千曲万来余話その476~「ショパン、ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21、ユーラ・ギュラー独奏」

 ユーラと表記したのは、英語風のもので、多分ヨウラという読み方も有りだとは考えられるのだけれど、ネイティヴ原語により近いと思われるユーラ、にさせて頂く。というのも、アルゲリッチというのが、日本語的表記なのだが、盤友人はブルーノ・レオナルド・ゲルバーに直接聞いたかぎりでは、アルヘリッチという発音がネイティブである。日本で採用されるのは、主として、日本語の語感を優先していて、原音表記に近いものでもないから注意が必要である。ミシンの原音がマシンであったというのは、有名である。ラヂオ、テレビ、みんな原音でするとレイディオ、テレヴィになるから、ややこやしくなり、問題となる。盤友人としてはベートーベンよりは、ベートーヴェンという表記するのがネイティヴに近いと思われるのでそのようにしている・・・
 ユーラは、クララ・ハキキルと同年代、数か月年下なのだが、1895年1月7日にはハスキルが誕生している。それから四か月遅れてユーラ。あえていうと、ユダヤ系ロシア人を父として、母親はルーマニア人でマルセイユに生まれた。彼女らは、出会いが1905年で、パリ音楽院の同窓。翌年六月の試験ではクララが次席で、ユーラが一位だった。音楽院での成績は、微妙であり、より奔放な芸風がユーラの特色であって、より優等生的なのがクララだったのかと想像される。
 ショパンの協奏曲第2番は、1830年作曲になるものでその後に続けて第1番は作曲されている。楽譜出版は第1番が先で、1833年に第2番が出版されている。いずれにしろ、第1番ホ短調作品11は有名でスケールも大きい。第2番ヘ短調作品21は、二十歳の作曲になり、より青春の息吹が横溢している。第3楽章の終結にある、ホルン・コールといわれる音楽に特色があって、ファンファーレの音楽により、協奏曲の醍醐味が味わえるからなかなか捨てがたいものがある。そこのところで、もろに独奏者の技量が問われる仕掛けであり、そこを無事通過すると、もちろん、様々な仕掛けは、始めから終わりまであると言えばそうなのだけれど、特徴をなしているのは、そこにもある、ということで喝采が待ち受けている。
 ユーラの特色は、即興風な弾き方、リズムの伸縮、拡張が自在で、気ままというか、主体は独奏者に有り、を貫いている。その力強さは抜きんでていて、強靭な精神力を表現している。ジャケット写真も1980年英国ニンバス盤は、その意味でインパクト衝撃力のあるものだった。女優風な趣味もある意味かまわないが、協奏曲なのだから、オーケストラ管弦楽との風景写真の一枚でもほしいところである。指揮者デゾミエール・アンゲルブレシュト1880~1965は、フランス指揮界の大人物である。このレコードでは、フランス国立放送管弦楽団で、1959年6/21ライヴ録音となっている。管弦楽の統率に優れていて、アンサンブル合奏力は秀抜である。管楽器奏者の能力も遺憾なく発揮されていて、伊語でファゴット、英語でいうとバスーン、フランス語ではバッソンなど、音色はキャラクターが強く、雄弁である。第二楽章ラルゲット、ラルゴ、よりも少しテンポが軽快でという音楽、ピアノの音色は中低音域の量感が雄大、というとはフランス製のプレイエルなのだろうか?ジャケットのデータ表記は、日時までで、場所については未表記、ここのところ不足しているから、なんとも断定しようがないのだけれども、一曲をA面第一楽章とB面第二、第三楽章でプレスしているから音質は雄弁である。以前の他レコードと比較しても、遜色はない、というかこのレコードの魅力は抜群である。まだクララも活躍していて、お互いに切磋琢磨していた時代の貴重な記録になる・・・・・