千曲万来余話その454~「ドビュッスィ沈める寺、フランスピアニズムの精髄、S・フランソワ」

 1969年11月16日、日生劇場ライブ録音を聴いた。フランクの前奏曲、コラールとフーガで始められ、フォーレの夜想曲第6番変ニ長調、即興曲第2番ヘ短調、ドビュッスィ前奏曲集第一集から、デルフィの舞姫、亜麻色の髪の乙女、沈める寺、花火(第二集)、ピアノのために、というラインナップ、まさに王道を行くフランスピアノ音楽の粋である。
 サンソン・フランソワ1926.5/18フランクフルト生まれ~1970.10/22パリ、彼はドビュッスィのピアノ作品全集レコーディングセッションの途中、心臓発作で・・・ EMIのピアニスト・サンソンはアルフレッド・コルトーに才能を見出され、マルグリット・ロンのもと、パリ音楽院で研さんを積んだ。ピアノや作曲法を身に着け、第一回マルグリット・ロン、ジャックティボー音楽コンクールでグランプリを獲得している。四十六歳という短い人生で彼のレコーディングは多数である。盤友人はキングインターナショナルがリリースしたBEITBLICKレーベルのモノーラル録音LPレコードを再生した。
 一聴してすぐ印象づけられることは、香るようなピアノの倍音、精妙な香しきその音色にある。それはフランクを聴き、フォーレの夜想曲や即興曲に移行して発揮されるピアノの演奏である。フランソワの打鍵は、明らかに、作品の本質を聴衆に訴えていてやまない。黒光りするような輝かしくも、閃光をともなった音階、力強い左手の旋律線メロディライン、実に印象的なリサイタルであり当夜、聴衆の幸福感が伝わるそんなライヴ録音である。
 なぜに日生劇場ライヴなのか?という素朴な疑問は始めからついて回ったのが、ピアノという楽器の音色を再生して氷解する。日本のコンサートホールで多数のメーカーはスタインウエイである。ピアノというと、その音色がついてまわるのだが、フランソワの求める音はそこに無い。すなわち、日本で不幸なことに、知らず知らずのうちにピアノというとスタインウエイの音色が刷り込まれていて、それが基準スタンダードになっていることである。多分、フランソワの判断は、それとは異なった音色にある。ただ、どこにもクレジットはないから、盤友人推測の範囲を超えないのであるのだが、クロード・ドビュッスィの前奏曲集などを耳にする時、沈める寺でピークに達するのであるのだが、作曲者の狙いがストレートに伝わる世界なのである。
 LPレコードの楽しみの一つにジャケットの情報を丹念に探ることにある。文章や写真にじっくり見入るとき、見開きの曲目紹介の下にあるフランソワのピアノ前のポートレイトに釘付けされた。そうだ、鍵盤の上の蓋にクレジットは映っていないか?
 なんと、微妙な映りでYの文字がうっすら浮かんでいる。そのようなクレジットのメーカーは何か? もちろん、そのピアノが直接演奏に採用されたかは不明なのであるのだが、日生劇場とそのジャケ写真から類推するに、プレイエル、というメーカーが思い浮かんだのである。即断することは危険なのであるが、LPレコードの音色から連想されるのはプレイエルの音色である。それが、日生劇場に有った楽器なものか疑問ではあるのだが・・・
 フランソワの学んだ教師としてはコルトー、ロン、ナディア・ブーランジェなどなど錚々たるビッグネイムが記されている。彼の経歴で特筆されるべきは、作曲法のキャリア。これは、ピアニストの演奏習得の上で、極めて強力なファクターとなる。表現の深みが増すというか幅の有るピアニズムの条件の一つである。
 当時、聴衆の一人は彼に直接、手紙をしたためた交流が伝えられている。そのエピソードから知れるように、このレコードを手にする人には、福音がもたらされるといえるのであろう。