千曲万来余話その375「シベリウスVn協奏曲ヌヴー白熱の記録、奇跡的一枚」

第一楽章、お仕舞い近くのカデンツァ、独奏者が一人で名技性を発揮する部分で、管弦楽団メンバー達は静かに聞き入っている。そんな中でコントラバス首席奏者の池松宏さんたちは弦を、両手組んだ手のひらで押さえていた。感動的な一コマ。都響札幌公演、キタラホールLAブロックでコンバス向かいに座り、左手側にティンパニー、管楽器そして弦楽器、右手側に客席を眺める座席位置、中心に指揮者、大野和士の気迫を確認する。独奏者は、若いパク・ヘユン、ベージュのインナーで黒のシースルーというドレス姿、完璧な技術を駆使してアンコールにエルガーの性格練習曲作品24の5、ホ長調を華麗に披露した。
 Vn協奏曲は、第一と第二ヴァイオリンのティラリラリラリラという最弱音の演奏で囁きの中に開始される。これは、配置が明らかに、両翼配置を前提としている。第二楽章で、フルートが高い音でゆっくり降りてきて、第二Vnとアルトがそれを受け継ぐ音型など、指揮者右手側舞台配置の演奏でもって収まりがつく。現代主流の配置はそこのところ、セカンドVnとアルトが離れているのは致命的に聞こえ方に難がある。札幌キタラホールはワインヤード型といって、舞台の全周囲に客席が配置される構造になっている。原点はベルリン・フィルハーモニーホール、1963年10月建立にさかのぼる。ところが第二次大戦前フルトヴェングラー指揮した時代のものは、シューボックス型といってウィーンのムジークフェラインザールなどが有名なタイプである。
 よく人は、音楽は音の芸術だから聞こえるとそれで良いから配置はどうでも構わないと、アバウト、逆に、弦楽器配置はVn両翼が前提と言うと、あなたは原理主義者か?という反応をする輩が居る。 笑止千万きわまりない事はなはだしい。だいたい、音の芸術というよりは、時間の芸術なのであって、管弦楽には相応しい配置というか、作曲家が前提とする楽器配置はあるのだから、それを模索する態度こそ指揮者に求められるのであろう。
 ヌヴーの1945年11月ロンドン録音は、彼女が26歳、初めてオーケストラと共演した記録、一気に演奏されたような印象を受ける。管弦楽かさくさくとリズムを刻むとき、彼女は目一杯フレーズを歌わせる。音色が鮮烈でガット弦の輝きを宿している。作品47ニ短調というと、ショスターコーヴィチは1937年に交響曲第五番を作曲、シベリウスは1904年2月08日初演の指揮を執っている。 そういえば、マタイ受難曲の第47曲ロ短調、アルト独唱とヴァイオリンによる魂からの詠唱というべき音楽であったのは、単なる偶然といえるのだろうか。
 ジネット・ヌヴーは1919.8/11パリ生まれ~1949.10/27アゾレス諸島、飛行機事故で客死している。1935年ヴィエニャフスキ国際コンクール15歳でグランプリ獲得、その時27歳ダヴィッド・オイストラッフが二位であったというは有名である。
 白熱の記録、ワルター・ジュスキント指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏はフルオーケストラの風圧を受けつつ、必死に歌を歌うような演奏で、彼女の薄命を自覚するとき涙を覚える。
  そういえば札幌音蔵の扉を開くとき、対面するガラス戸のサンドブラッシュデザインが彼女の演奏するポートレートであるのは、趣味として素敵である。