千曲万来余話その416「フランス・ブリュッヘン、名演奏の条件、エイク涙のパヴァーヌ」

 4月16日夜10時頃、天頂にはビッグ・ディッパー北斗七星が輝いていた。柄の部分から少し離れて南東にアークトゥールス、その先の南天にはスピカという春の大曲線が描かれている。そして振り返ると西方の中空にボルックスとカストルという双子座、そのやや北寄りにカペラという具合で春の星座が美しい。少し以前には、プロキオン、シリウス、ベテルギウスという冬の大三角形が下方に移動してしまい姿を消し、星空は北極星を中心にして反時計回りで地平線に沈み込んでいく。月齢0,0の新月、日出4:52日入18:18月出5:16月入18:20の日にあたり、星の夜として眺め易いといえるのだろう。
 こんな夜にリコーダーの音楽がふさわしい。ヤーコブ・ファン・エイク、1590~1657には、ソプラノ・リコーダー一本による涙のパヴァーヌ・ラクリメという名曲がある。オランダ、ユトレヒト大聖堂のカリヨン奏者だったエイク、教会の庭を散策する人々のためにリコーダーを演奏したといわれている。
 フランス・ブリュッヘン1934.10/30~2014.8/18アムステルダム没、彼の出現は二十世紀の音楽上歴史的事件だったという人がいるほどのビッグネイムである。楽器としては、歴史的名器から現代のゼンオン楽器にいたる幅広い使用、52~56年にかけてケース・オッテンにリコーダーとフルートトラヴェルソを師事したほか、フルートをフーベルト・バルワーザーにも学び、ソリストとして活動する傍ら、ハーグ王立音楽院のリコーダーと、十八世紀音楽の教授となりアムステダム音楽院、ハーヴァード大学など各地の教授活動に招かれていた。81年には十八世紀オーケストラ、古楽器による管弦楽団を創設するなど指揮活動にも幅を広げた。92年にはエイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団の首席客演指揮者を務めていた。91年ロイヤルコンセルトヘボウ、93年ザルツブルクでウィーン・フィルを指揮している。初来日は73年、指揮者として88年、十八世紀オーケストラとともに来日する等しばしば日本を訪れている。
 フランス・ブリュッヘンの演奏は特徴があって、ときどき吹き込むなどしていても、基本的にはノンヴィヴラート、豊かな鳴りを聞かせるスタイル、確実な技術性を発揮していて、鍛え抜かれた修練を経た安定感を披露する。リコーダー、ブロックフレーテは、発音が容易であり、多数の人々に愛されている。室内楽で本領を発揮していて、わずか、一本の楽器でも魅力をもった吹奏楽器。二本の合奏アンサンブルでは、簡単に倍音が鳴り、その魅力を知る人には、愛してやまない世界が広がる。
 ブリュッヘンの録音は膨大な数量に及び、そのLPレコードは、テレフンケンレコード、セオン、フィリップスなど幅広く、十六世紀から二十世紀まで作曲家も多数に及ぶ。共演する芸術家として、チェンバロ・ハープシコードはグスタフ・レオンハルト、ヴィオラ・ダ・ガンバではニコラウス・アーノンクール、バロックチェロではアンナー・ビルスマなど、バロック音楽の泰斗がずらりと名前をそろえている。彼の晩年は指揮活動に入ってはいたのだが、その音楽は、アグレッシブ、積極的なおかつロマンティックで精気に溢れたものであった。パッション情熱にあふれ、作曲家へのリスペクトの上に、鍛錬を経た音楽性は衆人を魅了する。
 オーディオ追求の上で、倍音の音圧が向上を見せることにより、演奏の魅力は幅を広げる。線を繋いだだけで得ることのできない世界、時間をかけ、経験を積み、感性を磨き、人間性を陶冶してこそ味わうことのできる愉悦、簡単ではないからこそ、その有難味は尊い。アーティストと比較できる話ではない、分かってはいるのだけれど!