千曲万来余話その478~「ラヴェル、ピアノ協奏曲ト長調、マルグリット・ロン1932年4月録音」

 モーリス・ラヴェル1875.3/7シブール~1937.12/28パリは、健康上の理由により実現されなかったアメリカ演奏旅行の時に、ピアノ協奏曲ト長調を作曲、1932年1月14日初演されている。作曲者自身の指揮、女流ピアニスト・マダム・マルグリット・ロン1874.11/13ニーム~1966.2/13パリ没、ラムルー管弦楽団による。一説によるとSP録音時の指揮は、ペドロ・デ・フレイタス・ブランコという情報もある。ここでは、パテマルコニー・リファレンスのLPレコードを鑑賞した。 マルグリット・ロン夫人は、1903年パリ音楽院ピアノ科教授に就任している。フランス・ピアノ界の大御所、1943年ロン・ティボー国際音楽コンクールが開催されピアニスト、ヴァイオリニストの登竜門として有名、ちなみに第1回ピアニスト第一位はサンソン・フランソワが獲得している。
 フランス製エラールを愛奏していて、みやびやかな音色に豊かな量感を披露して、天衣無縫のテクニックを発揮している。協奏曲の開始はなぜか、パチンという音を発する打楽器「むち」をイメージさせる冒頭の第一楽章アレグラメンテ、快活に、喜んで。ピアノの装飾的な音楽、トランペットの極めてむつかしいパッセイジ、諧謔的な賑わいの様相を呈している。管楽器が活躍していて、その掛け合いは、精密さの追求が前提となっている。これを指揮するのは、精神の強靭さを証明するようなもので、これを実現して天狗になっていては、様にならない。逆にプレーヤーに対する謙虚な姿勢が、作曲者の意図のような気がする。すなわち、ラヴェルはここで、演奏家の熾烈な格闘をあらかじめ予想して、その成功、成就感を狙っているかのように思われてならない。作曲を心底楽しんでいるのである。スイスの精密時計といわれる所以である。
 第二楽章アダージョ・アッサイ、充分に緩やかに、ラルゴは幅広くひじょうに緩やかに、だから、遅すぎない緩やかさが求められる。ピアニストは左手で8分の3、右手で4分の3の旋律が演奏される。開始は大体150秒なので2分半ほど独奏者だけで演奏され、次第に管楽器弦楽器と加わり、春の野辺、日光のまぶしい風景が目に浮かぶようである。ここは、モーツァルトK467、ハ長調協奏曲の第二楽章が下敷きになっていて、本歌取りである。二流の作曲家によると、下敷きがある場合、持たれる感じがすることになるところを、ラヴェルは流石に、その上を飛翔している。まるでラヴェルの微笑みのポートレートといえる。
 第三楽章プレスト急速に、ジャズ的雰囲気の音楽を導入した自由なロンド形式。木管楽器と金管楽器の掛け合いは、スリルに富んでいて聴きもので、その舞台の前列でピアニストは軽快なフレーズを披露する。ピアノ協奏曲の定番といえば、そうなのだが、プレーヤー達はいつ脱線事故が起こるか分からない中で、大団円をむかえるのだから、危険を潜り抜けた歓びは、演奏者にしか感じられない興奮で、でも、それを聴衆はその展開に立ち会う喜びはある。レコードではそこのところ、缶詰になっているところで、演奏会に敵わない。レコードはあくまで記録、それを再生するのが歓びなのだからアナログ世界は、独奏楽器の鳴りっぷりを追求する。
 モーツァルトやベートーヴェンの古典的世界から、リストの即興性を拡大したピアノ音楽を経過して、その百年余り後のラヴェルは、装飾的ともいえる音楽の作曲に到達している。即興性を楽譜化したところに装飾的な音楽が展開して、それをさらに即興性にまで高めたというのがラヴェルの音楽なのではなかろうか ? マルグリット・ロンのピアニズムは、歴史の一頁に不滅の記録として不動である。