千曲万来余話その349「シューベルト、ピアノソナタハ短調、ウィーンの匂いが・・・」

シューベルトは、ベートーヴェン27歳の当時ウィーンに誕生し、B氏の死の翌年31歳で冥界に旅立っている。S氏の音楽はロマン派に属するものであり、B氏の音楽は古典派でありながら、すでにロマン派の音楽を内包する世界であった。ハイドン、モーツァルトの世界が古典派の典型であり、形式でもって情緒の表現を創造していたのに対し、S氏は情緒が形式の枠を超える音楽創造の世界に遊んでいるのである。アン ディエ ムズィーク音楽に寄すという歌曲、高校生の音楽教科書に掲載されていて、最初の学習はハ長調をニ長調に移調して記譜するものであった。     
 現代では、コピーすると済むものを音楽の先生は、手で書き写す作業を指示していたのである。まさにアナログ的な学習法の典型であり、作曲者の作曲の結果体験なのであった。      
 その盤友人の師が80歳?頃作の短歌・・・わがピアノ、ウィーン製なれば日毎弾く音はウィーンの匂ひくるなりという一首で彼女は先月天寿を全う、百三歳であった。         
 ピアニストには、タイプが二通りあって、メーカーにこだわりを持つ、持たないという生き方である。ウィルヘルム・バックハウス、クリフォード・カーゾン、パウル・バドゥラ・スコダ、ルドルフ・フィルクスニー、ジョルジュ・シフラ達は、特にウィーン製品のピアノのLPレコードがほとんどである。男性ピアニスト、アルフレッド・ブレンデル、女性ピアニスト、アンヌ・ケフェレックなどは、音楽によりメーカーを交替しているし、男性のアルトゥール・ルーヴィンシュタイン、ウラディミール・ホロウィッツ、クラウディオ・アラウ、女性のイングリット・ヘブラーはスタインウエイというものにこだわりを見せており、ウィルヘルム・ケンプなどは、モノーラル録音時代は、ベヒシュタイン、ステレオ録音時代はスタインウエイと、メーカーを使い分けている。特に、ヘブラーのモーツァルト、ピアノ協奏曲集は3人の指揮者により制作年代の異なるスタインウエイを使い分けている。
 シューベルト作曲、ソナタ第19番ハ短調、D958の第二楽章アダージョなどは、まさに女性が理解できるものか?イッヒ リーベ ディッヒという文句を告げる立場の音楽であり、女性が理解できるものか?というのは告げられる立場の存在で・・・というほどの意味である。その点、ヘブラーの演奏とブレンデルの演奏には、天と地ほどの味わいの違いがある。すなわち、彼女の演奏は、美しいものであるのだが、S氏の決然とした音楽と決断に迷う表現のその差の揺れ幅が、その味わいの分かれ目になっているのである。そこのところ、スタインウエイと、ベーゼンドルファーには、表現の差がよく分かると云える。ブレンデルは68年頃、米ヴォックスでLPをリリース、72年頃フィリップス録音でLPをリリースしている。前者はベーゼンドルファー、後者はスタインウエイの響きがする。というのは、クレジットはないからであって、その違いは、盤友人のオーディオのグレードで受ける印象の違いによるもの。だから、良い音とは何か?と問われると、ピアノの音色の違いを表現できるか?否か?にあり、だいたい、多額の投資をしてシステムを揃えるとか、真空管をオールドタイプに揃えるなど、努力を必要として到達する世界なのである。      
 嫌味な話で恐縮だが、それは、金の解決などではあらず、情熱の有無に尽きる話なので・・・