千曲万来余話その387「コルトーの弾くシューマン、ピアノの音色オーティオ論その七」

良い音とは何か?その様々な答えの一つとして、ピアノの音色をキーワードにしてみたい。 左手で和音ハーモニーの低音を響かせたとき、その音響には倍音が含まれている。いわゆる楽器の鳴りである。右手でうまい具合にその音響を探りあてた時、香るような響きを生み出すピアニストは、良い耳を持っていると評価される。その楽器全体の音響を再生するのが、オーディオの醍醐味。あくまで、全体的、トータルな音響であって、単音そしてハーモニーに包まれた響きの立ち上り具合が生命なのだ。
 アルフレッド・コルトー1877.9/26スイス、ニヨン~1962.6/15ローザンヌ
 1933年録音に、ショパンのバラード集がある。SP復刻でCOLHナンバー棒付きジャケットLPレコードを生々しく再生することが、オーディオ究極の目的であり、その人の人生のテーマになるのではなかろうか?確かにスクラッチ・ノイズといって、78回転再生に特有のノイズは付きものなのではあるけれど、シグナルのバランスが取れると、鑑賞する時にスルーできる、問題にならないくらいの弱点である。それは、演奏者のダイナミックな演奏スタイル、アゴーギグ緩急法や、ダイナミックス強弱の付け方、フレージング句読点を施す歌謡性など、注意すべきポイントは多様であって、ノイズにばかり気をとられていては、音楽の聴き方として片手落ちというものである。
 コルトーの愛奏するピアノは、仏製プレイエルといわれている。あの楽器の音色は珠を転がすようなという形容が相応しい、玲瓏たる一種独特な響きである。その低音は倍音が豊かというに値する オーディオ的魅力の際立ったピアノと云える。
 シューマンの謝肉祭、作品9は、1833年ころ25歳での作曲で21曲の小品から成り立っている。中でも、第五曲オイゼビウス瞑想の詩人、第六曲フロレスタン情熱的行動家、というのは作曲者自身の分身的肖像といわれている。その他にも、キアリーナ、エストレルラという恋人たちの肖像もある。
 いかにも、ロマン派音楽の旗手に相応しい作品であり、その標題からプログラムを想像させるのであるけれど、それは演奏家にとってのテーマ、キーワードであって、ピアノの音楽がそれを表現しているわけではないことに、注意したい。暑い夏の日に、森林を眺めるとき、涼しさの感覚を催すのであるけれど、森林それ自体は、涼しさの表現ではないという、あの音楽美学を思い出すのが適当と云えるだろう。
 コルトーには、1953年5月9日録音として、謝肉祭作品9と、交響的練習曲作品13がある。
 後者は、1834年頃作曲された、フロレスタンとオイゼビウスによるピアノのための管弦楽的性格の練習曲という題名が予定されていたという。練習曲12曲に変奏曲5曲がちりばめられていて、彼S氏の多面性躍如としたロマン的ピアノ音楽の代表といえる。
 コルトーの演奏は、深い洞察力と、情熱的な演奏法、そして卓抜なピアノ表現に成功していて、無類のディスクとなっている。このLPレコードを上手に再生する事こそ、究極のオーディオ道であって、あれこれ道草を食うのも、そこに人生の味わいがあり、糧である。 記録芸術の再生は、一過性の結論にあるのではなくて、継続する経験にこそ宿る歓びである。