で、上手袖に第二とその奥にアルトが配置されれば解決されるのであり、第一と第二ヴァイオリンが束ねられるとそれは違い・・・いつになることやら