千曲万来余話その427~「シューベルト、ブラームス、そして超人ミケランジェリ」

5月25日、札幌新道を車で走らせると市街地ではライラック、今を盛りに藤色の花が目に映える。気温が18゜C位という肌寒さでも、ヨーロッパ原産のライラックは緑葉の中に紫陽花のような淡紫色の花をつけている。
 先日、ピアノを中国語で洋琴と発信したとき、それは、鋼琴が正しいという指摘をいただいた。日本語では洋琴を漢語としていても台湾、香港や中華人民共和国では、鋼ハガネ琴と書く。大三角鋼琴とはグランドピアノのことを表す。
 KM氏からミケランジェリのCDコンパクトディスクに60年前の楽器使用というクレジットがあるという指摘を受けた。ドイツグラモフォン、1981年2月ハンブルク、ディジタル録音によるブラームスのバラード集作品10とシューベルト、ピアノソナタ第四番イ短調D537。ブラームスは21 歳1854年作曲のもので、シューベルトは20歳頃1817年以降の作曲になる。演奏者は超人アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ。このジャケットに、楽器は60年以前に作成されたものを使用というクレジットが明記されている。メーカーは、不明だが音色から受ける印象はスタインウエイに近いものがある。
 どういうことかというと、ピアノの左手の打鍵が含む倍音よりも、右手で拾われる倍音が華麗な印象を与えて、いかにも、スタインウエイという感じがする。なにより、ブラームスのバラード四曲、特に第三曲インテルメッツォ間奏曲や終曲でお仕舞いの打鍵から、余韻は18秒ほど伸びることなどからして、この楽器の特性は、抜群であることを誇っている。普通は余韻というと四、五秒程度であることに注意したい。
 ブラームスには、その先の作曲家としてロベルト・シューマンが居た。だから、その開始早々の横溢する倍音は、あたかも、幻想曲ハ長調の先例を想起させるに充分である。ロマン派音楽というものは、ベートーヴェンのピアノソナタに既に内包されていて、シューベルトによって開花している。そのフランツ・シューベルトのイ短調ソナタドイッチュ番号537は、ハンマークラヴィーヤというあだ名を冠したB氏ソナタ第29番の音楽を彷彿とさせている。
 なにも模倣の指摘をしているのではあらず、その影響力を指摘しているに過ぎない。ベートーヴェンという存在は古典派のピークであり、シューマンはロマン派のそれであろう。ロマンティシュというのはローマという永遠なるものを求めるという憧れの象徴であり、確立された古典派音楽を母体として、開花した音楽そのものを云う。ミケランジェリはそこのところを気付かせる選曲により、一枚のLPレコードを残したといえよう。
 ピアノ曲という情報は、ディジタルソース、コンパクト・ディスクでも再生は十分可能である。ところが、盤友人はそれをLPレコードというアナログ・ソースにより、再生するところに意義を見出している。すなわち、書物を美麗装丁による単行本で読むのと、文庫本サイズの書物で情報を取り入れるに似ている。ディジタル録音でも、LP再生によるものは、倍音再生に力を発揮する。ディジタルでは、そこのところが劣化している。LPとCDの比較がいつものごとく成されてはいるのだが、ノイマン製カートリッジ65Ast、オルトフォン初期型アーム、EMT927プレーヤーを真空管アンプ使用でするアナログ再生は、格別である。カキーンという倍音や、余韻の豊かな再生音は、その醍醐味なのである。そうすることにより、ピアニストが耳にしているであろう打鍵音に限りなく近づける努力をアナログシステムは、保証する。札幌音蔵社長のKT氏は北の匠といわれ、その力をもってして盤友人はその恩恵に感謝する事しきり、ということだ。