千曲万来余話その382「ユーラ・ギュラーの芸術、ニンバスレコードの一枚」

台風21号の接近、通過に伴い札幌では23日午前に初雪となった。雪と言っても霙、雨交じり模様である。車を運転していると、車窓の銀杏並木は紅葉の盛りで、黄金色の景色は、秋の深まりを見せている。南北に長い日本列島、10月と言ってもまだ夏の名残の地方もある中で、北海道は冬が間近、歌志内にあるチロルの湯で、一泊した。
  フェルッチォ・ブゾーニ1866~1924イタリアの作曲家、ピアニストをしてかつて、完璧な才能の持ち主の一人といわしめた存在、ユーラ・ギュラーはクララ・ハスキルと同窓である。
 第一次大戦の後、七人のピアニスト、モーリッツ・ローゼンタール、エミール・ザウアー、ホフマン、コルトー、ルービンシュタイン、ソロモンそして、70年ほど以前(1977年から)当時12歳のユーラ・ギュラーはパリ音楽院で首席、第二次大戦でピアニストとしての経歴は中断されていた、 錚々たる大家の中に彼女がいたというキャリアの持ち主はウィグモアホールに招待されている。
 英国ニンバスレコード、数少ない彼女の演奏記録の一枚は、リスト編曲によるバッハ作曲、前奏曲とフーガ、イ短調BWV543、幻想曲とフーガ、ト短調BWV542など、圧巻の演奏である。 ホールトーン会場音響の豊かな、クアドロフォニック録音で、バッハのオルガン曲をリスト編曲によるピアノの音楽は、深い楽譜の読み込み、圧倒的な技術性を誇ったピアニストにのみ可能な演奏である。ジャケット写真は、彼女のアップされた顔で、アイドル系のそれとは無縁な世界を象徴する。ユーラは、ハスキルの演奏と共通するスケール感の別格な世界で、スカルラッティのソナタなどの小品でも、ゆるぎない雅な気品高い格調ある音楽で、一度経験すると、忘れられない魅力のとりことなるから、不思議である。
 ショパン、アルベニスの他にクープラン、ラモーら、フランス系の小品が録音されているレコードは、希少価値充分で、秋の深まりにふさわしい。なぜ、彼女のレコードは少ないのだろうか? 多分、彼女は録音に対して興味はなく、演奏活動、教育活動に本領を発揮していたのだろうということしか考えられない。
 ピアノは鍵盤楽器の一種、ベートーヴェンの時代に、チェンバロからハンマーフリューゲルという弦をはじく方式から叩くものにと変化を見せて、音量的にもピアノとフォルテという強弱の対比が可能な楽器へと進化した。鍵盤の数が低音ラ27.50ヘルツから高音ド4186.01ヘルツへと広がりを見せて、楽器として王者の地位を確立している。
 ピアノという楽器による作品、だから、ベートーヴェン、シューベルトが源流とも云える。バッハの作品の多くは、鍵盤楽器、オルガンとか、チェンバロで演奏されていて、ラモー、クープランなどのフランス系、スカルラッティなどイタリア系などオリジナルはチェンバロの演奏が主であった。 リスト、シューマン、ショパンらのロマン派、これらの音楽は表現形式主体の古典派から、人間的感情表現主体のロマン派へと展開を見せている。リストが演奏技術の拡張を見せているのに対してシューマンの作品は、明らかに内面世界へと深化を見せている違いが明らか、その時代が、ピアノ芸術のピークであるというのは、言い過ぎではないだろう。しかし、不思議にもヨハン・セヴァスティアン・バッハは、バロック時代、既に鍵盤楽器のピークを築いていたのである。