千曲万来余話その446~「続々美女演奏家列伝、ヨハンナ・マルツィ、未発表録音その2」

 その日の夕方、いつものように盤友人はトミー館に足を運んだ。札幌音蔵のはす向かい、栄通にある喫茶店で、マスターはコーヒー焙煎の求道者、苦味や酸味を自在に引き出す味のアーティスト。昔、10年近くマンデリンばかり飲み続け、その後10年以上酸味系のキリマンジャロとか味わっている。今回出会った味は、コロンビアで焙煎に違いがあるという。お客さんが持ち掛けた話で、珪藻土を使用して遠赤外線効果を高め、酸味の引き出しに成功したという。今年一番のショックを覚えた味わいだった。コーヒーもオーディオと同じく、奥が深いとマスターは口にする。二十年以上通い続けても、日々新たし、魅力たっぷりトミー館である。
 キングインターナショナルは、新しい音源のLPレコードリリースの快進撃を続けていて、嬉しいことこの上ない。この度、スイス放送協会提供による、ヨハンナ・マルツィ1976.11/30録音、バルトーク、ラプソディ狂詩曲第一番、モーツァルト、ヘ長調K376クラフィーアとVnのための奏鳴曲ソナタ、シューベルトのデュオという二枚組。  バルトークを始めに聴くのはしんどい、と思いモーツァルトから聴き始める。なんと、その輝かしい音色が耳に飛び込んでくる。彼女の特徴は、ヴィヴラートという音の揺らぎにある。深いヴィヴラートに彼女の面目が表れていて、出会えた喜びはひとしおである。
 その音色こそ1950年代のDGドイツグラモフォンとか、EMIのレコーディングに記録された歴史ある歓び、といえる。モーツァルトのディスクは数あれど、その歓びに出会えるかと言うとさにあらず、通り一遍のものが多数である。そんな中、マルツィのLPレコードは、今まで求め続けた努力に報いるというか、出会うべくして出会えたというか、求めていたからこそ出会えたという醍醐味は飛び切りである。
 これまでは、モノーラル録音が主体であったところ、今回はステレオ録音、その違いは何かと言うと、ジャン・アントニエッティではなく、イシュトバン・ハイデュというピアニストの違いに負うところ大である。モノーラル時代が格下なのかというと、さにあらず、アントニエッティも立派な演奏で披露していた音楽も、ハイデュの演奏は風格ある、格調高い音楽を提供していて、聴きどころ満載である。バルトークのラプソディ第一番など、民族色を遺憾なく発揮していて、舞曲のリズムなど生命力にあふれている。すなわち、音楽の幅が、古典派ロマン派から民族楽派に至る幅を見せて、彼女のバイタリティの拡大を記録している。ルーマニア出身でマジャール系のマルツィの魅力を、引き出すことに成功している。
 板倉重雄氏によるライナーノーツ、力のこもった愛情の上にマルツィの芸術を語り、その魅力を伝えていて充分である。盤面割も余裕があり、高価なレコードでも、その価値はそれ以上である。ステレオ録音ということは、定位ローカリゼーションが左右感を表現していることである。モノーラル録音でも、オトカズは限られているから、それほど不足感はなかったのだけれど、ステレオ録音という臨場感は、一味、魅力があるというもの。キングインターナショナルの宣伝文句に、偽りはない。それは、現在に引き寄せるリアルタイム感の表現でもある。ああ、マルツィが目の前で演奏している感が横溢、彼女が生きている感が、さらに増して幸福感を与えてくれる。この上ない至福のひと時とは、このディスクの再生に相応しい。
 彼女のプロフィール写真はどれも、美女感あふれているのだが、実際は・・・煙草を愛し、声質も低く、カール・シューリヒトのCD集に付属したDVDを観たことがある・・・まあ、いいやfine