千曲万来余話その496~「ニールセン、弦楽四重奏曲第二番、ライラックの季節に・・・」

五月も残り一週間になリ、晴天が続く初夏でウグイスの鳴き声(小樽にて)を耳にする。当地札幌では街路樹でライラックの紫色、花の房を目にする季節で、ニセアカシアもパールホワイトの花が満開になっている。
  ライラックはフランス語でリラ、むらさきはしどい のこと、モクセイ科の落葉低木でうすむらさき色花の房から甘い香りが強く、札幌では街かどでよく見かける。 カール・ニールセン1865~1931デンマークの作曲家。リヒャルト・シュトラウス、グラズノフたちと同世代だから、後期ロマン派に属するといえる。コペンハーゲン音楽院に学び、同地の王立管弦楽団、第二ヴァイオリン奏者として16年間在籍、1890年奨学金を得て外遊を経験して作曲に専念することになる。1905年に同楽団を辞任して交響曲第一番を作曲する。1908年、王立歌劇場管弦楽団の第二指揮者、のちには音楽協会会長、音楽院教授、院長など要職を歴任、交響曲第四番は不滅のニックネームで有名。
 弦楽四重奏曲第二番ヘ短調作品5は1890年頃発表されている。第一楽章アレグロ、 ノントロッポ、快速にでも余りはなはだしくなく。マ、エネルジコ情熱的に。第二楽章ウンポコ、アダージオ。少し幅広くゆったりと。第三楽章アレグレット、スケルツァンド。やや快速で、諧謔的。第四楽章フィナーレ、アレグロアパッショナート、アレグロモルト、プレスト。終楽章、快速に熱情的に、充分に快速で、そして急速に。
 作風としては、ブラームスの雰囲気を受け継いでいて、充分にロマン派風である。演奏は、コペンハーゲン四重奏団、トゥッター・ギヴスコフ、モーゲンス・リドルフのVn、モーゲンス・ブルーンのヴィオラ。アスゲル・ルンド・クリスチアンセンのチェロ。なおジャケット写真のイラスト画を参考で演奏を耳にすると、中央にチェロとヴィオラが定位し右スピーカーから第二Vnの音楽が聞こえてくる。コピーライトは 1968年で、ステレオ録音の米国ターナバウト盤。第二楽章は第二Vnの独奏に、他が伴奏を付けているような音楽になっている。弦楽三重奏のとき、チェロが中央に、Vnとヴィオラは左右に配置されると、音楽的に安定する。では、第二ヴァイオリンは、どこにシフトするのが良いのだろうか?
 現代の多数派は、Vnとチェロの間に座席する。ところが、言葉としてヴァイオリン両翼配置がある。すなわち、現代はこの言葉に則ることなく、ネグレクト無視、あるいは忌避、タブー視している。だから、オールクラシックミュージック イズ ダブルウィングを認めた時、第二ヴァイオリンは演奏者たちの左手側、客席から見ると上手配置が正解になる。実際、聴いていると第二Vnが端で演奏する方が音楽として聞こえやすい配置になる。ということは、演奏中心に考えると両翼配置は、無視する方が演奏しやすくて、聴く立場になると、両翼配置の方が音楽として面白くなる。というか、チェロとヴィオラが中央に存在して、左右にヴァイオリンを配置した方が作曲効果の上がる、聴きやすい配置と云えるのである。盤友人としては、ステレオ録音では二枚目となる。それくらい希少価値ある音楽。
 最近の音楽シーンで、合唱グループの配置は男声を中央にして、ソプラノとアルトの間に挟む団体が増えてきている。どういうことかと云うと、女声と男声と左右に分けるだけではなく、サンドイッチのように、男声を中央にしてはさむスタイルが試されてきているのだ。新しい響きを求めるのは、過去とは異なる音楽を求める欲求の表れであり、自然な成り行きと云える。それは、あたかも作曲家の時代から演奏家優位の時代に変遷したのが、さらに作曲家の時代へと回帰しているかのようなんだよね・・・