千曲万来余話その443~「ヨゼフ・シゲティの芸術、新即物主義の神髄、最新リリース」

 ヴァイオリン小品集としてコロムビア正規録音集、SP録音復刻盤がキングインターナショナルからリリースされた。
  SP録音というと再生は、78回転がもっとも相応しい。意外なことに、ノイズよりも信号の情報がしっかりしているために、三分間位は集中して鑑賞が容易である。すなわち、復刻LP録音はノイズが強くて、敬遠される向きが多い。ところが、オーディオのグレード・アップに力を注ぐと、決して、ノイズだけの情報ではないことに驚かされる。良いオーディオとは、そういう努力の上に、獲得される境地ではある。
 甘美なる新即物主義の権化というサブタイトルは、いかにも、コダワリ感が横溢するネーミング、権化と言うよりかは、神髄の方が、尊敬の程度はふさわしいように想われるのだが・・・それはどうでもいいこと、とにかく、シゲティの再生を経験すると、その人のオーディオ人生は、程度が知れるだろう。それくらい、再生芸術の上で肝といえるのが、シゲティのLPレコードといえるだろう。
 針を落とすという言い方は、一般的。ただし、盤友人としては落とすという言い方に抵抗感は大である。針をおろすが相応しいであろう。だいたい、一生懸命という言い方すら、疑問である。一生命のある限りと言うのは変であり、一つの所に命を懸けるというのもオリジナルなのであるから、心ある方は、このような言い方に、心を用いてもらいたい。針を落とすとか、一生(命あるうち)命を懸けるなどという言い方に疑問を感じないのは、片手落ちというものである。一所懸命、針をおろすという言い方感覚のオーディオマニアこそ歓迎したい。
 シゲティ1892.9/5ブダペスト~1973.2/19ルツェルンは、伝え聞くところ、名器グァルネリを愛奏したという。輝かしく、豊麗な鳴りを併せ持つ。これは、ストラディバリウスという美しい音色のヴァイオリンと識別できるのは、再生の目的であって、醍醐味というものである。
 B面のケッヘル番号K304ホ短調のクラヴィーアとヴァイオリンのための奏鳴曲は、1937年3月ロンドン録音、ピアノをニキタ・マガロフがあわせている。この曲を盤友人はハスキルとグリュミオーで聴き始めていて、その演奏の違いぶりに驚かされる。いかにも、新即物主義といわれる所以である。まず、マガロフの男性的なモーツァルト演奏は、興味深い。彼が演奏するのはグランドピアノであって、クラヴィーアといわれるような、古楽器ではない。当然というと当然なのだが、最近では、フォルテピアノといわれる楽器、クリスティアン・ベザイデンホウトなどの演奏するモーツァルトとは明らかに一線を画する。音量のダイナミックスは比較にならない。グランドピアノは、二十世紀の楽器なのであり、フォルテピアノこそ、1778年22歳M氏時代の音楽に近いだろう。ただし、弦楽器もスチールストリングではなくて、ガット弦使用のタイプなのだ。
 SP録音時代の楽器もガット弦使用というのは、押さえておくべき重要なポイントである。その演奏で、よく音程の不安定な状態を指摘する向きもあるのだが、いくらスチール弦がやすやすと音程を確保しても、その魅力はガット弦を超えることは無い。それはマガロフの男性的モーツァルト演奏とシゲティの演奏する肝と一致する。その上で、モーツァルト、ベートーヴェンとメヌエット演奏に続き、ドヴォルジャークのスラブ舞曲ホ短調と聴き進み、思わず膝を叩くことになる。初登場となるストラヴィンスキーのパストラールも、その曲調としての新しい調性感は実に、驚きをもって鑑賞する。
 SP復刻録音再生というのは、むつかしいけれども、それを超えて獲得する再生の悦びは、何にも代えがたいものである・・・