千曲万来余話その508~「ベートーヴェン七重奏曲、2019PMFの風景とバーンスタインの遺志・・・」

 PパシフィックMミュージックFフェスティバルは1990年、北京開催の予定が当時、交響楽団事務局長だった竹津宜男氏の尽力により札幌開催にこぎつけた経緯がある。札幌市長だった板垣武四氏が開会宣言を高らかに、その彼らの遺志は30年の節目を迎えたのである。教育国際音楽祭という発想は、レナード・バーンスタインが人生の終幕に仕掛けた壮大な夢、音楽の架け橋として先輩から後輩へと受け渡す構想である。
 盤友人は、その時、ロンドン交響楽団のタクトを執ったバーンスタインの雄姿を目に焼き付けた、幸運な聴衆の一人であったし、ベートーヴェンの第九、コーラスで参加して、リーフ・ブヤラント氏、マイケル・ティルソン・トーマス氏の指揮で演奏している。PMFオーケストラという音楽学生プレーヤー達の首席には、たとえばフルートではウォルフガング・シュルツ、クラリネットはペーターシュミードル、ホルンはギュンター・ヘーグナー、つまりウィーン・フィルのトッププレーヤーが着席していたのである。夢のような話が実際に札幌では実現されていたというもの。
 今年の7/29、キタラ小ホールではPMFアメリカのグループで演奏会が開催された。ファゴット奏者はダニエル・マツカワ氏、フィラデルフィア管弦楽団首席奏者。ベートーヴェンの七重奏曲がメインディッシュ。前半のプログラムは、ジャン・フランソワ・ミシェル1957~スイス出身の「イーストウィンド」東欧のロマ音楽風、トロンボーンとトランペット、ピアノの三人の奏者版で演奏されていた。ユージン・グーセンスの「パストラーレとアルルキナード」作品41、フルート奏者はシカゴ交響楽団首席のステファン・ラグナー・ホスクルドソン、オーボエはサンフランシスコ交響楽団首席ユージン・イゾトフで、ピアノは佐久間晃子という名人ぞろいである。作曲者は1921年ストラヴィンスキー「春の祭典」英国初演を指揮している。1924年の作品。冷笑的そしてユーモラスな雰囲気の音楽になっている。その後は、サンサーンスのVnとハープ二重奏「幻想曲」作品124、デイヴィド・チャン氏メトロポリタン歌劇場管弦楽団コンサートマスターと、ハープは同じく安楽真理子さん。チャン氏はタブレット操作の楽譜使用でスマート、しっかり楽器を鳴らしていて、ハープのかそけき音からダイナミックな演奏までパリ風の音楽に仕上げられていた。
 後半プログラム、U字型に椅子はセッティングされていて、舞台下手には弦がVn、アルト、チェロ、そして中央にコントラバス、Cbは弓がフレンチボウというチェロ演奏タイプでアレクサンダー・ハンナ彼はシカゴ交響楽団首席奏者。舞台上手は、奥からホルン、ファゴット、クラリネットという風に着席していた。印象的だったのはシカゴ交響楽団首席ステファン・ウィリアムソンが演奏の途中、自分が休止の時、楽器内側の水分取りをしきりにしていたことだった。
 楽曲開始のトゥッティ斉奏の弦と管の合わせがピタリで、対面U字型のセッティングは効果的だったといえる。ところが、ヴァイオリンとチェロの間で、アルトがパッセイジを刻む音楽、演奏を展開しているのを盤友人としては、違和感を覚えた。すなわち、チェロを中央に据えて、ヴァイオリン下手、対面に上手にアルトを配置するというのは、どんなものだろうか? だから、チェロの背面すなわち舞台中央にファゴットとクラリネット、舞台下手にコントラバス、その対称として上手にはホルンを配置する。二重構造としてバックヤードはCb、Fg、Ci、Hr、フロントラインはVn、Vc、Altという具合。無論、奏者たちのアイコンタクト可能な配置である。
 終演後に満席の客席から熱烈な拍手が沸き起こっていたのは、ステージと客席に居たアカデミー生たちとの一体感であったし、みんなが幸福であった・・・